IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
――これはもう、本格的にダメかもしれない……。
昼休み。ほとんど確信に近い、そんな懸念を抱きながら、一夏は自分の席に座り目を閉じた。
開催まで一週間を切った、各学年のクラス代表同士が一対一での決闘を行う『クラス代表戦』。その傾向と対策について語り合う。
それが今、気まずい雰囲気を絶賛散布中である自分と彼女が共有できる、自然かつ共通の話題。ここで二人が共通できる目的を持ち、それとなくゆっくりと彼女との縒りを戻していく。というのが、一夏が普段使わない知恵を絞って、夜通し考え続けた一番いい作戦であった。
無論、そんなまどろっこしい真似をする暇があれば、素直に謝れば良いじゃないかと思うかもしれないが、それが出来ないからこんな作戦が必要なのだ。
今日こそは、絶対にあの件を謝罪すると心に誓う一夏であったが、現実はどこまでも彼をあざ笑うように空回る。
「とうとう、学校にすら来なくなったな……キリ」
一夏はそう呟きながら、斜め前にある空席へと目を遣る。
イヤでも思い出すのは3日前、保健室で起きてしまったあの事故。と、あの感触。
そりゃあ、あの後は酷いモノだった。姫燐に謝ろうとも彼女は無言でフラフラといつの間にか居なくなってしまっていたし、探しに行こうにも、鈴の事情聴取と言う名の尋問から逃れることができず、結局、休み時間になって様子を見に来た千冬が鈴を制裁するまで保健室から出る事すら叶わなかったのだ。
それからと言うモノの、一夏は姫燐から徹底的とも呼べる程に、避けに避けに避けられまくっていた。
次の日の朝、一夏が彼女に軽く挨拶をしても、何故か隣ののほほんさんに返事を返された。
一昨日の昼、一夏が食堂に誘おうとしたら、即座に弁当箱をこれよ見がしに取り出した。無論、彼女が弁当を作ってきたのなんて初めてだし、オマケに中はカロリーメイトがギッシリ詰まってた。弁当の意味があるのかそれは。
そして昨日の夜、自室でこうなったら直接土下座するしかないと腹を括っていると、セカンド幼なじみの悲鳴が聞こえ、何事かと部屋を飛び出すと……
――……織斑一夏ッ!?
何故かセシリアが、姫燐の部屋の扉の前で顔を真っ赤にしながら呼吸を整えていた所を発見し……気がつけば翌朝、一夏は自分のベッドの上に寝転がっていた。首がしばらくの間、明後日の方向にしか向かなくて、箒に珍妙な顔をされたのは記憶に新しい。
で、今日。とうとう、彼女は学校に来なくなってしまった。理由はあまり考えたくないが……考えるまでもないだろう。腹痛だと千冬は言っていたが、そんなもの『仮病』の言い訳としては、もはやテンプレを通り越してチープの領域に入りつつある。
前日まで彼女と普通に話をしていた箒に聞けば、確かに普段に比べ、どこかいつもより余裕がないというか、思い詰めていたように感じたという。当然だろう、年頃の女の子が別に好きでも何でもない男にベッドへ押し倒されたのだ。姫燐の心をどれほど傷付けてしまったかなど、一夏の未成熟な価値観では想像もつかない。
――クソッ…………。
心の中でいくら過去の自分を咎めようと、それが何の贖罪にもならない無意味な事だと分かっていても、一夏は自分への嫌悪感を捨てられない。
焦る心が彼の心からゆとりを失くしていき、もう慣れ切ったと思っていた周囲の話し声が、過去最高に耳をつく。微かに耳に届く全てが、まるで自分の罪業を責め立てているようにすら聞こえて……
「一夏っ!」
「ッ!」
突然の呼び声に、一夏の体が跳ね上がる。
「ほっ、箒!?」
「私以外に誰がいるというのだ?」
さっきからずっと呼んでいたのだぞ? と不機嫌に眉をしかめて腕を組んだのも一瞬、次の瞬間には気色と声色が心配を孕む。
「本当に大丈夫か一夏? 最近のお前は……いや、『お前ら』と言うべきか。何か良からぬ事でもあったのか? クラス中どころか、学園中がお前らが破きょ……いや、ケンカでもしたのかと持ち切りだぞ?」
「……そんなに、噂されてるのか? 俺達って」
