IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第9話 「仮面は狂い」

――なんだ、このスピードは?

 

 姫燐は内心で、剣を振り上げ自分に肉迫する白銀の機体、白式に驚愕を覚えずにはいられなかった。

 たった1メートル弱の距離。ISの推力なら文字通り瞬きする間に詰めることができる距離ではあるが、それでもこの白式の速さは異常と言えた。

 なぜなら、あと僅かでも、身体を横に逸らすのが遅れていれば、

 

「ぐ……おぉ……痛ッてぇ……」

 

 確実に自分も、あの驚異的な加速に巻きこまれて共に壁にぶつかっていただろう。

 アリーナの壁にキスをしながら、痛みに悶える一夏。非常に滑稽な場面だ。

観客席からも、笑い声が響くのも無理らしからぬ事だろう。

 だが、姫燐からしてみれば笑いなど起きよう筈もない。

 

――もし、奴があのスピードを制御していたなら?

 

 奴は自分のすぐ横を掠めて行った。

それはつまり、自分は奴に必殺の間合いまで踏み込まれる事を許したということ。

 あのまま一夏が雪片を横に倒し、すれ違いざまに抜き胴をしていれば……自分は、負けていた。

 

 そう、オレは―――敵に負けていたのだ。

 

 世界が自分と敵だけを隔離して消滅し、意識が余計なモノをデリートして透明感を増し、処理事項を急激に増やした脳が悲鳴を上げて焼けついていく。

 認知する。認知する。認知する。

 どうしようもなく、覆しようもなく、紛れもない、この現実を。

 

 

                  ●○●

 

 

「痛てて……」

 

 強打した鼻を手で押さえながら、鼻血が出ていない事を確認する。

 あれほどの速度でぶつかっておきながら、この程度で済んでいるのはIS様々と言える。

 一夏は内心で軽く舌打ちした。この白式、今まで扱ってきた打鉄とは何もかもが違う。

 確かに全力で飛ぶイメージを意識したのだが、まさかここまで爆発的にかっ飛んで行くとは思っていなかった。

 この時の一夏はまだ知らないのだが今、彼は無意識の内にISに秘められた機能を発動させていた。

 ――イグニッション・ブースト。

 後部スラスターに溜めたエネルギーを、圧縮して一気に放出することで、爆発的な慣性エネルギーを得ることができる機能だ。無論、それに応じてエネルギーも相応に消耗するのだが、接近の布石や不意打ちには非常に頼もしい奴でもある。

 周囲の笑いを無視して、一夏は回避してから立ちつくしたままの姫燐に向き直る。

 身を開いたままピクリとも動かず、フルフェイスの仮面に隠れているため表情も読み取れない。だが視線は一夏の方へ向いておらず、かわした時と同様、右を向いたままだ。

 まさか、放心してる?

 一夏の脳裏に、その可能性が浮かぶ。

 あの姫燐が、戦闘中に茫然自失になるなんて考えられない。これも戦略の一つ?

 などと一夏が警戒心を露わにし動けないでいると、姫燐の首がようやく一夏の方を見る。

 だが、他の者のように笑わずに、ただただ無言で棒立ちしているその姿からは、どのような生物でも発する『動』が微塵も感じられない。

 やはり、どこか様子がおかしい。

 どこか体調でも悪いのだろうか? と、模擬戦中だということも忘れ、一夏は姫燐へと足を一歩踏み出す。

 

「えっ」

 

――果たして、朴月姫燐は本当にここに居たのだろうか?

 

 一夏は一瞬、不意にそんなバカげたことを考えてしまった。

 当然じゃないか、さっきまで彼女とは仲良く喋り合っていて、模擬戦を申し込んで、互いに名前を叫び合ったじゃないか。

 だというのに、そんな一夏の思いを真っ向から否定するように、居ない。

 朴月姫燐が居た筈の、一夏の真正面には、立ちのぼる土埃だけが残っている。

 消えた。視界から、朴月姫燐の紺色の機影が消えた。

 そうとしか表現のしようがなく、一夏は茫然としたまま更に一歩踏み出し、

 

「がッ!?」

 

 背後から鈍く強烈な衝撃に一夏は、アリーナ中心付近の空まで吹っ飛ばされる。

 

――攻撃ッ!?

