それは、完全なる偶然であった。
「彼」がパリに侵入しシャンゼリゼ通りの付近に存在する、背の高いビルに潜んでいたのも。
「彼女」が第四世代に挑んだ末、そのビルに叩きつけられる軌道を描いたのも。
--そして二人がちょうど、同じ階に向かっていたことも。
「彼」がその階に辿り着いたとき。まだ「彼女」が飛んできているのに気づいていなかった。
したがって「彼」がそのフロアに脚を踏み入れた途端、突然窓を割って誰かが入ってきた時には心底驚いていた。
想定外の事態に混乱しつつも慌てて駆け寄った「彼」は、身に纏っていたオレンジ色の装甲が消える寸前の「彼女」を危なげなくキャッチした――その直後。
「彼」は驚愕に目を見開くと、たった今抱きかかえたばかりの「彼女」を見やる。華奢な体つきの、中性的な顔つきの少女。それは紛れもなく、かつての仲間と同じ容姿をしていた。
「お前、もしかして、シャ……」
「イザベル。
「彼」が本当の名を言いかけたとき。少女――イザベルはその言葉を遮って、仮初の名を口にした。
そう離れてもいないところでは、いまだ戦闘は続いている。お互いに沈黙を保っていたためもあってか、その音は離れた位置に立つビルの中まで届いていた。
「そういえば、だけどさ……。そっちは、
しばしの沈黙を破ったのは、イザベルのほうであった。儚げに微笑みつつ、彼女はすぐ隣にいた「彼」に尋ねる。
質問の内容は普通に考えればおかしなものであったが、この二人の間では何ら自然なものであったらしい。ほんの数秒の感覚を開けてから、その問いに「彼」は答えた。
「もうあの日から、だいたい四年になる」
「やっぱり……そうだったんだ。
イザベルのその言葉に「彼」は一瞬だけハッとした表情を浮かべたものの、すぐさま平静を装う。そんな「彼」のありようを見て、イザベルは再びその顔に微笑を浮かべた。
「変わってないんだね。そうやって……すぐ顔に出るところ」
「……悪いかよ?」
「いや、悪くない……。君のそういうところも、僕はす……」
言いかけて、途中で言葉を止める。
一方の「彼」の方は、突然黙り始めたという事態に対して首を傾げていた。そんな「彼」の様子を見てイザベルは苦笑すると。
「本当に、そういうところまで変わってないんだ……」
と、外の戦闘の音にかき消されるほどの声量で呟いた。
イザベルがまだ別の名を名乗っていた頃――初めて「彼」と出会った時からあの日までの、九か月と少し。そんな「彼」のある一点のみにおける「察しの悪さ」に、「彼女」は何度も何度もどうしようもない怒りを覚えたものだった。
いや、「彼女」だけではない。他の何人もの少女たちがそうだった。
その中には、あの――。
「……ごめん。僕、もう行くよ」
昔へ昔へと行こうとする思考を打ち切って「彼女」――イザベルは「彼」に背中を向けると、できる限り明るい声を発した。これ以上「彼」と一緒にいたら、未練が残ってしまうかもしれない。それを恐れての行動だった。
イザベルは「彼」から十分に距離をとると、自らの意識の底からある記憶を引っ張り出していく。こうする事で記憶の残滓は彼女の魂と結びついていき、橙色の装甲が徐々にうっすらと展開されていく。
そして、最終的にはかつての彼女の専用機である、ラファール・リヴァイヴの改造機を形作っていく――かに見えた。
「えっ……?」
しかし、展開の最終段階になって。イザベルの纏おうとしていたISは再び半透明に逆戻りしていき、どんどんと端から装甲は粒子となって溶けていく。
そして最終的には霧散してしまい、生身の小娘一人だけがポツン、と立っている状況になってしまった。元々ISそのものを持たずして、無理やり戦うためにイザベル自身が編み出した戦法だ。そう連発できるものでもないし、不安定なのは分かり切っていた。
(とはいえ、もう少し持ってくれてもいいじゃないか……!)
