IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第24話「逆襲ののほほん」

「いいか箒、世の中はスピードこそが全てなんだ。分かるな?」

 

 半日で授業が終わり、それぞれが思い思いの時間を過ごす放課後。

 自室に帰る道すがらに振るわれる姫燐の熱弁に、その横を歩くルームメイトの箒は納得できる部分もあると頷いた。

 

「ふむ、確かに一理あるかもしれんな」

「だろぉ、箒もよく分かって」

「確かにどれほど正確無比な一撃だろうと、速度が無ければ当たらない。だが姫燐、余り速度を乗せ過ぎればどうしても剣閃に精細を欠いてしまうぞ? この比率をどう調整するかこそ、一刀に置いてなによりも重要な」

「ねぇな、サッパリ」

 

 コイツの頭には一夏と剣術しかないのだろうかと、そんな憂慮に落ちた肩を張り直して、姫燐は話題を仕切り直していく。

 

「戦いのことじゃなくてだなぁ、オレが言いたいのは出会いの話だ」

「出会い? シャルルとの……か?」

「ザッツライト!」

 

 一回りさせられたが、そんなことを歯牙にもかけずにテンションのボルテージを一人吹き上げながら姫燐はくるりとステップターンを踏み、

 

「そう! 第一印象は『ほぼ』完璧と言っていい出来だった。だが、そこで油断しちゃぁいけない! 更に親密度を上げる為に、ここですかさず追撃を入れるのが匠の仕事って奴だ」

「……? つまり、どうするのだ?」

 

 こういった駆け引きに疎い箒は友の言いたい事が分からず、足を止めて尋ねる。

 

「次は、意外な一面――ようはギャップ萌えって奴を見せるのさ」

「ギャップ……萌え?」

「そうさ、普段は気丈に振る舞うあの子が、ふと見せるか弱さ! ってな感じに、抱いていたイメージとは別の一面を見せる。意外性や多面性って奴は、時としてとんでもねぇ萌えを産むんだよ」

「……ふむ、なるほどな」

 

 彼女の持論に心当たりがある箒は、自身の『実体験』を元に感心し、唸る様に同意した。

 

「確かに落ち込んでいた時のお前には、そそられるものがあったな」

「…………へっ?」

 

 浮き足立ちっぱなしだった姫燐の足が、その一言でピタッ、と地面に縫い付けられる。

 

「いつものお前は、下手な男子よりも男らしいからな。そういった印象が先行していたが、普段からは考えられんいじらしいお前の姿は、中々どうして女の私でも可愛げがあると」

「可愛くねェ!!!」

「むおっ」

 

 声を荒げながら姫燐は一瞬で箒の眼前に詰め寄り――ハッと己の失態を取り繕うように、慌てて腰に手を当ててモデルのようなポーズを取りながら、

 

「そっ、それは違うだろホーキィ? 確かにオレが下手な男子よりカッコいいのは事実だが、可愛いはねぇだろ可愛いは? オレに似合うのは……えっと……そうだ、セクシーだとか、スタイリッシュだとか、クールだとか」

「しかし姫燐。私なりに考えた結果だが、教えてくれたギャップ萌えとやらを一番体現しているのは、やはりお前を置いて他ならないと思うのだが」

「だれが総受けキャラだ誰がぁ!?」

「そんなことは一言も言っていないが……それでもだ」

 

 真っ赤になりながらよく分からない事を言いムキになる友人の頭に手を置いて、素直じゃない子供をあやす様な目をしながら箒は率直に切り捨てる。

 

「ふむ、やはり客観的に見ても、姫燐はとても可愛い奴だと思うぞ」

「ぐっ、ぐぬぬっ……可愛くねェってのに……」

 

 箒としては、真っ直ぐに友人の長所を褒めているだけに過ぎないのに、渋い反応ばかり返されてしまい、どうにも釈然とせず眉をひそめた。

 一方の姫燐は、口ではもう何をいっても名誉挽回できそうにないと判断し、頭に乗せられた手を振り払うと見えてきた自室の扉を開き、その前で大々的に宣言する。

 

「いいぜ、ならまずそのふざけた幻想をブチ壊してやる! 今から見せるオレの本気ファッションに……惚れんなよ?」

「ははは、そうだな」

「……てんめェ……マジ見てろよ……」

 

 いつか絶対に一夏から寝取ってやる。

 完全に保護者特有の穏やかな笑みを浮かべる友人を背に、無謀な野望を心中に掲げながら姫燐は大股で自室に入っていく。

 元々箒の私物が少なかったため、増えたのは彼女のベッドと最低限の調度品ぐらいだったが、彼女と相部屋になると聞いてから徹底的に掃除された部屋は、かつてゴミ屋敷一歩手前まで行きかけたとは思えないほどに広々として小奇麗だ。

 その分、収納には時間的にも物理的にもかなりの突貫を強いられ、今でもクローゼットの中に無理に押し込んだだけの物品がかなり在るのだが――姫燐が「明日から頑張る」の精神を掲げる限り、永遠に片付くことはないだろう。

 そんな現実ごと制服の上着を乱雑にベッドの上に投げ捨てながら、対象的にキッチリとシワ一つなく無く脱いだ制服をハンガーに掛ける箒に彼の予定を尋ねる。

 

「そいや、一夏の奴はどうするって?」

「うむ……なにやら朝から虫の居所が悪いみたいでな。授業が終わったら、そそくさと何処かへ行ってしまって……」

「アイツが? 珍し」

 

 社交的な好青年を絵に描いたような奴である一夏が、箒に行き先すら告げずに何処かへ行くなんて珍しい事もあるもんだと、姫燐は意外そうに目を丸めた。

 色んな出来事こそあったが、この数か月で彼の表裏ない性格は姫燐もよく知っているつもりであり、だからこそ少し何があったのか気にかかったが――

 

「ま、アイツも男だからな。色々と溜まっちまうんだろうさ」

「む? 男だと、何が溜まるというのだ?」

 

 そう尋ねながら、箒は制服の下に来ていたインナーを脱いで、シンプルな薄桃色の下着姿を外気に晒す。

 年齢的に考えて明らかに規格外なオーバードウェポンの巨峰が揺れ、下半身の桃は芸術的なまでの曲線を描いている。さらにお肌は白百合のように汚れ一つなく、出ている所は徹底的に出ているのに、引っ込んでいる所はシッカリと引っ込んでいるという、無理を通して道理を蹴散らしたワガママボディは……

 

「なぜ鼻を摘んで上を向く?」

「いや……ちょっと一夏のチャージインを、オレも味わってるというか何と言うか……」

 

 姫燐はこの性犯罪誘発ボディと2カ月以上相部屋で、何の問題も起こさなかった一夏に果てしない尊敬の念を覚え――そして同時に、今度は自分がこの性犯罪と戦わないといけない宿命に立たされたことに、武者震いを禁じえなかった。

 

「……どのくらいならスキンシップで誤魔化せっかな……」

「んっ、姫燐?」

「あ、いやなんでも。さーオレもさっさと着替えねぇとなー」

「いやそうではなくて、なぜ……」

 

 着替えが終わってもなお食い下がる箒をスルーして、姫燐もさっさと着替えてシャルルの所へ行くためにクローゼットへ足を運ぶ。

 既にその頭にあるのは一夏のことでも、今後の私生活でもなく、シャルルと箒を両方唸らせる事ができるファッションはあるだろうかという懸念と高揚感だけであり、それ以外の全ては蚊帳の外であった。

 そう、全て――

 

「『彼女』が私達の部屋に居るんだ?」

 

 いつの間にか自身のクローゼットの前に立ち塞がっていた、

 

「ぶすー……」

 

狐のようなキグルミを着て、その頬を膨らませる昔馴染みの事すらも。

 

「………………ふぁいっ!?」

 

 ジャスト3秒の間を置いて、目の前に居た予想外すぎる侵入者を認識した姫燐が、思いっきりバックステップで距離を離す。

 

「ほ……本音っ!? な、なんでお前、オレ達の部屋に?」

「ぶっすー…………」

 

 いつもは眠たげに開いているのか閉じているのか分からない目を、今はしっかりと見開きながら不機嫌そうに姫燐を見据える彼女の幼馴染――布仏本音は、ぶっすーと分かりやすく不機嫌を露わす言葉以外なにも喋らず、ただ彼女のクローゼットの前に立ち塞がる。

 

「あー……本音? そこ退いてくれねぇと、オレ着替えられねぇんだけど……」

「ぶっすぅぅぅ……」

 

 貴様と話す舌など持たん、と言わんばかりの強硬姿勢。

 数か月の付き合いとはいえ、いつもニコニコと微笑み、どんな時でものほほんとしたオーラを崩さなかったクラスメイトの意気地なディフェンスは、鈍い箒をしても得体のしれないプレッシャーを感じずにはいられず、ヒソヒソと姫燐の耳元にささやきかける。

 

(お前……布仏に何かしたのか……?)

