IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第29話「傷跡に純情を」

「白い方が勝つな」

「はぁ」

 

 教員専用のアリーナ内に備え付けられたモニター室で、紅茶を一口飲みながら呟いた永悟の一言に、コーヒーカップを片手に千冬は気のない返事をこぼした。

 

「確かに織斑の白式は白いですが……今回のチーム分けは、織斑達がレッド、更識達がホワイトなのですが」

「いやしかし、淹れてもらって悪いねミス・千冬。流石IS学園、紅茶サーバーまであるとは、このモニター室は良いモノだ」

「…………」

 

 思わず浮かんだ青筋の勢いで鉄拳を叩きこみたくなった衝動をグッと堪え、千冬は社会に出て学んだ処世術を事務的に行使していく。

 

「はい、このモニター室は、あらゆる角度から戦闘を視聴できる他、リンクした全ISのステータスもタスク表示でき、更に緊急時の指令室なども兼ねています。そのため、非常時に備え全スタッフが一週間ほどであれば活動が可能な物資や施設が」

「ん、ミス・千冬。そろそろ時間ではないのかね? ティータイムはここまでにしよう」

 

 科学者はこういう人種科学者はこういう人種科学者はこういう人種と、相当な無理をして自分の悪友の姿を思い浮かべ、後ろから蹴り飛ばしたくなる衝動を何とか飲みこみ、モニターから4機全てのチャンネルへと接続。マイクから通信を飛ばした。

 

「こちらモニター室。ドッグ待機中の各機、聞こえるか?」

『はいはいこちらチームレッド、大丈夫だ、問題ない』

『え、えっと、聞こえてるぜ千冬姉』

『こちらホワイト、聞こえていますわ』

『同じく、ラファール・リヴァイブ、感度良好です』

 

 あとでレッド側はすっ叩くとして、あらかじめ伝えておいたIS学園タッグマッチの公式ルールを再び再確認させるようになぞっていく。

 

「今回のタッグマッチのルールは、IS学園独自のレギュレーションに沿って行う。今までの模擬戦やクラス対抗戦とは異なる部分も多い。この最終確認で、しっかりと頭にたたき込め」

『わ、分かったよ』

 

 と、一番不安な奴からの返答だけ受け、千冬はまず一番重要な部分から説明を始めた。

 

「IS学園タッグ戦公式ルールは、レッド、ホワイトの二組に分かれて戦闘を行い、チームメイトが一人でも戦闘不能判定が下った時点で、戦闘不能者を出したチームの敗北となる」

『つまり、どっちか片方が動けなくなったら、その時点で負けってこったな』

「戦闘不能判定は、シールドエネルギーの枯渇、全部武装のロスト、搭乗者の気絶、このいずれか1つが満たされた時点で行われる。留意しろ」

『特に一夏、お前はその雪片壊された時点で負けだからな、マジで注意しろよ』

「いちいち、余計な、茶々を、入れるな、朴月」

『アッハイ』

  

 あ、これ本気でキレ気味な奴だと判断した姫燐が引っ込んだのをため息交じりで確認し、ルール解説は続く。

 

「制限時間は10分。それまでに決着が付かなかった場合、互いが削ったシールドエネルギーの総量で判定をつける。ダメージを多く与えたチームの勝利という訳だ」

『織斑先生、相打ちの場合はどうなるんですか?』

「同時に戦闘不能者が出た場合も同じだ、デュノア。その時点で試合を終了、時間切れと同じく与えたダメージで勝敗を決定する」

『あくまでタッグ戦って訳なのか……』

 

 一人で戦う場面が一切なく、片方が脱落した時点で敗北となる、あくまで二人で一つのチーム戦。

 人間が、いやあらゆる生命体が古来より縋り、頼り、行使してきた『数』の力は、もっとも原始的で、もっとも単純な力だ。

 このルールはそれを理解していない、自分は、自分だけが選ばれた存在である――そんな慢心を抱いている奴にこそ、明確に鋭い牙を剥く。

 己だけを信じ、周囲を顧みず、他者を犠牲にしてでも勝利を掴み取る……そのような人間が決して国家の未来を背負わぬよう、勝利者になってしまわぬよう、IS学園が真にISを纏うに相応しい人材を産み出すために備え付けられた、それがこの特別ルール。

 相手が相手であるため結果こそ見えていたが、自分が信じる弟が、そして弟が信じる彼女が、タッグルールと言う舞台で、今はどれだけの過程を叩き出せるのか。一人の教育者として、肉親として、戦士として、千冬は期待を込めずにはいられなかった。

 

(さて……学園最強とフランスの代表候補生相手に、どう戦う? 一夏、朴月)

 

 ふっと、緩みかけた表情を、再び平等かつ公平を称える教師の鉄仮面で多い隠し、千冬は準備が完了した各機に告げる――

 

「かっ」

「うむ、各機発進! 各員の健闘を祈るよ!」

「…………ッ……」

 

 そんな締めを永悟に横からかっさらわれ、世界一触れてはならない逆鱗が狂気へと変わりかけていることなど当然知らず、ベースから飛びだした2機と2機が、右と左に別れ、20mほど離れた定位置で向かい合った。

 

「ヘィ、かた姉にシャルルよ。最初に宣言しとくが、アンタらに見せ場はやらねぇし、データも取らせねぇ。悪いが、速攻でケリつけさせて貰うぜ」

 

 ブリッツ・ストライダーを纏った人差し指を向け、姫燐はニヒルに挑発するようなモノ言いをホワイトチームに向ける。

 しかし楯無が纏う彼女の専用機、霧纏の淑女(ミステリアス・レディ)は、まさに妹機を前に、いつも通りの余裕を多分に含んだ仕草で小さく手を上げると、

 

 

「その前に、一つ良いかしらお二人さん?」

「あん?」

「えっ?」

 

 姫燐はもちろん、横で緊張した趣で佇んでいた一夏にも用があるとほほ笑んだ。

 

「ヒメちゃんは今回が初稼働、一夏くんはド素人。それに学園最強の私が全力で挑むのは、少し大人げないと思わないかしら?」

 

 ブリッツ・ストライダーと同じように肌が多く露出した腕部装甲を、自分の力量を誇るように動かしながら、目の前の妹達にわざとらしく楯無は尋ねる。

 

「なんだよ? ハンデでもくれるってのか?」

「さすが、ヒメちゃん大せいかーい♪」

「……あんだと?」

「ハンデ内容は……そうねぇ」

 

 と、楯無は虚空から、自身のISの全長ほどある大型の騎士槍を取り出し、レッド側に見せつけるように柄尻を地面に突き立てた。

 

「私はこの蒼流旋しか使わず――更に、この場所からずっと足を離さない……っていうのはどうかしら?」

「えっ!?」

「…………」

 

 余りにも膨大すぎるハンデに一夏は戸惑いの声を上げ、対象的に姫燐は眉間にシワを寄せて無言で睨みつける。

 

「そちらが良いなら俺は別に構いませんけど、シャルはそれでいいのか?」

「うん、これは更識さんとさっき相談して決めたことだから、僕も了承してるよ。あ、僕は普通に戦うからね」

 

 パートナーもそれを当然のように了承しており、破格すぎるハンデに一夏は本当にそれでいいのかと困惑しながら相手と姫燐に視線を錯綜させた。

 対する姫燐は、どっしりと据わった眼で相手を見据えていたが、

 

「……分かった、そのハンデ。ありがたく受けさせてもらうぜ」

 

 どこか納得しない思いを溜め息にして吐き出すように、彼女の提案を甘受することに決めた。

 しかし、姫燐と同じように納得していいものかと考えていた一夏は、彼女の様子を見て回線を開き小声で相談を持ちかける。

 

『な、なぁ、本当に良かったのかな……あんなハンデ受けちゃって』

『正直、分からねぇ。なに考えていやがる……?』

『そうだよな。あ、もしかして楯無さん、あの写真を全部キリに渡してあげるつもりなんじゃ』

『それはねぇ』

 

 ピシャリと断言した彼女の真剣な横顔と、そこに流れる一筋の冷や汗は確かに告げていた。

 現状は、自分の甘い認識とはまるで違う、暗闇の洞窟に、明りを持たず踏み込むのと等しい状況であるのだと。

 

『いい事を教えてやるよ一夏。あの人はな、確かに昔っからオレを可愛がってくれちゃいたが……』

 

 思い出と共に、指折り数えられる彼女と自分の戦闘記録。

 

『トランプ、花札、鬼ごっこ、かくれんぼ、その他勝ちと負けがあること全部。なんであってもオレに一度も勝たせちゃくれなかった……そういうこった、一夏』

 

 黒星しか瞬かないその思い出は、更識楯無と名乗る今でも、姫燐の警戒心に全力の警鐘を叩き鳴らし続ける。

 なぜ、彼女は大幅なハンデをここまで警戒し続けるのか?

 一夏の抱いていた疑念は、

 

『あの人は昔っからな、超がつくほど大人げなくて、負けず嫌いなんだよ……ッ』

 

彼女の経験談によってすべて晴れると同時に、更なる疑いを生み出していった。

 

『じゃあ、まさかこのハンデも!?』

『賭けてもいい、かた姉とシャルの奴……絶対に何か企んでやがる』

 

 ISを纏っていてもチリチリと背中を焼くこの嫌な感覚は、決して気のせいなんかじゃ無い。あのワザとらしいまでのハンデは、確実になんらかのトラップ、もしくはその布石であると見て間違いないだろう。

 そうやって、人を手の内で踊らせるのを好む性根とも合致している。

 

「さぁ、そろそろ内緒話は良いかしら? お二人さん」

『ど、どうするんだよ、キリ……?』

 

 不安げにこちらを覗きこむ相棒の顔に、姫燐は腕を組み、目を閉じた。

 敵は格上。こちらは不慣れ。挑む道には黒い罠。

 こちらに味方する要素なんてミリもない。状況は最悪と言っても過言ではない。

 であるならば――姫燐がやることなんて決まっているのだ。

 

「ふっ……」

「え、キリ?」

「さっき決めた通りだ、作戦に変更はねぇ」

 

 いつも通りに、カッコをつけて口元を不敵に綻ばせる。

 そして、弱気を蹴っ飛ばし真っ直ぐな一歩を踏み出す。

 決め台詞は――この一言でいい。

 

「勝つぜ、一夏」

「……ああ! キリ!」

 

 全面の信頼を乗せた相槌と共に、文字通り己の全てである一刀を抜いた男の表情に、もはや戸惑いも、迷いもない。

 彼女の期待に応えたい。ただその一心が、精神から余計な感情を削ぎ落していくのを感じた。

 浅く息を吸い込むと共に、雪片二型を腰だめに持っていき、切っ先を相手に水平に向ける。突撃の構え。

 もう言葉は要らない。武器を構えた相手に呼応するように、シャルのラファール・リヴァイブ・カスタムⅡも手持ち式の分厚いシールドと散弾銃を構える。迎撃の構え。

 構えた二人を余所に、姫燐と楯無の二人はまだ身体に極力負担をかけない、リラックスしたような姿勢のまま――それでいて眼光は相手を真っ直ぐに捉えたまま――糸が張り詰めたような空気が互いの間に、ひとつ、ふたつ、みっつ……この睨み合いがずっと続くのではないかと言う錯覚を吹き飛ばすように、

 

『各機、戦闘開始ッ!』

 

 千冬の号令が吹き、火蓋は、切って落とされた。

 

「先手、貰うよッ!」

 

 開幕と同時、散弾の破裂音が響いた。当然トリガーを引いたのは、散弾銃をあらかじめ構えていたシャルだ。

 零落白夜は瞬殺の刃。一人でもダウンすれば負けなこのルールで、間違いなくもっとも警戒しなければならない一撃。

 そして、この一撃を向けられる可能性が高いのは、間違いなくこちらだ。

 決まれば学園最強とマトモに相見える必要が無い点から考えても実に合理的であり、シャルのこれらの想定は、先程の一夏の構えを見た瞬間、確信に変わった。

 なんて分かりやすく、読みやすい。彼のひたむきで裏表のない性格は美点ではあるが、戦いにおいて弱点にしかならない。

 散弾を可能な限り一夏へと連射し、牽制。

 崩れ、止まれば良し、それでも向かって来るなら迎撃の準備は出来ている。

 

――さぁ、どう動く一夏。

 

 放たれた弾丸は、まだ動かず防御の姿勢を取った白式の装甲を叩く。距離があるので決定打にはならないが、牽制の役目は充分すぎるほど果たしている。

 シャルの導きだした答案は、ここ数日で観察した一夏の性格を完璧に分析できており、

 

――見逃すな、見逃すな、絶対に見逃すな。一夏の動きを。

 

 完全に相手の思考を読み切った彼女を、計算通りの未来へと導くだろう。

 ただ、

 

――一夏は…………いつになったら、動くの?

