フェイト・テスタロッサは戦慄していた。
機動六課のフォワード陣の休日。
楽しくなる筈だったその日を、エリオとキャロが見つけた金髪の少女とレリックが変えた。
レリックを狙い現れる大量のガジェットに、フェイトはなのはと共に一先ず海上のガジェットを掃討しに行く事となった。
が、ガジェットは突然恐るべき数の幻影との混合部隊となる。
解析不能の幻影に、部隊長であるはやてが限定解除を申請、Sランクまで戻した魔力を用いて海上のガジェットを墜とした。
その間なのはとフェイトは、陽動と判断した海上のガジェットを無視し、保護した少女とレリックを保管しているヘリの護衛に向かう。
すると突如、廃棄区画の市街地で強大なエネルギーが発生。
阿吽の呼吸で防御に優れるなのはがヘリへ。
速度に優れるフェイトが犯人の逮捕へと赴いたのだが。
吐き気を催す最悪の光景に、思わずフェイトは漏らす。
「……お前は一体……」
「なぁに、ごく普通の女の子ですわん」
ビルの屋上に立つのは2人の少女であった。
一人は茶髪に眼鏡の少女であり、青系統のボディスーツの上に白いケープを羽織っている。
言葉面はただからかっているかのような物言いだが、その奥には底知れぬ悪意が眠っているのをフェイトは感じ取っていた。
だが、何より、もう一人の少女。
否、これは最早少女と言って良い物だろうか。
“それ”は最早、人間の姿を留めていなかった。
頭蓋と思わしき場所には一切の頭髪も眉も無く、額には数字の10がうっすらと刻まれているのが見て取れる。
それだけであった。
他には何も無かった。
眼鏡の少女に抱えられる少女は、いわば生首の状態。
切断面には太いネジのようなアタッチメントがあり、近くに転がっている使い捨てと思わしき砲台のようなボディにも、ちょうどそれと合いそうなアタッチメントがある。
つまり。
「あぁ、残念ですけれども、ディエチちゃんの使い捨てボディには何の情報も残されていませんわぁ。メモリーもISの動力源も、本体の方にしかありませんもの」
「まぁそうなんだけど、身体をぽんぽん壊すような砲撃は好きじゃないんだよ……」
恍惚とした表情で、ディエチと呼ぶ喋る生首を撫でる眼鏡の少女。
その言葉の意味する所に、フェイトは歯を砕かんばかりに強く噛みしめる。
人間の首から上と下を分け、下のボディを取り替え可能にする、というのはそれほど奇抜なアイディアでは無い。
ただ、人間はその精神で自分の身体のおおよその形を記憶しているという。
これは今までどんな科学者でも覆せた事は無く、自分の身体では無いボディを繋がれても、実験体はそれを上手く動かせないどころか、発狂死する事すらあるとされている。
だが、目の前に転がる使い捨てと思わしきボディは、人間の形をしていなかった。
逆間接の脚に砲台そのものの胴体が備え付けられており、それら全てが完全固定可能なようにジョイント部分には器具が備え付けられている。
その中の観測用カメラがあるべき所に生首とのアタッチメントがあり、生々しいぬらりとした粘液がそこに輝いて見えた。
つまり、ディエチと呼ばれた生首の少女は、最早人間の精神を逸脱しているという事の他ならない。
怖気の走る光景に戦慄するフェイトが精神を立て直すより早く、ロングアーチから通信。
先ほどまで吐瀉物をまき散らす音ばかりだった六課からどうにか立て直したのだろう、オペレーターから悲鳴が上がる。
「ヘリは無事ですが、なのはさんが負傷しています! そんな、限定解除の申請は間に合っていた筈なのに!?」
「敵の砲撃は、なのはさんの全力防御より上だったって言うの……!?」
「地中から生首付きの鮫が泳いできた!? それでヴィータ副隊長が負傷!?」
続く報告に思わずフェイトが意識を逸らすと殆ど同時、あざ笑うかのような声が響いた。
「くす、私の可愛い玩具達、楽しんでくれましたか?」
「クア姉のじゃなくて、ドクターのだけど……」
「黙らっしゃい。IS・シルバーカーテン」
待て、とフェイトが手を伸ばすも、一歩遅い。
2人の体表に縦長の六角形のエフェクトが発生、機動六課を騙してみせた幻影が2人を覆う。
短く舌打ち。
いくらフェイトでも、見えない相手を複雑な市街地で追うのは至難の業である。
(はやて、行ける?)
