どうやってアリーナから帰ったかは分からないものの、気がついたら私は自分の部屋の中にいた。
明かりもつけずに暗い部屋の中、ベッドに腰掛けてぼんやりと窓の外の景色を眺める。まだ汗だくのISスーツのままだったが、着替える気も起きなかった。
「はぁ……」
思わず、深いため息をついてしまう。
そうしてからゆっくりと、何がこんなに気分を沈めているのか。
そこから、考えを巡らせ始めることにした――といっても、すでに答えなど分かりきっているのだが。
まずひとつは、ラウラに惨敗したこと。
一度は奇策をもってして、奴の裏をかいて斬りつけることには成功してはいるし、シールドエネルギー総量で言うならば半分近くは削られているはずだ。
そういった事実を見ると、惨敗というのはおかしいかもしれない。
だが所詮はそれだけだともいえるし、少なくとも私にはそうとしか思えなかった。
結局
つまるところ私は思っていたよりも、素の力というものが足りてなかったのだ。
ラウラとの戦いの前にも思っていたように、春休みに起きた一連の戦いでは毎回誰かの力を借りていた。自分ひとりで戦って勝ったことは一度もないのだ。
結局分かっていたつもりだっただけで、思い上がっていた。それをイヤと言うほど思い知らされた。それがひとつ。
もうひとつは、あの男が
篠ノ之流剣術は「弱き者を守る」という名目を掲げる流派であり、私もそれを理念に掲げる剣を学んでいることに誇りを持っている。
それをあの男は、単純な悪意と暴力で汚した。
幼少期から慣れ親しみ、代表候補生となった今でもIS戦術に組み込むほどに大事にしている篠ノ之流剣術をあの男に悪用され、しかも私はそれよりも劣る腕前だった。
その事実に対してどうしようもなく腹が立ち、そしてどうしようもなく悔しかった。
もっとも、それ以上に情けないという気持ちの方が強かったりする。
気付くチャンスなら一度だが確かにあったのに、ラウラに指摘されるまで奴の太刀筋に気がつかなかった――いや、考えてすらいなかった。
今思い返してみれば確かに、奴が温泉街で
生きるか死ぬかの瀬戸際にあったとはいえ、それくらい気付いてしかるべきだろうに……。
「電気もつけないで、何やってんのよあんたは」
あきれ返ったような声がすると同時に、部屋の電灯が付いてにわかに明るくなる。
ゆっくりと入口のほうを振り返ると、そこには声の主でありルームメイトでもある私の親友・鈴の姿があった。
「いやちょっと、考え事を……な」
「真っ暗闇であれこれ考えたって、絶対いい事なんて思いつかないって」
そう言いながら、鈴は窓側のベッドにまで歩いてくると、そのまま私の隣に座る。
無遠慮といえば、そうなのかもしれない。だが、こんな距離感は今に始まったことではないので特に何も言う気はない。
「どうせ今日の試合のこと、考えてたんでしょ?」
「それ以外にないだろう……」
「ま、そーよねぇ。確かに、今男漁りのことなんて考えてるワケないんだし」
冗談交じりの返事から数秒おいて、鈴は再び口を開いた。
「アクティブ・イナーシャル・キャンセラー……。相手を動けなくする効果があるんだって」
「そうか……あれがAICか。セシリアに聞いたのか?」
アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。
日本語名で慣性停止結界といい、その名の通り対象物の周囲に完成を停止させる結界を展開。相手は動けなくなってしまうという第三世代兵装だ。
私がドイツの国防部隊と試合をした時にはまだ完成していなかったが、いよいよ実戦投入できる段階まで進んでいたのか……。
「うん……。集中力も相当要る兵器らしいから、箒のとった戦法は悪くない。そう言ってたわ」
「そんな事も言っていたのか、あいつ……」
セシリアがそれを本心から言っていたというのは痛いほど分かる。
だがさっきも考えてた通り、私にとっては所詮奇策が一回だけ通用したという認識でしかない。
気を遣ってくれたあいつには申し訳ないが、逆効果だったといえた。
「ところで箒。そろそろ食堂閉まっちゃうし、晩ご飯食べに行きましょ」
「そんな気には、すまんがなれない……一人で行ってくれ」
「もうっ! お腹空いてると、いい考えだって浮かんでこないわよ?」
「余計なお世話だ――ッ!」
なぜだか急に鈴のお節介が鬱陶しくなって、ついつい突き放すような言葉を吐き出していた途中。にわかに頬に衝撃が走る。
数秒して痛みも襲ってきて、そこで初めて鈴にはたかれたのだと気付いた。
「あんたねぇ、一回負けたくらいで何!? そんなのあんたのキャラじゃないわよ!」
続けざまに鈴の怒鳴り声が聞こえてくる。
こいつ、私の気も知らないで好き勝手なことを……!
