大浴場を使えると喜んでいた一夏と喜びを共有することはできなかった。シャルルはその感情の正体を知らぬまま、怒りに似た感情ということで誤魔化し、1人で部屋へと戻る。
頭の中が一夏のことで埋まっていた。後先のことなど考える余裕などなく、自分を落ち着かせるために無意識のうちにシャワー室の扉を開いた。
「はぁ……僕、どうしちゃったんだろ」
顔から熱い湯を浴びると悩みも霧散していくようだった。一夏が山田先生と話している姿をみているだけでモヤモヤした気持ちは次第に消えていく。数分のシャワーでシャルルは気持ちをリセットでき、これでまたいつも通りのシャルルとして一夏の前に顔を出せることだろう。
心なしか気分も高揚したシャルルは何の気なしにシャワー室を出た。今の彼女は意識を思考に集中しており、周囲の音が全くと言っていいほど拾えていない。だから脱衣所でもある洗面所にいる存在に気づかなかった。
「い、い……いちか……?」
◆◇◆
一夏とシャルロットが向き合って座り込んでいる。シャルロットは男装をやめて、気楽なジャージ姿であった。
一夏に裸を見られてしまった。これまで2人目の男性操縦者と偽っていた事実を、任務のターゲットに知られてしまった。まだ白式のデータを盗めていない。成果のない自分を父が許すとはとても思えなかった。
ただ喪失感だけが胸を埋めていた。一夏に説明をしなければと考える一方で、これからの自分を想像すると何もする気力がなくなる。
しかし、一筋の光明が見えた気がした。父の言葉を思い出したのだ。
――もしターゲットにバレたとき、これを実行しなさい。
父はこの事態も想定していた。何をバカなことをと思ったものだが、背に腹は代えられない。藁にもすがる思いで父から伝授された対処法の実行を決意する。
頭の切り替えはできた。あとは父の言うとおり、何食わぬ顔で最後まで押し通すのみ。
「お茶でも飲むか?」
無言に耐えきれなくなった一夏が言う。事情を話すにしても何かきっかけがいるだろうという配慮だ。シャルロットは笑顔を作って答える。
「う、うん。もらおうかな。それと便座カバー」
「いや、それはやらねえよ。ちょっくら淹れてくる」
一夏は半ば逃げるように電気ケトルを取りに行った。水を入れてスイッチをONにしたところでふーっと息をつく。頭の中は気まずい思いでいっぱいだった。シャルロットの発言について考える余裕はない。
湯飲みに茶を入れて一夏が戻ってきた。シャルロットはというと正座をしたまま、ほぼ全く動いていない。一夏が彼女の目の前に湯飲みを差し出したところで慌てた様子で動き出した。
そのとき、一夏とシャルロットの指が触れた。
お互いが異性を意識している状況。追い打ちをかけるような刺激で2人とも反射的に手を引っ込める。その反動で茶が大きく揺れ、中身の熱々の茶が一夏の右手にかかった。
「あっちぃ! 水! 水っ!」
「ごめん! 大丈夫、一夏? それと便座カバー」
「何の心配してんだよ!? とりあえずすぐに冷やせばなんとかなる」
「ちょっと見せて。それと便座カバー」
「今、言うことかぁ!? 俺に頼まれても困る!」
「赤くなってる。ごめんね、一夏。それと便座カバー」
「同列で謝られてる!? お前にとって、俺って何なの!? むしろ便座カバーの方が何だ!?」
一夏の抗議は虚しく宙へと消える。パニックになっていたシャルロットは強引に一夏の手をひっつかむと洗面所へと移動し、水をため込んで浸らせる。
「すぐに氷もらってくるね! それと便座カバー」
「氷だけでいい!」
一夏の叫びは混乱したシャルロットには届いていない。そして混乱したシャルロットは今の自分の姿格好を失念している。一夏はそのことに気づいた。
「待て待て! そんな格好で出てったらマズいだろ!」
幸いだったのはシャルロットがまだ一夏に引っ付いていたことだった。そんな格好という言葉は耳に入り、シャルロットは自分のジャージ姿を見下ろす。男装していない今、女子の象徴ともいえる胸がはっきりと浮き出ていた。
シャルロットは自分の体勢にも気がつく。右手の様子を後ろから確認するためとはいえ、胸を後ろから押しつけている。
「その……離れなくていいのか? さっきから胸が……当たってるんだ」
一夏の頬がお湯のかかった右手並に紅潮していることにも気がついた。赤は一夏からシャルロットに伝染する。頬を赤らめたシャルロットが飛び退くように離れ、胸元を両手で覆い隠した。
「心配してるのに……一夏のえっち。それと便座カバー」
「新手の悪口か何かか!? めっちゃ侮辱されてる気がする!」
何はともあれ場の空気が和んだ。
シャルロットは一夏に全ての事情を打ち明ける。一夏は全て聞いた上でシャルロットに学園に残る道を示した。
何もかもが解決し、シャルロットに笑顔が戻ったところで一夏はずっと聞きたかったことを口にする。
「ところで、何で『それと便座カバー』なんて言ってたんだ?」
「あ、あれはね。もし一夏にバレたら語尾につけなさいって。この秘策でどうにかなるって、父が僕に授けたんだ」
もう親子の縁を切ったらいい。そう思った一夏だった。
【おまけ】
VTシステムによる暴走事件の後。シャルルがシャルロットとして改めて転入手続きを済ませた直後に嫉妬に狂った鈴が衝撃砲で一夏にジャレてきた。
その危機を救ったのは何を隠そう、ラウラ・ボーデヴィッヒである。彼女はシュヴァルツェア・レーゲンの特殊武装であるAICを使って一夏の身を守った。
「助かったぜ。っていうかもうIS直ったのか? 早いな」
VTシステムを止める都合上、ラウラのISは完全に破壊された。他ならぬ一夏が破壊したのだ。だからこそ気になるのも仕方がない。
ラウラはやや動揺した様子で答える。
「コアはかろうじて無事だったからな。予備パーツで組み直した。それと便座カバー」
「そのIS、便座カバー使われてんの!? 便座カバーってスゲ――」
ツッコミを入れざるを得なかった一夏だが最後まで言い切れない。唐突に胸ぐらを掴まれた一夏はラウラに引き寄せられ、その唇を奪われる。
誰もがキョトンとする中、ラウラは頬を赤らめたまま宣言した。
「お、お前は私の嫁にする! それと便座カバー!」
「どちらも尻に敷くものでございます……誰が上手いことを言えと!?」
ちょっとだけ一夏が楽しそうだった。
※一応補足しておくと『尻に敷く』は夫が妻の言いなりになってることを指します。嫁という言葉自体とは何もかかっていませんが、嫁扱いされてるのが男なので成り立ちます。