Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
あの日を境に、キョウスケ・ナンブは変わった。
エクセレンとアルフィミィを失った絵里阿町での戦闘から、既に3か月が経過している。
あの日、シャドウミラーは地球連邦に反旗を翻した。
地球全土を統一している軍隊に、いかに大きいとはいえ連邦の1部隊が刃向ったのだ。飼い犬に手をかまれるとは正にこのこと。当然、地球連邦が黙っているはずもなく、シャドウミラーに対して全軍を上げての掃討を開始する。
しかしシャドウミラーも数の不利は百も承知だった。
大部隊と正面からはぶつからず、各地でゲリラ的な戦闘を散発させる。
数で攻め込めば逃げ出され、油断したところを背中から撃たれる。そんな攻防を地球連邦はシャドウミラーに強いられていた。おそらく、連邦上層部にシャドウミラーの放ったスパイがいるのだろう。でなければシャドウミラーが逃げ続けられる理由が見当たらない。
散発的な戦闘と逃走を繰り返すシャドウミラー。
劣勢に見えなくもない行動だが、実質イニシアチブを取り、戦闘をコントロールしているのはシャドウミラーだった。
延々に続く闘争。
奇しくも総力戦を選択しなかったことが、シャドウミラーの理想の世界を実現していた……。
そんな3か月の出来事が、俺の頭の中に一瞬で流れ込んできた。
理解もできる。
シャドウミラーが絵里阿町から始めた戦闘は、もはや戦争と言って遜色ないものに発展していた。
あの日 ── エクセレンとアルフィミィを失ったあの日。
キョウスケは声を上げて泣いた。
捜索隊が捜索を続けて、少ないながら生存者は発見されていた。一握りの生き残りもほとんどが重症者で、病院のベットから起き上がれた者はおよそ半分しかいなかったらしい。
結局、エクセレンとアルフィミィの遺体は見つからなかった。
もしかしたら発見されていないだけで生きているかもしれない。しかしキョウスケの淡い希望を打ち砕くように、彼はエクセレンの手首を見つけてしまっていた。
見間違えるはずもない白く美しい肌。
その指にはめられた白銀の婚約指輪と、アルフィミィにプレゼントしたロケットペンダント。
キョウスケに残されたのはそれだけだった。
愛機は破壊された。
家も焼け、残っていない。
現実と言う名のナイフがキョウスケの胸を深く抉った、あの日。
あの日から、キョウスケ・ナンブは変わった。
見るからにやつれ、基地内では1人でいることが多くなった。タスクとアラドが心配して寄ってくると、避けるように何処かに行ってしまう。元々少なかった口数はさらに少なくなり、他人と話すことを忘れてしまったように思えた。
しかしキョウスケは軍人。
出撃命令が下れば、修理されたMk-Ⅲを駆り戦場へと赴かなければならない。
戦い方も変わっていた。
元々、突撃と急速離脱を主体にした戦法を取っていたが、あの日以来、キョウスケの無謀な突貫は目に余るものになっていた。仲間の制止も一切聞かない。
突撃し、コックピットをリボルビングバンカーで撃ち抜く。そして戦闘能力を失った敵機にも浴びせ続けるようになった。
以前のキョウスケの突撃は、無茶には見えても何処かに勝算が見えていた。だが今は違う。
キョウスケの戦い方は、クレバーからクレイジーへと変わっていく。
まるで死に場所を探しているかのように……。
当然と言えばいいのだろうか、キョウスケの無茶な行動のツケはMk-Ⅲの撃破と言う形で払わされることになる。
1度ではない。
出撃するたびにほぼ毎回だ。
タスクたちのフォローの届かない場所に突出し、包囲、一斉攻撃を受けて撃破されることを繰り返す。
しかしキョウスケは死ななかった。
毎回救出され、怪我も何故か軽傷で済む。
Mk-Ⅲの修理が完了し、何度も戦場に駆り出されるというループを延々と繰り返していた。
戦場で頼りになる「絶対に死なない男」は、ただの厄介者扱いされるようになり、いつしか戦死を望む声も上がり始める。
また、嗜む習慣のなかった酒も、煽るように飲むようになっていた。
明かりを消して、カーテンも閉め切った基地の自室で。
キョウスケは、今も買い込んだウィスキーをビンから直飲みしている。
首には形見のロケットペンダントが掛けられていて、チェーンにはエクセレンの婚約指輪が提げられている。エクセレンの遺骨が入った袋はいつも胸ポケットに忍ばせていた。
瓶を口から離し、ダンッ、と乱暴にテーブルに置く。
── 何が……鋼鉄の孤狼だ……
キョウスケの思考が俺の中に流れ込んできた。
絶望、悲しみ、憎しみ……あらゆる負の感情で塗り潰された心が、俺の頭を浸食していく。色は黒だ。真っ黒……というよりは漆黒に近い色にさえ思える。
愛した女と娘を、キョウスケは守れなかった。
そのことを悔いる。後悔する。自分の力の無さを憎み、悲しみ、絶望する。
そして恨む。
何故、自分ではなかったのかと。
エクセレンたちは死ぬべきではなかった。自分だったのに。殺されるべきなのは自分……戦争に関わり続け、正義のためとは言えば聞こえはいいが、多くの命を奪ってきた自分が! 殺されるべきだったのに!
