夢幻転生   作:アルパカ度数38%

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その55:そして真実は彼方へ

 

 

 

 紅茶のカップが、微かな音を立ててソーサーの上に置かれた。

パジャマの隙間から地肌を晒しつつ、アリサは憂鬱な瞳を空間投影ディスプレイへ向ける。

暗い部屋を背に、ディスプレイの青を帯びた光で浮かび上がる、なのはの顔がそこにはあった。

困ったような、苦しんでいるような、それでいて喜んでいるような、不思議がっているような、色々な感情が入り交じった顔である。

それでいてそれらは虹のように分かれている訳でもなく、マーブル模様を作っている訳でもない。

沢山の絵の具をぶちまけて混ぜたような、灰色の感触であった。

 

「おめでとう、と言えば良いのかしら」

「シニカルだなぁ……」

 

 苦笑のような表情を貼り付けるなのは。

幼なじみの親友を自殺させたのは、よっぽど心に来ているらしい。

すずかの仇であると分かっていても尚である。

それは自分も同じようで、空間投影ディスプレイの漆黒部分に写るアリサの顔もまた、うっすらと暗い感情が淀んでいた。

小さく頭を振るアリサ。

それになのははにゃはは、と何時かと同じ癖を漏らし、続けた。

 

 四畳半の妄想世界が消えた後、元の世界に戻ったなのは達の前に現れたのは、時間凍結されたTであった。

一体何が彼の琴線に触れたのか分からないが、とりあえずなのはの答えは合格点だったらしい。

なのはたちは戦闘を終結させると、伝説の三提督と連携しTを管理局の中枢で保管する事にしたのだと言う。

続けて機動六課が解散した後の予定として、なのはたち3人は伝説の三提督の教えを受け、管理局最高評議会議員のポストへシフトしてゆく事が内定しているのだそうだ。

Tを人知れず保管するには最高評議会の立場がちょうど良かった上に、彼らは直属部隊にですらその実情を悟られていない程の秘密主義だ。

加えて意外にも直接的判断をする事は少なく、違法研究を裏でしてはいたものの、独裁色はそれほどでも無かったのだと言う。

それで違法研究が許される訳でもないが、彼らなりに正義のために尽くしていたのだろう。

なのはたち3人が最高評議会議員の立場を得るのも十分に社会正義に反した行為である、違法研究についてはなのはたちが言える話では無いのだが。

 

 表向きTは、スカリエッティの最後のあがきを身を挺して防いだ英雄とした。

何時目覚めるか分からない彼は管理局の何処かで保護されている事になっている。

ある意味合っているのだが、おかげでTに恋していたというスバルとティアナは大粒の涙をこぼしたそうだ。

そんな2人もそろそろ次の部隊の希望を出す時期になっているそうだ。

 

「2人とも、何時かたっちゃんが目覚める世界をよりよくするため、って真剣になってたっけ」

「前向きねぇ……」

「私たちと違って、ね」

 

 そのままそっくり帰ってきた皮肉に、アリサは鼻で笑う。

Tによる世界崩壊の危機が無くなった以上、アリサが引きこもる理由は薄い。

だが、それを言えばなのはも同じなのだ。

 

「あんたこそ、T……たっちゃんの体、虚数空間にでも放り込んでおいた方が良かったんじゃあないの? それで全部忘れて、これまでの人生の続きを生きられるようになるんだから」

 

 痛烈な言葉に、流石になのはは顔をひくつかせた。

否が応でもTを連想させるなのはの顔は、アリサにとって強烈な毒である。

自然、アリサの口からは鋭い言葉がするすると出てくるのであった。

 

 そんなアリサの皮肉に、なのはは沈痛な面持ちで、しかしまっすぐにアリサを見据える。

眉を跳ね上げるアリサに、こわばった笑顔で、なのは。

 

「たっちゃんに"またね"って言われちゃったからね」

「…………」

 

 胸の奥を風が吹きさらすような、切ない一言であった。

次元解釈が正解なら、技術的にTの力を封印し、人として歩めるようできる可能性はある。

しかしそれには数世紀の時間が必要になるだろう。

そして夢幻解釈が正解なら、Tが時間凍結した瞬間実は現実で目覚めており、しかも寝た時にまた同じ夢を見るという奇跡を待ち続ける他ないのだ。

これもまた、待ち続ける他ないという悪夢のような状況である。

 

