艦娘全員提督が大嫌い鎮守府
「提督は、私たちの事をどう思っているんですか?」
青葉は執務室に入るなり提督に言った。時刻は午後10時過ぎ。艦娘達は普段なら演習が終わり、各々の自由時間を満喫している時間帯である。突然の訪問に加え、ぶしつけの質問に提督はやや面食らった様子をみせた。
「どうって…、これまたずいぶんとざっくりな質問だなぁ…」
執務の手を止め、提督は青葉へと視線を移す。髪は短いポニーテール。上はセーラー服に、下はキュロット。二―ソックスに包まれた脚がすらりと伸びている。普段は猫のように好奇心旺盛な艦娘であるはずなのだが、心なしか緊張した面持ちでいた。
「別に好きとか嫌いとか、色恋沙汰を聞いてるわけではないんですよ」
青葉が言葉を切って、再び提督に視線を戻す。その様子から、今から口に出す事を躊躇しているようにも見えた。
「その…、私たち『艦娘』の事を、どう思っているのかなぁって…」
言い切ると、返事を恐れるように視線をそらしてしまう。不安な表情がありありと浮かんでいるが、それを必死に隠そうという素振りも見てとれる。
『艦娘』とは、海を実効支配している異形の怪物勢力、深海棲艦に対抗できる唯一の存在である。だからといって、人造人間、アンドロイドやロボットという訳ではなく、どちらかというとファンタジー的な要素が強い。各艦娘は、かつての第二次世界大戦期の艦船がモチーフになっている。例えば今提督の前にいる青葉は、青葉型重巡洋艦のネームシップがモデルとなっていた。
恐らく、艦娘の由来など、詳細な情報などは全て海軍本部が握ってしまっているのだろう。ひょっとすると、まだ何も分かっていないのかもしれない。正体不明の敵を倒すために、実態のよく分からないものを味方につけているというのが悲しいかな、現実である。
「提督は…」
長い沈黙に耐え切れなくなったのか、青葉が再び口を開く。
「気持ちが悪いと思いますか…、私たちの事…」
その言葉に、提督は思わず心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚える。できるだけ表に出すまいとしていた感情が、実はしっかりと読み取られていたからだ。
「と、突然何を…」
期せずして、提督は取り繕おう様な反応をしてしまう。
当然の事ながら、実態の分かっていない艦娘を運用することのリスクは高い。一説では、深海棲艦は艦娘が変化したものだというのもある。いつ裏切るかもわからない存在に対して、大した証拠もないままに信頼しろというのは、土台無理な話だ。
外部からは深海棲艦が、内部からは艦娘が世界を征服していくつもりではないだろうか…。艦娘達が突然反旗を翻すという妄想が、提督の頭をよぎった事は一度や二度の事では無い。
沈黙を肯定の意味だと捉えたのか、青葉がうなだれたように言う。
「やっぱり…、そうですよね。私たち自身、自分の事が未だによく分かっていない部分が多いですから…」
目を伏せ、苦しげな表情で顔をそらす。執務室が重苦しい空気に満たされていくのが分かった。
何か言わなければならないと分かってはいるのだが、提督にはとってつけたような慰めの言葉しか浮かんでこない。言うべき言葉が見つからず、すっかりと黙り込んでしまう。
「ごめんなさい、困らせるような事を言ってしまって…。突然入って来て、私は何を言っているんでしょうね。…何だか、疲れているみたいです。さっきの話、忘れちゃってください」
空っぽの笑みを浮かべて、青葉は満足したように一人で頷く。その様子は見ていて、痛々しさを感じた。
「待ってくれ!」
そのまま部屋を出ていこうとする青葉に対して、提督は弾かれるようにして声をあげた。青葉は背中を向けたまま、こちらを振り返ろうとしない。もしかすると、涙を見せまいとしているのだろうか。提督は構わずに続ける。
「青葉の言う通り、私は艦娘の事を不気味に感じたことがないわけではない。なにしろ、情報量が少なすぎるからだ。兵器として見るには君たちは人間らしさがあるし、人間としてみるにも君たちは…」
提督はそこまで言うと、ちらりと青葉の方へと目を向けた。青葉は同じ姿勢のまま、微動だにしない。一応話を聞こうという意思はあるのだろが、言葉を間違えると飛び出してしまいそうな危うさがあった。意を決し、提督は続ける。
「正直に言って、初めは恐る恐るという感じだったよ。いつ寝首をかかれる事かと、冷や冷やしていた。しかし、君たちのいる鎮守府に着任して、早いもので1年が過ぎようとしている。演習や実戦を繰り返している君たちを見て、私の中で一つのある感情が芽生えだした事に気が付いたんだ」
