IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第10話 「チャイナが来る!」

「晩上好、邪魔するわよ。朴月姫燐」

 

 雑なノックと、鈴の音ように綺麗で、だというのに良く通る中国語で「こんばんは」という意味の挨拶と共にドアが開き、ズカズカと遠慮のない足音が部屋に響く。

 

「って、なによこれ! 汚ったな!」

 

 小学生高学年くらいしかない身長に、スリーサイズも小学生相応、着ている服はホットパンツとタンクトップだけという、ラフかつ着る人が着れば殺人級の破壊力を発揮するコーディネートでも、完全に夏のお子様の部屋着である。

 彼女のトレードマークである大きなツインテールが、部屋を見渡す視線と共に左右に揺れる。

 

「うっわー、掃除くらいしなさいよアンタ。ゴミ袋どこ? って、あったあった」

 

 と、言いながら、許可なく勝手に開いた棚に置いてあったゴミ袋を広げ、床に散乱するゴミをテキパキと拾って入れていく。

 

「あーもー、洗濯物も畳まないで置きっぱとか……シワになるじゃない」

 

 ゴミとごっちゃになって捨てられていたジャージを手に取り、一瞬顔を近付けただけでまだ未使用だと判断すると、これまた電光石火の早業でピシッとシワ一つ無い、服屋に陳列されていそうな新品の服のように綺麗に畳み上げる。

 

「って、これも…………これぐらいは自分でやりなさい」

 

 もう1つ手近に捨ててあったブラジャーを手に取って広げたと思ったら、彼女は急に不愉快丸出しの顔面をして、パソコンの椅子に座ったまま一連の事を眺めていたこちらに投げ寄こした。

 今まで、突発的に発生したイベントに対応に困っていたが、ようやく追いついてきた現実感を確かに掴み、部屋に侵入を許してからジャスト三分のロスを得て、ヘッドフォンを外しオレはようやく口を開く。

 

「なぁ、お前。そう、そこのミス・ツインテール」

「なによ、まさかその歳で畳み方わかりませんって言わな」

「お前は、オレの母ちゃんか何かかッ!?」

 

 オレの会心のつっこみを受けても、目の前のチャイニーズは「あんたバカぁ?」と今にも言いだしそうな呆れた表情を浮かべ、

 

「それはそれ! これはこれ! 余計な御託はいいからさっさと掃除するわよ、こんな部屋じゃ落ち着いて話しもできやしない!」

 

 こちらの言い分を完全論破し、再び掃除に熱中し始めたツインテールにオレは頭を抱え、もうなにも言う事ができなか

 

「なにボケっとしてんのよ、アンタの部屋でしょうが!? 見てないでサッサと手伝う!」

「あぁぁぁぁ! はいはい、わかりました! やりゃあいいんだろやりゃ!」

 

 

○●○

 

 

「はぁぁぁ~~~ッ! やっぱり、清潔っていいモンよねぇ~~~」

「……はぁ、そっすね」

 

 夕焼けが眩しかったはずの空は、掃除が一通り終わるころにはすっかり満点の星空が浮かび、開けた窓からは新鮮な夜風が吹き込んでくる。

 背伸びをしながら、それを気持ち良さそうに全身に浴びるロリツインとは対照的に、姫燐はどこまでも憂鬱そうな表情で彼女を眺めていた。

 

「ほら、もう換気はいいだろ? 冷えて来たから閉めるぞ」

「えぇ~」

 

 不満げな声を上げる子供は風の娘を無視して姫燐は窓を閉め、改めて自分の部屋を見渡した。

 ここ最近、確かに部屋が散らかり気味だったことは認める。

 ベッドシーツはぐちゃぐちゃ、固形栄養食の殻は捨てっぱなし、パソコン周りには栄養ドリンクの空ビンが乱雑に放置されている。掃除機も長い事かけた様な気がしないし、CDもケースと中身がバラバラの状態でそこら辺に……と、ここで姫燐は一旦思考を停止する。

 これ以上いけない。なんというか、仮にも年頃の少女が住んでいた部屋の回想として。

 それが、なんとうことでしょう。そんなゴミ屋敷一歩手前だった姫燐の部屋は、この小さな匠の手によって劇的にビフォーアフターを遂げていた。

 ベッドは今すぐにでも身体を沈めたくなるほどしっかりメイキングされており、床にだらしなく捨てられていたゴミやビンは全てゴミ袋に詰められて部屋の隅っこに鎮座されている。

 CDもキチッと外身と中身が一致しており、掃除機も「もう腹がパンパンだぜ」と今にも言いだしそうなほどいい働きをしていた。

 オマケに、部屋の中心にある小さなラウンドテーブルの上で、いつの間にか置かれた二つのマグカップがほんのり湯気を上げていた。先程、キッチンを借りると言っていたのは、これを淹れるためだったのだろう。

 余りの仕事人っぷりに何となく悔しくなり、姫燐は窓の縁を指でなぞるという姑御用達のアクションをしてみる。だが、期待に反して指先には一切ほこりが付いておらず、彼女は鼻を不機嫌そうに鳴らすどころか、逆に感嘆の声を上げる事しか出来なかった。

 

「……パーフェクトだ、鈴音」

「感謝の極み。……って、あんたに名乗ってたっけ、あたし?」

 

 結構ノリノリで恭しく一礼をしながらも、いつの間にか自分の名前を知っていた姫燐に対して鈴は聞き返す。

 名乗られた覚えは当然ない。ここ最近の姫燐は、授業の時以外は部屋で引き籠り気味に過ごしていたのも相まって、彼女とちゃんと会話をしたのはこれが初めてだ。

 しかし、中国から専用機持ちの転校生が来るという噂は前々から学園で噂になっていたため知っていたし、そして何よりも姫燐は一度、彼女の名前を耳にした事があったのだ。

 

