……案の定と言うべきか、予選が始まれば思った通りパンチングマシンは木っ端微塵に吹き飛んでいった。
やったのはもちろんベジータだ。悟空さん達は上手いこと手加減して200前後の数値に落ち着かせていたが、ベジータにそんな配慮は無かったらしい。
まあ、武道大会なのにわざわざ手加減しなくちゃいけないなんていうのも可笑しな話ではある。パンチングマシン相手にも一切容赦をしないベジータは、ある意味では戦士の鑑と言えなくもなかった。
「嘘……あの人、マシンを壊しちゃった……」
ビーデルさんを始めとする大会参加者一同は唖然とその場に立ち尽くし、中には「あんな化け物が出るんじゃ……」と言って、大会への出場そのものを辞退する人も居た。
マシンを素手で破壊するというのは悟空さん達からしてみれば至って当たり前のことだが、一般的な武道家からしてみればそれほどまでに非常識なことなのである。
「あちゃー……」
驚愕するビーデルさんの傍らで、呆れたように苦笑を浮かべる悟飯の姿に、私は周りの一般人と彼ら「逸反人」とのギャップの差を感じた。
その後、予選出場者の行列に並んで順番を待っている私達三人の元に、ベジータを含む悟空さん達一行が合流してきた。
悟空さんは悟飯の友達という人物が女の子だということに驚いていた様子で、その隣に立つクリリンさんは何を思ったのか「昔の俺だったらここでかめはめ波撃ってたぜ……運が良かったな、悟飯」と意味深に物騒なことを悟飯に囁いていた。
「そろそろ悟天達の試合が始まるみたいだから、オラ達は先に見に行ってるぞ」
「はい、僕達も後で行きますね」
直に悟天達が出場する少年の部が始まる時間らしく、予選の終わった悟空さん達は皆で先に武舞台会場へ行ってくるとのことだ。
私達もさっさと予選を終わらせて見に行きたいのだが、ベジータがパンチングマシンを壊してしまったせいで予備のマシンを手配するまで、どのくらい掛かることやらわからない。せっせと大変そうに作業している係員達の姿を見ていると、なんだかこっちが申し訳ない気持ちになってきた。
「相変わらず、お前は壊すことが好きだね」
「……破壊はサイヤ人の本能なんでな」
「それはそうだ。そんなだから滅ぼされるんだよ。破壊で生まれてくるものなんて、この宇宙にあるもんか」
「チッ」
悪気は無いのだろうが、こちらのスケジュールを見事に狂わせてくれたサイヤ人の王子に対して私が皮肉を込めて言うと、彼は武道会場の方を向きながら舌打ちを返した。
私の中にあるツフル人としての知識も言っているが、彼らサイヤ人は確かにそこに脆そうな物があればすぐにそれを壊したがるほどに過激な種族である。悟空さん一家は例外としても、彼らからしてみればパンチングマシンは本能的に壊さずには居られない対象なのだろう。
「私達もちびっ子達の試合見たかったのになぁ。楽しみにしてたのに、見れなくなっちゃうかもしれないね」
「ネ、ネオンさんどうか穏便に……」
「……鬱陶しいガキだ」
仲介しようとする悟飯の気遣いには気づいているが、それでも私は呟かずに居られなかった。
ベジータはベジータでそんな私の態度が気に入らなかったようで、舌打ちするなりそそくさと会場の方へと飛び去っていった。
「ベジータとあの子、仲悪いのか?」
「……ああ」
空気の悪さを察してかクリリンさんがピッコロ大魔王さんと何やらヒソヒソ話をし、悟空さんはあちゃー……と苦笑を浮かべる。親子だからかその仕草は、やはり悟飯とよく似ていた。
「ごめんね、空気を悪くして。そんなに苛立ってるわけじゃないんだけど、どうにもベジータ相手にはあんなになっちゃうみたい。これも本能なのかな、私の」
「は、はは……」
多分私は、許す許さない以前に彼のことを本能的に許したくないのだろう。
しかし今日という素晴らしい一日の空気を、不必要に悪くすることもない。出来るだけ私は、ベジータに対する感情は鎮めておくように心に誓った。