 

 彼の動きを、彼が考えていたならば、では、あったが。

 

「だっしゃラァァァァァァァァァッ!!!」

 

 いつも誰かに弄られっぱなしであった姫燐が、イメージに反して相手の裏をかくのが得意で、実は誰よりも頭が回るタイプであったことをシャルが知ったのは、この模擬戦の後のことである。

 今は只、唐突に右から殴りかかって来た衝撃で吹き飛んだ身体を、当惑と焦燥を振り切り制御するのに精一杯であった。

 

(しまったブラフッ!?)

 

 ここにきて、非常に単純なミスリードに、ものの見事に引っ掛かった自分の迂闊さにシャルは気付く。

 

「さっそく、デュノアが掛かったか」

 

 これら一連の流れをモニタリングしていた千冬が、本当に僅か、意地の悪い笑みを浮かべ腕を組んだ。

 タッグマッチを初めて行う素人が、もっとも陥りやすいミス。それは、相手が二人居ることを忘れ、たった一人に集中してしまうことだ。

 相手を注意深く観察し、分析して戦術を作るタイプ……まさに、デュノアのようなタイプが一番タッグでやらかしてしまいがちなミスだ。

 

「しかし……」

 

 無論、デュノアが見事にハメられたとはいえ、デュノアの慎重な性格を読み切り、更に必殺の一撃を迷わずブラフに使う大胆さ、そして何より――

 

「あの加速性と瞬発力、か」

 

 口にはしないが、千冬の眼をもってしても、見事、としか言いようが無かった。

 相変わらずであるがイグニッション・ブーストを使わず、あれほどの運動性を叩きだすISの存在、同時にそれを制御できるパイロットの存在。数多のISを黎明期から見つめてきた千冬ですら感嘆を示さずにはいられない。

 

「いやいや、驚くのはまだお早いですぞ、ミス千冬」

 

 それすら序の口だと笑うように、永悟は紅茶に口をつけながら、稼働状況を知らせる手持ち式の小型モニターに注視した。

 ブリッツ・ストライダーが覆う、エネルギーを媒体とした液体結晶『カオス・オラトリオ』。

 意志によって歪み、研がれ、姿を変えるその力は、まず彼女が突き出した右の掌から溢れだし、流体エネルギーを巨大な盾の形へと変貌させた。

 

「おおっと!」

「至近弾を弾いたッ!?」

 

 体制を立て直すと同時に発射された、充分に有効レンジ内の散弾が、ISから『生えてきた』といっても過言ではない結晶の盾に阻まれ、驚愕の声が思わず喉から漏れる。

 だが、打って変わって両手は作業的に動きを止めず、ショットガンのポンプを引き、流れるような動きで次弾を発射する――

 

「やらせっか! モードチェンジ!」

 

 よりも先に、姫燐の命令によって盾であった結晶は既に形状を崩し、今度は巨大な掌を形成。

 

「そいで、伸びろ!」

 

 命令と共に、柔軟に伸びた手はシャルが持つショットガンの銃身をガッチリと掴むと、

 

「もいっちょ、溶けろ!」

「えっ、溶け、しまッ!?」

 

 今度はそのままドロリと液体へ姿を変え、ショットガンの隙間へと染み込んでいく。

 隙間と隙間、形成されているパーツの合間に流れ込んでいく液体結晶。

 それが何を意味しているか、シャルが気付いた時には手遅れであった。

 

「まずは一本……固まりなぁッ!」

 

 液体となっていたエネルギーは、ブリッツ・ストライダーから送られる指示で再び固形に戻る――当然、芯から浸っていたショットガンの内部構造ごと、型に流し込んだセメントが、時間で固まって行くような形となって。

 いかに対IS戦用に頑丈に作られていようが、複数のパーツで形成される銃器である以上、内部に不良が起きれば使いモノにならなくなるという欠点からは逃れられない。

 それも、『内部フレームの殆どに固形物が入り込んでいる』状態で撃てる代物など、この地上に存在するはずもなかった。

 

「まだまだぁ!」

「くっ――イグニッション・ブーストッ!」

「おぶっ!?」

 

 姫燐が今度は左手を構えたのを見て、シャルは即座にショットガンから手を離し、とにかく距離を取るべく瞬時加速を使用した。

 後ろに倒れるような姿勢になり、スラスターの噴出を敵機に浴びせると同時に、身体が全速力でバックに吹き飛んで行き、Gで神経が剥がれ落ちていくような不快感に襲われる。

 かなりの余力を使わされた割に合うダメージではなかったが、欲しかったのは今は僅かでも情報を整理する時間と距離。

 液体の柔らかさ。軟体のしなやかさ。個体の強かさ。

 その全ての強みを、状況によって変幻自在に変化させていく予想不可の戦闘システム。

 

(これが……カオス・オラトリオ!)

 

 特異なISとは思っていたが、ここまで常識が通用しないとは。

デュノア社で覚えた知識など、このISの前には何の役にも立たないことをシャルは再認識する。

 そしてそれは、モニタールームで姫燐の一連の動きを観察していた千冬も同様であった。

 

「凄まじい機能ですね……こうして見ていて、不気味さすら覚えます。もしあの場所に立っていたのが私であっても、冷静に対処できたかどうか」

「はっはっは、あのブリュンヒルデのお墨付きを頂けるとは、開発者明利につきますよ。しかし……課題点も、割と残っていましてね」

 

 と、永悟は自らの小型モニターを千冬へと手渡す。

 そこには、両手を広げた人型のシルエットが表示されていた。

 

「これは?」

「ブリッツ・ストライダー、ひいてはカオス・オラトリオの稼働状況を知らせるモニターですよ。ほら、7つほどクリスタルがあるでしょう?」

 

 永悟の言う通り、人型のシルエットには確かに両腕と両脛、そして両肩と身体の中央に、菱形のマークが計7つ表示されていた。

 中でも、赤く点滅している右腕のクリスタルは、千冬もおおよその予測はつきながらも、なにを意味しているかは気になっていた。

 彼女の疑問を先読みしていた永悟が、指で画面をフリックしながら説明して行く。

 

「これはジェネレーターの稼働状況を示しているモニターでしてね、赤く点滅しているのはナノマシンがクールタイムを挟んでいるため、使用不可能という状態なのですよ」

「やはりそうでしたか。確かに博士の技術は革命的ですが、脳波とナノマシンを常に連動させるシステム――つまり常に多量のナノマシンがエネルギーの内部を休みなく巡回し続けている状態です。冷却が追いつく訳が無い。過剰な数のナノマシン・ジェネレーターは、それぞれを交互に稼働させる事によって冷却時間を稼ぐため、ですね?」

「100点満点の回答です、さすちふ」

 

 なにか癪に触る略し方であったが、自分の予測が的を射ていることを確信した千冬は続ける。

 

「装甲に常に纏っているエネルギーを維持したまま動かせる時間は――1つのジェネレーターにつき、おおよそ『1分』。更に被弾などで熱量が蓄積されれば、更に短い」

「まったく……ブリュンヒルデには敵いませんな。もう、そこまで見抜かれてしまうとは」

 

 世界最強の人間。その末恐ろしさを直に体験した永悟の表情に、畏れに近い苦々しさが混ざった。

 そんな永悟を見て、ようやく『してやったり』と、千冬の心中で渾身のガッツポーズが炸裂した――かどうかは、相変わらず鉄面皮な彼女のみが知ることである。

 若干の平穏が戻りつつある世界最強の心中とは対照的に、未だに攻略の糸口が掴めないシャルは全身に纏わり続ける悪寒と汗を振り払うように、新たに取り出した二丁のサブマシンガンを乱射し続けていた。

 シャルも千冬と同じように、あのシステムには冷却時間が必要であることは察しがついていた。

 ならば、弾幕によってオーバーヒートを起こすまで使わせ続ければ良い――数分前の彼女はそう判断し実行、

 

「どしたどしたぁ! そんな狙いじゃ、オレのハートは撃ち抜けねぇぜ!」

「くぅ……っ」

 

 そして今、これは判断ミスであったと認識せざるを得なかった。

 純粋に、敵機を捉えることが困難なのだ。

 ハイパーセンサーが瞬時に敵の現在地を告げていても、照準をつけ、トリガーを引くのは人間である。

 この360度の戦場を、足で駆け抜け、腕や足と一体化したバーニアでぶっ飛び、急停止からの急発進まで織り交ぜて動きまわる相手を捉えることは至難を極めた。

 しかし、この運動性をシャル以上に脅威と感じていたのは、他ならぬ姫燐自身だ。

 

(チッ……ほんと、ここまで軽くなるもんかよ。気色悪りぃ!)

 

 遊び半分に翻弄しているような軽口とは裏腹に、余裕など一切ない。以前とは比べ物にならないほど軽量化してしまった愛機の操縦に、姫燐は集中のリソースを相当割いていた。

 不必要なまでに装甲だらけであったシャドウ・ストライダーと比べ、今度は極端なまでに装甲が無くなったブリッツ・ストライダーはその機体重量が以前の半分以下に抑えられている。

 重い物を持った後に軽い物を持つと、羽のように軽く感じてしまう、あの錯覚と同じだ。

 極端なまでにバランスが変わった愛機で、今までと同じような感覚で動かすと、下手をすれば転倒からの激突の恐れすらあった。

 そして、これらの問題に引っぱられる形で、もう一つ姫燐が回避に専念しなくてはならなかった理由。

 それは、至ってシンプルに、オラトリオの加工に意識を向ける余裕がなかったのだ。

いくら近接戦闘が得意な姫燐だろうと、完全な素手でISを黙らせることは不可能だ。

 武装そのものは、シャドウ・ストライダーのモノをほぼ丸ごと引き継いでいる。

 しかし、あれらはエネルギーを至近距離で放出、爆発させることでダメージを与える武装だ。今までは装甲が反動や爆風から護ってくれていたが、これからはそうはいかない。

 こちらの攻撃にも、結局オラトリオで防壁を作成しなくてはならないのだ。

 結構気にいっていたので、オミットすると永悟が報告してきた際にはゴネにゴネ、結果、試運転である今回だけ、バーニアとしての機能以外にはロックを掛けるという形で納得させたのだが、

 

(戦闘中に別のこと考えろってコンセプトからして何かオカシイんだよ、バカ親父め!)

