爆風が、空を覆う無数の雨雲を吹き飛ばしていく。
それは限界を超えたベジータとネオン、二人の拳が正面から激突したことによる余波が生み出した光景だった。
黄金と白銀、異なる二つの「気」の爆発が、大地と空に響き渡る。
やがて静まった爆音は、二人の死闘に決着がついたことを意味していた。
「あっ……パパだ!」
「ベジータ!」
――爆煙を突き破り、最初に姿を現したのはベジータの方だった。
しかしその身体は素人目で見てもわかるほどの深い傷に覆われており、激しい体力の消耗によって既に超サイヤ人の状態も解除されていた。
「くっ……!」
「パパ、大丈夫?」
よろよろと力無く地に降り立つベジータを気遣い、息子のトランクスが一目散に駆け寄る。
今回は先のようにベジータから拒絶されることはなかったが、顔色を窺えば今の彼には息子を突き放す余裕すらも無いことがわかった。
膝を突いてその場に崩れ落ちたベジータに、遅れて歩み寄ったブルマが訊ねる。
「あいつはやっつけたの?」
「……俺は、下がっていろと言った筈だ」
「どこへ逃げても一緒でしょ? だったら、貴方の戦いを最後まで見ていた方がマシよ」
「……相変わらず、肝の座った女だ」
「当然でしょ? でなきゃあんたの妻なんてやってないわよ」
「……ちっ……」
酷い怪我を負っているが、あれだけの爆発の中から生存した状態で出てきた夫の姿にブルマは安堵の息をつく。毎度のこととは言え、彼の妻をやっていると心臓がいくつあっても足りなかった。
しかし安堵する彼女とは対照的に、ベジータは張り詰めた表情を未だ爆煙の中に居る人物へと向けていた。
敵のリベンジデスボールという名の攻撃を吸収し、無我夢中で繰り出した一撃――ベジータはあまりの必死さ故にその時の記憶がほとんど残っていないが、その手に敵の姿を捉えた感触は確かにあった。
彼の攻撃は、間違いなく届いていたのだ。
――しかし、それはベジータに勝利を手繰り寄せる決定打とはならなかった。
風に煽られて爆煙が晴れていくと、その中から白銀色のオーラを纏った一人の
全力で放った渾身の一撃を受けてもまだ生きている彼女の姿に、ベジータは舌打ちして呟いた。
「化け物め……」
しかしボロボロに変わり果てたその姿を見る限り、彼が与えたダメージが大きかったのは間違いないだろう。
彼女の纏っていた黒い鎧はそのほとんどが破損した状態にあり、頭部を覆っていた仮面は砕け散り、ベジータが予想していた以上に幼い素顔を晒していた。
そこでベジータは初めて彼女の素顔を見たことになるのだが、今更彼の心に驚きは無かった。戦闘民族たる者、相手が女であろうと戦場であれば特別な感情を一切持ち合わせないからだ。しかし後ろに居る四人はそうではないらしく、特に孫親子の二人は激しく動揺している様子だった。
「……化け物、か」
ベジータの一撃によってフルパワーの状態よりも「気」を減らした彼女――ネオンがベジータの呟きに反応する。
その表情は――泣いていた。
「そうだ……私はもう、化け物なんだ。お前達サイヤ人と一緒……少し力を入れるだけで星を壊してしまう化け物だ。自分にとって大切だったものさえ砕いて、この手でバラバラにしてしまう……」
ネオンの映す紺碧の双眸は、片方が憤怒を、もう片方は涙を流していた。
そして上空に浮かぶ彼女は地上のベジータから視線を外すと、おもむろに周囲の景色を一望した。
その瞳が映したのは、倒壊したビルや民家の残骸――自分達の戦いによって破壊された、西の都の無惨な姿だった。
