曹操が用意してくれた住む場所というのは曹操の屋敷の部屋だった。これも所謂同棲ってやつなのか。そして専業主夫になった俺は幸せに暮らしました。 完
という訳には行かないことが分かった。部屋で一休みした後、曹操の許可を得て色々見て回った。曹操や夏侯惇や夏侯淵がやっている仕事を見て、街の方も確認した。そして国の状況を曹操から聞いた。
そうやって俺が出した結論は、ここは過去の世界ではないという事だ。俺のいた世界の中国・後漢に良く似ている異世界ではないだろうか。確証はないがそうとしか思えない。
そのせいで俺は今後の方針で困っている。もしここが後漢に似た状態であれば、これから黄巾の乱のような紛争が起こり、それが鎮圧されてもより大きな戦乱の時代になるはずだ。その時俺はどうすればいい。
曹操の部下としてここにいれば戦乱の中心にいることになる。逆にここから出ていけば
二つを比べた場合、曹操の下で働く方が今のところ安全に思える。何故ならここから出て行って生きて行く事が俺に出来るかどうか怪しいからだ。右も左も分からん所で衣食住と仕事にありつけるだろうか。
いや無理だろ。早々と野垂れ死にする姿が想像出来る。
曹操の部下として働く場合一番の問題は戦乱の中心にいることになって必然的に俺も戦う事になる事だ。正直剣を持って戦うというのは全く自信が無い。曹操も俺にそんな事を期待していない筈。えっ、してないよね。無理だよ。絶対。だから就くとしたら軍師や参謀のような位置がベストだ。
しかし……俺に出来るだろうか。
自分の策一つで敵も味方も大量に死ぬことになる。この戦乱の世界は自分が泥を被れば味方も敵も助かるなどという甘い所ではない。
俺に耐えられるのか。
トラックに轢かれ死にかけていた時を思い出す。あの痛み。何も為さず意味もなく死んでいく絶望。あれに比べれば自分を殺そうとする敵を策に嵌める事くらい大した事ではない。味方に関しても俺が干渉しなくても死ぬなら少しでも減らすと考えよう。ある程度割り切るしかない。
どうせ綺麗事を言っても俺は殺す位なら殺されるなんて思えない。それに、ここには死んでも助けたいような人間はいないしな。
それは覚悟なのか諦観だったのか。とりあえず気持ちの整理がついたので軍師か参謀になる為に部屋から出て曹操を探しに行く。
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曹操、夏侯惇、夏侯淵の3人は庭園の東屋で休憩をとっていた。俺が近づくと気付いた曹操が声を掛けて来た。
「あら、比企谷。どうしたの?」
「少し曹操様に聞きたい事がありまして……自分は文官として働けばいいんですよね?」
「そうなるわ」
これで一安心だ。武人として最前線に行けなんて言われないとは思っていたが実際に言質が取れた。だが俺が文官として働くには足りないものがあった。これが無いと働き様が無い。それについて曹操に頼まないといけない事がある。
「自分は此方の字が分からないので教えて貰える人か、祐筆を用意して貰いたいのですが」
俺の言葉に曹操達が不思議そうな顔をする。
「祐筆というのは何? 天で使われている道具か何かかしら?」
「簡単に言うと代筆する人です。必要な文書を作成したりする事務職です」
それを聞いていた夏侯惇が手を挙げる。
「華琳様! それなら私も欲しいです!!」
凄い食い付きである。どんだけ書類仕事が嫌いなんだよ。曹操は夏侯惇にも俺にも応えず何かを考えていた。
(祐筆とやらを付けるのは問題ない。何だったらその人間に文字の教育も任せれば良い。だが、この比企谷という男がそこまでするほど有用かどうかが正直分からない。占い師の言う通り頭は悪くなさそうだ。しかし敗残兵の様な目が問題だ。いくら能力があっても心が折れた負け犬では使い物にならないわ。少し試してみようかしら)
何か凄く嫌な予感がする。目の前の曹操が黙って此方を見ながら何かを考えている。こういう時は大抵無理難題を押し付けられる。そして予感は当たる。
曹操の口からとんでもない発言が飛び出した。
「比企谷、あなた春蘭と戦ってみなさい」
「いやいやいや、俺文官って言ったじゃん。ついさっき。絶対無理だって、死んじまう」
何言ってんだコイツ。ついつい素で答えちゃったよ。
「貴様ぁ! 華琳様に向かって何だその口の利き方は! しかも命令に逆らおうと言うのか!!」
夏侯惇が大激怒である。剣を抜き今にも斬りかかって来そうだ。
メッチャ怖い、こんなのと戦うなんて無理。しかし、曹操は俺の言葉も夏侯惇の怒りも気にする様子もなく理由を告げる。
「正直言って貴方が使い物になるのか分からないのよ。これから私が進む道は過酷な物よ。例え文官であろうとも、それ相応の気概も持たないような者では使い物にならないわ。だから貴方にどれだけの覚悟と闘志があるのか試したいのよ」
要約すると「お前ショボそうだから仲間にして欲しければ気合を見せろ」という事である。
「もし断ったらどうなりますか?」
念の為に確認をする。
「そんな者は要らないわ」
曹操は即答した。それを聞いた俺のテンションは地の底まで落ちる。「覚悟と闘志を試したい」って言っているけどアンタの部下は
どうする?