(い、いや……怒らせるようなこたぁした覚えねぇんだけど……)

 

 だが、火のない所に煙は立たず。

 姫燐にもそれは分かっているため、とりあえず話だけでも聴くために、彼女の怒りを鎮火させる最も手っ取り早いオフェンスに打って出る。

 

「分かった分かった。買って来てある今月の限定品『パン・デ・リングお好み焼き味』オレの分もやるから……」

「いらないっ」

「…………な」

 

 プイッと、一言。

『いらない』の一言だけで苦笑いしつつ冷蔵庫に向かっていた姫燐の足が急反転し、

 

「そんなの、いらないもんっ」

 

血相を変え跳びかかるように本音の肩に掴みかかり、

 

「ほっ……ほんちゃん!? おおま、お前がお菓子要らないって熱!? 風邪!? それとも変なモノ拾い食いした!? あああど、どうしお腹ッ!! お腹痛くないか!? か、かた姉とうつ姉に言わなきゃでも番号知らな医者! そうだ医者だ、ほんちゃんを医者に連れてぇぇぇぇ!?」

 

 動乱、狂乱、大混乱。

 涙目になって手を額に当てたり、おでこをくっ付けたり、お腹に耳を当てたり、携帯を取り出して姉達に番号聴いて無かったことを思い出したりと、七面相のてんやわんやの大慌て。

 だが、そんな色々台無しな姫燐とは裏腹に、肝心の本音はむっつりとしていた表情から、

 

「やっと……呼んでくれた」

「ぽへっ!?」 

 

いつもの朗らかなのほほんスマイルを浮かべて、

 

「やっと、『ほんちゃん』って呼んでくれたね」

 

ギュッと姫燐に抱き付いた。

 

「えへへぇ」

「へっ、お腹とか痛く…………あっ!? いや、これはその、違っ」

「嬉しいよぉ、ひめりんっ♪」

「や、め、ろ!」

 

 自分の失態を反省する間もなく、唐突な奇襲をしかけてきた黒歴史ごと引き剥がす様に本音から距離を取って、姫燐は腰に手を当てながら前髪を掻き上げる。

 

「は、はんっ! くっだらねぇ三文芝居だったな。まぁ、最初から全部分かってたが、ここで乗ってやらねぇほどオレもノリが悪い奴じゃあ」

「なるほど、ヒメちゃんに姫燐の燐を合わせてひめりんか」

「ほっきーせいか~い♪」

「聞けよ話ッ!」

 

 和気あいあいと自分をスルーする友人と幼馴染に想いの丈を怒声でぶつけようとも、二人ともキャンキャン吠える愛らしい子犬を見るような目でしか姫燐を見ようとせず、

 

「ひ~めりんっ」

「ひめりん」

「そのスライムの名前みたいなあだ名止めろ! 特に箒っ、テメエはそういうキャラじゃねえだろ!? お前はどうしようもないほど不器用かまして、オレのような大人の余裕をもったキャラ相手に徹底的にぐぬぬする弄られキャラの典型のような奴だろ!?」

 

 どちらかというと、黒歴史に過剰に反応してムキになる今の姫燐のほうが弄られキャラの典型である。

 本人もそれを理解しているため、冷静になれクールになれと、ホットになった頭から熱を吐き出すように一度大きく息を吐き出して、

 

「あのなぁ本音? オレはもう、4年前のオレじゃねぇんだ。分かんだろ?」

「え~? わたしにはなーんにも変わってないように見えるけどぉ?」

「ぐっ……いいぜ、ならお前に見せてやるよ。この4年間で、オレがどれだけ大人っぽくなったかを……! ちょっと待ってな」

 

 口元にぶかぶかの袖を当てながら首を傾げる本音を背に、フッとニヒルに笑いながら姫燐はキッチンに向かい、ポッドに水を入れてコンロに火を付けた。

 その間に、食器棚にあるマグカップを取り出し、中にインスタントコーヒーの粉末を入れて待つこと1分。

 ちょうどいい温度になったポッドの中身をマグカップに入れて、スプーンで粉末が残らないようしっかりとかき混ぜてから、キッチンから出てきて本音達の前に立ち、

 

「よーく見てろよ」

 

 その中身を一気飲みする。

 

「ぷはぁ――どうでぃ?」

「……………んっ?」

 

 ホットコーヒーを一気飲みしただけで何が「どうでぃ?」なのか分からず、頭に疑問符を浮かべる箒と、にこにこと頬笑みを絶やさいまま無言の本音。

 妙に反応が鈍い二人に、腕組み胸張り姫燐が解説を入れていく。

 

「ふっ、見たか? オレはこうやってコーヒーを、しかもブラックですら一気飲みできるほどに大人になったんだ。これで分かったろ? オレはもう昔のオレじゃ」

「本当に可愛いなぁ、ひめりんはぁ!」

「なんでッ!?」

 

 訳が分からず声を荒げる姫燐に、割と本気の憐れみを孕んだ目をしながら箒が尋ねる。

 

「いや姫燐……? ブラックコーヒーが飲めたからといってお前……」

「だ、だって昔、かた姉が『これを呑めたら一人前の大人よ』ってコレ……………違うの?」

 

 残念そうに首を縦に振る箒。

 新たに築かれた黒歴史に、マグカップを落とす姫燐。

 そして、

 

「うんうん、やっぱりひめりんは4年たってもひめりんのままだねぇ」

 

 目を輝かせながら、トドメを刺す本音。

 そのコトダマの前に、姫燐のメンタルが木っ端微塵に砕け散る。

 

「ばっ、バカにしやがってぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

 見事な捨てゼリフを吐いてベッドに逃げ込み、姫燐はシーツに電撃的撤退を決めこんだ。

 枕を頭に被って足を畳み、お尻を突きだしながら閉じこもる簡易的引きこもり姿勢。

その姿は、拗ねたお子様以外の何者でもない。

 

「す、すまなかった姫燐! わ、悪乗りが過ぎた。お前が余りにも可愛いかったのでつい」

「お前もうワザとだろそれぇッ!? つぎ可愛い言ってみろぶっ飛ばすぞッ!」

 

 枕の下から脅したところで脅威など覚えるはずもなく、箒も子供を不意に泣かせてしまった時のようにオロオロするだけである。

 メンタル的にもキャラ的にも既に大破クラス。戦線復帰できないほどのダメージを負う姫燐だったが、その背後には無慈悲な追撃が既に迫っていた。

 

「ど~んっ♪」

「おぶぅ!?」

 

 のほほんとした掛け声から繰り出されたフライング・ボディ・プレスを腰に受け、姫燐は空気を吐き出す様な短い悲鳴を上げる。

 反応する暇など与えん。そう言わんばかりの早業で、手足を姫燐の身体に滑り込ませてホールド。横向きになったその背中に、本音はいつもののほほんとした笑顔を埋めた。

 

「えへへぇ、暖かいよぉひめりん」

「このっおまっ……くそぅ」

 

 一回ぐらい叩いてやろうかと握っていた拳が――強張った青筋と一緒に自然と解けていくのを姫燐は感じた。

 

――昔から、ほんちゃんはズルい。

 

何しても、何されても、この綿毛のようにふわふわな笑顔一つで怒る気力が失せてくるのだから。

せめてもの反抗として、むくれながらそっぽ向く姫燐の耳元で、本音がささやく。

 

「ねぇ……ひめりん、もう一回ほんちゃんって呼んで?」

「やだ」

「むぅ~」

 