 

 それでも素早く姿勢を制御して正すと、360度の周囲を見渡す。しかし、どこに視線を集中させようと映るのは、地面と空と、自分と同じ何が起こったのかを理解できていない困惑顔のクラスメイト達ばかり。

 ならばと言わんばかりに、一夏はハイパーセンサーを起動させた。

 このハイパーセンサーには、見失った敵機の位置情報を割りだす機能が備え付けられている。

 一夏がイメージするだけで、レスポンスは滞りなく行われた。

 瞬時にハイパーセンサーは周囲の機体反応をサーチして、彼の脳裏に直接フィールドバックさせる。

 が、ISが一夏に見せたのは、彼がイメージしていた物とはかけ離れたモノだった。

 

――なんだよ、これは!?

 

 脳裏に移しこまれる赤い点。これが、おそらく姫燐の現在地なのだろう。

 だが、なぜこの赤い点は2つ? 3つ? いや、そんなもんじゃない。まるで快晴の夜空に散りばめられた、瞬く恒星のように大量に脳を真っ赤に染めてキレイオオイアカイ――

 

「あ、が、あああああぁぁぁぁ!」

 

 追いつかない。流しこまれる、暴虐的な情報量を脳が捌き切れない。

 今すぐ脳を取り出して掻き毟りたくなる感覚に捕らわれ、一夏は片手で頭を抱える。

 一夏のバイタルサインの狂いを感知してか、ハイパーセンサーが無理やりシャットダウンされる。

 

「ッ、ハァ! はぁ、ハァ、はぁ……」

 

 空気が欲しい。ただひたすらに、頭が、全身が、熱を吐き出すために冷たい空気を求めている。頭から片手を離し、息を整える。

 

――何が起きた? ハイパーセンサーが壊れていたのか?

 

 一夏は敵機探索の機能を使ったのは初めてだったが、本来はこのような物な訳が無い。それだけは直感で分かった。

 では、やはり衝撃で故障したのかと一夏は懸念するが、それもありえない。

 この前、千冬から渡された教本でハイパーセンサーは、『第三の眼』と呼ばれるほど重要な機能だと書かれていた。

 これが有ると無いとでは、下手を打てば第三世代の機体でも、第二世代に下される。それが過言ではないほどにISの強みは、この『第三の眼』が多大なウェイトを占めているのだ。……と、書いてあった。

 そんな重要なパーツが、あの程度の衝撃でトラブルを起こす訳が無い。無論、初期不良などは論外だ。

 では、一体何が起こったというのだ? 姫燐の機体が増えた? それとも消えた?

 そんな非現実的な発想が浮かんでしまう気持ちを押さえつける。

 

――焦るな……焦るな……焦るな……。

 

 一夏は、どんな些細な変化も逃すかと意識を周囲に配る。と、

 

「さすがですわぁ! 姫燐さんの速さは!」

 

 その時、光明は観客席から刺した。

 興奮を押さえられないのか立ち上がり、黄色い声援を上げて今にも観客席から身を乗り出そうとして、隣に座る箒に押さえられている金髪の姿。

 そういえば彼女は一度、姫燐と戦った事があったはずだ。何か、彼女の機体に知っていいてもおかしくは無い。

 

――速さ……? てことは、スピード!?

 

 まさか。まさかとは思った。

 ハイパーセンサーは故障していない。むしろ良好だったのだ。良好過ぎたのだ。

 もし、センサーは全て捕らえていたとしたら? 縦横無尽に駆けまわる彼女の機影を。

 では、センサーが映し出していたのは? 目視すら困難な高速で動きまわる彼女の現在地。

 ならば、センサーがそれを随時、脳裏に送りつけていたとしたら? 映し出される情報が、真っ赤に染まるのは必然。

 繋がった、掴んだ、手品のタネを。

 

「サンキュー、セシリア!」

「へっ?」

 

 想い人の敵に塩を送った事に気がつかないまま、目を白黒させるセシリアを捨て置いて、一夏はまたハイパーセンサーを起動させる。

 今度は、敵機の位置を割り出すのではなく、空間の歪みと大気の流れを探るために。

 一夏の考えは大当たりだった。

 歪む周囲の空間。吹き飛ばされ、モグラが通った後のように穴を作る大気の塵。

 さらに、余裕が出来て来た事でようやく捕らえ始めた、引っ切り無しに響く小さな爆発音と、正面を確かに通り抜けた紺の影。

 

――やった! 見つけた!