 

 ようやく機動には慣れてきたモノの、いくらなんでも時間を掛け過ぎた。

 時間が掛かるということ、それは即ち、あの人が『飽きる』までの時間を与えてしまうこと。

 祈りに近い気持ちを込めながら、姫燐は僅かに、相棒とあの人の方へと視線を向けた。

 

 

               ○●○

 

 

 ハンデは何かの罠だと、キリは言った。

 確かに、自分も府に落ちて納得した。

 だが本当の所、それは全てキリの思い過ごしではないのかと、一夏は薄々思い始めていた。

 槍のみを使い、不動を貫く。そんな圧倒的に不利なハンデキャップを、相手があえて背負ったのは、

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

「あらあら、一夏くん。もうグロッキーになっちゃったのかしら?」

 

 ただ普通に、単純に、そうでもしないとこの人の圧倒的な実力の前では、自分なんか勝負にならないからではないのか? と。

 これで何回目か数えるのも億劫なほどのダウンから、もはや土汚れで白とは言い難くなった白式に、それでも戦意が衰えぬことを示して立ち上がる。

 

「うんうん、さすが男の子。ガッツは妥協点、と言った所かしら?」

「スゥ……うぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 だからといって、引くという選択肢は、ハナから一夏の頭には存在しない。

 息を吸って、再び唸り声と共に雪片を構え、突撃を敢行した。

 

「でも、その学習能力の無さは、少し赤点かしら」

「ごぁふッ!」

 

 ダメ出しも、カウンターでみぞうちに叩きこまれた石突も、知った事では無い。

 一夏は一端距離を取って、再び齧りつくために呼吸の安定を図る。

 自分でも、思わず笑ってしまうほどに無茶で無謀で無様な姿。

 だが、構うことなんて何もない。全てはキリの作戦通りに進んでいるのだと、一夏の瞳から闘志が際限なく沸き上がっていく。

 先程、二人で行った作戦会議が彼の脳裏を掠めていく。

 

――いいか、一夏。かた姉の性格から考えれば、あの人はオレ達を『活きの良い玩具』か何かだと思っていると考えて良い。晩飯賭けても良い。

 

 いきなり姉をとんでもない外道呼ばわりする姫燐にあぶら汗が流れたものだが、構わず今作戦の根幹を彼女は説明した。

 

――だから、精一杯あの人には、お前で遊んでもらう。オレがシャルを落すまで、な。

 

 至極、簡潔で簡単な作戦であった。

 一人が最大の難敵である楯無のデコイとなり、もう片方が単独でシャルを撃墜する。たった一人でも戦闘不能になれば決着がつく、この学園特別ルールだからこそ通じる戦法だ。

 しかし、そこまで都合よく自分だけを相手してくれるだろうかと一夏が発した疑問も、姫燐は問題ないと断言した。

 

――あの人は、楽しむ時は限界まで楽しむ。お前が向かってくる限り、もしくはシャルがピンチにならない限り、いつまでもお前でお楽しむだろうよ。

 

 よっ、色男。と褒められても、今はまったく頭に入らない。

 つたない頭をフル回転させながら、彼女が自分に求めているモノを弾きだすのに、精一杯だったからだ。

 そうして出した答えを口にした瞬間、ニッと笑ってくれた姫燐の期待に、自分はまだ応えていない。

 

――何も、考えなくて良い。ただ只管に、スタミナの続くかぎり、牙を突き立て続ければ!

 

 自分の役割を、果たすことができる。

 エネルギーを激しく消耗する零落白夜は使えない――ならばと、鋼のように頑なな心が、また強く雪片の柄を握りしめ、地面を蹴り飛ばす。

 

「ウオォォォォォォオァ!!!」

 

 色男には到底似つかわしくない、唸る獣の咆哮と共に跳躍、飛翔、上昇。

 僅か数秒で駆けのぼった白き機影は、遥か眼下にスカイブルーの敵機を補足する。

 

「これで、どうだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 全身全霊を込めた、真っ向からのから竹割り。

 重力を味方につけた縦一文字、足を封じている相手には回避不能の一撃だ。

 更に今度は、迎撃を警戒する必要もない。

 やはり理論は一夏らしく単純明快。上空から飛来する大質量に触れることは、そのまま甚大なダメージへと直結するからだ。

 防御するなら押し潰す、迎撃するなら槍と腕を叩き潰す。

 武器はもはや手に持つ雪片二式ではなく、己の肉体そのもの。肉弾だ。

 己の機体そのものを弾丸とした特攻は、あの程度の装甲しか無いミステリアス・レディではどう足掻いても受け止めきれない。

 完全に取った。一夏の、自画自賛してもよいとすら思えた会心の一手――

 

「……はぁぁ……」

 

 とは、裏腹に。

 湖水のように冷たい失望を隠さない溜め息が、楯無の口から漏れ落ちた。

 

「一夏くん、貴方……そんな手を使うのね」

 

 一夏が、何かを認知できたのはそれまで。

 受けられない、避けられない、絶対必中の弾丸をどうするか? など、『楯無』の名を継いだ彼女にとって、考えることすら愚かしい問答だ。

 選択が二つとも間違いであるならば、三つ目の答えを、もはや寸前まで迫った猪武者に示せば良い。

 三つ目の――『流す』と言う回答を。

 

「フッ……!」

 

 まず楯無は、超高速で振り落とされる刀身の横っ腹を、ミステリアス・レディの裏拳で弾いた。

 これだけでも神がかった反射神経と豪胆さが必要な妙技であったが、まだ肉弾の脅威は消えていない。

だが、その脅威が牙を剥く対象は、既に楯無ではなかった。

 

「因果、応報」

 

 装甲と装甲の僅かな隙間。そこに、機械でありながらもしなやかな両指が滑り込み、掴む。

 あとは只、清流に身を任せるように、上から横へと、そっと流れを変えるだけ。

 それだけで、

 

「あ、が、ぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 標的をミステリアス・レディから地面に逸らされた白式に、重力と、速度と、質量の全てが襲いかかった。

 楯無に受け流された肉弾はけたたましい音を鳴らし、地面だけを豪快に転げ回りながら抉るのみという無様な結末を、土の味と共に味わう。

 更識流合気術、『渓流落し』。頭上を取った相手を受け流し、顔面から落す返しの奥義。

 無論、本来は対人戦を想定して編み出された、合気に通ずる技だ。しかし、彼女はそれを、遥かに困難で危険な、サイズも重さも速さもケタ違いのIS同士の戦闘でやってのける。

 もはや稼働時間の差や、専用機のスペックなど、さしたる問題では無い。

 誰もが更識楯無を学園最強と認める明確な訳が、この一瞬に集約されていた。

 

 

                   ●○●

 

 

 タイムリミットだ。

 完全に落すつもりだった楯無の技を見て姫燐は、跳ね上がった心臓から広がる動揺を噛み砕くように歯を食いしばった。

 作戦を放棄し、救援に向かう――などと一瞬、頭を過ったプランを速攻で却下。

 

(アイツはオレを信じてああなってるんだ。なのにオレがアイツを信じなくてどうする!)

 

 それにジャッジが下らなかったということは、一夏はまだ気絶していない。

 幸い派手に転がって行ったため、距離は離れた。かた姉は足を離せない上に、槍以外の武器を封印している。トドメは――あの人なら刺せるだろうが、刺せるなら即座に刺すのがあの人だ。

 アイツならまだ大丈夫だと自分に言い聞かせ、今は目前の相手に、なによりも機体の制御に徹する。そうしなければ――

 

「なら、これでどう! 朴月さん!」

 

 こちらが、先にやられる。

 大いに与えた時間は、シャルに次の一手を思い付かせるには充分すぎる隙であった。

 次にシャルが取り出したのは、肩に担いで発射するタイプの四連装大型ミサイルランチャー。直撃は論外として、もし先程と同じように防御しても確実にジェネレーターは全てオーバーヒートを起こし、最悪動くことすら出来なくなりかねない。

 

「チイッ!」

 

 発射を止めるのは間に合わない。

 撃ち落としも、あんなシステムのせいで不確実。

 ならばこれも回避してみせると、また両足にブースト用のエネルギーを蓄えながら、ラファールを中心に旋回を続ける。

 無論、チンタラやってる時間は残されてないことは姫燐も分かっている。

 狙うのは、隙をついた一発逆転のカウンターだ。

 

――壁にでもぶつけて、こいつの爆炎を煙幕代わりに突っ込む。

 

 両腕のブースターも、そのためにチャージしてある。

 相手がどんな武装を隠し持っていようと、出すまでには必ずタイムラグがあるはずだ。

 これで一気に距離を詰め、短期決戦に持ち込む。

 

(って、考えてるだろうね。朴月さんは)

 

 しかし、これらの作戦は、全てシャルに筒抜けであった。

 あれだけチャンスがあったのに、明確に攻めてきたのは最初だけで、あとは全て逃げに徹していた理由。

 さらに彼女がこの勝負に賭ける必死さや、初めて動かすISであること、追い詰められている相方の現状などのファクターを含め推測していけば、これらの結論を出すのはそう難しい事では無かった。

 一つ目、相手は頼れる遠距離武装を所持していない。

 二つ目、相手は機体とシステムの制御に苦戦している。

 三つ目、必ず相手はこちらの隙をついて一気に勝負をしかけてくる。

 これらを総括して――シャルは一瞬だけ相方に通信回路を開き、事前の取り決めを破る確認を取る。

 

『もう、一夏を狙っても良いですよね?』

『ええ、もう構わないわよシャルルくん。早く終わらせて、一夏くんにはちょーっとお説教といきたいもの』

 

 互いに手出し無用で、シャルが姫燐を、そして楯無が一夏を相手にする――それが、二人が試合前に相談していた取り決めであった。

 姫燐が楯無の性格から作戦を決めた様に、楯無もまた姫燐の考えを読み、あえて彼女の作戦通りに動いていたのだ。

 一夏の今の強さを直に確かめる目的や、姫燐がどこまで自分の想像を越えてくるかを試す思惑が楯無にはあったのだが……結果は、まだまだ。

 妹も弟候補も単純で危なっかしくて、そこがまた保護欲をくすぐるのだが、安心して目を離せる日はいつ来るのだろうかと、楯無から軽い溜め息が漏れ――それが合図だったかのように、シャルはロケットランチャーの照準を、まだダメージに唸る白式の方へと向け、引き金を引いた。

 

「なぁっ!? くそっテメぇぇぇッ!」

 

 とうとう、一夏が狙われた。それも、まだ動けない最悪のタイミングで。

 もはや迷っている猶予もなく、全ブースターを吹かし、姫燐は白式の盾になるようミサイルの前へと躍り出る。

 こうしなくては成らなかったが、こうしても結果は同じだ。

 本来の装甲であっても直撃すれば撃墜必至な一撃だ。

 装甲よりも防御力が劣る上に、熱にも弱い結晶では防ぎ切れるわけがない。

 冷たく『デッドエンド』の一言だけが輪郭を現していく。

 

(ちくしょうチクショウちくしょう! なんか手はねぇのか!?)

 

 そもそも問題として、いま姫燐には、文字通り『手』しかないのだ。

 手だけは、シャドウ・ストライダーの頃から手刀にエネルギーを纏わせて使っていた経験からも、即座にイメージを出すことが出来る。

 ミサイルを掴んで叩き返す――という方法もあるが、四本ものミサイルは両手では掴み切れないし、これを以前と同じように手刀にして全弾斬り払っても、爆風は防げない。

 何でもいいのだ。何でも構わないから、この状況を覆す手を――

 

(あん、何でも……?)

 

 何でも――やれるではないか。

 コイツは、新しい相棒は、こちらのオーダーを何でも叶える力を持っているではないか。

 足りていなかったのは、コイツの可能性を、『確実性に欠ける』と見限っていた自分自身の発想と視野。

 静かに唸る七つのジェネレーターが、早く力を使わせろと、俺の真価はこれからだと、待ちわび震えているように、姫燐には思えた。

 

(ああそうだ、まだこの『手』を試してなかったじゃねぇか……!)