 そんな姫燐の素っ気ない態度も、まるで出された極上のワインをじっくり味わう時のように、嫌な顔一つせず本音はうっすらと目を三日月に開きながら受け入れる。

 本音に悪意や害意は無い。ただ、じゃれついて来ているだけ。

 それが分かっているため姫燐も邪険には出来ないのだが、なぜ入学から数カ月たった今になって、こんなにも自分に構って来るのだろうか。

 どうにもピンと来ず、姫燐は背を向けたまま尋ねる。

 

「……お菓子」

「ん~?」

「毎月お菓子やるから、黙っててくれるって約束だったろ?」

 

 おそらく、姫燐の過去の事についてだろう。

 ベッドに腰掛けながら、経緯を見護る箒にも察しがついた。

 

「うん……そうだねぇ」

「それで納得してくれたじゃねぇか」

「約束破っちゃったのは……ごめんね」

 

 俯くと同時に、少しだけ抱きしめる力も強くなり、

 

「でもね、ひめりんもヒドいんだよ?」

「オレも……か?」

 

 箒にも言った通り、彼女の怒らせるような事をした覚えがない姫燐には――こりゃ一夏や箒のことを笑えねぇなと思いつつ――鈍い答えしか返せない。

 

「だって、おじょうさまの事は今でも『かた姉』って呼んでるんでしょ?」

「いや、アレはかた――楯無会長が無理やり」

「とっても、幸せそうだったよ」

 

 その言葉は、素直になれない姫燐の心に、深く突き刺さった。

 

「昨日の晩のおじょうさま、すごく幸せそうだった」

「……へっ、人をイジめてご満悦かよ」

 

 違う、そうじゃない。

 そうじゃないことぐらい、自分でも分かってるのに。

 そう思わないと、余りにもカッコ悪過ぎるじゃないか。

 

「わたし達が入学した日の晩は、あんなに辛そうだったのに」

 

――初めまして、楯無生徒会長どの。

 突然の再会に戸惑う入学式が終わった後。自分から会いに来てくれて、声を出す間もなく抱きしめられて、また『戻って』しまいそうだったから――突き放してしまって、そんな事を言ってしまって。

 本音も同じだ。一緒だと、その陽だまりのような優しさから、ずっと離れられそうになかったから――他人の振りをお願いして、遠ざけた。

 彼女達を傷付けない方法も、なにかあったはずなのに。

いくつもの無意味なIFを考える情けない頭が、姫燐をより強くシーツに鎮めていく。

 だが、そんな震える背中にも、優しく、柔らかく、のほほんと、本音は語りかける。

 

「わたしもね、おじょうさまの気持ちも、ひめりんの気持ちもすっごく分かるの」

「え……オレも、か?」

「うん、だって」

 

 予想外な言葉に、こちらへ振り向いた姫燐の胸へ、

 

「わたしも、ひめりんやおじょうさまみたいに、すっごく寂しかったから」

 

 本音は顔を埋めた。

 上ずりそうな声を必死に堪えても、ずっと貯め込んでいた感情はもう、止まらない。

 

「寂しかったのは、ひめりんだけじゃないんだよ? わたしも、とっても寂しかったんだよ? 昔をなかった事にしてって頼まれて、ひめりんが近くに居るのに、すっごく遠くに居るみたいで……ひめりん、この前まですっごく辛そうだったのに、それでもわたし達に何も言ってくれなくて……本当に、ひめりんと過ごした時間がぜんぶぜんぶ嘘だったみたいで、怖かったんだ……」

「ッ!」

 

 気が付けば、姫燐は本音を抱きしめていた。

 強く、強く、一つになってしまいそうなほどに、強く抱きしめていた。

 

「ごめん……ごめんね、ほんちゃん……ごめん……」

 

 こんなはずじゃなかった。

 始めは彼女達に甘えたくなくて強がって、『あの日』からは迷惑をかけないように遠ざけて――どれだけ薄情な事をしても、あんなに強い幼馴染達なら大丈夫だと……姫燐は、自分に言い聞かせ続けてきた。

 そのツケが、大好きな家族を深く傷付けた、この現実だ。

 

「ううん、大丈夫だよ。ひめりん」

「でも……オレ……」

 

 誰かの痛みに、そんなにも辛そうで、悲しそうな顔が出来る女の子。

 ここに居るよ。確かに4年前、自分達と一緒に居た女の子はここに居て、抱きしめてくれているよ。

 だから――

 

「もう、寂しくないよ」

「……?」

「だって、大好きなひめりんはここに居るから――もうわたし、寂しくないよぉ♪」

 

 その時、二人は再会した。

 4年と2カ月近くの時を重ねて、すれ違いを続けていたひめりんとほんちゃんは、

 

「うん……オレも大好きだよ、ほんちゃん」

「えへへぇ、照れちゃうなぁ」

 

 ようやく、本当の再会を果たせたのだった。

 

 

                  ○●○

 

 

「3つ」

「へっ?」

 

 少しだけ落ち着き、ベッドに身体を起こした姫燐の膝に、ご機嫌顔で座る本音が突然言い出した3の数字。

 それが意味するところが分からず、姫燐は素っ頓狂な声を出す。

 

「わたしと、お姉ちゃんと、おじょうさまのぶん」

「それがどうかしたのか、布仏?」

 

 幼馴染同士の再会というシチュに琴線が触れたのか、流れっぱなしだった涙と鼻水を拭いた、部屋中に散らばるティッシュを片付けながら箒が尋ねた。

 だが、姫燐は幼馴染が言いたいことなどお見通しだと言わんばかりに、それを制して先んじる。

 

「分かった分かった、また後でかた姉とうつ姉には謝っとくから」

「ちーがーうー」

「む……じゃあ何だよ」

 

 先んじてまで言った予想が外れて、少しだけ顔を赤くする姫燐の下で、本音はまたのほほんとブカブカの袖と袖を合わせながら、

 

「これはね、今からひめりんに叶えて貰う『お願い』の数だよぉ」

 

 ちょっと待て。

引きつりながら硬直した姫燐の表情から、多分マトモに口が動けばそう言っていただろうなと箒は思った。

 

「あ……あ……?」

「だって、みんなをあんなに心配させたんだから、そのくらいのワガママはきいてもらっても、ねぇー?」

「む……まぁ、筋は通って……いるのか?」

 

 箒としては急に話を振られて、納得できる部分とできない部分が煮詰りきらない見切り発車の意見だったが、それでも姫燐からすればとんでもない申し出なのは間違いなく、

 

「まっ、待て! なんでお前が、かた姉とうつ姉の分までオレにお願いする流れになってんだ!?」

「お願いを叶えることは問題ではないのだな……」

 

 よく分からないところで、この友人は義理堅い。

 なんというか、彼女が今凄まじい勢いで正念場に向かっている気がしないでも無い箒を余所に、本音はいつの間にか手にしていたスマートフォンを袖の上から器用に弄り、

 

「はいっ♪」

「…………?」

 

 通話中、と画面に表示させてから姫燐に手渡す。

 言われるがままに受け取ったスマートフォンを、懸念顔で耳に当て――

 

『はぁい、ヒメちゃん♪』

「ぎっ!?」

 

 聞こえてきた姉の声に、昨日メンタルに負った見えない傷が疼きだした。

 

『話は大体わかったわ、本音ちゃんと仲直りできてお姉さん一安心』

「ほ、ホントに聴いてたのかよアンタ!?」

『ううっ……アンタだなんて……やっぱりヒメちゃんは、この4年の内に不良になっちゃったのね……』

 

 早くも頭と胃と喉が痛くなってきた姫燐だったが、ツッコミ無用で全て振り切り進んでいく楯無はマイペーズをまったく崩さない。

 

『お姉さん心配だわぁ……ヒメちゃんがちゃんとお友達100人作れてるかどうか……』

「あー、それなら心配いらん。箒とか、セシリアとか、ダチならちゃんと」

『だからね、私の代わりに本音ちゃんにお願いしてもらいたいの』

「いやだから、聞けよ話をっ!」

「どんなことですかぁー?」

 

 もういい、やっぱりコイツら相手に一瞬でもセンチメンタルになったのは間違いだった。と姫燐は即断し、通話を強制的に切ろうとして、

 

