「赤ちゃんって、どこから来るのです?」
電の突然の爆弾発言に、ホットミルクを口に含んでいた暁型一番艦長女暁が吹き出し、トランプタワー最後の頂上付近に手を掛けていた次女響が頭を机に叩きつけてタワーが崩壊する。その向かい側で三女雷がやっとこさ苦労してウォーターライン「1/700駆逐艦 雷」を組み立てていたが、響が机に激突した衝撃で手元が狂って煙突にマストが突き刺さった。
「えっと……電、急にどうしたの?」
なにがなんだか分からないまま、口の周りをミルクで真っ白にした暁は呆然とし、取りあえず赤ちゃんがどこから来るのか知ってる響は帽子を深く被って誤魔化し、内心どぎまぎしながらも雷はどうしてそんなことを考えたのかを落ち着いて聞いてみた。
「今朝、司令官さんからこれをもらったのです」
と、電がみんなに見せたのはケッコンカッコカリの書類一式であった。それを見た全員が、「おぉ~」と歓声を上げる。随分と前から提督にカッコカリがあると知らされていたが、みんな実物の書類を見るのは初めてだった。
「そっか、この前電ケッコンカッコカリの条件達成したって言ってたもんね!」
「練度限界域到達……ハラショー」
「へー。これで電も文句なしの立派なレディになれるのね!」
書類をちらちらと見てみる。何やら難しい単語が並べられてちんぷんかんぷんだったが、取りあえず書類に提督の名前と電の名前、そして印鑑を押して指輪をはめれば今の限界地を超えた境地へと足を踏み入れることが出来ると言うことは理解できた。
しかしである。それがどうしてあの冒頭爆弾発言に繋がるのかが理解できなかった。
「それで……どうしてその、赤ちゃんの話になったの?」
「えっとですね、ケッコンカッコカリと言うことになると、やはり電は司令官さんのお嫁さんと言うことになるのですよね」
「いや、あくまでカッコカリだから別にお嫁になると言う訳じゃ……もがっ!?」
指摘しようとした暁の口を、響がやや慌てて無理矢理塞ぐ。もがもがと口を動かすが、指に力を込めて「お静かに」の顔。
(姉さんストップ。形はどうあれこれは電にとってカッコカリだろうとガチだろうと関係ない、これを愛の証だと認識してる。その指摘は野暮だよ)
耳うちでそう伝え、暁はうんうんと大きく頷く。どちらかと言うと彼女は一刻も早くこの口呼吸どころか鼻呼吸でさえも十分できない状況下から逃げ出したかったため、特に考えずに頷いただけだったが。
「だから、お嫁さんになったら一体どんなことをすればいいのか色々な人に聞いて回ったのです。料理が出来る、お掃除洗濯もできるようになる、司令官さんが辛いときはよしよししてあげる……色々大変なのは分かってるのですけど、頑張ったら電もきっとできるようになると思うのです。けど……」
「……赤ちゃんの作り方だけが分からない、ってこと?」
「はいなのです」
雷は天を仰いだ。そして、一体誰からそんな事を聞いたのかを聞いてみた。
「青葉さんです」
「……響、あとで付き合って」
「принято(了解)」
「はわわ!? 二人とも、顔が怖いのです!!」
「電は気にしなくていいのよー。さ、もう夜も遅いしお風呂に行きましょ! 私たちちょっと準備するから、先に行っててね。はい、これお風呂セット。シャンプーハットはいる?」
「え、あの……それで赤ちゃんは……」
「あとでたっぷり教えてあげるから!! ね!!!」
と、ものすごい剣幕になる雷。顔は笑顔なのだが、誰がどう見ても『早く行け』としか言ってないその表情は、電の膀胱を縮み上がらせるにはむしろオーバーキルな位で、大慌てで暁型四番艦の末っ子はお風呂に向けて猛烈ダッシュで駆け抜けた。
ぱたん、と扉が閉まる音と廊下を電が走り抜ける音。その音が完全に消えた所で三人は机に手を置いて顔を近づけて緊急会議へと入った。
「どうするのよ……まさかあんなこと聞かれるなんて思ってなかったわ!」
