IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
――キルスティン。
敵は、オレのことをそう呼んだんだ。声を震わせて、武器まで落として、まるで古い知り合いが枕元にでも立っていたかのように……その頬から涙まで流しやがった。
これは間違いなく――チャンスだ。今なら、猛毒で一機は確実に仕留められる。
だから、跳び立て、早く。
あと少しでいい、動け、この身体。
保て、奴らを砕け、シャドウ・ストライダー。
「なん……で、貴方が、そんな所に居るの……?」
敵が、こちらに問いかける。
元々だったが、アイツらは本格的に狂ってしまったんじゃないだろうか。
そもそもオレは、そんな名前じゃないのだから絶対に、狂っているのはアイツらだ。
「ひ、人が悪いでござるよ隊長? な、なぜ黙ってるのでござる? もしや、さっきの腹パン怒ってるでござるか?」
「……謝る。謝る……から、許してくれるなら、何でもっ、するから……」
「そ、そうでござる! 拙者も、なんでも、なんでもするでござるから……拙者たち……拙者達でごさるよ! キルスティン隊長ッ!!?」
喧しく隙だらけに雑音を喚き散らす敵共に、頬がつり上がる。
どうやら、どうしても冥土に答えを持って逝きたいらしい。
いいぜ、だったら答えてやる。オレがいったい『何者』なのかを。
オレはお前らの敵。
オレはIS学園の生徒。
オレは一年一組。
オレは一六歳。
オレはシャドウ・ストライダーのパイロット。
オレは朴月姫燐。
そしてオレは――そうオレは、いつだって、どこでも、どんな日でも、この殺意と闘志と痛みも全て、オレはどんな朴月姫燐だろうと、オレは――
第一七話「I AM…ALL OF ME…」
そう呟き、大地を蹴って、眼前の敵を捉え、朴月姫燐は吼える。
「モード・デッドエンドォォォォォ!!!」
装甲が展開され、空気抵抗を減らすような丸みを帯びたボディから一変し、全身から刺々しい針が飛び出し、変色したエネルギーが紫電となって周囲にまき散らされる。
「ッ、隊長ッ!?」
撃龍氷に伸ばされた死神の右手。だが、戸惑いを隠しきれずとも、その身体に沁みついた反射的動作は、その一撃を紙一重で回避する。
「チィィィ!」
『止めて下さい隊長! 私達です! リューン・セプリティスと、トーチ・セプリティスです! 貴方の部下ですよッ!!?』
爪で引き裂く様に右腕を振り回す姫燐の攻撃を避け続けながらも、ござるござるな日本語ではなく、饒舌な外国語でリューンは必死に彼女へと言葉を投げかけづつける。
「黙れっ、黙れっ、黙りやがれ……」
姫燐に意味は通じていない。奴らが何を言っているのか分からない。
だが、その懇願するような声色が、悲壮に歪んだ口元が、そして、
『キルスティン隊長ッ!』
「黙れってんだろうがァァ!!!」
ほざくその、キルスティンという名前が、何よりも彼女の頭と理性をどうしようもないまでに、グシャグシャのミキサーに掻き乱していく。
荒々しく、暴力的で、酷く見苦しい、自棄のような攻撃が続く。それは今までの湖水のように透き通りながらも、猛毒のように容赦なく敵を仕留める残酷でありながらも美しさすら孕む殺意を持っていた少女の攻撃とは思えないほどに、幼稚で不格好。
その姿はまるで、悪夢から逃げ出そうと足掻く子供そのものだった。
「全てオレはッ! オレが全てなんだよォォォォ!」
『しまっ!?』
彼女の重症具合から下手に反撃することを躊躇い、そして一度離れてしまえばそのまま霞と消えてしまうのではないかという疑念から、空に逃げるという選択肢を捨てたリューン。その代償として無茶な回避を連続で強いられた結果、足をもつれさせ回避不可能な一撃がリューンの顔面に襲いかかる。
だが、その手が撃龍氷を永遠に黙らせることは無かった。
「ダメッ……。隊長……ダメッ……!」
「ぐっ、テメ、離せ、離しやがれぇッ!」
背後から接近していたハイロゥ・カゲロウの巨大な指が、姫燐の腕を摘んで止めたのだ。デッドエンドの光には触れぬよう、しっかりと位置まで計算した凄まじき精密さだ。
尻餅をつくような形で、リューンはトーチの指を蹴り上げて脱出しようとするシャドウ・ストライダーを見上げる。
『本当に……隊長では、ないのですか……?』
狂戦士。そうとしか呼びようのない目の前の少女。
隊長はいつ、如何なる時でも冷静さを失わなかった。どんな時でも、客観的に、冷徹に、的確に自分達を導き続けていた。
だが、この少女は今、我を忘れて無謀と呼ぶことすら憚られる特攻を仕掛けてきている。
そもそも、まずあの掛け合いそのものが、偶然の産物だったのではないか? たまたま返した合いの手が、たまたま一致してしまっただけではないのか?
