IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

17 / 41
第15話 「ヴェノム・サンシャイン」

 爆音と共に現れたそれは、流星群の様であった。

 鈴の瞳に瞬く、黄金の尾を引く閃光。

 閃光は黒い巨人へと飛来し、装甲を擦れ違いざまに削っていく。反撃のために向けられたレティクルを一瞬の急停止と共に、また別の方向へ急加速する変則起動で一定の方向へと定めさせない。

 空間という立体的なキャンパスに描かれては消えて行く、無数の黄金閃。

 それは祭のように絢爛豪華で、同時に胡蝶の夢のように儚い。まさに流星群と呼ぶに相応しい『破壊』だった。

 

「こっちですわ、鈴さん!」

 

 現状を忘れ、思わず見惚れていた鈴の手を、くすんだ蒼腕が掴む。

 

「なっ、アンタ達、どうやってここに」

「後で説明しますわ! 速く、姫燐さんが敵機を引き付けている間に!」

「姫燐……って、ウソッ!? あれ、まさか姫燐なの!?」

 

 彼女も専用機を持っていることは知っていた。

 だが、鈴は知らない。あれ程のスピードで、あのような変態機動をやってのけるISなど、知っていよう筈がなかった。そしてなによりも、アレを操っているのが、自分もよく知っているガチレズの変態だと言う事も。

 

「そうですわ! さぁ、急ぎますわよ!」

「っとと!」

 

 セシリアに手を引かれ、アリーナの端まで退避させられる鈴。

 そこには既に退避をすませていたのだろう土に汚れた白い機影、織斑一夏の姿もあった。

 セシリアが手を離すと同時に、鈴は呆けたように空を見上げる一夏の傍へと駆け寄る。

 

「一夏ッ! ねぇ一夏!? 大丈夫なの!?」

「あ、ああ、俺は何ともない。お前の方は?」

 

 一瞬反応が鈍かったため心配したが特に目立った外傷も見せず、何よりも淀みないハッキリとした声色が、確かな健全の証明であった。

 

「よかった……こっちも大丈夫よ。それで……」

「ああ……どうやってここに?」

 

 1つの疑念を孕んだ2つの視線が、ブルーティアーズに集中される。

 なぜ、彼女達がここに居るのか? ハッチは全て閉鎖されシャッターとバリアの二重層が塞ぎ、観客席も同様に護られている。これらを突き破るには、相応の重装備か、かなりの時間が必要の筈だ。

 いつもと変わらぬ装備、即ち大火器を持たないブルーティアーズでは、アレらをこの短時間で突破するのは不可能だろう。

 かといって、シャドウ・ストライダーでも……一夏はあの機体の全てを知っている訳ではないが、彼女はこの前「シャドウ・ストライダーにはエネルギーを放射する武装しかない」と言っていた。

 ならば、エネルギーを一点に集中させて放射することで、障壁を破壊することも可能ではないかと考える。だが、戦闘前からそれ程のエネルギーを消耗したにしては、彼女の動きからは『温存』と言う言葉が微塵も感じられなかった。

 

「これも全て、姫燐さんのお陰ですわ」

 

 本当にほんの少し、動揺をたたえた表情を浮かべ、セシリアはフィールドへと指を差す。

 彼女が躊躇いがちに差した指の先には――

 

「あれって、確かアンタが……」

「ああ、俺が開けた穴……だよな」

 

 土のフィールドにポッカリと空いたクレーター。

 先程の戦闘で、一夏が砂煙を巻き上げるために機体ごと全速力でぶち当たったせいで、歪な円状にくぼんだ地面からは、鋼色をした土台が露出しており――

 

「…………なんだ、あれ」

「……冗談……キツイわよ」

「冗談みたいなのは、私も認めますわ……はぁ、後でなんと言い訳すれば……」

 

 その土台の中心にもまたもう1つ、大穴が口を開いていた。

内側から突き破られたような、丁度ISが通れそうな程の大きさをした穴が。

「学園側もまさか床下を突き破って侵入するだなんて、考えもしないでしょうし……」

 虫も通さぬ180度の鉄壁を誇る城壁。しかし、180度はあくまでも180度であって、それはこの三次元の世界において完璧とは言えない。

 確かに土台も堅牢に作られてはいるだろうが、それでも防壁とシールドの二重障壁に比べれば遥かに脆弱だ。

 朴月姫燐は、その死角となったもう1つの180を貫いたのだ。

 

