IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第21話「嵐の転校生」

 生徒会室に差しこみ始めた朝日から背を向けるように、彼女は座っている椅子を回転させて向き直った。

 一目見ても高級な代物だと分かる重厚な机と、その向こうで緊張した面持ちで椅子に座る生徒を映しだした赤い瞳が軽く閉じられ、代わりに彼女が手に持った扇子が口元で開き『統制』の二文字が開く。

 

「つまり、新聞部部長である貴方は、よりよいアングルを求めて朴月姫燐さんの提案に乗った……と、いう訳であってるかしら?」

「は……はい、間違いありません」

 

 生徒会長。と書かれたプラカードが乗った机に置いてあった、姫燐が作った第三アリーナの詳細な構図のデータが入ったメモリーカードを手に、彼女は満悦そうな笑みを浮かべる。

 

「す、少しまえ朴月さんに、カメラをしばらくの間かして欲しいって頼まれまして、でもウチの部費で買ったカメラですから、渡すなら相応の物が欲しいって言ったら……」

「このデータを作るって言われた、と?」

「はい……」

 

 確かに数多のイベントが執り行われる第三アリーナのマップデータは、常にベストポジションを確保しておきたい新聞部部長の彼女からしてみれば喉から手が出るほどに欲しい一品だっただろう。

 会長の隣で控えていた、眼鏡をかけたポニーテールの女性が、その奥の鋭い眼光を光らせる。

 

「だけど、これがもし外部に流出すればどうなってしまうか……分かりますよね?」

「で、でも、まさか、ここまで完璧な物を作ってこられるとは思っていなくて」

「分かりますよね」

 

 言い訳はいらない。

 彼女の強い言葉にはそんなニュアンスが多分に含まれており、部長の背筋を畏怖に振るいあがらせる。

 

「まぁまぁ、そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない虚」

「ですが……」

「別に悪用はされなかったし、それどころか人命救助の役に立ったんだから、結果オーライよ」

「会長……」

 

 会長のフランクな態度にホッと、部長は胸をなで下ろすが、

 

「でも、これは没収ね♪」

「はい……」

 

 しっかりと締められるところは締められ、もう席を外して良いと言われても、最後まで部長の肩は下がったままであった。

 扉が閉まり、二人きりになった生徒会室に、虚の溜め息が溶けていく。

 

「らしくないわねぇ、あなたが熱くなるなんて」

「……お嬢様は、何も思わないのですか? 彼女について」

「何も思わないと……思うのかしら?」

「いえ、愚問でした」

 

 俯き、思い詰めたように机に置かれたデータを虚は見下ろした。

 朴月姫燐。今回の第三アリーナ襲撃事件を犠牲者一人出さずに解決した立役者であり、同時に最有力容疑者。

 救出部隊と、イギリスと中国の代表候補生、そして織斑一夏のISの記憶装置から取り出した事の一連は、様々な事件に立ち会って来た彼女達の眼を通しても不可解としか言いようが無かった。

 第三アリーナを突き破り、どこの国が開発に成功したとも聞かない無人のISをほぼ独力で撃墜したと思ったら、新たに登場した敵機に酷く取り乱し、最終的には酷い錯乱状態にまで陥った。

 これらの行動を、本人は「無意識のこと」だと一貫して主張を続けている。

 無人機の撃墜までならまだ納得はいくのだが、その後の専用機達への行動は無意識だけで片付けるには、不審な点が多すぎる。

 何よりも、侵入者が彼女のことを知っており、「キルスティン隊長」と親しげに呼んでいたことが大きな疑念を呼ぶ。彼女達については「初対面だ」と姫燐は言っていたが、ならばなぜ「キルスティン」という名前にあれほど動揺したのか?

 その答えは――彼女が一番知りたそうであった、と尋問をした教師は語っている。

 

「精神鑑定も完全に白。薬物反応なども、打ち込まれたという鎮静剤らしきもの以外は一切検出できませんでした」

 

 つまりは、完全な手詰まり。

 逃げ出した敵機の行方も分からない以上、白と判定するにも黒と断定するにも、証拠が足りず――とりあえずは、監視を続ける方針で上層部を納得させられたのは織斑千冬の口添えも大きかったとは思うが、

 

「まったく、頭がお堅い連中の相手は毎度ながら疲れるわぁ」

 

 ここで畳んだ扇子を使って肩を叩く、水色の髪をした生徒会長の影響も多分に含まれていた。

 無論、彼女がただの全校生徒の代表というだけなら、歯牙にもかけられなかっただろう。

だが、あくまで『IS学園生徒会長』というのは、彼女の数多い肩書の一つ。

 

「『楯無』ともあろうお方が、あの程度の者共を説伏せるのにお疲れで?」

「まさか、言ってみただけよ虚」

 

そう、彼女は『楯無』。

世界の闇と渡り合うために、その身を影へと落とす一族、『更識家』17代目当主。

 

「私は楯無――分かってるわ」

 

 これから自分が、『更識』が成さなくてはならない事を。

 椅子から立ち上がり、扇子を口元に当てながら楯無は出口へと歩み出す。

 

「虚は放課後、翌朝まで帰ってこないわよね?」

「はい、すぐに護衛対象の警護へと向かいます」

「ふふっ、毎日御苦労さまねぇ」

「いえ、この程度……楯無さまは?」

「私は……そうねぇ、今日の授業が終わったら」

 

 扇子を開きつつ、楯無は振り返った。

 その扇子には彼女が背負っているモノを表すような『使命』の二文字。

 

「あの子の所に、かな」

 

 あの子と、呼ばれた少女――朴月姫燐。

 様々な人間から疑念を持たれ、一度はその重みに崩れ落ちそうになり、仲間たちのお陰でなんとか立ち直れた二つの影を持つ少女は今――

 

「いやー……人生って不運と幸運の繰り返しで出来てると思わねぇか? 箒ぃ」

「そうだな……」

 

 過去最高のにやけ面を浮かべながら、対象的に沈みきった同居人ができた自室で報酬品の一眼レフを意気揚々と磨いていた……。

 

 

  第21話 「嵐の転校生」

 

 

「さーて、一夏くんよ。さっそくだが契約内容の確認といこうか」

「……おう」

 

 彼、シャルル・デュノアが転校してきたあの日から一日が経過した放課後、姫燐はいつもの屋上へとなぜか機嫌が悪そうな一夏を連れだし、自分達の関係の再確認を迫った。

 

「まず、オレ達は協力関係だ。そこは覚えてるな?」

「ああ、忘れた事なんてないさ」

 

 自分は『誰かを護ること』。

 彼女は『彼女を作ること』。

 自分の夢こそ少し変わってしまったが、二人が互いの望みを叶えるために交わしたこの協力関係を忘れた日など一度もない。

 だが姫燐は、一夏を指さしながら「ほーぅ」と懐疑の視線を彼に向ける。

 

「あれれー、おっかしいぞぅ? お姉さんの記憶が正しければ、オレはお前に協力してやったことは星の数あっても、お前から協力してもらった覚えが一切全くさっぱりないんだがなー? こりゃ、どういうことかなー?」

「うっ……」

 

 白々しく尋ねられても、全くもってその通りであるため一夏の声が詰まる。

 姫燐のために『彼女を作るための手伝いをする』。それこそが自分が飲んだ協力の対価ではあるのだが――今まで自分のことで手一杯だったため、まったくと言っていいほど支払えていない。

 むしろこの一ヶ月ほど、根気よく待ってくれていたほうである。

 前々から、不味いんじゃないかとは思っていたが、様々なゴタゴタが続いて結局こうして改めて言われてしまうまで、何もできなかったのは紛れもない事実だ。

 

「す、すまんキリ……この埋め合わせは」

「無論、利子つけてしてもらうぜぇ。今からな」

 

 脂汗を流しながら謝罪する一夏に、奴隷を見下すような目で姫燐は当然の権利を行使する。

 

