IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第3話 「セシリア・オルコット」

 セシリア・オルコットが自分の机に入っていた手紙に気が付いたのは、2時間目が始まる直前であった。

 1時間目が終わり、次の授業の予習をしようと教科書を引き出した時、足に何かが当たったような感触を憶え、足元を見てみると、

 

(これは……手紙?)

 

 一見デフォルメされたネコのように見えるが、耳から羽のような物が生えており、ルビーの様に真っ赤でクリンとした目が特徴な、何故だかよく分からないが無性にISを起動して穴だらけにしたくなるキャラクターがプリントされた封筒が落ちていた。

 それを拾い上げたセシリアは、一体何かと裏を返して見る。

そこには何もプリントされて無い無地に、ど真ん中に黒い文字でデカデカと文字が書きなぐってあった。

 ふむ、と顎に手を置いて、そこに書いてある文字とにらめっこするセシリア。

 IS学園の入試模試で主席をとった頭をフル回転させて、思案の海に浸かり、より良い答えを模索し続けた彼女の、長いようで短い数分間。

その果てに、彼女はたった1つの結論へと辿り着いた。

 

 

(……さ、さっぱり読めませんわ)

 

 

 何となくだが、辛うじて漢字だという事は分かる。

 だが、何だかフニャフニャしているし、妙に見難いし、自分が日本にやって来る前に猛勉強した漢字とは似ているようで違う。

 日本人は、皆この様に漢字を書くのだろうか?

 英語でも、文字を意図的に崩した筆記体と呼ばれる物はあるし、他の国では微妙に書き方やニュアンスが違うことがあるとは言え、ここまで基本と違いが多過ぎるモノは無い。

 ということは……、

 

(誰かの悪戯かしら……?)

 

 全く、これだから島国の庶民は困る。

 きっと代表候補生である自分の威光と強さに嫉妬した誰かが、直接戦っては敵わない事を悟り、このような下らない姑息な手段に出たのだろう。

 

(まったく、プライドの欠片も感じられませんわね)

 

 中を読むまでも無い。どうせ、低能な庶民が無い知恵を必死に絞って考えた自分への怨み辛みしか書かれて無いのだろう。

 そう結論付けると彼女は席を立ち、その手紙をゴミ箱に捨てようとしたが丁度そこで授業開始5分前の予鈴が鳴り、仕方なくポケットの中に適当に突っ込んでおくことにした。

 

(少しはしたないですけど……こんな物、いつでも捨てることは出来きますわね)

 

 そんなことよりも今は、もうすぐ始まる授業の予習が最優先であった。

 

 

      第3話 『セシリア・オルコット』

 

 

 姫燐は携帯電話を取り出すと、最近ゲットした中では最高の収穫物(箒の電話番号)へとコールした。

 

『もしもし、篠ノ之です』

「おぅ、篠ノ之。一夏はどうだ?」

『ああ、朴月か。大丈夫だ、サボってはいない。なにせこの私が常に見張っているからな』

 

 電話越しでも、彼女がそのブラボーバストを自慢げに張っているのが容易に想像できる弾んだ声だ。

 放課後に一夏と2人っきりでトレーニングしている現状が、よっぽど幸せなのだろう。愛い奴め。

 

「そうかそうか、みっちりしごいてやってくれ。大会まであと6日、付け焼刃とは言え、何もしないよりはマシだからな」

『ふふ、任せてくれ。それより聞いてくれ朴月。一夏の奴、私が居ないからといって中学ではなんと帰宅部だったそうなのだ。恐ろしいまでに弱くなっていてな、まったく軟弱者め。今では見る影も無いが、実は小学校のころの一夏は私より強くて凛々しくてそれでいて』

「分かった。よーく分かったから、それはまた今度聞かせてくれ」

 

 ホントどれだけ一夏と一緒なのが嬉しいんだ。学校とはテンションが完全に別人である。

 こりゃ攻略には骨が折れそうだ、と心の中でため息を付く姫燐。

 

「それより、アレ。本当にちゃんと書いてくれたのか?」

『ん、ああ。お前の注文通りに書いたぞ、「果たし状」を』

 

 いま姫燐が立っているのはこの学園内で数少ない、ISを起動する事を許された場所である第3アリーナの会場内。そこの競技場の中央に、彼女は1人ポツンと佇んでいた。

 先程、箒が『果たし状』と言った通り、姫燐は『ある人物』と戦う為にここに居る。

 だが放課後となってから即ここに来て、もう結構な時間が経った気がするが、待ち人は一向に現れる気配がしない。

 

「果たし状には、放課後になったらここに来るよう指定しておいた筈なのに、一体どうなってんだ?」

『さぁな、決闘から逃げたか……いや、オルコットの性格からその線は考えられんか……』

「くそっ、わざわざ誰にも見付からない早朝に来て、アイツの机の中に入れたオレの苦労を何だと思ってんだ。低血圧なめんなっつの」

 

