IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
結論が出た。これは、自分独りで答えが出せる問題では無い。
半日で授業が終わった放課後、最近発見したこのIS学園に置いて、他の女性が絶対に来ないと断言できるベストプレイスに腰を下ろした一夏は、携帯に登録された悪友の電話番号をプッシュする。
こうやって電話するのは久しぶりだなと考える間もなく着信音は途切れ、どこか小憎らしくも懐かしい男性特有の低音声が聞こえてきた。
『おっす一夏、どした? 久しぶりだな』
「ああ、弾。悪かったな、最近は少し立てこんでて」
第三アリーナの一件から一夏の身辺警護は一層厳重になり、迂闊に学園の外へ出ることすら自重するようにと教師達から通達され、さらに一週間のダウンも重なり、最近会いにも行けなければマトモな連絡すら送れなかったことに気後れし、次に何を言おうか一夏は口淀んでしまう。
だが、弾はそんな些細な事を気にするような繊細な性根はしておらず、久方ぶりである友人との会合を心から喜ぶように声を弾ませた。
『おぅおぅ悲しいねぇ。女の尻を追いかけるのがそんなに忙しかったのか?』
「バカ言えよ、今の俺にはそんな余裕ないっての」
我ながら、コイツ相手にバカげた心配をしたモノだ。と、世界でたった一人の男性操縦者ではなく、一人のありふれた男子としてのノリを思いだしていくように、一夏も悪態で返していく。
『ははーん? てことは、朴月ちゃんにはまだ手を出してねぇのか?』
「なっ!? バっ!?」
『……は?』
《HAHAHA、なに言ってんだよ弾。俺とアイツは只の友人さHAHAHA》
これがとりあえず壁際に移動して、いつでも壁を殴れる位置をキープしていた弾が予想していた、自分がよく知る織斑一夏の模範解答であり――
「おっ、俺はもう二度とそんなコトはしないッ!」
『えっ? もうって、まさか出したのか、手?』
「ちちちっ、違うッ! 絶対に違うぞ、あれは不可抗力だッ! 俺に下心なんて無かった本当だッ!」
『……はぁぁ?』
弾はこの会話が、電話越しである事に心底感謝した。
今、自分がどれだけ間の抜けた顔をしているか、容易く想像できたからだ。
『……あー……なぁ、一夏よ?』
「な、なんだよ?」
『俺達が墓まで持って行くと決めた秘密、その1』
「一回、千冬姉のビールにタバスコ混ぜたこと」
『……間違いなく本物の一夏だよな』
「当たり前だッ!」
『いや、IS学園には影武者まで居るのかって思ってな……』
確認は取っても納得できない弾に、友人に影武者扱いされて割と本気でヘコむ一夏。
ちなみに、弾は面白半分でも、一夏にとっては禁酒してもらいたいという一心で出したタバスコビールだったが、千冬は「ふむ、いつもより辛めだな」と、何事もなく一気飲みした。それどころか「これは何処のビールだ」と、逆に気にいられてしまった事も含めて秘密である。
『まぁ、お前が本物の一夏だとしてだ。まさか、俺の声が聴きたかった、なんて気持ち悪い理由で』
「安心しろよ、そんなキモい理由で電話はしない」
『分かってる、じゃあ何だ?』
「その、だな、弾……お前に、少し聴きたい事があるんだ」
『ほー、聴きたいこと?』
今度はどんな料理に手を出すつもりなんだろうかと、弾の声が興味の色に染まる。
一夏の料理の腕は定食屋の息子であり、小さい頃から家族に料理を叩きこまれてきた弾の舌を度々唸らせてきた。
だから弾は、祖父か父にいつでもレシピを尋ねられるように、二階の自室から一階の調理場へ向かうために階段を下り、
「なぁ、弾……誰かと仲良くするのって、どうすりゃ良かったっけ?」
思いっきり足を踏み外して、段差に尾てい骨を打ちつけた。
『ふぉぃぉぉぉぉぉぉ!!?』
「お、おい弾!? なんか今スゴイ音したけど大丈夫か!?」
当然、まったく大丈夫ではない。
だが、そんな痛みを気にしているどころでは無い非常緊急異常事態に、弾は尻を押さえながらも階段に座り、詳しい状況把握を早急に進めていく。
『おまっ、おまま、お前は本当に織斑一夏さんですか!?』
「敬語!? 他に誰が居るんだよ!?」
『え? いや、だって、お前一夏だろ? でも一夏は対人関係を気にするような奴じゃないだろ?』
悪友が心中で下していた自分への評価と印象に、深い悲しみを背負いながらも一夏は単純明快な疑問をぶつける。
「弾……お前の中で俺は、今までどういう人間だったんだ?」
『唐変木』
この即答である。
そして言葉を失くす一夏に追撃で、
『それも、なんか世界で競う種目とかに「唐変木」があったら、金メダルでオセロが出来るほどの』
「おっ! 俺はそこまで唐変木なんかじゃな」
『お前それ絶対に俺以外の奴に言うなよ、刺されるぞ』
割と本気の声色をした弾の忠告に、一夏はそれ以上なにも言えなかった。
「だからなのか……? いや、でもこんなこと今まで一度も……」
『ん、何がだ?』
「……その、相談、していいか? 本当に分からない事があるんだ……」