彼女は決して、この街を壊したくて壊したのではない。彼女とベジータが全力で戦ってしまえば、その余波を受けて下の街々がこのような姿になるのは必然だったのだ。
「一緒なんだ……私は……っ! あれだけずっと憎んでいた、お前達サイヤ人と……!」
災害の跡のように広がっている西の都の惨状は、彼女からしてみればサイヤ人によって滅ぼされた自身の故郷とほとんど違いは無かった。
かつてサイヤ人達が作り出した光景を、彼女は自分自身の手で作り出してしまったのだ。
「違う……! 私は、こんなものを見たくて強くなりたかったんじゃない! こんな思いをする為に、サイヤ人を憎んだんじゃない……! ベビー! 私は……私は、もう!」
悲痛な思いが込められた叫びが、廃墟と化した西の都にこだまする。
すると彼女の片目から流れる涙が止まり、両方の目が憎悪の篭った憤怒の色へと変わる。
そして彼女は、行き場を失った狼のように吠えた。
「うあああああああああああああああああああああっっ!!」
白銀色のオーラが肥大化し、再び大地を激震させる。
瞬間、ベジータとの戦いによって消耗した筈の「気」が、唸りを上げて再度上昇していく。
対するベジータは既に力の全てを出し尽くしており、今の彼にはもう一度超サイヤ人に変身する余力すらも残していなかった。
万事休すか……絶望的となった状況に心の中で呟くベジータだが、不思議とその心に恐怖や苛立ちは無かった。その理由がもし息子と妻が自分の傍に居るからだというのならば、サイヤ人の王子ともあろうものが腑抜け過ぎだと、ベジータは自分自身に「馬鹿野郎」と叫びたかった。
――ベジータをそんな馬鹿野郎にしてしまった大元の息子がこの場に現れたのは、その時だった。
「はああああああああああああっっ!!」
大猿の咆哮を彷彿させる少年の叫びが、西の都の空に響き渡る。
それはネオンの「気」に一分も劣らない彼の「気」の嵐が、この地球の全域へと轟いた瞬間だった。
瞬間、ネオンがハッと目を見開き、彼の叫びが聴こえた方向へと振り向いた。
「……ベビー……お前は、もう許さないぞ……!」
そこには、黄金の戦士が居た。
光の色に染まった髪は天に向かって逆立ち、その身体の周囲には絶え間の無い稲妻が走っている。
内に宿る真の力を爆発させた怒りの超戦士――
「悟飯!」
「兄ちゃん!」
彼の登場に対して真っ先に声を上げたのは、彼の母親と弟だった。
ブルマとトランクスも続き、四人して歓喜の声を上げる中、ベジータだけが苛立ちを口にする。
「どこまでもコケにしやがるぜ……貴様ら親子は……!」
この四年間まともなトレーニングをしていなかったくせに、なんだあの力は、と。
他の人間からしてみればあまりにも理不尽な戦闘力を持っているベジータすらも理不尽だと感じてしまうほどに、頭の線が「切れて」逆上した孫悟飯の力は凄まじかったのだ。
西の都の外側を黒い雨雲が覆う中、彼らの居る都の上空だけは誰も寄るまいと避けるように雨雲の姿は無かった。
天空で対峙する孫悟飯とネオン。立ちはだかる悟飯の姿に、ネオンが俯きながら言った。
「……生きていたんだね、悟飯」
彼女のその言葉には標的を仕留め損なったことに対する落胆の感情ではなく、大切だと思っていた存在の無事を知った人間が抱く、安堵の感情が込められていた。
彼女が見せたその態度から、悟飯は「やっぱりそうか」と確信する。
「僕を生かしてくれたのは、君なんじゃないのか?」
超サイヤ人2になったことで常よりも荒れた言葉遣いになった悟飯が、彼女の言葉にそう返す。
自分は彼女の攻撃から辛くも生き延びたわけではない。彼女がその心に残している「ネオンの感情」によって、この命を見逃してもらったに過ぎないのだと。