さて、今頃武舞台では悟天達が暴れている頃だろうか? 時々、会場からは大きな歓声が聞こえてくる。
悟天とベジータの子が戦うのはいつになるだろうか? 一回戦からぶつかることになったら、それを泣く泣く見逃すことになった私は今度こそベジータに対して物理的に怒りをぶつけてしまうかもしれない。その結果がどうなるにせよ、今はそうならないように彼らの直接対決が決勝戦辺りに決まることを願うばかりだった。
悟空さん達が会場に向かった後、私はパンチングマシンの順番を待ちながら悟飯とビーデルさんと会話をすることにした。
待っている時間中は暇で他にすることもないからと、二人とも割と素直に乗ってくれた。
話の内容はなんてことのない、単なる世間話だ。三年間あの世に居た私からしてみれば、この世で送っている二人の生活はどれも実に興味深い話だった。
「そう言えば、貴方も飛べるんでしょ?」
私が質問した後で、ビーデルさんからの質問が私に寄越された。
飛べる、というのは空を飛べるかという話で、「舞空術」のことを指しているのだろう。
「うん、飛べるよ。悟飯に教わったからね」
「じゃあ貴方が、悟飯君の一番弟子なんだ」
「まあ、そういうことになるかな」
三年前の私はベビーとの同化が進行した姿でなければ飛行機よりも速いスピードで飛ぶことは出来なかったが、今の私は悟飯に教わった舞空術をあの世の修行で磨き続けてきたことで、自分自身の力で速く飛べるようになった。
あの世に帰る前に、もう一度悟飯と一緒に飛びたいなとも思っていたり。
しかし悟飯の一番弟子か。私的には確かに悟飯のことは師匠だとも思っていたけど、こうして第三者から言われるのはなんだか照れくさい感情だ。
「弟子と言っても、ビーデルさんと同じで僕の方から教えることはあまりありませんでしたけどね。ネオンさんもとても優秀で、すぐに飛べるようになりましたし」
「私がすぐに飛べるようになったのは、君の教え方が良かったからだよ、悟飯。今でも感謝してる」
「あ、どうも」
「ふーん……」
彼に舞空術を始めとする気の使い方を教わったおかげで、あの時、私は自分の意志でベビーを体内から追い出すことが出来た。彼の教えが、私を救ってくれたのだ。あの時の感謝の気持ちは今でも、そしてこれからも未来永劫忘れるつもりはしない。
……やがていつか、違う生命に生まれ変わったとしてもだ。
「じゃあ、貴方も強いのね。悟飯君の弟子同士どっちが強いか、とても興味があるわ」
私が彼に舞空術を教わったと知るなり、ビーデルさんが挑発的な笑みを浮かべる。
悟飯に舞空術を教わったという共通点から、彼女は私に対して対抗意識を燃やしているのだろう。
武道家の鑑だなと、私はそんな彼女の負けず嫌いさに感銘を受ける。
「私も君と試合をすること、楽しみにしているよ」
彼女のように素直に対抗意識を燃やされると、ベビーとの同化というインチキで得た自分の力にやはり罪悪感を感じてしまう。言葉とは裏腹に、私は大会では彼女と戦いたくないなと思った。何というか……フェアじゃない気がしたから。
――と、そんなことを考えていた時に、遂に待ちかねていた声が耳に響いた。
「お待たせいたしました! パンチングマシンの準備が終わったので、只今より天下一武道会予選を再開します!」
予備のパンチングマシンの準備がようやく完了し、再びパンチの威力を測る予選が始まった。
ようやく列が動き始めたことに一同は各々に安堵の息をつき、悟飯がチビ達の試合に間に合うかと周辺に掲げられている時計を見た。
時計の指針によれば既に中断から一時間を過ぎており、悟天達の試合を見れるかどうかは怪しくなっていた。
「ネオンさんも、壊さないでくださいよ……?」
「……頑張ってみる」
