「ねぇ……ホントに油売ってよかったのかなぁ?」
女人街と呼ばれる、香港でも最も有名な露天街のとある店の商品を眺めていると、真後ろにいた鈴が不安そうな声で問いかけてきた。
「ん? おかしなことを聞くね、鈴ちゃん。キミが一番最初に言ったんじゃない。観光したい、ってさ♪」
鈴の問いに答えたのは隣で私と同様に、色々と眺めていた姉さんだった。
確かに、元はといえばマシントラブルで生まれた時間で観光しようと提案したのはほかならぬ鈴本人である。
「だからって、一泊するってのはどうなのよ……」
鈴は続けてぼやく。
そう、姉さんは「どうせ観光するなら、世界有数の夜景といわれるビクトリア・ピークにも行きたい」と考えた。
結果として、今日はここ、香港で一泊ということになったのである。
「切り替えは大事だぞ、鈴」
振り返らずに財布を取り出して会計を済ませつつ、私は口にする。
「でも……!」
「大声を出すなよ鈴……っと!」
ここでようやく振り返ると、さっき会計を済ませたばかりのふたつのベレー帽のうち片方を鈴の頭に被せてやる。
「え…………っと、箒。これは……?」
「この間のブレスレット、結局血で汚れてしまっただろ? だから改めての入学祝いというかなんと言うか、なのだが。気に入らなかったか?」
「……そ、そんな訳ないでしょ! ただ、その……」
若干恥ずかしげに私が言うと、鈴はきょとんとした顔になって一瞬固まってから答えた。
なんとなく先に続く言葉は分かっていたが、からかってやるとしよう。
「その、何だ?」
ニヤニヤしながら聞いてみると、鈴は顔を真っ赤にして、
「その、貰ってばかりじゃなんというか……あたしの気が済まないのよっ!」
「ふふっ、何だお前、そんなことを気にしていたのか? 温泉街でも言ったとおり、お前が操縦者として大成してからお返しは貰うつもりだから安心しろ」
あまりにも予想通りの返答に噴きつつ、帽子越しに鈴の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「それにな、鈴。今回はおそろいのものが欲しかったというのもあるんだ、ほれ」
続けざまに言いつつ、自分の頭にもベレー帽を被せる。
私はポニーテール、鈴はツインテール。髪形の邪魔にならないようにわざわざ吟味してチョイスしたそれは、いい旅の思い出になりそうだ。
「……そっか、あんたとずっと一緒に旅行にも行けてなかったものね。修学旅行も休んでたし」
しんみりとした顔になりながら、鈴は言う。
中二のときには私はもう代表候補生になっており、その日は急に試合が入ってしまい休まざるを得なくなってしまったのだ。
「あの時は本当に、歯がゆい想いをしたものだ……お前が京都のジェラート屋が凄く美味しかったなどといって写真を何度も見せ付けてくるから、余計にな!」
「そういうあんただって、お返しとばかりに物凄くおいしそうなお菓子の写真を送ってきたじゃないのよ!」
「お土産に買って帰ってやったんだからいいだろ!」
「それ言うならあたしだって、お土産に八ツ橋買って帰ったでしょうが!」
くだらないことでひたすらヒートアップしていると、急におかしくなって二人同時に笑いあう。
やはり、鈴と一緒にいるとどうしようもなく楽しいな。
そう思っていると、急に横からかしゃり、という音とともに光が一瞬私たちを照らす。
「ちょっと束さん。勝手に撮らないでよっ!」
「そうですよ姉さん、撮るなら言ってください!」
声をほぼ同時に発して、私たちは姉さんに抗議する。
「え~。いいじゃん、旅の思い出なんだし。ねっ?」
「れはそうかもしれませんが、ちゃんと許可を取ってからにしてください。それなら文句はありませんから」
照れ隠しにぷいっと顔をそむけつつ、同時に横目でデジカメの画面に映るさっきの写真を眺める。
当然ながらさっきの光景が映し出されていたが、こうして第三者の目線で見ても楽しげであった。
これなら姉さんがつい撮ってしまうのも理解できる。
「ところで二人とも、この後はどこへ行きたい? まだ日が暮れるまでは結構時間あるけど」
本当に藪から棒に、姉さんが明るいテンションで訊いてくる。腕時計で確認してみたところ、現在は午後一時。まだまだたっぷりと時間はある。
「そうねぇ……お腹も減ったし、ご飯にしない? 屋台で買い食いとかどうかしらね」
「私はあれだ、ヒスイ市でヒスイを買っておきたい」
