日差しが眩しくて、私はいつもより少し早く目を覚ます。
なので、私は鈴が寝ているうちに身支度を整えることにした。
顔を洗ってから着替え、最後にベッドサイドに置いておいた緑色のリボンで髪をポニーテールに纏める。
「ふぅ……」
そうしてからため息をひとつつき、私は部屋の窓から景色を眺めた。
見渡す限り、どこまでも青が続いている。
あの工場での騒ぎから数日後。
私たちはセシリアとともに、船で日本へと帰っている最中である。
陸路や空路に比べれば海路の方が襲撃のリスクは少なく、仮に襲われても早期に敵を発見できる可能性が高いと踏んだためだ。
「椿、か……」
さっき冷蔵庫から取り出しておいたミネラルウォーターを口に含み、それから一言呟いてみる。
それは工場跡で拾った紙に書かれた単語の中で、最も意味不明だったものだ。
篠ノ之箒――つまり私はISの操縦者だし、姉に開発者の篠ノ之束がいることから分からないでもない。
引継ぎは、恐らくISの操縦記録の引継ぎあたりのことを指しているのだと思われる。
そう仮定すると、スフィアというのはコア内部にある球体状の記憶装置を指しているのだろう。
このように他の単語は意味が分かるのに、椿だけ理解不能なのだ。
「夕方には家に着くし、それから考えればいいか……」
また呟いてから、もう一口だけ水を飲む。
喉から手が出るほど気にはなっているが海の上では設備も乏しいため、調査できることは限られている。
なので、本格的に姉さんが調べだすのは家に帰ってからとなっていた。
口惜しいが、今は待つしかあるまい。そう思って椅子から立ち上がった瞬間だった。
「いや……やめ、て……いやぁぁぁぁぁっ!」
突然に悲鳴が聞こえたので振り返ってみると、ベッドの上で鈴が苦しそうにもがいていた。
よほどひどい悪夢を見ているのだろう、額からはいくつもの大粒の汗が流れている。
「おい鈴、大丈夫か!?」
慌ててベッドまで駆け寄り、身体を軽く揺すって起こしてやる。
悪夢にうなされるつらさを、私は身をもって知っている。そんな状態の親友を放っておくなんてとてもじゃないができない。
「ぅぁ……ほう、き……」
「大丈夫か鈴。ほら、これでも飲め」
優しくそう言って、持ったままにしていたボトルを鈴に手渡す。
鈴はそれを奪うように私の手から受け取ると、ぐびぐびと一気に飲み干した。
「……ふぅ。ごめん箒、もうだいじょぶ」
「そうか……なら良かった」
鈴の笑顔を見て安心したのも束の間。
すぐに鈴の手が小刻みに震えているのに気づいて、私の心は沈んでしまう。
いったい、どれだけ怖い夢を見たのだろうか……。
「箒……朝っぱらから怖い顔しないでよ、もう!」
ベッドから起き上がりながらそう言うと、鈴は大きく伸びをする。
そうしてから鈴は洗面所へと向かったため、再び部屋は静かになった。
だが、静か過ぎるのも考え物だ。ついついあの紙束や鈴の悪夢について考えはじめ、気が滅入りそうになる。
だから私は気を紛らわせるため、ベッドサイドに置いてあったリモコンを手に取り赤いボタンを押す。
直後、テーブルの脇にあるテレビが点灯して番組を垂れ流す。
最初に映ったのは恋愛ドラマだった。今の気分じゃないのでチャンネルを変えてみるも、どこも碌な番組をやっていない。
そうやってパチパチとやること回数にして4~5回、時間にして数分。ようやく私の興味が惹かれる映像が、液晶に姿を現した。
それはISに関する情報番組で、画面には濃い青色をした機体のCGが映っている。
か細い脚部装甲に昆虫の羽を思わせる非固定部位のスラスター、細長いビームライフル。
そのどれもが既存の機体とは似ても似つかないはずなのに、私はそのISに強いデジャブを抱いてしまった。
「サイレント・ゼフィルス……?」
下に書かれた英語を読み上げる、このISの名前だろうか。
「箒さん、起きてらっしゃいますか?」
そんな時、部屋の扉がノックされてセシリアの声が聞こえてきた。急いでドアへと向かい、彼女を部屋の中へと招き入れる。
「セシリア、おはよう。どうした?」
「朝食にお誘いに参ったのですが……あら?」
つけっぱなしのテレビから流れる音声が耳に入ったのだろう。セシリアは少しだけ奥に進むと、テレビの画面が見える位置にまで移動していく。
