はじまりの日
私は、地獄の真っただ中にいた。
肉の焼ける異臭が鼻腔を、パチパチと脂が燃える音が耳朶をそれぞれ刺激する。
煙を吸い過ぎてむせ返りそうになり、喉を痛める。
目に映るのは、見渡す限りの炎の海と瓦礫の山。
その中に、一人の少年が空から「舞い降りた」。
地獄とは対照的な、大きな翼を持つ白亜の鎧。そんな奇怪な代物を纏った少年はひどく泣きはらし、歪んだ顔を私に向けてくる。
そんな彼がゆっくりと近づいてきて、手を伸ばせば届く位置にまでやってくる。
普段の彼に近づかれるなら、私も本望だ。だが今は、そんな気分にはとてもなれなかった。
泣くな、お前は何も悪くないのに。
胸中に浮かんだ、たったその一言。それだけ口に出したい。
彼が泣いているところを見るのは、私にとって何よりも耐え難い苦痛。そう思えた。だがどんなに頑張っても声を発することはできず、首から下も石になったかのようにピクリとも動かない。
それでも何か、何でもいいから彼の支えになってあげたい。
その思いだけで必死に顔を動かし、なんとか彼に優しく微笑んでみせる。
「ごめん……」
掠れた声で目の前の少年はそう言うと。震える右手で刀を持ち上げて、切っ先を私に向けてくる。
それが意味するところは一つ。
だが、不思議と恐怖心はなかった。
――さぁ、早くやってくれ。これが私とお前の「救済」なのだから。
口には出せなかったものの、少年も私の気持ちを汲み取ってくれたのだろう。
彼は涙をぬぐうと、一瞬目を瞑ってから再び目を見開く。そうしてから刀を振り上げた。
そして……。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
天を裂くほどの絶叫。それと共に、白い光の刃が私の肉体を引き裂いていく。
刹那、涙と血しぶきが私の視界いっぱいに舞いあがる。
どこか儚さと美しさが同居している光景を目にして私は「ああ、これで良いんだ」と安堵し、ゆっくりと瞳を閉じた……。
◆◆◆
「……うき、箒!」
小学校時代からの親友・凰鈴音の声と、頬を軽くはたかれる感覚がして私――篠ノ之箒の意識は現実に引き戻された。
「やっと起きたのね、ったく。こんなところで溺死されたら、こっちがたまったもんじゃないわよ」
「鈴、か?」
まだ寝ぼけ半分の頭を覚醒させながら、周囲を見渡し情報を収集する。
強烈な硫黄の香りが鼻をつき、水音が聞こえる。湯気の立ちこめる湯があたり一面に広がっていることも含めると、ここは温泉であることに間違いはあるまい。
どうやら、あまりの気持ちよさに気を失ってしまったようだ。
(そうだった、卒業旅行に来ていたんだったな……)
先週行われた、中学の卒業式の帰り道。
鈴が商店街の福引で当てたらしく、受験勉強を手伝ってくれたお礼として半ば強引に誘われたのがきっかけだった。
私と鈴は高校も一緒なので、一番誘うのに適していたとは本人の言である。
「もう出たら? 何かおかしいし、顔真っ赤だし。のぼせちゃったの?」
鈴は友人や近しい者に対しては遠慮がない性格をしているため、一気に顔と顔を近づけてくる。その様はどこか、人懐っこい猫を思い起こさせる。
(しかし、いくらなんでも距離が近すぎる。さっきの夢のようだ……)
そんなことを考えだした途端、にわかに顔に熱が帯びていき、思考も定まらなくなってしまう。
「そ、そうだな……いったん外の風に当たってくることにしよう、うん!」
浴槽からあわてて出ると、そのまま一直線に柵へともたれかかる。そこから見える景色は絶景の一言で、緑の芽吹こうとしている山々が連なる様は筆舌に尽くしがたい美しさといえた。
そんな風景を視界に入れながら、あれこれと物思いにふけろうとした。その矢先だった。
「な~に考えてんのよ。もしかして、好きな人のこととか?」
「う、うぇぇ!?」
背中から悪戯っぽい声と湿った人肌のぬくもりが唐突に感じられたため、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
慌てて振り返ってみると、素っ裸の鈴があくどい笑みを浮かべて私に抱き着いていた。どうやら私の背後を足音も立てずにストーキングしてきたらしい。
「あんたもしかして……いや、ごめんね。あたしそういう趣味はないから」
「何の話だ、おい!?」
勝手に一人で邪推し声を荒げる。だが思い返すと、そうとられても仕方のないことばかりとっていたとも感じていた――鈴が顔を近づけた際、夢の内容を思い出して真っ赤になったのは特に失態だったと思う。
全く、なんとタイミングの悪い……。
「分かってる分かってる、ホントはそんなことないってことくらい、ね?」
「本当に分かっているのか!?」
「まぁ何はともあれ、こんなとこで辛気臭い顔はナシで……しょっ!」
文句を口にする私をよそに、鈴はその手を私の胸へとゆっくりと向けていく。そして――。
「お、おい鈴……! 風呂場でそんなこと。というかお前、どこ触って……!」
「ちょっとあんた、またおっぱい大きくなったんじゃない?」
鈴の手がワキワキと私の胸の上で動く。こいつめ、私がコンプレックスにしてるのを知っている癖に……!