「い、今から?」

「おう、今からだ」

 

 そう言われても、何をすればいいのかサッパリ見当もつかない一夏に、おおむね予想通りといった風に姫燐はギプスへと腕を乗せて、組み上げる。

 

「なぁ、お前はシャルルのことをどう思う?」

「シャルル……か」

 

 遠くフランスの国からやって来た、自分と同じ二人目の男性適合者。

 昨日は他の生徒達に揉みくちゃにされていたため全然しゃべれなかったが、今日から同室となるらしいため、嫌でも顔を合わせる機会は増えていくだろう。

 なので性格は追々分かっていくだろうが、現段階でどう思うと言われても一夏には外見上の特徴を述べることしかできない。

 

「えっと、金髪で、大人しそうで、育ちも良さそうで――」

「そして、何よりも可愛いよなぁ……シャルル」

「…………」

 

 うっとりと瞳を輝かせる姫燐の姿を見て、なぜか一夏の胸の奥に重い物が圧し掛かり――それが思わず口に出てしまう。

 

「けど、随分と華奢だったなアイツ。一体、なに食ってんだか」

「バッカ、そこがいいんじゃねぇか、そ、こ、が!」

 

 いつもよりもテンションが3割増しほど高い彼女の様子からは、少しまえに自分と言う存在に思い悩み、今にも消えてしまいそうなほどに気落ちしていた少女の面影など欠片もなかった。

 とても喜ばしいことではあるのだが――どうにも、モヤモヤが取れない胸に一夏は違和感を覚えてしまう。

 

「雰囲気といい、顔立ちといい、護ってあげたくなるオーラといい、もうほんっとマジでオレのタイプ、こんなに可愛い子が男の子な筈ねぇよなぁ」

「いや、男だろシャルルは」

「…………そうなんだよなぁ……はぁぁぁぁぁぁ…………」

 

 希望に満ち溢れていた姫燐の表情が、一転してこの世の全てから裏切られたような絶望顔へと変貌した。

 

「ああ知ってるよ……現実はいっつもこうだよ……こんなはずばっかりだよ……世界は悲劇だよ……」

「き、キリ?」

 

 何気ないマジレスから、まさかここまでヘコまれるとは思わなくて、労わる様に曲がった彼女の背中へと触れようとし、

 

「ふっ………ふふっ…………」

「え? なんだっ」

「ファーーーーッハッハッハッハァ!!!」

「てィッ!!?」

 

 急遽、高笑いと共に前屈みから180度近く折れ曲がった彼女に、物理的にも精神的にもドン引きする一夏。だが、まったく気にせず姫燐は、屈んでるうちに鞄から取り出したパンフレットを一夏に叩き付けた。

 

「だがっ、人が生み出した英知は主にオレを救ってくれるッ! こいつを見なっ!」

「わぶっ! なんだ、これ……?」

 

 顔面で受け止めたパンフレットの束を剥がして、一番上の表紙を見る。

 

「なになに、『女のススメ』、『俺の性別が男な訳がない』、『俺、女になりま……す……」

 

 次々と冊子の表紙をめくっていく度に、彼女の意図と狙いが嫌というほど読めていき――もう一夏をしても、彼女が途方もないアホなのか、凄まじい大物なのか見当もつかなくなってきた。

 

「き、キリ……お前は、まさかお前って奴は……」

「ふっ、よせよ。そんなに褒めるな」

 

 全く褒めていない。それどころか、大真面目にこれからの付き合い方を考えたい。

 前回の戦いで、頭を強く打ってしまったのだろうか? まさか、全世界にたった二人の、それも世の中を支配している兵器を女性以外で動かせる二人の内の一人を、ただ、ただ可愛いからという理由だけでこの少女は――!

 

「ふと、逆に考え付いただけさ――女じゃないなら、女にしちゃえばいいじゃない、ってな」

 

 どうしてこんな発想をしてしまうまで彼女を放置してしまったんだろうと、一夏は本気で後悔した。

 我ながら震えが止まらないぜ……と、恋をはじめるポーズをしながら叩きつけられた凄まじい姫燐の超理論の前に、一夏の身体も彼女とは別ベクトルにガクガクと震えだす。

 一瞬で精神的レッドカードを叩きつけられ即退場しかけた意識を何とか繋ぎとめながら、一夏は必死に思い直してくれるよう反論をひねり出していく。

 

「ででっ、でもさ、キリ? こういうのって、ほら、料金とかさ、結構するんじゃ……」

「ああ、その辺も問題なしだ。ほれ、見てみ?」

 

 一冊、一夏の手から抜き取って姫燐は付箋を貼ったページをめくり、赤いマーカーでマルがされた欄を見せつける。

 

「え゙っ!!? こんな安いのか性転換って!!?」

 

 パンフレットに書かれた料金プランは、仮にも生まれながら持って生まれたモノを取り除く大手術と考えれば、法外とすら思える格安さであった。昔、一夏がアルバイトをして貯めていた心もとない貯金でも、少しだけ食費を削れば最安値に手が届きそうである。

 

「き、キリ? 流石にこんな闇医者にシャルルを預けるのは……」

「アホか、全部ちゃんとしたクリニックのパンフだっつーの」

 

 裏面を見てみると、確かに一夏もテレビのコマーシャルなどでよく名前を聞く、国内で有名どころのクリニックの名前や電話番号がしっかりと記載されていた。いくら捏造が得意な彼女でも、ここまで凝ったレイアウトを一日で何冊も作り上げるのは不可能だろうし、なにより捏造ではパンフレットの意味がない。

 

「このご時世だ。男であることが嫌になって、男を捨てる奴って結構多いんだぜ? んで、需要が高まれば、供給が盛んになっていくだろ」

 

 そしてオレのパラダイスが出来ていく。と締めた彼女に、一夏は改めて自分――いや、今は自分達か――という存在がどれほどに異端であるのかを再認識させられる。

 男屈女尊。ISの発展により、そう作り変えられた世界の中でも、悪友の五反田弾がそうだったように、自分の周りにはそんな風潮に屈するような人間は居なかった。

 一夏としても、それは何か違う気がする。

 結局は、男が嫌になったのもそんな世界に耐えられなかった自分自身の弱さからだろうに、姿形だけ女になったところで何が変わるというのか? たとえそれで世間の眼が変わったとしても、それは産んでくれた父や母、そして何よりも今まで男として精一杯生きてきた自分自身への手ひどい裏切りじゃないのかと、一夏には思えた。

 まぁ、彼女の提案は、そんな後ろ向きなモノでは無いのだが。

 それどころか、予測もつかない斜め上へとかっとビングしているのだが。

 

「りょ、料金は問題ないのは分かったけどさ……どうやって、シャルルにそれを了承させるんだよ?」

 

 少なくとも自分なら、たとえ相手が姫燐であろうとも「女になってくれ!」と頼まれた場合、流石に断る。土下座でも何をしてでもして断る。だというのに、出会って1日も経たない男に、どうやってそれを頼みこんでOKを貰おうというのか?

