Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
【西暦2001年 12月2日(日) 17時00分 横浜基地 B19仮設実験室】
あっという間に日は暮れ、今日も実験の時刻がやってきた。
先日の転移実験で、武は不完全ながらも元の世界へと転移を成功させていた。
あれから丸1日が経過している。香月 夕呼なら、転移装置の欠陥を改善するのに十分すぎる時間だった。
2人は期待を胸に仮設実験室の扉を潜った。だがそこで、地下の実験室に足を運んだキョウスケと武は、夕呼から突然の宣告をされることになる。
「夕呼先生ッ、それはどういう意味ですか!?」
「どういう意味もなにも、言ったままの意味よ」
食ってかかる武に夕呼は冷淡に切り返した。
夕呼の口から語られたのは、今日の実験が失敗に終わった場合は転移実験そのものを中止する……という衝撃の言葉だ。キョウスケはもちろん、武だって平静では居られなかった。
「白銀、アンタには前から言っていたでしょう? この実験には膨大な電力を消費する。元々長々としていい実験じゃないのよ」
「で、でも! 先生言ってたじゃないですか!? 俺の世界の夕呼先生が完成させた数式を手に入れれば、
「そうね、確かに言ったわね」
激昂する武とは対照的に、夕呼は落ち着いていた。淡々と口の端が動きを見せる。
「でもね白銀、この実験に使える電力は昨日の時点で限界値ギリギリなのよ。機体の調整も終了している。この実験における不確定な要素は、装置に入る生身のアンタだけなのよ」
「俺のッ……俺のせいだって言うんですか!? 実験が上手く行かないのは!?」
「そうよ」
夕呼は断言し、続けた。
「いい、白銀? 今日の実験が上手く行かなかったら装置を破壊するわ。再生不可能なようにバラバラにする。アンタも世界を救う英雄を気取るつもりなら、この位のことやり切ってみせなさい!」
「……ッ!?」
2人のやり取りを、キョウスケは黙って見守っていた。
キョウスケがこの転移実験に参加したのは1回だけだ。夕呼がどれだけの時間と気力を費やして、転移装置をここまで完成させたのか……キョウスケはその実際の所見ていない。だが世界の壁を超えるという代物 ── 生半可な才能と覚悟では作り上げることは不可能だろう。
きっと夕呼は完成させたのだ。彼女の強気な発言からキョウスケはそう察した。
(ならば残る要素は乗る人間……香月博士なりに武に発破をかけている、という所か……いや)
実験が失敗すれば、夕呼は宣言通り装置を破壊するだろう。彼女もまた自分を追い込んでいる。科学者としての背水の陣、そんな印象を受けた
だがこれは、キョウスケにとっても他人事ではない。
許されるものなら武と交代したい。だが実験の目的は、被験者を向こう側に辿りつかせることだけではない。武の言っていた数式を回収することこそが、この実験における最大の目的と言えた。
それはキョウスケの役目ではない。
それは武が、武こそがやらなければならないことだった。
「武、自信を持つんだ」
「……響介さん」
キョウスケは思ったままの言葉を武にぶつける。
「お前は俺に話してくれただろう。元の世界での思い出を、大切な人への思いを、そう言った物を信じればいい。それが元の世界への強い意思に繋がるはずだ。元の世界を愛しているお前にならできる」
「そうよ白銀、これは他の誰でもないアンタにしかできない仕事なのよ」
「響介さん、夕呼先生……分かりました、俺、今度こそ絶対成功させてみせます!」
キョウスケらの言葉に応え、武は気合を入れるように大声で叫ぶ。意思の宿った強い瞳が転移装置に向いていた。円柱状の装置内部へと武は搭乗する。
装置の調整のため夕呼は制御盤の前へ座り、作業を開始した。