 

 本当に一瞬掠めただけで、攻撃を与えられるとは到底思えない。

 それでも、本当に完全に何も見えていなかった先程に比べれば、大きな進歩と言えた。

 姫燐が通り過ぎた最新の痕跡を、必死に追っていく。

これで、いつか追いつく。一度、喰らい付きさえすれば後はどうにでもなれ。

 これは模擬戦なのだ。勝ち負けは重要ではない。この機体のことを一つでも多く知ることができれば、それでいいのだ。

 そういう観点では、この姫燐の行動は褒められたモノではないなと、一夏は内心で苦笑しながらも探知を続ける。

 痕跡は始め、周辺を上下左右法則性も無しに動きまっていた。

 次にこちらとの距離を徐々に詰め、そして最後に上空へ、こちらの真上へ、

 

――あ……。

 

 気がついた時は、一夏が首を咄嗟に上げた時には、全てが遅かった。

 光っていた筈の道に、文字通りの暗い影が落ちる。

 こちらに、右手を伸ばしながら重力に従い落ちる姫燐の機影。

 恐らく、これが自分にトドメを刺すためのラストアクションなのだろう。

 そう、自分はトドメを刺される。

 一夏は不思議と、そう思えていた。

 シールドエネルギーはまだまだ充分に残っているし、最悪の場合、絶対防御が発動して彼を護る。それにこれは実戦じゃなくて、模擬戦だ。

 

――だけど、トドメを刺される。トドメを刺されて――俺は死ぬ。

 

 なぜ、彼の思考が死に満たされるのか。

 理由は無い。理論も無い。証明もできない。

 だが、そんなものよりもずっと飾り気が無く、淡白で、正直な彼の直感がそう告げている。

 それに、一夏は聞いた事があった。

 

――本当に、死ぬ時って、時間が遅く感じるんだな。

 

 事実、あれ程のハイスピードで動いていたのに、姫燐はこの一撃のみ、非常に怠慢な動作でこちらに向かって来ていた。

 同時に、なんとかしなければこちらが死ぬのに、一夏の身体は一切の命令を聞かない。

 だから、一夏は漠然と睨みつける事しかできなかった。

 真上から飛来する、全身の装甲を羽のように逆立たせて展開させ、右手を紫色に発光させながら手を伸ばし、無表情な仮面を、下手糞な笑顔の様にいびつに歪ませる姫燐の姿を―――。

 

 

                 ○●○

 

 

 気がつけば、一夏は地面に仰向け叩きつけられていた。

 白式が展開されたままの右腕を握って開く。若干痺れるが、ちゃんと動く。

 

「おいおい、もうヘバっちまったのかよ一夏?」

 

 聞きなれた声に首を動かすと、そこには腰に手を当ててこちらを見下ろす姫燐の姿があった。こちらも、ISは展開したままだ。しかし、装甲は展開していないし、腕も紫に光っていない上に、仮面も当然無表情のままだ。

 

「やれやれ、これだからゆとり教育は肝心な時に『くっ、ガッツが足りない!』ってなるんだよ」

 

 などと英国風に首を振り、やれやれといったジェスチャーを取る姫燐。

 状況をまだ、イマイチ把握できない一夏は姫燐に尋ねる。

 

「お、俺は……いったい、どうなったんだ?」

「はぁ? お前は、オレの完璧なイナズマキックを喰らって、綺麗に地面に叩きつけられたんじゃねえか。そんなことも忘れちまったのか?」

 

 ……イナズマ『キック』?

 説明と記憶との祖語に、一夏は更に混乱する。

 イナズマはともかく、最後の攻撃は間違いなく腕を使った攻撃だったはずだ。

 彼女は、拳と言いながら蹴り技を繰り出す技の使い手ではないと思いたい。というか、あれはゲームの話だ。

 それに、あの一撃はトドメ。自分は、なぜ生きている?

 何よりも、一番考えたくないのは、なぜ彼女が自分を殺そうと……。

 

「ふぅん、無様ですわね織斑一夏! あの姫燐さんのえーと、その……なんとかキックでそのままずっと寝ていればよかったモノを!」

「分かった。分かったから座っていろ、オルコット。あとイナズマキックだ」

 観客席から、罵声が響く。

 

――俺以外の人間も、キックを見ている?