 

「なぁに、簡単さ。オトせばいいんだよ、シャルルを」

「オト……すぅ?」

「おう、オレにメロメロにさせて、オレ無しじゃ生きられない身体にしてやる」

 

 もう、勝手してください……。

 真面目にそう言いかけた口を――噤まざる得ない事態へ向かってるんじゃないかと、一夏は察する。

 

「でだ、一夏。ここまで言えば、もう分かるよな?」

 

 ああ――やっぱり、そうなるのか。なってしまうのか。

 自然とダバダバ流れ出した一夏の涙も一切意に関さず、姫燐は言いきった。

 

「んじゃま、改めまして――」

 

「頼むっ、織斑一夏っ! オレの恋愛に協力してくれ!」

 

 こうして織斑一夏は、大きな借りを返すために……凄まじく大きな難題へと向かうことを決定付けられたのだった。

 

「ま、方法は追々考えるけど、お前もリサーチ頼むぜ?」

「りさーち?」

「おう、箒から聞いたけど、お前ら同室になるんだろ? 何が好きかとか、趣味は何だとか、どんな子に萌えるかとか、色々と聞いてきてくれよ」

 

 期待してるぜっ! と、にこやかにサムズアップをし、話は以上だと言わんばかりに姫燐は一夏に背を向けて、出口へ軽やかにスキップしていく。

 彼女から期待されているのは素直に嬉しいし、今までの借りを返す絶好の機会でもある。そして、なによりも純粋に彼女には素敵な人を見つけて、幸せになってほしいとも思う。

 だが――それでも織斑一夏の胸中は、

 

「なんか……スッキリしないんだよなぁ」

「ん、何がだ?」

「あ、いや何でも……ってキリ前ッ!」

「へ? あだっ!?」

「きゃ!?」

 

 一夏の呟きに気を取られていた姫燐が、屋上の扉を空け放って現れた人影と正面衝突してしまう。互いに尻餅をつきながら、一夏も謝ろうと駆け寄り、

 

「ってて、スミマセ……って、セシリア?」

「いえ、こちらこそ……んまっ、キリさん!? 申し訳ありませんお怪我はっ!?」

 

 よく見知ったクラスメイトであることを悟り、とりあえずは一安心しながら改めて駆け寄る。

 

「大丈夫か、キリ、セシリア?」

「ふ、ふんっ、貴方なんかに心配される言われはありませんことよ。さぁ、キリさんお手を」

「ん、悪い」

 

 軽口を叩けるセシリアはもちろん、姫燐も特に怪我はしていないようだった。

 セシリアに起こしてもらい、ズボンの埃を叩きながら姫燐は彼女に尋ねる。

 

「どしたんだセシリア? 屋上なんかに来て」

「貴女を探していたんですわ、キリさん」

「オレを? なんでまた」

 

 多分、姫燐とこの唐変木以外なら一瞬で理解できるだろう理由――では、無さそうだった。

 いつも姫燐に見せている愛おしい人へと向けた柔らかな笑顔ではなく、久方ぶりに覗く凛とした一人の戦士としての顔を固めながら、セシリアは自分の胸に手をやって、

 

「わたくし、先程あのフランスの代表候補生に決闘を申し込みましたの」

「はぁ!?」

「け、決闘!?」

 

 決闘する。セシリアと、シャルルが。

いきなりすぎる果たし合いの報告に、姫燐と一夏は不意を突かれ、目を見開く。

 

「な、なんでまた決闘?」

「や、やっぱりイギリスとフランスって、仲が悪いのか?」

「いえ、お国は関係ありませんわ。これは――私闘ですの、わたくしの」

 

 どういう経緯でこうなったのかは分からないが、チラッと姫燐にセシリアは目配せをして……すぐにソッポを向かれたので、やはり姫燐にも分からない。

 

「それで、キリさんに差し出がましいようですが、お願いがありまして」

「お願いって……なんだ?」

「貴女に立会人になってほしいのですわ。私達が、今日とり行う決闘の」

「え、まぁ、構わないけ……今日!?」

「はい……キリさんには、ぜひ判断してくださって欲しいのです」

 

 突貫工事のように出来上がっていく予定に混乱する姫燐に、セシリアは手を胸に当て、もう片方の腕で空を水平に斬りながら宣言した。

 

「この決闘で、並び立つのに相応しい存在はどちらなのかという事をッ!」

 

 

                ○●○

 

 

「で、こうなったってわけ、一夏?」

「ああ……」

 

 沈みかけた夕陽が照らす第二アリーナは、突拍子もなく決まったイベントだというのに軽いお祭り会場のように人でごった返していた。

 イギリスの代表候補生と、フランスの、しかも二人目の男性IS操縦者の学園に来てからの初戦闘だ。これを注目するなという方が無理だろう。

 観客席に座りながら、一夏は隣に座る鈴に事のあらましを説明し終えた所であった。

 

「私も驚いた。自分の席でブツブツと言っていたオルコットが急に立ちあがったかと思えば、皆に囲まれていたシャルルへ白手袋を叩きつけて、まさか決闘を申し込むとは……」

 

 もう反対の隣に座る箒が、補足するようにその時の様子を解説する。

 

「まさに鬼気迫るような表情でな……いったい、シャルルの何がオルコットの気にさわったのだか」

「まぁ……大方、アレでしょうねぇ」

 

 呆れたように太ももに両肘を乗せながら、鈴は最前列で黄色い声を上げるパパラッチに混ざって、砲弾でも撃てそうな大型レンズを装着した一眼レフのシャッターを一心不乱に押し続ける彼女を見る。

 

「ヒャッハー! シャルルー、こっち向いてくれー!」

 

 既に橙色の専用機『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』を纏いながら困惑顔でアリーナ内に立つシャルルに、世紀末のモヒカンめいたテンションで声援を送る姫燐の姿。よく見ればしっかり三脚まで用意しており、彼女の本気ぶりがうかがえる。

 

「ったく、怪我もまだ完治して無いってのに、あの元気は一体どっから来るのよ……」

 

 常にテンションは高めだが、ここまで我を忘れて熱狂する友人を始めてみる箒も、戸惑いを隠せず鈴に尋ねる。

 

「ど、どういうことだ? あの妙にハイテンションな姫燐とセシリアが、どう関係しているのだ?」

「そうだ鈴、俺達にも教えてくれよ」

 

 ごらんの有様を見てもまだ分からないか唐変木共と思いながらも、面倒見がいい鈴は彼等に解説していく。

 

「アンタら……セシリアは姫燐に、『どちらが傍に居るのに相応しいか見ていてくれ』って頼んだんでしょ?」

「ああ、キリは恐らく『どっちが一夏のライバルに相応しいのか、オレに確かめて欲しいんじゃね?』って言ってたけど……」

「……それ、本気で信じてる?」

「ん、姫燐がそう言うならそうじゃないのか?」

「なんか、本人もイマイチしっくり来てないっぽかったけど……違うのか?」

「いいからもう黙ってなさい、このボンクラーズ」

 

 少しは直ったかと思ったがあいもかわらずな彼の、剣術以外はなまくら極まりない彼女の、そして平時は頭が切れるくせに妙なところでニブチンな彼女の鈍感ぶりに鈴は溜め息しか出ない。

一夏のはもう慣れっこではあるし、箒は元より不器用が服を着て歩いているような存在だからまだしも、姫燐については本当に意外だと鈴は思った。

初対面の時も、あんだけベタ惚れなセシリアの好意に一切気付いていなかったし、一体どのような環境で暮らして来たのだろうか?

