ビーデルさんの実力は、私が想像していた以上のものだった。
彼女が繰り出す技はどう見ても父親のミスター・サタンのそれよりも強く、私が普通の人間だった頃よりも遥かに上だと見受けられる。
舞空術も完璧にマスターしている様子で、二人が繰り広げる激しい空中戦には観客のみんなも度肝を抜かれたことだろう。
だが、相手はあの孫悟飯だ。彼は彼女の技の全てを完璧に受け止めた上で、突き出した張り手の一つで彼女の身体に傷一つ付けることなく、場外勝ちを収めてみせた。
優しい彼らしい、極めて穏便な幕引き方だったと私は思う。
「ビーデル選手場外! グレートサイヤマン選手の勝ち!」
レフリー兼司会者のおじさんが勝敗を言い渡し、場内にどよめきが走る。
あのミスター・サタンの娘、ビーデルが負けた――その事実が、彼らの心に衝撃を与えたのであろう。
「いいぞー! グレートサイヤマーン!」
「格好はだせーが、すげぇじゃねぇか!」
「ビーデルさんもナイスファイトだったよー!」
試合中、悟飯は気攻波の類を使わなかったからか、今の彼の勝利をトリックだなんだと言い掛かりをつける声は聞こえてこなかった。
それはここに居るみんなが、ちゃんと悟飯の力を認めてくれたということだ。
そして、ビーデルさんも。
ここからでは当事者たる彼らの声は聞こえないが、悟飯は場外に突き飛ばしたビーデルさんの元へ心配そうに駆け寄り、ビーデルさんはそんな彼に何か言っている様子だった。
それは悔しそうだけど、晴れ晴れとした、もやもやから吹っ切れたような、綺麗な顔だった。
「ふっ……アイツも俺達のことは気にせず、始めから話しておけば良かったものを」
聴覚が私達よりもずっと鋭いピッコロ大魔王さんが彼らの会話を聞いたのか、私の後ろで腕を組みながらそう呟く。
彼らが何を話していたのかは私も興味があるが、ここでそれを訊ねるのは野暮というものだろう。
ただ。
「そういう謙虚なところに惹かれるんですよ、私達女の子は」
「……よくわからん」
ともあれ、二人の試合が無事に終わって何よりだ。
もしかしたら悟空さんのように悟飯までこの会場で結婚してしまうのではないかと疑っていたけれど、流石にそうはならなかったようだ。
「二人とも、お疲れ様」
「あ、どうも」
「疲れたのは私だけよ。理不尽よね、ホントに」
控え場所へと戻ってきた二人を出迎えると、悟飯とビーデルさんから口々にそう返された。
確かに限界を振り絞って戦っていたビーデルさんに対して、悟飯は息一つ乱していない。そもそもが力の差が大きすぎるのだ。今この試合で見せた実力の一端でさえ、私の見立てでは彼本来の力の一厘にすら満たないのだろうから。
それほどまでに彼女らの常識と彼らの力は、あまりにも理不尽な開きがあった。
「……今度、パパと戦ってみるわ」
「うん、それが良いと思うよ」
私の隣に立ちながら、ビーデルさんが言った。
父親と、ミスター・サタンと戦ってみる。それは実に適確な行動だと思う。実際に戦ってみることで彼の本当の実力をはっきりと体感することが出来るし、今まで実の娘に嘘をついていたことに対しても怒りの拳をぶつけることが出来る。ビーデルさんにとっては一石二鳥だ。
二人の仲が悪くなってほしいとは思わないが、喧嘩の一つぐらいなら私にも止める理由は無かったし、そんな筋合いも無かった。こればかりは、人様の家庭事情だからね。
アグレッシブな発言に目を細める私に、ビーデルさんは続けた。
「それと、貴方も悟飯君と同じぐらい強いっていうのは本当なの?」
「ん? 悟飯がそう言っていたの?」
悟飯の強さを知った今、彼の周りに居る人間も同等の力を持っているのではないかと。私とベジータに関しては予選でパンチングマシンを破壊した姿を思い切り見られている分、そんな考えが浮かび上がるのも至って普通の話だった。
しかし、私の強さか。
正直言うと、私もあまりよくわからない。どうなんだろう? ベビーとくっついていた頃だったら、確かにあの時の悟飯よりも上だったと思うけど、半分に分かれた影響で力が弱くなった今となっては難しいところだ。
それでも三年間大界王星で修行した分、力の使い方自体はあの時よりずっと上手くなったと思うけど……相対的に見れば、私が三年前に比べて弱体化しているのは間違いなかった。
私の中に残っているツフル王の知識を使って、「スカウター」っていう人の強さを数値化する機械を作ってみたこともあったけど、私のアレは戦闘力十万ぐらいまでしか測れないから、あまり役に立たなかったし。