『お姉さんね、当然中身は大切だけれど、やっぱり最も印象を左右するのは外見だと思うのよ』

「……まぁ、そらそうだけど」

 

 これには姫燐も、先程箒に似たようなことを力説していたため思わず同意してしまう。

 例えば間違いなく善業である『迷子への道案内』であるが、それを女子高生と、パンチパーマとグラサンを装備したオッサンがやったとしよう。

 女子高生ならいまどきの若いモンも捨てたもんじゃないと称賛を受けそうなモノだが、それがもしパンチパーマだったなら絵面が一瞬で即通報モノになってしまう。もし100%の善意で行っていた事だったとしても、傍目には否が応でも何かロクデモ無い裏を感じずにはいられない。

 姫燐も外見が全て、などと言うつもりは毛頭ないが、それでも人の心が人に見えない以上は、外見を疎かにして良いとも言えなかった。

 影ながら尊敬する姉の言葉は4年経っても相変わらず考えさせられ、姫燐も聞き入って黙考し、

 

『だ、か、ら、可愛い可愛いヒメちゃんの事をみんなが誤解しないように、みんなに愛されるようなとーってもキュートな服装を、お姉さん着て欲しいなーって♪』

 

 即座にスマートフォンを投げ捨てた。

この場所から逃げ出すために腰に力を入れ、

 

「分かりましたっ~」

 

 ようとしたが、膝の上に座っている本音が邪魔で立ち上がることができず、さらに腕を掴まれてしまう。

 

「ほ、ほんちゃん! 待て、待ってくれ!」

 

 のほほんとした笑顔のまま本音は、無言で姫燐を脱衣室へ引きずっていく。

 その小柄な体型のどこにそんな力があるのか。いかに姫燐がまだ右腕にギプスをハメているとはいえ、抵抗もむなしく成す術もなく本音に引きずられていく姫燐。

 

「た、たすけ、助けてくれ箒ィッ!」

「すまない、姫燐」

「だからそんなキャラじゃないだろお前ぇぇぇぇぇ!!」

 

 本音に引きずられ脱衣所へ消えていく姫燐の姿は、むかし音楽の授業で習った、子牛が市場へ売られていく様を歌った童謡を箒に連想させた。

 子供の頃は可愛い子牛を売った牧場主に憤りを覚えたモノだが――こうして、似たような立場に立って少しだけ共感を覚える。

 そう、牧場主にだって、断腸の思いで子牛を売ってでも、『見たいモノ』があったんじゃないだろうか? と……。

 

――はーい、脱ぎ脱ぎしましょ~ね~?

――やっ、まっ、一人で脱げうひゃあ!?

 

 連れ込まれ、閉じられた更衣室の扉の向こうから声が漏れる。

 

――わわっ、やっぱりこっちはすっごく大人っぽくなったねぇ~。

――う、うっせぇ! ジロジロ見んな触んな脱がすなぁ!!

 

 箒は今の内に、さっき姫燐が温めたお湯でお茶を淹れようと立ち上がる。

 

――安心してねぇ、ちゃんと怪我してるところには、布が無いモノを持って来たから。

――なっ、そ、そんなもんどっから……ていうか腕どころか、布自体が少なタンマ! マジタンマ!

 

 私物である渋柿色のきゅうすに茶葉を入れようとして、3人分はどのくらいの量が適度だろうか考える。

 

――う、嘘だろ? そ、そんなもんまで付けないと……?

――だって、これが無いと可愛さ半減だよぉ?

――嘘だっ! これだけは絶対にお前の趣みゃぁぁぁぁぁ!!?

 

 茶葉の量を決め、お湯を入れたきゅうすをテーブルに置き、ベッドに腰掛け待つ一分間。この僅かな時間にする精神統一は、瞬時に集中力を限界まで研ぎ澄ます訓練に持ってこいだ。

 

――い、嫌だ、こんな格好、笑われるに決まって……

――そんなことないよ、すぅぅっごく似合ってる!

 

 これは、良い修業になる。

いつもよりも遥かに沸きだしてくる雑念を、心のどこかで笑いながらも斬り捨てて行き……そして一分が過ぎた。

精神統一を終え、箒が閉じた瞳を開いた先に在ったのは――

 

「おまたせぇ、ほっきー♪」

 

 脱衣室に半分だけ身体を出しながら、こちらにダボダボの袖をふる本音と、

 

「ぐおぉぉぉ……!」

 

 本音に引っぱられようが断固として脱衣室から外に出ようとせず、左腕と唸り声のみを出す姫燐の姿だった。

 

「往生際が悪いな」

 

 期待をスカされた箒の口元が、微妙にムッと不機嫌になる。

 

「お、おま……いいのか泣くぞ、そろそろオレだって泣くぞ……?」

「もぅ、ほっきーだって楽しみなんだよぉ♪ だ、か、ら……えいっ!」

「ほぶっ!?」

 

 悲鳴すら、上げる暇もなかった。

 恐怖すら覚える友人の変貌に戸惑っている隙を突かれて、『ビターン!』とバランスを崩して顔面から外へ引きずり出された姫燐が、鼻先を押さえながら身体を起こす。

 

「いっつつ……」

 

 その瞬間、篠ノ之箒は確信した。

 

「おぉ……」

 

 私の判断は、やはり間違ってはいなかったのだと。

 ショートパンツと一つになった、真っ白なノースリーブのパーカー。サイズが小さいのか、前のファスナーが胸元で開きっぱなしになっており、その見事なプロポーションを誇る胸と、半ズボンより更に短いショートパンツから肉感あふれる太ももが大きく露出している。

 それだけならまだ、彼女のセクシーさを際立たせるだけのファッションだったのだが――

 

「犬耳と、尻尾に……」

 

 パーカーのフードとお尻に付いた、犬の耳と尻尾。姫燐が羞恥から俯いて深くフードを被っているため頂点についた耳がしな垂れるように倒れ、それがまた縮こまっている子犬を箒に連想させる。

 そして極めつけに、そのISを没収されているため空になったその首元には――

 

「首輪、か」

 

 ハートマークの留め具がついた、少し大きめなピンクの首輪がはめられていた。

 パーカーの上から付けられているため、彼女が最後に付けるのをゴネていたアイテムは恐らくこれなのだろう。

 いくら大きめとはいえ、人間に首輪を付けるなど尊厳を大きく傷付ける解し難い所行――で、なくてはならないはずなのに。

 それが姫燐になっただけで、箒の胸中には侮蔑や怒りのような『負の感情』によって引き起こされる熱とは全く異なる、正反対の熱が渦巻いていき――

 

「ね~♪ とーっても可愛いでしょ~?」

「くそぅ……みるなぁ……」

「……ふむ」

 

 箒は顎に手を当てて、涙声で懇願してへたり込む友人の姿を見下ろす。

 

「……箒?」

「ふむ」

 

 姫燐の前にゆったりと歩を進め、真上から見下ろす。姫燐も見上げる。

 

「ほ、箒さんや?」

「ふむ」

 

 屈みこむ。じっくり真っ直ぐ、姫燐の蜂蜜を溶かしたような色をした瞳を覗き込む。

 

「な、なぁ箒? せめて大声で笑ってくれたほうがオレにも救いってもんが……」

「ふむ」

 

 真顔でこちらをガン見し、「ふむ」としか反応を返さない箒に姫燐の顔が引きつる。

 

「……ふむぅ」

 

 吐息がかかる。彼女の呼吸が乱れていることを姫燐は察する。

 呼吸は武道において非常に重視されており、呼吸の乱れは精神の乱れに直結するといっても過言ではない。さらに武道に精通する人間は、呼吸だけで相手の動きが手に取るように分かるというのだから、その重要性は推して知るべしである。

 無論、剣術を修めた箒も一夏関連のこと以外では滅多に呼吸を乱さず、そんな立ち振る舞いは姫燐も素直に敬意を抱いていた。

 つまり、である。そんな重要なモノを、いま、目の前の少女は乱して、首輪を力強く握り、まるでこの身の所有権を主張するかのように引っ張り――

 

「ひやおぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」

「あっ」

 

 全身から大量の冷汗が吹き出す感覚と共に、姫燐は箒の手を振り払って、出口へと転がりこむように向かった。

 喰われる。本能が叫ぶ。

なんで首輪を引っ張る。動物的直感が警鐘を鳴らす。

 確かに彼女を喰ってやろうかと思ったことは数えきれないほどあり、その手順を幾重も脳内シミュレートしてきた姫燐であったが、逆に喰われそうになるのは完璧に想定外であったため、頭が一瞬で真っ白のポンコツと化する。

 冷静に考えれば、『一夏から彼女をNTR』という大願を成就する一歩手前ではあるのだが、姫燐が狙っていたのは不器用巨乳武士ポニーな箒であり、このような犬すら喰らおうと息巻く獅子では間違っても無く――

 

――こんなとこに居られるか! オレは自分の部屋に戻るぞッ!