昨晩、武の部屋で休んでいた霞も復活したようで、スケッチブックに素早くペンを走らせている。彼女の視線は武の方に向いていた。スケッチブックには男の子の絵が描かれていれた。
(武をこの世界に引き戻すためには、武のことを忘れないようにイメージを保つ必要がある。武を忘れないようにするために絵を描く、それがあの子のやり方なのだろうな)
夕呼は武の写真を見ることでイメージを保っている。霞の場合は、それが絵を描くという動作なのだ。ただイメージするより五感を使った方が記憶には残りやすいのは間違いないだろう。
実験開始までしばらく時間がかかる。キョウスケは実験室の壁に背を預け、待つことにした。
「南部、ありがとうね」
唐突に夕呼の口から謝辞が飛び出してきた。突然のことにキョウスケは閉じていた目を開き、白黒させる。
「……どうした? 博士が礼を言うなど、今度は俺に何をさせるつもりだ?」
「あら、失礼ね。私だって素直に感謝する時もあるのよ」
夕呼は微笑みながら呟いた。
「白銀にとってアンタが1つの支えになっているみたいだから、礼ぐらい言っておこうと思ってね」
「俺が? 武のか?」
「そうよ。強がっていてもアイツはまだまだガキだからね、南部みたいな同性の仲間がいることが心の支えになるんじゃない。何しろ、アイツの立場は特殊だからね。普通の男じゃ無意識に1歩引いちゃって気が引けちゃうんでしょう」
「まぁ……そうかもしれんな」
キョウスケや武のような存在がそうそう居るとは思えなかった。今、同じ場所に2人がいること自体が、もう奇跡的と言っていいのかもしれない。
「だから今の内にお礼をしておこうと思ったのよ。もう、そんな機会ないかもしれないから……さてと、社、準備はできたかしら?」
「……はい」
いつの間にか絵を描き終えたのか、霞はスケッチブックを閉じて待っていた。
「じゃあ白銀、始める前にこれを渡しておくわ」
「なんですか、これ? 紙の束?」
A4の茶封筒一杯に入った紙の束を渡された武。厚さ2,3cmはある膨大な量だった。
「それをあっちの世界の私に渡しなさい。あっちの私にはそれで通じるはずだから」
「分かりました」
「じゃ始めるわよ! 白銀、元の世界を強くイメージしなさい! 実験の成否はアンタの双肩にかかっているだからね!!」
「はい!!」
武の返事に頷いた夕呼は転移装置が起動させた。
円柱状の搭乗部のハッチが閉じ、モーターの唸り声が徐々に強くなっていく。霞が夕呼の指示で供給する電力量を調整し数分後、記憶に新しいあの感覚がキョウスケに襲いかかった。
装置を中心に空間が歪んだ。奇妙な浮遊感が体の中を通り抜ける。気が付くと、武が入っているはずの搭乗部の中に誰もいないのではないかという感覚を覚え、体の調子は元に戻っていた。
転移実験中、特にキョウスケがやることはない。
かと言って、夕呼に話しかけるわけにもいかない。例の写真を片手に、彼女も武の記憶を保持しておくのに必死だったからだ。霞も同様だ。
キョウスケは大人しく待つことにした。実験室の壁に持たれ、腕を組み目を閉じる。
(頑張れよ、武)
誰も喋らない実験室内は、装置の駆動音だけが嫌に大きく耳に残った ──……
………………
……………
…………
………
……
…
── 3時間後。
装置に変化が起きた。
駆動音が大きくなり、装置周辺が歪んで見える。
その現象が収まった頃、転移装置の搭乗部ハッチが開放された。昨日とは違う落ち着いた足取りで中から武が出てきた。心なしか、武の表情は和らいだように見える。
「お帰りさない。その様子だと無事に帰省できたみたいね? 気分はどうかしら?」
「ははっ、茶化さないでくださいよ」
夕呼の問に笑顔で応える武。その様子には余裕が見て取れる。転移が成功したのは間違いなさそうだった。