あの時の彼女の一撃がもし本当に本気で放たれたものならば、自分はここには居ないことがわかっていたのだ。
「君の中に居るネオンさんが、僕を生かしたんだ。僕を殺したくないって、躊躇ったんだ!」
自分を襲ったあの攻撃は、彼女としては本気で殺す気で放ったのだろう。しかし、悟飯はまだ生きてこの場所に居る。
その事実から悟飯は、彼女の中にはまだネオンの意識が残っているのだと判断していた。
今の彼女の心は、完全にベビーに支配されているわけではないのだ。
「ネオンさん。君はまだ生きている!」
「何を……!」
「ベビーなんかに負けるな! 本当の君は、こんな戦いなんか嫌だった筈だ!」
「黙れっ!」
今の彼女にだって、説得が通用しないわけではない。そう思い強い言葉で語りかける悟飯だが、彼の言葉は不興にも彼女の怒りを買うだけだった。
彼女は憎悪の目で悟飯を睨み、その両手から交互に気弾を繰り出す。
「黙れっ! 黙れっ! 黙れぇっ! お前なんかに! お前なんかに何がわかる!? ほんのちょっと知り合っただけで……ネオンの気持ちの、何がわかるって言うんだ!」
悟飯は彼女の手から連射される気弾を超高速でかわしつつ、彼女との間合いを一気に詰めていく。
悟飯の接近を許した彼女は気弾の連射を止めると、即座に右腕を振り上げて格闘戦へと切り替えた。
「大切なものは全部奪われた! 君達サイヤ人が何もかも壊したんだっ!!」
超音速の拳が、悟飯の頬を打ち付ける。
それはあのセルよりも、ボージャックよりも、今まで悟飯が戦ってきた誰よりも強く、重い一撃だった。
しかし悟飯はその拳を受けて吹っ飛ばされることも悶絶することもなく、彼女の顔を見据える紺碧の瞳を一瞬たりとも逸らさなかった。
「僕達が気に入らないなら怒ればいい! 殺したいのなら、いつでも掛かって来い! でもそれは、本当に君の思いなのか!? それだけが、君の全てなんですか!」
「私には、もうそれしか残っていないんだよっ!」
もう一撃、立て続けに右手の拳を振り下ろすネオン。
胸板を貫こうと襲い掛かるそれを、悟飯は両手で包み込むように受け止めた。
悟飯はそこから、反撃に転じない。
彼はただ、彼女の怒りを、拳を受け止めるだけだった。
決して攻撃の意志を見せない悟飯に対し、ネオンは震える瞳を向けて喚いた。
「今更……君達を恨む以外にどうすれば良いんだ!? ベビーと一つになる前から、ネオンの心はとっくに死んでいたんだ!」
右手を摑まれた状態のネオンが、左手の拳を突き出して悟飯の右頬を打つ。
おびただしい「気」が込められた一撃は重い衝撃音となって天に響くが、それでも悟飯は、彼女の傍を離れようとしなかった。
驚愕に目を見開くネオンに、悟飯は諭すように言った。
「……僕は、お父さんを死なせてしまった」
「……っ!」
「僕さえちゃんとしていれば、お父さんは今でも生きていた……全部、僕のせいだったんだ」
放たれたのは、自身の過去の過ちに対する懺悔の言葉だった。
しかしその表情は、極度の興奮状態にある超サイヤ人2の状態でありながらも水面のように穏やかだった。
「なんであの時調子に乗ったんだって、後悔した……」
ゆっくりと語り出す悟飯に、ネオンの手が止まり、殺意の渦が僅かに鎮まる。
「でもそんな僕を、クリリンさんやピッコロさん……みんなが励ましてくれた」
彼女の身体から徐々に、ほんの徐々にだが悪の「気」が減っていくのを感じ、やっぱり貴方は生きているんだなと実感し悟飯は微笑んだ。
「死なせてしまったお父さんも、僕のことを笑って許してくれました」