確かめなくてはならない、これだけは、絶対に。
賭けるチップは、我が命。そして十中八九は支払わなくてはならないほどに分は悪いが――それでも躊躇いなど生まれよう筈が無い。
「ストップ……」
「え……?」
理由は単純だ。あの人が居ない世界にも、あの人を否定する組織にも、あの人の世界に居られない自分自身にも――
「その指、離していいでござるよ、トーチちゃん」
等しく、価値などありはしないのだから……。
「ッ!?」
「はぁ……!?」
その声にトーチだけでなく、足にエネルギーを溜め、ハイロゥ・カゲロウを蹴り飛ばす準備をしていた姫燐の動きまで止まる。
躊躇いがちに、ゆっくりと解放された自分の腕を迷わずリューンに突き付け、息を切らしながらも、眼光は敵影を真っ直ぐに射抜いていく。
「どういう……つもりだ、テメェ……?」
「なに、このままでは埒が明かないでござるからな。ちょっと、腹を割って話そうかと」
「ハッ……そんな物騒なモン、身に纏っときながらか……?」
「そうでござるな、これはこれは失礼を」
そう言うと撃龍氷は首元に手をやり――その世界最強の鎧を光の粒子とかき消した。
残ったのは、姫燐達よりも少し年上に見える、銀色のISスーツを纏い、灰色がかった青い長髪を風になびかせる、瞳を薄らと閉じた少女の姿。
「な、に……?」
「これで赤裸々でござるな。キャッ」
ワザとらしく頬に手を当てて、イヤンイヤンとその無防備極まりない身体をくねらせるリューン。
今ならヴェノム・サンシャインなど必要ない。ただ全力で殴り飛ばすだけで、簡単に行動不能にまで追い込めるだろう。
彼女はいったい、何を考えている? この場に居る全員が、彼女の奇行に釘付けとなって動けない。
「さてと、それじゃあ話そうでござるか。腹を割って」
「…………チッ」
姫燐には、意図がどうしても掴めなかった。
本格的にトチ狂ったわけでもない、寧ろ先程までに比べて段違いに理性的な姿を晒す敵。罠を仕掛けてる可能性が高い。警戒の糸を極限まで張り詰め、姫燐は尋ねる。
「何が……聴きたいってんだ」
「んー、聴きたい、というより、どうしてもお願いしたいことがあるんでござるよ、お主に」
「お願い……だ?」
「ま、その前に少し昔話をしていいでござるか?」
リューンは豊満な胸に手をやって、語り始めた。
安らかで穏やかな、まるで愛おしい人へ、語りかけるような口調で。
「拙者、実は親が居ないんでござる。死別した、とかそんなのではなくて遺伝子強化試験体、いわゆる試験管ベイビーという奴なんでござるよ。実は拙者」
その事実にトーチの眼が見開く。
相棒と呼べる彼女をしても、初めて聞く事実だったのだろう。
「玩具は兵器、親は教官、子守唄は軍歌……兵器のパーツとして生まれた拙者は、明くる日も明くる日も、ずーっと戦争のやり方ばっかり学んで来たんでござる」
別段、おかしい事だと姫燐は思わなかった。
優秀な遺伝子を使い、余計な情報を頭に入れず、完璧なる兵士を生みだすプロジェクト。
フィクションなんかでよくある、手垢の付きまくったSF計画だ。そして今のノンフィクションはSF染みた超兵器が当然のように空を飛び、この身体を包む世界。多少のフィクションが現実だろうと、今更驚きはしない。
「別に苦に思ったことは一度も無かったでござるし、順風満帆でござった。こう見えても昔の部隊じゃナンバー2だったんでござるよ? ……そう、どっかの天才がISなんてフザけた兵器を作って、軍に正式に採用され」
ゆっくりと開かれるリューンの両目が、
「こんなクソッたれな眼を、植え付けられるまでは」
変色した黒い眼球の中で、満月のように金色に輝いていた。
「凄いんでござるよ、コレ。名前は……忘れたでござるが、なんと眼球を取りかえるだけでISの適合率が跳ね上がるって一品なのでござる。わーぉ、お手軽」