「五反田の奴から聞いた事がある。あのボケへの恋路に赤く燃え、見事に散って星になった『凰鈴音』って命があったってことをな」

「……弾の奴、今度会ったらしばいて海に捨ててやる……」

 

 と、歯を食いしばりながら弾に報復を誓う鈴を横目に、姫燐はテーブルにあぐらをかいて座って茶をすする。

 

「つか、散って無い! あたしは一夏にフラれてなんか」

「そーだな。お前はあのドアホに、恋愛対象とすら見られて無かったもんな」

「……アンタ、あたしになんか恨みでもあんの?」

 

 声に確かな怒気を孕ませながら、鈴も頬杖を突いてそっぽを向く姫燐と向い合う形で座る。

 

「これが地だ。許せ」

「ふぅん……いつもは猫でも被ってたの? 一夏から聞いた印象とは、ずいぶんかけ離れた感じだけど?」

「だったら、あのド腐れ低能の伝達力が脳みそと同様、致命的に足りてないんだろうさ。オレの知ったこっちゃねえ」

「……ははぁん、そういうこと」

 

 彼女の言葉を聞いて、急に眉間のしわを消して何かを悟った顔になった鈴に、全てを見透かされたような気分になり、今度は姫燐の眉間が不機嫌に歪む。それを誤魔化すように、姫燐は残りのお茶を一気にあおり、

 

「アンタさぁ、いくら虫の居所が悪いからって、他人に八つ当たりはどうかと思うわよ?」

「ッ!? ごふぉ、げふぉ!!?」

 

 そのまま気道にストレートでぶち込まれた液体を、全てむせ返した。

 

「あーもー、汚いわねぇ」

「だっ、誰が八つ当たりしてるってんだ!? 誰が!?」

「アンタ以外いるわけないじゃない。ほら、動かない」

 

 鈴は立ち上がるとポケットから出したハンカチで、手際良く姫燐のジャージやカーペットなどに飛び散った水分を吸収して、彼女の隣に再び座る。

 

「なるほどねぇ、原因はやっぱりアレ? ほら、保健室で一夏に押し倒されてた」

 

 姫燐の表情が更に不機嫌に歪んだのを見て、鈴は自分の憶測が当たっていることを確信した。

 

「ま、確かに許せる行為じゃないけどね。理由はどうあれ、半裸で年頃の女の子を押し倒すだなんて、犯罪スレスレどころか完全にアウト物よ。訴えたら確実に勝てるわね」

 

 鈴はドラ息子の悪行に頭を悩ませる親のように溜め息をつき、真っ直ぐな視線と人差し指で、もう1人のドラ娘の方を射抜く。

 

「けど、それで関係無いあたしにまで牙を剥くのは完全にお門違いよ。あたしは別に平気だけど、それで本気で傷つく子だっているかも知れないのよ? 一回、頭冷やしなさいこの笨蛋(バカ)」

 

 突き付けられた反論の余地もない完璧な正論に、いつもはあーだこーだと屁理屈に定評がある姫燐も押し黙る事しかできず、突いていた頬杖をデコに移動させて数秒。

 ゆっくり持ち上げた頭を、今度は隣で座る鈴に向けて下ろす。

 

「……確かに、お前の言う通りだ。悪かった、鈴音」

「はい、素直でよろしい。あと、鈴でいいわ。みんなそう呼ぶし」

 

 姫燐は憑き物が落ちた後ような顔を上げ、ニカッと八重歯を見せて笑う鈴の笑顔を見つめた。それは歳相応とは言い難いが、無邪気で健康的な魅力に溢れた素敵な微笑みだった。

 そして、ベルトコンベアーの流れ作業の様に、姫燐は視線を顔から胴体の方へとシフトさせて、

 

――これで、もうちょっと有るモンが有ればなぁ……。

 

「クッ!」

「なんだかよく分からないけど、今までのアンタの態度の中で一番ムカついたわ。今の」

 

 先程のいい笑顔のまま頭上に怒りマークを浮かべ、やっぱり腹辺りに一発修正いれるべきかしら? と悩む鈴だったが、

 

きゅぅぅ~~~~~~……。

 

 そんな事をしなくても、可愛らしい警告音が姫燐のお腹から響いた。

 

「う……」

「そういやアンタ、ここ最近ロクな物食べて無かったわね」

 

 鈴は部屋の隅に置かれた、固形食糧や栄養ドリンクが大量に詰め込まれたゴミ袋をチラリと見遣る。

 

「姫燐、どうして学食に行かないのよ? 確かお金も要らないんでしょ? ここの学食」

「……学食行くと、アイツと顔合わせるかも知れないだろ」

 

 と言って、顔をほんのり赤らめながら斜め下を向く姫燐。

 丁度、姫燐にはインフレしていて鈴にはデフレしているモノを挟み込むように、腕を交差させながらあぐらをかくその姿は、同性である鈴の眼から見ても充分に惹きつけられるボリューミーを感じさせ――

 

「そのまま対消滅して消えろッ!!」

「なにゆえ!? オレと一夏は粒子と反粒子かッ!?」

「はっ! いや、そうじゃなくて……てか、そうだ、あたしはこれを聞きにアンタの部屋まで来たんだった」

 

 そういえば、姫燐も気になってはいたが口にする暇が無かった事だった。なぜ、鈴はこんな時間に自分の部屋に来たのか? ……まぁ、冷静になった頭で考えれば、大方の予想はつくのだが。

 

「答えなさい姫燐! アンタ、いったい一夏の事どう思ってんのよ!?」

「あー……その、だなぁ……」

 

 どうしようか? 言ってしまうべきだろうか?