キョウスケは改めて理解し、初めて実感した。
大切な人を失うことはこれ程苦しいのだ、と。
キョウスケは愛する女と娘を護るために引き金を引き続けてきた。だが引き金を引くたびに、キョウスケと同じ思いをする人間は必ず生まれるはずだ。
分かっていた。
だがどうしようもないと、目を背けてトリガーを引き続けてきた。
その罪は自分にこそあり、罰は自分に下されるべきなのに、エクセレンが犠牲にならなければならない理由は何だ!
悲劇だ。
世界は悲劇に満ちている。
殺し合いの果てにあるモノなど限られている。
多くの場合はきっとそれしか残らない。
戦争が終わり平和になったとしても、所詮は儚い人の夢だ、砂上の楼閣だ。平和という名の美しい湖があったとしても、その湖底には無残な悲劇が無数に沈んでいるに違いない。
そういうものだ。きっと、そういうものなのだと、キョウスケは受け入れてしまっていた。
あの日以来、キョウスケには戦争と悲劇が繰り返されるこの世界は、哭き叫び、助けてを求めている子どものように思えてしょうがなかった。
── ……五月蠅い……
悲鳴や絶叫だけではなく、人の声でさえ煩わしいもののように感じられていた。
エクセレンを失ったキョウスケに、タスクたちは勿論、顔なじみの隊員や戦友から慰めの言葉が贈られる。
頑張れ、元気だせ、まだまだこれからだ ── キョウスケを元気づけようとする声は多くあった。
── 五月蠅い……!
労いや励ましの言葉がキョウスケの胸に楔として打ち込まれていく。
タスクたちにも戦友にも、まだ大切な人がいるのだろう。だが自分にはいない。エクセレンはもういない。その事がフィルターとなって、素晴らしい仲間たちの気遣いを、侮辱や嘲笑の類のように感じさせた。
妬ましい。
こんな感情、自分が抱くなどキョウスケは夢にも思っていなかった。
「……夢なら覚めてくれ……」
部屋にはキョウスケしかいない。タスクたちにも部屋に入ってこないように言いつけてある。返事が返ってくるはずもなかった。
「何が鋼鉄の孤狼だ……絶対に死なない男だ……不死の部隊だ……。
大切な人1人護れやしない……俺の力など、所詮こんなものだ……」
自暴自棄。
今のキョウスケの姿を見た俺の脳裏にその言葉が浮かんだ。
兵士は戦闘で生まれる悲しみや憎しみ、罪を一生背負って生きていく。キョウスケの先人たちはそうしてきた。キョウスケだってそれに倣ってきた。
しかしあの日の1件は、キョウスケが背負うには重すぎるように思えてくる。
自由に積荷を下ろせれば、人生はどれだけ楽になるだろうか?
見ていられない。キョウスケの悲しみが俺の中に伝播してきて、目を背けたい気持ちになってきた ── そのとき。
── 悲しいか?
声が聞こえた。
耳でなく、頭に直接響くあの声だ。
声の質問にキョウスケは思考で応える。悲しい、悲しいと……。
── 悲劇が憎いか?