「電の努力家なところは彼女のいい所だ。これ以上申し分のないくらいに。けど、流石にこれは説明するのが恥ずかしいな」
「いやね、司令官の力になってあげたいってのは分かるわよ。けど何でいきなりそこに行きつくのかが……まぁ、一番厄介だと思ったから真っ先に解決しようと思ったんでしょうね」
上から、長女次女三女の順番である。お互い超至近距離の感覚。しかし響は暁の顔を見てさりげなくティッシュを取り出し、未だに顔が真っ白だった長女の顔を綺麗にしてやると、会議を再開した。
「取りあえず青葉さんは後で海没処分させましょう。取りあえず……どう説明する?」
雷が取り仕切る形となり、三人は座りなおして腕を組み、「うーん」と唸る。さて、これは厄介だ。一番いいのは素直に教えることだが、教えたら彼女の頭の容量でそれを受け止められるかどうかが不安だし、適当に流してあらぬ勘違いをし、間違いに走ってしまったらそれこそ危険である。例えば、「赤ちゃんはどこから来るのです!?」と提督には聞けず、知り合いの男に聞きいて「じゃあ俺が教えてあげよう」といった寝取られ展開の薄い本の様な感じである。
「いやね……いつかは知るべきなのだろうけど、なんて言うか……長女の姉としてどう教えるか不安だわ」
「そうだね……と言うか姉さん、姉さんは赤ちゃんがどこから来るのか知っているのかい?」
「バカにしないでよ! 私だってちゃんと分かってるわ!」
「コウノトリってのは無しだからね」
「いまどき誰がそんなこと言うと思ってるのよ!! 知ってるわよ、私だってレディだからそう言うの調べたわよ! 男の人と女の人がキスして服脱いで、それでおっぱい触って裸になって、男の〇〇〇〇が女の〇〇〇に……もがぁっ!!?」
「ストォーップ! 暁、貴方が理解していることを理解したからそれ以上はダメ!! そのままのあなたでいて!!」
雷渾身の手の平が暴走列車と化した暁の口を塞ぎ、ようやく停車する。その代わり暁は響の時以上に呼吸困難に陥り、顔があっという間に青くなって嫌な汗がにじみ出て来た。それを見た響が雷の脇を突いてそれから解放してやる。
「ひゃ!?」
「雷、もういい。取りあえずこの場に居る全員が電の知りたい事を知っていることは分かった。姉さんが窒息してしまう」
「あ……うん、ごめんなさい」
「けっほけっほ……と、とにかくよ……」
一旦仕切り直して、暁は再び電の爆弾発言を思い返す。こんな時にあれだったが、暁が思ったのは電にはその手の知識が無い、と言うのが少しばかり意外だった。てっきり自分が一番に遅れている物だと思っていたから、ちょっとだけ救われた気分だった。
「私たちは姉として、あの子にどう説明するべきかをしっかり考えるべきだと思うわ。その為には時間稼ぎは何より必須。嫁終業に欠かせない料理洗濯家事全般を覚えることが出来たのなら、彼女にそれを教える、と言う条件で行き、彼女に覚悟をする時間を与えるのよ!」
「おぉ……姉さんが姉さんみたいなこと言ってる……ハラショー」
「こらそこの次女! 私は姉よ、一番艦よ! 妹が悩んでるなら考えてあげる、それが長女の役目よ!」
えっへん! と無い胸を張り、高々に宣言する暁。今までこんなに頼れる姉のような雰囲気を持つ暁が居ただろうか。響と雷は惜しみない拍手を送った。
「……ま、取りあえず今は上手いこと誤魔化しましょう。プランAを発表するわ!」
暁はいったいいつの間に用意したのだろうか、机の下から一枚の画用紙を取り出し、それを高らかに広げて響と雷に見せつける。そこには電と雷が何やら食器を持って話しあってる絵と、電の膝の上に頭を乗せる響がクレヨンで描かれていた。
「プランA! とにかく家事料理スキルを雷並みに鍛え上げ、それに加えて、司令官へ安らぎを与えるようにならなければ、教えることなど到底不可能と響が指導する! これで行くわ!」
「まぁ……他に案は無いんだし、これで行くしかなさそうね」
「右に同じ。取りあえずお風呂に向かって、電にこの趣旨を伝えよう」