もういい。目には目を、だ! こいつの痛いところを突いてやる!
そう決心してから振り返り、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら口を開く。
「背中越しでも、お前のつるぺた体系は目に見えるようだよ。小学生のころから進化してないんじゃないのか?」
「~ッ、うっさい! このホルスタイン女ぁ!」
仕掛けた側が返り討ちに遭い、涙目で引き下がるというのも何とも情けない話ではある。そしてそのまま、鈴は脱衣所まで一直線に逃げるようにして去っていった。
「やりすぎたか……?」
しばらく考えてからまた湯に浸かり、ゆっくりしようと思った。だが、頭の隅から涙目の鈴の姿がいつまでも離れない。どうにもあいつを放っておけるほど、私は鬼にはなりきれないようだ。それに一人でずっと入っていられるほど、私は特別温泉が好きというわけでもない。鈴の後を追い、私も温泉から出て脱衣所へと繋がる扉を開く。
すると、あいつは変なものを見るような目で私を見てきた。
「あれ、もういいの? あんた堅いってか……その、年よりくさいからさ、もっと長くいるもんだと思ってたのに」
「お前がいないのに入ってても、そんなに楽しくないからな」
「……やっぱあんた、そっちの趣味があるんじゃ、痛っ!」
「調子に乗るな」
流石にこの話を蒸し返されるのは勘弁だったので、軽く頭をはたいてから浴衣に着替える。普段から寝間着として着ている私にとって、浴衣の着付けなんてものは身体に染み付いている――それこそ、普通の洋服を着るのとそう大差はないと言っても良い。
だが鈴はそうでもないようで、帯を持ちながら悪戦苦闘している。もたついているところを見ると「鈴ってそういえば中国人だったな」と今更ながらに感慨深いものを感じてしまう。
しばらく右往左往した後、鈴は若干涙目になって私に助けを求めてきた。
「……箒ぃ、着付けて」
「まったく、言うと思った。仕方のないヤツめ」
呆れ笑いを浮かべつつ、帯を受け取って鈴に着せていく。スリム――悪く言えばちんちくりん――の鈴の身体は、思った以上に着せやすかったのは胸のうちに秘めておく。
「ほら、これで終わりだ」
「よしっ、じゃあ早速行こっか!」
軽く背中を叩き鈴を一歩前へと移動させた直後。ぱぁっと明るい笑みを浮かべた鈴はそんなことを言ってきた。さっきまで涙目になってたのはまるで嘘のようだ。本当に感情の切り替わりの早いやつである。
「行こうってどこへ?」
戸惑いながら私が当然の疑問を口にすると、あいつは「どこでもいいじゃない、そんなの」と言ってそのまま脱衣所を後にした。
(まったく、本当に仕方のないやつだ……)
その小柄な背中にほんの少しの間だけ呆れ笑いを送ってやってから、私は鈴の背中を追いかけることにした。そうして歩くこと数分ちょい。着いた先は土産屋だった。
どうせ明日には帰るのだから、その時に買えばいいのにとは思ったものの、もう着いてしまったものは仕方がない。なので適当に商品を眺めていると、鈴の声が耳に入ってきた。
「ねぇねぇ箒、これって似合うと思わない?」
はしゃぎ声を響かせながら、鈴が未購入のブレスレットをつけて私に見せる。黒とピンクのツートンカラーのそれは、確かに鈴に似合っていた。
よほどお気に召したようで、今日一番の笑みまで浮かべている。まるで運命の相手でも見つけてきたかのようだ。
「ああ、確かにな。これをつけて五反田に見せてみたらどうだ? 案外ころっと落とせるかもしれんぞ」
「弾? バカ言うんじゃないわよ、何で星の数ほどいる男の中からあいつを選ばなきゃならないのよ」
「ひどい言い様だ」
あまりにもな物言いに、私は苦笑しながら返す。私も五反田は眼中になかったが、それにしたってさすがにこの言葉には少し同情せざるを得ない。
「箒はその胸を最大限利用すれば、彼氏くらい余裕でゲットできるんじゃない?」
「そんな男は願い下げだ」
また私のコンプレックスを――とは思ったものの、さっきの返答は無意識だったとはいえ鈴のコンプレックスを刺激しているのに等しい。お互い様と言うものだろう。
それに何より、天丼ネタはもうごめんだ。小学校時代にこいつと会ってから、何度同じやり取りをしたことか――!
