あの人に呼び出された。いつもは部下の人が通達してくるだけなのに珍しい。2年前に僕を引き取って以来、直接顔を合わせたのは3回だったか。今回はたぶん半年ぶりくらいに会うことになる。
これで実の父と娘なのだと思うとつい笑ってしまう……笑えないよ。
母と2人で暮らしていた僕の生活は母の死と共に大きく変わらざるを得なかった。今よりも子供でどちらかといえば世間知らずだった僕一人だけで生きていけるなんてことはない。頼れる親戚もなく、途方に暮れていた僕を迎えに来たのは初対面の男性だった。
彼は僕の父親らしい。母からは「父親はいない」と聞いていたからてっきり死んだものだとばかり思っていた。まさかあのデュノア社の社長が僕の父親だなんて思いもしなかった。
でも今更実の父とやらが出てきても嬉しくなんかない。僕の好きだった母が死んだ。その代わりになんて誰にもなれないし、母が死ぬまで一度も来なかった父親なんて軽蔑しかできない。
そんな僕の心情を知ってか知らずか、彼が父親面をすることはなかった。
『デュノア社専属のIS操縦者となれ』
そう、彼は僕のことを娘としてではなく道具として欲していた。
父親としてでなくデュノア社の社長として僕の前に現れただけだったんだ。
「はぁ……」
本社の会議室を前にして漏れる溜め息。
おばさんの居る実家の方に呼び出されるよりはマシだと思うけど、気が進まないことには変わらない。
用件の想像が付かないことが一番のネックだ。今日まで僕は従順に会社のために働いてきた。失敗なんてした覚えはないし、逆に褒められるほどの成果を挙げたこともない。
……尤も、社長が何を考えているのかなんて僕が知る由もないか。
ノックして名乗ると「入れ」とだけ返答が来た。
重苦しいものが肩に乗ったまま躊躇いがちにドアノブに手をかける。
「失礼します」
意を決して入室。不安を表に出さないように無表情の仮面を被ることは忘れない。
社長室でなく会議室に呼ばれた理由は簡単だった。社長の呼び出しではあっても1対1で話をするとは言ってない。入り口を囲むようにしてコの字型に並べられた席にはデュノア社の幹部ばかりが座っている。どうやら僕はこの場における主役であったようで、全員の目が僕に向けられていた。
「来たか、シャルロット」
「ご用件は?」
さっさと終わって欲しい。不躾だと思われていいから続きを促す。
僕とこの人は親子である前に雇用主と労働者の関係だ。ビジネスライクにいくのが最も気楽だった。
「お前に仕事を任せたい。我が社の命運を握る最重要なものだ」
「え……?」
社長の目は本気だ。だからこそ僕は無表情の仮面を落としてしまった。
僕はデュノア社にとってただの使い捨ての道具に過ぎないはずなのに。
「僕が、ですか?」
「ああ。これはお前にしかできない仕事だ。受けてくれるな?」
「もちろんです」
元々僕には断る選択肢が存在していない。返答は決まっていた。
だけどどうしても気になった。今までISを動かすことしかしてこなかった僕に改まって仕事を頼むだなんて普通じゃない。
だから僕は自分から質問する。
「一体、僕は何をすればいいのですか?」
社長は目を閉じて一度深く頷く。会議室の沈黙が今から話される仕事の重大さを予感させた。
重い、重い口が開かれる。僕がこれから為すべき使命がついに明かされる。
「IS学園に男として転入してもらう」
「無理です」
即答した。今までひたすらに従順で、殴られても口答えしなかった僕でも反射的に口走るくらいには頭がおかしい。
「何を以て無理だと決めつける?」
「だって僕、女ですよ!?」
「そんなことは百も承知だ。だから男装しろと言っている」
「どう考えてもすぐにバレるじゃないですか!」
「心配するな。何も問題はない」
「どこが!? もしかして僕って男っぽいんですか!?」
今まで僕は男扱いされたことは一度もない。体型も一般的な女性の枠に収まっていて、むしろ男だとするとひ弱だ。
社長にだけ言っていても埒が明かない。せっかくなので同席している幹部たちにも救いの目を向けてみる。
「娘さんのおっぱいがこの任務における大きな障害なのは我々も同意するところだ」
「息子の嫁にしたいくらいには可愛い」
「私の嫁でも構わない」
「今からでも遅くありません。シャルロットちゃんの水着写真集に方針転換しましょう、社長」
うん、抗議の声が上がったのはいいんだけどね。言ってることがIS関連企業の幹部って感じじゃないね。
とりあえず流れは僕に来たはず。畳み掛けよう。
「たしかに二人目の男性操縦者となれば注目はされます。ですがその分、嘘のバレる危険性が高まりますし、その際のリスクは絶大です」
「ほう。それで?」
「身体検査程度でバレてしまう嘘がIS学園に通じるわけがありません!」
なんでこの程度のことがわからないのかなぁ……だから会社の経営が傾くんじゃないの?