自分と同じ顔をした敵との戦いに再び加勢できないし、そして何よりかつての仲間の窮地を指をくわえてみているだけしかできない。その事実は、イザベルの瞳から悔し涙を流させるには十分なものであった。
涙の線が頬を濡らしていく、その時。背後から声がした。
「少女」にとって最も愛しい存在――「彼」の。
「……
かつて、まだ
いっぽう「彼」は腰に下げていた袋から一つのアクセサリーを取り出し、すぐ前にいる仲間へと投げ渡す。
「これって……もしかして」
危なげなく「彼」からの贈り物をキャッチした「少女」は、驚きとともに掌の物を見やる。それは橙色のペンダントであり、かつての彼女が肌身離さず着けていたものであった。
「お守りとして持って来ていたんだけど……まさか、こんな形で役に立つなんてな」
「ありがとう……これでまた、戦えるよ」
「少女」は涙を拭いながら言うと、どこか照れくさそうに笑う「彼」を見やる。そんな姿を見ていると、心の奥底が温かくなっていくのを彼女自身、強く自覚していった。
「ほんと、こういうのってズルいよね……」
「なにがズルいって?」
「少女」のかすれるような声での呟きはさっきとは違い、今度は「彼」の耳にも届いていた。すぐさまさっきまでのシリアスな顔からきょとんとした顔に変わった「彼」から質問を受けてしまう。
どうして今回は聞こえたんだか……。
そう「少女」が悩んだのは、ほんの一瞬だけであった。
(きっともう、逃げるなってことなのかな)
思えばずっと逃げてきたと、「少女」は自分自身を分析する。
いつも「彼」が自分の大事な言葉を聞き逃したり誤解したときは強く出て訂正しようともしなかったし、他にも「彼」を好いているライバルに無意識に遠慮していたところがあったのも否めない。
遠慮に関していえば、今現在もひょっとしたらしているのかもしれないと「少女」は思う。なにせ同じ曇天の空の下で戦っている黒髪の少女が「彼」の一番好きな相手だというのを知っているのだから。
だけどもう、逃げない。
そう決めた「少女」は、口を開く。
「もう行かなきゃだけど、さ……。その前に一つだけ、聞いてほしいことがあるんだ」
前置きだけ言ってから「彼」が振り向くまでの間に深呼吸し、覚悟を今一度決める。もはや少女に退路はなかった。
「――僕……
四年越しに少女――シャルロット・デュノアは、一世一代の賭けに出る。震える声で自らの想いを口にしたのだ。
誤解という逃げ道を若干回りくどい言い回しで。難聴という逃げ道を大声でそれぞれ塞ぎ、魂を込めて吐き出された告白である。
それを聞いた「彼」はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「…………ごめん、シャル。その気持ちには答えられない」
恐る恐ると言ったかたちで「彼」は、シャルロットの言葉に拒絶の意を示した。どうにも優しすぎるところのある「彼」だけに、その声音はひどく申し訳なさそうなものであった。
「そっか……うん、分かってたんだけどね。だって、本当は箒の事が一番好きだったんでしょ? 昔から」
「……ごめん」
「謝ることじゃないってば」
苦笑しながらシャルロットはそう口にすると、再び「彼」から背を向ける。今だけはもう、その顔を見ていたくはなかった。
「じゃあ、今度こそ僕は行くよ」
シャルロットはそう口にすると、静かにペンダントに意識を集中させていく。四年のブランクがあるとはいえ、彼女専用にフィッティングされた機体である。すぐさま馴染みのあり、そして懐かしさもある展開光が辺りを包み込んでいった。
そしてほんの数秒をかけ、ビル内に一体の、橙色のISが姿を現してた。
「さよなら、一夏」
脚部装甲によって目線の位置が高くなったシャルロットは「彼」を見下ろすようにそう言うと割れた窓を通り、来た道を引き返していった――その瞳に、涙を浮かべながら。
少女――シャルロット・デュノアは、蘇った
◆
「クソが……!」
異常なまでの速さで剣を抜いた
これは回避は困難だな……まぁ、もとより避ける気もないが。
そう思いながら剣を握り直し、敵機の襲来を待っていた――だが。奴の前進は、斜め上から飛来した数条のレーザーによって形成された通行止めに阻まれてしまう。ビットを自機周囲に展開したセシリアによる
「お生憎様! わたくしもおりましてよ!」
叫び声とともに、続けざまにスターライトによる狙撃と腰の実弾型ビットが放たれる。対してジャンヌ、武装をアサルトライフル「ガルム」に切り替えて応戦。回避行動をとりつつ弾丸をばら撒き、大きなダメージ源になりうるミサイルを続けざまに爆破する。しかし。
「かかりましたわね!」
セシリアの勝ち誇った声とともにジャンヌの右側にスターライトのレーザーが突き刺さり、奴にダメージが入る。ミサイルの爆発に遮られ、見えなくなった場所を通る形による奇襲だ。
「このッ!」
近くに私がいることを警戒してか、ジャンヌは苛立ち混じりに吐き捨てた言葉とともに後退。続けてガルムを左手に持ち変え、右手に旗を再展開。それと並行して、例の攻撃を仕掛けてきた。
今度の狙いは当然、セシリア。ブルー・ティアーズの上斜め後ろに十本くらいの槍が出現すると、すぐさまそれらは落下していく。まともに喰らえば大ダメージは間違いない。
だが、私たちがそんな事を許すものか!