 

 無限の形を持つ力。オレが試すだけじゃない、オレも試される力。

 この瞬間、どことなく、姫燐は新たな相棒の本質に触れた気がした。

 

『気をつけてシャルル君。ヒメちゃん、目つきが変わったわ』

『え? で、でも』

 

 もう、ミサイルが当たりますけど……と、言いかけた口は、その続きを発することが出来なかった。

 

「いっくぜぇ! 掴めッ!!!」

「くっ、またっ!?」

 

 姫燐の、ブリッツ・ストライダーの両手がまたエネルギーを流動させ、巨大化を果たし、飛来するミサイルを二本鷲掴みにして掴み取ったのだ。

 

(そう、そうするしか無い。けれど)

 

 まだミサイルは二つ残っている。

 やはり悪あがきだったのか。もはや、何をやっても撃墜は免れないと判断した楯無も、

 

「変わりやがれオラトリオッ! 足もだッ!!!」

「…………は?」

 

 流石に、今回ばかりは――足から、手が生えてくるような今回ばかりは――素っ頓狂な声が素で漏れざる得なかった。

 テディベアのように突き出した、両足のジェネレーターからも生成された巨大な『結晶の手』が、残りの二本のミサイルも先程と同じようにしっかりと掴み取る光景は、もはやISの荒唐無稽さに慣れきっていたはずの、

 

「え? それっ、え? ええっ……!?」

「それはちょっと……ズルくないかしら、ヒメちゃん……?」

 

 シャルルも、楯無も、

 

「な……なんなのだ……あのISは……?」

「ハハハ、一応スペック上、できることは出来るんだがねぇ、ハハハ……」

 

モニタールームで現状を見ていた百戦錬磨の戦士も、これの開発した張本人も、、

 

「は……はは、そ、そんなの……あり?」

 

 そして、護られた形になる一夏すら一様に、このシステム名が示す通りの『産まれいずる混沌』に、頭が軽い拒絶反応を起こしていた。

 

「ヘッ、驚いたか? コイツが、オレとブリッツの奥の『手』って奴だ!」

 

 と、本人も口ではカッコつけてはいるモノの、

 

――……うわぁ、マジで出来たよ……キモっ……。

 

 クリーチャーめいた自らのビジュアルに、割と本気でドン引きしていた。

 思い付きの一か八かが完璧に決まった快感より、自分の足すら手になった奇妙な違和感の方が上回っていたが――ここに、逆転の一手は成った。

 PICの推力で、今度こそラファール・リヴァイブに肉迫。

 

「ふぇ」

 

 当然オラトリオは動かせないが……火力ならば既に、手中に四本も用意されている。

 

「確かにコイツは素敵なプレゼントだったが……好みじゃないんでね」

「はッ! いけない、避けてシャルル君!」

「全弾お返しさせてもらうぜ、シャルルッ!!!」

「ひっ!?」

 

 シャルが出来た抵抗など、咄嗟にシールドを腕に出現させる程度。

 手に持った四本すべてのミサイルを、姫燐はラファール・リヴァイブの装甲に叩きつける。

 

「うそ……こんな、手が」

 

 己の敗北を悟ったシャルの呟きは、全て爆音に掻き消されていった。

 

「す、すごい……」

 

 あの大ピンチからだろうと、誰も思い浮かばないような方法で、華麗に逆転してみせる。

 アリーナに立ちこめる爆炎の中から、しっかりと結晶のシールドを展開しながら飛びだして来た彼女の機影を確かに焼きつけ、改めて自分の目標は遥かな高みに居るのだと、一夏は再度認識を深めていく。

 

(俺だって、いつか、その隣に……いつか……)

 

 今はまだ、夢物語に過ぎないけれど。

 シールドを解除しながらも、まだ爆炎の方を睨み続ける彼女を見上げ――まだ敵でも居るかのような険しい表情をしているが――思いを馳せて……電撃が走ったかのように思い起こす。

 あれで終わったなら、絶対に鳴るはずの、試合決着のコールが聞こえない。

 それが意味することは、つまり、

 

「まだ、試合が終わってない……?」

 

 と、一夏が呟いた矢先であった。

 爆雲の中から、もう一機、ISが飛び出して来たのは。

 

「チィッ、あれで耐えられるかッ!?」

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 所々の装甲が焼け焦げ破損し、バチバチと千切れたコードが踊り狂う、明らかに軽くないダメージを負っていることが目に見えていても、まだシャルル・デュノアは、ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡは健在していた。

 

「あ、アレが直撃したのに耐えたのかよっ!?」

「いや、直撃じゃねぇ。寸での所で割りこまれた……あの人にな」

「はぁい、こっちよ一夏くん」

 

 手をヒラヒラさせ、笑みを――いつもよりも余裕のない、間一髪で命拾いしたような深みのある笑い顔を浮かべながら、やはり最初に指定した場所から一歩も動いていない楯無が一夏を呼んだ。

 

「そんな、だって楯無さん、あそこにずっと居たまま……割りこまれた?」

 

 間違いなく、楯無の機体は動いていなかった。どうやったって、二人の間に割りこめる筈が無いと――ヒラヒラと振る、何も持たない彼女の手を見て、まさかの可能性が頭を過る。

 

「まさか……槍? 槍をあの二人の間に投げ込んで、盾に!?」

「本気で焦ってたから、ちゃんと間に合うか賭けだったけど、ね」

「ケッ、どっちがズルいんだっての、どっちが……!」

 

 先程の攻防を思い起こし、姫燐は思わず悪態を付かずにはいられなかった。

 四つの腕を振り下ろし、勝利を確信したあの瞬間――二人の間に割り込んだのは、蒼天のように澄んだ青色をした突撃槍だった。上から叩きつける形であった両腕のミサイルは、それに阻まれる形となり、結果、直撃させられたのは足元からぶつけた二本のみ。

 爆発する前に離脱しなくては巻き込まれるため、シールドの作成をやらなくてはならず、追い打ちや確認などが出来る筈もなかったが、

 

「ありがとう、ございます……楯無さん」

「いいのいいの、本当によく耐えてくれたわ。シャルルくん」

 

 多少の緩和こそあれど、至近距離からの大爆発を受けながらも、未だに戦闘不能判定が下らないのは、ひとえにシャルルのダメージコントロールと、そしてラファール・リヴァイブ・カスタムⅡの堅実で堅牢な装甲あってこそだと姫燐は歯噛みする。

 状況も、相手が満身創痍だからといって一概に有利とは言えない。

 あの爆風を突っ切ったため、シールドを作った両腕のジェネレーターは冷却中。そもそも、戦闘開始から既に結構な時間が経過しているため、ほぼノンストップで動きまわっていた相棒は既にガス欠間近だ。

 自分が出せるベストは尽くした。

 だからこれは、完全に相手のスペックを読み違えた結果の五分五分だ。

 今更ながらに、外見とはかけ離れたタフさを誇るこの王子様を、速攻で落すなんてプランは完全に失策であったと、彼女は猛省し、同時に胸から溢れ出た言葉を吐き捨てる。

 

「ますます、惚れちまいそうだぜ」

 

 やはり男にしておくには惜しい。

 姫燐は、シャルとも賭けをしておくべきだったかと、悪い笑みを浮かべながらブリッツ・ストライダーに最後のインファイトを命令した。

 

 

              ●○●

 

 

「ふぅ、やってくれたわねぇ。ヒメちゃんったら」

 

 満身創痍の二機が最後の空中戦を見上げながら、地上では手持ち無沙汰になったミステリアス・レディがやれやれと言った面持ちで、しかし口元は綻ばせながら、妹の健闘を称える。

 

「あんな使い方、『この子』では絶対に出来ないし、思い付きもしなかったもの。私ももっと、バリエーションを考えようかしら、ねぇ?」

 

 と、天空で華々しく火花を散らし合う戦士達とは対象的に、陸に打ち上げられた魚のように這いつくばったままの男へと視線を向け、

 

「一夏くん」

 

 彼の名を、呼ぶ。

 楯無の声は、優しく、穏やかで、柔らかなイントネーションをしていたが、一夏は今更勘違いはしなかった。

 

「これが、最後のチャンスよ」

 

 この声は狩人が、本気でこちらに銃口を向けた合図であるのだと、震え上がる背筋が全力で警鐘を鳴らしていたからだ。

 

「だ、だけど楯無さんは、もう」

「このまま攻撃手段を失くした私を放置しておけば、ヒメちゃんなら必ずシャルルくんを落してくれる……なんて、考えていないかしら?」

 

 心中を完璧に言い当てられ、威嚇射撃が鼻先を掠めたような戦慄が走る。

 

「でもね、一夏くん。私が本当に、なんの奥の手も残していないと思ってる?」

「奥の手……ですって」

「そう。確かにシャルルくんはとっても頑張ってくれてるけど、そもそもどうしてシャルルくんは、実質的に一人で戦うなんてハンデを引き受けてくれたと思う?」

 

 言われてみれば、確かな違和感であった。

 いくら楯無が凄まじい強さを誇っているとはいえ、シャルもまた自分達と同様に、タッグ戦は初めてなのだ。

 自分が彼女ならきっと困惑を隠しきれず、不安と動揺が必ず言動に出ていたはずだ。

 そして一夏も、シャルがこういった急な無茶振りにはとても弱いことを、ここ数日で確信できるレベルで見てきた。

 だが、戦う前の彼女からは、そういった素振りは一切見えず――

 

「何があっても、絶対に勝てる奥の手が、あったから」

「その通り。お姉さん、分の賭け事は嫌いなの」

 

 でもさっきは、奥の手を使う間もなかったから、本気で危なかったけれど。とだけ補足して、

 

「今の状況、どっちが勝っても可笑しくないもの。流石に私の『奥の手』も、もう使わざる得ないわ」

 

 人差し指を立てた右手を、そっと、楯無は正面の一夏へと向け、

 

「だから、これが貴方に与えられた最後のチャンス」

 

 冷淡に、ただ事務報告のように、楯無は宣言する。

 

「あと一回、あと一回の攻撃で、一夏くんが私に一太刀浴びせられなかったら、私はこの『奥の手』を使わせて貰うわ」

「そ、そんな……」

 

 不可能だ。こんなのもはや賭けですらない、一方的な通告だと一夏には思えた。

 この試合が始まってから数え切れないほどに振り回した雪片の重みが覚えている、全て防がれ、いなされ、潰され、返された剣閃の記憶。

 どれをとっても、有効打には程遠い結果しか残せていない。

 唯一、防御不能だと弾きだした特攻は……特に、強烈な返しを叩きつけられた。

 歯を食いしばり、雪片を杖代わりに立ち上がろうとしながらも、瞳に浮かぶのはもはや闘志ではなくハッキリとした――恐れ。

 自分の一身に、大切な人の運命を背負わされた恐怖だ。

 動かない、動けない一夏を見下すように、腕を組みながら楯無が軽く溜め息をこぼす。

 

「正直ね、私、貴方には少し失望しているのよ」

「ッ……」

 

 今まで優しく、飄々とした態度を崩さなかった清流の底から覗く、確固とした岩盤。

 一夏は初めて、更識楯無という女性の、冷たく暗い――確かな怒りに触れているのだと理解した。

 

「貴方、ヒメちゃんを護りたいんですってね?」

「そ、そうです! 俺は、キリを」

「じゃあ、さっきの、最後の攻めは何?」

「最後の攻め……ですか?」

 

 最後の攻め――つまり、彼女が責めているのは、あの上空からの肉弾。

 

「特攻に近い体当たり――自分の損傷も、いや下手をすれば撃墜すら、省みて無かったわよね」

「でも、時間を稼ぐには……あれぐらいしか、俺には」

「履き違えないで」

 

 言葉が詰る。これ以上、戯言を抜かすなら、その喉を潰してやると告げかねないほどに、鋭く切れる赤い目が燃え上がる。

 

「私がね、貴方に期待したのは、あの子だけの盾であり、剣となってくれることなのよ。あの子の捨石になる事だなんて誰も、あの子すら、望まないわ」

「俺が、捨石、ですって」

「そうじゃなければ何なのかしら? ただ言われた事を守るために、自分の身体すら簡単に捨てようとする――捨石以外に、なんて呼べばいいのかしら」

 

 容赦の欠片もなく叩きつけられた暴言は、反論の余地もなく、どうしようもないほどに、正しい。

 

「『護る』という言葉はね、軽々しく我が身を捨てられる人間が吐いていい言葉じゃないの」

 

 一夏よりも、遥かに昔から、重く、そして多くのモノを背負い、戦い、この国を護って来た『更識』の長たる彼女が語るは、脈々と受け継がれてきた確固たる信念。

 

「『護る』ということは、どれほど傷ついても、泥を被っても、血に塗れても、立ち続けること、護り続けることにこそ意味があるの。決して『楯』が、護るべきモノより先に、倒れてはならないわ」

 

 國の楯なる我等に、楯は無し――故に、『楯無』。

 自身を護る者がいない過酷な生き様を歩むことは、険しいと思うが、後悔は無かった。

 しかし気付けば、必ず護ると幼き日に誓ったもう一人の妹は、楯の外側にはぐれてしまっていて……あの時ほど、彼女は『楯無』の名を悔いたことは無かった。

 

――だから、あの子の味方であり続けると、誓ってくれた貴方は……私の希望。

 

 今の楯無に出来るのは、この小さな希望が、いつかどんな闇すら打ち倒す輝きとなるように、正しき道を説き、徹底的に鍛え、更なる高みへと導くことのみ。

 そのためにはまず、彼が持つ全てを見極めなくてはならない。

 

「だから、示しなさい」

 

 両目を薄く閉じ、胸に手を当てて、

 

「今度こそ、今の貴方の全てを――あの子を『護る』ための全てを、私に示すの」

 

 この国の守護者たる『楯無』の名を背負う少女は、

 

「来なさい。あの子だけの――王子様♪」

 

 またいつもの茶目っ気溢れる、人を喰ったような笑みを浮かべた。

 そんな彼女の笑みが、一夏の中で、重なる。

 絶対に護りたいと、全てを賭ける価値があると思えた夢と、重なる。

 

――ああ、そうだったのか。

 

 頭から、身体から、恐怖や疲労が拭い去られていく。

 白式を通じて、雪片を握る手に、無限に思える力が溢れだしてくる。

 

――簡単な、ことだったんだ。

 

 俺の夢、キリを護るという夢。

 俺は何があっても護り抜く。そこに立ちふさがる壁がある。

 たかが壁と共倒れするなんて、こうして言われてみれば、あまりにもバカげていた。

 壁がある。キリが向こうに居る。俺には剣がある。

 この壁には、鈍い俺に、大切なことを気付かせてくれた恩があるけれど――今は、邪魔だ。

 

「スゥ……はぁぁぁぁぁ……」

 

 深呼吸する。エネルギーの残量を確かめる。戦法を選ぶ。

 真っ直ぐに、丹田に力を込めて見据える。

 雪片弐式を、上段に構え振り上げる。

 

「いい顔になったわね、一夏くん」

「……ありがとうございます、楯無さん」

 

 笑顔には、笑顔を返す。

 あとは、この壁に最大限の感謝を込めて――斬り捨てて、キリの所へ向かうのみ。

 白式の巨大な脚が、地面を抉るように蹴り飛ばした。

 

(あら……?)