そして悟飯は、自身が掴んだ右手をそっと彼女の胸へと送り返した。
「君は……そんな風に、誰かに励ましてほしかったんじゃないんですか?」
「――ッ!」
「辛い思いをしていても頑張って生きている自分のことを、「よくやったね」って誰かに励ましてほしかった……だけど、君の周りには誰も居なかったから、どう生きれば良いのかわからなかった」
「ち、違う!」
「もう、いいんです。もうサイヤ人のことを恨まなくても、君は生きていけます」
「やめろ!」
「君は、復讐なんかしたくなかった。でも、サイヤ人のことを恨まなくちゃ自分が自分じゃなくなると思ったから……」
「やめて……! やめてよっ、悟飯……!」
彼女は、ずっと一人だった。
家族を失い、街を失い、たった一人で生き続けていた。
寂しかったのだろう。辛かったのだろう。父を失っても母が居て、頼れる仲間も居た悟飯とは違い、彼女は孤独に生きるしかなかったのだ。
だから彼女は、誰かを恨まなければ自分の心を守れなかった。
優しい心を持つ彼女は決して復讐を望まなかったが、その優しさは何よりも、彼女自身の心を追い詰めていたのた。
そんな彼女に必要だったのは、哀れみでも叱責の言葉でもない。孤独と憎しみの中でも優しさを忘れずに生きていた彼女のことを、認めて励ましてあげることこそが必要だったのだと悟飯は悟った。
悟飯自身、父を失った時こそ、周囲の人間の言葉に救われたのだから。
「私は、サイヤ人が憎い……! この手で殺してやりたいと思っていた! き、君だって……!」
「殺したがっているのは、ベビーだけだ! 君はネオンだ! ベビーでもツフル人でもない!」
「わ……私は……っ!」
閃いた黄金色の光が、悟飯の身体からネオンの身体へと伝っていく。
彼女の手を握る悟飯が、超サイヤ人2となった自らの「気」を彼女の体内へと送り込んだのだ。
「ネオンさんから出て行けベビー! お前が殺す相手は、この僕だけで十分だぁっ!!」
悟飯はネオンとは戦わない。
彼の正義が許せないのは、ネオンではないからだ。
だから悟飯は、この戦いの最後までネオンにその拳を向けようとはしなかった。
「悟飯、何をする気……!?」
「僕の力の全てを、君にあげます! だからその力で、ベビーを追い出せ!」
「……!」
壊すこと、奪うことだけがサイヤ人ではない。
そう示すように、悟飯がこの時取った行動は彼女に「与える」ことだった。
黄金色のオーラが悟飯の手からネオンの手を伝って彼女の体内へと駆け巡り、二つの「気」が一つに溶け合っていく。
悟飯が超サイヤ人2の「気」を彼女に分け与えたことによって、彼女の保有する「気」の総量が限界を超えて膨れ上がったのだ。
それは、自ら進んで相手に力を与えているのと同じだ。自身の力を消耗させ、敵を強化させている。側から見れば、正気の沙汰とは思えない愚かな行為だった。
しかし悟飯にとってネオンは大切な友人であり、仲間であり、どれほど悪意をぶつけられようと敵ではなかった。
故にそれは、悟飯からしてみれば仲間であるネオンの為に、「本当の敵」と戦う力を与える行動に過ぎなかった。だからその行動によって超サイヤ人の状態が解け、自分自身が彼女と戦う力を失おうと後悔は無かった。
「なんで、こんなことを……」
超サイヤ人2どころか普通の超サイヤ人の状態すらも解除されてしまった悟飯を前に、ネオンが茫然と立ち尽くす。
そんな彼女に対して、悟飯が言った。
「……ベビーに言ってやってください。貴方の、本当の気持ちを!」
今のネオンがその気になれば、ネオンを強化する為に力を使い切った今の悟飯など一撃で殺すことが出来るだろう。