鈴もそう思っていたようで、やけに気まずい沈黙が土産屋の中を満たしていく。
さすがに何とかしなければ。そう思った私は、鈴が腕からはずして棚に戻したブレスレットを間髪入れずに拾い上げてレジへと向かう。
「え、ちょっと箒」
「誘ってもらった礼だ。これくらいプレゼントさせろ」
「でもこれ、結構いい値段するわよ?」
「問題ない」
にやりと笑いながらそう言うと、有無を言わす暇を与えず購入。代表候補生である私にとって、この程度の出費など屁でもない
飛行パワードスーツ・
宇宙開発を目的として開発されたそれは「数世紀先をいく」と専門家に言わしめる性能を誇り、様々な用途で使用されている。
災害救助、国防、深海探査――そして花形とも言える、スポーツ競技。
数年おきに開催される
私はそんなISの国家代表の卵、代表候補生なのだ。少なくない給料を支払われている。
「へへ、ありがと箒。必ずお返しするね」
「お前が代表候補生なり、どこかの企業所属になったときで良いぞ……なれるならな」
悪どい笑みをわざと作って煽りながら、鈴に買ったばかりのブレスレットを手渡す。こいつのことだ、素直に「なれるさ」とかいうよりよっぽど嬉しいはずだ。
実際鈴は、その負けん気の強さだけで、私の進学先であるIS学園――ISについて学ぶ世界唯一の学校である――への切符を手にしている。倍率はゆうに一万倍を超え、小学生のころから準備する奴の多い学校に一年足らずの猛勉強で入ったのだ。こいつの根性は並大抵のものではないだろう。
そんな彼女がIS学園に入るのだ、いやでもスカウトの目にはつくに違いない。
「言ったわね箒! いいわよ、絶対プロになってやるんだからね!」
「ああ、楽しみだなそれは……大会とかの大舞台で、お前を負けしたらさぞかし快感だろうしな」
「そいつぁこっちのセリフだっての!」
早速私の手から乱暴にブレスレットを受け取ると、鈴はやはり乱暴に腕へとはめていく。その声はかなり上機嫌であり、やはり私の判断は間違っていなかったのだなと思うとこっちも笑いがこみ上げてくる。
そんな風に二人で笑いあってから、私たちは一緒に部屋へと帰っていった。
◆◆◆
それから数時間後。
明かりを消した部屋の布団の上で、私は寝付けずにいる。寝ようとすると昼間見たあの夢の事がフラッシュバックしてしまい、どうにも目を閉じる気になれないのだ。
「昼寝で見るのは、今日が初めてだな」
あの夢を最初に見たのは、私が十一歳になった日。つまり、四年前の七夕の日だった。
内容はいつも同じ。地獄のような場所で、石化したかのように動けなくなった私を、泣きながら少年が斬り殺す。
ただそれだけの、ある種シンプルとさえいえる内容。
最初に見たときはあまりの内容に思わず泣いてしまったが、不思議と嫌悪していない自分も同居しているのにも気づいていた。
やがて中学にあがるころになると、もう恐れを抱くことはなくなっていた。
最初は「成長し、夢を夢と分別が付くようになっただけだろう」と思ったものの、すぐにそれは違うというのは分かった。
なにせ私はあの少年に対し、なんともいえない暖かな想いを抱いていたのだから。
頭が変になったのかもしれない。何度も何度もそう思った。
一度自己分析をやってみて、お姫様願望なのではないかと結論付けた事もある。
だがそれなら何故斬り殺される? という面が引っかかる。もしそうなら、斬られる事を私が望んでいるはずはないだろう。
「矛盾だらけなのも、所詮夢だし仕方ない」と結論付け、気にしないようにした事もあった。
けれどもこう何度も何度も見せられてはとても「気のせい」などとは思えなくなっている。
「酢豚……あたしの、元気の源……」
背中越しに突然声が聞こたので、ゆっくりとそっちを向いてみる。そこには涎をたらしながら気持ちよさそうに寝ている鈴の姿がある。その顔は私にとって、どこか羨ましかった。