友人が初めて見せた弱さと苦悩に、弾は隠せないほどの驚きと――本当に今更な親近感を覚えた。
ありとあらゆる女性から好意を寄せられながらも、その一切に気付かないという、中学時代からの友人。
そんな彼の姿を何処か、俗世に縛られず生きる仙人のように捉えていた節があった弾にとって、誰かとの付き合い方を真剣に思い悩む今の一夏は、本当に弱くて、繊細で、ちっぽけで――
『……スマン、茶化して悪かったな』
「弾?」
『いいぜ、言ってみろよ。笑わねぇからさ』
だからこそ、支えてやりたいと、力になってやりたいと、心から思うことが出来たのだ。
「……ありがとな、迷惑かける」
『悪いと思うなら、今度またウチで何か食ってけ。可愛い女の子いっぱい引き連れてよ』
約束する。そう返した一夏の声が、妙に心地よかった。
『で、誰かと仲良くする方法? だっけか』
「ああ……弾は、ニュースとか見てるか? このまえ転校してきた」
『知ってるぜ、シャルル・デュノアだろ? フランスの代表候補生』
ニュースで毎日のようにデュノア社と共に紹介されているため、弾もすっかり覚えてしまった名前が出てきたことで、相談内容に大体の察しがついてくる。
『なんだ? あのシャルルって奴と上手く行ってねぇのかよ、お前』
「………………仲良くは、したいと思ってる」
曖昧な言葉だったが意図を正しく受け取り、弾はパッと思いついた予測に裏を取っていく。
『そんなに嫌な奴なのか? シャルルってのは』
「いや、良い奴だと思う。大人しいし、丁寧だし、人当たりも良いし、金持ちってことも鼻にかけるような奴でもないから……」
『じゃあ、何で上手くいかねぇんだよ? お前、よっぽどアレな奴じゃない限り、誰とでも仲良くなれるだろ?』
「そうなんだよなぁ……でも、どうしても、何かこう胸が重くなって、モヤモヤするんだ、アイツを見てると……だから今朝も、邪険に扱っちまって……」
少なくとも、中学時代の明るく、誰とでも裏表なく付き合っていた一夏は、女子はもちろんのこと、男子達の間でも――女性関係の話題を除けば――人気は高かったし、友人は多かった。
だから、彼と相性が悪い人間となれば、それこそ性根が曲がった悪人や小悪党、それと大切な姉の悪口を言う人間くらいなモノだ。
こうして聴く話だけでは、弾には一夏がシャルルを嫌う理由は何処にもないように思うし、彼自身でもそう思っているから、こうして相談してきているのだろう。
「キリだってアイツのこと、すっげぇ気にいっててさ……良い奴、なんだとは思うんだけど」
『ん、キリってどちらさんだ?』
「あれ? 弾ってキリに前会ったこと無かったっけ? ほら、一緒に服買いに行った」
『……あぁ、キリって朴月ちゃんのことか』
あの一夏に、デートへ行かせただけではなく、あだ名で名前を呼ばせるとは。
一夏攻略レコードを矢次に更新していく、あの綺麗な赤髪をした少女への評価を、弾は心中でうなぎ昇りさせていく。
初対面の時は色々と忙しなかったため詳しい人柄までは分からなかったが、彼を任せるに足る人物であることは間違いなかったし、一夏本人もかなり彼女に心を許しているのだろう。
だから弾も、相変わらず良好そうな二人の関係に安堵し、
「キリが幸せそうなら俺はそれでいいと思うんだけどな。でもアイツ最近それ以外どうでもいいっていうか、怪我もまだ治ってないのにいくらなんでも熱中しすぎっていうか、他が疎かじゃないのかって思ってさ」
『おい』
「キリの奴、しっかりしてるようでどっか抜けてるし、辛い事とか悲しい事も全部一人で背負いこみがちだから、たまに何考えてるのか分かんなくて不安でさ……」
『待て、おい』
「でも、俺はそんな頑張り屋なところもキリの良い所だって思ってるから、あんまり口出しとかしたくなくて、じゃあ俺がアイツに出来ることは何だろうって考えたら、今はキリのために美味い物作ってやるぐらいしかなくてでも何だか」
『待てやッ!!!』
本題からズレまくったマシンガントークを、弾の一喝が遮る。
「えっ?」
『えっ? じゃねーよ!? お前は一体なんの相談をしに来たんだッつーの!』
「そ、そりゃ、シャルルとどうやったら仲良くやってけるかを」
『だろ!? お前が朴月ちゃんとお仲がよろしいのは、よぉぉぉぉく分かった! だがな、今はその本題の方を……ぉ?』
「なっ、どうしたんだよ……?」
急に怒鳴ったと思ったら今度は急に黙りこくる友人に戸惑う一夏だが、一方の弾はそんな事を気にかける余裕もなく、過ったまさかの可能性に戦慄を覚え黙考する。
一夏の話を総合するなら、転校生のシャルルはとても良い奴であり、一夏と仲が良い朴月ちゃんもそんな彼のことが大層気にいってるのに、一夏は彼の事をどうしても邪険に扱ってしまうらしい。
これらの情報をイコールで結ぶ、簡単な問題だ。
なのに、導き出される答えは、とうてい納得できるものではない。
少なくとも、弾が良く知る織斑一夏という男が抱く感情では、決して。
しかし、それ以外の回答がどれほど論理をこねくり回しても出ない以上、弾には本人に確認を取ることでしか答えを得られない。
――まさか、な……?