「ゼフィルス、そういえばもう発表の時期なのですわね……」
「え……セシリアってば、このISのこと知ってんの?」
いつの間にか部屋に戻ってきて、ベッドに座りながらツインテールを結っていた鈴が、セシリアの独り言に応じる。
「そりゃあ、まぁ……。だってわたくしの専用機、ブルー・ティアーズの後継機にあたるISですし」
「うっそ!? あんたの専用機とこのゼフィルスっての、ぜんぜん似てないじゃない!」
声を張り上げながら、鈴が画面を指差す。まさか今見ているものを知っている人がすぐ近くにいるとは思いもしなかったのだろう。
「重要なのはBT――遠隔操作の武装を積んでいる事であって、見た目ではありませんから」
「ふ~ん、そういうもんなんだ……。ところでセシリア、この機体のパイロットってもう決まってるの?」
急に作ったような笑顔を浮かべて、鈴はセシリアに尋ねる。
「ええ。IS学園に通っていらっしゃるサラという代表候補生の方の専用機になることが決定していますが……。なぜそんなことを聞くんですの?」
「え、わかんない……箒なら分かるわよね?」
急にこっちに話を振ってきたが、私にも分からない。一体こいつは何が言いたいのだろうか?
「あたしの専用機になったらいいなって、そう考えてたのよ! 言わせないでよ、全く!」
思いっきり顔を赤らめて、鈴は早口でまくし立てる。
なるほど、専用機を持っている私とセシリアでは思いつかないわけだ。
「イギリスのISですのよ、ゼフィルスは。仮にパイロットが決まってなかったとして、鈴さんがどうやって乗ると言うんですの……」
「自由国籍権を行使して、よ。あたしはIS適正Aなんだし、やれるって!」
自身の適正の高さを楯にしてドヤ顔を決める鈴だったが、その理論は残念ながら穴だらけといわざるを得ない。
「適正Aなんて、結構いるぞ?」
「それにBTを搭載した機体は、通常の適正のほかにもBT適正と言うものを要求されまして、それが高くなければ操縦は困難なのですが」
「ああもう分かった分かった! どうせパイロットは決まってるんだから諦めるって! ほら二人とも、朝ごはん食べに行くんじゃなかったの? さっさと行くわよ」
勢いよくベッドから立ち上がると、鈴はすたすたとまっすぐ部屋から出て行った。
◆◆◆
「なるほどねぇ……鈴ちゃんは専用機が欲しいんだ」
姉さんと合流して朝食を食べ終え、コーヒー(セシリアだけは紅茶だが)を飲みながら四人で今朝の出来事を話していた。
「そりゃIS学園に通う女の子なら、誰だって欲しいに決まってるじゃない。それに専用機があれば……」
「専用機があれば?」
急に言いよどんだため、私が続きを話すよう促してみる。
そういえば鈴は専用機が欲しいと、温泉街でも言っていたっけな。
「う、ううん。何でもないの!」
鈴は両手を身体の前でぶんぶんと振りながら、必死で誤魔化す。
一体何なのだろうか、気になる……。
「鈴ちゃん、もしあのコアが問題なかったらそれ使ってさ、専用機作ってあげようか?」
私があれこれ思案していると、姉さんがとんでもない事を口走った。そのせいで思わず飲みかけのコーヒーを噴き出しそうになってしまい、数回むせ返ってしまう。
それは隣にいたセシリアも同様だった。げほげほと大きく咳をしている。
「篠ノ之博士、何をいっていますの!」
「専用機をそんな簡単に渡して、いい筈がないでしょう!?」
慌てて私とセシリアで姉さんに抗議するも、当の本人はどこ吹く風と言った状態だった。
「え~? 別にいいじゃない、鈴ちゃんはずっと箒ちゃんと束さんと仲良しなんだし、入学祝いって事でさ」
「世界最高クラスの飛行パワードスーツを入学祝いに送る人が、どこの世界にいるって言うんですの……」
「はぁ」と思い切り嘆息してから、セシリアは再び紅茶を啜る。
「ん? おかしなことを言うね、目の前にいるじゃないか……って冗談はさておき、鈴ちゃんならすぐに学園で優秀な成績を残せるだろうから、けっこう早い段階で専用機を手に入れることができると思うよ」
「入学して二ヶ月後の個人戦のトーナメントで優勝する、とか?」
鈴がそういうと、姉さんは首を横に振る。
その前に試合をする機会なんて、果たしてあっただろうか……?