「で、でもアンタ……下手したらそれって……」

 

 無論、ただ無策に下から大穴を空けるだけでは、土台から放出される土の雪崩に巻き込まれ、生き埋めとなってしまうだろう。それに万が一、万が一にでも地下を通る水道管でも破壊してしまえば、溢れ出た大量の水が密室となった観客席へと流れ込み……考えたくも無いほどの大惨事となりかねない。

 だが、それら問題はある『男』の手によって既にクリアーされていた。

 

「その点は行幸でしたわ。貴方が先程の試合で、上に積もる土をかなり退けて下さってくれましたもの」

「お、俺が……?」

「そう。その真上を姫燐さんの地図から割りだして、幸運にも上に危険なモノも無かった。と言う訳ですわ」

 

 私にも、初めからそう説明して下さればあんな……とよく分からない事をぼやくセシリアを置いて、一夏達は閃光が舞う空を見上げた。

 凡人では考えもつかないであろう発想力と、そんな絵空事を実現させてしまう行動力。

 そして、自分が手も足も出なかった未知の敵すら圧倒する戦闘力。

 

「すげぇ……やっぱり凄ぇよ、キリは……」

 

 少年は、流星が舞う空を純粋な憧憬と共に眺める。

 まるで、摩天楼を駆けるヒーローを見上げるかのように、瞳を輝かせて。

 だが一方、鳳鈴音が写す世界は違った。

 その地図に僅かでも狂いがあれば、多くの人命が散っていたであろう作戦を易々と思いつく発想力と、それを躊躇いも無く実行する行動力。

 そして代表候補生すら凌ぎかねない、ハッキリ異常と呼べる戦闘力。

 

「……出鱈目にも……程があるわよ、姫燐……」

 

 少女は、流星が蹂躙する空を純然な恐れと共に眺める。

 まるで、闇夜に君臨した悪魔でも見上げるかのように、瞳を見開いて。

 

 

               ○●○

 

 

 フェイズ1「織斑一夏と鳳鈴音の救助」、完了。

 ようやく足枷共が消えたことを確認し、姫燐は四肢にエネルギーを集中させながら着地。すぐさま両足のみパワーを解放して、跳んだ。

 見失った自分の姿を探す、空に浮かぶ木偶の背後へと肉迫。同時にエネルギーが充填され、黄金に輝く両指を互いに絡ませながら突き出す。

 ISが自動で腕同士の合致を確認し、姫燐の双腕を短く太い紺色の砲身へと変形させる。

 敵機はワンテンポ遅れ、気付かぬうちに切迫していた紺の鎧へと振り返り、

 

「モード・ハイライト」

 

 全てを撃砕する爆炎に飲み込まれた。

 例え奴がどのような装甲を誇っていようと、この爆風の前では関係無い。屈強な五体が紙屑のように吹き飛ばされ、黒煙を上げながら障壁に叩きつけられる。

『モード・ハイライト』。普段は高速移動に使う腕に込めたエネルギーの爆裂を、両腕をバレルに変形させる事によって一点集中させるシャドウ・ストライダーの攻勢形態。

 そこから繰り出されるは、小賢しい原理などが一切無い、純粋なる発破。

本来ならISを動かすため、しかもPICを殆ど使わない全身装甲を跳ばすために使われる爆発を一点に集中させたその威力は、ISであろうが土台に使われていた鉄壁であろうが等しく粉砕せしめる。

 当然、ごく至近距離の大爆発は、彼女の機体と肉体にもダメージをもたらす。だが、相手に与えた損害に比べれば取るに足らない事項だ。

 反動で跳ね上がった両腕の勢いをそのままに、宙返りで体制を立て直すと、猫のような器用さを持って、姫燐は四肢全てを活用し衝撃を緩和、地へと降り立つ。

 今回もやはり彼女よりワンテンポ遅れ、ズルリ、と堅牢なシャッターに人型の痕をクッキリと残し、黒いISも地面へと身体全体を使って轟音と共に着地する。

 その音を最後に、あれ程の動乱が全て幻だったかのような静寂が訪れた。

 残る痺れを払う様に腕を振り、姫燐は仕留めた獲物を見下ろす。

 初めから使えれば、もっと早くに決着はついていた。

 だが、相手の目的、武装、戦力が全て不明な状況で、全エネルギーの実に10%を一気に叩き込むモード・ハイライトを使用するリスクは高い。

 ゆえに一夏達の安全確保を最優先とし、セシリアに救助を任せ、自分は敵機の注意を引き付け時間を稼ぐと共に、敵の出方をうかがい、様子見に徹する。

 危惧すべき事態すべてに備えた戦法であったが――どうやら、とんだ茶番だったようだ。

 

