暑かった夏も終わりに近づき、その日差しは幾分弱くなってきた朝。華琳が治める陳留、その城壁の外に向けて俺と冬蘭は歩いていた。
今日は城外で冬蘭の直属部隊が訓練するところを見学する予定である。文官の俺が直接兵達の調練をすることは未来永劫無いと思うのだが……無いよね? 無いはず? 無ければ良いなあ。
まあ、とにかく訓練内容くらいは知っておいて損はないからと冬蘭に押し切られた結果だ。あくまで見学であって参加しろというわけではないので、気楽なもんだ。
しかし、しかしである。さっきからどうしても気になって仕方がない事が三つある。
まず一つ目、冬蘭が妙に浮ついていること。いつもより微妙にテンションが高い気がする。機嫌が悪いよりは良いが、どうにも嫌な予感がする。
二つ目は冬蘭が手に抱えた木箱。縦30㎝×横40㎝×高さ10㎝くらいの箱を今日会った時から既に持っていた。中身を聞いても冬蘭はニコっとするだけでまともに答えない。
うーん、これが所謂天使のような悪魔の笑顔ですか。えっ違う?。
三つ目は彼女の身に着けた虎柄の外套、マントといった方が分かり易いだろうか。その猛虎魂
冗談は置いておいて、冬蘭のファッションセンスは大阪のオバちゃんとは違う。こんなマントを着けているのも初めて見る。しかし、もし機嫌が良さげな理由がこのマントだった場合を考えると、下手に弄れない。というかあえて弄らない。ほら良く言うだろ。触らぬ神に祟りなしって。
俺の考えは浅かった。こっちに触れる気が無くても、向こうから全力でぶつかって来る可能性を失念していた。
今日の訓練を行う城壁外の平原に到着した俺は、目の前の光景に戸惑っていた。
トラ、トラ、トラ……。
もちろん、かつての大戦において用いられた電信ではない。冬蘭の部下達数百人が先に平原に着いていたのだが、彼らと彼らの騎乗する馬の恰好が完全に虎柄で揃っていたのだ。鎧や馬具のデザインが虎をイメージさせるものに新調されていた。
「なにこれ、今から阪神の応援にでも行くのか?」
「ハンシン?」
「あ、いや、気にしないでくれ……それと一つ聞きたいことがあるんだが」
冬蘭の虎柄のマントについて触れないようにしていたが、ここまで来るとスルーするのも限界である。しかし、どう切り出して良いものか分からない。必然、俺の問いは歯切れの悪いものとなる。
「あー……装備を、アレだ。部隊まるごと新しくしたんだな。えーと、なんて言えば良いのか、その、凄いな」
「でしょっ!!」
我ながら酷い会話のフリだと思うが、冬蘭は食い気味で反応した。こいつがこんなテンションで反応するなんて初めてだ。
「私達の活躍が華琳姉様に認められて、固有の部隊名とこの新しい武具を賜ったんです」
「へ、へえ……」
「新しい部隊名は【
この時代のことだからそれらには大きな意味があるのだろう。現代に育った俺には分かりにくいが、普段見られない冬蘭の様子から余程名誉なことのようだと察する。
「虎に豹か、強そうだな。でも全員虎柄じゃねえーか。豹はどこに行ったんだ?」
「ふふっ、よくぞ聞いてくれました。ちょっと」
冬蘭が呼ぶと彼女の部下が数人すっ飛んできた。良く調教、もとい教育されている。
冬蘭は持っていた木箱を部下の一人に持たせ、自分はその蓋を恭しく持ち上げる。中には豹柄の布が納まっていた。
「じゃじゃんっ!!」
今時、口でそんな効果音言うやついるんだな。
待てよ、ここは三国志の時代だぞ。それを考えると逆に彼女はとんでもなく進んでいるのではないか。これは大発見だ。よし、すぐに学会に発表するために俺は一度帰るぞ。
「なんで来た道を戻ろうとしているんですか?」
「ちょっと用事を思い出して」
冬蘭が回り込んで俺の退路をふさいだ。その手には豹柄の何かがあった。
現実はいくら目を逸らしても眼前に立ちふさがってくる。厳しい現実程しつこく付きまとってくるのは何故だろう。
仕方が無いのでとっくの昔に気付いていたが、あえて考えないようにしていた点を聞いてみることにした。
俺は冬蘭が手にした豹柄の布を指さす。
「もしかして、それって」
「はい、八幡さんの物です」
おう……だと思った。
冬蘭が楽しそうに布を広げて見せる。
豹柄の外套である。というかよく見ると布ではなかった。それは豹柄の布とは違い本物の豹の毛皮っぽい。
「毛皮?」
「はい」
「すげえな」
でもいらん。ファッションとしてもどうかと思うが、毛皮というのがチョット引っかかる。飼い猫と豹は全く別物だが、同じ猫科なのは無視出来ない。猫好きとしては遠慮したい一品だ。
「待て、それ虎豹騎を象徴する装備だろ。なんで俺の分があるんだよ」
「はあ?」