提督のもったいぶった口調に、思わず青葉が振り返る。青葉の大きな瞳に、しっかりと涙が浮かんでいることを提督は見逃さなかった。
「信頼、だよ。私は君たち艦娘のことを、もっと信じてみてもいいのかもしれないってね。君たちには、ひたむきさがあるんだ。自分たちの目的というか、存在意義を達成させようというまっすぐな心が…」
提督は、自分自身の言葉に驚きを感じて口を止めた。心というのは、人間に対して使うべき言葉だったからだ。自分で考えている以上に、艦娘の事を信用しているのかもしれなかった。
「それはむしろ尊敬に近い感情なのかもしれない。こうありたいという、教訓めいたことを君たちから感じた事もある。それでも、面と向かって不安がないかと聞かれると、今みたいに気持ちが揺らいでしまうんだ。それは単に…、ただ単に、私が臆病なだけなのかもしれないな」
ここまで言うと、提督は恥ずかしそうに微笑んで見せた。
「ありがとうございます…。青葉は…、提督にここまで言ってもらえて…、恐縮です…」
目の奥から噴き出して来そうな涙を、必死に堪えているようだった。
「でも…、提督はあまりそういう事を口に出さないから、もしかすると誤解している艦娘もいるかもしれませんよ」
改めて言われると、提督は不安になる。しかも、相手は他でもない、艦娘の一人であるため、それは尚更である。
「誤解…、か。しかし、こういった事は口に出してみると嘘くさく感じるものだしな…」
「でも、こうして話をしてみないと伝わらない事もあります」
提督がふと顔を上げると、青葉と目が合う。何か言いたいことがあるのだろうかと考えていると、青葉はケースに入った、一枚のディスクを提督に手渡した。
渡されたディスクの表紙には、『艦娘全員提督が大嫌い鎮守府』と手書きがされている。
「青葉、これは一体…?」
「今日は元々、提督とこのゲームをしようと思っていて…。説明を聞くより、実際にやってみた方が早いですよ。パソコンをちょっとお借りしますね」
そういうと、青葉はディスクのデータをパソコンに取り込んでしまい、ゲーム画面に移ってしまった。
「まずは秘書官を選んでもらいます。この5人の艦娘の中から、自由に選択して下さい」
画面には吹雪、叢雲、漣、電、五月雨のイラストが表示されている。しかし、どの艦娘もあからさまに嫌そうな表情をしていた。
「みんな眉をひそめていたり、目をそらしているんだが…?」
「好感度は0の状態から始まります。他の艦娘は最後まで提督の秘書官になる事を拒み、嫌々候補にあがったという裏設定があります」
「…じゃあ、中でも一番優しそうな電ちゃんを選ぶよ」
電にカーソルを合わせ、クリックすると、画面からえっ、と心底嫌そうな声が返ってくる。まさかのボイス機能付きであった。
「今のは選択したことによる、好感度の下落が起こったみたいですね」
いつの間にか、青葉がゲームの解説役になってしまっている。さっきまで涙目になっていたくせに…。そう考えると、提督は思わず頬を緩ませてしまった。
画面はこの艦娘を秘書官にするかどうか、確認のウインドウが出ている。続けて「はい」を選択するも、本当にこの艦娘で良いか、確認のウインドウが出現した。若干のめんどくささを覚えながら「はい」を選択する。
すると、『あなたはこの艦娘にとって、悪影響を与え得る人間です。それを自覚した上で、本当にこの艦娘を選択しますか』という警告画面に切り替わった。
「ナレーターに脅されているんだが…?」
「まあまあ、そういう設定ですから。ちなみに、どの艦娘を選んでもその艦娘と
ナレーターの好感度は下がるので、結局は同じですよ」
「ナレーターにまで好感度が設定されている!?」
「嫌われると選択肢が隠されたり、ローディングが長くなったりするので、いかに好感度を下げないようにするかがクリアするための鍵ですね」
「このゲームには、敵が多すぎる…」
電を秘書艦に設定し、執務室へと移動する。そこはダンボールが乱雑に置かれているだけで、殺風景な印象である。まるで当然の事のように、秘書艦の姿はない。
「聞かなくても大体分かるが、これは…?」
「秘書官に任命したことにより好感度はマイナス値になったので、執務室に艦娘が姿を現すことはありません。ナレーターの好感度についても同様で、チュートリアルが勝手にスキップされてしまいました」
「このダンボールしかない部屋で、この提督は一体何をするつもりなんだろう」