末っ子は皆に愛されて育つため、それが当然になってしまい鈍感に育ちやすいと聞くが、そういえば姫燐には兄弟が居るのだろうかと考えた所で――

 

「お、始まったな」

 

 試合開始のアラームと共に、セシリアがブルーティアーズを初っ端から全て展開して、ビーム弾とロケットランチャーの雨を怒涛の勢いでシャルルへと浴びせていく。

 

「うわっ、容赦ないわねー」

「あ、あぁ……オルコットも成長しているようだな」

「セシリアも強くなってるってことか……負けてられないな」

 

 一夏に敗北したことが余程堪えていたのか、セシリアが操るブルーティアーズの機動は見違えるまでに高速化しており、かつては彼女以上に彼女の技を理解していた一夏も、そのデータが既に過去のモノであると悟る――ただ、速くなっているだけで、コントロールは落ちている気がしないでもないが。

 

「だが、デュノアも負けてはいない」

「ああ、アイツも凄いよな。あの銃弾の雨で、あれだけしか被弾しないのか」

 

 初めて相手をするビット兵器に渋い顔を浮かべて回避に徹していたものの、狙いが微妙に甘いことが分かった瞬間からシャルルも即座に積極的な反撃へと打って出始めた。

 僅かな弾道と弾道の隙間を踊る様に縫っていき、クイックターンしてブルーティアーズへと振り返ると共に、冷静かつ的確なスナイパーライフルの一撃を放ちセシリアの足を捉える。

 

「鈴は、どう思う? どっちが優勢って感じだ?」

「んー、五分、って所かしらね」

「……そうだな、これは分からんぞ」

 

 現在、互いのシールドエネルギーはほぼ五分。

 確かに反撃こそ出来ているものの、全方向から絶えず撃ち込まれて来るオールレンジ攻撃は、直撃こそしなくともシャルルの装甲を少なからず叩いている。

 逆にセシリアは、少しでも飽和射撃を緩めた瞬間、即座に飛んでくる銃弾が対処できず、数こそ少ないモノの何発かイイのを受けていた。

 激昂の数と、冷静な一。まさに正反対な二人の戦いは、拮抗を迎えている。

 

「負けるな―! シャルルーッ!」

 

 だが、観客席から姫燐の声援が飛ぶ度に、凄まじい勢いでビットの操作が荒くなっていくセシリアの様子を見れば、

 

「……やっぱり、シャルルが勝つでしょうね」

「ほう、そちらに賭けるか。では私はオルコットに」

「いや、もう勝負ついてるわよアレ」

 

 色んな意味で。とは、あえて口に出さずに、想像通りシャルル優勢へと傾き始めた戦局が、というかこの戦いそのものがだんだん馬鹿らしく思えてきた鈴は、退屈そうにふと目を逸らして、

 

「あれ……? あの人って、まさか……」

「ん、どうしたんだ鈴?」

 

 雑多な観客の中を、まるで幽霊か何かのようにすり抜けて最前列へ向かう、外に向かって跳ねた特徴的な水色のショートヘアをした女性が目に入った。

 観客が退いている訳でもないのに優雅な足取りは止まらず、三日月の口元に閉じた扇子を当てる態度からは曲芸めいた芸当をこなしながらも、それを余裕と笑っているように見えた。身体つきも肉が多すぎず少なすぎず、だが胸に至っては姫燐や箒に匹敵するほどあり――

 

「気にいらないわねぇ……!」

「さっきから何をブツクサ言って……ん?」

「あれは……」

 

 一夏と箒も、影のように変幻自在であるというのに、陽光のように無視できない存在感を放つ女性の存在に気付いたようだった。

 

「確かあの人……入学式で見た事あるような?」

「アンタ、あんだけ強くなるって言っときながら知らないの? あの人はねぇ、この学園の生徒会長の更識……」

 

 説明しかけた鈴の口も、聞いていた一夏の顔も、無言で姿を追いかけ続けていた箒の眼も、固まる。

 悠々と最前列へ到着した彼女は、未だに一眼レフに顔を貼り付けたまま微動だにしない姫燐の背後へと忍び寄り――

 

「えーい、後ろをバックぅ♪」

「ひにゃああぁぁぁぁい!!?」

 

 黒いインナーの中へと白い手を滑り込まされ、姫燐はらしくもない悲鳴を第二アリーナに響かせた。

 

「あ、墜ちた」

 

 一方、ビット諸共すべての動きを急停止させたセシリアも、懸念顔のシャルルが放ったグレネードランチャーの爆炎の中へと消えていった。

 

 

                 ○●○

 

 

「はぁ、はぁ、ハァッ……はぁぁっ……」

 

 第二アリーナから少し離れたベンチに腰掛け、一心不乱に走り続けていた姫燐は上下左右すべてを確認しようやく一息をついた。

 

「な、なん、で……よりにもよって……みんなが居る時に……!」

 

 今まで不干渉だったくせに、なんでよりにもよってこのタイミングでやって来るのか? 一眼レフを放置してまで脱兎のように即刻撤退を決めこんでしまったが、それでもまだ、襲いかかって来た脅威に比べれば安いダメージだと断定できる。

 警戒心を限界まで高めながら、もう今日はこのまま部屋でジッとしていよう。んで明日、皆が居ない内に直談判しに行こうと心に決めて、もう一度立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、

 

「おーい、キリー!」

「ひゃいっ! ……ああ、なんだお前らかよ……」

 

 突然かけられた声に、全身の毛が跳ね上がったような感覚を覚えるが、それがいつもの3人であることに一安心し、脱力してまた深くベンチに腰掛ける。

 

「まったく、探させんじゃないわよ」

「大丈夫か姫燐? なんだったのだ、さっきの痴れ者は……」

「ていうか、お前も熱中しすぎだろ。いつもなら背後に立たれたらすぐ気付くじゃないか」

「うっせぇ……いくらお姉さんでも、あの人の気配なんて掴める訳ないっつの。織斑先生ぐらいだ、出来そうなのは」

「もうっ、やあねぇ。そんなに褒められると、お姉さん照れちゃうわ」

 

 姫燐は溜め息をついて前屈みになりながら、とりあえず4人の内の誰かにカメラを回収してきてもらえないかと頼もうとして――4人?

 

「でも『あの人』なんて、他人行儀な呼び方はちょっと傷ついちゃうなぁ。オロロ……」

「がッッッ!!?」

「ん、なぁっ!?」

「ええっ!?」

「い、いつの間にッ!?」

 

 いつの間にか誰にも悟られず一夏達の間にシレっと混ざっていた水色の髪をした女性は、胡散臭さを隠そうともせずに手に持った桃色の水玉模様な布で、流れてもない涙を拭う。

 いや、確かに布ではあるのだが、金属の留め具があり、肩ひもがあり、そして大きな二つの楕円形の膨らみがある布は、世間一般的にハンカチとは言わず……

 

「おっ、オレのブラっ!? あれ、なんでっ!?」

「はい一夏ドーン!!」

「クァバゼッ!!?」

 

 いつの間にか軽くなっていた胸部を確かめるようにポンポンと叩いて揺らす姫燐の方に、思わず向いてしまった一夏の視線が箒と鈴の双龍拳で真上に向けられる。

 

「うーん……しばらく見ない内に大きくなったわねぇ……負けてるかも」

「かかかっ、返せ、すぐ返せ、今すぐ返せぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 真っ赤になって必死に飛びかかる姫燐を最小限の動きでかわし続けながら、イリュージョン下着ドロ現行犯は涼しい顔で彼女に尋ねる。

 

「んー、返してもいいんだけど……それは、いったい誰に言ってる言葉なのかしらー?」

「ぐっ、そ、それは……その……さ、更し」

「ちなみに、『あの呼び方』以外なら、これを青少年の性夜を彩る貢物にしちゃうわよ?」

「えっあびじょっ!?」

 

 思わず反応してしまった一夏に叩きこまれる箒と鈴のクロスボンバーを捨て置いて、姫燐は胸を押さえ羞恥と屈辱で半泣きになりながらも、キッと気丈に彼女を睨みつけて、屈辱を噛みつぶす様に懇願した。

 

「お、オレの……ブラジャー返せよぉ、か…………かた……かた姉……っ!」

「ふふっ、久しぶり。本当に大きくなったわね、ヒメちゃん」

 

「か、かた姉……?」

「ひ、ヒメちゃん……?」

 

 これでいいんだろと鼻息荒くブラジャーを引っ手繰る『ヒメちゃん』に、加虐的な笑みを浮かべながら胸元から取り出した『再会』の二文字が書かれた扇子を開く『かた姉』。

 初対面や只の知り合い、と呼ぶには余りに近く見える二人の距離感に戸惑い声を出せない一夏達の代わりに、こちらへと駆け足で向かって来た微妙に焦げている金髪ロールを揺らして、

 

「ま、まさか……あ、貴方でしたの!? キリさんのお姉さんというのは……?」

「はぁっ!!? セシリアあんた、嘘っ、お姉さんってこの人がっ!? 姫燐のっ!?」

 