くそ、どうすればいい。死ぬような思いをして、気が付けば訳の分からない所に連れて来られて、どうしろってんだよ。分からないことだらけで、命の危険まで晒される。理不尽な状況続きでイライラがつのり爆発しそうだ。
いっそコイツらに一泡吹かせられないだろうか。戦えと言うなら見せてやろうか。暴力だけが戦いではないと。幸い相手は馬鹿そうだ。嵌めてやる。
策を考える。
一つ目は子供騙しの詐術。これで終われば儲け物だが、もし駄目なら……出来れば使いたくないが二つ目の策でいく。
二つ目の策は下手をすれば成功しても、その後のリスクが高い内容だ。しかし熱くなった頭ではその先までは考えが巡らない。
一応、考えの纏まった俺は曹操に自分の選択を言う。
「やりますよ。それで戦いと言ってもどうするんですか?」
「2人には模擬刀で戦ってもらうわ」
曹操は召使いを呼び刃の付いていない模擬刀を用意するように命令した。
俺達は庭園の中でも障害物が無く、二人が戦うのに十分な広さのある広場に移動する。
着いた時には模擬刀が既に用意されていた。刃こそ付いていないが鉄で出来たそれは、硬く重く先端は尖っている。刃は付いていなくても突けば簡単に刺さるだろう。
夏侯惇が模擬刀の感触を確かめるように振っているのを見る。風切り音がビュンビュン鳴っている。当たれば絶対に無事には済まないと確信した。やはり策を使うしか切り抜ける道は無い。
「やる前に決まりを作って置きませんか。二人の内どちらかが死ぬまでやる訳ではないでしょう。どちらかが『参った』と言えば負けという事でどうでしょう?」
「それでいいでしょう。……分かっているわね? 春蘭」
俺の提案に曹操が頷く、計画通りだ。
曹操が夏侯惇へ目配せしてから開始の合図を発する。
「では、始めなさい!」
俺は合図の直前に出来るだけ夏侯惇から距離をとっていた。そうしないと策など関係なく一瞬で切り伏せられる危険性があった為だ。そして俺の予想通りに開始の合図と同時に突っ込んで来ようとする夏侯惇に声を掛け出鼻を挫く。
「そんなに慌てないでくださいよ。俺に比べて貴方は強すぎるんだから勝負にならないでしょう。これはあくまで俺の覚悟とかを試す為のものなんですから、一瞬で倒しちゃったら意味ないですよ」
「おっ、そうか? しかし試すと言われても私にはどうすればいいか分からんぞ」
ちょろいな。これなら1つ目の子供騙しの策だけでどうにかなりそうだ。
戸惑う夏侯惇に親切そうな口調で聞いてみる。
「始める前に決めたでしょう。この勝負の勝利条件を」
「おう、そうだったな。【参った】と言わせればいいんだったな」
マジでチョロい。何だろう彼女の今後が心配になってくるレベル。まあ、今は敵だから好都合なんだけどな。
「そうそう、ただあくまで根性試しみたいなものなので単純に言わせるのではなく、軽く痛めつけて直ぐに言わないかどうか試して欲しかったんだと思いますよ。曹操様は」
おれはそう言いながら曹操達の方へと普通に歩いていく。それを見て夏侯惇が慌てる。
「そうだったのか……って、ちょっと待て。何処に行くまだ終わってないぞ」
それを聞いて俺は嗤う。
「いーや。終わってる。アンタ言ったじゃないか。【参った】ってな」
完全にただの子供騙しだが、これが俺の考え付いた中で一番穏便に済ませる事が出来る策だ。これで済めばいいんだが。当然、夏侯惇は収まらない。
「き、きさまああ。そんな話が通用するか!!!」
怒り狂った夏侯惇が俺に斬りかかろうとするが既に俺は曹操達に傍に移動しており、今怒りに任せて斬りかかると彼女達を巻き込みかねない。その位、俺は曹操達に近づいていた。
曹操達は何か嫌そうな顔をしているが今彼女達から離れると夏侯惇に殺されそうなので無視する。
怒りながらも斬りかかれない夏侯惇を見て曹操は溜息をつく。そして俺に向かって死刑宣告をした。