弾は、込み上げる恐々を決して悟られぬよう噛み殺しながら、尋ねる。
『……お前、さ。朴月ちゃんのこと、どう思ってんの?』
「へっ? 本題を話せって言ったの弾じゃ」
『言え、間違いなく本題に絡んでるから』
「ど、どう思ってるって……そ、そりゃ、だな……」
照れてる。あの一夏が、女の子との関係を聴かれて照れてる。
もはやそれだけで弾には答えに等しかったが――一夏が出した答えは、そんな彼の想像を遥かに超えて、
「護りたいって、思ってる」
『……は?』
すごく、ニブチンだった。
やはり長年連れ添った友人に言うには少し抵抗があるのか、口ごもり気味ではあったが、それでもハッキリと一夏は胸中の覚悟を友に語る。
「オレは、アイツを護りたいって思ってる。何があっても傍に居て、アイツの笑顔を護り抜きたいって、思ってる」
弾は、何も答えない。
その沈黙を、分かりにくいジョークに対する返信に迷ってるのだと判断した一夏は、ムッとしながら、
「おっ! 俺は本気で言って」
『それだけ?』
「はっ?」
心底、腑に落ちない気持を乗せた弾の疑問に、一夏もまた友人が何を言っているのか分からず問い返してしまう。
「そ、それだけって……」
『いや、お前マジでそれだけ? そんなにモヤモヤしてんのに、朴月ちゃんに抱く想いがそれ「だけ」なの?』
「そ、そうだ、俺は何があってもキリを護る。そう決めたんだ」
『………………』
自分の誓いに偽りは無いと断言した、中学以来、ずっと女とは縁しか無いのに無縁だと思っていた友人の姿に、弾は再認識し、再確認し、再確信する。
『ぶっ』
「ぶっ?」
『ぶぁーーーっはっはっはっは!!! 何の冗談だよ鈍すぎるだろお前ッ!!?』
少しマシになってもやはりコイツは、頭からつま先まで本当に本当にどうしようもない、天然記念物級の唐変木であるのだと。
「なっ!? 弾おまっわ、笑わないって」
『むっ、無茶言うなってフヒヒヒヒ! な、なんで分かんねえんだ、なんでそこまで朴月ちゃんのこと想っときながらッ、なんで出てくる言葉が「護る」だけなんだよお前ッ!? こっ、これで、これで笑うなって、む、むりぃイヒヒヒヒ!』
自分の誓いに、腹立つバカ笑いを続ける友人の姿に、電話越しで無かったなら一発殴っていただろう。
『そーかそーか! そら当然か! だってお前わかんねぇんだもんな! 自分自身も例外じゃないってか!? あフフふッ、おかしくって腹痛いわー!』
問題は最後の1ピースを得て、全て1つの線へと繋がった。
なぜ、シャルルと仲良くできないのか?
なぜ、姫燐がシャルルと仲が良いと面白くないのか?
なぜ、その原因が一夏自身に分からないのか?
そりゃそうである。なぜなら彼は、今まで数多の女性から向けられてきた『答え』に全て気付かず、そして今回もまた、気付いてないだけなのだ。
それが他でも無い、自分の胸の内から生まれた『答え』だろうとも。
「弾ッ! そろそろ本気で怒るぞ!?」
『ふぇふふふッ……バカ言うなって、お前に怒る権利なんざありゃしねぇよ! 自業自得だ自業自得!』
「お、俺が悪いってのか!?」
『ああ、全面的にお前が悪い! 今から御手洗とかにも聴いてみるか、全員揃って腹抱えて笑い転げるだろうよ!』
そこまで力強く断言されてしまっては怒るに怒れず、何がいけないのか黙考する一夏に、弾は痛む腹筋を律しながらヒントを与える。
『お前さ、なんで朴月ちゃんをそんなに護りたいんだよ?』
「な、なんでって……借りを返さないといけないから……」
『じゃあ、お前はそれを一生賭けて返すのか? ソイツはそんなにデケぇ借りなのか?』
「それは……」
言われてみて初めて、一夏は自分の言葉が、抱いた誓いに相応しくない事に気付いた。
違う。確かに借りは大きいが、それこそ「ずっと傍に居て返す」ほど、重い借りとは言い難い。
それにこの誓いは、借りを返す、などという事務的な冷たい義理なんかじゃない。
もっと熱く、もっと強い、身体が、命が燃え上がるような、叶わないならそのまま焦げ墜ちてしまえとすら思える、それほどまでに強い望み。
だが一夏には、この気持に相応しい言葉がどうしても見つからない。
きっとすごく大切なことなのに、分からない。
「弾には……分かるのか? 俺がなんで、キリをこんなに護りたいのか」
『ああ、分かる。けど教えねぇ』
「な、なんでだよっ!?」
『そんなん決まってんだろ?』
弾は、受話器に当てた口を思いっきり愉悦に歪ませながら、
『いままで散々それで人を振り回したんだ、今度はお前が振り回されてこいってことだよ! じゃあな、俺も人待たせてんだ!』
「はぁ!? なんだよそれオイ! コラま」
『あ、そうそう。1つ言い忘れてた』
「って、なんだよ……もぅ」
こんな我が友人はマイペースだったかとゲンナリする一夏に、
『負けんじゃねぇぞ一夏……これから先に、なにが起こってもな』
「えっ……あっ、弾っ?」
とっさに名前を呼んでも、返って来るのはツー、ツー、ツーと無機質な電子音だけ。
嘲笑うような口調から打って変わって呟かれた、心配を孕んだ真剣一色な友人の忠告。
それが嫌に一夏の心臓を掴み、だというのに、この想いには一点の曇りが生まれるはずもなくて――
「……なんで俺は……こんなにも、キリを護りたいんだろう……?」
結局相談して得られたのは新たな疑問と心労だけで、進展と呼べるものはなにも無かった。
失意のまま立ち去ろうかとしたが、最低限のマナーとして、そして末永く世話になりそうなこの場所に敬意を払う意味も込めて、
「立つ鳥、跡を濁さずっと」
レバーを『小』に引いて、空である便器の内部を水洗する。
緩やかに流されていく水を眺め、自分とシャルルの関係も、このように水に流せる時が来るのだろうかと、一夏は溜め息をついて安息の場所――IS学園唯一の男子トイレを後にした。
○●○
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
むかし友人から借りたゲームで覚えた、有名な中国の兵法書『孫子』に書かれた一文を実行に移すため、トイレから出た一夏はIS学園の資料室へと足を運んでいた。
鞄から取り出した生徒手帳を改札口のようなゲートにかざして入室し、ザッと一夏は室内を見渡す。
ここ、資料室は普通の学校でいう図書室に近く、教室4つ分はありそうな広い一室にズラッと並んだ本棚と検索用のPC、長机とセットに置かれたいくつもの座椅子が置かれている。
流石に世界最先端の技術を取り扱う学校の、貴重なデータが大量に眠っている一室だけあってレイアウトは近未来的で小奇麗だったが、そう言った場所特有の、私語が勝手に喉奥へ引っ込んでしまうほどの静寂は変わらない。
そんな雰囲気に竦みそうな足を飛ばすように動かしながら、本棚の前に立って適当な一冊を抜きだす。
(初めて来たけど……スゴイな、これ全部IS関連の資料なのかよ……?)