ビーデルさんに聞こえないようにこっそりと耳打ちしてきた悟飯の言葉に、私は自信なく返す。ベジータにはあれだけ冷たく当たっておいて何だが、私には悟空さん達のような緻密なパワー調整が出来るかどうか、やや不安な思いがあった。
あれから三年もの間地道に修行を積んではいるが、私は時間を掛けた修練でじっくりと力を身につけてきた彼らとは違って、あるべき過程をすっ飛ばして急激に人外の力を手に入れた身だ。悟空さん達のような高度な真似は、ベジータとは違って性格的にどうこうではなく、技術的に出来るかどうか不安だったのだ。
「お先に行くわね」
「どうぞ」
「頑張ってください」
とうとう私達三人の順番に回り、最初にビーデルさんがパンチの威力を測った。
私が言うとお前が言うなと突っ込まれそうだが、彼女の細腕では一体どれほどの数値が叩き出せるのだろうか。不安と期待が半分ずつの気持ちで彼女の計測を見守っていると、計測が再開して以降それまで打ち付けられてきた屈強な男達の拳よりも遥かに大きな衝撃音が響き、電光掲示板に彼女の記録が浮かび上がった。
「こ、これは凄い! 167点! あのミスター・サタンを上回る167点です!」
「嘘っ……私、パパに勝っちゃった……?」
記録員から放たれる声に辺りから歓声が湧き上がり、記録を出した張本人であるビーデルさんは信じられないものを見るような目でその数値を眺めていた。
ミスター・サタンの記録なんか、悟飯に気の使い方を教わっていれば簡単に抜けるだろうにと思った私は誰よりもビーデルさん自身が自分の記録に驚いている様子がどうにも腑に落ちず、首を傾げた。
そんな私に対して、悟飯がビーデルさんにVサインを送りながら説明する。
「ビーデルさん、もうとっくに自分がサタンさんより強くなっていることに気づいていないんだ」
「ええ……なにそれ」
しかしなるほど、それならば自分の記録が信じられないわけだ。世界最強と信じて疑わなかった実のお父さんの記録を、他でもない自分があっさりと追い抜いてしまったのだから、あの反応にも納得である。
しかしまんまと追い抜かれてしまったミスター・サタンのことを思うと、何とも滑稽で笑えてしまう。悟飯の手柄を横取りして、さも自分の力が世界最強だと世界中に嘘をついておきながら、実のところその力は悟飯達どころか娘にすら負けていたとは……とんだピエロだと思ってしまう私は、我ながら何とも嫌な性格をしている。
「次は僕の番ですね」
「手加減しすぎないように、気をつけてね」
ビーデルさんの次は悟飯……もとい、正義のヒーローグレートサイヤマンの測定だ。
彼は悟空さん達がしていたようにそっと拳を近づけて、壊れ物を扱うようにパンチを繰り出した。
「167! こちらも167点です!」
流石悟飯、力のコントロールは抜群である。
これは列に並んでいる間に彼から聞いた話だが、普段から正義のヒーローとして一般人の暴徒を相手にしている分、彼は悟空さん達よりも手加減には慣れているらしい。きっちりビーデルさんの記録に合わせているところと言い、何とも悟飯らしい調整の仕方だった。
「よし、私も頑張ろっと」
さて、次は私の番だ。
パンチングマシンを壊してしまってはにっくきベジータと同じになる。それだけは御免こうむる。
かと言って、手加減をしすぎて予選落ちでもしてしまえば目も当てられない。何よりビーデルさんには悟飯の「一番弟子」として無様な姿は見せたくなかった。
(慎重に……慎重に……)
私の見た目がジュニアハイスクールに通うローティーンぐらいにしか見えないからか、周りからは「なんでこんな子が」と武道会には場違いな私に対してご尤もなコメントが続々と寄せられてきた。しかしそんな声も、前に計測した18号さんやビーデルさんのおかげで思っていたよりは少ない方だったと思う。
私は雑音を無視しながらただ慎重に、ゆっくりと拳を近づける。
そうとも……今こそ、あの世での修行の成果を見せる時だ!
