突然の郭嘉の鼻血に場は騒然とする。医者を呼べ、いやとりあえず横になれる所へ移すべきなど色々な声が上がる。しかしそれを郭嘉の傍にいた程昱が止めた。
「慌てなくても大丈夫ですよー。いつものことなので」
「持病なの?」
「持病と言えば持病ですが、単に興奮し過ぎただけですよー」
「……重い病を隠しているわけでは無いのね?」
「はい、稟ちゃんはずっと華琳様の軍師になりたがっていましたから昂っちゃったんでしょうねー」
華琳の確認に程昱はゆるふわヴォイスで答えた。なんか癖になりそうな声である。それにしても興奮して鼻血を出してしまうなんて本当に海老名さんみたいだな。海老名さんの方が勝手に俺を妄想ネタにして不穏な発言をバラまく分面倒ではあったが。
くいっと袖を引かれるのを感じてそちらへ目を向けると冬蘭が声を潜めて聞いてくる。
(昂ったくらいでここまで盛大に鼻血を噴き出すものでしょうかぁ?)
なっとるやろがい。まあ俺も海老名さんという前例がなければ、こんなにすんなり受け入れられなかった。鼻血ブーッていつの時代のマンガ表現なんだよと困惑してたはずだ。どこぞの独身教師世代のノリだろ。
(似たような奴を知ってるから本当なんだと思うぞ)
(へえー天の国の人ですよね。天の国って変わった人が多いんですかね)
冬蘭はじいーと俺を見ながら納得したように頷いている。なんで俺の話みたいになっているんだ。鼻血の話だっただろ。あと天の国じゃなくて日本だ。天の国から来たなんてまるで天使みたいで違和感ありまくりだし、天使は戸塚だけだしその辺わきまえて欲しい。
華琳は気を取り直して郭嘉に直接問いかける。
「私に仕えるということで問題ないのよね?」
それに対して郭嘉は鼻を押さえながらなんとか首を縦に振って答えた。
「では真名を……いえ、そちらはまた今度落ち着いてからにしましょう」
華琳は途中で真名についての話を止めた。それも仕方が無い。華琳が真名と言った瞬間から郭嘉は目を見開きガクガクし始めていた。そのうえ鼻を押さえた手の隙間から血が噴き出している。ガンギマリ状態である。そのまま話を進めた場合どうなるのかは誰にも分からないが、楽しい事にはならないだろう。少なくとも俺は試して欲しいとは一切思わない。嬉しいという感情でも人間って壊れることがあるんだな。
郭嘉と程昱が軍師陣に加わり話は袁紹領の扱いに移る。戦略シミュレーションゲームのように袁紹を叩き潰してもその瞬間袁紹領がそっくりそのまま華琳のものになるわけではない。華琳が袁紹領を自分のものだと主張したとして、現状声高に文句を言う者はいないだろう。が、きちんと管理下に置くとなれば色々やらなくてはならないことがある。
その辺りは元々袁紹陣営に伝手があったらしい荀彧が中心に動いているのだが、その荀彧のむすっとした表情からあまり望ましい状況ではないことがうかがえる。
「残っている袁紹領の有力者達がこちらの管理下へ入ると言って来れば話は早いのですが」
「いくらかそういう申し出はあったわよ。表で臣従を誓っても腹の底では何を考えているか分かったものではないのが問題だけれどね」
華琳が口にした懸念は難しい問題である。敗者は勝者へ素直に従う? 世の中そう甘くない。自分の既得権益を最大限維持しようとあれこれ駆け引きを仕掛けてくる。負けは負けでも失うものは極力少なくしたいのが当然の感情だ。そこで面従腹背を決め込む者は特に面倒だ。表向きは忠実に従っている相手をぞんざいに扱えば、華琳の名に傷がつく。かといって一々全員の真意を正確に調べていくとなると、その時間と労力は計り知れない。それに元敵の領地であるし当分は信頼出来る兵を駐屯させて睨みを効かせる必要がある。
荀彧がこちらをチラチラ見ながら口火を切る。
「ここにいる中の誰かを派遣して統治させてはどうでしょう?」
なにその視線、もしかして俺に行けってことか。普通に嫌だけど。ついこの間まで敵地だった場所に俺みたいな戦闘力皆無な人間を放り込んだら命狙われたりしない? 護衛は付くんだろうけれどストレスが半端じゃなさそう。と、いうわけで。
「無理に袁紹領を全て管理下に置く必要はないんじゃないか。面倒く」
「はあー? 馬鹿なの? 死ぬの? むしろ死んで」
「はいはい、俺は馬鹿だし、人間だからいつかは死ぬから話を聞けって」
俺の発言に猛犬のごとく噛みついて来た荀彧を宥めつつ、話を強引に続ける。ここで引いてしまったら後で面倒事が増えるのが目に見えている。
「俺達にとって袁紹領は大き過ぎる」
「だからって」
「桂花」
興奮冷めやらぬ荀彧を華琳の一言が制する。
「八幡、もう少し詳しく説明しなさい」
「まず袁紹はこの国の最大勢力だった。土地、人口、経済などあらゆる規模がデカい。さっき華琳も言っていた通り袁紹領の有力者達はそのまま信用して使える訳でもないし、今いる人材だけで管理するなんて無茶も良いところだろ」