「すみませんが、あまりぼやぼやとしている時間はありませんよ。画面の右上に注目してください」
右上のアイコンは資材の貯蓄数を表しているようだが、すべて数字の先頭にマイナスがついてしまっている。
「信頼もなければお金もない鎮守府という設定なので、借金を抱えてのスタートですね」
「そんな無茶な!こんな状態から、一体何をしろって…」
提督が青葉に意見しようとしたとき、画面からカタリ、という音がした。見てみると、資材のマイナスの値がわずかだが大きくなっている。
「資材は普通、時間とともに増えていくんですが、この鎮守府は借金の返済が終了しない限り、利子が増え続けてしまいます」
「救いが無い!初めの内から理不尽が過ぎる!」
「資材を貯めるための努力をして下さい。試しに、電ちゃんに遠征のお願いをしてみてはどうですか」
嫌な予感しかしなかったが、念のため、遠征の画面を開いてみる。遠征場所を鎮守府近海に設定し、いざ電を出撃させようとすると、「ボーキサイト500が必要ですが、宜しいでしょうか?」という確認が表示された。
「遠征には艦娘の運用のために資材が必要となるのですが、それとは別に、艦娘のご機嫌伺いをするための別途資材が必要となるんですね」
「艦娘の機嫌!?この提督はどこまで姿勢を低くする必要が!?」
「もちろん、我が鎮守府にそのための余裕があるはずがありません。そのような場合、デイリー任務をクリアするのが良いですよ」
「ちゃんと救済措置があるわけだ」
提督が任務画面を選択するも、カチリというクリック音が鳴るだけで、一向に画面が変化しようとしない。
「どうやら任務担当の艦娘にも嫌われてしまっていたようですね。これでこの提督はデイリー任務を受けることはできなくなってしまいました」
「ここまでくると、むしろ艦娘側に問題があるような気がしてきたけどね」
「同様に、建造も行うことが出来なくなってしまいました。理由は…」
「提督が嫌われているから」
「その通りです!」
提督が言うと、青葉はにっこりとして答えた。笑顔のまま、なんてことを言うのだろう。
「ちなみに、妖精さんは心が汚い者には見えないという設定なので…」
「提督には見えないっていうのか!こんな扱いを受けてたら、誰だって汚くなるだろ!」
執務室に戻ると、ダンボールがひっくり返って散乱しており、中身がすべて床にぶちまけられてしまっていた。窓ガラスは粉々に割られ、カーテンはズタズタに引き裂かれてしまっており、壁にはスプレーによる落書きまでされている。
「どうやら、妖精さんにいたずらされてしまったようですね」
「いたずらで済むか!こんな強烈な悪意を向けられて!」
「もちろん、家具コインについても借金を抱えている状態なので、残念ながら執務室はこのままの状態で、提督は仕事をする必要があります」
「ガラスが散乱した床の上で、何ができるっていうんだ!」
「あっ!見てください!あれ…!」
青葉が指を指している方向を見ると、ひっくり返されたダンボールの内の一つが、ぐらぐらと揺れているのが分かった。
「どうやら、妖精さんがいたずらの途中で、ダンボールの下敷きになっちゃったようですね」
「自業自得とはまさにこの事だな」
「確かにその通りなのですが、妖精さんを助けることで、好感度のアップが期待できます」
「やっとこういうチャンスに恵まれたよ…」
提督がダンボールを持ち上げようとカーソルをクリックをした瞬間、甲高い悲鳴が響いた。
「うわ!」
急な出来事に、思わず体をのけ反らせてしまう。声を聞きつけたのか、ゲームの執務室に電が走って入ってきた。
「一体どうしたので…す?」
電は入ってくる時こそ慌てたような表情だったが、何を勘違いしたのか、信じられないといった様子で、こちらを睨みつけている。
「どうやら妖精さんの罠だったようですね。電ちゃんから見たら、提督が妖精さんをダンボールの下敷きにしていじめているように見えたみたいです」
「そんなひどい事、するわけないだろ!」
電は妖精さんを助けてあげると、何も言わないまま部屋を出て行ってしまった。
「結果として電ちゃんの好感度がさらに低下してしまいました」
「いい加減にしろ!」
青葉と話している間にも、画面からはカタリ、カタリ、という借金が増え続ける音が聞こえ、提督の憂鬱な気持ちはますます高まっていくばかりだった。
「残念でしたね、惜しい所まで行けたのですが…」
それからしばらく続けていたが、やがてゲームオーバーになってしまった。すっかりゲームをやめてしまい、提督はディスクを青葉に返そうとする。