「こんな決着は認められないわ。貴方自身も言ったでしょ。これは根性試しみたいな物だと。今ので貴方の根性を試せたと思うの?」
「そうだ、華琳様の言う通りだ。お前はさっさとわたしに斬られればいいんだ」
いや、斬っちゃ駄目だろ。根性試しだって言ってるのに死んじゃうだろ。
「春蘭」
「はい、華琳様っ! なんでしょうか?」
「斬っては駄目よ。比企谷も言っていたでしょう。これはあくまで【試し】なのよ。それも武人として雇うわけではないのだから、加減をしなさい。加減を」
ですよねー。
流石に曹操もこのまま進めると、夏侯惇が主旨を忘れて俺を斬りかねないと判断したのだろう。夏侯惇へ注意を入れた。さらに夏侯惇へ近づいて何か小声で指示を出している。残念ながら俺には聞こえないが、ろくな事では無いだろう。
一応加減はしてくれるようだが、模擬刀とはいえ金属で出来ているのだ。あんな物で殴られるのかと思うと背筋が凍る。
何より俺は夏侯惇を信用出来ない。こいつがちゃんと手加減出来るのか甚だ疑問である。それにその疑問を自分の体を使って解き明かそうと思える程、俺は奇特ではない。
使いたくは無かったが、仕方がないので二つ目の策を使う事にする。せっかく穏便に済ませようとしてやったのに……お前等が悪いんだからな。見せてやるよ。俺の全力を。
相手に警戒されないようにゆっくりと屈み、模擬刀を手放した。そして正座し両手の手の平と額を地に付ける。土下座である。
どうだ、見事なもんだろ。
「勘弁して下さい。許して下さいお願いします。勝負にならないです。本当に申し訳ありません」
全力である。恥や外聞? そんなもんに何の価値があるんだ。この程度で命が助かるなら安いもんだ。
俺に蔑みや呆れの混じった視線が注がれているのが分かる。
普段から顔も上げずに周りの顔色伺っているんだ。この位普通に察することが出来る。ボッチ舐めんな。
顔を上げずに様子を伺っていると曹操の溜息が聞こえてきた。
「あなた、自分で根性試しみたいなものだと言っておいて、いくらなんでもそれは無いでしょう? 例え文官であっても、口先だけで自分の言動に責任も持てない者を重用する人間がいるかしら。多少口が回るというだけでは雇えないわよ」
曹操の辛らつな言葉にも俺は顔を上げず地に額を擦り付ける。
アホか? 脳筋に鉄の棒で殴り殺されて証明する根性ってなんだよ。安心しろ。俺の覚悟ならすぐに見せてやるよ。吠え面かくなよ、曹操もどき。
「所詮、口だけの男か」
夏侯惇は馬鹿にした様に吐き捨てた。夏侯淵は1人無言だったが呆れているのが分かる。やがて3人は俺に対する興味を失ったのかこの場を立ち去ろうとする。そこで曹操は思い出したかの様に言った。
「お前の様な男を飼う気はないわ。貰った貨幣の代わりに少しだけど路銀を用意させる。ここから出て行きなさい」
言い終わると曹操は土下座したままの俺に背を向け歩き出す。夏侯惇と夏侯淵もそれに従う。
俺は顔を上げないまま3人が完全に俺から意識を外すのを待つ。
意識が外れたのを感じると模擬刀を持ち立ち上がる。不自然にならない様にゆっくりと気配を薄めていく。そして音も無く三人の後を追い、模擬刀の鋭い切っ先を曹操の背中に突きつける。
「動くな」
俺が静かに告げたその言葉に曹操はその歩みを止め、夏侯惇と夏侯淵は此方を向き驚愕の表情を浮かべる。
「夏侯惇と夏侯淵は五歩離れろ」
俺たちの位置関係は、先頭を歩いていた曹操の右後ろに付き従っていた夏侯惇と左後ろにいた夏侯淵。その間に俺がいる状態だ。下手に慌てた夏侯惇と夏侯淵が左右から掴みかかって来ると曹操を刺すしかなくなってしまう。そして曹操を刺してしまうと俺はこの場で殺されるだろう。そこで、一旦場を少し落ち着ける為に二人には距離をとらせた。
離れたのを確認すると夏侯惇に言う。
「お前の急所は直ぐ分かった……で、降参するか?」
「貴様ぁ! 今すぐ華琳様から離れろ!!」