 姫燐の脳内で、二つの選択肢が揺れる。

 このまま一夏の事が好きだと誤解させるか、正直にありのまま全てを話すか。

 誤解させるのは誤解させるので、少し苦しいような気がする。

 もし仮に、自分が一夏のことを好きだという設定で通すのなら、押し倒された時にあそこまで露骨に不機嫌だった説明がつかないのだ。

 保健室の一件は、確かに自分も悪ノリが過ぎたと思う。

 それでも、それでもだ。アイツは、人が男の裸が本気で苦手であるのを知ってあのような事をしてきた挙句、よりにもよって手首を掴み、ベッドに押し倒して……思い出しただけで、再び腹の中が煮えくり始めたので閑話休題。

 要は、この選択肢の問題点は、好きだという『設定』の男に押し倒された女が、あそこまで不機嫌になるという納得がいく理由が思いつかない所にある。

 愛している人間に求められる。これ程の幸福を受けながらも不機嫌になる奴は、余程歪んだ愛を相手に求める変態以外では考えられない。

 姫燐はそんな人格破綻者を演じ続けていられるほど、演技力に自信がない。性癖は常にフルスロットルで破綻しているが、それはまた別の問題である。

 

 ならばこの際、正直に全部話してしまうべきだろうか。

 自分が、格調高く言えば百合、身も蓋もない言い方をすればレズビアンであるという事を。

 ここまで疑心暗鬼を全開にした相手に、自分は一夏とは友達で、それ以上でもそれ以下でもありませんと言っても、そう簡単には信じないだろう。

 だが、これをカミングアウトして、部屋中に隠してあるコレクションでも見せてやれば誤解は一瞬で溶け、あれは不幸な事故で、自分に故意は一切無かったことも簡単に証明できる。

 しかし、これにも決して軽くないリスクが付き纏う。

 まだ、姫燐はこの少女、凰鈴音を全面的に信用した訳ではないのだ。悪い奴では無いことは何となく分かるが、口が堅いかどうかは別問題だ。

 友人との雑談中にでも、なにかの拍子でコロッと喋ってしまわないとも限らない。

 一夏には、『協力関係』という制約が拘束するため――それでも一回ポロリと喋りかけたが、まだ一定の信頼を置けた。だが、鈴にはそういった拘束具が一切ないのだ。

 万が一、鈴の口から自分の性的趣向がバレてしまえば、夢は間違いなくデッドエンドを迎える。

 だがそんな物はぶっちゃけ、殆どどうでもよかった。

 本当の所を言ってしまえば姫燐は彼女、凰鈴音に少し惚れ込んでしまっていたのだ。

 確かに体型は非常に残念だが、家事スキルは完璧な上、他人の事を想いやれる優しさや、初対面の人間にここまで世話を焼ける面倒見の良さまで兼ね備えている。それに可愛いし、可愛いし、可愛いし。

 それに、まだ彼女は成長期。某玉ねぎの騎士の様に、もしかしたらここから爆発的に成長を始めるかもしれない。そうなったら、まさしくパーフェクト凰鈴音の出来上がりである。

 故に、姫燐は葛藤する。この原石、果たしてこのまま捨てるべきモノなのか? 今は適当に誤魔化して、来るべき未来に繋げるべきではないのか?

 迂闊な行動は厳禁だ。全ての可能性を考え、最善の答えを慎重に導き出さねばならない。ならないのだが……時間がそれを許さない。

 

「さっきからなに黙ってんのよ? ま、まさか、実は保健室のが初めてじゃない、とか言わないよねッ……!?」

 

 姫燐の肩を力強く全力で掴み、ガクガクとシェイクしながら彼女を問いつめる鈴。

 これ以上、誤解を増築工事させていくのは危険すぎる。主に、さっきから軋みを上げる姫燐の肩と三半規管が。

 

――あー、クソッ! ダメだ考えが纏まらねぇ!

 

 痛みと空腹と不衛生が彼女の思考にジェットストリームアタックをしかけ、彼女のインスピレーションを浮かんだ片っ端から全て撃墜していく。

 

――あーうー……ええい、ままよっ!

 

 もはや完全に思考を放棄して、姫燐は舌が動くままに口を開こうとした瞬間、

 

ぐぎゅるるるるるぉん………。

 

 地の底から響く猛獣の唸り声のような音が部屋に響き渡り、鈴のシェイクもピタッと止まり、先程までの喧騒が嘘のような静寂が支配した。

 

「今の音……なんだ?」

 

 あのような音、初めて聞いた。

 いったい、どこの百獣王が咆哮をしたのかと姫燐が憂慮していると、

 

「……し、仕方ないわね。姫燐も簡単には話すつもりがないようだし、それならこっちも持久戦よ。先にご飯にしましょう。それから、ゆっくりと聞く事にするわ」

 

 絶対に放さない。絶対にだ。と言わんばかりの勢いで肩を掴んでいた両手をあっさり手放すと、鈴はダッシュで部屋を出て行った。決して、姫燐に顔を見られないようにしながら。

 

「……耳、真っ赤だったな。鈴の奴」

 

 だが、流石に耳までは配慮が足りなかったらしい。

 姫燐はしっかりと、羞恥で通常の三倍の血流を送っていた耳たぶを目撃していた。

 

「……あれ、まさかとは思うがアイツの腹のn」

「お料理の時間よコラァ!」

「うぉ!?」

 

 バァンと、ドアを蹴破るような勢いで開いて鈴が帰って来る。先程とは違い、タンクトップとホットパンツの上から簡素なエプロンを装着しており、その手には、食材が詰まったエコバックが握られていた。

 

