目を覚ますと、私の視界には白い天井が飛び込んできた。
「ここは…………恐らく、IS学園の保健室か」
静かな部屋で意識を徐々に覚醒させつつ、一人呟く。
気を失う前の記憶を思い返して照らし合わせてみても、それ以外の選択肢はあり得ないだろう。
「アカツバキ、か……」
そっと、気を失う寸前に思い出した言葉を口にしてみる。不思議なことに、もう頭痛は起こらなかった。
だがその代わり、あんなに鮮明に見えた機体のシルエットはぼんやりとしか思い出せなくなっていたが。
「機体――ISだと分かっただけでも、先に進んだのかもしれないな」
そう口にしつつ、念のため右にあった窓から外の景色を眺める。
そこからは青く輝く海が見え、さらにその先には私たちの住む街の姿があった。
つい二週間前まではあそこに住んでいたというのに、今ではどこか懐かしさまで覚えてしまっている自分に気付く。
まったく、私らしくない……。
「これから先、どうなってしまうのかな……」
両手で布団の端をぎゅっとつまみつつ、一人ごちてから軽く自嘲気味に笑う。
らしくないな。これからどうなるかなんて、本当はある程度予想がついているというのに……。
そんな感じでしばらく一人でいると、少しはなれた位置から「ぷしゅ」という、自動ドアの開く音が静かな室内に響き渡る。
足音はふたつ。あいつらに違いない。
「箒、起きてたんだ」
シャッという音とともにカーテンが引かれて私の目の前に現れた鈴は、目を合わせるなりそう口にした。
「ああ、ちょっと前にな」
「そっか」
軽く微笑みを浮かべて鈴と言葉を交わしているとさらにカーテンが大きく引かれ、セシリアも内側へと入ってくる。
「いきなり頭を抱えて倒れた時は、どうなることかと思いましたが……今は回復なされたようで何よりですわ」
「自覚はなかったようだが、どうも結構疲れが溜まっていたみたいだな……心配かけてすまない。もう大丈夫だ、少し休んだら気が楽になった」
半分本当で、もう半分は嘘。そんな配分で私は回答する。
疲れが取れたこと自体は事実だが、さすがに倒れた原因までをも馬鹿正直に口にするのははばかられるからな。
「ところで箒、今後の予定なんだけどね……。あたしたち、
話がひと段落ついたのを見計らって、鈴が重要事項を伝達する。
果たしてそれは、私の予想通りの内容だったのだが。
「委員会から直々の命令で、私たち三人は入学式までIS学園で身柄を保護するそうですわ」
「妥当な判断だろうな。ここは世界一の堅牢さを誇っているし」
IS学園には教員用の機体や訓練機、生徒の専用機が合わせて三十機近くも配備されており、世界一の保有数を誇っている。
さらに世界各地から将来の国防の要や国家代表、各企業のテストパイロットの卵。そんな人たちが生徒としてやってきているため、セキュリティも頑丈ときている。
加えて言えば、今はそれに
いかに襲撃者が常識の埒外の存在だといえど、さすがにこれでは手出しは出来ないはずだ。
「まぁ、ここにいれば安心だろうな。……そういえば、私はどれくらい眠っていたんだ?」
「おおよそ三時間くらい、といったところでしょうか」
「そうか、ありがとう」
急に気になったので、二人に尋ねてみる。思ったよりかは短いというのが正直な感想だった。
「あんたが眠っている間、あたしも色々と大変だったんだからね? 専用機の登録だとか言われてやったら多い書類の山にサインしなきゃいけなかったり、電話帳みたいな分厚さのマニュアルは渡されるし……はぁ」
「ははは……それは災難だったな」
早口でまくし立ててからため息を吐く鈴に、私は曖昧に笑ってそう返答する。
私は二年前に専用機持ちになったので、もちろんながら経験済みだ。ひどく大変な作業として記憶に残っている。
しかも鈴の場合、専用機――甲龍の出自が不明である。
マニュアルはともかく、書類に関しては私たち代表候補生の専用機持ちとは比べ物にならない分量を書かされたにちがいない。
「わたくしは整備室をお借りしてブルー・ティアーズの修理と、それから本国へ
サイレント・ゼフィルスはイギリスが現在進行形で開発しているISだ。なのに出自は不明ながらも、完成形として目の前に現れた。報告するのは当然といえる。
セシリアはセシリアで、かなり大変だったみたいだな……。
「篠ノ之、起きたか……それに三人ともここにいたか。ちょうどいい」
またもや扉が開く音がし、千冬さんが室内に入ってくる。
「千冬さん……どうしました?」
「ああいや、急に追加で決まったことがあるそうでな。伝言に来た」
追加、か。どんな内容なのだろうか?