彼の無茶な行動に誰よりも動揺したネオンは、その瞬間、ふと自らの手のひらを見つめて、別のことに驚いた。
この時、彼女の中に居るベビーが外部から分け与えられた悟飯の「気」によって再び封じ込められ、彼女の心は一瞬だけ本来のネオンのものへと戻ったのだ。
それこそが、悟飯の狙いだった。
「ベビー! 私は……!」
悟飯の「気」を受け取ったことにより、ネオンはその力をさらに増幅させた。
しかし自身の心を取り戻した彼女はその力を悟飯にぶつけることはせず、全ての「気」を自身の中に居るもう一人の自分
「私は……君じゃないっ!」
そして、はっきりと、
ネオンの身体を白銀と黄金のオーラが包み込み、内側から燃え盛る炎のように激しく広がっていく。
それは光の奔流などという生易しい表現では言い表せず、豪流や爆流と言った造語を組み合わせてようやく表現出来る現象だった。
「私は! 私はネオンだああっ!!」
もう誰も失いたくない――全霊の思いを込めたネオンの叫びが天に響くと、それと呼応するように彼女の身体を覆っていた黒い鎧が、黄金色の光となって砕け散った。
そして光を放つネオンの身体から、溢れんばかりの闇が這い出ていく。
この瞬間、それまで一人の人間として同化していたネオンとベビーの存在が、お互いのあるべき姿へと分岐したのである。
ネオンはネオンへと、ベビーはベビーへと、それぞれが本来の姿へと戻ったのだ。
悟飯の力を得たネオンは他ならぬ自分自身の意志で、ベビーを自らの体内から追い出したのである。
それはサイヤ人の力と地球人の思い――その二つがかけ合わさって、初めて起こった奇跡だった。
「ネオンさん!」
「悟飯!」
地球人の少女に戻ったネオンが最初に行ったのは、誰よりも傍でその「戦い」を見守ってくれた悟飯への抱擁だった。
脇目もふらず彼の胸へと飛び込むと、ネオンは感情の爆発によってろれつの回らない口調で言った。
「わたし……がんばったよ」
「もう、大丈夫です!」
「ずっとベビーをおさえこんで、たたかっていたよ……?」
「今まで、よく頑張りましたね!」
今までずっと孤独に生きてきた寂しさを埋めるように、彼女は悟飯の身体を強く抱き締めた。
その姿はまるで両親に我が儘を言って甘える幼子のようで、それだけで悟飯には、彼女が今までどれほどの苦しみを抱えて生きてきたのかを理解した。
本当の彼女は戦いなどとは一切無縁の、か弱い一人の少女に過ぎなかったのだ。
たった一人で頑張って、無理をして、疲れて、ようやく誰かに泣きつくことが出来た彼女に今の悟飯がしてあげられたのは、黒髪に戻った彼女の頭をそっと撫でてあげることだけだった。
『偉いぞ、悟飯』
それは、サイヤ人のラディッツが地球を訪れるよりも前の幼い日のこと。世界がまだ本当に平和だった頃、自分が父にそうしてもらって嬉しかったことを思い出しながら、悟飯は彼女の頑張りを温かく祝福してあげた。
そして彼女は抱擁を解き、真っ赤に腫れ上がった瞳を覗かせて言った。
「……ありがとう、悟飯」
「どういたしまして。こちらこそ、今までベビーと戦ってくれてありがとうございました」
お互いがお互いを褒め称え、悟飯とネオンは穏やかに笑む。
そしてネオンはキッと目つきを険しく変え、その視線を悟飯の元から背後に居る
「あれは……」
「寄生生命体、ベビーの本体さ。私の身体から追い出されたことで、あの子もまた本来の姿に戻ろうとしているんだ」
ネオンの身体から這い出た闇が集合していき、泥状の物体となって徐々に人型の姿を形成していた。