そのスカウターの測定によると私の戦闘力は十万以上は間違いないみたいだったけど……そもそも戦闘力の基準がよくわからないし、悟飯と比べてどうなのかと言えばさらによくわからなかった。
なので、取り敢えずお茶を濁してみた。
「……だったら、どうする?」
「正直、キツいわね……」
「大丈夫だよ、彼は強さで人を見る人じゃないから」
「随分余裕そうじゃない。強者の余裕っていうの、それ」
「そう見える?」
「見えるわ。すっごく」
質問の意図を推理すると、彼女が本当に気になっているのは私の強さというよりも、私と彼女の実力にどこまでの差があるかということなのだと思う。
彼と出会うのが自分よりも早くて、自分よりも彼に近い実力を持っている。そんな人間が恋敵ともなれば、不安にもなる筈だ。……真剣にこちらを見つめるビーデルさんの目に、私は今の彼女の心情を悟った。
「本当に惚れちゃったんだね。彼に」
「……そうかもしれないわね。少なくとも、こんな気持ちになったのは初めてだわ」
「そっか……」
彼女の不安はわかる。そして、彼女にとって私という存在がいかに厄介な異物だということも。
この世に戻ってきたことを失敗したとは思いたくないけど、ちょっと入り込み過ぎてしまったかな、彼女の世界に。
……なんていうか私も、どこかおかしくなっているのかもしれない。この世に触れて、生きている人達に触れて。
「……大丈夫だよ、ビーデルさん」
そんな私の口から言えるのは、せめて今を生きている彼女の心に、死人である私の為に不安を残さないであげることだけだ。ここまで引っ掻き回してしまっては、今更遅いかもしれないけどね。
「明日から私は、また彼の前から居なくなる」
「……え?」
だから私は、はっきりと言っておくことにした。
彼女の不安を払拭してあげる為。そして、私自身の心に完全に決着をつける為に。
「私はね、死人なんだ」
私、ネオンは死人であること。
私が今ここに居られるのは界王様方上の世界の人達の温情と、占いババ様の力、そして孫悟空さんの気遣いの為にほかならないのだと。
私にとってこの体験は、言わばボーナスステージみたいなものだ。私の人生は悟飯に救われた時点でとっくに完結していて、以後は存在していない。なんだかビーデルさんの悟飯への気持ちを知って、今までよりその気持ちが強くなった気がする。
……だから、決めることにした。
この一日が終わったら、私はこの生命をやり直そう、と。
第三試合、孫悟空対ベジータ。多くの人達にとっては無名の選手同士の試合――それも、悟空さんだって前々回の大会で優勝しているのにおかしな話だけど――だが、彼らを知る人達からしてみればこの試合における真の優勝候補者同士による事実上の決勝戦のようなものだろう。
だけど超サイヤ人にならないという悟飯の提案に二人が大人しく従えば、優勝候補筆頭は18号さんかピッコロ大魔王さんになるのかな? ……いや、悟空さんだって超サイヤ人がなくても界王拳があるし、やっぱり悟空さんになるのかも。
それはともかくとして、とにかくこの一戦は、私達のみんなが注目している特別な試合なのだ。
悟空さんもベジータがどれだけ強くなったか楽しみだって言ってたし、ゴングが鳴る前からも戦闘態勢に入っているベジータの方は言わずもがな。二人にとっても、間違いなくこの試合は特別な試合だった。
「待っていたぞ、この時を……ずっと、待っていた!」
そう叫び、ベジータがいきなり「気」を解放する。
彼がどれだけ悟空さんに執着しているのかは、私もよく知らない。だけど彼が他の誰よりも、一番悟空さんと戦いたがっていたのは試合前からも明らかなことだった。
「腕上げたみてえだな、ベジータ。オラも楽しみだ」
はあああっ! と悟空さんも「気」を上げる。
二人共超サイヤ人にはなっていないし、まだまだ素の状態としても全力にはほど遠い。戦いを始めればさらに二人の「気」は跳ね上がるのだろうが、張り詰めた空気の震えは既にこの場所にも伝わってきていた。
「そ、それでは第三試合、孫悟空選手対ベジータ選手! 始めてくださ~い!」
レフリー兼司会者のおじさんがそう告げると同時、武舞台の中心部が丸く削れ上がり、そこにはお互いの拳と拳をぶつけ合う悟空さんとベジータの姿があった。
「始まったな……」
「ああ、流石にレベルが違うよな、あの二人は」