 

 ますます一夏の混乱は加速していく。

 

「さて、んじゃ続きといくか。テメエに見せる裸はねぇ、しな!」

 

 背伸びをしながら結構古いネタを叫ぶ、カラッとした彼女の声に、一夏の思考は打ち切られた。

 能天気丸出しの彼女は、先程までの冷酷な影とは余りにも違いすぎて、一夏は自分が白昼夢でも見ていたのではないかと思えてしまった。

 

「お……おう!」

 

 未だ過去と現実の矛盾に動揺を隠せないままではあるが、今は模擬戦。考えるのは後だ。

 

「んじゃ、今度は少し手加減してやる。ついて来れるかなぁ!?」

 

 姫燐は、両腕の袖から毒々しい紫とはかけ離れた、きらびやかな金色のエネルギーを噴出して宙に浮くと、そのまま空へと駆けだす。

 手加減と本人が言っていた様に、今度はちゃんと肉眼でも追えるスピードだった。

 それでも、かなりの速度だというのに変わりはない。

 

「あっ、待てキリ!」

 

 急いで一夏も、姫燐の後を追いかけて空へと飛翔する。

 確かに、打鉄に比べて白式は速い。その推力は、軽く動かしているだけだというのに雲泥の差だ。

 それでも一夏が振り回されないのは、本人の高いセンスも関係しているだろうが、何よりも、

 

「ハッハー! どうした、それじゃ西から昇った太陽が東に沈んじまうぜ!?」

「わっけ、わかんねぇよ!」

 

 白式より更に速い姫燐のシャドウ・ストライダーを前にして、眼や感覚が慣れてしまったのも関係しているだろう。

 身体にかかるGに苦しみながらも、一夏は何とか挑発に口を返す。

 

「おーいおい、今はドッグファイトの形だぜ? 絶好のアタックチャンスだってのに攻撃して来ねえのかよ?」

「くそぉ……分かってるくせに……!」

 

 更に追い討ちで挑発を入れる姫燐に、一夏は額の彫りを深めた。

 ドッグファイト。犬同士の喧嘩で、相手の尻尾を追いかける様子に似ているため名付けられた、受けの側――つまり今の姫燐が空中戦で、もっとも避けなくてはならない状態だ。

 PICで三次元的な動きが約束されているISにとっては、あまり例を見ない状態なのだが、

 

「ハンデだ、いいことを教えてやるよ一夏! オレの相棒は、PICを殆ど作動させてねぇ!」

「はぁ!?」

「つーまーりー! 大分かみ砕いて説明すると、ほぼ吹かしてる腕の力だけで飛んでるって事だよ! だから昔の飛行機みたいな動きになるってことだ!」

 

 要は彼女の機体、シャドウ・ストライダーは旧世代の戦闘機などにかなり近い動きで飛んでいる事になる。PICが無ければ、三次元的な動きは難しい。

 だが、それでも彼女は先程、かなりの速さで三次元的な動きをしていたように思えるが――?

 

「あー? でも関係ねぇな、お前には接近戦用の武装しかねぇんだからなぁ!?」

「これかよ、姫燐が言ってた脅威にはならないって奴は……!」

 

 先程、姫燐は白式のことを全く脅威にならないと言っていた。

 今の一夏には、それが骨身に染みて良く分かる。

 どれほど鋭利な切味を誇るナイフを持っていたとしても、檻の中に入れられた猛獣が全く怖くないように、相手へと届かなければ無意味なのだ。

 自分より速い相手に、逃げに徹されるだけで何もできなくなってしまう。

 それが、この機体、白式の致命的な欠点だという事を、一夏は理解した。

 

――それでもッ!

 

 負けたくない。少なからずカチンと来る挑発の数々に、こうなったら意地でも賭けに勝ってやるという意識が、一夏の中に芽生えていた。

 

――飛べ! 速く! キリよりも! 誰よりも!

 

 その確かな思いは、彼の翼を一層強く羽ばたかせた。

 

「ね、ねぇ、織斑くん。なんかさっきよりも速くなってない?」

「う、うん。私もそんな気がする!」

「あ、ありえませんわ! きっと貴方達の錯覚」

「だからもう何も言わずに座っていてくれオルコット!」

 

 観客席から、歓声が上がる。だが、一夏の意識はISへと偏り、飲み込まれていく。

 

「ほぅ、『やっと』か」

 

 姫燐の感嘆の声。その声すら聞こえない程に、一夏の意識は更に高揚していく。

 

――行ける、いけるぞ白式!