二人は突っ込みたいことが色々あったが、実際これ位しか案が思い浮かばなかったのでこれで良しとする。さて、取りあえず上手い事口実を作ろうかと響と雷はお風呂セットを手に取った。
*
「さて、電。あなたは司令官のお嫁さんになるための努力はする、といったわね?」
と、あくる日の昼下がり。第六駆逐隊の部屋で二人きりになった雷は、時間稼ぎを開始すべく自ら電に先に計画した話題を持ちかけた。
「はい。だからまずは赤ちゃんの作り方という一番分かりにくい物を理解しようと思ったのです」
「そう。確かに面倒なことを先に片付けるのはいい考えだと思うわ。夏休みの宿題を初日で半分終わらせるくらいいいアイディアだと思う。けど!!」
かっ! と雷の目が光るかのように開き、電の背筋が真っすぐ伸びる。何か自分は間違ったことを言ったのだろうかと電は考えるが思い当たる節は無かった。
「いい、今あなたがやろうとしているのは、レベル1でラスボスを先に倒しに行くって言ってるようなもの。そんなのは無謀すぎるわ」
「あ、赤ちゃんの作り方って……そんなにハードな物なのです?」
「そうよ。それを知る権利が与えられるのは、これから私たちが教えるスキルを身につけてからようやく一歩踏み入れる事が出来るわ」
「それは……?」
「電が言った、料理家事スキルの向上よ。私がそれを教えるわ。まず肉じゃがを一人前に作れるようになったら合格、いいわね!?」
「は、はいっ!」
「ならばさっそく厨房に出発!」
すたこらさっさと二人は鎮守府厨房へと移動。間宮さんの許可を得てエプロンを着ると鍋具材一式を用意して雷は満足げにそれを見つめ、電に向き直った。
「いいこと! まず料理の基本はカレー。カレーを満足に作れないと他の料理は一切作れないと思いなさい!」
「はいなのです!」
「まずはジャガイモ、人参、玉ねぎを適量にカット! 玉ねぎを入れたらアメ色を超えるアメ色になるまでひたすら炒める!」
「ど、どのくらいなのです?」
「四時間よ! 三連休があるなら半日やってもいいわ!」
「そんなに!? というか雷ちゃん三連休の時やけにクマが出来てた理由はそれなのです!?」
「そうよ。愛情をたっぷり注ぎこまないと美味しく仕上がらないわ。カレーは時間をかけてから完成する物なのよ!」
と、雷は自分の手本用になる玉ねぎを手早く包丁でカットする。速い、速い、とにかく早い。暁がやろうものなら三秒で大泣き状態なのにそのそぶりを一切見せない。これが駆逐艦最強レベルのお艦、ダメ提督製造機の本領である。
「これ位切ったらまず鍋に入れるのよ。取りあえずあまり長い事ここを占領するわけにはいかないからあらかじめ用意した下準備済みの具材を使うわ」
「3分クッキングなのです!?」
「それで一応サンプルに持ってきた、私最高傑作の100時間煮込みカレーがここにあるわ」
「雷ちゃんあなた一体いつ寝てるのです!?」
「細かい事は無しよ!」
有無を言わさず雷は厨房のコンロの上に置いてあった鍋の蓋を開ける。その瞬間湯気が立ち上り、続いてその場に居合わせた物を間違いなく魅了する香りが広がり、電は思わず声を上げた。
「ふぁ~……すごくいい匂いなのです」
「でしょ? これが私渾身の一品よ。味見してみる?」
小さな受け皿に少量のルーを注ぎ、電に差し出す。熱くならないように息を吹きかけながら一口。
「こ、これがっ……司令官さんのお嫁さんになるにふさわしい女性の作る、カレー!!」
格が違う、とはこのことだろうか。何とまろやかで濃厚な、旨みの凝縮したカレールウ。一口目を食べれば、野菜を煮込んだ際に溢れ出た自然の味覚が舌を味付けし、続いてやって来るカレールウ本体の王道てき味わいが口の中を支配する。ここでご飯が加われば最高だが、あくまで味見。次のステップへと移行し、わずかに形を残した野菜、おそらく人参だったであろうものが噛みしめられる。芯まで味がしみ込んだそのビタミン要素は、今やただのカレーの支配下となった肉塊、いや菜塊と化し、人参としての役目では無くカレーの右手として働いていた。何たる魅力、これが人参だと誰が気付くだろうか。暁に食べさせたら彼女は気付く事無く人参嫌いを克服するであろう。