「お前達は、様々な意味でとても目立つからな…………コレを、見てみろ」
そう言って箒は一瞬、躊躇うような仕草を見せたが、意を決したのか小脇に挟んでいたB4くらいのコピー用紙を机の上に広げる。そこには、この様な文面がデカデカと我が物顔で踊っていた。
「『織斑一夏&朴月姫燐、おしどり夫婦、とうとう破局か!?』…………な、なんなんだよ……コレは?」
更に続く細かい文字には、自分と姫燐について脊髄反射だけで書きなぐったような、証拠もへったくれもない過大誇張されたホラ話が延々と書きつづられている。
特に『衝撃!? これが朴月姫燐の正体!?』と小見出しに書かれた所に関しては、直視することすら憚られるモノばかりだった。
――織斑一夏に近付いた淫売――
――専用機も、その身体を使って――
――学園の外で、今も援助交際を――
どれもこれもが、いっそ白々しいまでに確証の欠片もない、最悪な虚実ばかり。
一夏は自分でも、嫌というくらいに声が震えているのが分かった。怒りや驚愕や嘆きだけではない、もっと別の強い『何か』が、彼を揺さぶる。
「この学園に、新聞部と言う部活があることを知っているか?」
「あ、ああ……知ってる」
知っているというか、一夏も入学当初から、ぜひ一度インタビューをさせて欲しいと、何度もせがまれたせいで嫌でも覚えてしまっていた。
「そこの部員の一人が、独断で作ったゴシップ記事だ。無論このような悪辣な記事、発行前に他の部員や教員達に差し押さえられ、全部回収された。これを作った部員も厳重注意を受け、強制退部させられたそうだが……事実こうやって、ごく一部にはしっかりと出回ってしまっている」
どこにでも居るモノだな。こういう連中は……と、箒の顔が憂いを帯びる。その眼差しは、ここでは無い何時か。遥か過去を嫌悪しながらも追想するように、遠い。
「なんだよ、こんな、こんなデタラメ、信じる奴なんて」
「一夏……お前には信じられないかもしれんが、少なからず居るのだ。こういった嘘八百を好物にするような下衆としか言いようのない輩は、な」
そう言い切った彼女の声は冷酷で、平坦で、残酷なまでに、自信と確信に満ち溢れていた。
「で、でも、姫燐はッ! こんな奴じゃないって、見てれば誰だって……」
「人の眼は……時に、非常に都合の良い『曇り』を作る。故意であれ、無意識であれ、作られた曇りは自分にとって都合良く、目の前の真実を歪めてしまう。そして、それが例え何であろうと、人は自分の信じた『真実』を、信じるモノだ」
「嘘……だろ……だって、こんな……」
この新聞が、いつ出回ったのかは知らない。だがもし、この記事を、彼女が目にしてしまったとしたら? 今までどれだけ険悪であろうとも皆勤賞だった彼女が、なぜ今日に限って急に、人前に出ようとしないのか?
その答えが、一夏の中で最悪の答えへと繋がる。
――俺の、せいだ。俺のせいで、キリは。また、俺は、誰かを傷付けて……。
「……すまない、一夏」
「……なんで、箒が、謝るんだよ?」
表情を苦く歪め、なぜか謝罪をする幼馴染に一夏は尋ねる。
「こんな事、知らない方が幸せだったかもしれない。だが、噂と言う奴は風と同じ。いつか必ず、お前の耳にもコレと似たような風が届く」
箒の瞳が、再び遠くへと向けられる。
「こんなタイミングだ。私を最悪な女だと思うかもしれない。だが今のお前が、第三者からこのような事を告げられたらきっと、平静を保てないと思ったんだ…………にな」
最後だけ掠れたように小さな声だったが、一夏の耳には不思議と確かに届いていた。
――かつての私が、そうだったようにな……。
確かに、彼女はそう言っていたと一夏は思えた。
「だから早めに、知人の誰かがお前に知らせておくべきだと私は思ったんだ……非難ならいくらでも、甘んじて受けよう」
言いたい事を全て言い切ったのか、待ちかまえる責めを受け入れるように薄く目を閉じた箒を見て一夏は、シッカリとしている様で、思いのほか盲目な幼馴染に愛らしさすら覚えた。
――ハハッ、意外と抜けてるんだな。箒って。
非難? なんだそれは? いつの間に、彼女は冗談がこんなにも上手くなったのだ?