 

 先程までは身に包んでいたISが、どんどんと体内に溶け込んで、一体化していく感触。

 異物と一つになっているというのに不快感は全くなく、むしろジグソーパズルの最後のピースをはめた時のように、そこに有るべきだったモノが戻ってきた様な感覚。

 一夏の意識とは裏腹の、無機質な声が何処からか響く。

 

《フォーマットとフィッティングが完了しました》

 

 この瞬間、確かに白式は織斑一夏の専用機となった。

 

――追いつけ、追いつけ!

 

 もはや完全に一つになった一夏と白式は、確実に姫燐とシャドウ・ストライダーに向かい距離を詰めて行く。

 

《30……20……10……クロスレンジ》

 

 刃が届く距離になったことを、白式が告げる。

 こんなことまで教えてくれるのかと驚きながらも、一夏は雪片を両手で握り、上段に構え、

 

「くらえぇぇぇぇぇ!」

 

 足を狙い、一夏は全力で雪片を振り下ろす。

 

――もらった!

「ところがギッチョン!」

 

 ブン、と、確かに捕らえた筈だった一夏の刃は、虚しく虚空を斬っただけに終わった。

 

「なっ……!?」

 

 また、姫燐の姿が消えた。再び、あのふざけたスピードを出して動いているのかとハイパーセンサーを起動しようとしたが、

 

「一夏、下だッ!」

「え?」

 

 観客席から響く箒の声に、一夏はハイパーセンサーを下に集中させると、

 

――居た!

 

 姫燐は、自分の遥か後方で飛行していた。

 どうして、いったい彼女はどうやって一瞬で位置を入れ替えたのだ?

 

「お前が刀を振った瞬間、アイツはブースターを急激に弱めて速度を落とし、背後を取ったんだ!」

「正解だぜ、箒。あとでご褒美にハグしてやろう!」

 

 箒の解説に、やってのけた本人が同意する。

 そう、姫燐は全速力で接近する一夏の速度を逆手にとって、逆にこちらが足を止めることによって一夏に自分を追い越させ、位置を反転させたのだ。

 ようやくトリックを理解した一夏は、箒に礼を言おうとする。

 

「ありがとな! ほう」

「篠ノ之さん!? なに貴方、あの唐変木に姫燐さんに不利な情報を渡し腐ってやがるんですの!? あと、羨ましすぎですわ代わって!」

「し、知るか! というか、先ほどお前も一夏に助言してたではないか!」

 

 どうやら取り込み中のようだ。礼は後にしよう。と、一夏は意識を背後に集中する。

 それにしても言葉にするだけなら簡単だが、これを攻撃を回避しながらやってのけるのはかなりの技量を要するはずだ。だというのに、それを当然のようにやってのける。

 

――やっぱり、お前はすげぇよ! キリ!

 

「それでも!」

《イグニッション・ブースト。スタンバイ》

 

 一夏は機体を、円を描く様な動きで動かし、姫燐の真上の位置を取る。

 模擬戦開始時の謎の加速も、今なら全て分かる。この力を使えば、姫燐のスピードでも回避は難しいはずだ。

 

「今度こそ、終わりだァァァ!」

《イグニッション・ブースト。アクティブ》

 

 雪片を腰だめに構え、重力を味方につけ、白式と一夏は全速力で姫燐の背中辺りを目掛けて落ちる。

 

「ああ、確かに終わりだな」

 

 そんな熱血丸出しな一夏とは対照的に姫燐は、諦めたような脱力した声を上げ、

 

「じゃーなー」

 

 斜め下にブースターを吹かして身体を起こし、全速力で地面に向かい墜ちて行く一夏の呆けた顔面を、手を振りながらすれ違う形で見送った。

 

 

                 ○●○

 

 

「いやぁ、悪い悪い一夏」

「悪いで済むかよ……痛てて」

 

 あの模擬戦から一夜明けてからの保健室。

 腕に巻いた包帯を外しながら、ジャージ姿の一夏はベッドに腰掛けた。

 姫燐も隣のベッドに腰掛けながら、苦笑いと共に頭をかく。

 

「それにしても見事だったよなぁ、土埃むちゃくちゃ舞ってたし、すげぇデカイ穴できてたし」

「うるさいな、そのせいでこっちはご覧のあり様だ」

 

 頭に巻かれた包帯を突きながら、一夏は顔をしかめる。

 

「念の為とはいえ、昨晩は保健室に泊まるハメになったんだぞ。授業も出れないし……ってキリ、授業は? 今、一時間目だよな? それに保険の先生は……?」

「あ、何だって? 怪我してるからよく聞こえない」

 

