去って行く比企谷の後ろ姿を私は見詰めていた。何故、アイツは私に助言なんてしたのか。出会ってから終始、私はアイツに対してきつく当たっている。そんな嫌われる様な事をし続けている私に何故助言なんてするのか理解出来ない。そんな事を考え込んでいると、周囲に何者かの気配を感じた。慌てて周囲を見回すと、背後の物陰から曹純が顔を覗かせていた。
「あっ、見つかってしまいましたね」
「盗み聞きしていたの?趣味が悪いわよ」
悪びれる様子のない曹純へ文句を言うが、曹純が気にする素振りなどない。私がその態度に注意をしようしたところで、曹純の背後から華琳様と曹仁までもが姿を現した。
「趣味が悪いと言われても、廊下であれだけ声を荒げていれば聞かれても仕方ないじゃない?」
「いっ、いえ、それは華琳様に言ったのではっ!」
「……ふふ。分かっているわ。興味深い話をしているものだから、つい聞いてしまったのよ」
華琳様は私の言葉を気にしていないみたいだが、私としては恐縮してしまう。そんな私に華琳様は微笑みを向けている。ただし微笑んではいたが、その目が笑っていないのを私は見てしまった。
「それで桂花……あなたは八幡を随分と意識しているみたいだけれど、身内同士の足の引っ張り合いなんて無様な事が私の軍で起こらないでしょうね?」
「と、当然です。公私混同は致しませんっ!」
軽い調子で紡がれた華琳様の言葉。しかし、私には重く感じられた。冗談めかした言い方であるが実際にそんな無様を晒したら最後、
華琳様の元に現在いる文官の中で、私とあの男は最上位にある。その2人の関係に問題があるのなら気にして当然である。それなのに私には華琳様があの男を特別気にかけている様に思えて、言葉に言い表せないもやもやしたものが胸に浮かぶ。そんな私の思いなどお構い無しに曹仁が私と華琳様の間へ割り込んできた。
「華琳様、私も桂花が先程言っていた事と同じ事が前から気になっていたのですが……何故、八幡に真名を許すだけでなく敬語すら使わせないのですか?」
私が直接訊きたくても訊けなかった事を曹仁はあっさりと訊ねてしまった。そんな曹仁へ複雑な思いもあるものの、華琳様の口からどんな答えが出るのかが気になって私は知らず知らずの内に華琳様を見詰めていた。
「貴方も私が八幡を特別扱いしているみたいで不満だ、と言うのかしら?」
「いやー。そういう訳でもないです。ちょっと疑問に思っただけなので」
華琳様の問い掛けに曹仁は頭を掻きながらそう答えた。
ちょっと、何でそこでさらに突っ込んで質問しないのよ。いっつも空気も読まずにズケズケ発言するんだから、ちゃんと聞きなさいよ。あんたは『ちょっと疑問に思っただけ』かもしれないけれど、私は気になって仕方が無いのよ。
私のそんな思いを察した訳ではないだろうが、曹純から援護が入る。
「私も気になってはいたんですよ。もしかして八幡さんを配下にする時に何かあったりしたんですか。ほら、この前の遠征の時にも華琳様を人質にしたとか言っていたじゃないですか」
そう、確かにそんな話をしていた。あの時は時間が無いから詳しい話は後で、と言われたが結局まだ何も聞いていない。あの男の特別扱いに何か関係があるのかもしれない。姉とは違って察しの良い曹純だけあって良い質問よ。
「そう言えば結局あの後も詳しい事は話してなかったわ……そうね。この際だから今話して置きましょうか」
「ええ、是非」
曹純が華琳様に笑顔で頷いている。よくやったわ。姉とは違って気の回る
「あれは八幡を正式に雇う前の事よ。最初は私も八幡が本当に使い物になるのか半信半疑だったから、少し試してみたの」
私が心の中で曹純を褒めていると華琳様の話が始まった。誇り高い華琳様があの男のぞんざいな口の利き方を許しているという事はそれ相応の理由があるはずだ。私はその内容を一字一句聞き逃すまい身構えた。
「あー、分かります。目に生気が無いですし……」
「敗残兵か、処刑寸前の罪人の様な目だからなあ……使い物になるか疑問を持って当然でしょう」
曹純と曹仁がそう言いながら頷いている。直属の上役という扱いになっている人間に対する評とは思えない程、辛辣な言葉だった。ただしあの男にとって幸か不幸か、2人に悪意がある訳ではなく思ったままの感想を言っているだけの様だ。
「そうね。私も貴方達と同じ感想を持ったから八幡の気概を試してみたの。春蘭と刃の付いていない剣で戦わせようとしたのよ」
「えっ、それは無茶で……いえ、何でもありません」
私は驚きのあまり口を挟んでしまい後悔した。しかし、無茶であるというのが私の率直な感想だった。双方に力の差があり過ぎ、そのうえ夏侯惇は上手く手加減が出来るような人間では無い。いくら刃が付いていない剣を用いたと言っても、夏侯惇がそのままあの男を殺してしまっても不思議ではないと思う。それについては華琳様も分かっているようだ。
「ええ、確かに人選を間違えたかとも思ったのだけれど、春蘭のような見て分かり易い剛の者に立ち向かえるか、どうかで気概を確かめようと思ったのよ」
気合の入った状態の夏侯惇を前にすれば新兵どころか、大抵の一般兵は大なり小なり気圧されるだろう。そこで立ち向かう意思を示せれば、確かに気概があると言える。かなり乱暴だとは思うが、それぐらいはやって当然という期待の現われだろうか。
「そして、あっさりと八幡が勝ったわ」
「「ええええええええええええええええ」」