「やっ」
そして私は、パンチングマシンに対して己の力をぶつけた。
――やらかしてしまった。ああ、やらかしてしまった。
「なあ悟飯、ネオンの奴なんで落ち込んでんだ?」
場所は移り、今私達が居る場所は天下一武道会の武舞台会場。
場内のスタンドには世界中からこの日の為に詰め掛けてきたお客さん達に溢れ返っており、武舞台で精一杯の武闘を披露する子供達の戦いに歓声が沸き上がっていた。
……でもその歓声が、今の私にはどこか遠くのもののように聴こえた。
「それが……ネオンさん、マシンを壊してしまって……」
「なーんだネオンもかぁ。ははっ、ベジータみたいにか?」
「あの、その……ベジータさんのようにです、ハイ」
「はは、そう言えばネオンの奴、あの世で戦っていたのはいつもオラやパイクーハン達だったからなぁ。大界王星の重力は地球の十倍だし、自分の力をあんまりよくわかってなかったんかもな」
「本人は思い切り手加減していたみたいですけど、それでも足りなかったみたいです。何だか気合が入っていた分強くやっちゃったみたいで……」
悟空さんの笑い声が、心に響く。私の心を悪意なく痛めつけてくる。
ああ、私はベジータと一緒だ。人のことなんか言う資格無い。私もベジータと同じことをやらかしてしまったんだぁ……。
「……死にたい」
「そ、そこまで言わなくても」
「おめぇもう死んでるじゃねぇか」
「なら、生まれ変わりたい。生まれ変わって、山の奥で動物と一緒にゴロゴロしたいよぉ……」
「そんなにショックだったんですか……」
ショックもショックだよ。悟空さん達のように力の調節が上手く出来なかったこともそうだが、何より散々煽ったベジータと全く同じことを自分の手でやらかしてしまったことがショックだった。後ろに並んでいた参加者達にも待ち時間をまた長くさせて申し訳無いし、もう恥ずかしくて顔が上げられない。
「ベジータ……」
「……なんだ」
自分の発言には、責任を取らなければならない。
よって私は、一言ベジータには言っておかなければならなかった。
「私もお前と一緒で、破壊しか出来ないみたい……」
「……だろうな」
破壊しか生み出さない者は、いつかその報いを受ける。
宇宙中で虐殺を行ったサイヤ人しかり、復讐の為に狂気にはしったツフル人しかり。彼らが滅びを迎えたのも、結局は必然だったのだと思う。
「ビーデルさん」
「な、なによ?」
所詮破壊することしか能のない私には、何かを生み出すことは出来ない。
しかし、きっと彼女は違う。違う筈だ。
ベジータと一緒のことをしてしまった自己嫌悪から、我ながらわけのわからない精神状態になっていた私は、ビーデルさんに対してこの時、とんでもないことを言ってしまった。
「私に出来なかった分も、いつか彼と元気な子供を生んでください。私とは違って、君には生み出すことが出来る筈だから」
「……は?」
正気に戻った私が慌ててその発言を取り消したのが、悟天とベジータの子が戦う少年の部の決勝戦が始まる前のことだった――。
ちびっ子達の戦いは、私の想像を大きく上回っていた。
二人の試合に間に合って良かった、というのが今の気持ちだ。私の祈りが通じ、運良く二人の試合が決勝戦までお預けになっていたことが幸いしたようだ。
二人の内どちらかが敗退すれば実現しなかった対決だが、そんな可能性は万に一つも有り得なかった。他の子供達は少し可哀想だが、そもそもサイヤ人の血を引く新世代の戦士達に、少々武道を齧った程度のお子さん達が敵う道理が無いのだ。
七歳と八歳による組み合わせの決勝戦は、一回戦の組み合わせが決まった頃からも定められていたことだった。
「ねえ」
「悟天、がんばれー」
「ねえってば!」
