IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
響くアラート、閉じられるシャッター、開かぬ出口。
アリーナ観客席は、混乱の最中へと陥れられた生徒達によって混迷を極め、まさしく混沌のるつぼと呼ぶに相応しい現状を醸し出す。
薄赤い空間の中、箒はアリーナ内部と観客席を遮るシャッターを何度も叩きながら叫ぶ。
「一夏! おい一夏!? どうなっているんだ!?」
「無駄ですわ。IS同士が激闘する場所のセーフティを、非武装の人間が力尽くで破ることができると思いまして?」
流石に代表候補生だけあって、他の生徒に比べ冷静さを保ち、腕を組みながら席に座るセシリアの現実的な言葉が突き刺さる。
「だがっ……そうだ、オルコット! お前の専用機なら」
「無駄ですわ。わたくしのブルーティアーズは、火力そのものには重点を置いていませんの。全エネルギーを使いきっても、堅牢なバリアと装甲の二重層を突破できるかどうか。それに貴方は、こんな場所で更に激しい爆音を立てろ。と、おっしゃいますの?」
「それは……」
我先にと、開かない出口へと切迫する者。突然の事態に怯え竦み、動けなくなる者。パニックを起こし、ヒステリックに喚き立てる者。その傍で、神に祈り始める者。
これ以上の混乱をこの場に呼べば、どうなるか?
更に激戦が繰り広げられているかもしれない場所へのルートを開けば、どうなるか?
思い浮かぶ最悪の数々に、箒はシャッターに拳を叩きつける。無論、ビクともしなかったが。
「では……どうすればいいのだ……」
「どうするも何も、完全にお手上げですわ。貴方も無駄な体力を使うくらいなら、大人しく座っていてはいかがかしら?」
「貴様っ……!」
平坦に、まるで傍観者でも気取るかのような物言いに、箒は思わず喰ってかかりそうになるが、強く握られた制服の袖と、深刻さを湛えた眉。そして何よりも、一定のリズムで浮き上がりは沈んでを繰り返す、上品とは言い難いはしたない足が、『無力』という現状に対して湧き上がる代表候補生としてのプライドを押さえこむのに必死であるという証明であった。
「いや……そうだな。すまん」
「謝罪は無用ですわ、わたくしも貴方と同じ状況に追い込まれれば、恐らく同じように錯乱していたでしょうから」
「それは……?」
イマイチ要領を得ていない箒を横目に、セシリアは愛しき彼女の姿を探して首を動かす。
様々な形相を浮かべる集団の中で、彼女は……いた。
クラスメイトでは無い、先輩だろうか? 新聞部の腕章をつけた少女と、何か揉めているように……
「まっ!?」
姫燐の両手が、新聞部の首根っこを掴み、捻り上げる。
己に自重を命じていたセシリアも、立ち上がらずにはいられなかった。
「何をしていますの! 姫燐さ――」
鳴らそうとしていた喉が凍る。突き刺さったのは、鮮烈な感情だった。
向けられた、赤く照らされながらも薄暗い観客席でなお、苛烈に輝く黄金の瞳。
無機質で、底が見えぬほどにとごっていながらも、決して輝きを失っていない。
ナイフ。それも肉や紙では無く、人を斬り裂くための。
背筋に走る冷たさと相まって、脳裏にそんなイメージが浮かぶ。
睨まれるだけで身体の奥にある自分を、命そのものを見透され、それを何時でも簡単に握りつぶせるよう手を添えられているような、絶対的な拒否感とおぞましい感覚。
それは間違いなく、恐怖という感情だった。
言葉が出ないセシリアを一瞥だけして無視すると、姫燐は再び向き直り、新聞部の彼女へと冷淡な口調で催促をする。
「分かっているのか? 見ての通りの非常事態だ。速くデータを寄越せ」
「で、でも、アレがバレたら、君も私もグッ!」
寸分の迷いもない手付きで、彼女の首筋に当て身を食らわせた姫燐は、意識を失い倒れ込んできた彼女のポケットを弄り始める。