と、電の味覚に違う何かが着弾する。このとろけるもわずかに食感が残る、ほくほくとした食材。これは間違いない、ジャガイモだ。舌を撫でるジャガイモ独特の感触はまだかろうじて生き残ってる。だがあのジャガイモですらここまで消えてなくなるという事実に電は衝撃を受けた。だが、生きてる。姿かたちは替えても、デンプンの使者、ジャガイモは確かに電に自らの存在を届けたのだ。それが彼女を大きく感動させる。
そして、止めの牛肉が現れる。独特な食感、これはスーパーの特売品では無い。これは国産カレー用牛肉、スーパーで売られている少し高い奴だ。たかければいいというものではない、と主張する人間も少なからずいるだろう。だが、やはり良い肉を使う事により、煮込んだ詩に染み出る肉汁がカレールウに溶け込み、その変わりようは大和型戦艦に試製51cm連装砲を全て載せたかのような凶悪さ。何が言いたいのかというと、肉のおかげでカレーが美味しいのだ。
始まりに玉ねぎを徹底的に炒め、具材が溶けてなくなるまで煮込み続けた全ての具材の象徴であるキング・オブ・カレー。雷の作ったカレーこそ、カレーの中のカレーと呼ばれる、カレー・ザ・カレーにふさわしい物だった。
「ま、あくまでこれは応用編ってところだから、電は普通に作れればそれでいいわ。さ、まずは具材を切る所までよ」
「なのです!」
電はさっそく下準備へと入る。雷の指示通りに具材を切り分け、玉ねぎをみじん切りにする。開幕五秒で涙が止まらなくなりながらも、雷の指導のもとあれやこれやを割と手際よくこなし、ざっと二時間経過した辺りで雷が味見する。
「…………っ!!」
雷の味覚に、ニュータイプ的効果音が走った。
「どう、なのです?」
「うん、これなら全然大丈夫よ! 電って結構料理できるのね!」
「はい! 時々司令官さんに食べてもらうため、カレーなら作っていたのです!」
ぱぁ、とまるでひまわりが咲くような笑みを浮かべる電。世のロリコンたちを間違いなく轟沈させるその笑みを自分の物に出来る提督はさぞ幸せ者だろうと思った。が、同時に一つ思う所もある。
(作れるなら……早く言って欲しかったわ……)
*
「と、言うわけで第一関門はクリアしちゃったわ」
所戻って第六駆逐隊僚である。例によって電は先に風呂に行かせて約十分間の三姉妹作戦会議である。
「ちょっと、早過ぎなのよ! 一日でクリアってどういう事よ!」
「だって予想以上に美味しかったんだから仕方ないじゃない! 私だって嘘は吐けないわ、料理をする身としてはそんなこと出来ないの!」
「雷がそこまで言うっていうのなら、電の腕前も結構な物なんだね」
皆が手を組んで考える姿勢になる。雷だって最後に電の料理を作る所を見た時はジャガイモの皮を剥くのに三分の一の大きさまで小さくしてしまっていたし、野菜を切る包丁もぎこちない物だった。だがどうだろう、今日は全くトラブルなく乗り切り、雷が唸るようなカレーを作り上げたのだ。姉としては妹の成長はとても喜ばしい。が、どうにも複雑な気分であった。
「取りあえず、次は響のプランがあるけど……その前に、あの子にどうやって事を説明するかちゃんと考えてるの、暁?」
「え…………」
という雷の問いに、暁の表情が固まった。そしてそのまま目が上下左右へと泳ぎ回り、汗がにじみ出るのが手に取るように分かった。二人はお察し状態へと入る。
「…………考えてないのね」
「……うん」
「姉さんはそう言う所がダメだね」
「だ、だって難しいわよ! こういうのって自然に覚えて行くものじゃないの!?」
「まぁ……人によりけりだと思うけど、聞かれた以上うやむやには出来ないし、ね?」