 試合を終えた後、すぐさま姫燐を探していたのか、ISスーツのままなセシリアに鈴が酷く狼狽し声を荒げる。

 

「なぁ、鈴。お前はこの人のこと知ってんのかよ? そんなに凄い人なのか?」

「ばっ、アンタねぇ!? むしろなんで転入してきたあたしが知ってて、アンタの方が知らないのよ!?」

 

 何をすっとぼけた事を聞いてるのだと、鈴は引っ掻きまわされっぱなしな頭を無理やり鎮め、こちらを値踏みするように見つめる先輩を指刺した。

 

「この人は更識楯無さんっ! IS学園生徒会長にして、ロシアの代表操縦者なのよッ!」

「候補生じゃなくて……代表者!?」

「よしなにねー♪」

 

 健やかな笑顔で手をヒラヒラさせる楯無に、一夏はショックを受けながらも若干硬い笑顔で、箒は友人に呵責無いセクハラを加えた相手として警戒心を募らせながらも軽く会釈する。

 

「なぁ姫燐、どういうことだよ? 姫燐って確か一人っ子だったよな? それにロシアの代表さんと知り合いって」

「うっ……それは……確かに姉さんで間違ってはないんだが……」

 

 このまえ聞いた話では『兄弟は居ない』と確かに言っていた彼女に一夏が尋ねるが、姫燐は出来れば触れて欲しくないと言わんばかりに視線を逸らし、言葉を濁す。

 その会話で、彼女が一夏に家族構成をどう説明していたのか何となく察した楯無が、助け船を出した。

 

「ええ、血は繋がってないわよ。私とヒメちゃんは」

「確かに、姉妹って言うにはちょっと無理があるわよね」

 

 髪の色といい、雰囲気といい、顔立ちといい、外見的な相似はあまり見受けられないように鈴には思える。

 

「でもね、私とヒメちゃんの間にはそんじゃそこらの姉妹に負けない程、百合の花が百花繚乱するルミナスな絆が」

「こ、この人とオレは只の幼馴染だ。ガキの頃に少し世話になったってだけだっつの」

「そんなっ!」

 

 熱に浮かされような語り部を余所に、そっぽ向きながら冷たく返す姫燐に、非常に芝居がかったような仕草でヨロヨロと楯無は地面に崩れ落ちた。

 

「あ、ああ……あの何をするにも私の傍から離れず『かた姉ぇー、かた姉ぇー』って抱きついて、お昼寝の時も私が一緒に添い寝しないとそれだけで泣き出したヒメちゃんが、しばらく見ない内にこんな言葉使いが荒い不良になってしまうだなんて……ううっ」

「ぎがっ!?」

「き、姫燐……?」

 

 白眼をむいて固まった姫燐の反応を見る限り信じ難い事だが、どうやら出まかせではないらしい。

 ぐすん、と自分で言いながら、楯無は制服のポケットから写真を一枚取り出す。

 

「もう、あの頃のすっごく可愛かったヒメちゃんは、思い出の中にしか居ないのね……」

「は……ぇ……?」

 

戦慄。完璧にフリーズしてしまった今の姫燐の様子を、一文字で表すならこれ以上に相応しい物は無いだろう。

 

「ああっ、意地悪な風さんが写真を後輩たちの所へっ」

「うおわっ!?」

 

 妙に説明口調な楯無が意地悪な風さん(物理)の力を借りて、手裏剣のようにその写真を茫然と経緯を見守っていた一夏の手へ投げ渡す。

 すっぽりと一夏の指と指の間に丁度挟まった写真を、固まった姫燐を除く全員がいったい何なんだと覗き見る。

 

「む、子供……?」

「うわっ、また凄い格好してるわね」

「まぁ、可愛らしい」

「……誰だ、これ?」

 

 そこには背景の和風なお屋敷とは非常にミスマッチな、白とピンクを基調にしたドレスのようなゴスロリ服を着こみ、寸胴体型の犬のぬいぐるみを愛おしそうに抱きしめて、上目使いでこちらを見つめる長く綺麗な『赤髪をした少女』の姿が映っており――

 

「……まさか、この子って昔のきr」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!? ワァァァァァァァ!!! ホァァァァァァァァァア!!? イヤァァァァァァァァァァ!!?」

「グわぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 奇声を上げながら姫燐が、電光石火の早業で一夏から写真を奪い取って、即座に粉微塵へと破り捨てる。そして、即座に凄まじい殺気を眼力に込めながら一夏達を睨みつけ、

 

「見てないな?」

「いや、あの、キリ?」

「お、ま、え、ら、は、何も、見てない。いいな?」

 

 恐らく、ISが手にあったなら即座に展開して腕部ブレードを喉元に突き付けていただろう気迫で一夏達に迫る姫燐だったが、肝心の出元を押さえることを忘れており、

 

「残念ヒメちゃん、私の思い出は百八式まであるのよ」

 

 と、言いつつ楯無は扇子の代わりに、大量の写真を扇のように口元で開いた。

 その写真には先程の少女が、涙目で小型犬に追いかけられていたり、アイスクリームを服にこぼして今にも泣きそうだったり、水溜りに転び泥だらけになって同年代の子に笑われていたり、柔らかそうなほっぺを横に引き伸ばされながらグズグズになってかんしゃくを起こしていたり――

 

「ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぅ!!!」

「おほほほほほほっ」

 

 悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げ、熟れたトマトよりも真っ赤になりながら姫燐は楯無から写真を奪おうとするも、やはりヒラリヒラリと全て軽々といなされてしまう。

 

「な、ん、か怨みでもあんのかよオレにィッ! くそっ、クソッ!」

「まさか。私が可愛い可愛いヒメちゃんの事を怨むわけないじゃないのー……そう」

 

 姫燐の腕が大振りに身体を掠めた瞬間に、一瞬で彼女の鼻先まで顔を近付けながら、

 

「入学初日、直接会いに行った時に『初めまして、更識生徒会長どの』とか言われた事なんて、全っ然気にしてないのよー……」

 

 ものっそい怨恨を込めながら、サディスティックに微笑んだ。

 

「だ、だってその……かた姉達がこの学校居るって知らなかったし……昔の知り合い居たらカッコつかねぇし……この歳でヒメちゃん呼ばわりとか冗談じゃねぇし……」

「本音ちゃんには、お菓子で買収してでも仲良くしてたのに?」

「アンタの場合、本音と違って絶対にこうなると思ってたから関わり合いになりたくなかったんだよクソォ!」

 

 本音――確かのほほんさんの本名がそんな名前だった気がすると、一夏は思いだし、そしてあの二人知り合いだったのかと、そしてお菓子で買収されてたのかよと、次々と判明していく衝撃の事実に閉口――口はポカンと開きっぱなしだったが――していた皆だったが、ここでふとセシリアが率直な疑問を口にする。

 

「そういえば、更識会長はどうしてキリさんのことを『ヒメちゃん』とお呼びになるのですか?」

「ぐふうッ!!?」

「んっんー、いい質問ね―」

 

 腹に重いボディブローを受けたような声を出す姫燐から繰り出されるであろう妨害を、先んじて封じるように彼女の背後に立ち、後ろから抱き締めるように左手を掴む。

 これだけで、右腕がギプスによって固定されている姫燐にとっては両腕を塞がれたのと同じであり、いくらなんでも姉を足で蹴り飛ばすのは躊躇われ、拘束されたまま身悶えすることしか出来なくなってしまう。

 当然、その程度のささやかな反抗でどうこうできる相手ではなく、ビクともしない肉体の拘束具はもう片方の手で、『姫燐』と書かれた扇子を名札のように彼女の胸元で開く。

 