「終わった……のか、キリ?」

 

 静寂を斬り裂く一夏の一声。何気なく姫燐へと伸ばされた彼の一歩を、

 

「……なぜまだ居る。早くあの穴から逃げろ、足手纏い」

 

 吐き捨てるような、忠告と呼ぶには横暴過ぎる声がせき止める。

 

「なっ……!」

「あ、アンタねぇ、言い方ってもんが……」

 

 余りにも不躾で、冷たく、遠慮の無い彼女の背中に絶句する一課の代わりに、鈴が怒り混じりの呆れを文句にして突き付けようとし、

 

「まだ、終わっていない」

 

 アリーナの壁を背に、再び蘇る『脅威』が、それらを黙殺した。

 自分の背丈よりも巨大な腕を杖代わりとし、ゆっくりと、だが確かな足取りを持って、漆黒のアンノウンは立ち上がる。

 

「そ、そんな……あれ程の攻撃を受けて……」

 

 傍目から見ていたセシリアでも分かる。

 目の前で繰り広げられるのは、異常と異常の応酬であると。

 確かにISには搭乗者を護るため、過保護とすら思えるほどの数々のセーフティが搭載されている。だが、やり過ぎだとすら思えてしまうあの至近距離での大爆発。

 シールドや、絶対防御は確かに『攻撃』を受け止める。しかし、搭乗者を襲う『衝撃』は別だ。PICがあっても完全に殺し切ることなど出来ないし、もし出来たとしても長時間続ければ、本来ならあり得ない超常に晒され続けた五感が麻痺し、戦闘にも、最悪日常生活にまで支障を来しかねない。

 吹き飛ばされ、グルグルときりもみ、壁に叩きつけられる。

 いかにISが堅牢でも、中に居る人間はあくまで人間なのだ。これ程の衝撃を立て続けに受け、即座に立ち上がってしまう人間を、異常と呼ばずになんと呼べばいいのかセシリアには分からない。

 だが、もう1人の異常はそんな敵の姿を見ても、凄然とただ腕を組みながら、仮面の下の眼光を光らせ続ける。

 

――硬いだけが取り柄か。

 

 姫燐の視界の片隅に映る『残エネルギー50%』の警告。やはりモード・ハイライト2発と、高速起動を維持し続けた代償はそれなりに高い。

しかし、憂慮する必要は無い。

 最も危惧していた増援は、来ないと見て間違いないだろう。

 不意を打ち敵地に潜り込む電撃戦は、時間が経過すれば経過するほど成功率が格段に落ちて行く。故に、初手から持てる全戦力を投入し、反撃の隙も与えずに目的を達成することがセオリーとなる。

 敵はそのセオリーに従わなかった。いや、従ってこその単騎突入なのかもしれない。

 どちらにせよ、姫燐には興味の無いことである。

 重要なのは、増援を気にする必要は無く、敵がまだ動いている。その事実だけだった。

 

――2度目は、無い。

 

 再び、小さな爆音と共に、姫燐が皆の視界から消失した。

 ジグザグに、雷のような軌道と速度で接近する。腕には再び爆裂の力を込めながら。

 敵機が姫燐に砲門を向ける。右へ、左へと、雷光の動きに合わせて揺れ動く腕。

 そうして、アンノウンの砲門が光を収束し始めたタイミングを見計らい、

 

「ッ!」

 

 姫燐は地面を蹴り、敵機の真上を取った。

 全ては彼女の予測通り。モノアイの視線はまだ雷が通り過ぎた跡を眺め、こちらを射抜くはずだった砲門は輝き、鈍重な腕を未だ『真上』へと向けていて――

 

――真上、だと?