ちなみに響と雷がどうやってその手の知識を身に付けたかというと、響は提督が本棚にカモフラージュで隠していた「駆逐艦の姫初め」というビデオ、雷は提督のベッドの下から見つけた通称「禁断の駆逐艦」という本とネットである。なお、暁は提督が乗機にあげた物を使って自家発電の真っ最中を覗きこんだのがきっかけである。結論から言うと、だいたい提督のせいである。
(電が秘書艦の時によく見つけ無かったな。ま、多分彼女が担当する日の前後は徹底して管理してるんだろうけど、せめて私たちの時も同じにしてくれないかな)
響はため息を吐きながらそんなことを思う。なんとなく察してはいたが、いざその手の世界を知ると興味と罪悪感が脳内で激しい雷激戦をぶちかまして頭が破裂しそうになる。表面上無表情だが、よく見ると耳が赤くなってるのでそれが理解できる。
(司令官ってデレカシーがあるのか無いのか分からないものねー)
雷はごろんと床に寝そべりながら時たま管理の悪い彼の事を思い出す。電が次の日秘書艦担当する時はやたら部屋を綺麗にするし(男らしさ残る荒々しさだが)、ベッドを再確認しても例のブツは見当たらない。はて、いいのか悪いのか。なお、雷は内心ドキドキしながらも食い入るように見るタイプである。
(ああああ、あんな破廉恥な事、レディのする事じゃ……ない、って、言いたいけど……そうしないと、赤ちゃん作れないのよね……大人ってそう言う事なのかしら)
暁はやたらと現実的な事を考える。自分が結婚したら、ああいう事を当たり前にするのだろうか。いや、きっとするのだろう。テレビの画面を食い入るように見ていた提督のあの姿を思い出すと、女性に対してもああなるのだと納得がいく。おそらく、もし自分もそう言う対象で見られたら容赦ないだろう。ここまできたらついでに言っておく。暁は時折「ぴゃー」や、「ひー」と声に出し、目を閉じるもちらちらと覗いて読むタイプである。
第六駆逐隊はうーんと唸る。はて、今はそうじゃなくて電にどうやって説明するのでは無かったのだろうか。いつしか彼女たちは自分たちの思う性事情へと思考がシフトチェンジし、結局電が戻って来るまでそうしていた。
*
「というわけで、司令官のハートを不死鳥のように鷲掴みにする方法を私が教える」
休憩室の茶の間にやって来た響と電。はて、不死鳥は関係あるのだろうかと突っ込みを入れたくなるがそこはさておいて、それよりも電が言いたいのは響の体制である。
「なんで……膝枕なのです?」
「司令官は休憩する時、枕よりも私の膝枕を多用する。電はされなかったのかい?」
「いえ、司令官さんは結構好きだと聞いてたので……休憩中はよくこうしています」
「そう。なら十分。恥ずかしがらずにできるならまずまずだ。では加えたワンポイントアドバイスを教えよう」
響は電の額に手を置き、優しく力を込めて撫で回す。ひんやりとやや冷たい手だが、逆にその温度が誰かに触れられていると言う実感を湧かせ、その手つきは労いと優しさ、そして愛情のこもった動きで電の心に安らぎを注ぎこんだ。電は多分、このままされるがままになると十分と持たずに眠る自信があった。
「司令官がいい感じにうとうとしてきたら、次に頭の上や首筋を軽く触ると気持ちよさそうにする」
そのまま猫を撫でるかのような手つきで電のつぼを刺激し、たまらず末っ子妹は変な声を上げてしまう。まさに猫なで声。我が妹ながら可愛いと響は思ってしまう。
「ほら、電もやってみて」
ごろごろと甘える電がいとおしく見えたが、このままではらちが明かないので響は終了する。電もややものさびしそうな表情ではあったが、本来の目的を思い出して体を入れ替えた。
「えっと、こうなのです?」
少したどたどしい手つきだったが、電は響の頭をそっと撫でてやる。プニプニと幼さの残る電の手が、響の額を優しく撫でる。良い感触。強すぎず弱すぎずの力加減。思っていたよりも気持ちいい。
「……結構、上手だね」
「はい、眠ってる司令官さんの頭なら何回か撫でた事があるのです」
(寝てるとき? 起こしに行ったときかな?)