声の問にキョウスケの中で炎が燃え上がる。憎い、憎いと……黒い炎がめらめらと。
── 我はお前の悲しみに惹かれ この世界に来た
悲しみを知る者よ 悲劇を憎む者よ
我と共に 悲劇のない 完璧なる世界を創ろうではないか
「悲劇……のない世界……?」
キョウスケは呆然とした意識のまま声を上げていた。
あの日以前の冷静沈着なキョウスケであれば、声の存在に違和感を感じ警戒していただろう。
だが今のキョウスケの思考は、まるで汚泥のように濁り切っていた。多量の酒が入っているのも良くなかったのかもしれない。
キョウスケはこう答えていた。
「悲劇にまみれ……エクセレンやアルフィミィがいない世界など…………」
キョウスケの唇が動く。同時に俺は耳を覆っていた。
聞きたくなかったからだ。
過去の俺が辿りついた結論が何なのか……この悪夢を見続けてきた俺には、うすうす分かりかけていたからだ。
声は聞こえない。
だが口の動きで、口走っていることが理解できた。
オ レ ハ イ ラ ナ イ
耳を塞いでいても分かる。ここは俺の過去生だ。キョウスケの感情が流れ込んでくるぐらいだ。言動など目を瞑っていても把握できるに違いなかった。
不安感と恐怖が俺を包み込んだ。
それを裏付けるように、
── お前こそ 我の憑代に相応しい
声が言った。
声の姿は何処にも見当たらない。
聞き覚えのある男の声、見えない姿、直接頭に響いてくる声 ── 共通点が多すぎた。
奴との共通点、がだ。
これであの刺青が浮かび上がれば完璧だ。当たって欲しくない推理ではある。しかし嫌な予感しかしなかった。
「うっ……」
キョウスケが突然机に突っ伏してしまった。
酒の飲みすぎでツブれてしまったのだろうか?
ならいいのだが……しかし神様は俺の予想を裏切るのが大好きらしい。
キョウスケはすぐに起き上がっていた。
邪悪と表現するのが正しいのだろう。そんな黒い雰囲気を纏っている。
目元には紅い水玉のタトゥーが浮かび上がっていた。
「全ては、悲劇のない静寂なる世界のために」
彼は言った。
そして俺は確信した。
声の正体と俺の過去生の結末を……。
声 ── ベーオウルフによる、本当の地獄絵図が始まるのだと ──……
……──キョウスケはゆっくりと机を起き上がると、自室から基地内の通路へと出た。
愛用の赤いジャケットを羽織り、少々やつれてはいるが、外見上はいつものキョウスケだった。目元に紅い水玉タトゥーが浮かび、重々しい空気を纏っている以外は、だが。
ふらふらと幽鬼のように通路を歩く。
「あ、キョウスケさん!」
L字の左へと曲がる通路の角で、キョウスケはタスクとアラドに出くわした。
「部屋から出ても平気になったんですか ── って、うわ! 酒くさ!」
「また飲んでたんすか? いい加減にしてくださいよ、キョウスケさん!」
タスク、アラドの順にキョウスケに言葉をかけてくる。
「ほらほら、酔っぱらって外に出たら危ないですって!」
「そっすよ! 部屋で大人しく寝ててくださいよ!」
安定感の感じられないキョウスケの動きを2人は心配して言う。
だがキョウスケは返事をしなかった。
反応はしていた。伏せがちだった顔を上げ、2人の顔を覗き込む。目元のタトゥーが2人の目にとまる。
「あれ? キョウスケさん、タトゥーなんかしてましたっけ?」
「もしかして、新しいファッシ ──」
突如、アラドの頭が爆ぜた。
火薬の音ではない、膨らませた風船が割れる音を強くしたような炸裂音に、アラドの言葉は遮られた。
血と肉と骨片が辺りに飛び散る。壁に扇状に血がアートを描く。アラドの首から上は、まるで口に手榴弾をくわえ自決した兵士のように無くなっており、頸動脈から血液が勢いよく噴き出していた。
ゴトン、とアラドの体が力なく倒れた。
「ア、アラド……?」
タスクがアラドの異変に言葉を失っていた。アラドからの返り血で顔が赤く汚れている。顔から赤い水滴が零れ落ちるが、ふき取ることも忘れて、倒れたアラドに視線を釘づけにされていた。
頭のなくなった首から洩れた血液で、赤い水たまりがすぐに出来上がる。
「う、うわあああぁ ──── ッ?!」
「うるさい」
次の瞬間、タスクの左手が千切れ飛んだ。