「……悪趣味な連中も、居たもんだな」
「ホント、ただでさえISが来た直後に突貫で作ったような技術で成功と失敗を繰り返してたでござるのに、『元から適合率が高い人間に、二つ移植したらどうなるか?』、『限界まで適合率が上昇させればどうなるのか?』なんて、ガキみたいな好奇心のせいで――拙者は、地獄を見せられた」
「失敗……したのか?」
「いや、その反対でござる。結果は大成功……そう、成功したんでござるよ、完璧な結果で」
彼女の身体は、新たな二つの眼球を受け入れ、その適合率はもばや計器で測定できるようなモノではなくなった。かの織斑千冬すら上回りかねない、人とISの完全なる同化――それが生み出した結果は、華やかさとはかけ離れた無残に塗れたモノだった。
「科学者って連中は、どーしてこう頭が良いように見えて悪いんでござろうね。少し冷静に考えれば人間と機械が完璧に一つになるなんて……出来るはずが、ないでござるのに」
「……おい、まさか」
「そ、お察しの通り。一つになった拙者は見事に食べられちゃったでござるよ。ISに、五感の全てを」
余りにも機械に近付き過ぎた代償は、彼女を司る五感を奪うという、もっとも残酷で最悪な形で支払われた。
「不用品、と思われたんでござろうな。どの機能も、ISなら全て元から、いやもっと完璧な能力を供えているでござるから、劣化品が削除されるのは当然でござるよ」
この場でISを纏う全員の背筋が、凍りついた。
己が半身だと思っていた、力の象徴だと思っていた、ようやく巡り合えた相棒だと思っていた、ただの兵器であり道具だと思っていた。それがこうも、適合しすぎたという理由だけで、己の全てすら奪いかねないのかと。
「当然、訓練なんて出来る筈もなかったでござる。下手をすれば、ISのコアごと暴走する危険物を訓練になんか参加させれる筈も無し、かといって他の事すら何も出来なくなって、何も感じられなくなってしまった兵士に、いや人間に――価値なんか、無い」
想像を遥かに上回っていた残酷な過去に、ただ無言になる姫燐へ、ふっとリューンは微笑みかけ、続けた。
「まま、今はちょいと工夫してISに五感全て……とまでは行かなかったでござるが、大分補わせているでござるし、それにこっからが良い話なんでござるよ」
「良い……話だと?」
「そそ、何も感じられない本当の地獄の中で拙者は、『あの人』と出会えたんでござる」
また、姫燐の心臓が、腐食されるような痛みと共に跳ね上がった。
「あの人は、この眼の情報を求めて廃棄された拙者を回収しに来て、そして――もう一度、拙者に全てを与えてくれた」
無の世界。何も見えず、何も味わえず、何も感じず、何も嗅げず、何も聞こえない。心すら摩耗させ消し去ってしまう、本当の無。
時間すら意味を成さないそんな世界で、渇き朽ちて逝く心の中で、まだリューンという名すら無かった命が終わるその刹那……全てに、出会えたのだ。
「相互意識干渉……知ってるでござるか?」
「ああ……IS同士の情報交換ネットワークが起こす……特殊な意識干渉……あれを起こしたってのか……」
「そう……あの人にとっては、ただ情報収集のためだったみたいでござるけど」
ISは元々、外宇宙活動用として開発されていたが故に、独自のデータ交換ネットワークシステムを備えている。つまりIS同士は意識せずとも常に繋がっており、そうしてほどほどに一体化したISの操縦者同士の波長が合うことによって発現するのが『相互意識干渉』と呼ばれる現象である。
相互意識干渉に成功した操縦者は、会話や意志の疎通が可能となる。
全て潜在意識の下――即ち、五感など関係のない精神の世界で。
「それでも、拙者は……拙者は声を聴くだけで、誰かに呼ばれるだけで、涙が止まらなかった。生きているんだと、この世界にちゃんと居るんだと、拙者はっ……独りぼっちじゃないとっ、あの人が、全部教えてくれた! だからっ!!」
