IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
所詮、相手は数週間前にISに初めて乗った素人。しかも男だ、恐れる必要などない。
自分にそう言い聞かせ、少女は手に持ったライフルのグリップを強く握りしめた。
こちらを真っ直ぐに睨みつける純白の機影。覗く瞳は強く、手にした刀を下段に構え、明確な敵意を持って彼女を射抜く。
確かに形だけは非常に様になっている。が、それに中身が伴っていないのは、一回戦の内容から察するに明らかだった。
一回戦を勝ち抜くことができたのは、どう考えてもマグレだ。そう少女に確信を抱かせる程に、無様な姿を晒して、彼はこの空に居る。
ある者は失笑し、ある者は嘆息し、またある者は無効試合を主張した。だが、あの試合を見た誰もが共通して抱いた念だけは共通して1つ。
これが、本当にあの織斑千冬の弟なのか?
試合開始のカウントを告げるコールが鳴り、少女はこびり付いた雑念を振り払う。
――3
何の問題も無い、勝てる戦いだ。
敵の武装があのブレード一本しかないのは、既に予習済みである。
――2
先程の相手のように、初手と加速能力にさえ油断しなければ、
――1
一瞬で、ケリはつく。
――Fight
「白式ッ!」
試合開始と共に、響いた咆哮と共に白の機体は爆音を上げて、吹き飛ぶように少女へと肉迫する。
本当に愚か、素人だってもう少しマシな動きをする。
勝利への確信を得て、冷静に少女は敵機の直線状から真横に退避する。
初戦の相手は、これにやられた。開幕から自分の機体の加速能力を制御できなかったのか、奴は目の前で突飛な事態に呆けていた相手を巻き込みながら、全力で壁に激突したのだ。そして、偶然打ち所が良かったのか奴は相手が立ち上がる前に、敵に刃を突き立てた。
本当に無様、どうしようもないまでに無様。
このような相手が、いや男などが、自分と同じ舞台で踊っているという事実が彼女にはどうしても容認できない。大人しく地べたを這いずりまわっていれば良いモノを、何を勘違いしてこの場所に居ると言うのか。
かのイカロスと、コイツは同じだ。決して届くはずが無い領域へと、無知無謀に紛い物の翼で近付こうとしている。
貴様の傲慢、今すぐその白翼と共に打ち砕いてくれる。
彼女の予測通りに真横を通り過ぎる純白の敵影。あとは、壁とキスした所に全弾をぶち込んでやるだけ。
凶悪な狩人の笑みを浮かべる彼女の前を、白い敵が横切った。
最後にそのマヌケな横面を拝んでやろうと視線を向け、彼女はまた確信することになる。
白い死神に手を掴まれた己自信の、避けようも無い敗北を。
「ぎ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!?」
引きずられる。掴まれた右腕を形成する全てが口と共に悲鳴を上げ、視界に映る全てが瞬く間に吹き飛んで行く。PICが無ければ、彼女の身体はとっくに内部から生まれる遠心力でバラバラになっていただろう。
それでも何とか銃のトリガーを引き、ゼロ距離から銃弾を浴びせて敵のシールドを削るが、そんなささやかな抵抗をあざ笑うかのように、腕にかかる圧力はさらに増大していき、
「イグニッション・ブースト!」