 そう、セシリアに手紙……いや、果たし状を送ったのは何を隠そうここで独り悪態をつく少女、朴月 姫燐その人であった。

 昨日の放課後、姫燐は箒に果たし状を書いて欲しいと頼み込んだ。

 最初は自分で書こうとしたが書き方が分からず困っていた所、たまたまそこに居た一夏によると彼女は幼い頃から中々に達筆であるらしく、「それにアイツ、こういうの得意そうだし」という助言からそれなりの報酬(一夏の盗撮写真)と引き換えに依頼したのだ。

 まさか一晩でやって深夜に部屋に届けてくれるとは思わなかったが、そこは嬉しい誤算と受け取り、大っ嫌いな早起きをしてまで朝一にセシリアの机へとシュートして超エキサイティングにホームルームまで昼寝を決め込んでいたのだが……。

 

『しかし何故……ん? すまない朴月、一夏が呼んでいるから切るぞ』

「ああ、悪かったな。頑張れよ、トレーニングも、一夏の方もな」

『……ッ! い、言われるまでも無い! でひゃな!』

 

 必死に声を荒げ、壮大に噛みながら電話を切る箒。

 あー、おもろい。こんなにからかい甲斐ある奴、そうは居ないぞ。

 にしし、と笑い、携帯をポケットの中に突っ込む。

 しっかし、まぁ……

 

「どこで道草食ってんのかねぇ……あの野郎」

 

 

               ●○●

 

 

「せっしー、ポケットから何か落ちたよ~?」

「え?」

 

 教室の掃除当番を任されたセシリアが、今まで握った事すらなかったモップの扱いに苦戦していると、同じく掃除当番の同級生の1人が彼女に声をかけた。

 

「ああ、コレ? ご心配なく、ただのゴミですわ。ついでに捨てておいて下さる?」

「でもコレ、お手紙みたいだけど~?」

 

 そう言ってその同級生は手紙を拾い上げると、セシリアの前まで持って来る。

 

「はぁ……本当に困りますわ。何処の誰だか存じませんが、この様な子供の落書きみたいな文字で……」

「これ、落書きじゃなくて『草書体』だよぉ?」

「は? そうしょ……なんですの、それ?」

「え~とね、草書体ってのは……」

 

 草書体。

 結構な歴史を誇り、簡単に言えば文化の基本法則に則り文字を速く書くことができるように、普段教育で教えている一般的な物とは違い、字画を大幅にカットした文体である。文字ごとに決まった独特の省略をするため、形を覚えなければ読み書きすらできないのが特徴なのだ。

 今では滅多に使われず、日本人ですらマトモに読み書きできる人間は少ないモノを、イギリスからの留学生であるセシリアが読めないのも無理らしからぬことであった。

 

「今の日本では、目上の人とか、大事な人とかに送る時に使われる文章なんだよぉ~」

「だ、大事な人に……そうでしたの……」

 

 危なかった。自分としたことが、とんでもない勘違いをしていたようだ。

 このぐにゃぐにゃ文字が、そのような重要なモノだとは夢にも思っていなかった。

 これが噂の『東洋の神秘』と言われる奴なのだろうか?

 

「あ、ありがとうございますわ」

「いえいえ~。どういたしましてぇ~」

 

 しかし、それではこの手紙には何が書かれているのだろう?

 わざわざその様な文章を使うのだから、下らない怨み辛みとは一概に言い切れなくなって来た。

 なぜか、先程のマスコットの顔を縦にバックリ引き裂かないと開かない形になっている封を少し躊躇いがちに開き、封筒を捨て中を確認するが、やはり予想通り中も同様に草書体でセシリアには全く読めない。

 

「むむむ、困りましたわねぇ……」

「ん~、せっしー草書体読めないの~?」

「そ、そんなことは!?」

「だったら読んであげよっかぁ~? その手紙」

「え!?」

 

 とても以外な救援だった。

 セシリアはこの眠たげな眼をした同級生を、よく言えばのほほんとした。悪く言えば何も考えてなさそうな、こういった格式ばった物とは無縁の存在だと思っていたのだ。

 

「わたしの家ってね、仕事柄こういう文字をいっつも使うの。だから、わたしも小さい時から教えられてるんだぁ~♪」

 

 あんまり好きじゃないけどね~、とダボダボの袖を振り回しながら彼女は笑う。

 この好機を逃す訳にはいかない。セシリアは、できるだけ『自然な態度』で彼女に解読を頼む事にした。

 

「そ、それじゃあ『せっかく』なので今回だ・け・は・特別にお願いしますわ」

「はいは~い」

 

 素直じゃないなぁ~、と彼女はセシリアからそのぶかぶかな袖で器用に手紙を受け取ると、ふむふむと草書体に目を通し始めた。

 長々と書かれた力作に、目を通すこと数分後。

 

「なるほど~、そういうことかぁ~」

「なんて、書いてありますの?」

「ん~、誰が出したのかは書いて無かったけど、とっても簡単に言うとだねぇ、『今日の放課後、第3アリーナで待ってます』って書いてあったよぉ」

「今日の放課後に第3アリーナ!?」

 

 今日の放課後と言えば、もうかなり時間が経っているではないか!

