在賀織絵の存在証明   作:四季式

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第2話 幸い中の災い。(前)

 在賀織絵。

 

 彼女を一言で表すとするならば、『才女』という言葉が最も相応しいだろう。

 ぼくが通っている小学校において、少なくとも同学年である五年生では、その名を知らない者は皆無である。

 

 であろう、ではなく、である。

 推測ではなく、確定情報だ。

 

 織絵をぼくの駒として招き入れ、まずしたことは、彼女の情報の収集である。以前から目をつけていたため、最低限の情報は持っているのだが、如何せん足りない。特に、ちょっと調べれば分かるような個人情報ではなく、第三者の視点からの情報だ。

 そのため、クラスメイト及び同学年の児童に、織絵のことを聞いてみた。

 

 それはもう、余すことなく全員に。

 

 残ることなく根掘り葉掘りに。

 

 それでも、変に思われないようさりげなく慎重に。

 

 その結果──

 

 曰く、在賀織絵は秀才である。

 

 曰く、在賀織絵は努力家である。

 

 曰く、在賀織絵は妹と仲が良い。

 

 曰く、在賀織絵は大人びている。

 

 曰く、在賀織絵は誰にでも優しい。

 

 等々、さまざまな意見が出たが、中でも興味深いものがひとつあった。

 

 

 

 

 曰く、在賀織絵は気持ち悪いほど何でもできる。

 

 

 

 

 何でもそつなくこなす人間はよくいる。そういった奴らは、良く言えば要領がいい、悪く言えば器用貧乏といえる。

 要は、特徴がないのだ。

 どんなことでも最低限のことはできるが、限界値が低い。苦手もなければ得意もない。平均型にはなれるが、特化型にはなれない。

 

 りすかは典型的な特化型だ。

 こと魔法に関しては、さすがにりすかの父親・水倉神檎には遠く及ばないが、それでも並の魔法使いに比べて相当以上の実力をもっている。

 もっとも、この評価は父親に組み込まれた体内の魔法陣・魔法式も込みのものだが。対して、他の能力・技術はどうかというと、どれもいまいちパッとしないというか、どれも平均かそれ以下といった感じだ。

 

 では、在賀織絵はどうなのだろう。

 さまざまな人物の評価と、ぼく自身の観察眼から導かれた答えは、平均型・特化型のどちらでもなかった。

 確かに、織絵は何でもそつなくこなせる。しかし、それだけでは終わらない。

 彼女は、『ある程度』では終わらないのだ。

 どれをとっても、それが得意分野だと思わせるほどの実力を示す。

 どんなことでも平等に、不平等なほどの才能を有する。

 

 

 ──それこそ、気持ち悪いほどに、彼女は才能の塊だった。

 

 

 要領がいいなんてもんじゃない。

 器用貧乏なんてあり得ない。

 文字通り意味通り、本当に何でもできてしまうのだ。

 だから彼女は、平均型でも特化型でもない。

 

 強いて言うなら、万能型。

 苦手はなく、全てが得意。

 

 

 

 

 もう一度言おう。

 在賀織絵は気持ち悪いほど何でもできる──だから彼女は『才女』と呼ばれる。

 

 同学年で彼女を知らない者はおらず──故に、彼女の行動は注目されやすい。

 

 

 

 

「供犠君」

 

 

 

 

 だから、織絵が教室の後ろの扉からぼくを呼んだときは、溜め息が出そうになった。

 

 

 

 

 

 

  ★   ★

 

 

 

 

 

 

「このくらいの事、ぼくが注意しなくても既に分かっているだろうけれども──もしくは分かった上での行動かもしれないけれども、一応言っておく」

 

 ぼくは言う。

 

「目立つことはするな」

 

 

 

 小学校から自宅までの道程。

 ぼくと織絵は横並びで歩いていた。

 横並び、とは言っても隣接しているわけではない。車道を挟んだ、道の端と端である。

 織絵がぼくの教室まで来たせいで目立っているのに、更にそれを助長させるようなことはしない。

 