手段を選ぶという言葉すら感じられなかった粗雑かつ乱暴な手法に、セシリアが呆気に取られる間もなく、何事かとやって来た箒が姫燐を問いただす。
「なにをしているのだ、姫燐!?」
「箒か、任せた」
「おっ、おい!?」
答えている間など無いとばかりに用済みになった少女を箒に寄越すと、すぐさま手に持ったデータチップを首元へのISへと挿入する姫燐。目を閉じ、叩く様な仕草を何度か繰り返し、
「よし、行くぞセシリア」
「行くって、どこひゃ!?」
「待て姫燐! そっちは!」
自分だけ勝手に納得して、そのままセシリアの手を掴み走りだした。
「い、痛い! 痛いですわ姫燐さん!」
「なら、自分で走れ」
もはや共に来ることは決定事項らしい。有無を言わさぬ彼女の言動に疑問は尽きないが、それでも姫燐の後へとセシリアはついていく。
「でも、姫燐さん。この先は……」
箒も別れ際に言おうとしていたように、彼女が向かおうとしている先には姫燐達が居た観客席と、反対側の観客席を繋ぐ地下通路だけだ。外への出口でも無ければ、バトルフィールドへの入り口でもない。
「知っている、それよりも喋るな。目立ちたくない」
いつも以上に乱雑で、真意の見えない姫燐の言動。始めは彼女も平常心を失っているのかと思いもしたが、彼女の言動にはイラついていたり、錯乱している様な人間には、絶対に宿らないスマートさと言えるだろうか。
その一挙手一投足には一切の無駄がなく、だからこそ余計にセシリアの眼には……
「この辺か」
「ここって……」
観客席と同じ様に、薄暗い地下通路の中間辺りに設置された女子トイレの前で、姫燐の足が止まる。
目立ちたくないと本人は言っていたが、確かにこんなタイミングで用を足そうとするほど図太い神経を持った人間はそう居ないだろう。
ズカズカと中へ進入する姫燐の後を、おずおずとセシリアが追う。
「そっ、そろそろ、目的ぐらい、教えてくだってもよろしいのではないですの? まさか、おトイレに行くために、なんて訳は……」
全力で走ったため、少し息が荒いセシリアとは対照的に、汗1つかかずに姫燐は彼女へと向き直る。真っ直ぐに自分を見つめる瞳に、思わず息を呑んだセシリアの手首を、姫燐はまた取ると力を込めて引っぱり、
「痛っ、きっ、姫燐さ……ん……?」
彼女のか細い肉体を、強引に自分の方へと抱き寄せた。
ゼロ距離。服越しではあるが、互いの熱を帯びた身体と身体が隙間なく密着し、背の高い姫燐の丁度胸の辺りに、一回り小さいセシリアの金髪が埋められる。
「あっ……」
姫燐の右手が、彼女の顎を持ち上げると、指先が髪を掻き分けて頬にそっと触れる。
首を意図せぬ方向に曲げられて、筋肉が僅かな痛みを訴える。それにこの状況、冷静に見れば色々と腑に落ちぬ事柄が多すぎる気がするが、脳内が絶賛突沸中のセシリアにとってそんなことはどうだって良かった。
揺れる赤髪、届く吐息、伝わる体温、握られた手、交わし合う視線。
世界は彼女だけのモノとなり、謎のISによる敵襲も、ここが女子トイレだということも忘れ、常識、恥じらい、体裁などなど、人として必要不可欠な要素が心音に追い立てられて蚊帳の外へと放り出される。
彼女はこの時、間違いなく常世の全てを手にしていた。
「きりん、さぁん……」
熱に浮かされた、甘い声が自然と漏れる。
きつく凛と結ばれた姫燐の唇が、セシリアにはどうしようもなく甘美な果実に思え、背伸びをすれば、届いてしまいそうだと……
「よし、確認しろ」
「ひゃいん!」
パッ、と姫燐が彼女から両手を離すと、抱擁をあっさり解く。
それは一分の無駄も無い、未練もロマンもへったくれも無い早業であった。
「なっ、なに、先程からなんですの姫燐さん!? 急に抱き寄せたり離したり! わたくしは、もうちょっとその、レベルが低い所から……」
「お前が言ったんだろう。必要な情報は全て第三アリーナのマップと共に、お前のISにインストールしておいた」
「い、いんすとーる?」