 

「ッ! こうしては居られませんわ! えっと……」

「むふふ~、分かってる。掃除はわたしに任せて行ってきなよ、せっしー」

「恩に着りますわ!」

 

 同級生に礼とモップを渡すと、出口へと全力疾走するセシリア。

 

「頑張ってねぇ~~~~♪」

 

 袖の中の手を振りながら、同級生は彼女の背中にエールを送る。

 それを受けたセシリアの姿はあっという間に、1年1組から居なくなってしまった。

 

「……ふぅ、それにしても久々に草書体なんて読んだなぁ~」

 

 適当に独り言を言っても返す人間が誰も居ない教室は、何となく寂しいのでさっさと終わらせてしまおうと、やはりぶかぶかな袖で2本のモップを器用に操り掃除を始める同級生だが、

 

「それにしても果たし状かぁ、古風だねぇ……あれ? そう言えばわたし、せっしーにあれが果たし状だって言ったっけ?」

 

 先程の自分の言動に、沈思黙考すること少し。

 ここで彼女が己の間違いに気が付き、急いでセシリアの後を追ってこの事を伝えれば『あのようなこと』には決してならなかっただろう。

 

「まぁ、いっか♪ それより早く終わらせてお菓子食~べよっと♪」

 

 だが残念ながら彼女は、よく言えばのほほんとした、悪く言えば物事を深く考えない性格であった……。

 

 

               ○●○

 

 

 セシリア・オルコットの人生は、決して優しいものでは無かった。

 当然、人が人として世に生きる以上、人生という奴は誰にでもハードモードを突きつけるのは当たり前である。だが少なくとも、そんじゃそこらの同年代と比べれば、彼女が今まで歩んで来た人生は壮絶すぎるものがあった。

 名門貴族である実家の発展に生涯尽力した偉大な母と、婿養子という立場の弱さから誰だろうと卑屈であった父を早くに事故で亡くしたのを皮切りに、莫大な遺産を、築き上げて来た地位を、そしてオルコット家の誇りを汚さんと狙うハイエナ共と渡り合う為に、その貴重な青春を心身共に削る様々な勉学と訓練に費やし、ようやく代表候補生という椅子にまで辿り着いたのだ。

 自分が最高レベルの重役であるイギリスのIS操縦者代表にさえなってしまえば、オルコット家の名は世界に轟き、その基盤は確固たる物となり、吸収を目論むハイエナ共も尻尾を巻くしかなくなる。それが彼女の目論見であった。

 故に、例えどのような壁が立ちふさがろうと、彼女に敗北や後退などは許されない。

 敗北はオルコット家の破滅。しいては、自分自身の破滅。

 誰にも頼らず、誰も信じず、一度の失敗すら許されないたった独りの決死行。

 そんな孤独な道筋に今、1つの転機が訪れようとしていた……。

 

 

              ●○●

 

 

 セシリアは廊下を速足で歩き、先程の手紙の内容をリフレインさせていた。

 待ち受けているであろうこの生涯、初めてのイベントに嫌でも顔に血が昇り、息が荒くなり、心臓が張り裂けそうになる。

 そう、きっと違いない。

 あの手紙は名門貴族であり、イギリス代表候補生でもあるこのセシリア・オルコットへ叩きつけられた、

 

 

 

(ら、ラ、ラ……『ラブレター』……ですわよね……)

 

 

 

 どうしてこうなった。

 先程の暗いモノローグが台無しな今世紀最大の勘違いを孕んだまま、セシリアは悶々と手紙のことについて思いを馳せる。

 まず、あの草書体と言う文法。

 あのクラスメイトが言うには、滅多に使われない『大事な人』に送る時に使う文字……。

 つまり、これはきっと『本当に愛する人』に手紙を送る時に使われる文法なのだろう。

 彼女の両親はきっとこの、真実の愛を伝える文法を皆に教える崇高な仕事についているのだ。

 

(そ、その様なモノで書いて来たということは……やはり間違いありませんわ)

 

 もう本格的に火照りが止まらない顔をブルンブルンと振って、無理やり冷まそうとする。

 間違いなのはその無駄に豊かな発想力なのだが、それを彼女に嗜めることかできる存在は今、おやつのドーナツを幸せそうに頬張っており不在である。

 

(でも、宛名がありませんでしたし……一体どなたが……)

 

 ぱっ、と思いつくのは、この学園唯一の異性である彼だ。

 だがあの人をバカにした態度を取る、代表候補生すら知らない明らかに学の無さそうな無礼者が、この様な由緒ある文字で手紙を送って来るだろうか?

 それに彼とは6日後、大ゲンカの末に決まった決闘が控えている。

 今から決闘する相手に恋文など送るだろうか? 

いくらなんでも、それは無いだろう。戦う相手と相思相愛になっても、やり難いだけだ。

 そう冷静に判断するセシリア。できれば、もっと根本的な所を冷静に見つめ直して欲しい。

 

(で、でででは、送り主はじじじ『女性』……!?)