「やっ、やめてくれ……そ、それだけは……本当に……!」

「ほら、ヒメちゃんの名前って漢字で書くとこういう風に『姫燐』って書くでしょ?」

「ふむふむ……あっ、なるほど、そういうことですの!」

「あ……ぁぁぁ…………!」

 

 プチプチでも潰していくかのような軽さで姫燐の希望を潰していることになど一切気付かず、セシリアは前が覆っていた霧が晴れたかのような満面の笑みで、

 

「姫燐さんの『姫』が、お姫さまの『姫』だから『ヒメ』ちゃん! なんてお可愛らしいあだ名なのでしょう!」

「でしょーう? なんだか貴方とは気が合いそうだわぁ」

「は、ハハはっ、ころせー、誰かオレをころせー……」

 

 黒歴史全てをお天道様の下へと晒され、真っ白に姫燐が燃え尽きる。

 

「た、確かにお姫さまだからヒメは、この歳じゃちょっと……ね」

「うむ……」

 

 妙なシンパシーを感じている上流階級なお二人とは違い、実に平凡な庶民的感性をしている箒と鈴にとっては、若干16歳にしてお姫様と連呼される姫燐に心底同情し、

 

「あれ……近所のおばちゃんとかに『○○王子』って呼ばれるのって、割と普通のことなんじゃ……?」

 

 庶民とも上流階級とも違う天然は、一人的外れなことを考えていた。

 

「もうやだ……お外出られない……実家帰る……」

「どうしてですの? キリさんにピッタリな、とても愛らしいあだ名ではございませんか」

「そうよぉ、『ヒメはお姫様だから、ヒメって呼んでっ!』って、ドヤ顔で初対面の時に言ってくれたのは他の誰でも無いヒメちゃ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!! かた姉のバカぁぁぁーーー!!!」

 

 しかも発生が自分であったという特大クラスにアイタタな過去を掘り起こされ、今度こそ完璧に幼児退行を起こした姫燐は、楯無を振りほどいて闇夜の中へと駆け出して行く。

 

「あっ、待って下さいましキリさ――いえ、ヒメさーーーん! できれば、わたくしもこちらのあだ名で呼ばせて頂きたいのですがーー!?」

「まっ、待てセシリアッ! それ以上いけない!」

「本当にやめてあげなさいっ! マジで姫燐のやつ自殺しかねないわよっ!」

 

 無意識に死体蹴りへ向かうセシリアの後を、箒と鈴が血相を変えて追いかけていく。

 流れで一人だけ置いて行かれた一夏は、同年代から呼ばれるのは確かに照れるな。と、やはり微妙に遅くてズレた納得をし終え、満悦顔で姫燐達を見送った会長に一応釘をさしておくことにした。

 

「あんまりイジめないでやって下さいよ、アイツああ見えて結構ナイーブなんですから」

「ええ、よく知ってるわよ。というより、ヒメちゃん貴方にはしっかり見せてるのね、そんな一面も」

 

 見せた、というより、見させてしまった。というのが正しいので素直にハイと言えない一夏だったが、気にせず楯無はベンチに座る。

 

「貴方も座ったら?」

「あ、はい」

 

 なんとなく、彼女と同じ場所に座ることに躊躇いを覚えていた一夏だったが、流石に催促されているのに理由もなく座らないのは失礼だと考え、ベンチに腰掛ける。

 

「謙虚なのは美点だけど、もう少しガツガツしてた方がお姉さん好みかなぁ」

「は、はぁ……」

 

 ただのベンチに座っているだけだというのに、足を組みながら愛用の扇子を口に当てるその仕草と、さっきまでとは打って変わった不動で閑静な出で立ちから、時によって美しくも激しくも移り変わる、まるで清流のような人だと一夏には思えた。

 

「あらぁ、でもいきなりそんなじっくり見られると、お姉さん照れちゃう」

 

 だが、キャーと、ワザとらしく頬に手をやって顔を振る、常に人をからかうような仕草や、自分のことを偶に『お姉さん』と呼ぶところなどは本当に姫燐とそっくりであり、もはや疑いようもなく、

 

「本当に、キリのお姉さんなんですね。更識さんって」

「あんっ、『更識さん』なんて他人行儀な呼び方つれないわ。楯無って、呼んでくれるかしら? 私も一夏くんって呼ぶから」

「えっ、どうして俺の名前を――知ってますか、生徒会長なら」

 

 生徒会長じゃなくてもよぉ。と朗らかに笑う楯無に、一夏は未だ慣れぬ自身の有名人っぷりに軽く溜め息をつきながら、

 

「大分前から、楯無さんとキリってお知り合いだったんですね」

「ええ、4年前にあの子が親御さんに連れて来られて、1年間ぐらいの付き合いだったけど」

 

 楯無は、今も色あせぬ彼女と過ごした日々を追憶する。

 

「甘えん坊で泣き虫な子で、すっごくちっちゃかったのよぉ。あの時は、私より頭一つぐらい小さかったかしら?」

 

 今の姫燐と楯無では、あまり身長差が無いように思えるが、女性の成長期は本当に見違えるほど身長が伸びるため、当時はそのくらいだったのだろうと一夏は解釈する。

 

「じゃあ、さっきから言ってたことも」

「ええ、ぜーんぶ本当。可愛かったわぁ……あの頃のヒメちゃんは、ちょっとイジワルするだけですぐ涙目になってムキになって」

 

 Sっ気たっぷりな光悦を滲みだす楯無に、この人にだけは弱味を握らせないようにしようと誓いながら、今では想像もできない様な姫燐の過去へがぜん興味が湧いて来る。

 

「そんなに泣き虫だったんですか?」

「ええ、特に妹との――ああ、私もう一人ちゃんと血の繋がった妹が居るんだけれど、その子には家に来るたび泣かされててねぇ、その度に私に泣きついてきたわ」

 

 懐かしいわぁ、と空を、彼女にしか見えないヒメちゃんの頭を撫でるように手を動かしながら、

 

「こんな風に、いっつも……嬉しかったわぁ」

「嬉しかった?」

 

 一夏の疑問に、顎を扇子で軽く突き上げ、少しだけ躊躇いながら、「お恥ずかしい話なんだけれども」と楯無は続ける。

 

「私ね、実の妹――更識簪って言うんだけれど、その子に嫌われちゃってるのよ」

「嫌われて、ですか? 妹さんなのに?」

 

 確かに飄々として破天荒なところはあっても、男の自分にでも偏見を持たず、気取らず屈託のない態度で接してくれる楯無に、一夏は出会ったばかりだというのに大分心を許していた。

 だというのに親しい存在である妹には嫌われているというのが、どうにも腑に落ちない。

 

「下手に親しいからこそ、他人なら感じないことも感じちゃうの。貴方になら分かるんじゃないかしら、『あの』織斑千冬の弟である、織斑一夏になら」

「……そうか、そういうこと、ですか」

 

 自分に当てはめられて、一夏は簪という少女の気持ちが痛いほどよく分かった。

 何をしても、どれほど努力しても越えられず、他者からは必ず比べられて、勝手に貶められる。圧倒的すぎるほどに偉大な姉の影は、常に一夏の背後に這い寄っていた。

 自分の場合は、両親代わりであった姉に深い恩義と尊敬を感じており、姉と同じ道を歩んでいなかったのもあって「そんなの当然のことだろ?」と流せていたが……もし、何か1つでも歯車が狂っていたのなら、一度も感じなかったとは言えない劣等感が溜まりに溜まり、爆発してしまったとしたら――果たして織斑一夏は、今のように織斑千冬を愛せていただろうか?