それこそがネオンに取り憑いていた者の正体――復讐鬼ベビーの正体なのだと彼女は言う。
そのベビーの本体からは昔なら――それこそ精神と時の部屋で修行する前ではどうしようもないほどに強い「気」を感じたが、今の悟飯ならば少しでも本気になれば容易に消せるであろう、恐るるに足らない相手だった。恐らく今のベビーの強さは、ネオンと同化していた時の十分の一にすら満たないだろう。
悟飯はその姿に、激しい怒りを込めて吐き捨てる。
「やりすぎだよ……!」
サイヤ人によって滅ぼされたツフル人達が、復讐の為に生み出した狂気の生命体。それがベビーという存在だ。
罪のない人間を次から次へと殺していたサイヤ人達だ。ツフル人達が彼らを憎む気持ちはわかるし、悟飯とてそんな彼らのことは許せない。しかし戦いを望まない他の人間を巻き込んでまで復讐に走ったベビーという復讐鬼は、既に悟飯にとっては超えてはならない一線を超えていた。
「悪さが過ぎたんだ、お前は……!」
ベビーのことを、悟飯は到底許せそうにない。
故にそんな彼を殺すことに、悟飯は珍しく躊躇いを持たなかった。
怒れる悟飯の手を、触れれば折れてしまいそうな少女の白い手が掴む。その瞬間、悟飯の身体へと失った筈の力が少しずつ戻っていった。
「ネオンさん?」
「君に貸してもらった力を返すよ。私だけじゃ、上手く扱えそうにないから」
ベビーを追い出す為にネオンに分け与えた力を、ネオンが再び悟飯の体内へと返還したのだ。
それによって悟飯は、超サイヤ人2ほどまでには及ばないが、ベビーを完全に滅ぼすには十分な力を取り戻すことが出来た。
そんな彼に、ネオンが頼む。
「……あの子がまた別の人間と同化する前に、ここで倒さなくちゃ。力を貸して、悟飯」
「はい!」
彼女からしてみればかつては自分自身その物だったベビーを滅ぼすという酷な頼みを受け、悟飯は間も空けずに即答した。
放っておけば何をしでかすかわからない敵を早々に始末せずに失敗するのは、もうたくさんだった。
父孫悟空を失う要因になった過ちをここで犯すほど、今の悟飯は愚かでも甘くもない。
「……本当は、君に復讐以外の生き方を教えてあげたかった。私の心で、憎むだけじゃない別の感情を共有させてあげたかった」
一方でネオンはそんなベビーに対して、哀れみの感情を向けていた。
七年もの間、同じ身体の中で生きていたのだ。ベビーのことを誰よりも知っている彼女だからこそ、複雑な思いを抱えているようだった。
「だけど結局、何も教えてあげることが出来なくてごめんね、ベビー……さよなら」
それはネオンがベビーに向けた、彼女なりの慈悲の言葉だった。
彼への別れの言葉を告げるとネオンは掴んでいた悟飯の手を離し、両手首を合わせて悟飯にとって馴染み深い構えを取った。
「ネオンさん……」
「見よう見まねだけど……いくよ、悟飯!」
「……はい、やりましょう!」
吹っ切れたネオンの表情に安心すると、悟飯は彼女の傍らに立ち、彼女と同じ構えを取る。そしてその体勢のまま、人型の姿を形成したベビーの姿を睨んだ。
悟飯やネオンよりも小さい少年のような姿をしたベビーはしばし憎悪を込めた目で悟飯を睨んでいたが、彼らの構えを見て次に取った行動はこの場からの「逃亡」だった。
「か~めぇぇぇ……!」
彼の逃亡を、決して見逃しはしない。悟飯は遠ざかっていくベビーの後ろ姿を見据えながら超サイヤ人に変身すると、黄金色のオーラが包む両手の間に体内の全潜在エネルギーを集束させる。
「は~め……!」