縦横無尽に武舞台上を駆け、熾烈な格闘戦を繰り広げる悟空さんとベジータ。その緊張はこちらにも伝わり、クリリンさんとヤムチャさんから息を呑む声が聴こえてくる。
確かに……流石だ。「気」の強さはまだまだ本気を出していないみたいだけど、洗練された格闘技の数々はたった数年齧った程度の私とは比べ物にならない。
純粋なサイヤ人同士の戦い……と言っても彼らは特別中の特別だけど、二人の体捌きは見ているだけでも非常に参考になるものだった。
「凄い……」
「ええ、本当に凄いです! 二人の戦いが見られるなんて。悟天達も見てくれてるかなぁ」
二人による超次元の戦闘を間近に見て、ビーデルさんからは凄いとしか言葉が出てこない様子だ。
悟飯の方はというと七年ぶりに見たお父さんの戦いに興奮しているようで、どちらも一瞬たりとも会場から目を離さなかった。
二人の高度な戦闘技術を見ているだけであっという間に数分の経過したが、戦いは今のところ完全に互角だ。
そして私はベジータが戦闘中、まだ得意の気弾攻撃を使っていないことに気づいた。
その理由はまだ様子見の段階だからか、それとも……
「ベジータの奴、周りへの被害を気にしているのか」
ピッコロ大魔王さんが、苦笑を浮かべながら呟く。
……いやまさか、ベジータに限ってそんな理由で全力を出さないなんて有り得ない。
そう思った私だけど、次の瞬間、ベジータが悟空さんに向かって気攻波の構えを取ったと思えば、舌打ちしてすぐに構えを解く姿が見えた。
「まさか……! いや……ああ、なるほど」
そんな馬鹿なと私は自分の目を疑ったが、よく見ればその時彼の視線の先には観客席に座っているブルマさん達の姿があったことがわかった。
彼は決して良い子ちゃんじゃないけれど、家族に対する愛情は確かに持っている人だ。それは三年前、彼の息子を殺そうとした私に怒って向かってきた時も同じだった。
大切な家族も居るこの武道会場では、彼も昔のようには非情になれないということだろう。
何だろうな、この気持ちは。昔だったら憎しみを感じていたところだろうけど、今はそんな彼の変化が嬉しい。
「でも、そうなると悟空さんの勝ちかな、この試合」
しかし気攻波を思うように撃てないという条件は悟空さんも同じだが、そうなるとやや悟空さんの方が手数で上回っているように見える。
その分析は間違っていなかったようで、しばらく互角に繰り広げていた試合は徐々に悟空さん側が優位になっていき、ベジータの方が劣勢に追い込まれてきた。
そして。
「界王拳!」
悟空さんの纏う「気」の光が赤く染まり、さらに速度を上げた悟空さんの蹴りがベジータの身体を吹っ飛ばした。
そう、超サイヤ人にならなくても、悟空さんには超サイヤ人のように戦闘力を飛躍させるこの技がある。後ろで「そうだ! 界王拳があること忘れてた!」と、すっかりその事実を忘れていたらしい悟飯が失念の声を上げていた。
まあ、超サイヤ人があれば界王拳は必要ないから、しばらく使っていなかったのだろう。ただでさえ悟空さんがあの世に行って七年が経っているし、悟飯が忘れていても無理はなかった。
界王拳は悟空さん自身の技だから、この試合で使ったことに何もやましいところは無い。しかし自分がパワーを思い切り制限している中で堂々と「気」を底上げする悟空さんを見て、とうとうベジータの頭の線がぶち切れたらしい。
「クソッタレがぁっ!」
武舞台上に着地したベジータが、その瞬間、「気」と髪の色を黄金色に染め、踏ん張った足場に大きなクレーターを作った。
超サイヤ人への変身――まあ、最初に約束を破るのは彼だろうなとは思っていた。
「あーあ……完全にばれちゃうなぁ、「あの時の奴らだ」って」
金髪碧眼の姿となったベジータを見て、観客達も思い出したのだろう。セルゲームの時にテレビに映った、金色の戦士達のことを。
歓声はざわめきに変わり、その様子を見て悟飯も頭を掻いた。
「まあ、もしものことがあったらドラゴンボールがあるじゃんか。そんなに気にするなよ、悟飯」
「それは、そうですけど……」
気苦労が絶えない様子の悟飯を見かねてクリリンさんが楽天的に声を掛けるが、出来れば目立ちたくなかった悟飯としては不本意な形であろう。
私としては元々無理があったんだって諦めるしかないと思うんだけどね……彼らほどの力を持ちながら静かに平穏に暮らしていくなんて、結局はある程度の妥協点を見つけて折り合いを付けていくしかないと思う。