だけど社長の表情は崩れない。
「身体検査の手筈はどうなってる?」
「既に影武者を使った公開検査を仕組んであります。学園内に協力者を忍ばせ、入れ替わりの算段もついています。また、念には念を入れて轡木十蔵氏をシャルロットちゃんの下着3着で買収しておきました」
いつの間にか数が減ってた理由はそれか!
「一度検査を通れば二度目はどうとでも躱せる。反論はあるか?」
「あるよ! 操縦を見るってことはISスーツでしょ!? 女だって一目瞭然だよ!」
「そう、その通りだ!」
おや? 社長が何故か僕の発言を肯定した。
「先程もチラッと話題に出たが、この任務の最大の障害は想定よりも発育の良かったシャルロットのおっぱいにある」
「真面目な顔して『おっぱい』なんて言わないで!」
「娘のおっぱいが大きいのは大歓迎だが男装するには邪魔だ」
「まさかこのタイミングで初めて娘扱いされるとは思ってなかったよ! 最低だよ!」
「かと言って娘の立派なおっぱいを切り取るわけにもいかない。性転換手術は私のプライドが許さない。おっぱいは宝だ」
「そこは嘘でも『娘の身を案じて』とかにしてよ!」
社長の厳しい顔つきがドヤ顔に変わる。
「そこで私は開発部門を総動員して貧乳化ISスーツの開発を進めた」
「いや、総動員はおかしいでしょ!? ISを作ろうよ! 第三世代が必要だって言われてたじゃん!」
「その結果を報告してくれ」
社長に促されて開発の部長が起立する。
「半年におよぶ研究の末、我々はついにEカップをAカップに縮小するISスーツの開発に成功しました。Cカップ如き、平らな洗濯板にしてやりますよ」
「このプロジェクト半年前からやってたの!? 織斑一夏が見つかったのってまだ1ヶ月前の話だったよね!?」
「篠ノ之博士の協力を得られるとは思っていませんでした。まさか量子変換にあのような使い方があったとは」
「あり得ない名前が出てきた!? 行方を眩ませてる人とどうやって連絡をつけたの!? と言うかその人脈を使って他に作るべきものがあったでしょ!」
「では早速試着してみてくれ」
言われるままに新開発のISスーツに着替えてきた。
僕の胸はどこかに消えてしまったかのように平坦になっている。ボディラインにも手が加わっていて腰つきに丸みがなくなりスレンダーになっている。
悔しいけど、男と言われたら納得してしまう体型になってしまっていた。
「着心地は良いだろう?」
「…………」
体が軽くなってる。今まで着てきたISスーツよりも上等なのだと僕の体は語っている。
僕は無言で肯定するしかなかった。
「あとはシャルロットが男を演じ切れば問題ない」
「待ってください!」
まだだ。まだ僕は全てに納得するわけにはいかない。
「IS学園への転入は国の推薦を意味します。政府が許可するのでしょうか?」
「そう、その件でも話があった。今日からお前は代表候補生として登録されることとなった」
「動きが早過ぎるよ! 試験も受けてないのに代表候補生になれるとかおかしくないですか!」
「何を言っている? 『デュノア社が隠していた男性操縦者がいます』と言ったら向こうからお願いしてきたぞ」
「そうだった! 男性操縦者扱いなんだから確保が優先されるんだった!」
「もう憂いは無いか? なければ今日から男として過ごしてもらう」
考えろ、シャルロット。このまま言うことを聞いてしまえば身の破滅だぞ?