ISが世界に生まれてから約9年ほど。
何千年も続く歴史の中では本当に僅かな時間であっても、前に立った自分よりも背が高い本棚に詰め込まれた幾つもの本たちは、世界を作り変えた自負に裏打ちされた重圧を伴う威厳を放っているみたいだと、一夏は思った。
一介の学生である自分の存在が、こんな場所には余りにも場違いに思えて、
(……まぁ、女子校に居る男子ってだけで今更か)
もう慣れたもんだと本を棚に戻し、テーブルの一角に鞄を置いて、自分も椅子に座った。
今日は一年生だけが半日授業だったらしく上級生の姿は見えず、キリを含めた同級生も今はシャルルに学校を案内しているため人っ子一人すら居ない。
つまり、誰にも邪魔をされない情報収集には理想的な環境であり――当然、一夏がいま欲する情報はたった1つであった。
(せめて、シャルルの……デュノアのことだけは知っとかないと……)
自分のことはいくら考えても分からないが、それならせめて相手の事だけは少しでも理解しておこう。
それが初めてこの資料室へ足を運んだ、一夏の目的であった。
(まぁ、シャルルは敵って訳じゃないんだが……)
今までは正体不明のモヤモヤが先行していたが、こうして一人で落ち付いてみると、シャルルへの興味が尽きないのも事実である。
どんな人生を歩んできたのだろうか?
どんな夢を抱いてるのだろうか?
そして今――女だらけの場所に突然ぶち込まれて、どんな気分なのだろうか?
現れると思っていなかった、自分と同じ境遇――言わば同士と、女性には決して打ち明けれない愚痴で花を咲かせることが出来れば、どれほど楽しいのだろうと一夏は想いを馳せる。
実際に一夏も、シャルルがここへ来ると知った時はそんなことを密かに夢想しており――だからこそ、素直になれない現実との差異に戸惑うのだ。
(思えば可哀想と言うか、なんと言うか……)
一夏は鞄の中から、姫燐に押し付けられた性転換のパンフレットを机に広げて、肘をその上に乗せる。
(シャルルの奴も、まさか寄って来る女子が、自分を性転換させようと考えてるなんてなぁ……)
考えるはずもないだろう。普通に考えられる筈がないだろう。
自分だってゴメンだ。一夏は、もし彼の境遇に自分が立たされたのなら、と想像する。
生まれついての性別を変えられて、抱きしめられて、ずっと一生一緒に居てくれると、その笑顔を自分にだけ向けながら囁いてくれて――きっと、それはとても、織斑一夏にとって――
(嫌じゃ……なく……て……?)
なにか、大切な、大変なことが、指先に触れたような感触がして、
「はひいぃぃぃぃぃぃ!!?」
「ホァッ!?」
資料室の静寂を斬り裂く悲鳴とも驚愕ともつかない声と、椅子を思いっきりぶっ倒した大音響に、一夏の心臓が身体と一緒に跳ね上がった。
浮ついた思考など一瞬で吹っ飛び、一夏は急いで駆け寄る。
尻餅を付いて彼を見上げる、荘厳な空間を一瞬でコント会場とも変わらない空気へと変貌させた、よく見知った金髪縦ロールの少女の方へと。
「お、おい、大丈夫かセシリア!?」
「あっ、あああ、ああなた、ああななたたあなた……!?」
ホントに大丈夫だろうか。
一夏の隣に立ってから、飛び跳ねるようにバックしたのだろう。椅子を脹脛で抱くように転倒して後ろから思いっきり倒れ込んだにも関わらず、目立った怪我はしていないようだ。
だが頑丈な身体と反して、メンタルの方は今にも結合崩壊してしまいそうなほど混迷していることが、瞳孔まで開かんばかりに見開かれた碧眼と、まったく回っていない呂律から察することができる。
「いいい、いったい、ぁあなた、あなたと言う人間はどこまで、どこまであの方の事を……?」
「あの方?」
「それがッ! それが貴方の覚悟だと言うのですか織斑一夏ッ!?」
セシリア・オルコットは恐怖した。
時として善意は、覚悟は、愛は、人をここまで恐怖させるのかと竦みあがらせた。
シャルルにリベンジを誓った彼女は、お前も一緒にシャルルを案内しようという姫燐の誘いも断腸の思いで断り、彼の戦法や弱点を徹底的に調べ上げ、先日の戦闘データと照らし合わせて対策を練ろうとこの場所を訪れ――見た。見てしまったのだ。
机の上に開かれていた、一冊の冊子を。
――あの男は、捨て去ろうというのか?
細かくマーカーが引かれ、多数の付箋が貼られた性転換のパンフレットを。
――あの人のために、男であることを捨て去ろうというのか?