「鈴!」
「分かってる!」
私への言っている最中に、鈴は連結状態のままだった双天牙月を勢いよく投擲。ブーメランめいて回転するそれはセシリアのすぐ上を通過していき、今まさに振り下ろされんとしていた黒槍の凶刃を一網打尽にした。その光景を前に、目に見えて狼狽えるジャンヌ。
「おまけぇ!」
そんな敵に対し、鈴は非固定部位の衝撃砲で追撃をかける。空気を圧縮した不可視の弾丸は流石に対処困難だ、いける!
――と、思われたが。
「こんなものッ!」
ジャンヌは咆えるとともにその場で旗を横に一閃。刹那、空気の弾丸が霧散し、消失していく。
思えば衝撃砲はゼフィルスも知っている武器だった、原理はヤツも先刻承知の上なんだろう。とはいえやつとは違い、ジャンヌを駆る少女は見事に対処して見せていたのだが。
「やはり第四世代のパイロットだけあって、只者ではないという事か」
「そりゃあそうよ、どっかのヘボパイロットとは違ってねェ!」
「それは私の事を言っているのか!?」
ジャンヌのガルムによる攻撃を回避して、言葉を返す。どうやらまだ、私が第四世代のパイロットだったなどという妄言を吐くつもりなようだ。随分としつこい性格をしているな……!
「他に誰がいるっての!? 姉に泣きついて、世界最強の機体を手に入れた癖に!」
「……ッ! 誰が、そんなプライドのないこと……するものか!」
完全に奴の作り話。
その、はずなのに。
背中にはいつも謎に触れたときのような、得体のしれない怖気が走り、足が竦みそうになる。今にも恐怖で心が満たされ、戦意を喪失してしまいそうになってしまう。
私はそれを必死に否定しようと大声で反論を叫び、瞬時加速で奴の懐へと潜り込まんとする。相手は手負いだ、これからどんな形でこちらの心理に対して攻撃してくるか分かったものではない。一刻も早く、倒さねば……!
「したじゃないの! え?」
突撃を開始した瞬間、奴は再び口を開くと何かを紡ぎだす。それと同時に汗が滝のように噴き出し、悪寒はさらに加速していく。
この先を耳にするのは、絶対に阻止しなければ――!
「
「あか、つばき……!?」
至近距離で放たれ、私の耳朶を打ったその単語。それを聞いた途端に全身により一層の悪寒が走っていく。息は荒くなってどんどんと力が抜け、姿勢を保っているのがやっとの状態にまで追い込まれる。
くそ、こんな状況なんて……!
「アッハハッ。隙だらけねェ!」
残忍な笑いとともに、直上に数十本の槍と剣が出現。こんなもの全部喰らってしまえば、当然シールドエネルギーなんて尽きる。
何とかしなければ。そう思いながら必死にビームライフルを向けるも、震える手で照準は定まらない。数発がラッキーパンチのごとくヒットし、ほんのわずかな数が軌道を逸れたに留まった。これで終わり、なのか……!?
「させないのサ!」
そこにアーリィ先生による、風の衝撃波での援護が入っていく。それらは槍を連鎖式に干渉させて軌道をそらし、間一髪助かった形となる。
こんな千載一遇のチャンス、逃すほうがどうかしている。おぼろげな意識へと強引に喝を入れ、私は奴から距離を取り鈴とラウラが陣取る位置にまで後退する。
「逃がすか!」
ジャンヌはそれに対して近接戦を試みたものの、すぐ前を数条のビームが通過し、ほんの数瞬だけ追撃の手が緩む。セシリアと同じく後衛に陣取っていた鏡さんによる援護射撃だ。これによってできた隙を利用し距離をとりつつ、鏡さん、セシリアとともにビームをけん制がてらに放っていく。
数発は命中するも、向こうが放ってきたガルムによってダメージが入ってしまった――とはいえ、威力はこちらの方が圧倒的に上なのだが。
「離れたところでッ!」
怒りの叫びとともに再び、例の攻撃が入っていく――だが。
「何度も同じ手を!」
ラウラ、怒り混じりの声と同時に瞬時加速。こちらの直上に現れた「落下する得物」と目線が合う位置にまで移動すると、右腕を勢いよく前へと突き出していく。刹那、それらは空中で微細に揺れつつも停止し、落下は中断される。
その間に、こっちは安全圏まで避難、みんなは風の分身やビームによってひとつひとつ撃ち落としていく。その隙に必死で調子をもとに戻そうと深呼吸をしたりして、なんとか戦えるレベルにまで心身を回復させていった。