 

 ここが自分の部屋なのにそんなことを考えてしまうほど、完璧に動揺しきっていた……。

 ドアノブに縋りつくような形でなんとか辿りつき、とりあえず一夏かセシリアの部屋あたりでかくまって貰おうと、思いっきり扉を開いて外の世界へ、

 

 

「おーい朴月ちゃんに篠ノ之さーん! 迎えにき…………」

「もうみんな集まってるよー? それと、うちの本音どっかで…………」

 

 

 即座に引き返し扉を力任せに閉じてカギを締めチェーンをかけ、

 

「ねぇねぇねぇ!!! ちょ、なになになに今のエロかわファッションッ!!?」

「きゃわわぁぁぁ!!! ねね、開けてここ開けてもう一回見せて見せて見せてぇッ!!」

「ははは……今分かった宇宙の心は彼だったんだねー……」

 

 またベッドにうずくまって、自爆魔は死んだ目をして訳の分からないことを呟き始めた。

 悪質なストーカーやマスコミもかくやと、バンバンバンと激しくノックされる扉も、壊しそうな勢いでガチャガチャ捻られるドアノブも存在しない世界へと一人旅立つが、

 

「よっしこじ開けるわよっ! なにかバールのような物か人ッ! みんなを連れて来て!」

「了解ッ! キリわんちゃんの見張りは頼んだわよっ!」

 

 流石に事態がとんでもない方向へと加速し始めたことを察した箒が、シーツの上から大慌てで姫燐の身体をゆさる。

 

「お、おいっ! 現実へ帰ってこい姫燐っ! お前が今ここで倒れたら、部屋の扉はどうなるっ!?」

「分かってるよ、だから世界に人の心の光を見せなきゃならないんだろ……?」

 

 見事なまでに何も分かっていない。いや、分かろうとしない。

 

「ありゃりゃ~、大変なことになっちゃったねぇ」

「誰のせいだよ誰のぉ……」

 

 こうなった原因の約80%の、危機感の欠片も無い声に、死んだ目に僅かながら怒りと理性の炎が蘇る。

 

「まぁ、着替えればいいだけか……」

 

 非常に億劫そうなモッサリした動作であったが、取る行動は合理的であった。

 脱がされたインナーやズボンがある脱衣所へ向かおうとベッドから出て、トボトボと歩を進めようとしたが、

 

「あっ……もう、脱いでしまうのか?」

 

 とてもとても残念そうな声と、肩を掴む手が姫燐の足を止める。

 

「……そりゃそうだろ、脱がねぇと壊されるぞ、扉」

「そ、それもそうだが……それでも、もう少しだけ、せめて首輪ぐらいはそのままでも……」

「お前……」

 

 どんだけ首輪気にいってるんだとゲンナリする姫燐に、正しい選択は分かり切っているはずなのに素直にそれを選べない自分に戸惑う箒。

 チープな想像ではあるが、おそらく今彼女の脳内では、天使と悪魔が激闘を繰り広げているのだろうと姫燐は思った。

 まぁ、それでも性根は真面目ちゃんな箒だ。きっと最後には天使が勝利し、正しい選択をしてくれるだろうと姫燐も高をくくっていたため、

 

「いいんじゃないかなぁ、正直に生きても」

 

 のほほんとした悪魔の加勢を、一切想定していなかった。

 

「だっ、だが……私は、友を……」

「ねぇ、ほっきー? わたしね、まえからずーっとほっきーを見てて思ってたことがあるんだぁ」

「待て! 箒っ、そいつの言葉に耳を貸すなッ!」

 

 ぶかぶかの袖を耳元に当てながら囁かれる悪魔の甘言は、箒の心の檻に封じ込められたドス黒い感情を、コーヒーへ入れられたクリームのように柔らかく身体中に溶かしこんでいく。

 

「ほっきーはね、もう少し自分に素直に生きるべきだって思うの」

「自分に……素直に……しかし……」

「別におかしいことじゃないんだよ? 女の子はね、みーんな甘いものと可愛いものが大好きなんだから……独り占め、したいよねぇ?」

「だがっ……だが私は……」

 

 もはや天使の猛抗議は届かず、箒の世界に存在するのはとろけそうなほどに甘い囁き声と、自分の本当の願いのみ。

 そして僅か、最後に残った、友を本格的に見捨てたくないという良心の欠片ですら、瞳をうっすらと開いた悪魔は口に転がる小さくなった飴玉を堪能するように微笑み、

 

「じゃあね、こうしちゃおっか。実はね、いま生徒会室にはだーれもいないんだ」

「そ、れ……は……」

「実は生徒会室ってねぇ、先生以外はわたしたち生徒会のメンバーじゃないと入れないの……だからね、そこでだーれにも邪魔されずに」

 

 

――二人だけで、いーっぱいいーっぱい、ひめりんを可愛がっちゃお♪

 

 

 箒の脳内戦争がのほほんとした増援によって悪魔の歴史的大勝利で終結したのと、姫燐が窓から着の身のまま逃げ出したのは、ほとんど同時であった……。

 

 

                 ○●○

 

 

「うん、こんなもんかな」

 

 シャルルは持って来た新品のジャージに袖を通し、自室の鏡台に自分の姿を映した。

 シワやほつれが無いか軽く、なだらかな胸元とお尻を特に念入りに確認しながら、シャルルはよしっ、と軽く気合を入れる。

 

「……うーん、でもこれでいいのかなぁ?」

 

 男女のお出かけが初体験であるシャルルにとっては、ジャージ姿は少し違う様な気もするのだが、これ以外には制服しか持っていないため必然的にこれ一択になってしまう。

 

「でも、女の子とお出かけだっていうのにジャージ姿じゃ、僕はなぁ……」

 

 汚れ一つない金髪を横に傾げ、やっぱり制服で行くべきだろうか、だけど堅っ苦しい奴だと思われるのもなぁ……と、一夏なら絶対にしないであろう葛藤に、シャルルは放課後からずっと頭を悩ませ続けていた。

 

「んー、やっぱり制服? でもジャージだって……うぅん」

 

 しかし、その柔らかな気品漂う顔付きには今朝までの憂いは無く、どこかウキウキとした高揚感に満ちており、

 

「……うん、楽しいよ。すっごく」

 

 鏡に映った自分の姿に、そう微笑んだ。

 こんな気持ちになれるのは、いつ振りだろうか。こんなにも自然に笑えるのは、いつ振りだろうか。こんな方法で、笑顔を確認するようになったのは、いつからだっただろうか……。

 

――お前は、人形だ。

 

 曇り空が、また心を閉そうとする。

 

――常に余裕を持って笑え。他人に隙を見せるな。全ての裏をさぐれ。

 

 胃の中が逆流しそうな感覚に見舞われ、手足が凍りつく。

 

――笑え、シャルル・デュノア。

 

 たとえどれほど暖かい場所に居ても、デュノアは、生きている限りこの身をずっと縛り続ける。デュノアはまるで見えない鳥籠で、私と世界の間に存在して、全てを切り離していく。

 どんなに素晴らしい出来事も、場所も、人も、鳥籠の中から見れば、道端の石も裏返せば蟲がうごめくように、吐き気すら催す茶番に見えてしまう。

 だから信じない。見えてしまう裏を怖れて、ただ自分は何も感じない道具であればいいんだと、それが正しいんだと、運命だと……

 

――笑おうぜ、シャルル。

 

 思っていた、のに。

 独りぼっちの鳥籠に差しこんだ太陽のような眩しさは、凍らせていた感情が爆発しそうになってしまいそうなほどに真っ直ぐで、力強くて、優しくて……気が付けば、今朝からずっと彼女のことが頭から離れない。