 

「ダメだ、キリッ!!!」

 

 閃光が、姫燐の視界を一色に染め上げた。

 駆け昇る光。数多の破片をまき散らしながら、紺色の鎧が虚空へ浮き上がる。

そのまま力尽きた鳥のように何の抵抗も悲鳴も無く、ふわりと弧を描きながらシャドウ・ストライダーは、朴月姫燐は、顔面からドサリ、と地面に堕ちた。

 

「ぃ、いやぁぁぁぁぁぁぁ! 姫燐さん! 姫燐さん!」

「姫燐ッ! そんな……」

 

 再びアリーナに混迷が蘇る。片や愛する人の負傷に、片や完全な絶望に閉ざされつつある戦局に、戦場で最も無くしてはならない平静を奪い去られていく。

 過熱された思考。消えて行く現実感。そびえ立つ壁に、全てが停止してしまう。

 だが、そんな中でもたった1人。

 確かな意思を篭めた指示が、彼女達の背中を突き抜けた。

 

「セシリア、時間を稼いでくれ! 鈴、俺と一緒にキリを!」

 

 セシリアの眼に映った被害、鈴が感じた戦局、それら両方をひっくるめた『現実』を見つめた織斑一夏の指示が。

 

「っ、りょ、了解ですわ!」

「……わ、分かったわ!」

 

 打ち立てられた明確な方針。それは、この絶望を覆すとまでは行かなくとも、止まってしまった足を再び動かすには充分過ぎる動力源だった。

 一か所に固まっていた、3色の機影が一斉に弾ける。

 蒼は空へと飛翔し、ブルーティアーズを展開。敵機の翻弄と時間稼ぎへ。

 その隙に、マゼンタと白は、負傷した紺の救助と応急処置を。

 倒れた姫燐を狙って再び熱を集中させていた2つの砲門が、そのまま流れでターゲットに駆けよる動体2機に向けられる。

 

「させませんわ!」

 

 だが、すかさず上空のセシリアが射出した2機のビットが、アンノウンの両腕へとレーザーを放った。シールドバリアーに弾かれ破壊こそ出来なくとも、爆風と同じように衝撃は伝わる。無理やり射線を下にずらされたビームは本来の標的を射抜けず、その少し手前の地面を抉るだけに終わった。

 アンノウンの赤いセンサーレンズが邪魔者の方へ向く。ターゲットが変更された隙を、一夏達は見逃さない。

 

「大丈夫か、キリ!?」

「しっかりなさいよ!」

 

 即座に2人掛かりで姫燐の両脇と両足を持ち、即座に元いたアリーナの隅へと退避する。

 追い討ちは来ない。どうやら、敵は完全にセシリアに標的を変えたようだ。

 大成功と呼べる戦果。だが、未だ一分の油断さえ許されない状況なのは変わらない。

 キリを地面に寝かせ、ようやく一息を付き――すぐに呑まされた。

 

「キリ……くッ」

「どうしよ……これじゃあ」

 

 IS学園の授業では専門的でこそないが、緊急時のために医療や応急処置についても学ぶ。特に、代表候補生となれば必修科目だ。だからこそ、彼等は横たわる悲壮な現実に打ちのめされるしか無かった。

 シールドバリアーやテストフレーム故の過剰な全身装甲のお陰で、機体の損傷自体は激しいモノの外傷は多く無い。

 目立った傷は2つ。

 1つは顔面。表情を隠す紺の仮面の右半分が砕け、眠るように瞳を閉じる素顔が露出し、額からは血が流れていた。だが幸い出血しているモノの傷自体は浅く、大した傷ではない。こちらの方は。

 問題はもう1つ。右腕の方だ。

 恐らく咄嗟に身体を逸らし、あの熱線を右籠手で受けたのだろう。ブレードが付いていたガントレットは蹴られた空き缶のようにヘコみ、その周りは熱でドロドロにただれて原形を保っていない。当然、中身の方も無事ではないだろう。

 そんな大怪我が嘘のように、彼女の呼吸が安定しているというのも、逆に一夏達の不安を煽る。それは言いかえれば痛みを感じていない可能性。つまり、神経にまでダメージを負っているのではないかという疑念と同意義なのだ。