「だからといってむざむざ放置するなんて論外でしょ」
「まあな、だから美味しい所だけもらえば良いんじゃないか」
場が沈黙に包まれる。その中で華琳が思考停止からいち早く復帰した。
「放置される地域を出すのは無責任ではないかしら」
「俺達は攻められたから返り討ちにしただけだぞ。袁紹領全ての面倒見てやる責任なんてないだろ?」
「では美味しい所は手に入れるというのは? 筋が通らないのではないかしら」
「名目なんてどうにでもなる。また攻められたら堪らないから要所を押さえておくとかな」
元々はこちらから先制攻撃するつもりだったのだが、実現しなかったのだからあくまで俺達は攻められた被害者。良いね。
華琳は大きな溜息を吐き、愉快さと少々の諦めを含んだ笑みを浮かべた。
「本当に口は達者なものね」
「詭弁は得意だからな」
詭弁なのかよ、と話について来れていなかった脳筋連中は呆れている。
「むしろ俺の口から出る言葉は大抵詭弁と絵空事なんだが、何だかんだ形にしてしまう優秀な人間がいっぱいいるからな」
ホント後から考えると結構無茶な案も多い。董卓勧誘辺りは相当危ない橋を渡ったと思う。良く華琳もあの案に乗ったもんだ。華琳の器のデカさは三国一だな。
それに袁紹領の全てを今手に入れないメリットが他にもある。まあメリットというより全てを取った場合のリスクだ。
「袁紹領を今全て取らない理由は他にもある」
「言ってみなさいよ。私が論破してあげるわ」
桂花が不機嫌そうに腕組みをする。こいつがもし現代に生まれていたら滅茶苦茶レスバ好きそう。ただ相手を論破出来ても「効いてる効いてる」や「顔真っ赤」、「めっちゃ早口で言ってそう」みたいな論理に関係ない煽りに発狂するだろうなあ。
「出る杭は打たれるって言うだろ。調子に乗っている奴を見れば足を引っかけ、引っ張り、地獄に引きずり込もうとするのが人の
冬蘭が「そこまでするのは八幡さんだけでしょ、一緒にしないで欲しい」みたいな感じで小声で文句を言っている。どう考えてもお前は俺と同じ側だから。何だったら足を引っ張るどころか切り落とすレベルだから。
どうも皆の反応が悪いので良い例を挙げてみる。
「董卓なんてその最たる例だろ?」
これには桂花、ぐうの音も出ない。しかし場の空気はかなり微妙なものになった。足を引っ張られて袋叩きにされた本人いるしね。
居心地の悪い沈黙が嫌でちょっと早口で話を進める。
「袁紹を潰した今、俺達は既にこの国の最大勢力と言っても過言じゃない。妬んだり警戒する連中も出て来るはずだ。だから極力領土的野心が無いように見せて置いた方が良い。そして、そういう連中が実際に攻めて来ようとする頃までにどう転んでも勝てるように状況を整えておけば良い」
ボードゲームとかで重要なのがこれだ。分かり易く勝負を決めにいけば当然相手は抵抗する。気付かれないように勝ち確状態に持っていく必要がある。簡単ではないが華琳陣営対その他勢力全部とかになるリスクを考えれば、どちらが良いかなんて分かりきっている。せめて劉備のとこくらいは味方もしくは中立にしておきたい。その為に良い物食わしてやったんだしさ。
「ふ、ふふふ。言うじゃない」
何故か華琳が凄く良い笑顔で近付いて来て俺の肩に手を置く。
「まさかこの場で貴方の口からそんな言葉が飛び出すだなんて私でも読めなかったわ」
なんか華琳が燃えていらっしゃる。萌えじゃない。燃えだ。全身から立ち昇るオーラが見える見える……気がするだけだが。また俺何かやっちゃいましたか?
「御使いのお兄さん、覇気のない感じなのに思い切ったことを言いますねー」
「ふがふが……これは忙しくなりそうですね」
程昱、覇気に関してはお前には言われたくない。だが今の話し方には間延びした声で分かりにくいが感心したようなニュアンスが含まれていた。郭嘉の方は真面目な顔で言っているが、鼻を押さえながらでは格好がつかない。こいつら本当に俺の仕事を減らしてくれるのか。心配になってきたぞ。
あと華琳、肩痛いっす。力強すぎ。
>>董卓の例を引き合いに出した後
「袁紹を潰した今、俺達は既にこの国の最大勢力と言っても過言じゃない。妬んだり警戒する連中も出て来るはずだ。だから極力領土的野心が無いように見せて置いた方が良い。そして、そういう連中が実際に攻めて来ようとする頃までにどう転んでも勝てるように状況を整えておけば良い」
華琳 (ん?)
軍師陣(これってもしかして……)
華琳 (天下獲り宣言!?)
華琳 「よう言うた!それでこそ男や!」
脳筋陣 ボケー
八幡にそこまで積極的な意識はない。あくまで保身の為。
出る杭は打たれるという状態になるのを先延ばしにしたい。董卓討伐の時のような曹操討伐連合が組まれた時の対処を考えている。目立ちたくないが既に最大勢力なのでいつかは大なり小なり妨害は入ると考えている。