 そんな奇跡をなのはたちが待つと決めたのなら。

そしてそれをTの"またね"の一言によって決めたのであれば。

それはもはや、呪いではあるまいか。

そう思いつつも、それでもアリサはいびつな笑みを浮かべ、言った。

 

「……そう、頑張りなさい」

 

 言ってから、ふとアリサは思う。

夢幻解釈が正解だとしよう。

奇跡が起き、Tが現実で目覚めて次に見る夢が同じだったとしよう。

それなら現実世界では、Tが夢見ている時間はどれほど経ったのだろうか。

アリサは無意識のうちに、この物語は一晩の物語であると考えていた。

だがしかし、果たして一瞬の午睡のような、ほんの僅かな時間しか現実では過ぎていなかったとしたら。

この夢幻転生が、一夜の彗星が放つ閃光が煌めくような一瞬の物語であったとすれば。

だとすれば、なのはたちが生きている間にTが起きる事は無い。

だが困ったことことに、なのはたちは肉体の寿命を超えて生き続ける人間たちを知っている。

 

 最高評議会議員。

なのはたちが引き継ぐ立場に居た、正義の為に脳髄だけになって生きていた存在。

もはや人間と称すべきかも分からない、生物と称すべきかすらも分からない存在。

なのはたちはそんな存在になってさえも生き延び、せめてTと一目会おうと生き続けるのではあるまいか。

 

 それでなのはたちが何世紀か生きたとしよう。

奇跡が起きてTが再びこの世界に降り立ち、なのはたちと再開したとしよう。

だが、その時なのはたちは脳髄だけの存在である。

あの妙に目に固執するTである、目を無くしたなのはたちと出会って、一体どんな反応をするだろうか。

果たしてなのはたちは、全てを賭して生き延びてきた対価が目前のTの反応だったと知り、発狂せずに居られるのだろうか。

そしてそれは、落第はせずとも満点では無かったなのはたちの答えにTが残した、罰なのではあるまいか。

"またね"。

たった一言でなのはたちの魂を永遠に縛り、最悪の最後を用意する、地獄への片道切符だったのではあるまいか。

 

 何故かその想像は、ぞっとするほどに当たっているような気がした。

アリサは背筋に走る悪寒に震え、息をのむ。

なのはに今からでもTの事を見捨てるよう告げようか、本気で迷った。

しかし不可思議な確信は流れるように消え去ってしまい、アリサは頭を振った。

今のはただの想像である、当たっているとは限らないし、そもそも当たっていても、今のなのはがTを見捨てる事はありえない。

だからこれでいい筈なのだ。

 

「うん、そうよね……」

「にゃ? アリサちゃん?」

 

 懐かしい口癖を挟むなのはに、アリサは曖昧な笑みを浮かべた。

その、瞬間であった。

雷鳴のようにアリサの頭の中に何かが閃いたのである。

目を見開き歯を噛みしめ、アリサは脳裏に過ぎった想像に身を凍らせる。

 

 T。

最後の局面、Tが重要視していた"真実"と"真実らしさ"。

夢幻解釈におけるこの世界の"真実"。

次元解釈におけるこの世界の"真実"。

何度も移り変わり、全ての秘められた謎を一言で解説できる言葉。

真実。

truth。

truth!

頭文字T!

 

 だとすれば、なのはたちが四畳半の世界で見つけるべきは、Tの言葉通りの"真実らしさ"などでは無かったのではあるまいか。

Tそのものと言える"真実"を見つけてこそ、全ては明らかになったのではないだろうか。

だが、なのはたちはそれに気づけなかった。

失敗した。

それがなのはたちが、落第ではなくとも満点がとれなかった、その理由なのだとすれば。

 

「本当にどうしたの? アリサちゃん」

「……ううん、なんでもない——」

 

 しかしアリサは、胸の奥に閃いた答えを口に出さなかった。

大体、それでこの世の一体何が納得がゆくと言うのだ、何も変わらないに違いない。

今更Tという文字が何を表していたのか悟ったとして、それで一体この世界の何が変わるだろう。

そもそもアリサの直感以外に根拠の無い言葉を話した所で、なのはが受け入れるとは限らない。

 

 だからアリサは、欺瞞と共にその想像を忘れ去った。

答えらしき事を何一つ口にせず、曖昧な笑みを形作る。

口の形を喉奥から吹き込まれる息に合わせて変え、深紅の口唇から言葉を吐き出した。

 

「——ただの、妄想よ」

 

 

 

 

 

 完

 

 

 

 

 


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