(あぁ、フェイトちゃんは一旦離脱を!)
脳裏にはなのはの負傷という言葉が踊っていたが、フェイトはそれを強引に無視。
その場から飛行魔法で離脱、一歩遅れてはやてが放った黒球が市街地の上空にたどり着く。
黒球は反動をつけるかの如く一瞬収縮した後、一気に拡大。
広域空間爆撃魔法、デアボリックエミッションが発動する。
フェイトはそんな中、デアボリックエミッションの範囲外となる上空から、幾多のサーチャーを放っていた。
狩人の目でそれら全てを追い、流石に幻影を纏う余裕を無くした眼鏡の少女と生首とを見つける。
このままのペースであれば、ギリギリだがデアボリックエミッションから逃れられると判断。
即座に上空から彼女らを追って飛行移動を開始する。
黒球が効果を終えるのを確認すると同時、フェイトは愛機バルディッシュを構え、高速移動魔法を発動した。
「しまっ……」
眼鏡の少女の悲鳴と共に、バルディッシュの黄金に輝く魔力刃が一閃。
死神の鎌の如く少女の意識を貫こうとした、その瞬間であった。
「IS発動、ライドインパルスっ!」
紫閃。
認識外からの何かに、フェイトは反射的に防御魔法を発動する。
それと殆ど同時に線分と化した何者かがフェイトへと激突、防御魔法が悲鳴を上げる。
たまらず後退したフェイトを尻目に、紫の髪に金の瞳をした、これまた青いボディスーツを身に纏った女が両腕を構えてみせた。
「クアットロ、油断し過ぎだぞ」
「トーレ姉様!? た、助かりましたわぁ」
ほっと胸をなで下ろすクアットロ。
それを細めた視線で見つめつつ、フェイトもまた油断無くバルディッシュを構える。
彼女らの名前は、古代ベルカ語で数字を意味する物で統一されているようだった。
すると最低でもディエチ……10人の敵が居る事になる。
フェイトが更なる介入者を頭の隅に置いていると、クアットロが疑問詞を。
「でも、トーレ姉様は今回の作戦には参加していなかったのでは?」
「確かにな。私のような旧タイプの戦闘型は、既にお払い箱だっただろうが……」
肩をすくめるトーレに、クアットロは眼鏡を指で押し上げる。
生首だけのディエチは、冷たい瞳をトーレに向けていた。
2人の瞳には少なくない侮蔑が込められており、フェイトは彼女らも一枚岩では無い事に気づく。
それを利用できれば、現状を打破できる可能性はあるだろうか。
緊張にフェイトは、うっすらと汗がにじみ出てくるのを感じた。
現状は、フェイトが圧倒的に不利な状況であった。
限定状態のフェイトではトーレに勝てるかは危うく、加えてクアットロの支援があれば敗北は目に見える。
ディエチという足手まといが辛うじて天秤を拮抗させているが、それも退路にボディが隠されていないという希望的観測が前提となっていた。
負傷者が出たというフォワード陣からの増援は期待できず、はやては限定解除の時間切れ。
加えて頼みのなのはは意識を失っているとロングアーチからの通信から知れる。
故に。
「やれやれ、どうにか間に合ったか」
「……増援か」
凜とした声。
シスターシャッハに送り届けられた、シグナムの登場であった。
リミッター付きではあるものの、フェイトに比べ魔力量の依存する部分の少ない彼女は、現状ではフェイトよりも強力な戦力である。
これならどうにか優勢に戦闘を運べるか。
僅かな安堵を内心に飲み込み、フェイトはバルディッシュを構えた。
トーレ達を挟んで反対側では、シグナムがレヴァンティンを構え、微細な溢れる魔力が火の粉を散らす。
対し、トーレは構えた四肢から紫光のフィンを発生。