 もし万が一、そこまで傷が深いのならば、一般人に毛が生えた程度の医療知識しか持っていない一夏たちではお手上げだ。今すぐにでも医務室へと運ばなくてはならない。

 だが、状況がそれを許さない。

 未だ第3アリーナはクローズド・サークルのままで救援が来る気配は一向にせず、ならば早急に侵入者を撃退して撤退に専念しようとも、

 

「な、なによアレ?」

 

 鈴達の眼に、不可思議な現実が映る。

 

「どうなってんだよ……」

 

 その言葉を一番呟きたいであろうセシリアは、歯を食いしばり『最後の』ブルーティアーズを、アリーナの中央へと飛翔したアンノウンの背後へと飛ばした。

 手に持ったライフルと共に放つ十字砲火。残された数少ないコンバットパターンを実行するため、セシリアは自身の回避を犠牲にする覚悟でビットの操作に全精力を注ぐ。

 それでも黒い巨人は視界をうろつく銃口にも、空を駆ける蒼い射手にすら目もくれず、代わりに双方に腕だけを追従させ――

 

「くぁぅ!?」

 

 空飛ぶカモの群れでも撃つかのように、軽々とセシリアとビットにダブルヒットさせて見せた。

 直撃を受けたビットは爆散し、ブルーティアーズは直撃こそしなかったモノの、背面のスラスターを破壊され、地に墜ちるしか無かった。

 

「なによ……今までは手を抜いてたってわけ?」

 

 キリの時と全く同じ、ターゲットを一切視認せずに、しかも今回は2つの獲物を同時に撃ち抜くという、冗談じみたトリック・ショット。それは先程まで、自分達に素人丸出しな射撃しかして来なかった奴の技には到底見えない。

 そう、これではまるで――

 

「今までと、完全に別人のようじゃないか……」

 

 ふと口から漏れた一夏の呟き。その意見に賛同するかのように、

 

「……確かにな」

 

 眠れる姫が、ゆっくりと身体を起こした。

 

「キリ!? …………ッ」

 

 意識はハッキリしてるか? 傷は大丈夫なのか? とにかく無事でよかった。

 そんな月並みな言葉だとしても、言葉にせずには要られなかった思いが、かき消える。

 彼女は、朴月姫燐は、死んでいた。

 

「次は……」

 

 口が動く。声を出せる。ふら付きながらも立ち上がれる。

 そんなことは関係無い。一夏には、壊れた仮面から覗く彼女の素顔が、よく見知っているはずの横顔が、陽光を湛えていた笑顔が、

 

「……仕留める」

 

 頬笑みを模る、月光の様に冷めきったデスマスクにしか見えなかったのだから……。

 

「なに言ってんのよ、バカ!」

 

 再びバトルフィールドへ踏み込もうとした幽鬼の左肩を、鈴の腕が掴み止める。

 

「あんたねぇ、その傷で何しようってんのよ!?」

 

 煩わしそうに彼女はその手を払おうとして、

 

「ッ………ァガ…………」

 

 糸に釣られたような振り子のように垂れさがる、ボロボロの右腕を押さえて膝をついた。

 

「ほら見なさい! それに、そんな状態で行ったところでもう……無理よ! 私達に、いったい何が出来るって言うのよ!?」

 

 瞳に浮かんだ悔し涙をふり払うように鈴は屈み、割れた紺の仮面を覗き込む。

 鈴は別に、楽観も悲観もしていない。これが現実なのだ。

 白式は装甲の実体化すら危ういエネルギーしか残っておらず、甲龍には敵を破壊する武装が無い。シャドウ・ストライダーは半壊し、パイロットも重傷。最後の希望であったブルーティアーズもたった今、潰えた。

 歯向かう牙をもがれた負け犬。

 それが今の、嘘偽りない自分達の姿なのだと、鈴は自覚していた。

 

「俺だって、認めたくない。認めたくないさ……けど……鈴の言う通りだ、俺達は『負けた』んだよ。キリ……お前はよくやった。だから……」

「…………そう、か……分かった……」

 

 反対側に屈みながら健闘を称える一夏に、彼女の頭がガクリ、と落ちた。

 彼にも無念の感情や、悔しさが無いと言えばウソになる。けれど、そんな事よりも、ずっと、もっと、強く、彼の心には、

 

――これ以上、キリが傷つく姿を見ずに済む。

 