男を捨てる意味――それは、彼女の傍に居続けるために他ならないだろう。
織斑一夏――この女尊男卑のIS社会に生まれ落ちた、男というイレギュラー。
本来なら存在してはならない存在である彼の立ち位置は非常に不安定であり、今ここに居るという結果も、奇跡に近い偶然がいくつ折り重なって生まれたのかセシリアには予測もつかないし、そしてどんなふとした拍子で崩れさってしまうのかも……同様に。
もし彼が何らかの理由でこの学園を去ることになれば、彼女に再び会う事は絶望的といっても過言ではない。少なくとも、今までのような関係には二度と戻れないだろう。
これは彼がイレギュラーでありつづける限り常につきまとう危険であり――
――確かに、危険性の回避という点では、もっとも確実な手段ではあるとしても……
だが、これは全ての問題をかなぐり捨てた極論だ。
世界中の期待を、姉の誠意を、神が与えた運命すらも冒涜する選択だ。
どんなバカでも分かるだろう。この選択肢を選んだ先が、身を、心を、未来すらもズタズタに引き裂く茨の道であることなど。
――それでも……たとえそれでも、この男は愛に殉じるというのかッ!?
しかしこの男は、そんな茨道を今、真っ直ぐに見据えているのだ。
あまりに無謀。あまりに愚純。あまりに――純粋。
薄氷のように芯まで透き通っていながらも、愛する者以外、自分自身すら含めた全てを燃やし尽くすと言わんばかりの苛烈なる愛。
もし彼女を取るか、オルコットを取るかという、苦渋の選択を強いられた時――セシリアはおそらく、どちらも選ぶことなどできないだろう。
それで良いのだ。その結果はともかくとして、もしどちらかでも欠けてしまったのなら、彼女は二度と『セシリア・オルコット』で居られなくなる。
自己防衛は人として、生物として何も間違ったことでは無い自然の摂理なのだ……から、こそ、セシリアは織斑一夏の、己の全てを捧げられるほどの深き愛に、恐怖を覚えるのだ。
――勝て……ない……。
自分の愛は、この男に勝てない。
彼の狂おしいほどの愛の前では、自分が抱いていた愛などチープなラブソングのような滑稽さすら感じられる。
セシリアの人生に、壁が立ちふさがる事は幾度となくあった。
新たな壁であるシャルルの存在も、足蹴にして、ただ乗り越えるべき壁の一つに過ぎなかった。
だが……この男は違う。その在り方が根底から違う。
自分が乗り越えようと、足を掛けることすら出来やしない。もし、彼の領域に踏み出してしまえば、そのまま飲み込まれて消えてしまいそうな……底なしの奈落穴。
――でも……負けられない。負けたくない。負けていい訳がない。
そう、だからといって譲る道理も、義理も、意志もない。
鈍いからなんだ。透き通っていないからなんだ。
それでも、自分は彼女を愛しているのだ! 強かろうが、弱かろうが、この思いに偽りなど有りはしないのだから。
歯を食いしばる。唇から血が溢れる。超えられぬ強敵を睨みつけ、認める。
――織斑、一夏っ……貴方は、貴方は……わたくしのッ!
「……光栄に、思いなさいな。織斑一夏……」
「えっ?」
所詮は虚勢。それでも、足の支えぐらいにはなる。
身体の痛みも無視して立ち上がり、胸を堂々と張り上げながら、セシリアは指刺す。
「貴方を……認めて差し上げますわ」
踏み越えて捨てていく壁では無く、自分の傍に並び立ち、たった1つの愛を奪い合う強敵――即ち、
「貴方こそ、このセシリア・オルコットのライバルに相応しい男であることをッ!」
威風堂々、宣戦布告。
生涯初めて対等だと認めた男の存在が、小憎らしくも、どこか喜ばしい。
そんな奇妙な感覚に魅入られながらも、今までにない高揚感がセシリアを包んでいた。
「……お、おぅ?」
ただ、肝心のライバルは「お前は一体なにを言ってるんだ?」と、その真意を一ミリも理解していなかったのだが……。
「ふふっ……意外と悪くないモノですわね、ライバルというモノも……」
「あー……えっと、その、そうだ。セシリアはなに調べに来たんだ?」
この話題は深く突っ込まないほうが絶対に良いだろうと一夏は直感で理解し、一人ドヤ顔を崩さないセシリアに別の話題を振っていく。
「あっ、すっかり忘れていましたわ。デュノアについて、色々と調べなくてはいけませんでしたのに」
「セシリアもか?」
「も……ということは、貴方も?」
ああ。と、短く肯定する一夏に、先を越されていた悔しさよりも、対敵がやはり自分と同じ場所に立っているのだと再確認できた喜びの方が今のセシリアには大きく、
「なら、ここは共同戦線と行きませんこと?」
「きょ、きょうど……ええっと、良いのか? こっちとしては、ここ初めて来たから手伝ってくれるんならすっげぇ有難いけど……」
「ふふふっ、貴族たる者、ライバルに塩を送る度量ぐらいは常に持ち合わせていますことよ? 織斑一夏」
「…………なんの?」
と、思わず一夏は小声でこぼしてしまったが、相当浮かれているのか鼻歌スキップで本棚の網目を抜けていくセシリアの耳には届かない。
とりあえず邪魔な全ての元凶(パンフレット)を片付けて待つこと数分。セシリアが何冊かの本を抱えながら戻って来る。
「感謝しなさいな織斑一夏。ライバルであるこのわたくしが、知恵の足りない貴方でも分かるような本を直々にチョイスしてさし上げましたわよ」
「お、おう、ありがとな」
言い方は相変わらず尊大でトゲがあったが、確かに彼女が持って来てくれた本は軽くめくってもイラストが多めであり、知識では素人に毛が生えたようなモノな一夏でも分かりやすそうであった。
右隣の椅子に座ったセシリアが、すかさず解説を入れていく。
「その本は、ISの世代について解説しているモノですわね」
「ISの……世代?」
「ええ、デュノア社を語るのなら、避けて通れない話題ですわ」
一夏も、必死に授業で叩き込み、白式を受け取った時に受けたレクチャーも踏まえ情報を纏めながら、セシリアに確認を取ってみる。