皆目検討がつかなかったので、千冬さんの口が開くのをじっと待つ。
「お前たちのクラスの担任だがな。昨年までイタリア代表を務めていたアリーシャ・ジョセスターフとなるそうだ……全くあいつめ、いつの間に教員免許なんかを」
「えっ……アリーシャって、あのテンペスタのアーリィ!?」
私が驚いて声を出せない間に、真っ先に反応したのは鈴だった。
だが、その驚きはただ単に「有名人が自分の担任になる」というだけのものではない。
元イタリア国家代表、アリーシャ・ジョセスターフ――通称「
数えるほどしか存在しない
どちらの大会でも
「でも、あの方は確か、昨年の起動実験で……」
セシリアの言うとおりだった。
アーリィは昨年の末に行われた新鋭機「テンペスタⅡ」の起動実験の際に発生した事故に巻き込まれ、現役続行は不可能な身体となり引退ブリュンヒルデとのリベンジは叶わなくなったはず……。
「確かに、今の私はこんな身体サね。だけど、キミたちの戦ってきた無人機くらいなら軽く捻れると思うサ」
突然声がすると、またしてもドアが開く。
直後、肩から胸元まで露出するように着物を着崩した長身の女性が現れた。
刀の鍔を模した眼帯を右目に着け、右腕は上腕から欠損。白い肌のあちこちには火傷の痕まで存在する、痛々しい姿。
変わり果てていたものの、あのアーリィその人だった。
あまりに唐突な登場に、またも絶句してしまう。
「おい、お前……いつからここに来たんだ?」
「ついさっきサね。まぁ、日本に来たのは二日前で、本当はあと一日くらいは京都観光と洒落込むつもりだったんだけどサ」
左手をひらひらと振って千冬さんに返答すると、私たちのほうを向く。
「春からキミたちの担任を務めることになった『
「えっと、あ……はい! よろしくお願いします!」
「わたくしも、ぜひご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますわ!」
ぱぁっと明るい顔になった鈴とセシリアが、アーリィさんに頭を下げる。
セシリアの場合は同じ欧州人のため、憧れ以上の感情を抱いているのだろうか。鈴以上にガチガチに固まっていた。
二人に「そんな反応されても困るのサ。春からは毎日顔を合わせるっていうのにサ」と軽い感じで返すと、今度は私に目線を合わせる。
「ところでキミが篠ノ之博士の妹さんで、一連の事件の中心にいっつもいる子で間違いないサね?」
「あ、はい。篠ノ之箒と申します」
セシリアたちほどではないにしろ、多少固まった態度で返事をする。やはり私にとっても、彼女は雲の上の存在だったことには変わりはないからだ。
アーリィさんはその言葉にしきりに頷いてから、私に顔を近づけてくる。
「……ところでキミ、好きな人っているサね?」
「はぁ?」
放たれた質問があまりに予想の斜め上のものだったので、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
一体、それが何の意味を持つというのだろうか……?
そう思うと同時に、頭の中では「ある可能性」も浮かび上がってくる。
もしかして、この人はあの夢について知っている……?