 所詮は問題の先延ばしだとしても、ただただそんな安堵感が、渦巻いていた。

 一夏はそんな思いと共に鈴と顔を見合わせ、

 

「……消えろ、オポチュニスト(日和見主義者)共が」

 

 驚愕の感情を、彼女と共有した。

 

「姫燐ッ!?」

 

 背後に渦巻く無念も、観念も、安堵も、憤慨も、友情も、全てを吹き飛ばしながら、深紅のマフラーと右腕をたなびかせ、壊れかけの迅雷が再び戦場へと駆け出す。

 右腕を襲う激痛すら掻き消されるほどに、少女の焼けた脳裏はひたすらに、ひた向きに、壊れて同じ音しか鳴らなくなった楽器のように、同じ問いをリピートさせ続けていた。

 

――貴様らは受け入れるというのか、そんな事実を?

――貴様らは受け入れるというのか、そんな未来を?

――貴様らは受け入れるというのか、そんな終わりを!

 

――ただ、安穏と受け入れるというのか、貴様らは!?

 

 それは、不条理という炎に焼かれ苦しみもがく、狂おしいまでの『叫び』だった。

 

「なッ、なにをやっていますの貴方!?」

 

 なんとか着陸し、体制を立て直そうとしていたセシリアの狼狽すら無視して、狂奏者は両足のエネルギーを解放し、着地したアンノウンへと真っ直ぐに跳躍する。

 

「無謀ですわ、お下がりなさい!」

 

――無謀、だと?

 

 なかなか小意気なジョークに、血が滴る鼻が僅かに鳴る。

 奴の武装、両腕のビームキャノンは確かに破格の威力を持っている。だが、戦闘開始からの経過した時間、それにブルーティアーズが全破損している状況から鑑みるに、敵機はもう相当数を発射した。特にブルーティアーズの破壊には、かなりの連射を。

 どれほどの材質であろうが、超高温が何度も通り過ぎれば、熱は内側に蓄積されていく。故に銃には、オーバーヒートという問題が常に永遠の命題として付き纏うのだ。

 それは例え現代最強の兵器ISに搭載される銃でも、特に熱した光線を発射するような銃ならば、尚更に。

 敵機がこちらを正面に見据える。両腕を前に向け、光を収束させる。

 だが、収束速度も出力も、目に見えて落ちている!

 狂った執念が、確かな勝機へと転じた瞬間であった。

 一度でいい、あと一度だけ接触出来れば、それで全てに決着がつくのだ。

 乗り越えられぬ障害など、なにも――

 

「聞こえていませんの、織斑一夏!!?」

 

 ――このとき初めて、彼女は自身の損傷を――特に聴覚の損傷を、問題視した。

 浮かぶ黒点。それ以外は居てはならない戦場へと正面から突撃する自機から見て、右側から迂回するように駆け抜ける白い影。

 

――阿呆ゥがッ!

 

 あまりに無茶、あまりに無謀、あまりに無策。何を考えているあのバカは!?

 届く訳がなかった。白式には、もう機体を保つだけのエネルギーしか残されておらず、動かす事など、ましてや戦闘など論外である。

 確かに零落白夜は、当たりさえすれば一撃だ。それはきっと、あの規格外ですら同様だろう。だが、イグニッションブーストも使えない、ただ少々速いだけの羽虫が近付こうとも、正確無比な銃身の片割れが右へと動き、確かに一夏も捕らえ、

 

「織斑一夏ッ!?」

「一夏ァ!?」

 

 終幕の熱線を放った。

 放たれた光は高速で動いている白式へと、まるで吸い込まれる様に導かれていき――織斑一夏を刻む時が、また現実から解離される。

 

――誰かを、護りたかった。

 

 あの日から、あの青空に誓った瞬間から。

 物心ついた時から自分はいつも姉に護られていて、いつの間にか当然になってしまって気にも留めていなかったそれに、気付かせてくれた瞬間。織斑一夏は、ようやく自分が「始まった」のだと思った。

 夢がある日々。それは嵐が吹き荒れる中、幾つもの絶壁を乗り越え続けるような受難の日々だったけれど、

 

――俺はただ、護りたかった。

 