「ベジータの子もがんばってー」
「答えなさい、ネオン!」
「は、はいっ」
悟天の方を気持ち贔屓目に両方のちびっ子を応援していると、ビーデルさんから当然のように呼び掛けられた。
応援に集中するふりをして無視をしようと思っていたのだが、彼女はこちらのガードを強引に突破してきた。何とも押しの強い子だと、私は素直に負けを認めざるを得なかった。
「さっきの言葉はどういう意味よ?」
「……さっきのは忘れて。あまりのショックに、なんか変なことを口走っちゃっただけだから」
「何がショックだったのか知らないけど、普通はあんな言葉出てこないでしょ!」
「……さっきの言葉には特に意味は無いよ。だから忘れて、この通り」
慌てて自分の問題発言を取り消した私だけれども、やはり言われた側としてはそういうわけにはいかないようだ。
これは困った……一体なんであんなことを言ってしまったのだろうか? 我ながら理解に苦しみ、私の中にあるツフル人の膨大な知識の中から引っ張り出そうとしても、答えは出なかった。
「まあ忘れてあげてもいいけど、その代わり私の質問に答えて」
「さっきの発言以外の質問なら、どうぞご自由に」
「じゃあ聞かせてもらうわね」
ビーデルさんの言葉に、私は大人しく従う。質問の一つや二つで先ほどの問題発言を忘れてもらえるなら安いものだし、私には拒否する理由は無かったから。
しかし私は、そんな自分の判断を結果として後悔することになった。
「貴方、本当に悟飯君の友達なの?」
彼女の質問である。
私はビーデルさんに対して最初に挨拶した通り、悟飯とは友達の関係だと言っている。それに対して、彼女には何か一つ思うところがあったのだろう。
「私はそのつもりだよ。私は悟飯とは仲が良いと思っているし、気の置けない、大切な友達だと思っている」
これは全て、嘘偽りの無い言葉である。
死に別れはしたが、私自身は今でも悟飯とは仲の良い友人関係だと思っている。
もし彼の方がはっきりと「友達じゃない」などと否定しようものなら、私の心は完全に存在意義を失い、迷わず地獄に落ちてこの魂を別の生命へと生まれ変わらせているところであろう。
悟飯と友達であるという事実が、私を私にしている。これまでもずっと、私の心を支え続けてくれた。
「……彼女、じゃなくて?」
「うん、彼女じゃないよ。最初に挨拶した時も、そのつもりで言ったんだけど」
「やっぱりそうだったの。だけど、なんか気になるのよね……」
「なんで? 私と悟飯が、そんな関係に見えるの?」
眉間にしわを寄せながら、ビーデルさんが疑り深い目で私の顔を見つめる。
「この前、悟飯君が言ってたのよ。「天下一武道会で、お父さんとネオンさんに会えるのが嬉しい」って。それで私が、ネオンって誰って聞いたのよ。そしたら悟飯君……貴方のことをとても嬉しそうに、だけどとても切なそうに話してくれたわ」
彼女が言うには、嬉しいことに悟飯が私のことを彼女に話していたようだ。
流石に三年前に起こった事件については伏せていたようだが、どうやらビーデルさんは今日出会うより前からも私のことを噂として聞いていたらしい。
「……そう」
彼が私と過ごした少ない時間のことを、今でも大切に扱っていたのだ。それだけで、私はこの喜びで涙を流したい気分だった。
私は彼に対して迷惑ばかり掛けていたけれど、彼はそんな私のことを過去の存在として切り捨てなかった。ただその事実が嬉しくて、ありがたくて、私に幸せを感じさせてくれた。
ちらりと視線を悟飯の横顔へと向け、私は頬を緩ませる。そんな私の様子を見て、ビーデルさんが言った。