彼と同じように掛け声を上げるネオンの両手の間にも、彼女の体内の「気」が充満していく。見よう見まねとは言っていたが、彼女のそれは悟飯の目から見ても確かな形になっていた。
――亀仙流の代名詞、「かめはめ波」の。
「くっ……!」
二人が持つ膨大な力に恐れをなしたベビーは舞空術のスピードを上げ、最大洗足で疾走していく。
彼らを相手に今の自分では勝ち目が無いということを、並外れた戦闘力以外にもツフル人としての優秀な頭脳を持つベビーは理解していたのだ。
そんな彼の惨めな背中へと、二人の勇者は全力を叩き込んだ。
「波あああああああっっ!!」
二人の叫びと「気」が重なり合った一撃が、一条の光の龍となってベビーの背を追いかけていく。
そして一瞬にしてその距離をゼロへと追い詰めた光が生身のベビーの肉体を飲み込んでいくと、彼の細胞という細胞を暴力的な渦の中に焼き尽くしていった。
『そ……孫悟飯めぇぇっ!!』
ベビーの断末魔は、自分達の全てを奪った民族の血を引く地球人との混血の少年――孫悟飯への怨嗟の叫びだった。
彼は自身の肉体が滅びる最後の瞬間まで、サイヤ人の存在を恨み続けていたのだ――。
彼の身体を文字通り完全に消滅させた二人のかめはめ波は、そのまま成層圏を抜けて宇宙へと飛び出していき、一秒ほど太陽のように地球を照らすと、雨上がりの空に虹を残して消えていった。
――ベビーの「気」が、完全に消滅した。
最後の仕上げの終わりを見届けた二人はお互いが発散していた「気」を鎮めると、ふぅ……と静かに息を吐いた。
超サイヤ人の状態を解除した悟飯はネオンと共にゆっくりと降下していくと、西の都全体を見渡せる荒野へと降り立った。
「やりましたね、ネオンさん」
「うん……」
ネオンは一人の少女に戻り、ベビーは滅んだ。最悪の事態を無事防ぐことが出来、これで晴れて大団円というところか。
憑き物が剥がれ落ちたような表情で微笑むと、悟飯はその視線を眼下に広がる西の都の街々へと向ける。彼らの前には唯一今回の戦いによって引き起こされた惨状が広がっていたが、合理的に考えればそれらはまだ、失っても取り返しのつくことだった。
思い詰めた目で街を見下ろしているネオンを安心させる為に、悟飯は言った。
「街はこんなになってしまいましたけど……大丈夫ですよ。後でドラゴンボールを集めて、みんな元に戻してもらいますから」
「うん……そうだね」
あまりドラゴンボールに頼り過ぎるのもどうかとは思うが、こんな使い方ならば天の神様――神と言っても友人のデンデだが、彼も許してくれるだろう。
しかし悟飯の言葉を受けても、ネオンの表情は優れなかった。
ネオンはふと上空――澄み渡るような青い空を見上げると、どこか感傷的にこう言った。
「ねえ、悟飯。こうも広い青空を見上げるとさ、なんだか勇気が湧かないかい?」
「ん? そうですか?」
虹の橋が架かった、地球特有の青い空だった。
つい先ほどまで雨が降り仕切っていたとは思えない大空は、これまでの戦いによって彼らが雨雲を吹き飛ばしてしまったことが故の姿だった。
戦いによって勝ち取ることが出来たのは彼女の存在だけではなく、今広がっている晴れの天気もそうらしいと悟飯は苦笑する。
しかし、彼の横でネオンが浮かべていたのは――文字通り、今にでも消えてしまいそうな儚い笑みだった。
「はは、なんてね……私ってば、最後だからって感傷的になっているみたいだ」
「最後? ……ッ! ネオンさん! その身体っ……!?」
――ネオンの身体はこの時、そのほとんどが消えかけだったのだ。
全身が徐々に透明に近づいており、それに伴って彼女から感じられる「気」も薄くなっていた。