黒い瞳から、とめどなく溢れる涙。
「この世界は、拙者の世界は全て、キルスティン隊長が与えて下さった世界! あの方の居ない世界なんかに、意義なぞ欠片もござらんッ!!」
その色は、普通の人間と変わらず、透明だった。
「……ふ、ふふっ、拙者としたことが、少し、熱くなっちゃったでござるな……不覚、不覚」
指で、その眼から流れる涙を拭きとり……真っ直ぐに、力強い眼で姫燐を見つめる。
「さ、長々と昔話をしてしまったでござるが……こっからが、お願いでござるよ」
姫燐の肩が、荒い呼吸と共に揺れる。
そのダメージは、明らかに怪我から来るモノだけでは無い。
「このお願いを聞いてくれるならば、拙者はお主の言うことに従う。尋問するなり拷問するなり凌辱するなり、好きにすればいいでござるよ。だから」
「リューン……!」
長年連れ添った相棒を手で制して、リューンは確かな足取りでシャドウ・ストライダーに歩み寄っていく。
一歩、一歩と近付くにつれて、縄張りに入られた獣のように、姫燐の息は乱れ荒れていくが、優雅さすら覚える足取りで彼女はシャドウ・ストライダーの手が届く距離まで近づいて、
「お願いでござる。その仮面を、取っていただけないでござるか?」
割れた仮面から半分だけ覗いていた姫燐の瞳が、大きく揺れた。
「一度だけ、お顔を見せて欲しいのでござる。もし別人なら、こんな世界に未練なんぞ無いでござるし、後はご自由にして貰っても構わないでござる。でも……もし、もしお主があの人ならば……キルスティン隊長が、生きているのならば拙者は」
「きっともう一度、この世界を愛しながら死ねると思うでござるから」
綺麗な、頬笑みだった。本当に、この場にいる全てが愛おしくて、愛おしくて、堪らないのではないのかと錯覚し――いや、本当に彼女にとっては、感じる全てが、あの女が与えた世界全てが、愛おしくて堪らないのだ。
「……ああ、いいぜ」
至福に満たされたリューンの表情とは、余りにも対象的な無表情の仮面と、その奥に更なる無表情を貼り付けた少女が答える。
決して情に流された訳ではない。単純な損得勘定で、今の姫燐は動いていた。
この仮面を外すだけで、敵の一体を完全に無力化できる。恐らく嘘では無い、仮に嘘だったとしても、こんなことをするメリットが一切ない。
しかも少しキャラは濃いが美少女が一人、自分の言うことを何でも聞いてくれるというのだ。朴月姫燐としてこれほど願ったり叶ったりな状況などありはしない。
反するこちらのデメリットは皆無。
それに朴月姫燐は、違うのだ。決して朴月姫燐以外の何者でもないのだ。
だから、迷う必要なんてない。戸惑う必要なんてない。恐れる必要なんて、ないんだ。
姫燐は右手で、シャドウ・ストライダーのロックを解除し、仮面を脱ぎ捨てた。
汗が光の玉になって飛び、久方ぶりに外気に触れた赤い髪が、ふわりと風に撫でられる。
――ああ、とても清々しい気分だ。
思わず、笑顔が浮かんでしまった。まだ戦闘は終わってないというのに。
でもまぁ、構わないさ、朴月姫燐は笑顔がチャーミングな女の子なのだから。
人間の第一印象は最初の四秒で決まるという。なら、これからお世話になる可能性が高い相手に悪印象を持たれるのは少々バッドだ。
――には、悪い事をしてしまった気がする。勘違いからとは言え、お前をこれほど慕ってたこの娘はもうオレのモノ。部屋に帰ったら何をしようか。
いや、その前にほら、酷く驚いた表情を浮かべているあの娘に、挨拶をしなければ。
こうやって、軽く手を上げて、
「……あ、あぁ……貴方は……本当に……本当にッ……」
また涙を流した泣き虫さんの頭に、その手を優しく、
「キルスティン、隊長ッ……!」
振りおろして殺せ。