「分かってるわ。だから『創貴さん』とは呼ばなかったのよ? それにどうせそのうち露見してしまうでしょうから、最初から『何か関係がある』と思ってもらった方が後々楽だと考えたの」

 

 どう? と少し自慢気に語る織絵。

 

 ぼくとしてはできれば学校では波風を立てずに、とまでは言わないが、妬みや恨みが出ない程度で生活したかった。

 人間関係を円滑にするには、相手を屈服させるか、互いに害がない程度の付き合いにするかの二つが最も有効だとぼくは考えている。

 そのどちらかならば、利はあっても害はほとんどない。

 

 しかし、学年一有名な『才女』と懇意にしているなどと思われれば、それだけで敵意や悪意を持つ者──特に男子──もいるだろう。何歳でも男はそういった感情に流されやすい。中には、良からぬ妄想で勝手にぼくを目の敵にする輩も出てくるだろう。

 

 ──まあ、起こってしまったことはしょうがない。ぼくはりすかと違って『時間』なんて操れない。

 だから、これからをどうするかが重要なんだ。

 

「でも、どんな関係があることにするんだ? 下手したら恋人同士にでっち上げられるぜ?」

 

「それなら簡単だよ。りすかちゃん関係のことにすればいいのよ」

 

 ふむ、確かに現在進行形で登校拒否児であるりすかを、前クラス・現クラスの学級委員で更正する、という名目なら大半の目は誤魔化せる。

 

「まあ、りすかちゃんをだしにするのはちょっと申し訳ないんだけどね」

 

 と言い、織絵はぺろっと舌を出す。

 

「でも、りすか関係であることは間違いじゃないだろ」

 

 ぼくらは、あの日からほぼ毎日、りすかの家であるコーヒーショップに集まっている。理由はいくつかあるが、一番大きいのが『織絵に魔法を教えること』である。

 織絵をぼくの手駒に加えたとは言っても、実際に何か行動をさせるのは、少なくともあと三年は先のことだと考えていた。

 いくら『才女』とはいえ、彼女はまだ小学生で発展途上なのだ。

 万能型の才能をもっていても、あくまでまだ子供の範疇。

 それが普通から逸脱しだすであろう予想時期が三年後である。

 それまでは、今のようなディスカッションもどきをして、仲間意識や忠誠心を根付かせようと思っていた。

 しかし、織絵は二回目の集会で『魔法を教わりたい』と言ってきた。

 

 確かに、それは一度考えた。

 彼女の万能型の才能──『万能適性』であれば、魔法の才すら秘めている可能性は十分ある。

 いや、恐らく、十中八九あるだろう。

 だが、『魔法を教える』というのは言葉ほど簡単ではない。

 特に、長崎にいる生粋の『魔法使い』ではなく、今まで全く魔法と接していないただの人間であれば尚更である。

 

 現在までに特定されている、魔法を教わった人間である『魔法』使いは、そのほとんどがりすかの父親である水倉神檎に師事している。

 逆に、彼以外の『魔法使い』は全くというほど誰も人間に魔法を教えてはいない。

 これは、彼ら『魔法使い』の大半が、ただの人間を『駄人間』と差別的に見ているというのも原因のひとつだが、それ以上に魔法を教えるというのが難易度の高い技術であるからだ。

 そんな魔法を教える技術をりすかがもっているはずもなく、魔法が使えないチェンバリンは言うまでもない。

 つまり、先生役がおらず、織絵に魔法を教えることは不可能だった。

 

 

 

 

 

 

 ──だが。

 ある男が長崎から城門を越えて来たことで、その問題は解決した。

 

 

 

 

 

 

 水倉破記

 

 

 

 

 

 

 『迫害にして博愛の悪魔』の称号をもつ、りすかの父親の弟の息子──つまり、りすかの従兄妹だ。

 


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