「私にはそんな悟飯君の目が、何だか遠くに居る恋人のことを想っているようにしか見えなかった。……今の貴方もそう。貴方の悟飯君を見る目は、どう見てもただの友達には見えないもの」
……よくもまあ、彼のことを見ているものだ。
悟飯は素敵な女性と出会えたようで、私としては肩の荷が下りたような、そんな気分だった。
「君は鋭いね」
「で、本当はどうなの?」
確かに私から見た悟飯は、ただの友達ではない。そのことは認める他なかった。
ただの友達と言うには私の気持ちには色々なものが混じり過ぎていて、酷く混沌としている。
「じゃあ逆に聞くけど、君はなんでそんなことを知りたがるの?」
「気になるからよ。私、悟飯君に彼女居たら嫌だもの」
「直球だね」
出来れば私の口からは言いたくないことだったからか、私は無意識に答えから逃げるように彼女に問い返していた。しかし私とは違って、ビーデルさんの返答は簡潔かつ力強かった。
「やっぱり君は好きなんだ。悟飯のこと」
「そうなのかもしれないとは思っているわ。……まだ色々と、わからないことがあるけど」
「あはは、でもそうやってあっさり認められるところ、素直で格好良いと思うよ」
予想はしていたが、やはり彼女は悟飯に対して「そういう気持ち」を抱いているようだった。
あのミスター・サタンの娘だからどうなのかと思っていたが、彼は父親とは違って、どこまでも正直者らしい。そんな彼女に私は、心から敬意を抱いた。
「ごめんね、嘘をついた。私と悟飯はただの友達じゃない」
「じゃあ……」
「でも、恋人でもない。もちろん、夫婦でもね」
そんな正直さに感化されてしまったのか、私もこの際だからはっきりと言うことにした。もちろん周りの耳には聞こえないように、彼女だけに聴かせるようにだ。それでももしかしたら聴覚の鋭いナメック星人であるピッコロ大魔王さんには聴こえているのかもしれないが、彼は口が固そうだし大丈夫だろう。
「友達は友達でも、特別な友達だよ。なんて言えばいいかな。神様……? 英雄……そう、ヒーローなんだ。私にとって、孫悟飯は」
この気持ちが彼女が想像しているような恋愛感情かと問われれば、私としては違うのだと思う。恐らくは私はもう死人であるという認識が、その感情を強く否定しているのだろう。
死者が生者に恋をするなどあってはならない。だからか、私には初めからその選択を選ぶ意思は無かった。
「彼は私を救ってくれた、大切な人。私が彼に向ける目は、多分尊敬とか、憧れの目なんじゃないかな?」
「それって、好きってことよね?」
「うん、大好きだよ。でも、恋人には絶対にならないし、なれるわけがない」
「なんでよ?」
不思議そう、と言うよりも不服そうな顔で訊ねるビーデルさんに、私は答える。
私が彼に恋心を抱けない理由は二つある。
一つは単純に、私が死人だからという物理的な理由だが、流石にこちらは言っても信じてくれないだろうし、空気が悪くなるから言うわけにもいかない。
しかし二つ目の理由は彼女にも話すことが出来る、私自身の精神的な理由だった。
「憧れているってことは、私は彼と対等じゃないってことでしょ?」
これはあくまでも自論だが、「憧れ」という感情は男女の仲になるに当たって不要な感情だと私は思っている。
憧れとは、自分に無いものを持っている相手に強く心が引かれることだ。私は悟飯に対してそんな感情を抱いており、どこか理想めいたものを彼に見ていた。
好きだけど、私と彼は遠いんだ。そんな関係である以上、私は自分が彼に恋愛感情を抱いて良いものだとは思えなかった。
「対等でもないのに恋人っていうのは、何か違うと思う。ただ、それが理由だよ」
「……呆れた」
私なりに展開した自論に、ビーデルさんの意見はにべもない。