「さってと、台所借りるわよ姫燐」

「え? ああ、別に構わんが、まさか作るのか? 今から?」

「あったりまえじゃん。その為に部屋から色々もってきたんだから」

「いや、でもなぁ……」

 

 先程、鈴本人が言っていたようにIS学園の学食は基本タダなのだ。手ぶらで行っても作りたての飯を作ってくれるのに、わざわざ外で食材を買って自炊するという面倒を自らに科すなど、酔狂以外の何物でもない。

 そのこと姫燐は鈴に尋ねると、

 

「なんで? どっちかって言うと、いちいち歩いて食堂まで行く方が面倒じゃない?」

 

 価値観の違いをまざまざと見せつけられた。

 これがいつでも嫁に行ける勢と、ゴミ御殿伯爵即位勢との決定的な戦力差だというのか。

 

「まぁ、家事もロクにできない姫燐には、分からない話しかもしれないけどねぇ」

「なっ!? 誰がだ! オレだって基本的な家事くらいこなせるわ! ただ、今日というか最近はちょっと気が乗らなかっただけで……」

「ふーん、気が乗らないだけでねぇ……」

 

 鈴は冷めた目で、再び部屋の端に積まれたゴミの山を見

 

「やめろォ!」

「こんなの日頃から習慣になってれば、気分が乗らなくても身体は勝手に動くもんよ」

 

 つまり、どういう事か分かるな? と言いたげな軽い溜め息をついてエコバックをキッチンに置く鈴の背中を、姫燐はぐぬぬと涙目で睨みつけることしかできない。

 しかし、だ。ふとこういうのも悪くは無いなと、姫燐は思う。

 女の子が何かと文句を言いながらも、エプロンを翻して自分のために料理を作ってくれる。このシチュ、むしろ良い。グッとくる。主に鼻に。

 

――これで、裸だったら言う事ないのになぁ……。

 

 と、どこかの美人画にでも描かれてそうな柔らかな微笑みを浮かべつつ、調理器具を探すために下の戸棚を開け、その可愛らしいお尻を突き出す鈴の姿を、目蓋の裏でキャストオフさせる姫燐。下衆い、主に発想が下衆い。

 

――ん? 裸……?

 

 待てぃ。と、軽くトリップしていた姫燐の頭脳がストップをかける。

 この部屋には、ありとあらゆる所に姫燐が血塩にかけて収集し続けた百合グッズが大量に眠っている。当然、中には子供が見ちゃダメよな内容の物も結構な量があり、特に誰に見付かってもロクな結果にならないような代物は、彼女の灰色の脳細胞をフル活動させて隠した。

 理想的な場所は、普段誰も使わずに、手を伸ばすのに少し苦労する所で、意外性がある場所。

 そんなベストプレイスを探すのにはかなり苦労させられたが、姫燐はこの全てをクリアしている場所を、このまえ偶然思いつき、意気揚々と試しに置いてみてそのまま……。

 

「ッ!?!?!?!」

 

 姫燐は己の迂闊さを呪う前に、姫燐は眼を見開き、跳び跳ねる様に立ちあがって鈴の後ろ姿を見る。

 そこには丁度、包丁を片手に持ちながら、流し台の上に備え付けられた戸棚に、背伸びをして左手を伸ばす鈴の姿が映り……、

 

 姫燐の視界から、急速に色が失われていった。

 

「あいたっ! なによ、も……う……?」

 

 コツンと戸棚を開いた瞬間、自分のおデコを強襲して床に落ちた『何か』を鈴は拾い上げた。

 おかしい。鈴に、拭いようのない奇妙な違和感が襲いかかる。

 なぜ、台所の戸棚の中から、DVDケースが出てくるのだろうか? 本来、こういう代物は水気のある所からは離して置くのが常識なはずだ。

 なぜ、このケースには、ラメが入ったシールが貼られているのだ? しかも、彼女もこういった物をみるのは初めてだったが、そこには眼の様な形をしたマークに、しっかりくっきり『成人指定』と書かれている。

 そうして、なぜ、このケースに写された絵には、

 

 自分と同年代ぐらいの、ツインテールの女の子が、裸で鎖に縛られて……?

 

 ダメだ。これ以上理解するな、理解するな理解するな理解するな理解するな理解するな!

 脳が全力で現実を否定するが、一度強烈にインプットされた情報は消え去ることができず、泥の様な違和感は、鋭刃の様な危機感へと変わる。

 なにをするの? どうするべき? あたしはどうすればいい?

 逃げるの? 反抗するの? このまま立ち尽くすの?

 いくら代表候補生とはいえ、所詮は15年生きただけの小娘。この非常事態に浮かびあがる数多の対応策が、ごちゃごちゃと鈴の脳内ですし詰め状態へとなってしまい、それが彼女の処理能力をショートさせ、判断力を鈍らせる。

 そこから生まれる時間のロスが、更に彼女を追い詰める。

 

「痛ッ!?」

 

 突然、右手首を握られる。そこから容赦なく圧力がかかり、持っていた包丁が右手から離れて床に落ちる。そしてフローリングの床に、何かが滑る音。おそらく、包丁を蹴り飛ばされた。

 それをほぼ反射的に確認しようと、首を横に向け、鈴は見た。いや、正確には見えてしまった。

 

「あ……」

 

 自分に向けられる、朴月姫燐の視線。鈴は、それに見覚えがあった。

 この眼差しは、まな板の上に乗せられ、まだ生きたいと、死にたくないと悪あがきを続ける食材へと、包丁を無慈悲に振り下ろす料理人の眼差しそのものであった。

 そう、これは、目の前の活きの良い『素材』を、どのようにして食べてやろうかと思案する『料理人』の――

 