 それらを乗り越える度に湧き上がる達成感と、降り注ぐ柔らかな陽光は、それまでの苦難を吹き飛ばすほどの『充実』を運び続けた。

 そうして今、また壁は自分の前にそびえ立つ。

 今度は自分が護りたいモノを否定するために、そびえ立つ。

 

――要らない。朽ちかけた鎧も、捕らえられた翼も、要らない。

 

 音も無く、一夏の鎧と翼が消えて行く。PICの力で飛んでいた身体が、今は世界の慣性によって跳んでいく。

 瞬間に内臓がひっくり返るような不快感が彼を襲い、猛風が身体を殴り付け、意識を奪い取ろうとする。しかし、それらを一夏は感謝と共に甘受した。

 これで、いい。代償は払った。だから今、織斑一夏はそれに見合う対価を望む。

今は剣を、この手に。終わりを断ち斬り、壁を斬り伏せ、誰かを護り抜くための――

 

――最強の剣を、この手に!

 

 唯一残していた右腕の手甲に握られた、雪片二型が彼の渇望に答えた。

 実体剣は瞬時に刀身のない柄に姿を変え、そこから蒼穹の光刃――零落白夜が作動する。

 死――一夏はかつて3度向い合い、そして3度とも、なにも出来なかった絶対的な存在。

 今までは幸運にも感じるだけで終わったそれが今、確かに、無防備な自分を焼き払おうとしている。

 

――本当にやれるのか……この俺なんかに?

 

 恐怖が、怯えが、疑念が、生きているという今が、死へと立ち向かう刃に躊躇いを生む。

 そうして凍ってしまった腕と思考に、光は、差し込んだ。

 

「イチカァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 彼女の声が、自分を導き続ける陽光が。

 だから、彼にはもう、過去も今も無く、ただ未来だけが、このデッドエンドの先に広がる次の未来(プロローグ)しか、見えていなかった。

 

 

「そ、こ、だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 錐揉むように一夏は腕を振り上げ、蒼の刃を払う様に振るい――絶望の今を、切り開いた。

 切り裂かれた過去は真っ二つとなり、通り過ぎる際に生身となった一夏の肌を僅かに焼いたが、所詮はそれだけで背後の障壁へと衝突し、爆散する。

 

「ッしゃぁぁだだぁぁぁぁぁッ!!」

 

 達成の叫喚なのか、地面へと放り出された絶叫なのかは分からないが、一夏は新たな今を噛み締めるように、最高のしたり顔で叫ぶのを止めなかった。

 彼の咆哮は、セシリアの、鈴の、そして今まで微動だにしなかったアンノウンの視線すらも集め――いや、アンノウンの視線だけは、1つの腕がそれを許さない。

 力任せに掴まれた顔面が、歪な機械音を立てる。一夏の代わりに正面に映ったのは、紅血と紺碧に彩られた能面。

 なぜ奴がここに居る? こちらに向けていたもう一発も発射されていた筈だが、避けられたのだろうか。

 そんな人として当然の疑問すら歯牙にもかけず、顔に伸ばされた手を力づくで払おうとした巨腕が、止まる。

 

「モード・デッドエンド――」

 

 ボロボロの全身装甲を羽のように逆立たせ、左腕に黄金ではなく紫電を瞬かせ、腕のアンクルからは無数の槍が剣山のように射出し、そして展開された片割れの能面は、中の死神と同じ歪んだ般若面となって、

 

「ヴェノム・サンシャイン……!」

 

 偽りの翼を焼き滅ぼす、猛毒の太陽が、黒いISに襲いかかった。

 闇色をした輝きと、電子と電子が弾け合う。甲高い音と激しく眩い光がしばらく第三アリーナを圧巻し、それが止むと同時に、シャドウ・ストライダーが全身から白い煙を吐き出した。

 含んでいた紫煙を全て吐き出すような長い蒸気が止むと同時に、シャドウ・ストライダーは元の姿へと戻る。顔面に突き刺さっていた剣山も抜けて、手が黒いISの頭から離れた。

 少しバランスを崩しながらも彼女は、僅かに距離を取って立ち止まる。本当に僅か、黒い巨人が振り上げ、硬直したまま動かない右の拳が、余裕で届きそうなほどの距離を。

 突如として始まった狂騒劇へ、不意に討たれたピリオドに、役者達は困惑の声を上げる。

 