 

 あの厚顔無恥ではないとすれば、自然とそうなってしまうのだ。

 このIS学園には生徒どころか教員も、用務員1人を除いては女性しか居ないのだ。

 その用務員も既婚者だと聞いているし、流石に彼では無いだろう。

 となれば、残るのは女性しかありえない訳で……。

 

「ふ、不潔ですわ!」

 

 思わず声を大にして叫んでしまい、周りが何事かと視線を向けるが、今の彼女にはそれすらも意識の外だ。

 いくら彼女が女尊男卑主義であろうとも、流石に一般常識ぐらいはある。

 女は、男と交わり子を成す。それが自然の摂理だと言うのに、女同士だと?

 不潔だ、邪道だ、我々をお創りになった神に対する冒涜だ。

 だが、それだというのに……

 

(何故!? なんで、こんな……胸の高まりが止まりませんの……!!?)

 

 彼女は、孤独だった。いや、孤独であろうとした。

 耳元で甘い言葉をささやく男は皆、自分の向こうにある遺産しか見えておらず、女もさして変わらない。ささやく甘言が愛情か、友情かの違いだけだ。

 誰も、この『セシリア・オルコット』という人間を見ようともしない。

 だから拒絶した。誰が、貴様らのようなプライドも誇りも無い犬畜生共になびくものか。

 何を考えていようか知った事か。ありとあらゆる人間を拒み、見下し、はね除け続けた彼女であったが、そのじつ、心は誰よりも深く『愛』に飢えていた。

 愛したい、愛して欲しい、本当の自分を見て欲しい。

 その役目を果たすべきであった両親は、彼女の物心つく前に他界し、代わりに彼女が今まで愛し続けたのは『オルコット』という名であった。

 『オルコット』の為なら何でもできる。たとえ、泥水をすすり、戦火へ飛び込み、血川にこの身を汚す事となろうとも悔いは無い。

 しかし、所詮『オルコット』は名前だ。それ以上の存在になど成れはしない。

 苦楽を分かち合う事も、彼女の身体を優しく抱くことも、その名前を……『セシリア』の名を呼ぶことも無い。

 それを心のどこかで悟っても、彼女はただ妄信的に『オルコット』を信じ続けた。

 そうしなければ、自分はその足で立つことすらできない弱虫だから。

 

 そんな彼女に、『真実の愛を告げる』手紙は訪れた。

 もしかして、この人なら自分を、こんな情けない自分を愛してくれるのだろうか? 

 性別など関係無い。抱きしめて、苦楽を分かち合って、優しく真っ直ぐに目を見て自分の……『セシリア』の名前を呼んでくれるのだろうか?

 

(…………確かめなくては)

 

 もう一度、もう一度だけ、誰かを、信じてみよう。

 彼女は息を整え、彼女は運命の扉をゆっくりと……開いた。

 

 

                 ○●○

 

 

 ようやく御出でなすったか。

 姫燐は丁度サビに差しかかったヘヴィロックが響くヘッドフォンを外して首に掛けると、開いた扉を、正確にはその扉を開けた人物を見遣った。

 

「よぅ、重役出勤ごくろうさまなこった。セシリア・オルコット」

「あ、あなたは……朴月 姫燐さん?」

「おお、オレの名前を憶えていてくれたとは、光栄だねぇ」

「え、ええ。なにせ、あのクラスでは唯一、わたくし以外で専用機を持っているお方ですから……」

 

 それに、昨日の食堂で壮大に目立ちまくってましたし……という言葉に片手でおでこを抱えながら、テンションが上がると周りが一切見えなくなる自分を戒める姫燐。

 

「頼む……昨日の事は今すぐ忘れてくれ」

「わ、わかりましたわ……」

 

 ……あれ? おかしいな。

 コイツの性格なら、ここで「はん、専用機持ちの恥さらしですわ。このダニが!」と嫌味の一言でも飛んでくるだろうと思っていたのだが、何時の間にこんなにも謙虚な性格に生まれ変わったのだろうか?

 まぁ、殊勝な態度に関心するがどこもおかしくはない。と、姫燐は話を続ける。

 

「で、お前はアレを読んだから、ココに来たんで間違いないな?」

「た、確かに、読ませていただきましたわ……」

「だったら……話は早い」

 

 姫燐はヘッドフォンを外し、太陽のアクセサリーが付いたチョーカーに触れ、叫んだ。

 

「IS起動。Go for it『シャドウ・ストライダー』」

「えっ!?」

 

 その瞬間、彼女の身体は宙に浮き、チョーカーから強烈な光が迸る。

 次々と展開されていく装甲が、瞬く間に彼女の全身を覆い隠し、先程までタダの少女だった姫燐の姿は、鋼鉄の機人へと変貌していった。

 ISにしては非常に珍しい全身装甲(フルアーマー)タイプ。黒に近い蒼色を基調とした、無骨な装甲が随所に散りばめられてありながらも、しなやかな女性の肉体を思わせるデザインだ。

 両籠手には、羽のような形状をしたブレード付きの、腕より一回り大きいガントレットが装着されており、両脛にも同様の足用パーツが付いている。

 美少女と言えた顔を完全に隠すフルフェイスからは、彼女の象徴でもある燃え上がるような赤い髪が、平時より伸びて腰位までのポニーテールのように突き出ており、金色に淡い発光をする2つのカメラアイからは無表情だというのに、見る者の背筋にナイフを突き立てられたかのような悪寒を走らせる。

 ヘッドフォンを持っていた筈の右手にはいつの間にかボロボロの赤いマフラーが握られており、それを首に巻くのが、車で言うキーを差し込む動作だったかのように、カメラアイが点灯し、周辺の大気が震えた。

 もし、この世に『闇夜を馳せる女神像』というものが有るというのなら、このような姿をしているのだろうか。

 

 これが、これが彼女の専用機。『シャドウ・ストライダー』……!