一瞬、セシリアには彼女が何を言っているのか分からなかったが、「IS」という単語と、先程さわって貰った左頬――の少し上にある、自らの待機形態にしていたIS「ブルーティアーズ」の存在を思い出し――
「はぁぁぁぁぁぁ……そういうことですの……」
全てのファクターが一致し、肩を落としたセシリアの、魂ごと只漏れそうな溜め息が落ちる。恐らくは、先程あの新聞部から奪ったデータチップを、自分のISにも刺し込んだのだろう。
「早くしろ、時間がない」
急かす姫燐の声に、今がどう言った状況であるか。そして今、彼女が何を考えているのかを知るという本分を思い出し、セシリアは耳のイヤーカフスに触れて、新しく追加されたデータを参照していく。
そして一秒、また一秒と、若干まだ、先程の余韻で弛んでいた頬に、当惑、疑惑、そして戦慄を刻んでいくセシリアの表情を、姫燐は無言で見遣る。
「――姫燐さん、これは、いったい」
「確認したか。なら行くぞ、今は一刻一秒が惜しい」
まだ何かを言いたげに手を伸ばす彼女の介入を拒むように、姫燐は首元のチョーカーに触れて、呟く。
「Go for it『シャドウ・ストライダー』」
濃い藍色の全身装甲、逞しい四肢、赤くなびくマフラー。
虚空を斬り裂いて現れた鉄仮面は、セシリアへと背を向けた。
「目的--織斑一夏と鳳鈴音の救出、および敵機の撃滅」
仮面の下から声が響く。ただ目の前に立った看板を音読するように、カレンダーに書かれたその日の予定でも確認するかのように、
「ミッション……スタート」
炎は、対極の冷然と共に巻きあがった。
○●○
意志と剣は未だ折れず。しかし翼は、もはや只の枷となる一歩手前。
織斑一夏の現状を言葉にすれば、そんな感じであった。
黒いISが地を踏みしめ、自身の背丈ほどに巨大な左腕を、飛びまわる一夏へと向ける。
そこに備え付けられた砲門から迸る、太く眩い光の線が、天かける白の僅か数センチ隣を横切った。
「くっ!」
ギリギリの回避に悪態1つ。
何となくではあるが、察せる。アレに当たってしまえば、自分は確実に地に落とされてしまうだろうと。
龍咆とはケタ違いの出力で断続的に照射される光線は、この身を削らなくとも確実に心の方を削っていく。先程戦った鈴に比べると、狙いがどうにも甘い様に思えるのが唯一の救いではあったが、ハッキリ言って気休めにもならない。
「どうなってんのよ、これはぁ!?」
同じように右腕からのビームを回避しながら、鈴は理不尽かつ唐突な現状に吠える。
「それが分かってたら、そろそろ増援が来るんじゃないか!?」
「だったら、学園側としてもアクシデントなんでしょうねぇ、っと!」
互いが完全に消耗しきったところへの強襲。
確かにエキシビジョンマッチにしては、いささか悪趣味が過ぎる。
それに先程から視線に入る、蟻一匹通さぬよう堅牢なシャッターが遮る観客席やピット、そしてどこへ飛ばしても一向に届かぬ通信。恐らくはこの機体を送りつけて来た奴らが生み出したのであろうクローズド・サークルは、ただ爆音と2人の声だけを響かせる。
「聞えるでしょ、そこのあんたぁ! 所属と目的、っと、その前に即刻ISの解除! 今ならまだ、代表候補生が直々に取り成してあげるわよ!」
先程から無言を貫く黒い巨人に、鈴は降伏を呼び掛けるが、返事は文字通り光の速さで返された。
「無駄だ鈴! アイツ、どうやら止まる気は無いらしい!」
「ああああぁ! 誰かさんに武装全部破壊されてなかったら、今すぐにでもあんの棒立ちに百発くらいぶち込んでやるのにぃぃぃ!!!」
先程の戦闘で一夏に全ての武装を破壊されてしまった甲龍に、反撃の術は残されておらず、また飛来する一閃に機体を捻りながら、その原因を激しく言い詰める。
「なんとかならないの一夏! アンタの剣、当たれば一撃なんでしょ!?」
「いや……ダメだ。足りない、さっきの戦闘でもう飛行が精一杯だ」
それも、何時まで持つかどうか。