「もしこいつが、あの夢を見ていたらどうするんだろうな……」
能天気な寝顔を見ているとふと、そんな考えが頭に浮かんできた。さばさばした性格の鈴のことだ、まったく気にしないのかもしれないし、逆に気にしすぎてしまうのかもしれない。どっちにせよ感想の表現が大きいことは想像に難くない。
ただ、鈴の場合は私と違い、すぐに誰かに頼っているんだろうなとも思う。こういう時無駄に腰が重いというか、だれにも頼らず悶々としてしまうのが、私の悪い癖だと自覚はしている。
「いっそこいつなり、姉さんなりに相談してみるか……」
鈴はともかく、非科学的の一言で門前払いされてしまうかもしれないと思って姉さんには相談できずにいた。そうやって勝手に思い込むのもよくないかもしれないし、第一そういわれるだけでも気が楽になるかもしれない。
「意外と臆病なのかもな、私って……」
勝手に一人でそう思い、くすりと笑っていた時だった。突如背中に悪寒が走る。
その原因を探ろうと耳を澄ませると、遠くの山から聞こえてくる音がおかしいことに気が付いた。もう夜も深いのに鳥の鳴き声はせわしなく聞こえ、それから程なくして羽音も旅館まで届いてくる。
それからほどなくして、飛行機が空気を切り裂くような音も聞こえてきた。そのボリュームはだんだん大きくなってきているところを見るに、「何か」がこの旅館に近づいてきている。それは間違いなかった。
「まさか、この音は……?」
確証はなかったが、その音は私がよく聞きなれている音――「あるモノ」の飛行音――に酷似しており、背筋を伝う悪寒はその音が大きくなるにつれ、どんどん強くなっていく。
「鈴、頼むから起きてくれ」
「……思考回路がショートする……」
あわてて布団から上体を起こし、鈴の肩を揺らして起こそうとする。しかしながら、二年前の流行りを寝言で口ずさんでいる親友を現実に引き戻すことは叶わなかった。こんなことをしている間にも、音はどんどんと大きくなっていく。
もはや鈴を起こしている時間はない。
そう判断した私は布団から跳び上がり、そのまま窓際へと向かって景色を眺める。月明かりに照らされた山の上には私の予想通りのものが浮かび、しかもそれはこちらに近づいてきていた。
全身に機械を纏った、人型の飛行物体――すなわち、IS。
「来い、打鉄ッ!」
窓から勢いよく飛び降り、懐から取り出した銀色の鈴が付いた紐に強く意識を向ける。
刹那、私の身体は光に包まれ、一瞬のうちに戦国時代の甲冑のような装甲を纏った姿となる。安定性に優れた日本製第二世代『打鉄』。これが私の専用機だ。
代表候補生の中でも、時期代表を有力視されている者にはISを専用機として与えられる。実験機やワンオフ機を支給される場合もあるが、私の場合はただの量産タイプの機体だ。
展開が完了するとともに、私の身体は空を自由自在に飛びまわれるようになる。重力の鎖を軽々と振り切りながら量子格納されていた近接ブレード――早い話が日本刀だ――をコール。虚空に粒子が舞い、次の瞬間には右手に刀が握られる。
一昔前なら「SFの話」で片づけられた技術が、普通に搭載された兵器。それがパワードスーツ・ISである。
そんなものを倒せるものは限られており、基本的には同じISのみ――つまり、この場であれを倒せるのは私だけなのだ。
「はぁぁぁぁッ!」
私の実家がやっている剣術の技を容赦なく敵の胴体に浴びせ、そのまま振りぬく。
本来なら「絶対防御」というシステムが働き、シールドエネルギーと呼ばれるものが減少するだけで、見た目には何の損傷もないはずなのだが……、
「き、機械だと!? そんな馬鹿な……」
絶対防御は働かず――というより、最初から搭載していないかのように――そのままクリーンヒット。そして損傷部からは機械の配線が露出する。
(まさか……無人機!?)