 

「悪いが、オレはお前の事をまだ何にも知らないんでね。相手になってもらうぜ、セシリア・オルコット」

 

 腕を組み、堂々と宣戦布告を言い渡す姫燐。

 その雄々しくも壮麗な姿に、思わず息をのむセシリアであったが、彼女の言葉でようやく本来ここに来た理由を思い出した。

 自分は、告白を受ける為にここに来たのでは……?

 

「で、でも……」

「安心しな。この第3アリーナは貸し切りにしてある」

 

 本来は今日の放課後は3年生の先輩方が使う予定であったが、全員に袖の下(一夏のスナップ写真。全15種類)を送ると皆快く会場を明け渡してくれた。全く、モテる男は便利である。

 しかし、まだここを伝説の木の下だと勘違いしているセシリアには、彼女の意図が上手く伝わらない。

 なぜ彼女は告白どころか、自分に向けて臨戦態勢をとっているのだろうか?

 これは一体……、

 

(……ハッ! そう、そう言うことですのね……)

 

 ようやく彼女は事の次第を理解し、自分のイヤーカフスへと手を掛ける。

 

「分かりましたわ。IS起動、行きますわよ『ブルー・ティアーズ』!」

 

 瞬間、彼女のイヤーカフスも姫燐のチョーカーと同じように眩い輝きを放つ。

 姫燐と同じように、装甲が次々とセシリアの身体を包んで行き、『青き雫』はその姿を現した。

 姫燐のシャドウ・ストライダーとは違い肌は露出しており、汚れない海のように清らかな青い装甲と、宙を浮く数機のユニット。そして巨大なレーザーライフル、『スターライトmkⅢ』を両手で構えたその可憐な姿は『青の雫』の名に相応しい機体だ。

 

「ほぅ、射撃型か……んで、その横に浮いてるのはBT兵器(ビット・ウェポン)ってところか」

「ふふっ、どうかしら? あなたこそ、見た所は近接型の様ですわね。射撃型であるこのブルー・ティアーズとは相性が悪いのではなくて?」

「さぁね。一皮剥けば、実は内蔵火器のオンパレードかもしれないぜ?」

 

 くくくっ、と仮面の下で悪役の様に笑う姫燐。

 

「さぁ、来いよ。お前の力を見せてみろ」

「それではお言葉通り、わたくしの全てをお見せして差し上げますわ!」

 

 ……はて? やはり何かおかしい。

 この様に高圧的な態度に出てやれば、オルコットのような高慢ちきはすぐにバカにされたと思い冷静さを失うのだが、今日の奴は何と言うか……非常に素直なのだ。

 まるで、とても親しい人と触れ合っている時のような……。

 

 その姫燐の予想は、当たらずとも遠からずという奴であった。

 

(絶対に、認めさせてやりますわ。このセシリア・オルコットの存在を!)

 

 そう、彼女は事の次第を理解していた。壮大に間違った方向に。

 お前の事をまだ何も知らない。当然だ、自分と彼女はまだ会って3日しか経っていないのだから、何も知る訳が無い。故に彼女は、この様な手段に出たのだ。

 拳と、拳で語り合う。

 昔、家にあったので興味本位で読んだ日本の少年マンガで得た知識が、こんな所で役に立つとは思わなかった。

 男って、野蛮な生き物ですのね~。と、この時は流し読みしていたが、今ならこの気持が少しは分かるような気がする。

 

 きっと彼女は、とてもシャイなのだ。

 

 タダでさえ告白には勇気がいるのに、女が女に告白するというのは常人が持ち合わせない程の並々ならぬ勇気がいるであろう。

 だから彼女はこのような回りくどい手段に出たのだ。

 自分の気持ちを少しでも伝え、そしてわたくしの心を少しでも知るために。

 今思えば、代表候補生を決める立候補の時にも、彼女はそれを裏付ける行為をしていた。

 熱烈な視線も、あの謎の踊りのような物も、今思えばきっと自分に好意を伝えたかったが故の行動だと彼女は悟る。

 そんな不器用で、だけど真っ直ぐに自分の事を思ってくれる彼女に愛おしさすら覚えてしまう。

 

(ですけど……!)

 

 それはそれ、これはこれだ。

 今は、全力で彼女の気持ちに答える。それが今の自分に出来るベストだ!