 

 疾走。

 ブースターは使わない、両足を使った原始的な距離の詰め方に、楯無は眉をひそめた。

 おおよその狙いは分かってる。通常の斬撃をほぼ全て防ぎきったこちらに一撃を与えるなら、零落白夜しかない。

 防御不可な最強の一刀、それに全エネルギーを回すために、ブースターを使わないのは納得できる。

 だが、それならばなぜ、彼は――

 

(零落白夜を起動しない?)

 

 未だに雪片弐型の、本来の姿を見せないのか?

 もし最後まで使わないつもりなら、足を使うメリットなどない。

 楯無の疑問を余所に、白式は走る、走る、二十メートル程度の間合いを、あっという間に詰めていく。

 そして、攻撃が届く間合いが、あと十メートル程となった――その時。

 一夏が、大きく左足を上げ、土が噴き上がるほどに、力強く踏み込む。

 明らかにあと十メートルは近付かないと、刃が届かない位置で。

 

(……そこで、振り下ろす?)

 

 一夏が何を狙ったのかは分からなかったが、それから楯無が行った一連の動きは、本人にとっても「なんとなく」としか形容しがたいモノだった。

 なんとなく右足を後ろに運び、なんとなく身体を開き、なんとなく、

 

「零、落……白夜ァァァァァァァ!!!」

 

 避けたルート上に、天すら斬り裂くほどに長大な蒼刃が、叩きつけられた。

 

(い…………っ!!?)

 

 無我から帰還すると同時に――致命の一撃が鼻先を掠めて行った戦慄が、楯無の全身に走る。

 

(なにが、今のは……なに!?)

 

 初起動から今まで、一度も欠かすこと無く洗い続けてきた白式の、どの戦闘記録にも存在しない一撃。

 この土壇場で文字通り飛びだした切り札が、楯無の平常心を一瞬にして奪い取る。

 

(ワンオフ・アビリティ!? いえ、白式にそんな反応は無かった!)

 

 追いつめられた白式が、唐突にワンオフ・アビリティを覚醒した――可能性を否定。何度か直に見たことはあるが、アレが覚醒したならば、もっと白式から力強いエネルギーが迸るはずだ。

 

(つまり、あれは技……技巧によってもたらされたモノと考えるのが自然)

 

 技巧と考えれば――ある程度の合点がいく。

 振り下ろしたままの体勢で、あの一撃を回避されたことが信じられないような表情を浮かべる一夏に、楯無が問う。

 

「今の……一夏くんがやったのよね?」

「え…………あ、はい」

 

 やはり、そうか。疑念が確信に変わる。

 あえて徒歩で間合いを詰めたこと、零落白夜を振り下ろす瞬間に起動したこと、今は雪片弐型から伸びるエネルギー刃が、楯無も知る本来の発動前――おおよそ二倍ほどの長さに戻っていること。これらから導き出される、戦闘理論。

 

(なるほど……事前に出力を全て雪片弐型に回しておいて、振り下ろす瞬間に最大出力で発動――貯めた余力を全て刀身の長さに使うことで、瞬発的に何倍にもリーチを伸ばす、か)

 

 通常形態の鞘に隠された、零落白夜という名の白刃を、確殺のタイミングで抜き放つ。

 ベースになったのは、おそらく居合の技とみて間違いないだろう。攻撃の瞬間まで間合いを読ませないという着眼点が、非常に良く似ている。

 貪欲に既存の間合いを食い潰し、防御不能の名のもと、一撃で屠る――白式ではなく、彼自身が編み出した必殺剣。

 楯無を持ってしても初見で避けられたのは、幸運以外の何物でもないと言わざる得なかった。

 つまり、である。学園最強の生徒会長は、ロシア代表候補は、一七代目楯無は、たった数か月前に初めてISに乗ったような素人に――

 

(く)

 

 それを悟った瞬間、楯無の薄桃色の唇は歪み、

 

「ふっ、ふふふっ」

「え……?」

 

 腹の底からわき上がる激情を押さえきれず、

 

「あははははははははっ! 最っ高、あなた最高よ一夏くんッ!!!」

 

 本人もいつ振りかと覚えていないぐらいの大爆笑と共に、一夏の大健闘を褒め称えた。

 

「え、あ、ど、ありがとう、ございます?」

「もーっ! 反応薄いわよ、もっと胸を張りなさいな!」

「いたっ、痛いです楯無さん!」

 

 歓喜を隠そうともせず駆け寄り、バンバンと白式の背中を叩く楯無。

 

「で、でも、俺、最後の一撃、結局外しちゃって」

「なに言ってんのよ、一夏くん! 貴方は間違いなく当てたの」

「えっ?」

「分からない? 私はね、アレを『足を動かして』避けちゃったのよ?」

 

 彼女が何を言いたいのか、一夏は一瞬だけ首を傾げ、

 

「あっ……ハンデ」

「そう! ハンデを破っちゃった以上、私の負けよ一夏くん。見事だったわ」

 

 あの場から、足を動かさない。

 自らが戦闘前に課したルールを破った以上、もはやどんな言い訳も存在せず、する気も更々ない。

 予測だけとはいえ、一夏は確かに、彼女を――学園最強を上回ってみせたのだ。

 ここまで濁さずストレートにはやし立てられれば、いくら唐変木な一夏でも徐々に現実感が沸き出て行き、当惑していた表情は歓喜の色に綻んでいく。

 

「や、やった……俺、やったんだ! やったんですね! 楯無さん!」

「うんうん! まさか一夏くんがここまでやれるようになってただなんて……本当に」

 

 情熱的に、ISの上からでも隠せないほどのプロポーションをしならせながら、一夏の腕に身体を絡みつけた。

 

「お姉さん、惚れちゃいそう。ぽっ」

「ちょ、こ、困りますよ楯無さん。お、俺には」

「なぁに和気あいあいやってんだそこォ!!!」

 

 もう完全に祝勝ムードに入っていた二人への活は、未だに死闘が続いている遥か上空から降って来た。

 

「まだ試合中だろうがぁぁ! なぁにイチャコラやってんだテメェら!?」

「ちがっ!? ちちち違うんだキリ! ここここれは、その、お前との約束忘れたりとかって訳じゃ」

「あらやだ、嫉妬かしら? ねー、一夏くん?」

「ちっげーよ! なにやってんのか知んねーけど、そういうのは模擬戦の後にしろってんだ後に!」

 

 と、吠えるだけ吠えて、「待たせたな!」と、律儀に待ってもらっていたシャルルと再び戦闘に没頭していく姫燐。

 二人の戦いも、ほどなく決着が付くだろう。

 

「ん……あれ? でも俺が勝ったんだから、もうキリ達が戦う必要、ないよな?」

 

 模擬戦のルールは、どちらかの戦闘不能だ。

 自分が楯無に勝利した以上、勝敗は決したと言える。

 

「んーーーーーーーー……実は、それなんだけどね、一夏くん」

 

 だがここで、今までハイテンションで彼を褒めちぎっていた楯無が、一転して目を逸らし、とても申し訳なさそうな表情で唸った。

 

「実はね、私達の賭けに使ってる、あの写真一式なんだけれどー……」

「はい、キリが子供の頃の奴ですよね?」

 

 何度も彼女がチラつかせていた、幼い姫燐の色々とあられもない黒歴史を現代にまで残すメモリアルの数々。当然、インパクトの塊すぎて一夏も覚えている。

 

「あれ、私のほんっとうに大事な宝物なのよ。絶対に手放したくないの」

「分かります。思い出は大切ですもんね」

 

 一夏も、家族の写真は千冬によく言われていたこともあって大切にしているので、楯無の意見には深く共感できる。

 

「でもね、あの子にアレを渡しちゃったら、間違いなく全部処分しちゃうでしょ?」

「まぁ……確かに」

 

 あの写真に対する彼女の狼狽っぷりから考えて、もし手に出来たら速攻でひとつ残らず処分してしまうだろう。勿体なかろうが、それはもはや彼女の物なのだから誰も文句は言えない。

 

「他にも色々あってね、だからね、そのね、一夏くん。本当に、申し訳ないんだけどね」

「はい」

「あとでね、貴方のお願いね、なんでも一つ、聞いてあげるから……」

「はい?」

「『奥の手』……使わせて貰うわね?」

「…………はぃ?」

 

 と言って、楯無は最後まで後ろめたそうに、右掌を上空に――いまだ、シャルルとの戦闘に意識を集中してる姫燐に向けた。

 

「ほんっとうに、ごめんなさい」

「ッ!!?」

 

 理不尽を責める暇すら無く、奥の手が、姫燐に向けられた。

 もはや零落白夜を使った瞬間に敗北する程度のエネルギーしか残っていない一夏には、楯無を妨害することなど不可能。

 奥の手が見当もつかない以上、自分に出来る事など余りに少なかったが、むしろ今は迷う必要が無い分、そちらの方がありがたい。白式のスラスターに残りの全エネルギーを込め、勢い任せに一夏は飛び立つ。

 

「危ないッ、キリぃぃぃぃぃ!!!」

「あん? おアァァぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 未だ戦闘中だったブリッツ・ストライダーの腰元に、無我夢中のまましがみついた一夏は勢い任せにブーストを吹かせ、そのまま姫燐を壁際まで押し込んでいく。

 

「ぼぶぁ!」

「どうだっ……!?」

 

 壁に叩きつけるに近い荒っぽさだったが、何も襲いかかって来ないことから、奥の手を回避できたことを一夏は確信する。

 まだ安心できないが、只でさえ分からない『奥の手』を、不意に打たれる形だけは避けられたはずだ。

 

「なっ、てめっ、こっ、こここのバカ! 何しやがんだ!?」

 

 急に抱き締められ、壁に押し付けられた形になった姫燐が、真っ赤になりながら白式の装甲を叩き猛抗議を飛ばす。

 

「ごめん、キリ! だけど、こうでもしなきゃ楯無さんの奥の手が……」

「はぁ、かた姉だぁ!? かた姉なら、あそこで……」

 

 そう言って、姫燐が指差した先には、

 

「………………」

「なんか、両手合わせて、めっちゃ謝ってるんだが」

「へ?」

 

 あれから変わらない位置で、何の武装も展開せずに、ただ只管に一夏に謝り続けている楯無の姿があった。

 

「だ、だけど楯無さん、奥の手を使うって確かに……」

「なんでも良いからさっさと離しやがれ! じゃないと……あ」

「ん?」

 

 見上げるように固まった姫燐の視線を追い掛けた先には、

 

「…………ふふっ」

 

 天使のように満面の笑みを浮かべながら、グレネードランチャーをこちらに向けているシャルの姿があり、

 

「お暑いね、お二人ともっ♪」

 