 怪我してんのはお前じゃなくてこっちだろ。

 そういうツッコミを飲み込みながら、一夏は昨日からずっと聞きたかった事を尋ねる。

 

「しかし、なんで最後の攻撃を避けれたんだ? アレは絶対に貰ったって思ったのに」

「なんで、ってそりゃあ、アレが釣りだったからに決まってんだろ」

「釣りぃ?」

「おう、だいたいあんな所でボケっとしてる意味がねえじゃねえか。お前、明らかにハイになってたからな。ちょっと餌チラつかせてやったら、コロッと簡単に喰い付きやがった」

 

 来るって分かってたら、どれだけ速かろうと関係ないぜ。と笑う姫燐を余所に、一夏はもう1つの腑に落ちない出来事、『ボケっとしていた後の姫燐』について想いを馳せていた。

 あれは、本当に結局なんだったんだろう。一晩経っても答えはでないまま。

 ここで一度、思い切って聞いてみるべきだろうか……?

 などと考えていると、姫燐も悩む一夏に気がついたようで、

 

「お前の言いたいことは、よく分かる」

「えっ?」

 

 まさか、見透かされていた? 

 真剣な表情でこちらを見る姫燐に、思わず一夏は息を飲んでしまった。

 

「確かに、納得行くもんじゃねえだろうな。お前も、悶々としたままじゃ収まりがつかねえだろ」

「そ、そうだ。教えてくれキリ、昨日のアレは……」

「オレの肉体を、思う存分堪能できなかったのには、な……」

「……ハイ?」

 

 お前はいったい何を言っているんだ?

 

「はっはっは、残念無念、賭けは賭けだからな。いくらお前がチェリーを色々と持て余す思春期だといっても、オレも貞操は惜しい。ま、諦めてくれや」

 といって勘違いしたまま軽快に笑う姫燐に、一夏は待ったをかける。

「ちょ、待った! 俺は別にお前の身体なんか……なんか……」

 

 興味が無い。といえば、嘘になる。

 赤くてサラサラしたショートヘア、整った顔、赤く瑞々しい唇、パッチリとした瞳、かなりのサイズな胸、むっちりとした足。改めて意識してみると、かなりのチートスペックである。

 

「どうした、赤くなってないで続きを言ってもいいんじゃよ。ホレホレ」

 

 足を組んで、手の平に顎を乗せながら続きを催促する姫燐。当然、顔にはニヤニヤを張りつけながら。

 

「大人しく言うんだったら、そうだなぁ……耳元で囁いてやるくらいならいいぜ。『完全にチェリーです、本当に本当にありがとうございました』ってなぁ」

 

 一応授業中だというのに、更にバカ笑いを加速させる姫燐に、いい加減一夏もカチンと来ていた。

 昨日から、ずっと姫燐にはコケにされっぱなしな気がする。

 ここらへんで何か手痛い反撃をしてやらねば、彼の中にも一応ある男のプライドが納得いかなかった。

 なにか、彼女に効くしっぺ返しはないかと考える一夏。

 普段から他人に隙を見せない彼女だ、そう簡単に思い付くとは思えなかったが――

 

「って、あるじゃん」

「あ、何がだ?」

 

 突然の一夏の言動に頭に『?』を浮かべる彼女を余所に、一夏はジャージのジッパーを外した。ジャージの下に隠されていた、肌色の胸が直に空気に晒される。

 ジャージの裾をパタパタと、ワザと隠れた肉体を見せつける様にして一夏は呟く。

 

「あー、それにしても何か今日は暑くないか? なぁ、キリ?」

「……ッ!!! ッッッ!!?」

 

 計画通り。一夏は、噴き出しそうになるのを必死にこらえた。

 無理もない。姫燐は彼の言葉を一言も聞いておらず、その可愛らしい顔を真っ赤に染め、目をクワッと見開き、突然のエマージェンシーに大量の脂汗を流して身体を硬直させている。

 形勢逆転、してやったり。一夏は、心の中で壮大にガッツポーズを決めた。

 

「そ、そうだな、今日は、暑い、かもな……だ、だが服を脱ぐほどじゃ……」

「んー? 悪い、怪我してるから良く聞こえないなー?」

「グッ!? て、テメエ……! この野郎……ッ!」

 

 因果応報。先に仕掛けて来たのは向こうなので、今日の一夏は容赦が無い。

 今まで積りに積もった鬱憤を晴らす様に、一夏は更に追撃をしていく。

 