「悩んで悪いか! 篠ノ之流剣術はあの男に悪用され、しかもラウラには惨敗するほどの実力しかない! これじゃあどうやったって……」
「どうやったって」の先は声に出せなかった。なんて口にしたら良いのか分からなかったからだ。
どうやったって、汚されるのを止められないのか。
どうやったって、あの男には勝てないのか。
もしかしたら、どうやったって、強くなれないのか。
どれが本心なのか、自分でも分からなかった――いや、全部本心なのだろう。ただ、どれを口にすべきかは分からなかっただけで。
「だからってそんな、落ち込んでますポーズしたところで何も始まらないでしょうが!」
「じゃあどうすればいい!? 専用機持ちになったばかりのお前なんかに、何が分か――」
「強くなって、ゴールデンウィーク明けの学年別トーナメントでラウラにリベンジする。まずはそれを目標にすれば良いじゃない」
あっさりと口にしつつも、口調は諭すように優しい。
そんな鈴の気遣いに癒されるとともに、さっきまで八つ当たりを行っていた自分がにわかに恥ずかしくなる。
そうだな、まずはできる限りの事をやってからにしよう。
「ありがとう鈴、吹っ切れた。ただ、な……」
「何よ」
気持ちの整理をつけてくれた鈴には感謝してもしきれない……のだが、それでもひとつだけ反論しておきたいことがあった。
「そんなに悩むのって……私のキャラじゃないのか? 人並みに悩んでいることだってあるんだぞ」
「はぁ? いつも即断即決じゃない、あんた」
私の反論はすぐさま「訳が分からない」とでも言いたげな顔をした鈴に否定される。
そんなにいつも悩んでいなかったか、私?
前にも鈴に、こんな感じで励まされたことがあったような気がしてならないのだ。
私が一人で落ち込み悩んでいるところに、鈴が強引に入ってきて立ち直った。
そんな経験をしたような記憶が、ぼんやりとだが確かにある。
「なぁ鈴、前にもこんな感じのことってあったような気がしないか?」
「あんたあたしの話を聞いてなかったの? あんたが悩んでいたことなんて……あ、出会った頃の話じゃない? それ」
推測してくれた鈴には申し訳ないのだが、恐らくそれは違うだろう。
あの時は私だけでなく、鈴も悩みを抱えて落ち込んでいた。そこから二人で頑張って、なんとか壁を乗り越えた。
上手くは言えないが、そんな感じなのだ。
私の記憶にあるのはさっきも言ったとおり、ひとり悩んでいる私を鈴が引っ張り上げてくれた。そんな記憶なのだ。
鈴が憶えていないということは、やっぱり気のせいだったのだろうか……。
「まぁ、そんな事はどうだって良いじゃない! それより、今後どうするかについて考えましょ」
「そうだ、な……ッ!」
鈴の提案に頷き、立ち上がった刹那。
私のお腹から「きゅるる~」という間抜けな音が大きく鳴り、部屋中に響き渡ってしまう。
「…………ご飯食べてからにしましょ」
「……そうだな」
少しの沈黙のあと発せられた鈴の誘いに乗り、私は食堂まで歩いていくのだった。
……それにしても、だが。知らん振りを決め込まれるのも結構くるものがあるな……。
◆◆◆
食後に私と鈴は特訓について話すつもりだったが、そこにセシリアも加わっていた。
あの試合を見て思うところがあったらしく、食堂で鉢合わせした際に誘ったら二つ返事で快諾してくれた。
やっぱり、持つべきものは友人だ。
「まず、何が足りてないかですわね……」
「私と鈴は基礎、だな」
「やっぱそこかしらね」
とりあえず最初に、メモ用紙の一番上に「基礎」と大きく赤い文字で書き込んでおく。