 

「私も当時から、ずっとどうすればいいか分からなくてねぇ……だから、余計に可愛く思えちゃったのよ、かた姉かた姉って甘えてくるヒメちゃんが」

「キリが、ですか?」

「やっぱり人間、どんなに頑張っても自分を好いてくれる子のほうが、可愛く映っちゃうモノなのよねぇ……多分これも、嫌われてる一因」

 

 憂鬱そうに楯無は背筋をまげて、肘を太ももにつき、頬を掌に乗せる。

 

「昔の私は、妹を余所に目一杯ヒメちゃんを可愛がったわ。家に来てくれれば来てくれるほど、私にどんどん懐いてくれるのがついつい嬉しくって……家に来たら、真っ先に私の名前を呼んで胸に飛び込んできてくれるのよ? もう、天使よ、最高よ、ハイって奴よ」

「ははは……」

 

 写真でしか見た事ない一夏でも、確かに昔の姫燐はとても可愛らしかった。あんな娘に兄と慕われ心から好かれて甘えられてしまったら、シスコンにならない自信が一夏にはなく……まさか、自分も無意識のうちに、千冬に思いっきり甘えていたからあそこまで姉は自分を愛してくれているんじゃないかと、思わず一夏は深刻な顔になってしまう。

 

「あの人のそれは、多分貴方が原因じゃないと思うけど……とにかくヒメちゃんは、少し捻くれちゃったけど本当は、弱虫で、泣き虫で、甘えん坊で可愛くて――だから、ありえないのよ」

「……えっ」

 

 空を見上げて目を閉じて、ただ美しい過去を追いかけていただけだった楯無の瞳が――認め難い現実に強く見開かれる。

 

「あんな、あんなに優しい子が……あんな外道共と同類だなんて……ありえないのよ……!」

 

 激しい憤怒と深い無力感を、その眼と剥いた牙に宿しながら。

 

「楯無……さん?」

「……ねぇ、一夏くん? 貴方は、あの戦いでヒメちゃんの事をどう思った?」

「えっと……それは……」

「構わないわ、正直に言ってちょうだい」

 

 どんな言葉も受け止める。ただし、余計な慰めもいらない。

 真っ直ぐに一夏へと視線を送る楯無に、一夏は強い人だと尊敬の念を抱きながらも、その思いに容赦のない答えを返す。

 

「ハッキリ言えば、俺も思ってます。アイツらとキリには、何らかの関係があって、どこかで繋がっているんじゃないかって」

「ええ……そうね……誰だって……そう思うわ」

 

 大切な妹を貶すような発言を、悲しい表情を浮かべつつもしかと受け止めた楯無の姿に、一夏は確信する。

この人になら、キリを任せられる、自分が力をつけるまでキリを護ってくれる、と。

 

「だったら、楯無さんがアイツを護ってやってくれませんか? ロシア代表操縦者なんですよね? 俺も、貴方になら安心してキリを」

「……り、よ」

「……えっ?」

「無理……なのよ。私は、あの子を……信じられない」

「どっ、どうしてですかっ!?」

 

 何故だ。貴方は姫燐を大切に思っているのではないのか? 先程まで、とても幸せそうに語ってくれたことはウソだったのか? 貴方はアイツの家族じゃないのか?

 裏切られたような気持ちは、一夏の頭に血を送っていき、熱を篭らせていく。

 

「家族の楯無さんが信じてやらないで、いったい誰がキリを信じてやるんですか!? 貴方は分かってたんじゃないんですか、キリは絶対にこんなことするような奴じゃないって!?」

「……ごめんなさいね、少し、言い方が悪かったわ」

 

 頭に血が昇る一夏とは対極に、先程までコロコロと姿を変えていた楯無の表情が『無』に凍りつく。冷徹な……まるで、敵を排除する時の姫燐と同じような能面をつけているように。

 

「私はヒメちゃんを『信じられない』のではなく、『信じてはいけない』のよ」

「どうして……ですか?」

 

 彼女の変貌に息を詰まらせる一夏を置いて、楯無は立ち上がり、闇に浮かび始めた月光に照らされながら、

 

「……一夏くんは、なんでヒメちゃんが私の事を『かた姉』って呼ぶか分かる?」

「えっ……それは……」

 

 よくよく考えてみれば、なぜ彼女は姫燐に『かた姉』と呼ばれているのだろう。一夏は答えられなかった。

姉はともかく、『更識楯無』の名前に『かた』の文字は無く、姫燐のヒメちゃんのように漢字を捩っても『かた』の文字は出て来ない。

 

「実はね、楯無っていうのは偽名なの」

「偽名、ですか?」

「そう……私は『更識』の一族」

 

 一夏へと振り向き、バッと、口元で開かれた扇子に刻まれた『楯無』の二文字。

 それが、彼女という人間が背負う使命の名。

 

「先祖代々、この国から依頼を受け負い、この世の裏に潜む『闇』を葬るために暗躍する暗部の一族『更識』が17代目当主――『楯無』は、その長となった者に襲名される字なの」

「あざ……な……」

 

 ゲームやマンガの中だけの存在だと思っていた、暗殺者や諜報員、暗部といった存在のトップが今、目の前に居るなどと突然言われても、訳が分からない一夏であったが――そういう存在が、何を目的に動くかだけは、分かる。

 

「まさか、アンタはキリをっ!?」

「……今のところは、対象じゃないわ。限りなく、グレーのラインに足を突っ込んでいるけど」

 

 臨戦態勢に入り、立ち上がって待機形態の白式に手をやる一夏にも、冷めた目線を動かすだけで微動だにせず楯無は扇子の下の口を動かす。

 

「楯無はね、決して他人を信じてはいけないの。信じれば信じるほど、無色の眼鏡に色が出来てきて、的確な判断ができなくなるもの。それがたとえ――親族であっても、ね」

「じゃあ……俺のことも、キリのことも……」

「ええ、楯無は最初からこれっぽっちも信じちゃいないわ……ごめんなさいね、期待させちゃって」

 

 感情の篭っていない楯無の謝罪は、彼女を信じ切っていた一夏の神経を逆なでする。

自分は構わない。だが、家族を、姫燐を裏切ったことだけは絶対に――許せない。

 

「なら……謝って来てください」

「誰に、かしら?」

「キリにです! アイツは4年たっても、貴方を姉と認めていた! 口ではなんと言おうとも、キリは貴方を今でも慕って……家族だと思って、信じていたんですよ!?」

「……そう、なの……あの娘もバカね、もう『かた姉』はこの世の何処にも居ないのに」

 

 その一言が、限界、だった。

 

「白式ィ!!!」

 

 一夏の両腕に白い装甲が部分展開され、その手に雪片が握られ――世界が、180度ひっくり返った。

 

「あがっ!?」

「遅いわね」

 

 何が起こったのか一夏には分からない。

 だが、結果から断片的なことは理解できた。いつの間にか地面に仰向けに叩きつけられた事と、楯無に腰の上へ座られていること……そして自分が、瞬殺され、敗北したことを。

 

「ISの展開速度、戦闘開始からの初動、緊急時の身体捌き……それに全身展開しないってことは、手加減するつもりだったわけね。ロシアの代表操縦者であり、楯無であるこの私に、数か月前までド素人だった貴方が」

「ぐっ……があぁぁ!」

 

 動かそうとした雪片を持った右手が、軽々と曲がらない方向へ捻り上げられ、激痛が走る。

 

「悪あがきだけは一人前みたいじゃない……でも、それだけじゃね」

「く……そ……!」

 

 この体制になってしまえば、もう身体を動かすことは出来ないし、残りのパーツを出現させようにも、腕を捻りあげられて集中力が保たない。完全な王手と呼べた。

 

「ん―……そうね、後学のために一応聞いておこうかしら? 私に1%でも勝てると思った?」

「思ってなかったさ……俺なんかが、貴方に勝てるだなんて……!」

「じゃ、なんで? 痛い目に会うだけじゃない」

 

 確かに、無茶無謀な相手にケンカを売ったと一夏は思う。作戦も何も考えずに、冷静さを失って突撃したのだから当然だとも思う。だが、それでも彼は、楯無がほざいた『ある一点』だけは、どうしても我慢ならなかったのだ。