「確か……俺の白式や、セシリアのブルーティアーズ、鈴の甲龍は第三世代だったよな?」
「ええ、そうですわ。搭乗者のイメージ・インターフェイス――即ち、手足ではなく人間の思考によって動かせる武装を搭載した機体のことを指しますわね」
一夏が相手をした中では、ブルーティアーズのビットや、龍咆がコレに当たる。イメージで展開する点では一応、雪片弐型もイメージ・インターフェイスに対応してると言えるだろう。
「そういえば、キリのISは何世代に当たるんだ?」
「キリさんのシャドウ・ストライダーは……おそらく第三世代に当たるとは思うのですが、あの機体は相当特殊な設計思想に基づいて作られている気もしますから、既存の世代分けに当てはめるのは……まぁ、今はそれよりもデュノア社についてですわ」
脇へ逸れた目的を正すため、パラパラと資料をめくりながら、『第二世代の傑作機』と大々的に見開きで映っている緑色の機体のページを一夏に見せる。
「あ、これラファールだよな? ウチの学校にもある」
「それだけでは、旧世代の戦闘機になってしまいますわよ? 正確には『ラファール・リヴァイブ』、フランス語で『疾風の再誕』の名を冠する機体ですわ。お間違えにならないように」
一夏としても、専用機である白式、思い入れのある打鉄の次に馴染み深い機体である。
授業で専用機を持っていないクラスメイト達がよく乗っているし、セシリアとのクラス代表決定戦では自分の愛機候補だった機体だ。
「デュノア社のフラッグシップ機といっても過言ではない、第二世代最後発の名機。世界第3位のシェアを誇り、7カ国でライセンス生産され、12カ国で正式に……」
「………………」
「……基礎スペックだけなら、下手な専用機にも劣らないと言えばお分かりになって?」
「おお! そいつはスゴイな!」
渋かった顔をスッキリさせる一夏に、ここまでかみ砕かないとダメかとセシリアは軽く頭を抱えた。
この無知な民間人そのままな男に一度でも遅れを取った自分を恥じ、逆にこの男を代表候補生相手に勝たせてしまうほどの英知を授けることができた想い人に一層の敬意を抱きながらも、気を取り直して続けていく。
「コホン。このラファール・リヴァイブ最大の特徴はなんと言っても、その非凡な汎用性にありますわ。高い操縦性に、多種多様な武装の相互性により……えっと、つまり誰でも乗れて、何でも出来る機体という訳ですの」
「なるほど、誰でも簡単に美味しいご飯を炊ける炊飯器みたいなモンなんだな? そりゃ人気が出る訳だ」
「す、すいはん……?」
「ん、知らないのか? 炊飯器って、使い方次第でお米を炊く以外にも結構色んな料理ができるんだぜ?」
「し、知りませんわよそんな物! いいから話の腰を折らないでくださいまし!」
「わ、悪い……」
逆上したわけではなく本当にセシリアは炊飯器というもの自体を知らないのだが、いい加減にしないと話が一向に進まないため、話の主導権を強引に握りなおしていく。
「とにかく! この機体の開発によって、デュノア社の名前は一躍業界に知れ渡りましたの。第二世代に関しては、ここの右に出る企業はついに現れませんでしたわ」
「第二世代に関して……ってことは」
「相変わらず勘だけは鋭いですわね……その通り、デュノア社は第三世代の必須条件に近いイメージ・インターフェイスの技術においては、他の企業ほど優れている訳ではなく、後塵を拝してしまう形になっていますの。ですから、シャルルさんの専用機も」
「そっか、だからアイツの専用機。ラファール・リヴァイブにそっくりだとは思ってたけど」
「ええ、おそらくはラファール・リヴァイブのカスタム機で、第二世代の機体ですわね……カスタムだけであれ程のフレームを作れる技術はあるのに、本当に……惜しいことですわね……」
他国の企業の事情であるのに、セシリアの横顔に浮かんだ一抹の寂しさが、一夏の気に留まる。
「セシリアは、デュノア社になにか思い入れでもあるのか?」
「……そう、ですわね。正確には、ラファール・リヴァイブに、ですけれど」
「機体の方にか?」
セシリアは既に自分専用の第三世代機を持っているため、なぜ第二世代のラファール・リヴァイブに特別な思いがあるのか一夏には分からなかったが、
「わたくしの練習機でしたのよ。ラファール・リヴァイブは」
「……なるほど」
自分という、特例中の特例に当てはめていたのがいけなかった。
普通の女の子が専用機を貰うまでになるには、常人の倍では済まない汗と涙を流し続けて、ようやく掴み取るモノなのだ。
それは例え、自らを貴族と公言して憚らないこのクラスメイトだとしても変わりはなく、
「悲しいことも、辛いことも、嬉しいことも、ずっとずっと一緒に経験してきた機体ですもの。専用機を受け取ったので、今は祖国へ返却しましたけれど……実はこのブルー・ティアーズよりも気にいってますのよ?」
立場上、あまり大きな声で言ってはいけませんけど。そう、どこか懐かしむように耳元の相棒を指で弄り、セシリアは感傷的に微笑んだ。
「……いい奴だな、セシリアって」
「あら? それは塩の送り返しでして?」
「そんなんじゃない。物を大切に思える奴はいい奴だって、単純にそう思っただけだよ」
一夏も、ブルー・ティアーズに手を伸ばして、そっと触れる。
「今のこいつも、毎日身につけてるのに汚れが全然ない。大切にしてるんだな」
「ええ、当然。ブルー・ティアーズは我が祖国から授かった名誉と期待の証。そしてなにより、このセシリア・オルコットの身体を預けるISですもの……この子も、私の大切なパートナーですわ――ところで、織斑一夏?」
話を一時中断したセシリアは、クルッと、慈母のような微笑みを一夏に向け、
「ん、なんだセシリぼぁッ!!?」
スパコーン! と、会心の平手打ちフルスイングを、一夏の頬に炸裂させた。