もし知っていた場合、何かを得られる可能性はある。
だがその場合、アーリィさんが敵である可能性も十二分に考えられる。 どう答えるべきか……。
「怖い顔サね。ちょっとした冗談だったというのにサ♪」
「…………は?」
慎重にあれこれ悩んでいる最中にアーリィさんから発せられた言葉を聞き、思わずフリーズしてしまう。
「おいお前、からかうのもそれ位にしておけ」
「からかってなんかいないサ。想い人の一人や二人いた方が楽しいし、操縦者としてもいい影響を及ぼすかもしれないから聞いてみただけサ」
「そういうお前はどうだったんだ?」
「ご想像にお任せするサね……それとその言葉はそっくりそのまま、あんたに返すサ。ブリュンヒルデ」
「なんだと貴様」
悪戯っぽい笑顔で、千冬さんをからかう。私と鈴には命知らずの行為にしか見えなかった。
千冬さんはアーリィさんにアイアンクローを仕掛けようとするも、さすがは世界第二位といったところだ。あっさりとかわして入口まで駆け出していく。
「それじゃあ三人とも、またあとでサね!」
アーリィさんは早口でまくし立ててすぐに自動ドアが閉まり、その姿は見えなくなった。
突然現れて、消える時も突然。
二つ名の通り、まるで嵐のような人だな……。
「なんか……テレビで見た印象とは」
「だいぶ、違いますわね」
アーリィさんがいなくなり、にわかに静けさを取り戻した保健室の中。鈴とセシリアがそれぞれ感想を述べる。
確かに、公の場に姿を現していた時のアーリィさんはもっとしっかりとした印象だった気がする……。
「まぁ、あれがあいつの本当の姿だ……さて、そろそろ私もお暇させてもらおうか」
「千冬さん、どこ行くんです?」
「おかしな事を聞く奴だな。私は日本代表で、この学園に所属しているわけではないんだぞ?」
そう指摘されるまで、私は千冬さんがてっきりこの学園に残るものだと勘違いしていた。
何故だか分からないが、そんな確信に近い思いがあったのだ。まあ、上手く言葉にはできないのだが。
「それじゃあな、小娘ども。三年間しっかり勉学に励めよ」
最後にそう言い残すと、千冬さんも部屋から出て行った。
「さて、私達もそろそろここから出ましょっか。箒、今日くらいはしっかり休んどきなさいよ。それじゃ!」
「休むのも、代表候補生の立派な仕事の一つですからね」
鈴とセシリアも部屋から出て行って、ついに完全に静謐を取り戻した保健室の中。
特にやることもないので横になると、私の意識は再び手放されていった……。
◆◆◆
IS学園校舎のすぐ近くの庭園で、一匹の猫が戯れていた。
「お待たせ、シャイニィ」
背後から聞こえる飼い主の声に、猫――シャイニィは振り向く。
そこには隻眼隻腕、赤髪の女性――アーリィが立っていた。
シャイニィは短くにゃあと鳴くと、ぴょんと跳ねてアーリィの腕に乗る。そうしてから、彼女たちはあてがわれた教員寮の一室を目指して歩を進めるのだった。
「ブリュンヒルデ」
誰に聞かせるわけでもなく、世界最強の称号を一人ごちる。
公式でのインタビューや引退会見では、しきりに千冬との再戦について口にしていた。
しかし、実のところアーリィはそこまで彼女との再戦に興味がなくなっている。
(以前の私なら、どうだったのかナ……?)
まるで別人について考えをめぐらせるように、アーリィはかつての自分を思い返す。
とりとめのない事を考えていると、十数メートル先の道を二人の女子生徒が並んで歩いているのを見かける。
背が高い金髪が一人と、小さな体躯の三つ編みが一人。仲睦まじげに談笑しながら歩いている。長期休みにも帰国せずに居残り、切磋琢磨している生徒も少数ながらいるのだ。
「だから、あの合体技はちょっと……」
「いいじゃねえかよ、気にすんなっての」
戦術の話だろうか、なにやら二人して会話をしながら通り過ぎる。アーリィに気付く気配はないようだった。
「ギリシャのフォルテ・サファイアに、アメリカのダリル・ケイシー……まさか、見かけるとは思わなかったのサ」
アーリィはそっと、彼女らの名を口にする。
現IS学園に所属する代表候補生である彼女らは、試作機のテストを任されてこの学校にやってきている。
つまり相当優秀なパイロットであり、次世代の国家代表となることをほぼ約束されたも同然なのだ。
「予想はしてたけど、実際見てみると複雑なモンだネ。こういうのってサ」
だが、アーリィの口調はどこかおかしい。
まるで目の前の存在について語っているのに、どうにも輪郭をつかめていない。どうしようもなくぼやけている。
そんな、言葉だった。
「何でもないのサ、シャイニィ」
じっと主に目を向ける飼い猫に微笑むと、アーリィは再び歩を進めるのだった。
今回で入学前の話は終了です。次回から学園編ですね。