「そろそろタネ切れが近くなってきたんじゃないのかナ?」
「タネ切れ? それって、どういう……」
隣で敵を煽るアーリィ先生。その言葉の意味が理解できなかったのか、鈴が疑問を通信に乗せて口にしていた。
「なぁに、簡単な話サね。奴のあの攻撃は、自機の量子展開可能範囲が長い事を利用したばら撒きってだけなのサ。つまり……」
「量子格納されている分を使い切れば、あの攻撃は使えなくなる」
ラウラが言葉を引き継ぎつつ、大型レールガンを発射。しかしそれは回避されてしまい、ちょうど後ろのビルの壁に着弾。壁面は音を立てて崩れていく。
「そういう事サね」
半壊したビルの上に着地しつつ、露骨に顔を歪めるジャンヌ。どうやら図星のようで、苛立った顔はかなり離れた位置にいてもはっきりと分かるほどだ。
ラウラが撃墜してから例の攻撃が飛んできてはいないという事実も、その推論を裏付ける証拠となっていた。
「……ぅ」
「なに?」
俯いた奴が何かを呟いた。次の瞬間。
「私は、お前やあいつのような、負け犬とは違う!」
天を裂かんとする勢いで怒りの咆哮を発した敵は旗のビームを槍の穂先のように形成すると、瞬時加速で迫りくる。
頭に血が上り切っているのか、それとももはや打つ手はないのか。その攻撃は酷く単調で、それでいてどこか惨めさを感じさせるものだった。
「待つのサね!」
アーリィ先生の制止が飛んできたが、既に機体は応戦のために瞬時加速のモーションに入っていた。数瞬のうちに互いの距離は目と鼻の先になり、その刹那――。
「ハッ、かかったなバカ女!」
悪辣な笑みを浮かべた敵はそう吐き捨てると、再びあの攻撃が襲来する。今回のは巧妙に展開位置が調整されており、斜め上の位置に展開されたそれらは後ろからだと、非固定部位や打鉄本体が邪魔で援護が難しい状態になっていた。フレキシブルならあるいは可能かもしれないが、そんな猶予は残されてはいない。
「うわぁぁぁっ!」
奴の旗による攻撃と、飛来する剣と槍。それらを同時に着弾させられ、恐怖と痛みで絶叫を挙げながら落下していく。抵抗もできない状態のまま数度路面に叩きつけられた後に滑っていき、仲間たちと大幅に離れてしまった位置でようやく停止する。
「……くそっ!」
ブラフを見抜けかった自身の判断ミスと、敵の非道な戦術に対して悪態をつきつつ、急いで立ち上がって状況を確認していく。
シールドエネルギー残りわずか。
叩きつけられた際に取りこぼしたため、ビームライフルは数十メートル先に忘れ物。
そしてメイン武装の刀は落下時の衝撃で刀身半ばで折れている。
おおよそ考える限り、私のIS乗りとして戦った経験中ワーストワンは堅いという、ひどいコンディション。
――だが、まだ闘志だけは残っている!
こんなところで負けるなど、真っ平御免だ!
「う、お……おぉぉぉぉぉぉ!」
叫びながら立ち上がる。敵はすぐそこまで来ていた、早く姿勢だけでも元に戻さなければ今度こそ――ほんとうに、危ない。
「ハッ、無駄よ無駄! 所詮第二世代なんてこんなモンよ!」
嘲り笑いを発しつつ
まるでコマ送りで、再生でもしているかのように。
そんな光景を見ている中、必死で考えていく。何かできることは、ここから逆転する手はないのか、と。
何かあるはずだ、きっと何かが……。
『自分の中の自分を信じて』
そんな時思い出されたのは、三日前の夜。敵と同じ顔をした少女――イザベルの発した言葉。
意味はよく分からないため、ずっと心の片隅でしこりとして残っていた言葉だが、その彼女の言う「自分の中の自分」とは、もしかして。
『
奴の言葉の通り、第四世代に乗っていたという私、なのかもしれない。だが、信じろとはどういう事なのか。
そこだけは皆目見当はつかない。第一信用した程度でどうにかなるものでも……。
「これで終わりよッ!」
敵の言葉に我に返ると、奴は剣を大きく振りかぶっていた。
その
光景は
まるで
あの夢の
ワンシーンの
ようで……。
「紅椿!」
気づけば私は
刹那強烈なまでの赤い光が周囲を覆いつくし、そして――。
気がつけば、私の身体には見たこともない、それでいて懐かしい赤い装甲が、装着されていたのであった……。