クアットロが眼鏡に手をやり、眼鏡が光を反射した。
が、それを制するようにトーレ。
「クアットロ、今回はお前の力は必要ない」
「は? ポンコ……トーレ姉様、何を?」
クアットロの疑問詞を捨て置き、トーレは宣言する。
「私は、ドクターの元から去るつもりだからな。これ以上、お前の力を借りる訳にはゆくまい」
「……はぁ!? 脳まで筋肉にでもなりましたか!?」
驚愕するクアットロに、無言で目を細めるディエチ。
フェイトはあくまでも構えを崩さぬままに、呼びかけた。
「投降するのならば、悪いようにはしません。貴女を保護する用意も……」
「要らん。私は別に管理局に下るつもりも無いのでな」
「……どういうつもりだ?」
訝しげに問うシグナムに、トーレは薄く微笑んだ。
怖気の走る笑みであった。
フェイトは背筋を得体の知れない物が過ぎるのを感じ、一瞬硬直してしまう。
遅れて悪寒が全身を蝕み、緊張にフェイトは汗を滲ませた。
腹腔の中に氷を突っ込まれたかのような気分であった。
じわじわと、染みこむように冷たさがフェイトの中で広がっていく。
どこか、既視感のある感覚。
記憶を探るフェイトを尻目に、トーレは言った。
「私は、Tに出会った」
え、とフェイトは薄く呟いた。
一瞬の空白の後、すぐにその名前は10年前に出会った、あの忘れられない少年と結びつく。
T。
フェイトの初めての友達。
「馬鹿な、ドクターの探しているあのTと!?」
フェイトが思わず自失した直後、クアットロが叫んだ。
その事実に意識を取り戻すと同時、フェイトは更なる事実に目を見開く。
そんな彼女らを捨て置き、トーレ。
「つい先ほど別れてな。現在の容姿もそうだが、居場所を追跡まではしていないが、特定できる情報も持っているぞ」
「……それを教えて貰える、って訳じゃあなさそうだね」
「あぁ。問いは私を刃で下してからにしろ」
言ってトーレは、顔を左右非対称に歪めた。
肌を刺すような闘志が、フェイトを襲った。
こちらも燃えさかるような正当の闘志ではなく、臓腑が凍り付くような強烈な闘志であった。
怯えて縮こまりたくなる身体を必死で動かし、フェイトは構えをとる。
六課として得たい情報は、スカリエッティの情報とTの情報である。
前者は当然として、後者は個人的にもそうだが、管理局員として当然に欲するべき情報だ。
故にこの場で最も優先して捉えるべきなのは、両方を知るトーレである。
彼女を相手にすれば、その間にクアットロに逃げられてしまう可能性もあり、しかもそれを補足する人員は容易にはひねり出せない。
が、リターンの大きさからフェイトはトーレを狙う事を意識し、念話でそれをシグナムにも伝える。
一瞬渋い顔をしたシグナムであったが、すぐに了承の意が返ってきた。
「……行くぞ! IS発動、ライドインパルスっ!」
紫閃が走る。
予めスピードを予測できていたからか、フェイトは辛うじてトーレの動きをその目に捕らえる事に成功した。
トーレの武器は肘の光刃。
高速戦闘を得意とするフェイトの目ですら霞んでしか捉えられないという、冗談のような速度である。
フェイトは辛うじてバルディッシュの刃を軌道上に割り込ませる事に成功するも、敵の武器は両腕にある。
防御魔法を発動するにも時間が足りない。
が、フェイトの予想通り、トーレはすぐさま引いてクアットロの方まで後退。
クアットロを攻撃しようとしていたシグナムの蛇腹剣を弾く。
「……ち、早さではテスタロッサ以上か!」
舌打ちするシグナムに、戻る蛇腹剣より早くトーレの光刃が襲いかかった。
シグナムは鞘で光刃を強く弾き、トーレの体勢を僅かに崩す。