「あぁ……お守りね。いいかも! それから時間があったらさ、ちょっとだけでも有名なお寺を見てまわりたいかな」
矢継ぎ早に私たちは、バッグから取り出した観光パンフレットを片手にあれやこれやと語り合う。
恐らくこれくらいなら、全部まわることは出来なくもないだろう。
「二人とも、中々欲張りだね~」
「折角の旅行なんだし、楽しまなきゃ損でしょ!」
吹っ切れたようで、先ほどとは百八十度変わった意見が鈴の口から飛び出す。
それに続ける形で、私も姉さんに話しかける。
「姉さん。カメラの撮影、お願いしますね?」
「もっちのロンだよ、任せておいてね! この束さんお手製、最高性能で規格外のデジカメで……って、ちょっと待ってよ!」
長々とした説明を始める姉さんを無視して、私たちは香港のストリートを歩いていったのだった。
◆◆◆
全部回り終え、数十枚の写真がデジカメのフォルダ内に溜め込まれたころには、ちょうど夕日も沈みそうになっていた。
そのあたりで私たちはバスに乗ってビクトリア・ピークまで移動。今はそこの高台から夜景を眺めている最中だ。
「すっご~い! やっぱり来て正解だったわね!」
柵に寄りかかりながら、鈴が大声を上げる。絶景なのは認めるが、はしゃいでる姿はまるで小学生にしか見えなかった。
恐らく容姿のせいもあるのだろうなとは思ったものの、もちろん口には出さない。
「箒、あんたなんか失礼なこと考えてなかった?」
「いや、考えてないぞ!?」
突然私のほうを向き直った鈴が疑いの目を向ける。まったく、相変わらず勘の鋭い奴だ……。
「じゃあ、何考えてたのよ? やましいことじゃないなら、言えるわよね?」
今度はその顔に悪戯っぽい笑みを浮かべ、私を小突く鈴。さすがに本当のことは言えないので、どうにかごまかさなければ……。
「篠ノ之神社のあの場所とここ、どっちが絶景なのだろうかと思ってな」
「あの場所ってあたしとあんた、それに束さんしか知らないあそこ?」
「そこ以外の場所がどこにある」
とっさに思いついた嘘に、鈴は目を丸くしてから食いついてきた。よし、何とか話題を逸らすことは出来たな……。
ちなみにあの場所とは篠ノ之神社裏の林にある、少し開けた平地のことだ。海沿いの街の風景を独占できるそこは、私たち三人のお気に入りの場所であった。
「そりゃあんた、世界的に有名なこっちのほうが綺麗でしょ。でもあたしは、あっちの方が好きかな」
ふいに真面目な顔になると、優しげな声音でそう告げてくる鈴。
もっとも言い終えてすぐに照れくさくなったのか、顔は赤くなっていき、ぷいっと顔を背けてしまったが。
そうか、こいつもあの場所を大事に思ってくれていたのだな……。
私が鈴と初めて仲良くなれたと思えた「あの日の思い出」を大事にしてくれている。その事実に思わず頬が緩んでしまう。
それと同時に、思わずついてしまった嘘について申し訳ないという気持ちも芽生えてくる。
よし、素直に言って謝ろう。
そう決意し、鈴を呼び止めようとした時だった。
「いやぁ~絶景絶景、箒ちゃんも鈴ちゃんもこっち来なよ。最高の眺めだよん!」
突然右側から声がしたので慌てて向くと、そこには柵の上に立っている姉さんの姿があった。
いつもの事とはいえ、あの人は何をやっているのだ……。
「箒、どうするのあれ……?」
「はぁ……止めるしかないだろうさ。鈴、一緒に来てくれ」
ため息交じりに鈴の問いに答えて、それから一緒に姉さんのほうへと向かう。もう完全に、鈴に本当のことを切り出すタイミングを失ってしまった。
「姉さん、またこのようなことをして……危ないじゃないですか!」
柵のすぐ近くで姉さんに呼びかける。さすがに危ないので引っ張ろうとは到底思えなかった。
「え~、そうかなぁ? まぁ二人がそう言うなら……とうっ!」
渋々といった表情を一瞬浮かべてから姉さんはぴょんと空高く跳び、柵のすぐ近くの位置へと着地する。私の姉は頭だけでなく無駄に運動神経がいいのだ。
もっともそのせいで、こんな風に奇行も絶えなかったりするのだが……。
「どしたの箒ちゃん、顔色悪いよ?」
「誰のせいだと思ってるんですか! まったく……」
少し不満の色を含ませた声で姉さんに答える。こんな事をしたところで反省するような人ではないというのは十分に分かっていたが、それでもやらずにはいられなかった。
「まぁまぁ、いいじゃない箒。束さんも無事だったんだしさ、ね?」