「ひッ、いッ、やぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァ!!!?!?」

 

 身を犯す発狂しそうな程の恐怖に鈴はDVDを落し、喉が切り裂けるのではないかという程の悲鳴を上げる。

 刹那、鈴の自由だった左腕が激しい光を放った。

 彼女の華奢な腕が、鉄に覆われたパープルのガントレットへと変貌し、そのまま振り向くと同時に右脇から見える狩人の脇腹へと、拳を突き出す。

 

「もガッ!?」

 

 人間一人を吹き飛ばすには充分過ぎる鉄拳は、鈴よりもガタイが良い姫燐の身体を背後へと吹き飛ばし、そこに置いてあったお茶を乗せたテーブルを破壊して巻き込み、摩擦から生まれた煙を上げてようやく止まる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……ぁ? ……ァ……ぁあぁッ!」

 

 死神の鎌を無理やり振り解いて、なんとか命を繋いだ事を実感し、床にへたり込んで安堵したのもつかの間、今度は別の焦燥が鈴の身を焼く。

 自分は、彼女の脇腹を半狂乱になりながら全力で殴った。その事実が、冷静さを取り戻しつつあった鈴の精神を蝕む。

 確かに、ただ全力で殴っただけなら問題はなかっただろう。

だが、鈴は己の左腕を、先程から震えが止まらない紫の装甲に纏われた手の平を眺めた。

 現代最強の兵器。『インフェニット・ストラトス』。それを纏う者に、圧倒的な力を授けるパワードスーツ。

 その恩恵はとても大きい。本来なら扱える訳が無い、自身の身の丈を余裕で超えるサイズの大剣すら、軽々と振り回せるようになる程の力を与える程だ。

そんな代物で鈴は、人間を殴り飛ばしたのだ。それも、全力で。

 

「な、なんでっ……違うっ……あ、あたし、こ、こんなつもりはっ……!」

 

 歪む視線が見つめるのは、俯けになったままピクリとも動かない女性の姿。

 こんなこと、ドラマやマンガの中だけだと鈴は思っていた。これが夢なら今すぐに覚めて欲しい。しかし現実は、どうしようもないリアルは、ただ目の前で微動もしない。

 

「嫌ッ……嫌ぁっ……」

 

 合わない歯の根。抜けて行く力。込み上げる吐き気。

 震えはとうとう全身へと移り、ISも消して何とか止めようと鈴は自分の身体を抱きしめるが、それでも一向に止まる気配は無い。

 逆に頭が冷えれば冷える程、自分の犯してしまった罪に頭が正しい理解を始め、思考をどうしようもないデッドエンド(袋小路)へと導いていく。

 

「嘘よっ……」

 

 だからもう、彼女は否定することでしか正気を保てない。許容できない、この絶望を。

 

「嘘よッ!!! こ」

「ドンドコドーン」

「んなこ……と……………………は?」

 

 ……ドンドコドーン?

 とうとう、自分の精神は本格的に異常をきたしてしまったのだろうかと、鈴は懸念する。こんな意味不明な空耳を聞くだなんて――。

 

「おぉ、痛ぇ痛ぇ……っと。さっきはゴメンな鈴、怖い思いさせちまって。手首、大丈夫か?」

「ッ!? ァ、ンタ……ッ!?!?!」

 

 夢なら、本当に今すぐ超特急で覚めて欲しい。

 二度と動かないと思っていた彼女は、涼しい顔をしてジャージについた埃を払いながら、落ちていたDVDを拾い上げてまた棚に戻し、茫然自失に陥った鈴を見て顔をしかめ、

 

「……あちゃ、やっぱり滑ったか。元は『そんなこと』だもんな。絶対に聞こえねーけど」

「ふ……」

「いやぁ、なんかな。冷めきったこの空気をどうにかほっこりさせるために、小粋なジョークの一つでもと考えたんだが……ん? どうしたり」

「ふッッッッざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」

「うぇい!?」

 

 部屋が揺れる程の怒髪天を衝く雄叫びに、びくぅと姫燐の身体が跳ねあがる。

 

「姫燐アンタぁ! 生きてるなら生きてるって言いなさいよバカなの!? 死ぬの!?」

「うぉ! や、やっぱ不味かったか!? と、とりあえず落ち着け、鈴」

「冗ッ談じゃないわッ! なんでよッ!? なんでなのよッ!?」

「まぁまぁ、オレは不可能を可能にできる女だし……」

「知ッらないわよそんなバカみたいな設定ッ!?」

 

 飄々と下らない冗談を飛ばす朴月姫燐という存在が、とんでもなく奇怪で、理不尽で、訳が分からない鈴はヒステリックに喚き立てる。

 

「あー、そのだな。アレ喰らって死んでない理由は、実はこういう事だ」

 

 そう言って、姫燐は右腕をヒラヒラさせる。

 紺色の鋼と、翼のようなブレードが付いたガントレットと化した右腕を。

 

「まっ、まさかアンタ……! あの一瞬でISを展開して受け止めてっ……!?」

 

 なんという化物染みた反応速度と判断力。

鈴はこの同年代であるはずの少女に驚愕を超えて、戦慄すら覚える。

 

「……悪い、ちょっとふざけ過ぎたな。流石に意識は少し飛んだが、幸い怪我は軽い打ち身と擦り傷だけだし、テーブルはまた買えばいいだけだ。こいつは全部、自業自得の手痛いしっぺ返し。だから、お前が気に病む必要はどこにもねぇよ。なぁ、り」

「ッ!!? バカ言ってんじゃないわよ!」

 

 ISを仕舞いながら本気で申し訳なさそうな顔をして、自分の頭にふれようとした姫燐の手を弾き、鈴は彼女を真っ直ぐ憤怒と慄然を込めてキッと睨みつける。

 