冬蘭が口をポカンと開けて、何言ってんのこの馬鹿という表情をしている。というか彼女はそのままの言葉を口にした。
「馬鹿ですか?」
「なんでだよ。当然の疑問だろ」
「いいですか。私は元々貴方の補佐ですよね」
それは事実だ。
「その流れで前回の戦いでも私と私の直属部隊は、貴方の下で戦いましたよね」
「囮をやった時はな。それにしたって言っても、俺は敵を挑発しただけだろ。黄巾党本隊相手の時は別行動だったし」
「それはそれ、これはこれです」
ええ……(困惑)
冬蘭は俺の言い分を聞く気が最初からなかった。結論ありきで話を進める気だ。
「そもそも補佐ということは直属の部下じゃないですか。私は八幡さんの部下、虎豹騎は私の部隊。つまり虎豹騎隊は八幡さんの専属と言っても過言ではないのです」
過言です。超理論で言い切った冬蘭にそう言ってやりたいが、この調子だと多分言ってもスルーなんだろうなあ。なんでこんなに拘るのか分からない。ただ一つ確かなのは、彼女が引きそうにないことだ。
「では早速、こちらを」
冬蘭が豹の毛皮で作られた外套を押し付けもとい、恭しく俺へ差し出した。俺に拒否するという選択肢はなかった。NOと言えない日本人だから。
豹の外套を手に入れた。装備しますか? はい/YES。
俺は外套を羽織り、体を捻って冬蘭に見せる。しかし彼女より早く虎豹騎の兵達が反応した。
「「おおおぉぉぉぉぉ!!!」」
虎豹騎の兵達が歓声を上げている。
うん、意味が分からん。むさ苦しい男達に受ける要素がどこにあった?
「お似合いですよ」
「そうかよ。俺ハウレシサノアマリ涙ガデソウダゾ」
「まことにおめでとうございます。今後ますますのご活躍をなされるよう、私共も微力ながら手足となって支えましょう」
俺の皮肉にもどこ吹く風、冬蘭は慇懃無礼に仰々しい言葉を返してきた。あまりに大げさなのでちょっと恥ずかしかった。
それにしても似合っているというのは絶対に嘘だ。俺の今の恰好は、高校時代の制服っぽい物と豹の毛皮の外套というトンデモファッションである。
いっそ今着ている服の裏地にこれを使えば……あらやだヤンキー御用達の改造制服じゃないですか。しかしブレザーの改造服ってのもおかしいか。
現実逃避を試みる俺の目の前で、虎豹騎の訓練が開始される。
俺がぼーっと眺めている間、冬蘭の指示に従い一糸乱れぬ動きを見せる騎兵達。基本的な動きを確認した後は、部隊を分けて複雑な動きを試し始めた。それでも部隊の動きに乱れは感じない。その姿は集団というより一匹の生き物のようだった。冬蘭は俺の専属だなんだと言っていたが、俺にはもったいない精鋭だ。
間に小休憩を挟みながら訓練は一時間くらいで終わった。
訓練時間が意外に短いなと冬欄に聞くと、兵はともかく馬が潰れる危険があるらしい。完全装備の兵を乗せて今回のような激しい動きをさせる場合、短時間に抑える必要があるとのこと。
へえ~、と思うと同時に兵達はまだいけるんだと呆れに近い感心を覚えた。あれだけ激しい騎乗をしたら俺ならケツか腰が大変な状態になるだろう。彼らには付いていけそうにないのでこの豹の毛皮は返上する方向で、えっダメ?
悪あがきが失敗に終わった俺は、一人とぼとぼ街へと帰る。冬蘭から昼飯に誘われたがテキトーに言い訳して断った。
ボッチの食事はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか気兼ねなく出来なきゃダメなんだ。独りで静かで豊かで……さて、最近ハマっている料理店へ急ごう。
そこは常に客が多く騒がしい店で、当初俺にとって居心地の良い店とは言い難い所だった。しかし余程俺が嫌そうな顔をしていたのか、気の良い店員さんがメニューにはない持ち帰り用の料理を作ってくれるようになった。
不景気なツラしてんじゃねえ、迷惑だからさっさと帰れ。そんな意味かと邪推したこともあったが、あの子に限ってそれはないだろう。とにかく料理を受け取って静かに食事が出来るベストプレイスでメシにしよう。
おまけ
冬蘭「今日ご用意したのはこちら、豹の毛皮で作られた外套です」
八幡「コレハスゴイ」
冬蘭「しかも今なら有能な部下である私が付いてきます(別料金」
八幡「ナンテコッタ」
冬蘭「さらにさらに今だけ、騎兵好きな方には欠かせない虎豹騎もセットです」
八幡「ウーンスゴイナー。デモオ高インデショウ?」
冬蘭「それがですね。今なら八幡さんが保留していた褒賞分と」
八幡「ト?」
冬蘭「これから挙げるであろう功績三年分を前借して」
八幡「エッ、チョッ!?」
冬蘭「契約完了です」
(注意)あくまで冗談なので八幡が三年間タダ働きになったりはしません。
次回、VVVビクトリーな少女登場。
読んでいただきありがとうございます。