 ポンッと、軽い音と共に、グレネード弾が発射される。

 互いに密着し合うような体勢である上に満身創痍の二人には、これを避けられるはずも、迎撃できるはずもなく……爆音がアリーナに響くと同時に、試合終了のアラームも鳴り響いた。

 

 

                ●○●

 

 

「こんのドアホーーーーーーッ!!!」

「ごめんなさぶゼロッ!!!」

 

 模擬戦が終わってから終始無言のままであったが、互いにピットに帰還してISを解除し終わった瞬間、助走をつけた姫燐の全力ドロップキックが一夏の横っ面に炸裂した。

 

「な・ん・で・あんなタイミングでオレを壁ドンしやがった!? アレか? あん時の乳繰り合いはオレを売る相談でもしてたってのか!?」

「違う違う違ガガガガガ……!」

 

 倒れ込んだまま跨られ、マウントを取られた状態で首根っこをシェイクされながらも、一夏は精一杯の自己弁護を続けていく。

 

「あ、ああでもしないと、キリが危ないと思って……」

「あぁん!?」

「だって楯無さん、奥の手を……」

「どう! 見たって! かた姉なんにもして無かったじゃねぇかぁぁぁぁぁ!!!」

「で、でも確かに使うってアバババババ!」

 

 一夏の身体を俯けに転がし、姫燐は流れるような動きで顎に手を回して引っぱるプロレス技――キャラメルクラッチを極めた。背骨や腰に大ダメージを与える関節技であり、当然むちゃくちゃ痛い。

 しかも、今の涙と鼻水と絶望の未来で色々と見えていない姫燐には、手加減という概念が消滅している。

 

「ほんと……お前も見てただろ……シャルの武装には爆発物が何種類かあったんだ。あんなの相手に固まってたら、ああなるに決まってんだろ……」

「ヒューッ……そう……ヒューッ……こと……ヒューッ……のか」

 

 ギリギリと締め上げられホワイトアウトしかけた意識の中で、爆発的に回転率を上げていく思考が、散らばったキーワードの中から『奥の手』の正体を組み上げていく。

 何もしてこない『奥の手』、纏まった相手を倒すのが得意なシャル、そして他ならない自分自身の思考と、

 

「……んだよ?」

 

 跨りながら関節技をかけ、涙ぐんだジト目で見降ろす彼女。

 

(してやられた――ハッタリだったんだ)

 

 姫燐に危機が迫れば、自分が何もかもを投げ出して庇いに向かうだろう――それを利用するのが、楯無の『奥の手』だったのだ。

 一人の注意を完全に外すことができ、相方の足を引っ張りに走らせることができる。心の奥底まで完璧に読まれ切っていなければ思い付きも、実行に移すこともできない、これ以上に無いほどの奥の手た。

 つまり、今回の敗因は、他の誰でも無い、彼女の足手纏いにしかならなかった……

 

「お、おい、一夏?」

 

 ぐったりとしたまま抵抗をやめ、流石にやり過ぎたかと手を離しても、まだ俯けのまま動かない一夏に少し血の気が引く。

 まだ、ちゃんと息をしているのかと耳を彼の口に近付けていき、

 

「……何をしとるんだ貴様らは」

「あらあらあら……良いところにお邪魔しちゃったかしら?」

「ふひッ!!?」

「ふごぉっ!!?」

 

 プシューと空気が抜けるような音と共に開いた扉から出てきた千冬達とのエンカウントに、反射的行動で一夏の背中を思いっきり叩きながら、その反動で姫燐は立ちあがった。

 

「わっ……わわっ、さっきは茶化すつもりで言ったけど、ふ、二人とも、ホントにアツアツだったの……?」

「アツアツじゃねぇ! シャル、お前あれをどう見たらアツアツになるんだよ!?」

「ああっ、少女漫画チックよねぇ……運動で火照った身体、行き場のない高揚感、男女二人なにも起きない筈がなく……」

「少女漫画じゃねぇ! つかそれもうちょっと読者層上の漫画の展開だろ!?」

「娘よ……暴力はいけないぞ暴力は」

「暴力なんぞ振るって……たけど、急にマトモなコメントふってくんじゃねぇよ! あーもーめんどくせぇー!」

 

 飽きもせずに姫燐を弄り倒す一同のノリに、千冬は心底ついて行けませんといった様子で転がり腰を押さえる弟を立たせ、姫燐の横に並ばせる。

 

「勝負はホワイトの勝ちだ。色々と悶着があったようだが、最初からルール外の取り決めなど、この私が認めん」

「だよなぁ……ハハッ……」

 

 フラッと魂がエクトプラズムしたように卒倒しそうな姫燐を、背後から優しい抱擁が受け止め、

 

「つまり、賭けは私の勝ちってことね、ヒっメちゃーん……♪」

「ひぃっ!?」

 

 ピッチリと肌に密着したISスーツ越しで強調された、きゅっと引きしまった腰と、豊満に育った胸を、なでまわすように楯無は両手を這わした。

 

「お、織斑先生! こ、この賭けもルール外の取り決めに……!」

「知らん、個人の賭け事は私の管轄外だ」

「いやぁぁぁぁぁせんせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 まるでブッダが垂らした糸が千切れたようなカンダダのように、自分を救ってくれると信じていた絶対神に見放され、絶望の底に叩き落とされる姫燐。足掻こうとも、女郎蜘蛛はガッチリとホールドを解かない。

 

「負けたら言う事、なんでも聞いてくれる……だったわよねぇ?」

「い、言ったけど、言ったけどぉ……」

 

 勝てば破格の景品が待っていたギャンブルも、負けてしまえば相応のリスクを背負うのみ。

 品定めするかのように姫燐の顎を軽く持ち上げ、吐息がかかる程の至近距離で、勝者は敗者の耳元で彼女の今後を勘定していく。

 

「んー、お姉さん迷っちゃうなぁ……ヒメちゃんならきっと、何をさせても、可愛いに決まってるもの」

「やめっ、かた姉、ほらオレの親も見てるんだぞ……!? あんまり無茶苦茶なこと言い出すなら、親父が黙って……」

「ん? ああ、楯無くんになら別に構わないよ。楯無くん、娘をよろしく頼む」

「まぁ!? おじさまを『お父様』とお呼びしないといけない日が来るだなんてっ♪」

「迷いなく娘売りやがったなこのクソ親父ィ! こうなったら通報だ! とにかく通報してやる! このシスコンクレイジーレズをレズ罪か何かで警察にでも突き出して」

「あら、私がその取り締まる側だけれど?」

「腐りきってやがんな国家権力ッ!」

 

 高笑いを二重に響かせながら、姫燐弄りを全力で愉しむ二人に、あっちが本当の親子ではないのかとシャルは苦笑いしつつも、

 

(なんだか、ちょっと羨ましいな)

 

 その少し喧しくとも、確かなぬくもりがそこにある家族のふれあいに、淡い羨望を覚えてしまう。

 が、同時に、

 

(代わりたくは無いけど)

 

 と、まっとうなコメントもしっかり心の片隅に残しながらだったが。

 

「よし、お姉さん決ーめたっと♪」

 

 パッと楯無は姫燐から手を離すと、『決定』の二文字が描かれた扇子を開き、口元に当てるいつもの仕草を取りながら、

 

「ヒメちゃん、あなた部活動、どこにも入っていなかったわよね?」

「あ、ああ、そうだけど……」

「うんうん。じゃあ、はいこれ」

「ん?」

 

 IS学園の校章が掘られた、丸い水色のバッチを彼女に手渡した。

 

「なんだこれ?」

「生徒会員証。生徒会の人間が付けるように義務付けられているバッチよ」

「……生徒会員証?」

 

 そんなものを、生徒会長直々に手渡された意味なんて考えるまでもないが、反射的に姫燐は聞き返してしまう。

 

「今から、生徒会長権限において貴方を私達、IS学園生徒会の役員に任命しまーす♪」

「なっ!? ちょ!?」

 

 せいぜい、犬耳と首輪をつけられ満足するまでご奉仕でもさせらるのかと――即座にこんな考えが浮かぶほどにトラウマが根深いのだが――思っていたが、まさか過ぎる大抜擢に、思わず拒否の言葉が飛び出す。

 

「ノーだっ! なんでオレが、そんなシチめんどくさそうなモンにならなきゃ」

「あら? じゃあ代わりに、今後は私と虚と本音ちゃんで考えた、この168cm用特注のヒラヒラでスケスケでミエミエのカスタマイズ制服で学校生活を……」

「ワカリマシタ、ツツシンデオウケシマス」

「はい決定っ♪」

 

 ちょっと残念だけど、これは次の機会に。と、どこからか取りだしたおぞましい改造制服を畳んで適当な所に置くと、

 

「ええいっ、歓迎のハグ!」

「わぶっ」

 

今度は真正面から姫燐の身体を母が子を抱くように優しく抱きしめて、

 

「ふふふ、今後ともずーっとよろしくね、ヒメちゃん」

「はぁぁ……はいはい、分かりましたよ。生徒会長さま」

 

 心からの笑顔で、不機嫌な子猫の頭をなでた。

 なでられる方も、まんざらでは無さそうに眼を細めるが、

 

「わぁ、朴月さん気持ちよさそう……」

「パパにも、たまには甘えて欲しいなぁ……キリ」

「……もういいか? 貴様ら」

「ッ!!?」

「あぁん、もう少し」

 

 バッチリ観客が居たことを思い出して、夢見心地から一瞬にして現実に復帰し、楯無を力任せに引きはがした。

 

「っ、つつつったく、しょうがねぇなぁ! そんなにオレの力が必要だってんなら、貸してやるが……ふっ、オレはレアだぜ。報酬は」

「では、織斑先生におじさま。ヒメちゃんの部活動や、新しいIS登録の続きなんですけれどー」

「……いつか絶対に泣かす……」

 

 しかし、復讐の誓いを胸に秘めつつも、同時に撫で下ろしたのも事実だった。

 テキパキと事務処理を始めた大人組と、貰ったバッチを見比べて、あれが一時の冗談などではなく、本気で自分を生徒会へ入れるつもりなんだと姫燐は改めて悟った。

 あのかた姉にあれだけ言ったのだから、もっと言葉に出来ない想像したくもない目に合う事も覚悟していた姫燐であったが、流石にこのような真面目な結末が待っているのは予想外であった。

 

「模擬戦お疲れ様、朴月さん。朴月さんも要る?」

「ん、あぁ、さんきゅシャルル」

「そこに座って待ってようか」

「悪いな」

 

 ハッチに無造作に置かれたコンテナに座り、スポーツドリンクの蓋をあけながら、どこかシックリしないといった風な姫燐に、シャルは首を傾げる。

 

「あ、ごめんね。あんな風に、動けない所を狙っちゃって」

「いんや、模擬戦だからな。気にしてねぇよ。お前がオレなら、もっと早く爆破してたぐらいだ」

「あはは……じゃあ何を考えてたの?」

「ん、なんか、こう……手際良すぎねぇか? って思ってな」

「手際?」

 

 聞き返すシャルに、手にもった生徒会役員の証明であると言うバッチを手で転がしながら、改めて思い返す。

 

「いや、こんなもんまで事前に用意してたってことはさ。かた姉、多分だけど『どんな手を使っても』、ハナからオレを生徒会に引き込むつもりだったんだろうなって」

「そうなの?」

「ああ……結局、勝負がどう転んでも、こうなってたんじゃねぇのかなって思ってさ」

「生徒会に入るの、やっぱり嫌なんだ? 堅苦しいの嫌いって言ってたし」

「いや、ちょっと違うな」

「?」

 

 自分を、新しいISを受理すると言うこのタイミングで、かた姉が放課後の殆どを過ごす生徒会に引き入れた理由――姫燐には嫌というほど心当たりがあった。

 

(お膝元での、監視目的……か)

 

 傷跡が消えた――それでも不安と影は消えない――右腕に、そっと手を添える。

 

「ちとビックリしたけど、冷静に考えりゃ悪い事ばっかりでもねぇしな。オレも生徒会室にいつも居た方が、いざという時『安心』できる」

 

 きっと、あの人なら、本当にオレがオレじゃなくなっても、必ず止めてくれる。

 そのための『保険』も、渡してくれるように頼んであるのだから。

 口に出そうになった言葉ごと、スポーツドリンクで飲みこんでいく。

 