「なぁ、キリ」

「な……んだ? 一夏」

「ほい、これ」

 

 一夏は、近くにあった新品のタオルを姫燐へと投げ渡した。

 

「…………?」

 

 キャッチしたは良いものの真意を理解していない姫燐を捨て置いて、いそいそと一夏はジャージを全部脱ぐとベッドにあぐらをかいて、その背中をキリに晒す。

 

「悪いけど、汗、拭いてくんねえかな?」

「なあっ!?!??!」

 

 背中越しからでも、驚愕に顔を歪めている姫燐の姿が容易に想像できた。

 

「ばッ、馬鹿も休み休み言え! だ、だだッ、誰がお前の、せせ、背中なんかを!」

「痛ったたたた……くう、傷口が汗で染みる……」

 

 と、言いながら一夏は背中を後ろ手で押さえる。実は一夏の背中には怪我など一切ないのだが、そんな簡単な事にすら気付けない程、今の姫燐はテンパっていた。

 

「だ、だからって……その……」

「は、はやく頼む……キリ……」

「うー……あぁー……!」

 

 ああ、駄目だ。なんでいつも姫燐が自分をからかうのか分かる気がする。これは、楽し過ぎる。

 ダメな人の才能が着実に開花しているのを感じながらも、一夏は自分の顔面からニヤニヤが剥がれないのを感じていた。

 

「だ、大丈夫やればできるオレがんばれがんばれ気持ちの問題だってそこだそこだどうしてそこで諦めんだよ頑張れ積極的にポジティブに……!」

 

 が、流石に鼻息がかかる程の至近距離で、自分宛の呪詛や洗脳じみたエールを送りながら一夏の背中を凝視する姫燐に、彼は気恥ずかしさを覚える。

 

――そろそろ、潮時かな?

 

 これ以上イジメるのは、流石にやめておこう。そろそろ可哀想になってきたし。

 と、思いながら一夏はクルっと身体を反転させて、

 

「なーんて、嘘だ。キ」

「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 男の身体を正面から間近で眼にして、完全に錯乱した姫燐はタオルを投げ出して慌てふためき悲鳴を上げる。ついでに一夏も釣られて悲鳴を上げる。

 

「ひあぁぁぁぁ!? いやぁぁぁぁ!? ほあぁぁぁぁ!?」

「あ、暴れるなキリ、こら! うわッ!?」

 

 半狂乱状態の姫燐を、何とか諌めようと一夏は奮闘するが、とっとと服を着るという根本的かつ本質的な解決策を完全に失念しており、それがまた火に油を注ぐ。

 このままでは、色々と不味い。少々荒っぽくなるが、一夏は強硬策に出る事にした。

 

「いい加減に、落ち着け!」

「ひゃッ!」

 

 暴れる姫燐の両手首を掴み、一夏はそのままベッドに押し倒す。

 

「ようやく、大人しくなっ……ん?」

 

 はて、なぜだろうか?

 確かに自分は、姫燐を落ち着かせるために動いていたはずなのに。

 女の子の両手首を掴んで抵抗できなくした状態で、半裸の男がベッドに押し倒す。これではまるで……。

 ふと、視線を下ろせば、暴れていたせいか肌蹴てしまったIS学園の制服を着て、目尻に涙を浮かべながらも、自分と同じく状況を正しく理解できていない姫燐の顔が映る。

 肌蹴た制服からは、彼女の男の夢とロマンが詰まった谷間が丸見えであり……。

 ここまで来て、一夏はようやく自分がとんでもない事をしてしまった事に気がついた。

 まだ、姫燐は自分の世界から帰ってきていない。それを唯一の救いだと思いながら、一夏はゆっくりと手を離して……

 

「ようやく見つけたわよ、一夏!」

 

 世界の終わり、ハルマゲドンを感じた。

 ドアが開くと共に聞こえる、どこかで聞いた事があるような活発な声。

 

「まったく、折角このあたしがわざわざ教室まで出向いてやったってのに、怪我して呑気に保健室で寝てるなんてね」

 

 カツ、カツ、と速足で近付く足音。

 

「ま、まぁ、折角だから色々と面倒見てあげる。一年と少し振りだもん、色々と積もる話も……」

 

 そして、一夏は、

 

「イィィィチカァァァァァぁァァァァァぁぁ!?!?!???!?」

 

 考えるのを辞めた。


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