私と曹仁達は、華琳様の口から紡がれた衝撃の言葉に叫んでしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください。ありえないですよ。春蘭姉が負けるなんてっ!!」
曹仁は華琳様の告げた内容をどうしても信じられず、そう言い募っていた。その気持ちは理解出来る。夏侯惇の強さは本物である。他陣営に属した経験もある私から見ても、夏侯惇と同等以上の武人などそうはいない。その彼女がまともにやって比企谷に負けるなど考えられない。
「いいえ、負けたわ。八幡の話術にあっさり
「ああ……」
「春蘭姉様……」
簡単に言いくるめられている夏侯惇の様子が、容易に想像出来る。それは曹仁達も同じなのか、呆れているのか納得したのか微妙な表情をしている。夏侯惇が一対一で比企谷と闘って負けるなど考えられないが、口先で丸め込まれたというのならば納得である。
「ただ、それでは八幡の気概を試したことにはならないから、もう一度闘わせようとしたのよ。そうしたら八幡はすぐさま跪いて許しを乞うたわ。それはもう無様で見ていられない位の勢いで命乞いをしていたわ」
「うわあ」
「うーん」
曹仁は普通に引いていた。曹純の方は何か思う所があるようで考え込んでいる。私も曹純と同じで華琳様の言葉を素直にそのまま受け取れない。私の見た所あの男は非常に狡猾であるし、捻くれた性格をしている。何か裏があるのではないかと思ってしまう。
そして、その予想は当たっていた。
「私が呆れてその場を立ち去ろうとしたその時、八幡は私の背後に忍び寄り剣を突き付けて人質にして春蘭を降伏させたのよ」
「そんな事、許されないわ」
「春蘭姉が付いていながら、そんな暴挙を許すとは」
まさか、本当に華琳様を言葉通りの意味で人質にしたなんて信じられないし、許されない。その気持ちは曹仁も同様なのか憤りの声を漏らしていた。しかし、曹純の方は違う感想を持ったのか落ち着いた面持ちだった。
「まっ、その状況では八幡さんに取れる手なんて限られていますし、良く冷静に事を運べたものですね」
信じられない事に曹純はどうやら感心しているようだ。それを見て頭に血が上ってしまう。
「曹純、貴方どういうつもり?華琳様を人質にとるなんて暴挙に感心するなんて!!」
「今現在、華琳様に仕えているという事は問題無いという事では?」
私が曹純を責めても彼女は気にした様子もなく、しれっと答えた。その反応が余計に私をイラつかせるが。
「冬蘭の言う通りよ。この件に関して八幡への処罰などはしていないわ。人質と言っても本気で私に危害を加える気は無かった様だし、こちらが試そうとしておいて想定の上を行かれたからといって処罰したのでは私の器量が疑われるわ。だから貴方達もこの件に関して八幡を責めては駄目よ」
「ううう……」
曹仁が華琳様の言葉に唸っている。華琳様を人質にしたことを不問と言われても簡単に納得は出来ないのだろう。
「華琳様はそれで八幡さんの実力を買って特別扱いしているという事ですか?」
「簡単に言えばそうね。その後にも色々あったのだけれど、そちらは内緒よ」
「えええ、教えてくださいよ。気になるじゃないですか」
華琳様と曹純は唸っている曹仁を放っておいて話している。
それにしても華琳様と比企谷との間にまだ他にも何かあったようだ。華琳様が意味ありげな笑みを浮かべて話を濁すあたり、そちらの話の方が重要なのではないか。しかし華琳様はこれ以上話すつもりはないらしい。ここで無理に聞こうとして不興を買うより、夏侯惇から聞き出す方が簡単だろう。
「そちらは八幡か秋蘭に聞きなさい」
「えっ、夏侯淵にですか?」
「ええ。秋蘭もその場にいたし、あの一件以来八幡を随分評価しているみたいだから。彼女から見た、あの一件の話を聞ければ面白いかもしれないわね」
混乱している。華琳様の告げた内容に気になる部分が多過ぎて、頭の中の情報を整理しきれない。
夏侯淵もその場にいた?
では、あの男は夏侯惇だけでなく夏侯淵までいたにも関わらず華琳様を人質にとったと言うの?
華琳様自身、文官である自分やその辺りにいる兵などに比べれば相当お強いはずなのに!?
油断していただけでどうにかなる状況ではないはず。
実際にこの目で見ていれば……私もその場にいられたら良かったのに。
「兎にも角にも私は八幡に想定の上を行かれたのよ。同じ相手に一日で二度も敗北するなど私にとっては初めての事よ。そんな相手に敬語を使わせるのは私の趣味に合わないわ」
そう語る華琳様の目は優しげだった。誇り高い華琳様がご自分の敗北をこんな風に語るなんて信じられない。あの男はなんなのよ。訳が分からない。この胸のもやもやは、あの男の事をもっと知れば無くなるのだろうか。
「うーん、やっぱり面白い人みたいですね。八幡さんは」
「冬蘭は八幡を気に入ったみたいね。夏蘭は違うみたいだけれど」
「い、いえ、そのような事は少しやり方が……」
「その辺りは私からも注意しているし、貴方達も傍についているのだから何かあれば上手く修正してあげなさい」
華琳様と夏蘭達の会話を聞きながら私は心に決めていた。比企谷八幡という男をこれからもっと注意深く観察していかなければならないと。
遅くなって申し訳ありません。過去最長の時間が掛かってしまいました。
1つのシーンに複数のキャラがいるというのは本当に書くのが難しいです(私の場合
読んでいただきありがとうございます。