「ど、どうしちゃったのよ、アイツ……?」

「いっ、一体これは……?」

「キリ……お前、なにを……?」

 

 立ちのぼる疑問の数々に、金色の瞳を閉じたまま呟く。

 

「終わった」

「は?」

「これで」

 

 その証拠だ。と言わんばかりに、彼女が目を見開く。

 同時に、ビキビキと金属の悲鳴が黒いISから聞こえ、

 

「ミッション・コンプリートだ」

 

 振り上がった剛腕が肩の付け根から、ベキィ、と断末魔を上げてへし折れた。

 

「ふん、やはり無人機だったか。茶番にも程がある」

 

 口が開いたまま何も言えない一夏達を捨て置き、理性を取り戻したようで、それでいてやはり冷然とした口調が、地面に転がる『コードが伸びた』腕を蹴り飛ばし、続ける。

 

「出来はそこそこだったが……所詮は玩具か」

 

 プルプルと、生まれたての小鹿のように震える機械仕掛けの巨人の身体を、軽く手の平で押す。たったそれだけで、平衡感覚を保てなくなった巨体が無様に倒れた。

 無人機は急いで体勢を立て直そうと足掻く。だが、身体も、足も、手も、五体の全てが、まるで全身に見えない重りを押し付けられているかのように、本当に僅かな動作と、鉄が歪む音しか生み出せない。

 寿命が尽きかけた虫のような情けない姿。先程まで、圧倒的な強さを持って自分達へと襲撃してきた敵の末路としては、あまりに滑稽であった。

 その姿を見下しても、先程から饒舌な、それでも普段に比べれば寡黙である彼女は、冷徹のマスクを崩さない。

 

「キリ……これは、いったい……?」

 

 原因は間違い無く、先程のアレだろう。そう目星をつけた一夏が恐る恐る尋ねる。

 

「PICを破壊した。もう、コイツはISでも無人機でもない。只の鉄くずだ」

「PICを……破壊した、って……?」

 

 PIC。それはこのISという出鱈目を、この世に実在させるために必要不可欠な機能だ。

 物体の慣性を消滅させる。それは即ち、万有引力からの解放すら可能とする。故にISは自在に空を飛ぶことが出来るし、どれほど重い装備を生身で装着しようともパイロットがその重量に押しつぶされることはないのだ。

 では、もしそのPICが無ければ、いったいどうなるか?

 先程の説明とは、完全にあべこべとなる。

 ISは自由に空を飛ぶことが出来ないし、少しでも過剰な――特に全身装甲などを施せば、中身であるパイロットは……その重量を一身に受けることになるだろう。

 中身が機械である無人機だからこそ、まだ動けているが、これが生身の人間であったならば……その鎧の中は今頃、ぶちまけられたトマトとなっていただろう。

 

「始めは尋問のために生捕りにするつもりだったが、相手が口の無い玩具ではな……しかし」

 

 講義はこれで終わりだと屈みこみ、黒い鉄くずの頭を掴み上げる。

 

「どうせ耳と目は付いているんだろう? ならば、聞け」

 

 淡々とした起伏のない口調で、無表情な眼光を突きつけながら、

 

「貴様がいかなる目的を持って、どのような感情で動き、どれ程の理想を抱きながら、この学園を襲撃したか知らんし、個人的興味も一切無い。だが――」

 

 

「次は貴様だ」

 

 

 処刑執行人は、罪人を空高く放り投げた。

 

「モード……カーテンコール」

 

 執行人の命令に従い、処刑器具はリミッターを外す。

 両足から吹き荒れるエネルギーの奔流が、宙に浮かばされた人形へと呼吸する間も無く彼女の身体をぶっ飛ばし、擦れ違いざまに再び左手で頭部を掴む。

 そのまま上空へ、シャドウ・ストライダーは自身が出せる最高のスピードを一切落とさずに上昇していく。PICの加護を失くした無人機は、慣性の影響を全身に受け、腕が、足が、腰が、ボロボロと千切れて墜落していき、

 

「少しだけ待っていろ」

 

 バリアーが貼られた最上空で静止し、少女は瞳を閉じて、最後に残った頭部へと唇を近付け――そのまま、右手を離す。

 

「すぐに、主も同じ場所へ送ってやる」

 

 全てを失った人形は重力に引かれ、地の底へと吸い込まれていった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。