 

「踊りましょう、このセシリア・オルコットとブルー・ティアーズが奏でる円舞曲で!」

 

 そうして、セシリアは己の翼と共に空へ舞い上がる。

 

 致命的かつ奇跡的な勘違いを抱いたまま……。

 

 

                ●○●

 

 

 まず先手を打ったのは、セシリアだった。

 

「喰らいなさい!」

 

 セシリアは戦闘を開始してから直ぐに相手との十分な距離を確保すると、空中からスターライトでまだこちらを見上げたまま地上を離れない姫燐に向け発射する。

 それでも彼女は両手をぶらん、とさせたまま微動だにせず、ただ襲いかかって来る凶弾を眺めるのみ。

 

(なぜ、避けようともしないのかしら……?)

 

 もしや、彼女のISは防御に特化しているのだろうか。

 しかし、それでも光学兵器を完全に無効化できる装甲など聞いた事が無い。

 当たっても軽いかもしれないが、それでもまずは着実にダメージを……。

 そう考えていたセシリアの思考は、姫燐の手刀によって『弾丸ごと』縦に叩き斬られた。

 

 ギャイン!!

「はぁ!?」

 

 真っ2つになったレーザー弾は姫燐の斜め後ろへと反れて行き、地面に当たって消滅した。

 あっけに取られるとは、まさにこの事であろう。

 レーザー兵器の利点は、その弾速の速さと防御の難解さにある。

 実弾とは比べ物にならないスピードで飛来し、熱線によって相手をぶち抜く。

 防御するには、その超スピードを見切り回避するか、同じように光学兵器で相殺しなければならない。それを見てから叩き落とすなど、ハッキリ言って人外の技だ。

 だというのに、それを彼女はいとも簡単にやってのけた。

 にわかには信じがたいが、まだ弾速を見切ったのはまだ分かる。

 だが、光学兵器を搭載していない様に見えた彼女の機体が、一体どうやってビームを弾いたのだ……?

 

(……ッ! あ、あれは!)

 

 ブルー・ティアーズの情報コンソールが、姫燐の姿をズームで映し出す。

 先程の危機など何のその。赤いマフラーをなびかせ、威風堂々としたその姿は不変で……いや、変化はあった。強烈な変化が。

 

「右手が……光ってる……?」

 

 そう、先程レーザーを弾いた右手が黄金色に発光していたのだ。

 恐らく、手にエネルギーを纏わせ、膜のようにして作っているのだろう。

 確かに、この状態ならレーザーを叩っ斬る事だって不可能ではない。

 だが、それでも……

 

(この様な機体、見たことも聞いた事もないですわ!)

 

 湧き上がる隠せない焦りと共に、更に何発か連射するが今度は左腕も同様に発光させた姫燐に全て叩き落とされてしまう。

 

「どうした? ストレートだけじゃ、バッターは打ち取れないぜ?」

 

 軽口を叩き、パンパンと手を叩いて挑発する姫燐。

 いくらでも隙は有っただろうに未だに一歩も動いていないという、完璧に人を舐めくさった態度に、普段のセシリアなら間違いなくライフルをクラッシュさせん勢いで激昂していただろうが、今の彼女には通用しない。

 セシリアは自分を、正確には自分の更なる猛攻を誘っていることを理解していた。

 

(彼女は、わたくしを試している……ならば!)

「お望み通り、変化球ならどうかしら!?」

 

 彼女の声に反応して、腰のあたりに搭載されていた自分の機体名でもあり、最大の特徴。BT兵器『ブルー・ティアーズ』が4機発射された。

 彼女の脳波に反応して動き、縦横無尽に空を駆ける小型機が姫燐を囲み、発射態勢に入る。

 例えどれほど反応速度に優れていようとも、180度の4機同時オールレンジ攻撃を2本しかない腕で防ぎきることなど不可能だ。

 

(今度こそ、当てさせて貰いますわ!)

 

 だが、その目論見はまたしても発射された『弾丸と同時に』空振りする事となる。

 

「へっ?」

 

 消えた。そうとしか言いようが無かった。

 確かに捕らえていた筈の姫燐が、先程まで佇んでいた黒い影が、発射を命令したとたんに、その姿を消していた。な、何を言ってるのか分からないかも知れないが、セシリア自身も何が起こったのか分からなかった。

 

「な、なにがどうなって……」

「超スピード。悪いがタネも仕掛けも世界もない、チャチな芸当さ」

「ッ!?!?」

 

 肩に手を置き、耳元でささやく声に背筋が、いや身体の全てが一瞬、凍りついた。

 バッ、と後ろを振り向くのと同時に、また彼女は地面へと落ちて行く。

 い、一体いつの間に背後を取られたのだ!?