「五月はじめのクラス代表トーナメントだよ。専用機もちのいないクラスに割り当てられたら、まず間違いなく鈴ちゃんは代表になれるだろうし、さ」
私が考えていると、姉さんがその解答を吐き出す。
なるほど、クラス代表戦があったか。
クラス代表戦というのは読んで字のごとく、各クラスの代表によるトーナメント戦である。
優勝したクラスの生徒全員に半年間のスイーツ無料券がプレゼントされるため、一年で最初の大イベントとなっていると、入学案内のパンフレットには書かれていた。
「悪いけどクラス代表戦には出たくない、かな……」
「あら、何でですの?」
もじもじしながら鈴が言うと、すかさずセシリアが質問を飛ばす。
「だって、箒やあんたと同じクラスになりたいじゃない。一人だけ違うクラスってその、すごく……イヤ」
「鈴の場合は違うクラスになったとしても、休み時間のたびに私のいる教室へ遊びに来そうだけどな」
にやにや笑いながら、なぜか容易に想像できた光景を語った。その時だった。
ずがぁん、という派手な音とともに船が大きく左右に揺れ、私たちは椅子から転げ落ちてしまう。
慌てて私とセシリアが頭部装甲を部分展開してハイパーセンサーを起動すると案の定、船外には数機のIS反応があった。
「行くぞ、セシリア!」
「はい!」
そのままISを全面展開した私たちは、スラスターを全力噴射して外へと飛び出した。
◆◆◆
デッキに出ると、すぐさま敵を発見することができた。
温泉街とイギリスで襲ってきた無人機が2機、横にぴったりと並んで飛んでいる。
やってきた方角からして、視界の端に見える陸地――既に日本の領海であり、位置情報を確認すると九州のあたりだった――からやってきたに違いない。
「またあいつらか、性懲りもなく……!」
「箒さん、手早く倒してしまいましょう。でないと船が危ないですわ」
そんな事はセシリアに言われるまでもない。
私はスラスターを噴かせ天高く飛び上がると、右手に内蔵されたマシンガンを乱射しながら敵無人機の一体に接近する。
セシリアは前回と同じく、少し遠い位置からスターライトによる狙撃を行っていた。
「てやぁぁぁっ!」
ゴーレムの攻撃を回避して、強烈な一撃を頭部レンズアイの真ん中に叩き込む。
姉さんの解析結果によるとその部分にセンサー類が集中しているため、弱点になっているのだという。
「こっちもこれで終わりですわ!」
スターライトで牽制してから四方に展開したビットで逃げ道を封じ、実弾タイプのBTを二発腹に叩き込む。
有人機ならともかく、絶対防御をもたない無人機には致命傷となった。
腹に大穴が開かれ風通しの良くなった人形は落下し、そのまま海の藻屑となる。
「妙にあっけなかったな」
「そうですか? 前回に比べて一機減っていますし、こんなものではないのでしょうか」
そういうものなのか? 敵の攻撃も前回に比べ、妙に雑だった気もするのだが……。
そう私が思った時だった。
突如陸地から赤い光の奔流が、私たちの間を通り過ぎたのだ。
「なんだ!?」
「箒さん、あそこですわ!」
セシリアの指差した方へ視界をズームさせると、攻撃を仕掛けてきた敵ISの姿を確認できた。
そいつは埠頭に立つ青いISで、右手に握ったビームライフルからは小さく煙がのぼっている。恐らくはその銃で私たちを狙撃したのだろう。
「どうしてあのISが!? あれはまだ本国での建造の途中の筈ですわ!」
セシリアが困惑の色を含ませた顔で叫ぶが、無理もない事だろう。
なにせそのISは今朝、テレビで見た機体そのものだった――いや、一か所だけ異なる点がある。頭部に白いマスク状の装甲が追加されているのだ。
絶対防御の存在がある以上、基本的にISには頭部アーマーは必要ない。
つまりそのパーツは、パイロットの素顔を隠す仮面の役割なのだろう。
「サイレント・ゼフィルス……」
私がその名を口にすると、ゼフィルスのパイロットは少しだけ口角を吊り上げ、笑ったのであった……。