恐怖の悲鳴が、激痛によって絞り出される絶叫へと変わる。左手は鈍い音を鳴らして壁にぶつかり床に落ちる。指先が微かに動いている。
「ッ ────── !! な、なに……!?」
やがて悲鳴は声にならなくなり、へたり込み、血の噴き出る肩部分を押さえながらタスクは唸った。目を白黒させていて、状況が理解できていないのが見て取れる。
タスクは千切れた自分の腕と動かないアラドの体を交互に見て、最後にキョウスケを見上げていた。
「キョウスケ……さん……?」
それがタスクの最後の言葉になる。
首から上が千切れ飛んだ。
頭は独楽のように回転しながら壁に衝突し床に落ち、一拍おいて首から赤い噴水が上がる。一説によると、人間は首を切断されても数秒は意識を保つことができるそうだ。タスクの顔の表情が固まる。彼のデスマスクは恐怖と苦痛に歪んだ、筆舌に尽くしがたいものになっていた。
キョウスケは倒れたタスクの体を乗り越えて先に進む。まるで、そこに何もないかののうに。
「全ては、静寂なる世界のために」
それが不死の部隊の壊滅の瞬間だった……──
……──タスクたちは見えない力によって殺害された。
その正体を俺だけは知っている。
そうだ……あの公園でベーオウルフが行使していた念力または念動力というものだろう。
零児と小牟を殺しかけた、あの力だ。
俺は恐怖していた。
あのとき奴が全快だったなら、零児たちは惨殺されていたのだ。
「撃ち方構え!」
通路を悠然と闊歩するキョウスケに多数の銃口が向けられていた。
基地内では警報がけたたましく鳴り響いている。聴覚が麻痺しそうな程の大音量でアナウンスが流れていた。
『基地内で殺人事件発生! 犯人はベーオウルブズのキョウスケ・ナンブ大尉! 発見次第射殺せよ! これは演習ではない!! 繰り返す ──』
基地内に無数に仕込まれたカメラで撮影されたのだろう。基地内の全隊員にキョウスケの射殺の命が下されていた。
確保ではなく射殺だ。
その理由は簡単だった。
1本道の通路はキョウスケを境に色が違っていたからだ。
キョウスケの背後の通路は色が赤く染まっている。血だ。おびただしい量の血液が、本来単色の通路の壁に赤と灰色のグラデーションを作り出していた。そして肉片と骨片、体の一部が欠けたモノが沢山転がっている。
対して、キョウスケの進行方向は綺麗な単色の灰色。つい数分前まで、キョウスケの背後の通路もこの色だったと言えば、流れた血液の量がいかほどが理解してもらえるだろうか?
粘性のある赤い液体がこびり付いた靴でゆっくりと前に進むキョウスケ。
軍服を着た兵士が自動小銃を肩に固定して、キョウスケに狙いを定めている。
「撃て!」
1人の掛け声を合図に、兵士たちの自動小銃が火を噴く。
フルオートで銃弾が小銃から発射された。
生身の人間なら原型を留めない程の量の弾幕がキョウスケに迫る。
「なっ!?」
しかし銃弾はキョウスケの体に届かない。
キョウスケの眼前50cm程の位置で銃弾は止まっていた。
念動力だ。事実を知っている俺以外には超常現象にしか映らないだろう光景に、兵士たちは当たり前のように驚愕していた。空中で浮遊している銃弾も、回転と推力を失って次々と床に落ちる。
「ば、化け物め……!」
その言葉を最後に、兵たちは爆死した。
念動力で体内から圧力をかけられ、膨張力に耐えられなかった肉体が爆ぜたのだ。血と臓物が噴き上がり、雨のように降って通路を濡らしていた。5人いた兵の血肉で赤く染まった通路をキョウスケは歩く。
「人……」
キョウスケが呟いた。
いや声を発しているのはキョウスケの体だが、実際に喋っているのは彼ではない。
ベーオウルフの声が俺の耳に聞こえてくる。
「全ての悲劇の元凶……我の性……完成された世界には必要ない、悲劇を生み出す者も、感じる者も……」
奴の言葉と共に、キョウスケの感情が俺の中に流れ込んでくる。
暗い感情 ── キョウスケの心のほとんどは悲しみに埋め尽くされていた。エクセレンを失った悲しみ……それだけではなく、目の前の惨劇を心の中で嘆いている。
体の自由をベーオウルフに奪われながらも、キョウスケには目の前の光景が見えていた。心の中で慟哭に近い叫びをあげている、やめてくれ、と。
── なんだこれは!? 俺はなにをしている!?