「姉者落ち着け、華琳様の命に関わるのだぞ!」
激昂した夏侯惇に対して夏侯淵は落ち着くように促しているが、本人も動揺しているのが分かる。
俺はもう一度同じ事を告げる。
「降参するか?」
「分かった。参った、降参する。だから華琳様を放せ!!」
夏侯惇は剣を捨てて叫ぶ。ちらりと夏侯淵の方を見ると彼女も武器を捨てていた。この場で落ち着いていたのは俺と曹操の二人だった。
曹操は人質になっている状態だったが、怯えてたり動揺している素振りは全く無い。
「春蘭、貴方の負けね。ねえ、もう動いていいかしら?」
曹操の問いに俺は頷き、模擬刀を降ろす。
即座に夏侯惇が俺へ襲いかかろうとする。しかし、それを曹操が一喝した。
「おやめなさい!! 春蘭、貴方は勝負が終わった後に不意打ちを仕掛けて恥の上塗りをするつもりなの!?」
曹操の言葉に春蘭はシュンっとなっている。
そうやっていればちっとは可愛げがある。
曹操がこちらを向く。その表情はお世辞にも機嫌が良いとは言えない。それはそうだろう。つい先ほどまで人質にされていたのだから。
「まずは見事な手並みと褒めておくわ。武術の心得も無さそうなのに私達三人相手にここまで出来るなんて……貴方が暗殺者なら一流と言っていいわね。ただ……」
俺を見る曹操の目が鋭くなり、威圧感が増す。
「うちには暗殺者は要らないわ。次からはやり方をもう少し考えなさい」
【次】ね。どうやら首の皮一枚繋がった様だ。
曹操は余程俺のやり方が気に食わないのか未だ文句を言っている。
「私は汚い勝ち方など求めない。私が求めるのは誇りある勝利よ。貴方も私の部下になるなら其処を理解しなさい。」
【汚い勝ち方など求めない】そう言えば高校時代も俺のやり方は雪ノ下達に
曹操がまだ言い足りないのか何かを言っている。
「汚い勝ち方で生き残る位なら死んだ方がマシよ。もし貴方がそのまま私を刺し殺すつもりだったとしても、私はその場を凌ぐ為に跪いたりはしない。誇りある死を選ぶわ」
コイツは何を言っているんだ。死を選ぶ? 誇り? 何だそれは。
「ふざけるなよ」
俺の口から漏れ出した声は普段より低くく唸り声の様だった。
俺を見ていた三人が一歩後ずさった。
「お前、今死を選ぶって言ったか?」
俺の問いに誰も答えない。
大事なモノを捨てる事になった自分。
捨てた先で何の意味も無く死んだ自分。
短い付き合いだが曹操が夏侯惇と夏侯淵の忠誠心は凄いものだと感じていた。
それなのにコイツはこんなに大事にされているのに、お前は俺と違って持っているのに。
「お前は死を選ぶって言ったよな。お前はこんな所で死んでいいのか。お前を大切に思っているコイツらを放り出して、俺みたいな下らない奴にこんな所で意味も無く殺されて本当に良いって言うのか?」
怒りで神経が焼き切れそうだ。
これは八つ当たりだ。醜い嫉妬だ。俺が失ったモノを自ら捨てると言うコイツに対する逆恨みでしかない。そして選択を間違い全てを失った自分への怒りだった。
「お前にはそんな価値しか無いのか! お前へのこいつ等の思いもこいつ等自身も簡単に捨ててしまえる程の価値しかないのか!」
吐き出した。これは曹操に対するものだけではない。俺自身に対する思いでもあった。そして吐き出してしまえば少し落ち着く事が出来た。
三人は呆然としていた。やらかした。俺は三人から視線を外すと自分の部屋へと歩き出す。
「……怒鳴って悪かった。部屋にいる。俺が気に入らないなら言ってくれ。出て行くから」
無礼な事を大分言った。いつもの調子なら今すぐ殺されてもおかしくないと思う。ただもう何かをする気力もない。本当ならこの屋敷からさっさと逃げ出すべきなのだが、そうする気が全くおきない。
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次々回ぐらいから重くない話も出来ると思います。