「それって、どういう?」

「なんでもねえさ、っと?」

 

 シャルの質問をはぐらかして目を逸らした先に、先程からずっと同じ場所で立ちっぱなしの男が見えた。

 俯いたままで、拳を強く握り締め続けている姿からは、自分の不甲斐なさや、頼りなさ、弱さを強く悔んでいるのが、ありありと感じられる。

 

「……ったく」

「朴月さん?」

 

 世話焼けんなぁとめんどくさそうに――それでいて少し口元を綻ばせながら――姫燐はよっこいせと立ちあがると、その肩へと強引に手を回した。

 

「おいこら、暗いんだよ顔が。ドリンクがマズくなる」

「……キリ」

 

 やはり、死人のような表情とテンションをしていた一夏に、姫燐は一抹の責任感から精一杯のフォローを入れていく。

 

「まぁ、確かに今回は負けたさ。誰かさんのせいでな」

「……本当に、ごめん」

「いんや、オレも正直、今回は作戦ミスった。お前があんな真似する前に勝負決められなかったし、反省はお互い様さ」

 

 バンバンと荒っぽく肩を叩いても、やはり暗黒星人のままな一夏に、あの時の――屋上で独り、震えていた時の自分が重なった。

 

――めんどくさいのも、お互い様かねぇ。

 

 見つけた彼との共通点は、どこか下らなくて、後ろ向きで、自嘲する。

 

「でも……俺、キリの期待に応えられなかった」

「あぁ? んなもん、もう気にしてねぇよ。幸い、賭けの代償も、思ったより遥かに悪いもんじゃなかったしな」

 

 そう言いながら、姫燐は彼の前で貰ったバッチを転がす。

 

「ま、ちょっと画像収集とか編集の、お楽しみの時間を持っていかれただけさ。最近、箒と同室になってからはご無沙汰だったしな。丁度いいっちゃ丁度いい」

「これは……?」

「ん? あぁ、生徒会のバッチだとよ。かた姉がオレに入れとさ」

「……そう、そうか……!」

 

 瞬間、曇っていた一夏の瞳に、光と活気が急速に戻っていった。

 

「ありがとうな、キリ!」

「お、ようやく元気でたか」

 

 なんだかんだ手が掛かるが、笑ってさえくれればそれだけで多少の苦労に充分に見合う報酬になる。

 もし、自分に弟が居れば、こんな感じなのだろうかと姫燐は思った。

 

「礼なんていらねぇよ。それより、こっから時間あるよな?」

「ちょっと行ってくる!」

「課題点洗うぞ、オレ達はまだまだ強く…………えっ?」

 

 姫燐の手を振りほどき、一夏が走る。

 行き先は、大人達とハッチから出て行こうとしていた、水流のようにしなやかな後ろ髪を揺らす、その背中。

 

「楯無さん!」

「んんっ?」

 

 あとはお若いお二人でと、気を利かせ早めに場所を変えようとしていた所で呼びとめられ、眉をしかめつつ楯無は振り向いた。

 

「どうしたのかしら、一夏くん?」

「確か俺の言う事、なんでも一つ、聞いてくれるんですよね?」

「はぁ!?」

「ええっ!?」

 

 特に驚いたのは戦闘に集中して話を聞いていなかった姫燐とシャルであり、戦闘の会話は全て聞いていた千冬と永悟は、それぞれ溜め息と興味深そうな様子で顎ひげを撫でる。

 そして当の言い出した本人は、『当然』と書かれた扇子を開き、あえて胸を押し上げるような腕の組み方で、いつも通りの挑発的な調子を崩さず答えた。

 

「ええ、貴方と私の約束だもの……お姉さんで出来る範囲なら何でもいいわよぉ?」

「なっ、てめっ、いつそんな約束取り付けたんだよ一夏!?」

「そうだよ! 不潔だよ一夏!」

 

 周りの誤解が進むガヤなど気にも留めず、一夏は真剣で沈痛な趣きを崩さず、腰を垂直に曲げ、

 

「俺を……俺を鍛えてください! 楯無さん!」

 

 楯無に頭を下げ、直談。

吐き出された言葉からは、浮ついた雑音を吹き飛ばすほどの、重みが満ちていた。

 

「…………えっ? あの、一夏くん?」

「俺……俺、今回の模擬戦で痛感したんです……もっと、もっと強くならないといけないって。こんなんじゃ……キリの足を引っ張ってるようじゃ、ダメなんです!」

「お、おい、オレはもう気にしてねぇって一夏」

「違うんだッ!!!」

「っ……!?」

 

 初めてぶつけられた強い否定の言葉に、姫燐の身体が竦む。

 彼女が許しても、誰が許しても、他ならない一夏自身が、この結果を許さない。

 今の彼を突き動かしているのは、自分への怒り、焦り、悔み、憤り……これら全てひっくるめ一言で言うならば、それは織斑一夏と言う男の意地に他ならなかった。

 

「ごめん、キリ。でも俺……このままじゃ、ダメだ。ダメなんだよ」

 

 今のままでは、姫燐を護れない。

 それどころか、足手纏いにしかならない。

 そんな現実を文字通り叩きつけられてしまった以上、黙っていられる訳が無い。

 彼女に降りかかる災いが、次はいつ――もう、この瞬間に襲来してきてもおかしくないならば――自分に残された時間はあまりにも少なかった。

 

「お願いします、楯無さん! 俺に……俺に、貴方の技を教えてください! 貴方に並ぶほどの、護る力が欲しいんです!」

「え、えっとね、確かに『なんでも』とは言ったけど……」

「そ、そうだよ一夏! 本当に、それでいいの?」

 

 あまりに性急な申し出をする一夏をたしなめる様に、言葉を濁す楯無とシャルが気にかけるのは――ただ先程から無言の、赤髪の少女。

 しかし、そんな二人の憂慮とは裏腹に、姫燐はニカッと歯を剥きだして、

 

「ヒヒッ……確かにそれは、ナイスアイデアかもなっ!」

「あだっ!」

 

 サッパリとした態度で、思いっきり一夏の曲げたままの腰を引っ叩いた。

 

「オレからも頼むよ、かた姉。こいつマジ弱過ぎて、オレも相当骨折れてんだよ。かた姉が鍛えてくれるなら安心できるってもんさ」

 

 カラカラと口元に弧を描きながら、姫燐も軽薄な調子で、頭を軽く下げる。

 

「だからさ、暇な時で構わねぇから、一夏のこと任せていいかな? 強くしてやってくれよ、それが……コイツの夢にも繋がるんだ」

「………………」

 

 楯無は瞳を閉じて腕を組み、無言で熟考するような仕草を取り――そして、

 

「……分かったわ、一夏くん。ヒメちゃん」

 

 重々しく、二人の頼みを承知した。

 

「実を言うと、ちょうど良かったわ。一夏くんの生徒会入りも、織斑先生や虚と検討していたもの」

「えっ、そうだったんですか?」

「予定より随分前倒しになりますが、構いませんよね、織斑先生?」

 

 楯無の目配せを受け、千冬も持っていた端末を手早く操作し、半透明の立体ディスプレイを表示させる。

 

「このデータを白式に送っておく。軽い取り決めが書かれた誓約書のようなものだ、目を通しておけ。正式な手続きは後日改めて行う」

「じ、じゃあ……!」

「ええ、貴方も私の生徒会に歓迎するわ。織斑一夏くん」

「あ……ありがとうございます、楯無さん!」

 

 感極まった形相で、一夏は再び深々と頭を下げた。

 

「これからは生徒会の仕事を手伝ってもらうことになるし、私もそれなりにお仕事があるから、いつでも、っていう訳にはいかないけれど……出来るだけ時間は空けておくわ」

 

 どこか複雑そうな――まるで、誰かに遠慮しているような様子こそ最後まで抜けなかったが、これほどまでに心強い師匠を得たことに、一夏の鼓動は高まっていく一方だった。

 自分よりも織斑一夏を知っているこの人ならば、確実に俺を高みへと導いてくれる。今まで夢に立ちこめていた、『霧』が晴れていくような感覚。

 

「……良かっな、一夏」

「キリ。いや、これもキリの口添えのお陰だよ」

「なに言ってんだ、動き出したのはお前さ」

「おわっ……と?」

 

 子供のように無邪気に瞳を輝かせる一夏の肩を、軽く楯無に向かって押し出す。

 そんな彼女の横顔は――優しさに、満ちていた。

 

「んじゃ、オレはお先に、親父と新しい相棒の調整とかの相談してくるわ。いこうぜ、親父」

「おいおい、キリ?」

 

 永悟のネクタイを掴み、引きずるように姫燐は背を向けて出口へと歩き出す。

 

「な、キリ、ちょっと待っ」

「今日はお疲れ。また明日、学園でな。一夏」

「むぅ……では諸君、また会おう」

 

 晴れやかな足取りで、姫燐と永悟は自動扉を開き、ハッチを後にした。

 

「…………ねぇ、一夏。後でちゃんと、朴月さんに…………」

 

 その後ろ姿を見送った後、人一倍、こういった機微に敏感なシャルが、一夏に耳打ちをしようと顔を近づける。

 

「…………っ!」

「え? あっ、一夏!?」

 

 全てをシャルが言い終わらない内に、一夏はハッチから飛び出していく。

 

――なんだ、やっぱりアツアツじゃないか。

 

 なんでこれで、あと一歩に気付かないのかなぁ。

 振り返ると、『純情』の扇子を開いた楯無も、少し自信は無かったが織斑先生も、どこか自分と同じような笑みを浮かべているように、シャルには思えた。

 

 

               ○●○

 

 

「確かに、実戦中に完璧なイメージを制限時間込みで作り出すのは、難易度がいささか高すぎたようだ」

「……ああ」

「君の要望通り、イメージのプリセットや、外付けの武装はすぐに用意しよう。しばらくここのラボを借りれないか、ミス・千冬にもかけ合っておくよ」

「……分かった」

「つまりだ、パパも当分の間、このIS学園にお世話になると言うことなのだが」

「……そっか」

「本当に、あれで良かったのかい? キリ」

 

 着替えを済ませ、第二アリーナを後にしてから、落ち着ける場所に行こうとIS学園のカフェテラスに二人で座り、注文の品が来てもなお動かなかった姫燐の瞳が、初めて永悟の顔を正面から捉えた。

 

「何がだよ」

 

 不機嫌そうに、温くなったブラックコーヒーを口元に運ぶ。

 

「パパはキリと一夏くんの間に、この3カ月近く何があったかは知らないが……あの時の君は随分と、辛そうに見えた」

 

 いつもよりも、遥かに強烈な苦味が、口中に広がる。

 

「確かにキリは4年前から、父である私の眼から見ても、随分と変わった。だが」

 

 雑に置かれた姫燐のブラックコーヒーに、永悟は、共に運んでくれていたミルクと砂糖を全て加えながら、

 

「人一倍傷つきやすいのに、人に心配かけるのはそれより嫌で、辛い時に限ってだんまりになる所は……まったく変わらないね」

 

 姫燐が一番好む、甘々な、一番飲みやすいカフェオレへと変えてやった。

 

「……うっせえよ」

 

 文句だけはいいながらも、勝手にカフェオレにされたことには何も言わず、また口に運ぶ。

 先程までとは比べ物にならない飲み易さになったカフェオレを、姫燐はあっという間に全て飲み干す。

 

「私の分も飲むかい?」

「いらねぇ、ガキじゃあるまいし」

「くっぷぷ……」

 

 口元に茶色いヒゲを作っておきながら、ガキじゃないと言い張る姿がおかしく、笑みがこぼれ、手にしたカプチーノも少しテーブルにこぼしてしまう。

 

「んだよ……どいつもこいつも」

「一夏くんも、かい?」

「………………」

 

 開きかけていた口が、また再びへの字に閉じる。

 

「楯無くんから、君達が学校ではひときわ仲が良いことは聞いているよ。まさか、男の子と一番仲良くしているとは、流石の私も計算外だったが」

「………………」

「寂しいのかい? 彼が楯無くんの所へ行って」

「なっ!」

 