自由にならない体、叶えられないキョウスケの叫びが俺の中でデジャヴする。
基地の中では既に多くの兵が死んでいた。
いや、キョウスケが手にかけていた。
── タスク……アラド……すまない……!
長年連れ添った大切な部下たちさえも、キョウスケは殺した。すまないすまないすまない……間欠泉のように湧き上がる罪悪感が、俺の中にもやはり流れ込んでくる。2人の死に様が脳裏にフラッシュバックする。
キョウスケも俺も吐き気を催していたが、俺には実体がなく、キョウスケは体の自由が利かない。
「と、止まれ! ベーオウルフ!!」
気づくと、基地の司令官がキョウスケの異名を呼びとめていた。
厳つい顔を強張らせてキョウスケを睨んでいる。司令官の周りとその反対方向 ── キョウスケの背後には、彼の部下たちが自動小銃を構えて既に配備されていた。
「き、貴様、気でもふれたか!? 我が連邦がシャドウミラーと事を構えているこの時期に謀反か!? さては貴様ァ……敵のスパイだな!? そうに違いない!!」
「解せぬ」
キョウスケの口が動く。
「理想の世界……素晴らしき世界……新世界……どこにもお前たちの居場所はない。破壊は創造……創造は破壊……破壊され、無となり、太極に帰する……それこそ至福」
「意味不明なことを! えぇい、総員構えぃ! 奴を殺せぇ!!」
司令官の命令に従い、銃口の引き金に手がかかる。
その瞬間、その場にいた者全てが絶命した。
熟れたトマトを握りつぶすかのように容易く、赤い命の水を噴き上がる。兵も司令官も分け隔てなく、五体不満足にされ、動いているものはキョウスケだけになった。
やめてくれ! 俺もキョウスケも心の中で叫んでいた。
これは戦いじゃあない。ただ一方的に、圧倒的な力に蹂躙される。人が虐殺と呼ぶ行為そのものに思えてしょうがなかった。
だが、違う。
目の前の惨状は決して虐殺などではない。
処理だ。これは推測にすぎないが、ベーオウルフと人間の関係はきっと人と虫のようなもので、人が害虫を処理するように、ベーオウルフも人を処理しているだけなのだろう。
理解不能だ。
虫が人を理解できない様に、人も虫を理解できないのだ。
「解せぬ」
ベーオウルフはポツリと呟くと、キョウスケの体で基地内を再び徘徊し始めた。
── 1時間後 ──
基地内で動いている者は、キョウスケ以外誰1人いなくなった。
基地を壊滅させたベーオウルフは、キョウスケの体を使い基地の外に出ていた。
キョウスケの所属している基地は、日本本島から少し離れた埋立地に作られている。飛行場同様に、近隣住民への影響を考慮したことと、海路による物資の運搬をしやすくするためだ。
キョウスケの体は基地の近くにある崖の傍にいる。断崖絶壁、眼下20mには荒波で削られた鋭い岸壁が見える。落ちればまず無事では済まないだろう崖で、ベーオウルフは基地を見ていた。
静かだ。
基地はベーオウルフにより完全に制圧されたにも関わらず、火の手は見えず、爆発音なども聞こえてこない。基地の外観もまったく損なわれていなかった。
しかし人のいる気配は一切感じ取れない……基地は完全に沈黙している。
「…………」
ベーオウルフは基地から空へと視線を移していた。
空は一面の曇天に覆われていて、今にも一雨来そうな雰囲気を醸し出している。水平線の向こう側、見えない場所では雷が落ちたようで空が光り、遅れて雷鳴が聞こえてきた。
しばらくすると小雨が降りだした。
小さな雨粒がキョウスケの体を濡らす。
「……足掻くか」
雨に濡れながらも、ベーオウルフは視線を空から外さずに言った。
俺も灰色の空に目を奪われていた。
なぜなら、灰色の雲の中に2つの黒点が見えたからだ。