 さらなる思考の混沌へ陥るセシリアに、姫燐は淡々と説明を始める。

 

「お前はさっき、このシャドウ・ストライダーを近接型って言ったな?」

 

 姫燐は着地すると同時に、また腕にエネルギーを充填する。

 

「惜しい、悪くない着眼点だ。確かにこの子は接近戦が得意だが、正確には少し違う」

 

 背を屈め、両腕を後ろに向けると、更にエネルギーを腕部に集中させていく。

 

「この子、シャドウ・ストライダーは……」

 

 そうして限界までチャージし、エネルギー膜がまるで某ネコ型ロボットの様に球体状に膨れ上がった状態になったせいで、あらぬ方向に暴れる両手を必死に制御しながら、

 

 

「バッリバリにイカしてイカれた、『超高速スピード型』さぁぁぁァ!!!」

 

 

 その理性とチャージを、ブッ千切った。

 

「モードチェンジ・『カーテンコール』! ぶっ飛べ! シャドウ・ストライダぁァァァ!!!」

 

 ドラ○もんハンドが爆発し、溜まりに溜まったエネルギーが間欠泉のように姫燐の腕から溢れだす。その力を利用して、姫燐は文字通り地面を『ぶっ飛んで』行く。

 

「イィィィィィヤッハアァァァァァァァァぁぁぁぁぁ!!!」

 

 狂気すら……いや、狂気しか感じない奇声を上げながら知覚すら困難なスピードで大地を馳せる姫燐。そのイカれた速度は最新鋭機である第3世代のスピードが、まるで三輪車であるかのような錯覚すら覚えてしまう。

 先程の超スピードは、これをチャージせずに発射した状態で出した物だった。

 無論、フルチャージには劣るが、それでもイグニッションブースト級の爆発的な加速を得る事ができるのでセシリアが消えたと錯覚するのも無理も無い。

 

「む、無茶苦茶ですわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 原理は分かったが、訳が分からない状況に、セシリアも叫ばずには居られなかった。

 この狂気の産物を前にして、ヒステリックに叫ぶなという方が無茶ではあるが。

 しかも、恐ろしいことに彼女はこれを、この暴走と言っても全く問題ない状態のISを己が思うまま制御しているように見える。じゃないと、未だに壁にぶつからない理由が他に思い浮かばない。

 

(わ、わたくしは夢を見ていますの……? それも、悪い夢を……)

 

 ところがどっこい、これは現実……紛れもない現実である。だからこそ余計にタチが悪い。

 とうとう様子見に飽きたのかセシリアの居る空中へ、腕を下に向け急上昇する姫燐。

 当然、壮大に朴月シャウトを響かせながら。

 

「こ、来ないでぇぇぇぇぇ!!!」

 

 半狂乱なセシリアが涙目になりながら悲鳴に近い声をあげ、腰部に付けられた2本のミサイルランチャーを放つ。

 だが、それすらこのスピード・バーサーカーには届かない。

 

「遅イぃ! 遅すぎるぜミサイルさんよォ! もっと死にモノ狂いで頑張れよォ!?」 

 

 ミサイル達も逃げ回る姫燐のバックに必死に食らいつくが、それでも出力が違い過ぎる。

 あっという間に置いて行かれ、目標をロストしてアリーナの上空に張られたバリアーに激突し、爆散した。

 一歩間違えればこうなるのは彼女の方だと言うのに、それでも頭の大切なネジを全部クーリングオフした狂人はケラケラと笑い続ける。

 

「い、嫌ぁァァァァぁァァァ!!?!?」

 

 そして、逃げ回る所を狙い撃ちしようとスターライトのスコープを覗いていたセシリアが、姫燐『だった何か』の急接近に悲鳴を上げ……。

 

 激しく咲き誇った花火は、音も無く散り逝くのみ。

 決着は、先程の乱痴気騒ぎが嘘のように、あっさりとついた。

 

 

                  ○●○

 

 

「おぇ……気持ち悪……」

 

 あの壮絶な戦いの後、姫燐は逆流しそうな胃の中身と格闘しながら、夕闇照らす寮への道のりを1人淋しく歩いていた。

 ああ、どうして自分はいっつもこうなんだろう。

 ケンカとなれば、いっつもテンションがレッドゾーンまで簡単に吹っ切り、壮絶な自爆をしてしまう。

 今回はまだ相手が振られても大丈夫なオルコットだからよかったモノの、これが篠ノ之だったら多分1週間は立ち直れなかっただろう。

 あんなモン見て、ドン引きしない女子など居ないだろうから、もはやセシリアとの関係修復は絶望的だろうか。今日の謙虚なオルコットならまだ自分の好みにギリギリ滑り込みセーフだったのだが、惜しい事をした……。

 

(しかし、今回の目標は無事に達成したから良しとしよう。うん)

 

 そう今回、彼女がセシリアに果たし状を送った理由。

 それは全て、6日後に控えた一夏とセシリアの決闘の為であった。

 初心者の一夏がセシリア勝つには、事前対策が必要不可欠だ。

 だが、セシリア本人にお前の機体の事を教えておくれ。と言った所で、つっ返されるのがオチだろう。

 当然、敵のデータが無ければ対策など立てようが無い。

 だから今回、姫燐が戦ってでも、セシリアの正確な情報を入手しておく必要がどうしてもあったのだ。

 まぁ、結果は色んな意味で散々だったが。世界がまだ一方向に定まらないし。

 しかし、やっぱり気になるのはオルコットの態度だ。

 オレと一夏が仲良い事を知らない筈が無いし、故に、絶対に断られると思ってたので、相手をその気にさせる挑発のパターンを108式まで考えて来たのだが、その大半が無駄になってしまった。

 なんでアイツは、自分に不利益しか無いはずのこの戦いを2つ返事で受けたのだろう?