男の叫びが響いた瞬間、世界の全てから彼女は切り離された。
「がっ……ふ……」
気がつけば、彼女は壁を背に空を見上げていた。全身に焼けつく様な痛が走り、上手く呼吸が出来ず、脳が揺れたせいか視界がグレーになり、醜く歪む。
少女は手を空に伸ばした。まるで空虚な何かに縋る群衆のように、無意識にただ救済を求めて。
そして、そんな彼女の手を、誰かが掴む。
「ぁ……」
逆光に照らされ、漆黒に染められた人影。いや、きっと人では無い。人の背に、翼など有りはしない。
雄大な翼を持ち、自分に手を差し伸べるその姿は、少女が今まで見た何よりも美しく、
「零落白夜、発動」
同時に、何よりも残酷に、青い光が彼女の胸を貫いた。
○●○
まだ少し痛む身体を引きずりながら、一夏はハッチへと向かう通路を歩いていた。
ようやく、ここまで来れた。心が自然と高揚と自制を繰り返し、油断すればあっという間に平静を失いそうだ。それでも、一夏は自然と顔がふやけそうになるのを押さえられない。
残りの一週間で寝る間も惜しんで考えた作戦が、面白い様に成功したのも止まぬ興奮に一躍かっている。
始まると同時に敵へ突進し、無理やり超至近距離に持ち込み、そのチャンスに零落白夜でトドメを刺す。
打鉄では絶対に不可能な、あの姫燐ですら対応が遅れたスピードが出せ、一撃必殺の武装を持つ、白式ならではの戦法だ。
しかし、こんな作戦が通用するのは初見の相手だけ。勝ったとしても次があるトーナメント戦では、一回だけしか通用しないだろう。
だからこそ、一夏は初戦。あのような無様な勝利を飾ったのだ。所詮、自分はまだISを使いこなせていないペーペーだと錯覚させるために。
結果は上々。次の相手は、明らかにこちらの事を侮っていた。そして勝負の結果は先程の通りである。
一夏は、制服のポケットに入れたネックレスを取り出し、想いを馳せる。
敵の油断こそ、最強の銃弾なり。一夏が彼女の一挙一動から学んだ、策を成功させるもっとも重要なファクター。ここまで生きるとは、正直に言って予想外であった。
大丈夫、確かに自分は強くなっている。
そんな確信を抱いて、一夏は角を曲がろうとして、
――キリ!?
久方ぶりに見えた背中に思わず一時停止、そして即急に曲がり角までバック。
一瞬、見間違いかもと考えたが、赤い髪をなびかせる少女はIS学園広しといえども朴月姫燐しかおらず、即座にその判断を却下。
結局、あの日から一度も顔を出さなかった彼女がなぜここに? 部屋から出てきてくれた事を嬉しく思いながらも、同時に罪悪感が沸々と募る。
「悪りぃ、遅くなったな」
「いいよいいよ、間に合ったんだから。結構ギリギリ所か、若干アウトだけど」
話声? 相手も必然のように女子だが、一夏は聞いたことが無い声だ。
盗み聞きするようで少し悪い気もするが、すぐに好奇心の方が競り勝ち、一夏は息を殺して耳を澄ます。
「……ホントに大丈夫なの? 出来の方は」
「安心しな。第三アリーナの構造データは、確かにその中さ。出来に関しては、掛かった時間で推して知るべしってな」
――第三アリーナの……構造データ?
つまり、このアリーナの構造を書き記してあるという事だろうか? なぜ、そのようなデータを姫燐が? 同時に、このようなデータを求めるコイツは誰だ?