「……やっぱり、同性愛者はキモイか? まぁバレちまったからにはしょうがない、そうです私が変な百合おじさんで」

「んなことはどうでもいいのよ! 性癖とかそんなん以前の問題、アンタ本気でおかしいわよ! 狂ってるんじゃない!?」

 

 その言葉に、軽薄な笑みを浮かべていた姫燐の表情が固まる。

 

「オレが……狂ってるだと?」

「そうよッ! 今あたしに酷いこと言われて怒った!? 傷ついた!? それが普通よ! なのにアンタはッ! 朴月姫燐はッ!」

 

「なんでさっき! あたしに殺されかけたのに、ヘラヘラと笑ってたのよッ!?」

 

 仮にも自分を殺しかけた人間を前にして責めようともせず、全て自分が悪いから仕方ないと、なぜ彼女は笑える? なぜそんな眩しく、柔らかな笑みや、申し訳なさそうな顔を自分に向けて浮かべることができる? それが、どうしても鈴には納得できない。許容できない。理解できない。

 

「……えっ? なぜ、ってそりゃ……オレが……」

 

 答えに詰まる姫燐の襟元を、鈴は締め上げる。

 

「どうよ! 納得させてみなさいよ! 答えを出して頂戴よ! 怒ってみなさいよ! そしてあたしに、アンタを殺しかけたこのあたしの罪に! 罰を、ちょうだいよぉ……」

 

 初めは一粒。だけど一度決壊した防衛線はもはや意味を成さず、次々と一つ、また一つ、雨粒は次第に洪水のように、鈴の瞳からボロボロとこぼれ落ちる。

 鈴は、姫燐に責めて欲しかった。罰を与えて欲しかった。裁きを下して欲しかった。

 この一件、完全に姫燐にのみ非があった事など、どうでもいい。彼女に怒り狂いながら、なんで自分を殺そうとしたんだと、絶対に許さないと、最悪あのDVDに書かれていたイラストの様に、鎖でこの身を縛り、身体も尊厳もズタボロにして欲しかった。

 それ程にでもしてくれねば、受け入れられなかったから。一時の恐怖に負けて、ISまで使って人を殺そうとした弱くて醜い、自分自身を許容することができなかったから。

 自分の胸に顔を埋め泣き続ける鈴に、姫燐はそっと口を開いて、言葉を紡ぐ。

 

「……ゴメン、鈴。本当に、ゴメン……だけど、お前の質問……オレは、答えたくない」

「なんっ……でよっ……」

 

 答えられないではなく、答えたくない。つまり、彼女は納得させる真実を掴んでいるのに、自分に話そうとしない。

 

「確かに、お前には知る権利があるのかもしれない。だけど、コレは、コレばっかりは本当に勘弁してくれ。それに、お前がどうしても自分を許せないなら、オレに責めて欲しいなら、この黙秘を、お前に対するオレからの罰だと思って欲しい」

 

 我ながら、都合がいいよな。と、自嘲気味に姫燐は笑う。

 その仕草がやはり納得が行かなかったが、それが彼女が望む、自分への罰だと言うならば、甘んじて受け入れよう……。鈴は、そう思う事にした。

 自分の胸で涙を流し続ける彼女に、そんな権利を持っていないと思いながらも、姫燐は手を鈴の背中に回し、あやす様に叩いて、

 

「突撃、隣の浮気調査の時間ですわコ……ラァァァァァァァァァ!?!?!!?!?」

 

 なにかデジャビュを感じるドアの開け方で突然現れた来訪者は、これまた突然、悲鳴を上げた。

 

「なっ、ななななな何してますの姫燐さん!? ちゅ、中国の代表候補生とふっ、ふた、2人で、抱き合って……不埒ですわぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 頭を抱えて自身の金髪ロールをグリングリンと過激なロックパフォーマンスの様に回転させながら、完全に狂乱状態で叫ぶ来訪者こと、セシリア・オルコット。

 あまりに見事に決まった電撃作戦に、ポカンとその姿を眺めていた姫燐と鈴だったが、次第に状況がとんでもなく不味い方向に向かっている事に気が付いていき、磁石のように弾け飛びあった。

 

「おまっ、なっ、待ちなさいアンタ! これはその、違っ! あたしが好きなのはこんなんじゃなくて……!」

「お黙りなさい! この、そのぉ、……チがッ!」

「はぁ!? なに言ってんのか分かんないわよこのバーカ!」

 

 台詞の途中で照れが入って聞き取れなかったが、恐らく何か罵り言葉を言ったのだろう。このままでは本格的に取っ組み合いのケンカになりかねない。即座にドアを閉めに走っていた姫燐は、いがみ合う二人の間に割って入る。

 

「まぁ待て、まだ慌てる様な時間じゃないぜセシリア。オレ達は確かに抱き合っていた。だが、そこに恋愛感情は一切ない。本当だ」

「そ、そんなこと、口ではどうとでも言えますわぁ! それに、先程から大きな物音や、そちらの人の叫び声が何度も聞こえてきますし! 何よりも、なんで彼女の眼は赤いんですの!? 状況説明を要求しますわ!」

 

 さめざめと今にも泣き出しそうなセシリアと、何なのだこれは!? どうすればいいのだ!? と、思いっきり狼狽する鈴の二人の視線を同時に向けられながらも、姫燐は冷静平坦な表情を崩さない。

 その表情を見て、鈴は悟る。

 

――なるほど、なにか策があるのね、姫燐!