「貴方……淑女の耳元に気安く触れるとは、いったいどう言う料簡なのかしら……?」
「おぉぉ……あ……?」
なんでこんなに怒るの? と、訳も分からず真っ赤な手形が出来上がった頬を押さえながら机に沈む一夏を、セシリアは侮蔑を隠そうともしない目で見下しながら、
「前々から思っておりましたが……どうやら貴方には、紳士としての心構えが圧倒的に不足しているようですわね」
「し、紳士?」
「そうですわ! 紳士とあろう者が、淑女の横顔に許可も無く触れることなど言語道断! だというのに本当に貴方はッ……恥を知りなさいッ!」
鈴なら何も言わないのに……と胸中で想いながらも、赤い顔しながら羞恥で小型犬のようにプルプルと震えるセシリアの様子から、自分が何気なくやってしまったことはトンデモなく不味いことだったのだと一夏は猛省しながら――
――仕返しだよっ、朴月さん
フラッシュバックのように鮮烈に、先程のビンタのように強烈に、今朝の二人のやり取りが脳裏に蘇った。
一夏の中で、今までバラバラの欠片だったソレが、爆発的に1つの『最悪の事実』を作り上げていく。
「な、なぁセシリアッ!!? セシリアってば!!」
「仮にもあの方をお慕いする者であり、このわたくしのライバルなのですから、貴方にはそれに相応しい気品を備えて頂かなければ……とりあえずチェルシーに連絡を入れて本国で徹底的に調きょ……なんですの騒がしいですわね」
「男が女の子の顔に触るのってさ、そんなに非常識なのか?」
「……はぁぁぁぁ、貴方と言う人はどこまで恥知らずなので……」
露骨な失望感を滲ませながらゲンナリと座っていたセシリアの眼が、
「違う、今朝シャルルの奴もやってたんだよっ!」
「……はぁっ?」
彼の証言に、跳ね上がる。
「シャルルも今朝、キリのほっぺに触ってたんだよ! こう、両手で摘み上げるように」
「それは一体どぉぉぉぉいうことですの織斑一夏ぁぁぁぁぁァ!!?」
「ぐげぇぶ!!?」
怒涛の早業で頬では無く、一夏の制服の襟首を掴み上げ、自分も裏返るほどの雄叫びを上げながらセシリアは立ち上がった。
「あのケダモノがキリさんのおおお身体を汚す所を、あなたは座して見ていただけとほざきやがるのですかぁぁぁぁぁ!!?」
「そ、そんな汚すとかじゃなくて! じゃあお前は今朝どこへぁぁぁぁぁ!?」
「わ、た、く、しはっ! 今朝は本国にブルー・ティアーズの修理を要請して不在でしたのあんのド畜生にボロボロにされましたから貴方とは違うんですのォォォォッ!!」
もう怒ってるんだか泣いているんだか分からないヒステリックを起こすセシリアに、一夏は身体を激しく前後にシェイクされ吐きそうになりつつも、自身が抱いた疑念をぶつけていく。
「冷静に考えろって! そんな普通はやらないことを、シャルルがやる様に思えるか!?」
「はんっ! あの転校生も、所詮は巷に溢れるような女性を漁る凡夫だっただけ」
「なら、なおさらじゃないか! もしシャルルが女を漁りに来たんなら、出会って2日目の子に、そんな親しい異性にしかされて欲しくないことをするかよ!?」
「…………確かに。それも、そうですわね」
セシリアも、彼の行動に疑念を抱いたのだろう。
腑に落ちない表情をしながら、襟首から手を離して顎に手をやって考える。
「アイツがどんな学園生活を送りたいかは知らないけどさ。もしこの学園で女子を敵に回しちまったら、何にもやっていけなくなるんじゃないのかって俺は思うんだけど……」
「ええ、そうですわね……貴方の言う通りですわ」
この学園は、言ってしまえば女性の巣窟。たとえ一人が二人になった所で、男が異分子であることは変わりがない。
もし一夏のように、なんだかんだで受け入れられれば大丈夫であろうが、万が一、彼女達に『女性の敵』のレッテルを一度でも貼られ、害になると思われてしまった異分子の末路は――そう、『排除』だ。
全校生徒からほぼ全てに目の仇にされ、教師達からも評価は最悪になり、完全に孤立してしまえば……最悪、この三年間を五体満足で過ごせるかも分からなくなると、決して他人事ではない一夏は思う。
「それにさ、さっきからセシリアの話を聞いてて、ずっと気になってたんだけど」
机の上に置かれた、先程のISの世代について書かれていた本――そのラファール・リヴァイブのページを一夏は手に取り、
「デュノア社って、いま経営が苦しいんだよな?」
「そう、ですわね。いくら第二世代でトップシェアを誇っていても、世間が第三世代にシフトしつつある現在では、順風満帆……とは行かないと思いますわ」
「ならさ、どうしてシャルルはこの学園に居るんだよ?」
「……あっ!」
セシリアにも、一夏が勘付いていたことが分かったのだろう。
こんなにも単純な事なのに、今まで姫燐のことで頭が一杯で考えもしていなかった疑問が、彼女の口元から思わずこぼれる。
「なぜ……デュノア社は、世界でたった二人の男性搭乗者を手放したのかしら……?」
一夏もセシリアの言葉に同意して、かつて姫燐から聞いた『自分達』がどれ程このIS社会にとって特別な存在であるのかを説いていく。
「昔キリが言ってたんだけどさ、俺達の謎――『男なのになんでISが動かせるのか?』って、もし分かったら凄い利益になるんだろ?」
「凄いなんてモノじゃありませんわっ! もしそのメカニズムが解明されて、技術として確立すれば、また世界はひっくり返りますわよ!?」
「じゃあ、そんな世界をひっくり返せるほどの技術を、なんでデュノア社は研究しないんだ? しかも自分の所の一人息子なんだから、俺みたいに四六時中拘束するのも面倒じゃないだろ?」
「それは……」
不自然。あまりにも不自然。
心を裏側から掻き毟られるような焦燥に、セシリアは言葉を詰まらせる。
こうして言われてみれば、おかしい所だらけだ。
なぜ、経営難のデュノア社が世界でたった二人の男性操縦者を手放す?