 心底不思議そうに尋ねる楯無に、土をつけられた顔を必死に上げながら、一夏は睨み返す。

 

「アンタが……バカにしたからだ」

「私が……?」

「アイツを……キリを、アンタがバカにしやがったからだッ! 文句あるかッ!?」

 

 そう言いきった一夏の啖呵を受けながらも、やはり楯無は冷然とした態度を崩さぬまま、

 

「ふぅん……そんなにヒメちゃんの事が大切なの? 裏切り者かもしれないのに? いつか貴方の首を狙うかもしれないのに?」

「ああ、大切だね! 俺が全てを賭けてでも護ってやりたいぐらいになッ!」

「……………………」

 

 首が回り切らないため、一夏は急に無言になった楯無がどんな表情をしているか分からなかったが、

 

「へっ?」

 

 なに言ってんだコイツ? そんな感情がありありと満ちた声がこぼれたのは分かった。

 

「えっ? ええっと……それは、その、そういうこと、で、イイのかしら?」

「……はい?」

 

 先程までの冷たく抉り込んでくるようだった楯無の発言が、いきなり凄まじくアバウトで要領を得なくなり、一夏も思わず入っていた力が抜け落ちる。

 

「あっ、いや、あああ貴方って、全てを賭けて護るって、つまり、その、ヒメちゃんのことを、え……えええええっ!?」

 

 いったい、何を大混乱しているのだろうか? 当然のことを言っただけなのに。と、自分がした発言がどう受け取られてるか分からないまま、一夏は拘束が離されていた手を地面につき、背に座る楯無をISのパワーで押し返した。

 

「きゃあ!?」

「さ、さぁ、これで形勢逆転だ! アンタが言ったことを撤回してもら……」

 

 ようやく対面できたと思った楯無の顔は、人を食ったような笑みでも無く、能面のような無表情でも無く、熟したリンゴのように真っ赤っかであり、倒れ込んだまま起き上がろうともしないため、一夏の気概もモリモリ削れ、ISも消失する。

 

「そっ、その……か、確認! 一回だけ確認させて!」

「は……はぁ」

 

 尻餅をつきながら、掌で『待った!』と一時停戦をお願いしながら、楯無は初心な子供が学芸会に出る時のように大きく深呼吸を繰り返し、

 

「えっと、ね? 一夏くんは、ヒメちゃんのことが、その……」

「はい、護りたいって思ってます。それが、俺の夢ですから」

「う……うそでしょ……? な、仲良しだとは思ってたけど……まさか、ここまで……ヒメちゃん攻略早っ……恐ろしい子ッ……」

 

 なにが一体、そこまで信じられないのだろうか? まさか自分は、そこまで軽い男に見られていたのだろうか? 一夏の見当外れな心配をしている間に、あるていど落ち着きを取り戻したのか、ようやく楯無は立ち上がると、動揺をできる限り隠すように扇子で口元を隠す。

 

「ふ、ふふふっ……なるほどね、貴方の気持ち、お姉さんしっかりと受け取ったわ」

 

 まだ扇子が文字が出る方と逆を向けている分、かなり狼狽しているようだが、これ以上グダグダになるのも勘弁願いたかったので、あえて一夏はスルーする。

 

「……でも、なんでヒメちゃんなの? 貴方なら、他に一杯居るじゃない」

 

 他に一杯――つまり、千冬姉や、クラスのみんなの事だろう。

 確かに一夏も、昔は自分が関わった全ての人間を護ることを夢見ていた。

 だがそれは所詮、憧れていた姉の強さを『全能な何か』と履き違えていただけで、織斑一夏が如何に盲目だったかを象徴するような夢物語だった。

 それに気付けたのは、いつだって自分の隣に居て、居なくなって、また帰って来てくれた少女の貴さと、儚さと、弱さを知ったから。

 ――少し、これを言葉にするのはクサいと思った一夏は簡潔に、それでも嘘偽りない自分の全てを込めて、楯無に言った。

 

「俺が、どうしても護りたいと思ったから――じゃ、ダメですか?」

「そう……そう、なの」

 

 楯無は目を閉じながら扇子を畳んで、その向こうにある優しい笑みを一夏に見せた。

 

「……こっから先は、口外厳禁で、頼むわね」

「はいっ?」

 

 どんな時でも片時すら手離さなかった扇子を、楯無はそっと地面に置いて、

 

「これ、当主の証みたいなもんだから、片時でも手放したら即一族追放レベルのモノなのよ」

「え、ええっ!!? な、いいんですか!?」

「もちろん、全然よくないわよ。だから黙ってて、ってお願いしてるじゃない」

「なら、なおさらっ……ッッッ!?」

 

 突然の暴挙に戸惑う一夏の身体を、楯無――だった少女が抱きしめた。

 

「あああっ、あんた一体なにをぉぉぉッ!?」

「……がい……」

「はぃぃ!?」

「おねっ、がい……お願い……一夏っ、くん……」

 

 胸に飛び込んできた少女が流す涙。

 弱味を他人に見せてはならない楯無。

 そして今、彼女が楯無を一時とはいえ捨てた意味を、一夏は理解した。

 ここに居るのは、使命に生き、己を殺す更識楯無ではない。

 

「あの子を……ヒメちゃんを……護って……一人に……しないであげて……!」

 

 ただ、大切な妹の身を心から案じる少女――かた姉だった。

 

「ヒメちゃんはね……絶対にあんなこと出来る子じゃないの……とっても泣き虫で……とっても甘えん坊で……とっても、とっても優しい子なの……!」

「はい」

「人を傷付けてね……怖い目にあってね……怪我をしてね……それでも笑えるような子じゃないの……! ヒメちゃんは必死に強がって、泣くのを堪えてるだけなの……!」

「はい……はい」

「でもね……私はもうかた姉に戻れないの……あの子のお姉ちゃんになってあげられないのよぉぉぉ……!」

 

 どれほどの絶望だったのだろうか。

 力があるのに、傍に居るのに、護り抜けるはずなのに。

 立場という呪縛1つで、大切な人を自らの手で追い詰めなくてはならないという地獄は。

 自分の愚かさと歪さに咽び泣く少女を一夏は受け止めながら、もう一度誓う。

 

「分かりました……俺が、背負います」

「……せお、う……?」

「キリを護る役目を、かた姉さんの分まで俺が背負っていきます。アイツの笑顔を奪う奴と戦い続けることを、ずっと傍で見護り続けることを、貴方に誓います」

「うん……ごめん……ごめんね…………一夏くん……ごめんね……」

「大丈夫ですよ、かた姉さん。それが、俺の夢ですから……いつか楯無からだって、キリを護ってみせます」

「ありがとう……ありがとう……一夏くん……っ!」

 

 きっと明日からは、彼女も姫燐を追い詰める敵になるのだろう。

 それでも一夏は今だけ、この瞬間だけでも、拭ってやりたかった。

 姫燐を誰よりも護りたいと願った、この世から消えゆく少女の不安と、涙を……。

 




~あとがき~
シャル回だと思った? 残念、ほぼオリキャラになりかけてる会長回でした!
ていうか、サブタイがシャルなのに、今回シャルが一言も喋ってないって?
……でもそんな事はどうでもいいんだ、重要なことじゃない。

メタモンのフレコが貰えずポケモンを封印したら中々のスピードで書けました。
今回から本格登場で、キリのお姉ちゃんだというトンデモオリ設定を追加された楯無会長ですが、キリが偶に自分のことを「お姉さん」と言っていたり、ぶっちゃけ前半のキリはレズ抜けば完璧に会長のデッドコピーだったりと、伏線自体はあったりします。

この伏線に気付いてた人の中から抽選で「心配症をこじらせ過ぎて病み、姫燐を自分の物にするため幼児退行するまで性的な尋問をしちゃう会長」のSSをプレゼントしません。お早めにお答えしても、何も出ません。あしからず。

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