2つの黒点が空から降ってきているということに気づくまで、さほど時間はかからなかった。黒点は俺の視界の中で接近、ぐんぐん巨大になり、それが人型であることにはすぐに気づく。
黒い2機の巨大ロボットが空から降下してきていた。
どう見積もっても20m以上の巨体を持つロボット ── 特機が、ブースターの逆噴射で落下の位置エネルギーを相殺し、キョウスケの体の前に降り立っていた。
『武神装攻ッ、ダイッゼンッガーー! 推参ッ!!』
俺の見た過去生の中で見覚えのある黒い鎧武者の特機が名乗りを上げていた。
巨大な日本刀を携えている特機の名は、確かダイゼンガー。ホワイトスターでタスクたちと死闘を繰り広げた特機だったはずだ。
『同じく、ダブルG2号機アウゼンザイター、参上!』
アウゼンザイターという特機の方は俺には見覚えのないものだった。
ダイゼンガーと同等の巨体に、巨大な円盤状の盾を両肩に装備した西洋風の甲冑風の装甲を持ち、黒いマントをたなびかせている。頭部から青白い炎が上がっており、両手には巨大な長身のライフルを装備していた。
『キョウスケ! お前は一体何をしている!?』
「……ゼンガー・ゾンボルト……」
ベーオウルフがダイゼンガーのパイロットの名を言っていた。もしかすると、キョウスケの記憶を読むことができるのかもしれない。奴はアウゼンザイターの操縦者の名を「レーツェル・ファインシュメッカー」と呼んでいた。
『救援信号を受け、駆け参じてみれば……下手人は貴様だと言うではないか!?』
「…………」
『どうなのだ!? 答えろ、キョウスケ・ナンブ!!』
ゼンガーの怒号をベーオウルフは受け流していた。
さして興味もない。答える義務もない。といった所か……。
『ゼンガー』
レーツェルがゼンガーに声をかける。
『やはり、基地との通信は途絶したままだ。完全に制圧されたか、それとも……』
『くっ! 答えろ、キョウスケ! 返答次第では、いくた貴様でも容赦はできぬぞ!!』
ベーオウルフは相変わらず無言だ。
口を閉じたまま、ダイザンガーをただ見上げている。
先に痺れを切らしたのゼンガーの方だった。
『答えろ!!』
「……うるさい奴だ」
奴が辟易とした感じの声を上げる。その瞬間、鋭い金属音が響いたのを俺は聞いた。
直後にはダイゼンガーの兜飾りがへし折れて落下し、地面に深々と突き刺さっていた。兜飾りの切断面は鋭利だ。どうやらベーオウルフの念動力は生物以外にも有効なようだ。
『なに!? キョウスケ、貴様、一体何をした!?』
種を知る俺にしか分からない攻撃方法だ。
知らない者にとっては奇術でしかないため、ゼンガーは大いに驚いていた。ただの人間を前にしただけで、金属製の兜飾りが破壊されたのだから無理もない。
「斬ればいい」
『なんだと!?』
キョウスケの口から出た言葉にゼンガーは一々大声で反応する。
「……斬るしか能のない男……どうせ斬るのだろう……いつものように斬ればいい…………血塗られた武器……どれだけの悲劇を産み落としてきた……?」
『キョウスケ! やはり狂ったか!?』
ダイゼンガーが巨大な日本刀の切っ先を空に向けた。
柄部分の装置が展開され、超々圧縮されていた液体金属の刃が伸びる。ダイゼンガーの全長が平均的な日本人男性の身長だったと仮定するなら、1mそこそこだった刀身が2m以上にの巨大な諸刃に変化する。無論、ダイゼンガーの全長は目測で少なく見積もっても40M……それに見合った刀身を持つ大剣だった。
ダイゼンガーが大剣を構え、ゼンガーが叫ぶ。
『我はゼンガー・ゾンボルト! 悪を断つ剣なり!!』
『我らに出会った不幸を呪え!』
レーツェルがゼンガーの名乗りに被せるようにして言った。
その様子を見てベーオウルフは嘆息していた。
『……解せぬ』
虐殺が始まる。