「殺すッッ!!」
吐息と共に吐かれたその言葉はキリトの殺意を示した。霞むほどの速度でキリトは飛び出し、茅場の盾へと鋭い一撃を浴びせる。それが、戦いの開始の合図だった。
キンッキンッと荒く重い攻撃が次々と茅場に降り注がれる。しかし彼は冷静にそれを弾き、余裕の表情すら見せている。空気が揺れるほどの威力を持つキリトの一撃一撃を全て難なく弾き返すとは、かなりの腕達者だ。決してゲームマスターだからというだけではなく、茅場晶彦という人間本来の戦闘スキルもそこに反映されていると言えよう。
キリトは勇ましく叫びながら二刀を振り回す。目にも止まらぬその攻撃は盾を躱してもおかしくない。でも、躱せていない。攻撃が一発も当たらないのだ。そして……彼もまた、完璧なタイミングでキリトに剣を入れる。
ここで俺は気づいた。奴は誘っているんだ。キリトが一番やってはいけないことをやらせようと、焦らせているんだ。だから防御に徹底し、隙あらば攻撃するという、ストレスのたまらせる戦い方をしているんだ。
茅場は恐ろしい男だ。これまでに1万2千人弱の人間が死んでいる。殺している。にも拘らず涼しい顔をしながら戦っているのだ。非情。冷徹。そんな言葉じゃ形容できないような、態度。心がないというべきだ。だとしたらもう奴は人ではなく、怪物だ。今キリトは、そんな奴を相手にして戦っているんだ……!
「うおおおおっっ!!」
キリトは吠えるように叫びあげ、果敢に茅場に挑む。嵐のような攻撃が再び襲いかかるも、難なく防いでしまう。これでは、茅場の思い通りだ。
茅場はキリトの攻撃を弾きながら、剣を突き入れた。素早く、それでいて的確すぎる一撃がキリトの頬を掠める。その直後だった。
「よせーーー」
俺の言葉は空しく、ソードスキルの発生サウンドエフェクトによって掻き消されてしまった。キリトの二刀が蒼く光り、茅場に向けられる。だがーーー茅場の顔が濃いブルーに照らされながら醜悪に歪んだその時。全員がキリトのミスに気づいた。
キリトはソードスキルを使ってしまった。ソードスキルは、茅場晶彦が一から設計した必殺技だ。つまり、茅場には軌道が読めてしまい、通用しない。しかも厄介なところは硬直時間が設けられているところだ。全てブロックされ、動けないところに攻撃を加えられたら……キリトは死ぬ。
キリトは吠えながら、二刀流のソードスキルを放った。盾にぶつかる衝撃の大きさから、最大級の技だと推測できる。だがそういった技ほど硬直が大きい。このままでいけばキリトの敗けだ。俺は見ていられず目をきつく閉じた。
ガンガン、ガガンガン!!
怒濤のごとく巻き起こる剣風に対し、茅場は作業をしているように弾き返し、威力を殺している。全て熟知しているのだ、どうすればこの技を完全無効化出来るか。やはり神に逆らうことは出来ないんだ……!!
「うおおあああああああっっーーー!!」
キリトの心からの叫びが、ボス部屋に響き渡る。恐らくこれが最後の攻撃だ。本人だってもう無理だってわかっている。それでも望みを繋げるようにキリトは叫ぶ。
だが、それは金属の悲鳴によって打ち砕かれた。盾に衝突した左の剣は、綺麗に割れて虚空に舞っていった。キリトの目が焦点を失い、硬直時間を課せられる。勝利を確信した茅場は、本性を現すような歪んだ笑いを浮かべながら剣を掲げた。邪悪な印象を与えるクリムゾンレッドの輝きを湛えた十字剣がまっすぐ振り下ろされる。神が下す裁定は死。これほどまでに確定したものはない。俺たちは、キリトの死の瞬間を見ているだけしか、できなかった。
この時、誰も気づかなかったという。
ボス部屋のドアが開き、ひょこひょこと迷い込んだ少女の存在を。鎧などはなく、ただのワンピースを着ていて、どう見ても戦闘向きには見えないあどけない少女。
虚ろな表情を浮かべ、体を引きずるように歩いていくその様はまるでゾンビだ。その虚ろな目が映し出しているのは。
蒼い光を放ちながら激しい戦いを繰り広げている二人の剣士と、這いつくばっている一人の青年。
少女は走る。
己が命ずままに。脳がささやく。殺せと。
茅場晶彦を殺せと。
「さらばだ、キリトくん」
茅場のソードスキルが発動し、キリトに振り下ろされる。このまま当たれば間違いなく死ぬ。声も出せない。止めろとも言えない。見て、いられない。
俺は目をきつくつむり、顔を背けた。キリトが消える瞬間は、人の消える瞬間はみたくない。その本能が俺を必死に逃がした。逃げたことにはならないけれど。
茅場の剣がキリトの体を切り裂く、その瞬間の訪れが過ぎるのを願いながら俺は視界をシャットアウトする。
ザクッ……!!
刺さる音がした。剣によって体が傷つけられたことを示す、ありふれたサウンドエフェクト。キリトが刺された。殺された。俺は確信した。
この時までは。
「がはっ……!?」
若い奴が発する、透き通った声ではなく、渋い悲鳴が鼓膜を揺らす。キリトのものじゃない。でも、一体誰が……。
ーーーまさか!?
俺はある確信を得て、目を開ける。するとーーー。
茅場が刺されていた。後ろから、茅場の体を大きな剣が貫いていた。目は大きく見開かれ、口をパクパクと開閉させていた。
「……!?」
だが、茅場の言葉は形にならず。
HPは0になっていき、爆散した。星屑のように儚く、美しかった。ゲームマスターも、こうして散っていくのか。呆気ないものだ。
キリトがやってくれたのか。俺は、よくやったと労おうとキリトを見たのだが。
キリトの視線は、茅場のいた場所にあった。表情は、驚きの一色だ。いや、恐怖に似た者も感じる。一体それはなんだ? 俺もそこを見る。
キラキラと未だに宙に舞う、光の残滓が纏うのは、少女だった。フリルのついた帽子にワンピースとこの場にはそぐわない格好。右手にはさらに似合わないごつい剣が握られている。まさか彼女がやったのか? でも、どうしてその格好なんだ?
何で、俺のよく知っている格好なんだよ?
俺は体が震えた。宙に舞うポリゴンの粒子がイライラさせるほどに彼女を隠す。俺は目を凝らしてその先を見つめる。でも……見れば見るほど俺が先程から抱いている答えは、確かなものになっていく。でも、分からない。何で、何でこうなるんだ?
俺は肘を起こし、立ち上がる。もう麻痺はなおっていた。ぐらぐら揺れる足をどうにか押さえ、一歩を踏み出す。少女までの距離がすごく遠く見える。手を伸ばす。届かない。茅場を構成していたポリゴンが隔てるように、少女は俺を拒む。
俺は立ち止まり。
がくがく震える声で、少女を呼んだ。
「何でお前がここにいるんだ……まゆり?」
その瞬間。
ポリゴンの塵の壁は取っ払われて。
少女の全体が見えていく。
まゆりだ。間違いなく、まゆりだった。でもなんでここにーーー。
俺の疑問が彼女に届く前に、ログアウト可能な知らせが届き。
歓喜の声も上がらぬままに、俺たちはこの世界から消え去っていた。
観測者の戦い、始まる。