 

(まぁ、考えてもしかたない、か……)

 

 何にせよ、データは手に入った。あとは、一夏と今後の事について話し合うだけ……

 

「お待ちしておりましたわ……朴月さん」

「…………あ?」

 

 ゾンビのような顔色と共に揺れる足取りがようやく寮の玄関にさしかかった所で、自分を待つ意外な姿があった。

 パツキン残念美人代表。セシリア・オルコットである。

 しかし、その眼には涙を溜めており、今にも溢れだしてしまいそうだ。

 

「……なんだよ」

「教えてくださいまし。なぜ、ですの……なぜ……」

 

 涙声になりながら、オレに答えを求めるオルコット。

 あー、やっぱりアレが納得いかなかったのか。無理も無いことだ。

 

 結果的に言えば、オレはオルコットとの勝負に負けた。

 

 理由は簡単、ガス欠である。

 学校で決められたIS同士の戦いのルールは、相手のシールドエネルギーを0にする事で勝利となる。

 そして、オレの機体。シャドウ・ストライダーが最後に使ったモード『カーテンコール』は、文字通り最後の手段であり、機体の全エネルギーを腕にぶち込む変態モードだ。

 んで、今回はデータも取ったしもういいや。と、こんな時くらいしか使う機会ないし、ワザと負ける為に発動し、テンションの赴くまま壮大に暴れて、壮大にセシリアの真正面でガス欠して、壮大にライフルで腹をパンされてはい、お終い。自業自得とは言え、正直シャレにならない痛さだった。

当然、セシリアからしてみれば、最後の最後までコケにされたようにしか見えないだろう。

 それがよっぽど悔しいのか、オレが帰って来るまでずっと待っているとは……。

 だが、オレだって決してデータ収集のためだけに手を抜いていた訳ではない。

 

「今日は……本当に悪かったな、オルコット。だけどな、オレはお前に勝ったら……ダメなんだ。勝つのは……一夏じゃないといけない」

 

 そう、オレがお前に勝つのは、一夏の奴が勝ってからだ。そうしないと、意味が無い。

 これはアイツの喧嘩だ。サポートこそすれ、オレが代わりに戦って勝ってしまったらアイツの怒りは何処に向ければいい。

 オルコットからしてみれば勝手な言い分さ。だけど、そういうモンだろ?

 

 ケンカって奴は、本人同士で決着を付けないと無意味なんだ。

 

 とっさの言葉だったので、上手く伝わったかどうか不安だったが、オルコットの涙が止まっている所をみると一応は伝わってはいるみたいだ。

 

「じゃあな、6日後。楽しみにしてるぜ……」

 

 そうして、オレは彼女に心の中で土下座し、オルコットを置いて寮の中へと入っていった。

 

             

                   ●○●

 

 

 残されたセシリアは、1人決意を新たにしていた。

 あの後、頭から落下した彼女が意識を取り戻した後、何も言わずに立ち去ってしまったため、絶望に打ちひしがれていた。

 認めてもらえなかったのか……やはり、自分はどこまでも孤独なのか、と。

 それでもなぜ、自分はダメだったのかと、せめて理由だけでも聞こうと玄関で待ち伏せしていたのだ。

 そこで帰って来た姫燐に、涙声でハッキリとは言えなかったが意志はちゃんと伝わったらしく、彼女は心底苦しそな顔だというのに優しく諭してくれた。

 

「オレは勝っちゃダメなんだ。勝つのは一夏でないといけない」と。

 

 つまり、姫燐は自身がこのセシリア・オルコットに相応しくないと思ったのだ。

 本当に相応しい、勝者になるべき人物は織斑一夏だと言う。

 冗談ではない! 自分の事を本気で大切に思ってくれる人間と、あの案山子以下、自分がどっちを選ぶと思っているのか! 

 ……確かに、あの異様なテンションに引いたのは確かだが、それでもこの気持は変わらない。未来の嫁の欠点1つ許せないで、何が名門貴族か!

 

(見ていてくださいまし、朴月さん……いや、姫燐さん!)

 

 6日後、織斑一夏の奴をケチョンケチョンにした後で、わたくしは貴女にこの気持を伝えます。

 

 

 その時は、今度こそ貴女の腕で……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方同時刻 一夏と箒の部屋。

 

「なぁ……はぁ……ハァ……はぁ……箒……ヒィ……さん……」

「ん、どうした一夏! ペースが落ちてるぞ!」

「む……ムリ……放課後から……ハァ……ずっと腕立て……フゥ……いつまで……」

「情けない。お前はその程度の男ではないだろう! さぁ、あと腕立て42731回、頑張るんだ!」

「も……無理……千冬ね……キリ……助け……」

「バカ者! トレーニング中に女の名前を呼ぶなど、死にかけの甘ったれが言う台詞だ! ま、まぁ一夏がどうしてもと言うなら私の名前なら呼んでも……」

 

 結局、このトレーニングは本日の成果を伝えに来た姫燐が、無理やり箒をドロップキックで止めるまで続いたという……。


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