鈴がなだめるように割り込むと、すかさずバッグからデジカメを取り出して言葉を続ける。
「そんなことよりさ、三人で写真撮らない? 記念撮影よ記念撮影!」
その提案が話題逸らしなのか、それともただ単に鈴がしたいだけなのか。そのどっちが本心なのか、私はあいつの満面の笑みから読み取ることは出来なかった。
だが、単純にいい提案ではあるとも思ったので二つ返事で了承。姉さんのすぐ横へと移動する。
「それじゃ、せーのっ!」
鈴がやってくると同時に、あいつが撮ってくれるよう頼んだ中国人の女性がシャッターを押す。戻ってきたカメラの画面を確認すると、そこには満面の笑みの鈴と姉さん、それに穏やかな笑みを浮かべている私が写っていた。
「今日最高の一枚よね、これ!」
「いやぁ、でもマシントラブル様々だよね♪」
「こうなる運命だったのかもな、最初から」
鈴、姉さん、そして私の順に口々に言い合い、それから笑いあう。この時だけは嫌なことも夢の事も忘れて、本当に楽しい時間を過ごせたのだった……。
◆◆◆
バスが来るまでまだそれなしにあったので、時間までは自由行動という話になった。鈴は少し離れた位置から眺め、姉さんは屋台のほうへ行って買い食い。そして私は相変わらず柵の近くで景色を見ていた。
「運命、か……」
壮観な景色を目にしながら、さっき自分で言った言葉を自嘲ぎみに呟いてみる。
ここに立ち寄ったのも運命なのだとしたら、あの夢も……。
そんなことを考え出した途端、思考の渦が私を飲み込んでいった。
もしそうなのだとしたら、あの夢は一体私に何を暗示させようというのだろうか。そして、あの男の正体は一体……。
考え出したらきりがないくせに、いつまで経っても思考は堂々巡りを繰り返す。まるでタチの悪い迷路に迷い込んだかのようだった。何故こうなってしまうのか?
……とにかく何でもいいから情報が欲しいんだな、私は。
しばらく悩んでから、自分の中でそう結論づける。手がかりがないからこそ、思考もいつまで経っても進展しないのだろう。
イギリスのあの廃工場で、何か手がかりがつかめればいいのだが……。
「箒、どしたの?」
私の目の前で手をぶんぶんと振ってあるのを目にすると、慌てて声のしたほうを向く。そこには心配そうな表情を浮かべている鈴の姿があった。いつの間に近くに来ていたのだろうか。
「いやちょっと、考え事をしていてな」
「そっか。まぁあんなことがあったからね、仕方ないかも」
「鈴、それで何の用だ?」
「何の用って……もうバス来ちゃうから、呼びに来たんだけど」
苦笑いしながら、鈴はおおよそ100メートル先にあるバス停のほうを指差す。確かに、一台の観光バスが今まさに停車しようとしている最中だった。
「ああ、すまない鈴。ぼけっとしていた。それじゃあ、私たちも向かおうか」
「そうね」
ならんでゆっくりと歩き始め、バスへと向かおうと振り向いた時。後ろからとても真夜中とは思えない眩しい光が急に差し込んでくる。
そしてその光は、私の良く知るものでもあった。
「ISの展開光!?」
思わず光の正体を口に出しながら振り向くと、そこには肩に二枚の物理シールドが取り付けられたISが立っていた。
なぜ、こんなところに!?
そうは思ったものの、悩んでいる猶予など一刻たりともない。慌てて私も懐にしまってある銀色の鈴を握り締め、専用機である打鉄を展開する。
だが、一歩遅かった。
「な……鈴!」
女は私が展開を終える前にスラスターを吹かせて接近してくると、右手で隣にいた鈴を抱きかかえる。こいつ、人質をとるのが狙いだったのか!
「だが、そうはさせるか!」
敵の手には武器は握られておらず、また片手は鈴でふさがっている。これなら奪還できる可能性もないわけではない。それに賭けて急ぎ近接ブレードを展開。そのまま鈴に当たらないように注意して斬りかかったのだが……。
「甘いなっ!」
敵は間髪いれずに、まるで三国志の武将が使っていたような戟を展開。片手でそれを振り回し、私の攻撃をやすやすと防いでしまった。そのまま敵に体重を加えられ、私は体勢を崩してしまう。
その隙に敵ISは急速反転すると、そのまま地面を蹴って飛翔する。
「篠ノ之箒! 凰鈴音を返してほしければ、街外れの墓地まで来い!」
最後にそう言い残すと敵ISはどんどん遠くへと離れていき、最後には点にしか見えなくなっていく。
鈴に当たるのを恐れた私はアサルトライフルを展開できず、ただその場に立ち尽くすばかりだった……。