彼ほどの人間なら周りからあることないこと騒がれようと関係なく、学者の夢を叶えられる筈だと私は信じていた。
――と、その時だった。
「ん?」
「どうしました、ネオンさん?」
武舞台の外れの端から、確かスポポビッチとヤムーって言ったかな? スキンヘッドで筋肉ムキムキな二人が、何か変な機械を持って舞台会場へと飛び出そうとする姿が見えた。
あの二人は、何をするつもりなんだろうか。もしかしてトイレとか? しかしそっちは試合中の選手以外は立ち入り禁止なので、見つけてしまった以上は黙っているわけにはいかなかった。
「そこの二人、トイレはそっちじゃないですよ」
そう言って私は「瞬間移動」を使って二人の前に回り込み、彼らに方向転換を促すことにした。
驚かせるつもりはなかったんだけど、突然目の前に現れた私の姿を見て二人は口をポカンと開けて硬直していた。
ビッグゲテスター式の瞬間移動能力――実は今でも、この程度の能力なら使えるんだよね。
七年間待ち続けてきた宿敵を前にして力をセーブしなければならない状況への怒りから、とうとう我慢しきれず超サイヤ人になったベジータ。
「ベジータ、おめえ、それはちょっとずりぃんじゃねえか?」
「うるさい! 俺にとってはそんなものはどうでもいいことだ!」
そもそも彼には、悟飯に言われたルールに従う理由など無いのだ。
自分が超サイヤ人になることで周りの人間がどうなろうと、何を思おうと、彼にとってはどれも気にする必要のないことだった。
「俺は貴様と徹底的に戦う為に、こんなくだらん武道会に出たんだ! 他の奴らのことなど知ったことか!」
そう、全ては今日この一日で、永遠に会えないと思っていた宿敵を倒すことにある。
ベジータがここに居る理由は、ただそれだけであった。
「貴様はっ! 貴様は俺を超えやがったんだ! 圧倒的な力を誇っていた王子である、この俺の強さを超えたんだ!!」
この地球での生活で穏やかになってしまった自分が気に入らない。そう思う一方で、悪くないと考えている自分も居た。
こんなものはサイヤ人の王子ではないと苛立ちながら、しかし妻や息子を失いたくないという人並みの心を持つ自分自身も確かに存在している。
戦いには邪魔なものの筈だった。全ては必要のないものの筈だった。
そんな自分にしてしまった元凶とも言える人物が目の前に立っている今、ベジータはその感情を抑えることなど到底出来なかった。
「き、貴様に命を助けられたこともあった……! 許せるもんか……! 絶対に……っ!!」
だからこそ、今ここでベジータは怨嗟の叫びを叩きつけた。
ここからは、昔のように甘さを一切捨てて戦う。それが超サイヤ人への変身という、彼の決意の表れでもあった。
「……おめえは、そんなにまでオラと決着をつけたかったんだな」
「時間が限られているんだろう? ……貴様も、お遊びはやめて全力で来い。でなければこの俺が、地球をぶっ壊してやる!」
どこまで本気で言っているのか、観客を人質に取ったかのような言い回しのベジータに、悟空が笑う。
今更ベジータに地球をどうこうする気が無いことなど、先ほど気攻波を撃てなかった様子から悟空の方とてわかっていた。
ただベジータは、そう脅すことによって最初に戦った時と同じ状況を演出し、悟空に実力の全てを出してほしかったのである。
本気同士でぶつかって、徹底的に戦いたい――同じ純粋なサイヤ人の血を持つ戦士として、悟空にも彼の気持ちは十分に伝わっていた。
故に。
「はああっ!」
悟空の髪が逆立ち、黄金色に染まる。
超サイヤ人――覚悟を決めた宿敵の姿にベジータが笑み、悟空が唖然とした顔で二人の様子を眺めているレフリーへと言った。
「わりいなおっちゃん、オラ達、棄権でいいや」
「え?」
とことんやると決めた以上、このフィールドは脆く小さすぎる。
天下一武道会の主旨からは大きく外れることになるが、既に優勝経験のある悟空にとって、この大会自体へのこだわりは然程残っていなかった。
孫悟空の望みは、いつだって「強い奴と戦いたい」ことにあるのだから。
「着いてこい、ベジータ!」
「ふん……見せてやる俺の本領を!」
金色の戦士と化した二人が猛スピードで武舞台から飛び立つと、一瞬にして遥か彼方の空へと消えていく。
その結末にクリリン達を含む全員が呆気に取られてしばらく経ち、レフリーの口から二人の棄権失格が言い渡された。