僕にこの苦境を切り開く力を貸してください、母さん……
そうだ、母さんだ! 僕には母さんと過ごしてきた過去がある!
「……今からどう男に見せかけても、どう男として振る舞っても、僕は女として過ごしてきました。この顔を変えないのなら僕に女性疑惑が出てくるのは避けられません。そうなったとき、僕の過去が調べられてしまう」
探せばいくらでも穴が見つかる。こんな付け焼刃の
僕の今までの人生が僕の嘘を否定する。
「止めましょう。この嘘はデュノア社を滅ぼすことになります」
一番は自分がやりたくないということだけど、あくまで会社のためと訴えて中止を促す。
戸籍を弄るくらいは平気でやってそうだけどどうしても粗は出てくる。ジャーナリストが改竄の跡を見つけてしまえばデュノア社は文字通り終わる。確率の高いハイリスクを負うのは経営者として間違っている。
だというのに、社長は全く顔色を変えなかった。
僕の声は……娘の言葉はそれほどまでに小さいものだということなのだろうか。
「過去か……たしかに私はお前を迎えに行くまでお前と関わろうとしてこなかった。その時代のことまで私が改竄するのは難しい」
僕の想定とは違う言葉に驚きを隠せない。顔に出ていないだけで、僕の言葉が届いたのだろうか?
「シャルロット。お前に言っておかなくてはならないことがある」
「は、はい!」
社長が真っ直ぐ僕を見つめてくる。愛人を多く囲っていて隠し子がかなりいると噂されている人物だが今だけは真摯に見える。
今までは道具扱いされていると思ったけど、今だけは娘と思ってくれている。
そんな気がした。
「戸籍上のお前はシャルル・デュノアという男になっている」
気がしただけだった。
「もうそこまで話が進んじゃってるの!? いくらなんでも気が早過ぎる!」
「待ちなさい。私がやったわけではないのだ」
……は?
「お前は生まれてからずっと戸籍の上では男ということになっている」
「どうしてそんなことに!?」
「意図的に決まっているだろう」
「一体、誰がそんなこと――」
言いかけて気付く。『誰がしたのか』ではなく『誰にできたのか』という視点で見なくてはならない。
答えは1人しか出てこなかった。
「母さんっ!?」
「あれは男の子を欲しがっていたからなぁ……まさかこんなことになっているとは」
「そんな理由で!? でもちゃんと女の子らしい服を着せられてたし――」
「自分の息子に女装させるのが夢だと言っていた」
「母さあああん!」
僕はその場にがっくしと項垂れる。
「以前のお前を知っている者はお前のことをシャルロットとしか認識していない。私の息子であるシャルル・デュノアとは顔が少し似ている別人だと扱うことだろう。公的な記録でお前は生まれた時からシャルルであるし、調査をしたところで裏付けが取れるだけだ」
だからか。だから僕にしかできない仕事だったんだ……
「もう異論は無いな? この計画の成否はお前の演技にかかっている。IS学園に入学して織斑一夏に接触し、データを盗んでくるんだ」
あれ、おかしいな……絶対に間違ってると言えるんだけど、どうして僕はこの人たちを論破できないんだろう?
やっぱり母さんの裏切りが一番大きな要因だ。僕の精神的なダメージもね。
もう外堀が埋まってる。これも僕の運命だと思って受け入れるしかない。諦めた。
だけど一つだけ言わせてほしい。
この会社はもうダメだ。