軌道のずれたもう片方の光刃を身のこなしで避けるも、切り返しの刃は避け得ない。
が、そこに高速移動魔法でフェイトが割り込み。
強固なシールドでトーレの攻撃を阻むと同時、反転。
瞬く間にシールドを回り込んできたトーレの攻撃を弾くも、矢張り手が足りない。
遅れてシグナムの斬撃が助けに入らねば、墜とされていた所であった。
視界からは、既にクアットロ達の姿は消えているのが見て取れる。
トーレもそれを確認したのだろう、怖気の走る笑みを再び。
瞬く間に、一合、十合、五十合。
魔力刃達の悲鳴が合唱となり、破裂する空気達が添えられる。
閃光と化した3人が激突を繰り返し、一段と強い激突の後、3人は距離を取った。
強い。
それが偽らざるフェイトの感想であった。
事実トーレは3人の中で唯一呼吸を荒げておらず、その身体には少々埃がついただけで、傷は一つも無い。
対しフェイトとシグナムは身体のあちこちに小傷ができており、肩で息をしている状態であった。
(限定解除をしていれば、また違ったんだろうけれど……)
(無理だな。リミッターを外す際の一瞬の隙でさえ、奴の前では致命的だ)
とは念話しつつも、フェイトとシグナムの2人がかりで近接戦闘をしてようやく押さえ込める相手というのは、異常である。
前衛後衛に分かれた瞬間墜とされる程に、トーレと2人では近接戦闘のレベルが違っていた。
このままでは、六課から増援が来るまでに負ける可能性すらある。
戦慄する2人に、しかしトーレは訝しげな顔。
「……何故、ここまでの差が? もしや、Tと関係が?」
「T? Tがどうしたって言うの?」
フェイトの疑問詞に返すでもなく、トーレは思案してみせる。
時間が稼げるのは増援の可能性を増やせる為歓迎である、フェイトとシグナムは息を整えつつ待ってみせた。
すぐに目を細め、トーレは言った。
「すまんな、確かめねばならぬ事がある。この場は引かせてもらおう」
「ま、待……!」
思わず手を伸ばすフェイトであったが、それを毛ほどにも気にせず、トーレはISを発動。
フェイトやシグナムですら追いつけない速度で彼方へと飛び立つ。
自ら戦いを挑み、優勢のうちに退くという意外性に2人は出遅れ、追いつく事は最早敵わない。
「ロングアーチ、追跡は……!」
(駄目です、ロストしました……)
歯噛みするフェイト。
ロングアーチでさえ補足できない相手を探す力は、フェイトには存在しない。
久しく現れたTの情報が目の前から去って行ったのもショックだったが。
「ごめんシグナム、私の判断ミスだ。Tの情報まで欲張らなくても、クアットロの方を優先すれば良かった……」
「いや、トーレの強さは予想以上だった。結果は大して変わらんだろう」
「うん……」
流石に消沈しつつも、フェイトは遠くトーレの去って行った方向に視線をやった。
予想だにしなかったTの情報に、フェイトは胸の中の感情にどう決着をつければいいのか分からない。
初めての友達である筈のT。
神のごとき存在かもしれないT。
10年の時はフェイトの中でTを観念的な存在にし、後者の感覚を大きくしていた。
だが、どうしてだろうか、前者の感覚もフェイトの心の中からは消えずに残っている。
それもまるで度々出会っているかのように、時々フェイトの胸にTの存在がわき上がってくるのだ。
「T……」
彼の名前を呟く。
音の波は空気中に散っていき、空気の微細な振動とふれ合い弱まり、そしてついには音未満の物となって消え去った。
Q.要するに後期ナンバーズはどうなったの?
A.逆アンパンマンです。