 

 一夏から事前に聞いた話では、彼女は例えどのような不利な状況でもアイデア一つで大逆転してみせる、狡猾な策士だという。この手の状況は、きっと慣れっこなのだろう。

 

――見せてもらうわよ、朴月姫燐の実力とやらを!

 

 コホン、と一つ咳払いをして、姫燐はセシリアの肩を掴み、その双眸をしっかりと見据えて言い切った。

 

「なんてことない。オレはコイツに、どうすればオレのようなダイナマイトなボディをゲットできるのかをレクチャーしていたのさ」

「そうそう、あたしは姫燐にダイナマイトなボディを……………はぁ!?」

 

 いったい、何を抜かし下さってるんだろうか? この変態は?

 

「なんですって、それは本当ですの!?」

「ザッツライトザッツライト。いやぁ、オレも突然でビックリしたんだがなぁ。ほれ見てみろよ、コイツの哀れみすら覚える肢体を」

「……確かに、哀れですわね」

「きィィィりィィィんッッッ!?」

 

 間違いなく、今日一番ぶっち切りでブチ切れながら自分に掴みかかろうとする鈴を、姫燐はおデコを押さえて止め、セシリアに聞こえぬよう小声で語りかける。

 

(いいから話を合わせろ、鈴。お前も、色々と面倒事は避けたいだろ?)

(ギ、ギ、ギぃ……)

 

 奥歯が妙な音を立てるぐらいに歯を食いしばりながら、なんとか理性を保つ鈴を横目に、姫燐はさらに嘘八百をマシンガンのように浴びせて行く。

 

「物音はコイツがオレに頼みこむ時、テーブルに頭を叩きつけたモノなんだ。古い奴だったからな、それで壊れちまったんだよ」

「まぁ……それほどまでに必死だったのですね」

「ソ、ソウナノヨー、アタシ必死ダッタノヨー」

 

 明らかに作り笑いが歪んで引きつっているが、基本的に姫燐しか目に入っていないセシリアは気付かない。

 

「んで……えーっと、叫び声が外まで聞こえていたって言ってかけど、どんな声が聞こえていたんだ?」

「え、えーっと。先になにかとても大きな悲鳴と、次に『ふざけるな』って声との二種類が……あとは、小さすぎてなんとも」

「あー……アレかぁ……」

 

 どうやら、今日の騒ぎの中でも特大な二つ以外は外に漏れなかったらしい。姫燐はこの寮の防音性に本気で感謝しながら、即急でブラフを組み立てて行く。

 

「最初のは、オレが知っている知識その一。『胸は、もげば大きくなる』を実績した結果だ。その時、あらかじめ先に言っとくのをうっかり忘れちまってな、そのせいだ」

「な、なんてうゴフンゴフン……」

「……風邪か? 続けて大丈夫か、セシリア?」

「あ、申し訳ありませんわ、どうぞ続きを」

「おぅ。んで、これが次の『ふざけるな』の理由なんだが、なんでそんなにデカくなったのかってのを聞かれた時のことなんだがな……」

 

 どこかのクイズ番組のように、無駄な勿体を少し付けて、

 

「オレが『特に何にもしなくてもメロンになったぜ?』と言った瞬間、あれだ……」

「それは……気の毒に……」

 

 そう言いながら姫燐は、先程から鼻息を荒く一心不乱に壁を殴り続けている鈴を指さした。ああでもしないと、本格的に発狂しかねないのだろう。

 

「で、では、最後に抱き合ってたのは……?」

「ああ、あれか。アレはだなぁ……オレがアイツに教えれる事を全部教えても、『本当にこれで大きくなるのか?』って泣き出しそうだったからな、だから抱きしめて言ってやったんだよ」

 

「『大丈夫だ、どんなに背も胸も尻も小さくても、需要がある奴にはしっかりステータスだから、希少価値だから』ってな」

 

 その言葉を言った途端、鈴が姫燐の胸に飛び込み、思いっきり抱きしめて来た。

 

「ほらな、鈴の奴、この言葉にとても深く感銘を受けたらしくて、こんな感じに感極まったように抱きついて泣き出したんだよ。なぁ?」

 

 姫燐の胸に顔を埋めながら、鈴はコクコクと無言で頷く。

 その姿は、まるで母に甘える人見知りをした少女のようで、非常に愛くるしい。

 

--アトデ殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス今度ハモウ迷ワナイ絶対ニ仕留メテ殺ル--

 

 蚊の鳴くようなボリュームでささやかれる、呪詛の言葉さえなければ。

 

「そうでしたの……そのっ、本当に申し訳ありませんでしたわ。勝手な勘違いで、お騒がせしてしまって……」

「い、いいっていいって。こんな時間にあれだけ騒いでたら、そりゃ誰だって気になるさ。オレだって気になる。みんなにも、そう伝えといてくれ」

 

 姫燐の言葉に頷くと、次にセシリアは、まだ姫燐に抱きついたままの鈴へと顔を近付け、

 

「貴方……たしか鈴さん、ですわよね? 貴方も、あまりお胸の事なんて気にしない方がいいですわよ。大きくてもあまり良い事はありませんし、何よりも本当の愛は、相手の姿形なんて……」

 

 そう言いながら顔を赤らめ、姫燐の方を僅かに一瞥し、すぐに視線を逸らす。そして、その先にある物を見つけた。

 

「アレは……食材? もしかして、お夕食がまだですの?」

「ん? あー……そういや、まだだったなぁ……」

 

 遥か昔の事のように感じるあのゴタゴタのせいで、結局夕食を食べそびれてしまっていたことを姫燐は思い出した。そして一度意識してしまえば、無視することができなくなるのが食欲という奴である。

 きゅぅぅぅぅぅ……。と、また可愛い腹の音が、部屋に響いた。

 