 

「朴月……姫燐さん、か」

 

 叶わないと思う。期待するだけ無駄だとも思う。

 それでも、シャルルはこう思わずには居られなかったのだ。

 

「もっと、仲良くなりたいなぁ……」

 

 窓を見る。外は彼女の笑顔のように晴れ。

 フッと、また、忘れかけていた笑みがシャルルの口元に浮かんで、

 

「一夏ヘルプミィィィィィィィィッ!!!」

「うひゃあっ!!?」

 

 パニックホラー映画もかくやといった必死な形相で外から窓を連打され、身体ごと口元が跳ね上がった。

 これがもし知らない人間だったなら、悲鳴なりISなりで正当防衛し兼ねなかったが、その人物がまさにいま親交を深めたいと思っていた張本人ならば話は別だ。

シャルルは急いで窓のカギを外して開ける。

 

「ほっ、朴月さんっ!? どうしたのっ!?」

「なっ、シャルルがなんでっ!? って、そだ相部屋だったな……」

 

 一瞬、躊躇するような表情が姫燐に浮かぶが、

 

「えぇいままよっ! 悪いっ、少しかくまってくれ!」

「えっ、うわっ!? どうしたのその格好っ!?」

 

 窓から裸足で入ってきた少女の服装は日本に来たばかりのシャルルでも、私公序良俗に真っ向から戦いを挑んでいるモノだと一発で分かった。

 短いズボンと一体化した、胸の内側が丸見えであるパーカー。それだけでも大分刺激的だというのに、パーカーとセットになった犬耳や尻尾、そして彼女の首元にまかれた首輪は特定の趣向をした人物にはバズーカ砲よりも破壊力があるアクセサリまでセットだ。

 更にここまで全力疾走してきたのか、息も荒く、6月のムシムシした気候もあってか張りの良い肉体には珠の汗が張り付いている。

 

――……えっ? この服装で男の人の部屋に来るの?

 

 今朝、確かにシャルルは彼女に押し倒されないよう忠告を入れたが、これでは自ら押し倒されに来ているようにしか見えない。

 よくよく考えれば、彼女達は今朝も男である自分の前で、羞恥心の欠片も無く胸についてのトークで盛り上がっていた。自分がもし学園初めての男性だったらそれも分かるのだが、既にこの学園には織斑一夏が居る。

 そして女が男への羞恥心を消す方法も、シャルルは知識としてだけなら知っており……その知識を行動に移すのに適した服装をいま、彼女はしていた。

 

「……シャルル?」

「へっ、あっ、朴月さん!?」

「その……だな、できればあんまジロジロ見るのは勘弁願いたいんだが……」

「ごっ、ごめんね! 一夏以外の男性には、見られたくないよねやっぱり!?」

 

 あ、これ絶対不味い勘違いしてる。

 真っ赤になりながら両手でキャーと顔を塞ぐシャルルの姿は激しく萌えるのだが、コレは絶対に自分と一夏が『繋がり』を持っていると勘違いされたと、彼の言葉と今までの経験がささやく。

 クラスメイト達に何回も説明したのでこういう時の対応、即ち絶対に慌てたりムキになったりしてはいけないことを姫燐は――非常に複雑な気分ではあるが――熟知していた。

 

「勘違いすんな……ってのが、難しい状況なのは分かるが、まず言っておく。オレと一夏はデキてないし、ライクはあってもラブは微塵も持ってねぇ」

「で、でも、その服装は?」

「無理やり着せられたんだよ、幼馴染にな。オレだって、流石にこんな格好で男の部屋に行くかよ恥ずかしい……」

 

 よほど肉体的にも精神的にも疲弊していたのだろう。やつれた様子で一夏のベッドに腰掛け、シーツを適当にマントのように羽織った彼女の背中は綺麗なカーブを描いている。

 シャルルも向かいの自分のベッドに腰掛けた。

 

「そ、それでも、他の子の部屋に行けば」

「頼れる奴が、みんなして居なかったんだよ……」

 

 鈴は最初っから服のサイズが合うと思っていなかったので除外しており、クラスメイトは論外。最後の希望だったセシリアも今日に限って部屋に不在だったため消去法で恥を忍び、一夏の部屋に行くしか無かったのだ。……もし、姫燐がこの格好でセシリアと部屋で二人っきりになってしまえば、恥どころではない『事』になっていただろうが。

 

「てな訳で、悪いけどジャージ貸してくんねぇか? シャルル」

「え」

 

 ずいっと伸ばされた彼女の手に、シャルルの表情が一瞬だけ固まった。

 そして姫燐の無駄にいい動体視力は、それを見落とさない。

 

「いや、全部とは言わねぇけど、せめて上だけは何とかしたいなーって」

「で、でも僕、ここへ来たばっかりだから、これしかジャージとか他の着替え持ってなくて」

「だから上だけでいいから頼むよ、下は……まあ、ギリ許容範囲だ」

 

 両手を合わせて頼み込む姫燐だが、それでもシャルルは今、ジャージの下にはインナーともう一つ、『絶対に他人に見られたくないモノ』しかつけていない。

 これ以上、この話題に深入りされることだけは絶対に避けねばならず、多少強引にでも話題を逸らすしかない。

 

「そういえば! 朴月さんと一夏って、恋人じゃないならどんな関係なの?」

「オレと、一夏の関係、か?」

 

 シャルルにとっては苦し紛れの質問であったのだが、姫燐とってその質問は本当に不意であり、彼の思惑よりも更に深く考え込んでしまう。

 

「オレと、アイツの関係ねぇ……」

 

 そういえば、今まで自分達の関係を尋ねられる時は必ず『カップル』と断定されていたため、今までのような誤解を解くことに終始するばかりだった。

なので、こんな風に一歩踏み込んで聞かれるのは何気に初めてで、直ぐに言葉が出て来ない。

 足を組み、腕を組んで考える。

 まず恋人――ではない。自分は女にしか興味が無いし、なによりもアイツがこちらを恋愛対象と見ていない。というか、こちらが最初っから百合娘だとカミングアウトしたのだから、見る方がどうかしてるだろう。

なら友人――と呼ぶのも、何だか違う。つるみ出してまだ3カ月も経過していないが、それでもアイツと過ごした時間は3年以上かかってるんじゃないかと思うほどに濃密だった。

口にはしないが、姫燐はアイツのことを強く信頼ており、それに『あの日』アイツが居てくれなければ朴月姫燐は、今もこうして『朴月姫燐』で在れたかすら分からないから――感謝もしている。

 だから、姫燐はアイツの事をこう呼ぶのが正しい気がした。

 二人の約束と誓いを込めた、あの敬称を。

 

「協力者、かな」

「協力者?」

 

 聞き慣れない単語に、シャルルは首を傾げる。

 少しだけ小恥ずかしそうに、姫燐は頬をかきながら、

 

「アイツと出会って初日に誓ったんだよ。お互いが、お互いの夢を叶える協力者になるってな」

「へぇ。なんだか、カッコいいね」

「あんま茶化さんでくれ、いい反応はしてやれねぇぜ……?」

 

 茶化したつもりは無かったのだが、そうなると今度は別の疑問が浮かぶ。

 既に誤魔化しなどそっちのけで、目の前の少女への純粋な興味から、シャルルは質問を続けた。

 

「じゃあ朴月さんの夢って、なんなの?」

「あっ」

 

 ここで姫燐は、あんなことを言えば、当然こんな質問が帰って来るだろうとすら予測できなかったポンコツヘッドを本気で疎んだ。

今度こそ冷静に、これから続くであろう会話を軽く脳内でシュミレートしてみる。

 

――オレの夢は、可愛く素敵なお嫁さんを見つけることですっ!