「あ、それと司令官さんはこっちも好きなのです」
と、電が響に起きるように促し、疑問に思いながらも彼女の指示通りに向きあう形になる。
「それで、目を閉じてください」
「こう?」
「はい。それで……」
むちゅ、と唇に何かが触れる感覚。響は思わず目を見開き、一体何が起きたのかその目で見てみる。何と言う事だ、自分の目の前には電の顔がいっぱいに広がり、やや顔を赤くしながら自分の唇を響に押しつけているではないか。
(こ、これ……えっ、えっ!!?)
響は思考が追いつかずに完全に思考回路がショートを起こす。そしてそれを知っているかのように今度は電の舌がぬるりと入り込み、思わず声を上げた。
「んっ、んんーーー!!?」
飛びのこうと体が思わず反応する響。しかし、がっしりと後頭部に手を回されてがっちりと固定される。逃げ場なし。むしろさらに強い力で顔を押しつけられ、電の小さな舌がじっくりと響の口の中を支配して行く。舌を伝って電の唾液がじわりと混じっていく。その感覚に思わず響は意識が遠のくような気がした。
(ま、まさか……電……)
上の歯を舐めまわされ、下の歯もあますことなく弄られ、完全に無抵抗となった。響の舌を救いあげると、つついて舐めて、弄ぶを繰り返す。だがまだ終わらない。一旦口を離されたと思ったら、今度は舌を伸ばして電は唾液を響の中に注ぎ込む。そしてふたたび被り付き、中でくちゅくちゅと唾液を混ぜ合わせ、されるがままの響の舌を自分の口の中に引っ張り込み、そのまま吸い上げる。いつの間にか体にもそっと手を添えられ、さわさわと服の上から撫でまわされ、びくびくと体が反応する。そして今まさに下腹部に突入する直前、ついに響は完全に轟沈した。そのタイミングで電は口を離す。
「とまぁ、これ位の事を……あれ、響ちゃん? 響ちゃん、大丈夫なのです!?」
響は息を荒くし、頬が赤く染まってほんの少しだけよだれが唇からこぼれていた。さながら事後のような姿である。いや、あながち間違っては無いが。
結局、響はそのまま再起不能となり、後に部屋にやって来た天龍に自室へと緊急搬送される事になった。
*
「響がやられたわ!!」
「いや、やられたって言っても……」
だんっ! と拳を勢いよく机に叩きつけ、暁は亡き妹(ベッドで寝てる)の事を想った。なかなか迫真の演技である。艦娘をやめたら女優でもやって行けるのではないかと雷はお茶を飲みながら思う。はて、自分は何に向いているだろうか。
「というか、何で響があんなへろへろになったのよ。何をどうしたら言うなればヘヴン状態みたいになるの?」
「それを聞きたいけど、肝心な本人があの状態じゃ聞きようがないじゃない」
と、二人はベッドで寝込んでいる次女を見つめる。うーん、うーんと唸りながら、響はうなされている。時折「そこはらめぇ……」と録音したくなるような色っぽい声の寝言を言い、ますます何をされたのかが分からなくなる。
「……ま、響があんな風になったってことは、逆に教えを受けたと見た方がいいかもね」
「つまり、電は私たちより上手ってこと? さすがにそれは……」
「ちっちっち」
と、暁は人差し指を立ててそれとなく横に振る。やっぱり役者とか向いているのではないかと雷は思う。
「もしかしたらあの子には私たちの分からない力を秘めてるかもしれないわ。この鎮守府の一番最初の秘書艦、最古参なんだから私たちの知らないことを知ってても何らおかしくはないわ」
「まぁ……言われてみれば、確かに……」
珍しく暁がもっともなことを言っている。うーむ、自分よりまだまだお子ちゃまだと思っていたのだが、こうしてみるとやはり姉なのだろうと雷はしみじみと思う。