さっきの戦いで私とラウラとの技量差があるというのは分かったし、鈴にいたっては専用機持ちになったばかり。地の力が足りていないといっていい。
「基礎はいいけど……後はどうするの?」
「それぞれの目標や機体にマッチした特訓を追加、といった形だな」
「たとえば鈴さんだったら近接戦闘型ですし、まずは近づくために必要な立ち回りの練習などでしょうか……」
「なるほどね……確かに、あたしに一番足りてないのはそれね。二人はどうするの?」
鈴に言われてみて、私とセシリアは顎に手を当ててしばらく考え込む。
個別練習で何をやるか、いざ言われてみると中々に答えに窮するものだな……。
「そういうことなら、担任であるこの私も一肌脱ぐのサ」
そうこうして悩んでいると、開けっ放しになっていた扉のほうから特徴的な明るい声が聞こえてくる。
すぐに、声の主は部屋の中へと入ってきた。
「あ、アーリィ先生!? いつからここに?」
「食堂でお前達を見かけてからだナ。気配を消してこっそりついて来たのサ」
「全然気がつきませんでしたわ……」
セシリアの驚き呆れたような声に、私も胸中で頷いておく。
そういえば
「まぁ細かいことはどうでも良いのサ。そんな事より三人とも、強くなろうとしてるんだナ? 担任として、うれしい限りサね。全力でサポートさせてもらうのサ」
「え、でも……教師が特定の生徒に肩入れなんて……」
「ナに言ってんのサ。専用機持ちは持ってない者の模範でなくちゃならないのサ」
鈴の疑問にアーリィさん――いや、アーリィ先生はすぐさま答えを口にする。
それは、私たち専用機持ちの代表候補生は入学前から何度も――それこそ、耳にたこが出来るほど聞かされてきた事でもあった。
「で、でもラウ――じゃなかった、ボーデヴィッヒも専用機持ちだけど、そっちは指導しなくてもいいの?」
「良いのサ。育成には時期ってモノがあると、私は思うのサね」
「時期?」
私には意味が分からなかったので、思わずおうむ返しに口にしてしまう。
「そう、時期サ。一度負けたお前たちなら、今ならその悔しさをバネにして人一倍、強くなれると私は思うのサ。……まぁ例えるなら、骨折したところの骨が前より強くなるようなものサね」
なるほど、な……。
確かに立ち直った私なら、前よりも強くなれる。
今ならもっときつい訓練にも耐え、もっと高みを目指せる――根拠はないものの、そんな確信はあった。
「それに……キミ達を見ていると、どうしても昔の自分自身を思い出してしまうのサ。特に篠ノ之は、ナ」
「昔の……アーリィ先生、あっ」
そうだった。アーリィ先生――
公の場ではいつも「次こそ千冬を倒し、ブリュンヒルデの称号を勝ち取る」といった旨の発言をするくらいには意識していたことから、この人のモチベーションだったことは間違いない。
そのはずなのに。どこかアーリィ先生の言葉には空虚さみたいな、そんなものが含まれている。そんな気がした。
「どしたの、箒?」
「ああ……いや、なんでもない」
「ン、どうしたのサ? まさかエッチなことでも考えてたのかナ?」
「してませんッ!」
思わず怒鳴って返しながらも、胸中では心の中を読まれなかったと少し安堵する。
なにせブリュンヒルデはそれをやってのけるのだから。もしかしたら目の前の
「いいサね? それじゃあ早速、明日からの特訓メニューについて話し合うのサ」
こうして私たちは消灯時間を過ぎても延々と話し合い、その結果――。
アーリィさんともども、寮監の先生に頭を下げる羽目になったのであった……。