――うわぁ…………うわぁ。

 

 目の前が真っ白になった。

 よし、はぐらかそう。即時即断即決即動である。

 

「じゃ、じゃあ、シャルルはどうなんだよ?」

「えっ……僕の、夢?」

「そそっ、こういうのはえっと、アレだ! 聞く前にまず自分からってのがセオリーだろ?」

 

 非常に雑な振りだったが、真剣に考え込みだした様子のシャルルを見て、回避成功とシーツの中の拳をグッと握り締め、

 

「僕には……無い、かな」

 

 浮かびあがった彼の寂しげな笑顔に、胸を握られたような痛みが走った。

 

「ダメダメな話、なんだけどね。僕には、夢が……ないよ。ダメなんだ、どうしても思い浮かばない」

「そなのか……?」

 

 今朝の出来過ぎた笑顔じゃない。でも、喜びの笑顔でもない。

 シャルルが浮かべたのは、夢を持っていない、ただデュノアに都合がいい人間を演じているだけな自身への、自嘲。

 

「……実はね、僕がデュノアを名乗り始めたのは、つい最近のことなんだ」

「…………そいつぁ」

 

 彼女に言ってしまった。彼女に言ってしまいたかった。

 同情的な陰りを見せる姫燐の瞳を見返して、シャルルはとっさに浮かんだその矛盾を――もう全てを吐き出してしまいたい衝動だけを堪えて、過去をデュノアのために脚色していく。

 

「僕は、ずっと片親だって思ってたんだけどね。でも、母の葬儀が終わって、一息すら入れる間もなく『あの人』はやって来たんだ」

 

 知らないはずなのに、知っている。初対面なのに、とても懐かしい。白髪こそ混ざっていたが、自分と全く同じ輝きを放つ金髪を持つ初老の男性。

 葬儀が終わり、途方に暮れ一人たたずむシャルルの家にやって来た『あの人』は、シャルルと瓜二つとは決して言い難かったが――まるで、ドッペルゲンガーでも見てしまったような衝撃を、彼は今でも忘れられない。

 

「色々言われた気がするけど……気が付けば僕はデュノアになっていて、昔では考えられなかったようなモノばっかりが、僕のモノになった」

 

 そう、平々凡々な小市民として生きていたシャルルにとっては全くの無縁であった――帝王学、経済学、IS学、戦闘術、操縦術、交渉術、ありとあらゆる、人を出し抜くための知識と技術。それを身体と頭に叩き込まれるだけの毎日は、確実にシャルルの精神を削り、この競争社会に適合するために最も適した形へと作り変えていった。

 

「だから、乾いちゃった、のかな。何もかもに」

 

 歯車。気が付けば、そんな呼び名が相応しいほど無機質な自分が、ここに居た。

 だから、父の命令でIS学園へ行くことになっても……恐らく、それがもっと残酷な命令だったとしても、シャルルには反抗する気など起きなかっただろう。

ここがどれほど歪な鳥籠の中だろうと、そこ以外に居場所なんて在りはしないのだから、壊してでも飛び立つ気になんて、なれる筈がない。

 

――ああ、そうか。だから、なのかな……?

 

 こんなにも、目の前の少女に、心ひかれてしまうのは。

 笑って、怒って、いじけて、格好つけて、慌てて、恥ずかしがって……そして今、こんなにも誰かの痛みを悲しんでくれている彼女に。自分が失いかけていた、本物の感情という大空を、自由に飛びまわる朴月姫燐という優しい少女に。

 

――もっと、近付きたい。

 

 もうあの空を自由に飛べないなら、せめてどんな景色なのかを知りたい。

 彼女の中で飛びまわる自由な思いの先にある、目的地を知りたい。

 あの懐かしい籠の向こう側へ、少しでも、繋がっていたいから――

 

「だから、教えて欲しいんだ、朴月さん」

「……えっ?」

「夢の見方を忘れちゃった僕のために、教えて欲しいんだ」

 

「朴月さんは、どんな夢を持ってるの?」

 

 直ぐには、姫燐も答えられなかった。

 それを『彼』に暴露することは、自分の夢のデッドエンドも同意義だ。

 今まで考えてきたプランは全ておじゃんになるし、折角見つけた性別以外すべてが理想に叶った運命的な出会いもパー。

 ドン引きされるかもしれない、それどころか顔も合わせてくれなくなるかもしれない。よくて、二人の関係は一夏と同じように協力者止まりになってしまえばまだ行幸。

 本当の事を言うメリットなど姫燐には欠片もありはしないが……もう、彼女の答えは決まっていた。

 彼はもう、自分の胸中を明かしてくれたのだから――ここで逃げちゃ、フェアじゃない。

 

「OK、いいぜ。なら耳の穴かっぽじってよーく聞きな」

 

 口元に不敵な笑みを浮かべて、姫燐は立ち上がる。

 

「オレの夢はただひとぉーつ、この学園で恋人を作ることだ」

「恋人……って……ええっ!? え、えええっと、それっても、もしかして僕と!?」

 

 どうしても、そうなってしまうのだ。

 この学園には男性は二人しかおらず、その内の一人は本人が恋愛対象ではないと明言していた。

 となれば、あとこの学園で残っている男子は、シャルル一人になってしまう訳で……。

 

「惜しい、ひっじょぉぉぉぉぉぉに惜しいが、ハズレだ。オレはシャルルが来る前から、この夢をひたすらに追い続けてる」

「えっ、でも一夏と僕が恋愛対象から外れちゃえば、あとこの学園には……」

 

 ここまで口にして、ようやくシャルルは、彼女の夢を正しく理解した。

 

「へっ……そ、それって……つ、ま、り……」

「ふっ……どうやらデッドエンドに辿りついたみたいだな」

 

 不敵な笑みは勝ち誇ったしたり顔に変わり、大きく羽織っていた純白のベッドシーツを脱ぎ捨て威風堂々、半ばヤケクソ気味に、叫んだ。

 

「そうっ! オレはっ! 可愛い女の子がッ、大、大、大好きなのだぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

 

 ズガガーンと、雷鳴のようなイメージが姫燐の背後を駆け巡り、その全身全霊を賭した叫びは部屋の家具がコトコト揺れるほどに響き渡る。

 無論ライクじゃなくてラヴで! と、締め括る姫燐の声で、フリーズしていたシャルルの頭が正常稼働を始め、そこでようやく、

 

「うえええぇえぇぇぇぇえぇぇぇぇーーーーーーーーーーー!!!?」

 

 少し遅れて、また特大の木霊が、部屋中に響き渡った。

 

「なんか色々すまんかった! あと、みんなにはナイショで頼むっ!」

 

 そこから流れるようにベッドの上でジャンピング土下座を決めこまれ、どこかへ抜けかけていた魂がシャルルの体内へと何とか引き返して行き、

 

「そ、それ、それってつまり、朴月さんはど、同性……」

「うん、レズ。格調高く言うと百合の人。ルームメイトは割と本気で押し倒したいと思ってた」

 

 もう、色んな事を一度に叩きつけられすぎてクラクラする精神をシャルルは何とか奮い立たせる。

 

「ホント、コレお前含めて3人しか知らない事だから、クラスの皆には黙ってて欲しい。バレたら……なんか、ヤバいじゃ済まない気がするんだ特に最近は……」

「う、うぅん……」

 

 人間、二面性が無い方が珍しく、誰でも人に言えない秘密の一つや二つ抱えてるモノだと思っていたシャルルをしても、叩きつけられた現実のショックは大きく、軽く眩暈を覚えながらベッドに倒れ込んだ。

 

「なんで……女の子?」

「なんでって言われると困るんだがな。昔から可愛い物は好きだったけど、理由じみた理由もなぁ……」

「なんだか、ISみたいだね……」

 

 理由らしい理由もない癖に女性だけしか乗れない女好きの機械と、少女の性癖が何となくシャルルの中でダブる。

 

「まったくだぜ、いったい何時からオレはISレベルの男女差別者になっちまったんだか」

 

 やれやれと、掌を横にしながらアメリカンに呆れる彼女からは、後ろめたさや、臆面や、そういった負の感情が一切見てとれない。それが、シャルルには不思議で仕方無かった。

言ってしまえば彼女は、自分と『同じ』だというのに。

 

「……なんで?」

 

気が付けば、また口が勝手に動いていた。

 

「なんで朴月さんは、隠し事があっても、そんなに明るく振る舞えるの?」

 

 それは、自分にも人に言えない隠し事があると言っているのと同意義に等しかったが、あえて何も言わずに、姫燐は親指を自分に指して、

 

「そっちの方が、カッコいいだろ?」

「カッコいい……から?」

 