 思わず席から立ち上がり、テーブルに手を叩きつけた娘の姿は、長年の経験がなくとも自分の言葉を肯定しているのだと確信させるには充分だった。

 姫燐も、それが分かっているのか、失敗したように椅子に座り直し、

 

「そりゃ……なんか、モヤっとしたけどさ」

「ふむふむ」

「けど、これで正解じゃねぇか……」

 

 握り直したのは、右腕。

 あの時の傷跡が消えても、消えない疑念と恐怖の証。

 

「……親父も、聞いてんだろ」

「ああ、ウチに黒い服を来た連中が沢山やって来たね」

「っ……」

 

 鎮痛に、右手が握り締められる。

 

「そのために、コアは一度完全に初期化し、まだまだ問題点が残るフレームごと急造したんだ。学園と楯無くん達の立ち会いの下、ヴァルキリー・システムみたいなモノも仕込んでいないことは実証済み。これで間違いなく、ISは白になった」

「でも……オレは……オレはどうなんだよ……?」

 

 声の震えが、とうとう隠せなくなってくる。

 それでも今は事務的に、永悟は事実を述べて行く。

 

「学園側には、テロリズムという極度の緊張状態に突如陥ったことによる錯乱ということで、話はついている。そもそも、テロを許したのは向こうの落ち度だからね。割とすんなりと」

「そうじゃねぇよ……そうじゃねぇんだ……」

 

 永悟が述べたことが事実として世に出回っていても、姫燐の中にある真実は違う。

 アレが表に出れば、朴月姫燐は塗りつぶされ、代わりの何かが、空っぽになった身体中に澄みわたって行くのだ。

 研ぎ澄まされた刃物のような、あの透き通る害意が。

 

「報告は楯無くんから受けている。テロリストが君をキルスティンと呼んだそうだね」

「…………」

「無論、君は君だ。私のたった一人の娘だ。産まれた時からずっと見てきた私が断言する。それに世界には、三人ほどそっくりな人間が居るとも言うがね。だが……これはあくまで仮説ではあるが、なぜこのような現象が起こるのか、私には心当たりがある」

「ッ!?」

 

 まさかの言葉にガタリと、もたれていた姫燐の背筋が前のめりになる。

 

「パパは研究者といっても、一定の所属を持たないフリーランスで、色んなところに顔を出しているのは知ってるだろう?」

「ああ、この前はどこ行ってたんだっけ……ドイツだったか?」

「その通り。そして君のIS――『ストライダー』のコアは、そこのクライアントから譲り受けたモノなんだよ」

「……オイ待て、初耳だぞ。それ」

 

 機動実験のためといわれていたが、まさか国外からの受注で自分の父が動いていたというのは姫燐も初耳であった。

 それが意味しているのは、この父親が、本来なら国家間で厳正に取り扱われているコアを、勝手に国外に持ち出しているという事実に他ならない。

 知らない間に、とんでもない犯罪行為の肩棒を担がされているのではないのかと察し始めた姫燐に、断りを入れるように永悟は説明を加えていく。

 

「まぁ、完全に白と言えば嘘になる。だが、相手は信頼できるよ。楯無くんにも事前に話は通していたし、どっちの法にも接触しないよう、手段は選んでいる」

「なるほど……そこはいつも通りなんだな」

「ああ、いつも通りだ」

 

 フラッと遊びに行くような感覚で、海を越えて研究機関に知恵を貸しに行き、何カ月も家に帰らない。永悟の稼業は、大黒柱というにはあまりにフリーダムが過ぎたが、それが朴月家の日常だ。

 ここは今更、特に問い詰めるほどではない。

 

「だが……そのコアの由来が、少しね」

「やっぱりなんか違法品か、コイツ」

 

 首元にぶら下がった、稲妻を纏った太陽のチャームが付いたチョーカーを突く。

 

「正確には、少し違う」

「じゃあ、なんだよ」

「元々、そのコアはね。盗品だったんだ」

「…………はぁぁ!?」

 

 白と言えば嘘になるどころが、ド直球にブラックな一品であったことに一瞬反応が出遅れたが、ここからの詰問を制するように永悟が先に口を開く。

 

「ドイツ側のゴタゴタでね、君のストライダーは、元々高官の手によってどこかの組織に横流しされていたコアの一つだったそうだ」

「はぁ!? なんじゃそりゃ!? とんでもねぇ大事件じゃねぇか!」

「だから、『だった』のだよ、キリ。それはごく最近、ドイツ軍が極秘裏に奪還したものだ」

「いや、それでも……極秘裏? てことは、これ一般的にはニュースにもなってないんだよな?」

「ああ、全てドイツ内部で処理された事件だ。世間一般に公開されれば、ドイツという国の基盤が揺るぎかねんからな」

「ははーん……」

 

 謎の組織に横流しされていたISコア――万が一そんな事件が表沙汰になれば、ドイツのIS事業発展は、遅れをとっているフランス所の話ではなくなるだろう。

 それはISが舵を取る、現代の国家間のパワーバランスに大きな楔を打ち込む結果を招くだろう。単純な、一国家の不利益で収まる話では無い。

 

「つまり、この一連の騒動は『無かったこと』にするしかねぇって訳か。それが例え、『無くなってたコアは、実は道楽科学者に預けてました』っていう、無茶苦茶なこじ付けだったとしても」

「その通り、賢い娘だ」

 

 いつの間にか、国家存亡どころか、軍事バランスの危機に関わっていた父親に、姫燐は机に突っ伏し、呆れの溜め息を壮大に吐き出した。

 

「で、そんなヤバ気な一品が、オレの身体にどう影響を及ぼしたってんだよ」

「うむ、実はね……このコアは結構な長期間、その組織のトップエージェントが使っていたと言われているんだ」

「……おい、まさか、そいつの名前って……」

「名前までは不明だ。だが、彼女はあらゆる工作に精通しており、戦闘技術も相当な腕前を誇っていたそうだ――当然、IS戦もね」

 

 自分の中に蠢く影。その正体が、おぼろげながらに輪郭を現していく。

 

「……本当に、すまなかったと思っているキリ。まさか、あれほど念入りにリセットをかけたISコアが、あのような現象を引き起こすとは」

「まだ……親父が悪いって決まった訳じゃねぇよ、推測だろそれ」

 

 心の底から申し訳ないと頭を深々下げる永悟とは対象的に、姫燐はどこか冷徹に、それだけでは説明しきれない違和感を覚えていた。

 もし、キルスティンが、ISコアに残っていた奴の心の残骸ならば――……アイツ等は、なぜオレのことを……――?

 考えようと、思い出そうとするほどに、二度と帰れない場所に堕ちていく時ような悪寒が身体中に駆け抜けていくような気がして、

 

「……ケッ、止めだ止めだ。だったらもう安心じゃねぇか、もう一回念入りにリセットかけたんだろ?」

 

 姫燐は、いつもの調子を取り戻すように、鼻で笑い飛ばした。

 

「キリ……やはり、そのISは私が持ち帰り……」

「……イヤだ。色々考えたけどオレには……やっぱりコイツが必要だ」

 

 飄々とした科学者の顔では無く、一人の親として、子を思う一心から出した提案は、その子に一蹴される。

 

「確かに、コイツはヤバい代物かもしれねぇ。だけど、オレには約束も、割とデカい借りもある。そして、奴等がまた来る可能性もな」

 

 この力を捨てて、一介の生徒として慎ましくやっていくことだって、誰も止めはしない。

 だが、それでも、この学園に、約束を交わしたアイツに、明確な悪意を持ってやってくる連中は確かに存在するのだ。

 ならば――力がある人間が、怯えている場合では無い。例え、これがどのような力であっても。

 

「だからまだ、捨てらんねぇよ。頼んでおいた機能もしっかり積んでくれてるんだろ?」

「……ああ、起動キーは楯無くん達や、ミス千冬に手渡しているよ」

「なら大丈夫だ。あの人達、割とそういう趣味持ってそうだしな」

「まったく……こう言う部分は、誰に似てしまったんだろうなぁ」

「さぁな、コンパクト貸そうか?」

 

 軽口を叩きながらも、所詮は強がりなのは誰が見てもハッキリ分かるほどに、姫燐の声には覇気が感じられなかった。

 それでも彼女は、怯えながらだろうと自分の意思で選んだのだ。

 力を恐れるのではなく、利用するために、強がってでも必死に変わろうとしている。

 親であろうと、それを止める権利など無いのかもしれない。

 だから、

 

「分かった、私からはもう何も言わないよキリ。ただしあと一つ」

「まだあるんじゃねぇか……」

 

 もうこれ以上、自分が娘にしてやれることはきっと、人生の先輩としての、ささやかな助言ぐらいしかないのだろう。

 

「一夏くんには、あとでちゃんと謝っておきなさい。あれはよくない」

「…………オレは、間違ったことはしてねぇって思ってる」

 

 今までのどこか、様々な事と戦う覚悟を固めていた重い表情とは打って変わって、この話題になった途端、姫燐に、年相応の少女のような迷いが宿った。

 

「師匠としても、パートナーとしても、オレなんかより、絶対にかた姉の方が良いに決まってるし……ああするのが正解じゃねぇか」

「それは……果たして本当にそうだろうか?」

「……えっ?」

 

 カプチーノを飲みながら、永悟は姫燐に疑問を投げかける。

 

「コーヒーには、実に色んなモノが合う。ミルクを含めれば口当たりはマイルドになるし、砂糖を添加すれば甘みが強くなる」

 

 このカプチーノだって、またベストだと永悟は続けた。

 

「だが、正解は人それぞれだ。人によってはミルクや砂糖を嫌うし、君のように全部入れる方が好きな子だって居る。それは、人も同じだよ」

 

 カプチーノを置いて、震える姫燐の右手をすくう。

 

「君にだって、彼にとっての正解は、まだ分からないんだろう?」

「でも……こんなオレだぞ……?」

「そんな君じゃなければ、ダメという可能性もある。実際、今までこんな君と、彼の居心地は、悪くなかったんだろう?」

 

 ピクリと、腕に走る鼓動が、もう心配はいらなさそうだと永悟にメッセージを送った。

 

「自信を持つんだ。少なくとも、私の正解は、いつだって君と母さんだけだよ。キリ」

「……ふん、くっせぇセリフ吐きやがって……分かったよ」

 

 これ以上、見透かされるのは気に食わないと言わんばかりに手を振りほどくと、そのまま姫燐はテーブルに置かれたベルを叩いた。

 

「当然、全部親父のおごりだよな?」

「ああ、存分に親の脛をかじってくれたまえ」

 

 余裕の表情を浮かべる永悟の言い分にそっぽを向くように姫燐は、外から差し込む夕暮れを見上げ、

 

「今度さ、母さんも連れてきてよ。久しぶりに、会いたい」

「……ああ、約束しよう」

 

 永悟も娘と同じように、沈んでいく夕暮れに彩られる小道を眺めながら――少しだけ驚いたように眉を上げ、カプチーノを一気に飲みきった。

 

「ふむ……さてさて、私は早速、作業に取り掛かるとしよう」

「あ? おごってくれるんじゃねぇのかよ」

「安心したまえ、代金はちゃんと置いていくよ。では、また明日にでもな」

 

 そそくさと、微妙に急くように永悟は代金だけ置いて席を立つ。

 

「……あれ、なんか多くないか親父?」

 

 しかし、その代金はおかわりを入れた二人分としても、あと一人分ぐらいは余裕で払えるほどに多く、姫燐は首をひねる。

 

「いやいや、これでいいんだ。ちゃんと一夏くんに、すぐ謝るんだよ?」

「はぁ? ハイハイ、ちゃんと分かってますよって」

 

 小言は良いからさっさと行ってこいよと、娘にシッシッと追い払うようなジェスチャーを向けられても、髭面は嫌そうな顔ひとつせず、心底愉快そうな笑みだけ浮かべて店を出た。

 

――なるほど、娘があそこまで気にかける訳か。

 

 そしてそのまま、ISスーツを着たまま、息を切らして誰かを必死で探しているような少年の下へと、悠々とした足取りで向かって行った。

 




 よい子の諸君! 机を片付けると、むしろ置いた場所が分からなくなるから嫌だとか言う輩が居るが、その置いた場所を忘れると誰も見つけられなくなるから整理整頓はちゃんとしような!

 シャル編のプロットを失くした作者との約束だ!

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