「それより先生、例の物は渡してきました。3日後には用意できるようです。俺が向こういに転移した時の日付は11月26日だったから、次に転移する時には29日以降を狙って ──」
武が転移の結果を報告していた正にその時、何かが倒れる音がした。
音のした方向に霞が倒れていた。額には玉のような汗が浮き上がり、荒い息をしている。昨日同様、いや昨日よりも疲労しているようだった。
「たった1日で持続時間が3時間弱に伸びるなんて、素晴らしいの一言ね」
「霞……お疲れ様。ありがとうな」
霞は武に抱き上げられ、実験室内にあるソファへと運ばれた。横になったことで少し楽になったのか、すーすーと可愛らしい寝息を立て始める。
小さな体で大任を背負っているのだ、消耗するのも無理はない。しかしキョウスケは違和感を覚えていた。
(イメージを捉え続ける力に優れている、博士はそう言っていた。忘れそうになる物を意識して繋ぎとめる、なるほど、確かに精神を疲弊する作業に間違いはないだろう。……しかし、この消耗具合は異様だ)
まるで特別な力を長時間使い続けたような……そんな感じ。
(例えるなら、念動力のような何か……そうでなければ、この2人の違いは説明できん)
キョウスケはソファで横になる霞と、平然と立っている夕呼を見比べた。
同じ時間、同じ作業をしていたにも関わらず、両者の疲労度が天と地ほどもかけ離れている。不自然だ。昨日の夕呼の説明だけで、この違いを納得することがキョウスケにはできなかった。
「香月博士、この子の事で俺たちに何か隠していることがあるんじゃないか?」
「響介さん?」
「イメージを捉えるのに優れている。そこは認めよう。だが、何故、が抜けている。俺たちはこの子がイメージを捉え続けるのに優れているのか、その理由を聞かされていない」
「あっ、確かに!」
武が相槌を打った。
どんな物事にも理由がある。霞の能力にも理由は必ずあるはず、それがキョウスケの考えだった。
「どうなんだ、香月博士?」
「…………そうね」
数秒の沈黙の後、夕呼は重い口を開いた。
「社の事でアンタたちに伝えていない事は確かにあるわ。でもそれは彼女の出自に関わる問題なのよ」
「霞の出自……?」
「そう、本来なら他人の出自を軽々しく口にするべきではないわ。でも転移実験に関わっている以上、白銀には知る権利はあるでしょうね。でもね、アンタは駄目よ」
夕呼はキョウスケを名指ししてきた。
「……何故だ?」
「約束していた通り、私はアンタを元の世界へ返すわ。白銀と違ってこの世界に残る気のないアンタに、社の出自を知る権利はないわ。必要性がないもの」
「NEED TO KNOWか」
「そうよ」
知る必要が無いから知らせない。
もうすぐこの世界から去ってしまう男が知ってどうする? それに他人の出自や過去というモノは、好奇心だけで首を突っ込んでいいものではない。
(……誰にだって知られたくない事はあるものだ)
キョウスケは霞を一瞥し、夕呼の言い分に納得することにした。
「分かった。これ以上、俺はこの子の事については聞かない。それで、俺は席を外せばいいのか?」
キョウスケが居ては霞に関する話を夕呼はしないだろう。
「そうね、お願いできるかしら?」
「ああ、ではな」
案の定の返事に頷きを返すと、キョウスケは実験室を後にすることにした。
出入り口の自動扉が横にスライドし、キョウスケに道を開ける。
「南部、明日も同じ時間に来て頂戴」
あまりに素っ気ない夕呼の言葉。
キョウスケは背中越しに、無言で手を振って応えた。
静かに実験室の扉が閉じる。
「風にでも当たるか……」
訓練兵校舎の屋上からなら基地の周囲を一望できたはずだ。帰る前に周囲の景色を目に焼き付けておくのも悪くない、そう思えた。
明日 ── 12月3日、キョウスケ・ナンブは帰るのだ。
元の世界へと。
自分の
夜風に当たるために、キョウスケは訓練兵校舎の屋上を目指すのだった ──……