「う……」

「ふふ、何でしたら、わたくしが何かお作りしましょうか?」

「え、マジで? んー、そうだなぁ……」

 

 軽くほほ笑みながら手を合わせて申し出るセシリアに、姫燐は少しだけ思案しながら、

 

「んじゃ、頼んでいいか? 本当は鈴が作る予定だったんだが、構わないか? 鈴」

 

 姫燐は下を向いて、元の食材の持ち主である鈴に確認を取る。また無言でコクコクと頷く鈴を見て、姫燐はOKだとセシリアに伝えた。

 

「それじゃあ、エプロンや調味料を取ってきますわ! 少々お待ち下さいねっ!」

「おう、サンキュー! 愛してるぜセシリア!」

「あ、愛してッ!? あ、ああああああ愛アイあいアい愛あ……」

 

 まるで熱に浮かされた病人のような表情と足取りで、セシリアは自分の部屋へと戻って行った。

 扉が閉まり、覚束ない足音がドンドンと遠くなっていく。

 九死に一生。何とか、なったか。

 ようやく潜り抜けた修羅場に、姫燐は深い安堵のため息をつく。その息に反応したのか、先程から黙りっぱなしだった鈴が、口を開いた感触が胸から伝わった。

 

「……あんた、アイツとは」

「ありえん。アイツにオレは嫌われている。それは確定事項だ。一応、いつも通りに接してるつもりだが、どういうつもりか最近不気味なほどにやたら愛想が良い。これは本格的に警戒を強める必要があるかもしれん……」

「……あれでいつも通りなの? まぁ、別に良いけど。それより、姫燐?」

「ん、どうし」

「コノママ、終ワルト思ッテナイデショウネ……アトデ、覚エテオキナサイ……」 

「たばががががが」

 

 なんてこったい。まだ修羅場は終わっていなかった。

 このままプロレス選手にでもなれそうな程の力で自分を抱きしめる、地獄の底から響く様な小鬼の声に、姫燐は更なる激闘の予感に顔を引きつらせた。

 

「……まぁ、でも。ホント、デカいわよね。あんたのコレ」

「へっ、うひゃあ!?」

 

 急に抱きしめる力を弱めたと思ったら、今度は少し離れて、鈴は少々荒っぽく姫燐のダイナマイトを揉みしだき始めた。

 

「や、やめっ、おまっ、ふざけひゃあ!」

「ふーん、やっぱりデカいと敏感って聞くけど、あながち嘘じゃないのかもね」

 

 反撃を許さぬよう、口を動かしながらも手は絶対に止めない。というか、止まらない。

 そのまま姫燐を押し倒して、マウントポジションを取る鈴。

 

「あー、ちょっと不味いわねコレ。癖になりそう」

「り、りんやめっ、やめてくれっ、これいじょ、されたらオレ、オレひゃ……」

 

 だんだんといつもの覇気が抜け、涙声にとろけてきた姫燐の声を聞き、鈴は鼻を鳴らしながらようやく手を離した。

 

「ハァ、な、なんの、ハァ、つもりひゃよ、ハァ、おまぇ」

 

 息も絶え絶えに尋ねる姫燐に、鈴は存分に堪能したその手を見つめ、握って開いてを繰り返しながら、冷たく言い放つ。

 

「別に、少しだけアンタの事が分かった気がする。同性愛ってのが流行る理由も、あながち分からんでも無いわ」

「…………は…………?」

「でも、勘違いしないでよね。あたしが好きなのは、あくまで一夏なんだから」

「そ、そいでふか……ガクッ」

 

 今までの過労もあるだろうが、やはり弄ばれ過ぎて完全に精根尽きたのか、そのまま気絶するように姫燐は眠りに陥って行った。

 そんな彼女を見て、鈴はISを両腕だけ展開すると、姫燐をお姫様だっこの形で持ち上げ、ベッドに寝かせて布団をかけてあげた。

 安らかな寝息を立てて眠る姫燐の横にゆっくりと座り、鈴は小さく呟く。

 

「本当の愛は、相手の姿形なんて……か」

 

 先程の金髪女の言葉を、リフレインさせる。

 もしかして、あの女は姫燐のことが好きだったのではないだろうか。というか、ほぼ確実にそうだろう。鈴には確信があった。

 なぜなら彼女には、こちらの好意に気付いていない相手に、空回りのアプローチを延々と続けるその滑稽な姿が、どこか自分と重なって見えしまっていた。

 男を愛する自分と、女を愛するアイツ。

ダブって見えた、2人の存在。2人の行動。2人の――恋愛。 

 

「案外、なーんにも変わらないのかもね。男も女も」

 

 夢の中でも誰かに弄ばれ続けているのか、ときどき思春期には毒な寝言を上げる姫燐を見てクスリと笑うと、自分も彼女と横に並んで、夕食が出来上がるまでしばしの仮眠を取る事にした。

 

 ――もし、一夏を他の誰かに取られちゃったら、もう少し視野を広げてみるのも、悪くないかな……?

 

 ……やはり、自分も今日は疲れてしまったのだろう。

 我ながら世迷言だなと思いつつ、鈴の意識もすぐに夢の世界へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

「ただ今戻りまし……あら? お二人共、眠ってしまったのですわね。……くぅ、羨ましいですけど、ここは耐え忍ぶ時ですわセシリア・オルコット。なんたって、今日は姫燐さんが、わたくしの手料理を食べてくださるのだから……はぁぁッ、待っていて下さいまし姫燐さん! これから貴方を夢の世界よりも素敵な、味のヘヴンへと連れて行って差し上げますわぁ♪」

 

 ……そうしてその後、彼女達の姿を見た者は、誰も居なかった…………念の為言うと、翌日の学園で。


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