理論上は提唱され、姉さんが作った試作機も見たことがある。
だがそれは到底実践に耐えうるものではないと結論付けられていたはずだ。何故そんなものの完成系がここに存在し、しかもただの旅館なんかを襲っているのか。
余りに現実離れしすぎる光景を前に、私の頭はどうにかなりそうだったが、隙を見せるわけにはいかない。後ろには守るべき親友がいるのだから。
すぐさま刀を握る手に再びあらん限りの力をこめ、目の前の敵を凝視する。
相手のカメラアイは時折不気味に赤く点灯し、私を凝視し返す。まるでこちらの心の奥底を、覗き込むかのように。
睨み合う時間がどれだけ続いただろうか。急に敵は左腕を上げ、私ではない方向へと向ける。手に付けられた砲口の先にあるのは、旅館の建物――それが何をするかは、明らかだった。
「やめろ、あそこには鈴が……ッ!」
私の叫びは、無慈悲にも放たれた光の凶弾が放たれる轟音にかき消される。木造建築がビームに耐えられるはずもなく、一瞬で穿たれた大穴から勢いよく炎が吹き上がる。
直後、人々の悲鳴が夜の山に木霊した。
「貴様、どういうつもりだッ! 狙いは私の打鉄じゃないのか!?」
蛮行が許せないのもあった。だが、敵の目論見が分からない不気味さに憤っている割合の方が大きかった。なにせこんな辺鄙な山奥でISを持ち出してテロを行う理由など、私の持つISの奪取くらいしか考えられなかったのだから。
しかし、奴は迷いなく無関係な人間を襲った。
鈴は無事なのかといった心配を始めとする様々な考えが頭の中を埋めていったが、なんとか雑念を振り払おうと努める。
「今は余計なことを考えるな。まずは――奴を!」
いったん距離をとってアサルトライフルをコール、そのまま引き金を引く。
興奮状態にあったため、全弾命中はしていたかどうかは分からない。だが大部分は奴に直撃したと思われる。にもかかわらず、奴は怯みもせずにそのまま空中に立っていた。その様子から察するに、とても効いているようには見えない。
それが余計に、私の焦燥を煽り立てた。
このままでは、勝利する頃には日が昇ってしまう……!
そんな焦りが、隙を生んだ。
いつの間にか距離を詰めてきた敵の太い腕が私の頭上に位置取っていたのだ。そのまま腕は振り下ろされ、私は地面に墜落。小規模なクレーターを地面に形成する。
「くそッ……」
恨み言を口にしつつ起き上がり、慌てて体勢を整えようとした――だが、時すでに遅し。
敵は両腕を前に突き出し、砲口をこっちに向けてきていた。既に光を帯びており、発射まで数瞬といったところだ。
打鉄がウィンドウに「あの攻撃を受けたら命はない」という旨の文言を表示させてくる。
だが、もはや避けるタイミングなどない。
つまり、絶体絶命だった。
「すまない、鈴……」
最早詰んだ。後は武士らしく潔く目を瞑り、静かにその時を待つ。
――だが、いつまで経っても意識がある。打鉄を身体に纏っている感覚も残っている。
流石に「何かおかしい」と思って目をゆっくりと開いてみる。
すると、そこには異常な光景が広がっていた。
最初に目に飛び込んできたのは、眩い光だった。
それは敵の放ったビームの赤紫色と、純白の翼を広げたISがかざす、左手のエネルギーシールドの光が混じったもの。
「おと、こ?」
私を庇ってくれたそれはISに違いない。
だって、ISの攻撃はISでしか防げないのだから。
だが、纏っている操縦者の体つきや剥き出しの顔は明らかに男のものだった。
ISは女性にしか操れないという欠陥があるにも拘らず、だ。
敵のビームが途切れると、ありえないはずの存在である男性操縦者はシールドを消し、代わりに剣を右手に呼び出す。そこからは一瞬だった。
男は
それを無言のまま見届けた男はそのまま翼を広げると、夜の山へと飛び去っていった。
私はただ、彼を見ているだけしか出来なかった。
男の操縦者だったと言うのも驚きだが、それ以上に私が驚いたのは「その男の顔」だった。
彼が倒れる私を一瞥した際に見せた顔。それに私の意識の大部分は釘付けになってしまっていた――なにせその顔は、私の良く知っているモノだったのだから。
そう、夢の中で毎晩のように見ていた、あの顔。
それが手の届く範囲に、肉眼で見える先に――いる。
「あ……」
彼の顔を見た途端、様々な感情が浮かんでは消えていく。
何でかは分からないが嫉妬に似た怒り。
胸を突き刺すような悲しみ。
会えた、という喜び。
そして――胸の奥が熱くなるような、なんとも形容不可能な、ぐちゃぐちゃな感情。
それらが一瞬のうちに心の中を支配し、そしてごちゃ混ぜになって私の理性をかき乱していく。
「……まって、くれ!」
ようやく正気に戻った私はそう叫びながら、男の去ったほうへと手を伸ばす。
だが、その手に何も掴むことはできなかった。
疲れからだろうか、その直後私の身体は指一つ動かせなくなり、視界は徐々に暗転していく。
現実に、あいつが。また私の目の前に現れたのに。これではまるで、夢の、時と…………。
おぼつかない思考を最後に、私は意識を手放していった。