 ニカッ、と歯を向いて笑った。

 笑顔の裏に潜むのは、憧れる姉の姿。

 どんな時だって余裕で、笑顔で、カッコよくて、自分もああなりたいと思ったかた姉の大きな背中。

 

「昔、姉さんとそんな約束したってのもあるけどさ……オレ、思うんだ」

 

 あの約束から4年が過ぎた今、なぜかた姉がそう言ってくれたのか……これは自分なりの解釈ではあったが、姫燐はその答えを掴んでいた。

 

「やっぱりさ、ダッセぇ自分より、カッコいい自分の方が良いじゃんか。他の誰でも無い、自分自身なんだからさ」

 

 もっと深い意味があるのかもしれない。でも、姫燐はそう信じている。

 

「そりゃやっぱり、カッコつけれねぇほどヘコむ時もあるけどさ……」

 

 今度は、金細工のように美しいロングヘアーをした、かた姉とは別のカッコよさを持った貴族と呼ぶに相応しい友人の姿を思い浮かべて、

 

「そんな時は全部吐き出してからさ、美味いモン喰って、寝て、友人とバカやって、気分が変わったら、また仕切り直しゃいいのさ」

 

 まぁ、ホントにヤバいことしそうになったら、ジャパニーズサムライらしく腹を切るね。と、ワザとらしいボケを仕込んで、姫燐は立ち上がって窓から外を見上げる。

 

「だからさ、シャルルもなんか嫌なもん貯め込んでるなら、吐き出しちまえ」

 

 それから振り向いて、眩いほどの日差しを背に受けながら、

 

「オレでいいなら、いつでも受け止めてやるからさ」

 

 それよりも眩しい、満面の笑みを浮かべて胸を叩く姫燐の姿を見て、

 

「なんたって、お姉さんは大人っぽくてカッコいい奴だからなっ」

「ふふっ」

 

 シャルルにも、思わず、自然な笑みが零れる。

 

「わっ、笑われると、少し傷つくんだが……」

「だって、自分で自分のことをそんな大人っぽいとか、カッコいいって言う人、初めて見るんだもん」

「……えっ、マジ?」

 

 だって映画の決め台詞に……? と、ブツブツ言いながら本気で考え込み始めた姫燐に、なぜ彼女が皆からあそこまで好かれるのか、シャルルにも分かった気がした。

 彼女は、真っ直ぐなのだ。自分だけの道を見つけて、傷つきながらも、転がりながらも、そこを真っ直ぐに見据えている。

 誰かが言葉にしなくても、明るい場所に人間が理由もなく安堵感を覚えるように、人を惹きつけていく魅力を持つ。

 

――何も選べない私とは、正反対だね……。

 

 羨ましいと思う反面、どんどん彼女という人間に引き込まれていく自分が居る。

 きっと、他の人達もそう思っているのだろう。

だから……多分、

 

 

――み~つけたっ♪

 

 

 窓の外から、のほほんとした笑顔にミスマッチな、うっすらと開いた瞳に獣じみた眼光を瞬かせるような危険人物も、呼びよせてしまうのかもしれない。

 姫燐も背後から響いた声に、ネジが切れたブリキ細工のようにギギギと戦慄のブルーを浮かべる顔を向けて、

 

「シャルルぅぅぅ! 早くどっかから着替え持って来てくれハーリィィィィ!」

「う、うんッ!」

 

 事情は飲み込めないが只ならぬ危機感をシャルルも感じ取り、急いで購買辺りに着替えを買いに行こうとドアノブに手を掛け、

 

――みんな~、開くよ~♪

「ッッッ!!? ダメだシャルルそこ開けんな!」

「ふえっ?」

 

 本音が携帯を耳に当てていることに姫燐が気付いたのと、シャルルがドアを開いたのは――ほとんど同時のことだった。

 

「この瞬間を待っていたんだぁぁぁぁぁぁ!!!」

「のりこめぇぇぇぇぇぇ!!!」

「わぁぁぁい!」

「もう我慢できないぞぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

「きっ、姫燐っ! 週一、週一ぐらいならどうだっ!?」

 

 怒涛とは正にこれ。疾風とは正にこれ。ピンクのプレッシャーを発する群れが一瞬で部屋中を埋め尽くしたかと思えば、次の瞬間にはシャルルを除き、部屋には人っ子一人居なくなっていた。

 

――や、やめろぉぉぉ!!! オレに酷い事するつもりだろ!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいにぃぃぃッ!?

 

 遠く、哀れな子犬の残響が開きっぱなしの扉から聞こえていく。

 あまりの超展開に茫然とすることしかできず、思わず子牛が売られていく様を詠うあの曲のフレーズがシャルルの口元からこぼれ落ちていき、

 

――そう簡単に、ひめりんは渡さないからねぇ?

 

 バッと、窓へ振り向いた先には、ただ眩し過ぎるほどの空以外、もう何も映っていなかった。

 いつまでシャルルは立ち尽くしていたのだろうか……気が付けば、既に日光は沈み、夕暮れが外の世界を茜色に染め上げていて、

 

「なにしてんだ、シャルル?」

「………………ぁ、一夏?」

 

 いつの間にか、ルームメイトが部屋に帰って来ていた。

 手には無地の紙袋を下げており、ただ窓を茫然自失で窓を見ていたシャルルを気遣うような顔色が浮かんでいる。

 

「だ、大丈夫か?」

「う、ううん……なんでもないよ、なんでも、無かったんだ」

 

 あの一声を聞いた瞬間、まるで金縛りにでもあったかのように動けなかった事も含めて、僅かな時間で余りにも衝撃的な事が起き過ぎたため、シャルルの現実と妄想の境目はいま、非常に危ういラインをチキンレースしていた。

 光を失った目をしているルームメイトに薄ら寒いモノを感じながらも、この部屋で何があったのか知らない一夏は自分の目的を果たすことにした。

 

「なあ、シャルル……これ」

「ぇ……なに、この紙袋?」

 

 一夏は、手に持っていた紙袋をシャルルに手渡す。

 シャルルは彼の意図が分からず紙袋と一夏の顔を交互に見返すが、彼の一言によってその戸惑いは、堪らない幸福感へと変容した。

 

「今朝は邪険にして、悪かったな」

「い、一夏……」

 

 そう言いながら肩を軽く叩く彼からは、朝までの刺々しいオーラは皆無であり、今までの非礼を許してくれるだろうか憂う、イケメン特有のしっとりとしたオーラが纏われている。

 

「今朝は……少し、機嫌が悪くてさ」

「そ、そんな、受け取れないよ! 僕も、全然気にしてないし!」

「いや、それじゃあ俺の気が収まらない……それに、これはお前のために選んで来た物なんだ」

「えっ……僕の、ため?」

 

 お前のため。イケメンボイスで囁かれたこのフレーズに、思わず胸が跳ねるのを押さえられず、シャルルは紙袋の中身を確かめる。

 中には、100円ショップなどで売られているような、無地のDVDケースが一つだけ。他には何も入っておらず、これの中身が自分のために用意してくれた物なのだろうとシャルルは確信する。

 

「それ、本当はダチから貰った奴なんだけど、シャルルが好きそうだなって思ったから」

「そうなんだ……ありがとう一夏っ!」

 

 今までシャルルが抱いていた一夏へのイメージは完全に払拭され、健やかで義理堅い好青年が送ってくれたDVDは一体何なのだろうと期待を込めて開き、

 

『社長令嬢シリーズ4 秘密に上塗りされる、夜の蜜月』

 

 と、書かれたタイトル。そして隣に印された『R18』のマークに、瞳孔が開くような絶望を叩きつけられた。

 

「んじゃ、早速なんだけどシャルル。俺も結構、楽しみにしてたからさ」

 

 織斑一夏は、眼を強張らせ、身体を恐怖に震わせるシャルルに、

 

「せっかくだし、一緒にそれを、見ないか?」

 

 水平線まで続く蒼天のように澄みわたった、とてもとても爽やかな笑顔で……微笑みかけた。




タイトルはフルブ発売間近と、赤い人があんだけ念を押されたのに、ELSと宇宙怪獣とアンスパがやってくる最中アクシズ落とす記念。
そして作者は、今頃ファース党と新党のほほんに刺客を放たれてると思うので雲隠れします。

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