一体彼女に何が起こっているのか、状況を理解出来ずに愕然とする悟飯に、彼女が簡潔に説明する。
「私とベビーは、一心同体。それは、死ぬ時も一緒なんだ」
「まさか……そんなことって……!」
一度完全に同化し、一人の人間となった彼女は、その命までもベビーと共有していたのだ。
ベビーが死ねば、ネオンも死ぬ。まるでピッコロと元地球の神のような関係に、二人はあった。
ベビーの魂があの世に昇ったことによって、彼女の魂もまたあの世に昇ろうとしている。そのことに気付いた悟飯は激しく動揺するが、対照的にネオンは不自然なまでに落ち着いていた。
それはまるで……自分がそうなることを始めから知っていて、尚受け入れているかのように。
「ネオンさんは、知っていたんですか!? ベビーを倒せばこうなることを!」
「騙していたみたいで、ごめんね。でも、もし教えていたら、君はベビーを倒してくれた? ……だから、もういいんだ。これが私の運命だったんだから」
「そんな……」
彼女は、始めから知っていたのだ。
この地球の平和を守る為には、どう足掻いても自分が生き続けることは出来ないことを。
そして全てを知っていた上で、彼女はベビーを完全に葬り去ることを選んだのだ。
そんな彼女は、死にゆく者とは思えない穏やかな表情で言った。
「ねえ、悟飯。私は君のおかげで、今まで生きてきて良かったって思えたんだ」
だから自分は救われたのだと、悟飯や悟天達のおかげで短くても幸せな時間を過ごすことが出来たのだと言って、ネオンは笑う。
「こんな私に、ずっと優しくしてくれてありがとう。こんなにも幸せな気持ちで、あの世に逝けるんだ。私はそれが嬉しい……」
「必ず、ドラゴンボールで生き返らせます!」
「言ったでしょ? 私が生き返ればベビーも生き返ってしまう。そんなことの為に願いを使うんなら、私のせいで滅茶苦茶になったこの街を、死んだ人や怪我をした人も含めてみんな元に戻してあげて。私よりもずっと、大事なものなんだから」
彼女は、自分が死にゆくことを受け入れている。
死にたくないと思っていながら、生きたいと思っていながら……彼女はその運命に対して、抗おうとはしなかった。
そんな彼女のあまりにも潔い――潔すぎる姿に、悟飯は納得することが出来なかった。
「駄目ですよ、そんなのは! やっと元に戻れたじゃないですかっ! 生きていれば、これからずっと! 幾らでも幸せになれるじゃないですか!」
「私は平気だよ、悟飯。この一時だけでも……私は今、とっても幸せだから。もう消えてしまっていい……そう思えるぐらいに」
ネオンは嬉しそうに笑むと、悟飯の手を両手で握る。
自分が消える直前まで、彼がそこに居たことを忘れない為に。
「元気でね、悟飯。偉い学者さんになりなよ?」
――そして彼女の姿は、彼女の魂は……この世から消えた。
「ネオンさん!!」
ネオン。ネオン。ネオン。ネオン。ネオン。ネオン。ネオン。ネオン。ネオン――悟飯が何度も繰り返し、彼女の名を叫ぶ。しかし、一度として彼女の言葉が返ってくることはなかった。
彼女が言い遺した最後の言葉が、悟飯の頭の中で幾度も繰り返されては消えていく。
その言葉は、彼女が孫悟飯のことをどう思っていたのかを表す、別れの一言となった。
――さようなら、私の
サイヤ人を憎み、ツフル人の狂気によって苦しみ続けてきた地球人の少女の魂は……この時、サイヤ人と地球人の間に生まれた英雄によって救われ、見送られたのだ。
最後に残った彼女の手の感触を胸に、少女の
そして、グレートサイヤマンへ……
次回でエピローグとなり、このお話はおしまいとなります。