しかし仰る通り、恋する乙女としては呆れるほかない考えだろう。私自身も、否定する気はない。
「それでいいよ、ビーデルさん。だから、こんな女のことは気にしないで、君の好きなようにしなよ」
「……試合で当たったら、ボコボコにしてあげるから覚悟してなさい」
「怒らせちゃった? でも、こればっかりは謝れない。……謝っちゃいけないんだ」
彼女からしてみれば私は、自分よりも先に想い人と出会い、絆を深めている恋敵だ。しかしそんな恋敵は自分と同じように想い人に好意を抱いている癖に、よくわからない理論で自ら舞台から身を引くことを宣言したという状況である。
しかしそれをチャンスと思わず第一に「気に入らない」と思うところは、彼女のプライドの高さと性格の良さをよく表していると言える。
(……私が生きていたら、また違う気持ちだったのかもしれないけどね)
もしも自分の居るべき世界があの世ではなくこの世だったならば、私だってこんな考え方はしなかっただろう。
多分私がまだこの世に生きていたら、今頃は悟飯に対して病的なまでに執着していたかもしれない。それこそ、彼に近づいてくる女の子をこの力を行使してでも強引に追い払うぐらいには。
「悟天も、
私達がピリピリとした女子トークを行っている間にも、武舞台では悟天とベジータの子の白熱した戦いは続いている。
二人の力は完全に互角……今のところは悟天がやや優勢と言ったところか。形勢が不利になったことでとうとう我慢が出来なくなったのか、ベジータの子が始めに超サイヤ人になり、それに対抗して悟天も超サイヤ人に変身したところだ。
「あいつら……超サイヤ人にはなるなって言ったのに……」
黄金色に変わった二人を見て悟飯は頭を抱え、ビーデルさんは愕然とする。
ビーデルさんはまだ、何も知らない。だけど、彼女は知るべきだと私は思う。
本当は悟飯の口から言った方が良いのだろうけど、なんだか私は待っていられなくなった。そういう気分だったのだ。
「セルを倒したのは実は悟飯だって言ったら、君は信じるかい? ビーデルさん」
「えっ?」
あえて悟飯にも聞こえる声でそう言って、私はしてやったりと言った悪い表情を浮かべる。
私はこの言葉で、彼女を試したかったのかもしれない。
これで信じれば快く彼女の恋を応援する。信じなければ、やっぱり悟飯は渡さない。……うん、性質の悪い姑みたいだ。
「あの弁当売りの少年が……悟飯君? まさか……でも確かに似ているような……」
「ネオンさん! なんてこと言うんですかっ!」
「悟飯、私、嘘つきは嫌いなんだ」
恋する乙女が、対象のことを何も知らない、隠されているのは可哀想だと思った。そんな何様とも言えるお節介な気持ちだ。
私は嘘つきは嫌いだ。ミスター・サタンとか、ああいうのは一番嫌い。
それは私自身が嘘つきだから、同族嫌悪みたいな感情なのかもしれない。
「本当なの? 悟飯君」
「ビ、ビーデルさんも、そんな話は……」
「お願い、教えて。誰にも言ったりしないから」
大丈夫だよ、悟飯。彼女は君の秘密を知っても、絶対に君に迷惑になるようなことはしない。
彼女は君のことが好きだからと――たったそれだけの根拠でも、私にはその確信があった。
そして彼は観念して本当のことを話し、ビーデルさんは驚きながらもその言葉を前向きに信じようとした。恐らく彼女の目からしても、深く疑問には思わずともかつてのセルゲームには不自然な点が多くあるように感じていたのであろう。
後は、この武道会で彼の本当の力を目の当たりすれば全てがわかることだ。それで二人の仲が進展すればいいなと、そんなことを考えながら私は悟天達の決着を見届けた。
……しかし、なんでだろう? 死人なのに、何故だか私は胸の奥にチクリと痛みを感じた。