「そして、響はその私たちの知らない物を見た。それは、あの子がこんな風になる程の巨大な何か……陰謀だわ!!」
「……それ、わざと言ってない?」
「…………ごめん、ちょっと言ってみたかった」
結局のところ、電は姉二人の課題をクリアしたと判断を下して本題に入る事にした。さて、赤ちゃんがどこから来るか……説明の難しい事である。いや言うだけなら簡単だが、ならそれをやろう! という展開になってしまっては非常によろしくないのが現在の世の中である。
二人はうんうんと考えるが、暁は大きなため息を吐くと腹をくくったかのように立ち上がった。
「しかたないわね……レディとして、堂々とした説明をしないといけないわね。雷、付き合ってちょうだい」
「……まぁ、そうなるよね」
やれやれと雷は立ち上がり、腰を伸ばして体をストレッチ。腹をくくるしかないだろう。さて、そろそろ電は出撃から帰って来る頃合いだ。時計を見れば、到着予定時刻から五分ほど過ぎていた。
「ただいまなのです」
と、まさにグッドタイミングで電がドアを開けて帰って来た。少し被弾したのか、頬に煤が貼り付いている。それを見た雷が母性本能発動で濡れタオルを持ち出した。
「お疲れ様。被弾したの、顔が汚れてるわよ?」
「あはは、敵の砲弾が近くで爆発した時にちょっと汚れたのです」
「もー、気をつけなきゃだめよ。怪我はない?」
「はい、偽装も少しの点検で済むそうです」
「なら良かったわ。はい、綺麗になったわよ」
電の顔の清掃が終了し、雷は満足げに己の仕事の結果を確かめる。ふむ、良い感じだクマ。
「それじゃ、電。タイミングもいい事だからあなたの知りたかった事を教えるわ」
雷が打って変って真剣な面持ちになる。暁もそれを察して同じようにまじめな顔になり、少しばかり電はたじろぐ。
「はわわ、お二人とも少し顔が怖いのです……」
「電の知りたい事を教えるわ。結構重要な話だからしっかり聞きなさいね」
電一人、向かい合って暁雷の形になってやや重い空気が部屋を包み込む。おどおどとした電だが、言う側だってかなり気を使う。だがここは姉たちとして妹の性教育をしっかりこなさなければならないだろう。雷は、開口一番で本題に入った。
*
提督室のドアがノックされる。次回解放海域についての書類を読んでいた提督は、半ば生返事で来客を招き入れる。最初は小さな足音がしておそらく駆逐艦だろうと察し、現に視界の隅に第六駆逐隊の履いているローファーが映る。が、続いて約三人分の足音が続いてそれに違和感を感じ、ようやく顔尾を上げる事に繋がった。
確かに、第六駆逐隊がそこに居た。正確に言えば電を除いた上の三姉妹。しかし、なぜかその身には艤装をまとい、さながらこれから 戦闘に向かうかのような雰囲気を出していた。そしてその顔は、笑顔だが、笑顔ではない殺意の湧いた顔だった。
「しれーかーん。ちょっといいかしら?」
中央に居た雷を先頭に口を開く。いつもと違う、甘い毒を混じらせたような彼女の一言。なにか背筋を冷たい物が流れる気がした。
「な、なんだ雷……今日出撃の予定はないぞ?」
「うん。知ってるわ。取りあえず私の話を聞いてくれる?」
「え……ああ、なんだ?」
「…………電になにしたの?」
その一言で提督は察した。ばれた。しかも全員に。何がばれたのかと言えば、それは次に雷が発する言葉で誰もがお察し状態になれるだろう。
「司令官と電、ケッコンカッコカリするでしょ? それであの子からこんなこと聞かれたの。『赤ちゃんはどこから来るの?』って。私たちはそれがどういう事か知ってるから、電にそれを教えるにはそれはそれは慎重になったわ。料理が出来てから、司令官に安らぎを与えるくらいになってから。でも、あの子は難なくクリアしたわ」