箒は、自分のためにわざわざこんな記事を持って来て、汚れ役を買って出てくれたのだ。誇りこそすれ、咎められる筋合いなど何処にも無い。
本当の悪は、本当に皆から後ろ指を指され、非難を全霊に受けるべきなのは――
「ありがとな、箒」
「……一夏?」
ふっと、吹っ切れたような笑みを浮かべて立ち上がり、一夏は箒の肩を軽く叩く。
「箒のお陰で、決心がついたよ」
「決心……? 待てっ、何処へ行くのだ?」
「うん? ……ああ、ゴメン。俺、行かなくちゃいけない所が出来たんだ」
本当にありがとな、ともう一度だけ箒に礼を言って、一夏は確かな足取りで教室を後にする。その表情に、先程までずっと浮かべていた苦悩は微塵も無かった。
――思えば、今までが幸運だったんだ。
何も知らなかった自分を導いて、鍛えて、常に傍に居てくれた存在。彼女が居たから、俺は今も夢を、『誰かを護れるくらい、強くなる』という夢を追う事が出来た。
だが、その強さの裏で、誰かが傷つくというのなら、誰かが涙を流すというのなら、致命的な矛盾をはらみ続けるというのなら、
――この夢に意味なんて、無い。
だから、ここからは独りだ。それなら絶対に、自分の夢の影で泣く者は居ない。誰も、傷付けることも無い。
一夏は制服の第一ボタンを外し、首にかけていたネックレスを取り出す。青と白の翼をあしらった、彼女からの大切な贈り物。貰ってから、恥ずかしかったため外には出さずにいたが、ずっと肌身離さず身に着けていた宝物。
それを強く、強く握りしめ……首から外し、ポケットの中へ乱雑に詰め込んだ。
――彼女に甘え続ける時間は今この瞬間、終わった。
これは、その証明。もう、姫燐には絶対に頼らない。
たった独りでも、自分は強くなって見せる。このクラス代表戦を独力で勝ち抜いて、それを証明してみせる。その時こそ、一夏はようやく自分を許せそうな気がした。
――待っていてくれ、キリ……!
謝罪が遅れるのは心苦しかったが、今は目の前に控えた戦いに集中するべきだ。
勝ち取った優勝報告と共に、彼女に謝る。そうして自分はもう姫燐の力を借りずとも、独りで立てることを示して、もう大丈夫だからと、独りでもやっていけるからと、彼女へ――
――ズキン――
そこまで考えた瞬間、一夏の胸に僅かだが、辛くて、苦しくて、どこか切ない痛みが走る。あの日の夜に疼いた、胸を貫くような痛みが再び身を焦がす。
なんだって言うんだ? なにも間違ってはいないだろう? 喜ばしいことじゃないか。 彼女が居なくても自分は強くなって、夢を叶えて、ようやく誰かを護ることができる。
そうしたらきっと再び、彼女は自分に、あの陽光のような暖かな笑みを向けてくれる……その筈なんだ。
――なのに、なぜ、そんな悲しそうな顔で俺を見つめるんだよ……?
きっと、まだ自分を許せていないからだ。
だから、思い浮かべる彼女の顔も曇ったままなんだ。
自分に言い聞かせるように一夏は頭を振り、鬱屈した気分を逸らすため窓から空を見上げた。
きっと、冷たい雨が降るだろう。そう思わせる程に暗く、だだっ広くて、何もかもを遮る。そんな曇天だった。