なぜ、世間にその存在を大々的に公表した?
なぜ、どう考えても無駄でしかないリスクを進んで背負う?
どれもこれもが、ビジネスライクな合理性とは、余りにもかけ離れ過ぎている。
「……何かが、オカシイですわね」
「やっぱり、セシリアもそう思うか?」
今まで以上に二人の間で、シャルル・デュノアという存在に対する不信感が募っていく。
彼の――いや、デュノア社の目的は、一体なんだというのか?
少なくとも真っ当な目的ならば、ここまでキナ臭くはならない筈だ。そして、そのキナ臭さがこの学園を、彼女の居場所を侵すかもしれないのなら……座して待つなど、織斑一夏には出来ない。出来る訳がない。
――昔の俺なら楽観視して、何もしなかったかもな。
固めるのは握りこぶしと、叶える覚悟。
たとえ自分を傷付けても、誰かを傷付けても、少年は護ることを夢見たのだから。
「悪い、セシリア。俺は行くよ」
「あら、どちらに?」
本を置き、踵を返して背中を向ける一夏に、セシリアが尋ねる。
「やらないといけない事ができた、本は悪いけど元の場所に戻しといてくれ」
「お待ちなさいな」
「スマン、止めないでくれ。俺は……」
「誰が、止めると言いましたか?」
そう悪戯気に、セシリアは一夏の肩を擦れ違いざまに叩いて、正面に立つ。
「顔に出てますわよ。『俺が一人でアイツの目的を突きとめてくるから、邪魔するな』って」
「うっ……」
胸中を完璧に言い当てられ言い淀む一夏にクスクスと微笑みかけ、直ぐに凛と表情を正し、セシリアも腹を据える。
「わたくし、言いましたわよね? ここは共同戦線だと」
「けれど……」
確かに彼女が手伝ってくれるのなら、これほど心強い味方は居ない。
知識に経験に戦闘力。そしてなによりも、不義を憎み、正義を至上とする実直な彼女の性格を一夏は口に出さずとも高く評価している。
きっと、目の前で行われているかもしれない曲事を捨てておけないのだろう。
それがセシリア・オルコットなのだとしても、一夏は誰かを事件に巻き込むことと同意であるこの『共同戦線』に素直に同意できず、その真っ直ぐな眼差しを見つめ返せなくて首を落としてしまう。
「まったく……今まで貴方一人で先走って、ロクなことがありましたか? それで一度、キリさんを泣かせた癖に……」
「なッ!!?」
「クラス代表戦の時、あの方はとても傷ついておられましたわ。貴方に『もう必要ない』って言われたことに」
「そんな……俺は……そんなつもりじゃ……」
自分が彼女を、それほどまでに傷付けていた事実に打ちひしがれる一夏を見て、セシリアはあの姉在りて、この弟在りなのだと妙な納得感を覚えた。
どうしようもないほどに、不器用。
この男の性根から考えるに、おそらくあの『必要ない』も、彼女にこれ以上迷惑をかけまいとかけた言葉だったのだろう。だが、それにしても他に言い方は無かったのか。
だというのに、抱く愛は深く、強く、真っ直ぐで……不思議と、不快感は覚えない。
悪さをした子供を叱った後のような、どこか仕方なさそうな笑顔で、セシリアは答えた。
「しっかりおし、織斑一夏ぁッ!」
「ほばぁ!」
その食いしばる一夏の頬に、もう一発強烈なのをオマケにつけながら。
「貴方、それでも紳士ですの! 過去を悔やみ、面を下げている暇があるなら、他にやることが在るのではなくてッ!?」
「ったたた……」
頬は真っ赤に腫れ上がり、ヒリヒリと焼けるような痛みが走り続けるが――一夏はそれを甘んじて受け入れ、フッと微笑む。
「厳しいな、セシリアは……」
「当然ですわ、ライバルに甘さなんて見せませんことよ」
金髪の少女は腕を組み、ピシッと真っ直ぐに伸びた背を向ける。
――私の後に続け。
彼女の迷いない背中は、そう一夏を導いてくれているようだった。
「……作戦は?」
「まだ考えてませんけれど、今夜中には」
「分かった、俺も考えるよ」
背中越しに一夏を見るセシリアの頬が、緩む。
「それで、もし俺の作戦が間違ってたなら……頼みたい事があるんだ」
「ええ、構いませんことよ」
威風堂々と、貴族は振り返って宿敵の眼差しを射抜き、
「何度でも、その頬引っ叩いて差し上げますわ。貴方のライバルである、このセシリア・オルコットが」
「ああ……頼むよ、セシリア」
今まで間違いだらけの人生を送って来た一夏だったが、この選択だけは決して間違いでは無かったと心から信じることが出来た。
こうして夕陽が差しこみ始めた資料室で、二人の競争相手同士の、真実へ共に向かう共同戦線が結ばれる。
ただ――
――それで結局、何のライバルなんだろう……?
肝心の「なんのライバルなのか?」という所を、やはりこの唐変木は綺麗さっぱりマルっと理解できていなかったのだが……。
せっかくのシャルル編なので、シュガー&ハニー買いました。
出乳首でした。