続けて響が口を開ける。
「ただ、私の時に予想外の事が起きた。司令官、君は私の膝枕が好きだろう。電もそれは知っていた。まぁ理解できる。でも、彼女はそれよりもこうした方が喜ぶと私にキスをしてきた。ディープで」
ごくり、と提督はつばを飲み込む。片方の目は帽子に隠れてよく見えないが、もう片方は間違いなくシベリア極寒大地のような目つきだった。
「でも響はそれでダメになっちゃったから、私達で赤ちゃんを作ると言う事がどういう事か腹くくって教えたわ。男と女の秘め事を。そしたらあの子、こう言ったのよ」
暁が艤装のアンカーを片手にぶんぶんと振り回す。彼女たちは軽々と振り上げているが、普通の人間では片手で持つ事が出来ない超重量級の鈍器である。それが頭に直撃すればどうなるか、考えたくもない。
「『そう言う気持ちいい事は……司令官さんと時々やってる』ってね」
あ、死んだ。提督の頭の中に走馬灯が流れる。丁寧な事にED曲『吹雪』も流れている。ああ、最高の演出だ。悔いはない。強いて言うなら、電と結婚したかった。
「じゃ、覚悟はいいかしら」
雷の艤装の砲身が、ガチャンと提督に向けられ、暁のアンカーが思い切り振り上げられ、響はその手に酸素魚雷を鈍器として構え、振り上げた。
*
砲撃音と鈍器が振り下ろされ、ぐちゃぐちゃと肉片が飛び散る音。クローゼットの中から見るそれは、破滅の光景その物である。しかもそれを行っているのが年もいかない幼い少女たちなのだから、見る者たちは震撼するだろう。
「あああああ青葉、見ちゃいました……」
スクープの予感がしてクローゼットの中に隠れていた青葉は、その手に持つカメラのシャッターを切る事すら忘れてその第六駆逐隊による処刑行為を目に焼き付けていた。これはやばい、見つかったらやばい、逃げなければ。だがクローゼットの中だ、出て行けば二秒で見つかる。耐えろ、耐えるのだ。青葉は一刻も早くこの光景が終わることを祈り、手を合わせて目を閉じた。
と、音が鳴り止んで、ドアが閉まる音が聞こえた。恐る恐る目を開けて見れば、そこには血の海と化した執務机があり、提督だったものがそこに転がっていた。見える範囲で部屋を見回すが、誰も居ない。そっと戸を開けて外に出ると、やはり誰も居なかった。
「……まだ、見つかって無かったみたいですね」
ほっと胸をなでおろす青葉。許された。自分は許されたのだと安堵した。今許されるなら完全勝利した青葉UCのBGMを流し、高らかにそのための右手を振り上げたかった。
「ええ、今見つけたわ」
ああ去らば我が人生。
青葉がギギギと後ろを振り向くと。満面の笑みを浮かべた第六駆逐隊上三名の姉が立っていた。クローゼットの扉の影に、隠れるようにして待ち構えていた。
「じゃ、青葉さん。着けは払ってもらいますね」
本日夕刻。執務室が謎の大破。机の上に転がっていた提督も全治数カ月の重傷と診断され、生きているだけ奇跡だと言われる程だった。
なお、その日を境に重巡洋艦青葉が行方不明となる。二週間後、鎮守府湾内に沈められていた彼女が発見され、高速修復材を使って回復。事情を聞こうとしたが一部記憶が無くなってるとのことで迷宮入りとなった。
ついでに言うと、電のケッコンカッコカリは提督の病室にてしっかり行われた。ただ、取り巻いていた暁方の上三名の雰囲気は、何かどす黒かった。と見物に来た艦娘は皆口をそろえてそう言っていた。
とは言う物の、電はいつもと変わらず、指輪を受け取り提督にそっと抱き付いた彼女は幸せそうな顔であった。それに関してはまぁ、見る価値のあるものであった、と言えるだろう。