嫌な胸騒ぎを感じながらも、一夏は静聴を続けた。
「それより、報酬の方は頼むぜ?」
「分かってるわよ。そういう契約だものね」
報酬、契約。一般の学生には無縁の言葉が次々と飛び出す彼女達の会話に、一夏の疑念は更に加速する。
「じゃあな、有効に使えよ」
「ええ、貴方の方も」
相手の方は最後まで言わず、足音がこちらへと近付いて来る。
とっさに一夏は音を立てないように距離を少し離し、まるで今、この通路を歩いてきたような風貌を装った。
跳ねる鼓動を喧しく思いながら、一夏は出来る限り何事もなかったかのような顔を作り、少女とすれ違う。
「…………」
僅かに訝しむような表情をされたが、何とか無事に切り抜ける事に成功し、安堵の一息を、
「盗聴は犯罪ですよっと」
「うへぃ!?」
つこうとした一夏の腕がガシリと掴まれ、彼の口から、奇妙な声が漏れる。
「キ、キキ、キリさんッ!? やぁこんな所で奇遇」
「本当に奇遇だな一夏。足音が急に止まったと思ったら、アイツが角を曲がろうとした瞬間また聞こえて、オマケに他の足音は聞こえなかったけど、本っ当に奇遇だな一夏」
バレてる。モロにバレてる。
思わず出た出まかせを完全に論破され、滝のように額から汗を流す一夏を見て、姫燐はやれやれといった風で頭を抱える。
「ご、ゴメンなさい……」
「ま、別に聞かれて困るような要件でもねぇが、人にはプライバシーってもんがあんだ。次は言葉じゃなくてリアルの暴力を飛ばすからな」
土下座すら覚悟していた一夏の予想を余所に、呆れたように笑いながら、姫燐はあっさりと彼の腕を離した。
久方ぶりに見る彼女の笑顔。だが、その顔色は一夏の記憶と比べて明らかに悪く、薄らと目蓋にクマすらできている様に見える。それが、彼女が一週間も部屋に篭っていた訳を見せつけるようで、ただですら顔を合わせ辛い一夏の、居た堪れない気持ちを更に煽る。
「あー………………」
「……………………」
次の言葉が見つからないのか、もどかしそうに頭を掻く姫燐。
彼女にはかける言葉も無いと、沈痛な表情を浮かべて顔を沈める一夏。
二人の間に訪れる、突然の気まずい沈黙。
「……もう、腹痛の方は大丈夫なのか?」
「あ、ああ。オレも流石に一週間近く寝込むハメになるとは思わなかったが、もう大丈夫だ」
発する言葉の節々からにじみ出る、呆れるほどのリアリティの無さ。いくら何でも、食べたら一週間も寝込むような食べ物、というか劇物なんて有りはしないだろう。
それから、また静寂。会話が異様に続かない。こんなこと、2人の間では初めての事だった。そして今度は、姫燐の無理におどけた様な声が空気を裂く。
「そ、それにしてもだ! 少しはやる様になったじゃねぇか、ええ! お姉さんビックリだぜ!」
「へ……」
「オレがお前ならこうするってプランを、ものの見事にトレースしやがるとは。うん、驚いた! 正直に驚いた! もしやお前は純正種かっての!」
なははー、とワザとらしく笑いながら一夏を褒める姫燐だが、すぐにその顔は元のしかめっ面に戻る。
また渋い表情で首をあっちこっちへ動かし、とうとう観念したように首を落とす。
そうして一度、その胸に手を当てて大きく息を吸うと、
「すまんかった一夏!」
パンと突き出すように両手を叩きながら、腰を綺麗に45℃曲げた。
「キリ……?」
「いやまぁ、そのだな。保健室の件なんだが……」
彼女も思い出すのが恥ずかしいのか、頬を赤く染めながら顔を逸らそうとして、それでも精一杯一夏の顔を見ながら、結局少し横目な彼を見て謝罪する。
「あれから冷静になって考えたんだけど……そもそも、オレがお前を過剰にからかったのが事の発端だし、押し倒したのも、別にオレにその……アレする気じゃなかったんだろ? だったら、別に減るモンでも無いし許してやってもいいかなって……あ、違うぞ! 減らなかったら何しても良いって訳じゃねぇからな! オレだって、その、一応女の子って奴なんだし……」
表情を二転三転もさせながら、最後には、声色と同じようにそのまま地面へとズプズプと沈んでしまいそうに顔を伏せる姫燐。
久しぶりに見る、いつもと変わらない彼女の姿。その何もかもが無性に懐かしく思えて、一夏の心を縛っていた戒めの鎖が、ふわりと解けそうになる。
もういいじゃないか。後は、こっちも悪かったと頭を下げるだけだ。それでこのケンカは終わり。何もかも元通りで、いつもの、あの日々の二人に……
――戻りたいのか、お前は?
冷たい声が、聞こえた。
――昔のように、彼女に教えられ、護られて、傷付けるだけだった、あの日々に戻りたいのか? また、彼女に甘え続けるのか、お前は?