「それは提督に差し上げますよ。よかったら、またいつか挑戦してみて下さい」
「何度やっても、同じだと思うが…」
言いながら、提督が引き出しにディスクをしまおうとする。
「このゲームの目的は、クリアすることじゃないんですよ」
ふと顔を上げると、青葉と目が合う。先程までとは打って変わった真剣なまなざしで見つめているため、提督は青葉から目をそらすことが出来なかった。
「このゲームをやっている時、提督はどんなことを思い、どんなことを考えましたか。大事にして欲しいのはそういう事なんです。…ちゃんと話をして、誤解をときたいって、そんな事を考えたりはしませんでしたか?」
ハッとしたふうに、提督は青葉を見る。
「ゲームには…、作品には、それぞれテーマがありますよね。私が最初に言った言葉、覚えてます?話してみないと伝わらない事もある、って。提督は嘘くさくなるから嫌だとおっしゃいましたが、やはり、私は必要な事だと思います」
言葉の意味が、ゆっくりと体の中に染み入っていくのを提督は感じる。
「話のきっかけが無ければ、作ればいいだけなんですよ。私がこのゲームを作った目的は…、少しでも提督と話をするきっかけになればと思って」
ふふっ、と青葉が微笑んでみせる。
「もっと心を開いてみて下さい、提督。私たち艦娘はみんな、あなたと仲良くなりたいと思っていますよ」
そこまで言うと急に恥ずかしくなったのか、青葉は顔を真っ赤にしてしまった。
「ま、まあ、ゲームを作ってる途中に面白くなってきちゃって、暴走してしまったっていうのはあるんですけどね!いやぁ~、今年の鎮守府KOTYは青葉が頂きかな~、なんて…」
「青葉」
言葉を遮るように、提督が言う。
「ありがとう」
それを聞くと青葉は、本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
戦闘中に青葉が轟沈したという知らせが提督の元に届いたのは、それから数日後の事だった。敵の攻撃から味方を、身を挺して庇ったらしい。振り返ってみれば、青葉には何となく、こうなる運命を予想していたのかもしれなかった。
そうなる前に何か伝えたくて、提督の元にディスクを残したというのは少し考えすぎなのだろうか。あれが青葉の遺作になるとは、提督は夢にも思っていなかった。
轟沈した青葉の捜索はしばらく続けられたが、やがて打ち切られてしまう。同行した艦娘達の反応は様々だったが、青葉に助けられた艦娘は特に動揺していた様子だった。
海を異常に怖がるようになってしまい、自殺をしようとして、他の艦娘から取り押さえられている場面を提督が目撃してしまった事もある。
しばらく暗澹たる雲行きが続いたが、鎮守府に2隻目の青葉が着任することにより、空気が一変する。見た目や性格がそのままであり、記憶を継承していないという点を除けば、以前の青葉とまるで変わりがない。
青葉に助けられた艦娘は、始めこそ戸惑うような素振りを見せていたが、やがて慣れたのか、もしくは自分達がどのような存在であるかを悟ったのか、戦闘に集中するようになっていった。
それから半年後、提督は執務室で、改めて青葉と向き合っている。2隻目となってから、提督が無意識に避けてしまっていた事もあり、青葉もそれを少なからず察していたのか、お互いに緊張しているように見えた。
「何かご用でしょうか…、提督?」
青葉がおずおずといった調子で声をかける。それに対し提督は、少し照れたようにして答える。
「いや、そこまで大した用事じゃないんだ…。時間が空いているなら、暇つぶしにゲームでもして遊んでみないか、と思ってね…」
「えっと…、ゲーム…、ですか?」
やや拍子抜けしたように、青葉が聞き返してくる。
「昔、ある艦娘が俺に作ってくれたんだ。久しぶりにやりたいと考えていたんだが、良かったら少し付き合ってくれないか…?」
言いながら、引き出しから一枚のディスクを取り出して見せる。
「もしかして…、ゲームは苦手だったりする…、かな?」
恐る恐る聞くと、青葉は満面の笑顔を作って見せた。
「いえ、大好きですよ!艦娘が作ったゲームなんて、すっごく面白そう!」
提督は何かを懐かしむようにして微笑むと、パソコンにディスクを挿入した。
半年前、青葉はこのゲームを持って来てくれた時、一体どんな気持ちだったのだろう。楽しんでもらえるだろうかという、不安と期待が入り混じった…。
そこまで考えると提督は、少し胸が熱くなった。