零落白夜はカットしたため、冗談みたいな消耗こそ無くなってはいるモノの、それでも吐き出され続けるエネルギーは有限である。
残り残量から推測するに全速力で敵へと肉迫したとしても、その内の被弾で消費するであろうシールドエネルギーも合わさり、恐らく零落白夜を発動した瞬間、白式は己の姿を保てなくなり雲散霧消してしまうだろう。
つまりは今、唯一の光明は風前の灯火も同然であった。
勝機。今まで経験したどの戦いにも、僅かながらだろうと確実に存在していたそれが、脳裏を掠める戦術全てを総動員させても、今は天上に住まうが如く、手が届かない。
そう、それが常套の手段であれば。
「……一夏、こうなったら」
「ダメだ鈴! それだけは絶対にダメだ!」
鈴も、彼と同じ結論へと辿りついていたようだった。
しかし織斑一夏にとってその提案は、その提案だけは、絶対に首を縦に振る訳にはいかなかった。
「分かってるでしょう!? もうこれ位しか方法がないじゃない!」
「鈴ッ!!」
認められない。認めてしまう訳にはいかない。
それは対極だ。自分が望み臨んだ夢と、決して交わってはいけない現実だ。
--護る筈の自分が、護る相手を囮にしてまで勝利を掴むなどと!
「じゃあこのまま、揃って大人しくレンコンにされる!? あたしはゴメンよ!」
「それでも、鈴は!?」
彼女はどうなる。いくらシールドや絶対防御があるとはいえ、それでも向こうの火器は相当な出力を誇る。ISの耐久力を持ってしても万が一、万が一にでも直撃してしまったら、鈴は――
「大丈夫よ。あんな素人丸出しの射撃に当たるようなら、代表候補生なんてやってらんないわ」
「ダメだ! そんなの俺は絶対に……ッ!」
水平線の討論を引き裂く様に、巨大な影が2人の間に走る。
――いつの間にッ!
その姿に似合わぬスピードで、重力ごと敵をブチ破るかのように宙を駆け抜ける巨体。
一見、それは圧倒的に有利なレンジを自ら捨てる暴挙に見える。しかし、戦いのセオリーを知る2人にとってはだからこそ読む事ができずに、不格好な回避を強いられてしまう。
吹き荒れる突風。僅かに崩れるバランス。
物理的なダメージこそ無かったがこの一瞬は、停滞していた状況を打ち崩すには充分すぎた。
敵機を追いかけた一夏は捕らえる。
空中で振り返る巨人を、突き付けられる双腕を、黒光りする二つの砲門を。
完璧に不意を打たれた。間に合わない。どのようなアクションも、間に合わない。
認めたくないのに、一夏の中の、冷徹な彼は無機質にささやく。
動きを止めた羽虫の末路など決まっているだろう。
無様に叩き落とされ、散り逝くのみだと。
決められた定め。この手の刃では切り開けない閉ざされた運命。クライマックスを彩るように、視覚が、知覚が、聴覚が、感じる全てが緩やかに引き伸ばされていく。
この感覚は、一夏にとって二度目。
あの時も、自分はどうしようもない程に無力で、ただ襲いかかる終りを受け入れていた。
――護れない。
それでもせめて、鈴だけでもとISに命令する。動け、盾になれ。それだけでいい、と。
――俺は、誰も護れない。
しかし、今まで自分の肉体同然であった白式は、凍りついた時間と同じようにフリーズし、指の1つすら満足に動かせない。
――なぜ、俺はこんなにも無力なんだ?
どこかで俺は間違えたのだろうか?
どうすればアイツに勝てただろうか?
それとも、織斑一夏の限界はこの程度だったのだろうか?
泥中のような意識は、ただただ廻る問いに見合う答えを渇望する。
――君なら、護れただろうか。
終わりに浮かんだのは、悲しみでも、怒りでも、絶望でも無い。
そんな、ふと脳裏をスローで掠めただけの、憧憬に似た感情。
自分が立つ場所より――物理的にも心理的にも――遠くに見える大きな背中。
――キリ……。
君は、どうして、なぜそうまでに、俺が……
「下がってろ」
俺が、望み焦れた全てに、答えてくれるんだ?