一言一言が、ピアノ線のように冷たく身体に食い込む。逃れる事も、耳を塞ぐこともできない、彼の内側から間欠泉のようにあふれ出る問答。
――そもそも、この戦いに勝っても同じだ。全てが元の鞘に戻ったら、本当に『全て』が元通りなんだぞ?
思い出すのは、一週間前に見たあの記事と、斜め前の空席。そして、目前に映る明らかに消耗した彼女の表情。
――縋るな。不抜けるな。ふざけるな。
分かっている。自分の夢は、織斑一夏が抱いた夢は、
――強くなれ。賢しくなれ。護り抜け。誰かを。この両手で。自分自身の力で。
だから……離してしまえ。お前は、織斑一夏はもう、たった独りで行くと決めたのだから。
一夏はポケットに手を入れる。翼のネックレスが手の平に触れた。
刹那、彼女と過ごしたこの数週間が、フラッシュバックのように脳裏を掠める。
出会って突然、屋上に拉致られたこと。不可抗力とはいえ、彼女の胸を揉んでしまったこと。セシリアに勝つため、毎日のように奔走してくれたこと。代表決定戦で、出撃する自分を見送ってくれたこと。2人っきりで、デートに出かけたこと。
そうして、全ての記憶の欠片に散りばめられ、焼きつけられた、あの太陽のような笑顔。
「なっ! だから、これで痛み分けだ! これからもよろしくな、一夏!」
またこの瞬間でも、陽光はどこまでも無邪気で、優しくて、明るくて、何時までもどこまでも、この身を照らして欲しいと、一夏は思う。それが許されたら、どれほど幸福なのだろうかとも。
だから、一夏はその双眸に焼き付けることにした。これが最後、自分に向けられる最後の笑顔。なぜだか、この光さえ覚えていれば、自分は何でもできる。どんな非現実すら、現実のモノにしてしまえそうな気すらしてくるから。
強く、再びぶり返しかけた惜しみを痛みで殺すように握り締めて、一夏はポケットに入れた手を、姫燐に突き出した。
「……一夏? それ、オレがあげたッッ!」
己の失態に、急いで口を塞ぐ姫燐。
「い、いやー、どうしたんだよ一夏? お前がアクセサリーとは珍しいなー、うん。しかし趣味が良い。我ながじゃなくて、コレ選んだ奴は良いセンスしてるな。むしろ、オレが欲しいくらいだぜーって、はっはは」
「じゃあ、やるよ」
「はは……は?」
一定方向を向いていなかった彼女の瞳が、一夏を見据えて止まる。
「な、なに言ってんだ……? 冗談なら、もっとマシなのを」
「冗談なんかじゃ……ない。欲しいのなら、姫燐にやる。もう、俺には必要無いモノだから」
茫然とする彼女の胸にアクセサリーを押しつけると、一夏はハッチへ向けて走り出した。
逃げる様に、置き去る様に、背後から追いかけてくる僅かな後悔に捕まらない様に。決して振り向かず、一心不乱に通路を走り続けた。
自分の愛機の様に真っ白になっていく心が僅かに、霞んでいく視界を鬱陶しがっていた。
その姿を見送りながら、一人取り残された姫燐は、彼から貰ってしまったネックレスの紐を持って、眼前に釣り下げるようにして呟く。
「……どうやら、ふられちまった、か」
ゆっくりと口にして、ようやく彼女の現実と意識がリンクする。
ふらりと揺れた足のまま、姫燐は壁を背にして座りこむ。
そうして、電球が照らす天井を見上げ、
「……くひっ」
にぃ、と端整な顔立ちを、歪に歪めて牙を剥く。歯の隙間から、肺と喉が製造した声が漏れる。
「ひっ、ヒヒヒ……ヒはは……」
声は小さな笑い声に変わり、小さな笑い声は断続的に繰り返される度に、ボリュームを上げて、
「ハーははっ! ヒーッはっははは、アははハはハはッ! クヒッ、ヒヒっ、クヒャハハハハハーーーーッ!」
壊れたオーディオの様に、大音量で、ぶつ切りで、狂ったような笑い声が、ただただ誰も居ない廊下に無情に響き続けていた。