あんまり話進んでないです。
ぼくは気づけば、知らない草原に立っていた。
踝ぐらいまでの丈の草に、一本の大樹。
どうやらぼくが居る場所は丘になっているらしく、見下ろす位置に大きな西洋風のお城みたいな建物があるのが分かる。
ラスボスでも居そうな偉容であった。
ふと、風。
草原は風にたなびき、まるで何かから逃げようとするかのようにする。
と思ったけれど、ぐるりと見渡してみると、なんだか草たちは放射状にぼくから逃げ出すみたいにして風にたなびいていた。
ぼくが空を見上げると、空中から風が集まってうっすらとした優しい竜巻みたいになってぼくに降り注ぎ、そして見下ろすとぼくから放射状に風が吹いているのが分かる。
ぼくはとりあえず、ぼくが草たちに逃げられているんじゃあないのだと分かり、一安心した。
そうでなければ、いつかもしパンダになる事があれば餓死してしまう事だろう。
ぼくは骨と皮だけみたいになった、眼窩の窪みがよくわかるパンダを想像した。
「こんにちは」
背後から、ややハスキーな感じのある少女の声。
ぼくが振り返ると、そこには何故かフェイトちゃんが立っている。
ぼくが目を見開くと、100年も前からそれを待っていたかのように、彼女はうっすらと微笑み言った。
「私はフェイト・テスタロッサじゃあないよ」
「じゃあ誰なんだい? いや、それならその前にぼくから自己紹介させてもらうかな」
確かに、フェイトちゃんにしては少し幼い少女であった。
加えて言えば、服も少しだけ幼い感じがする可愛らしい服である。
ううん、と小さく咳払い。
胸を張り、にこやかな笑みを作り、ぼくは言った。
「こんにちは、Tです」
「こんにちは、Tです」
ぼくと金髪の少女は、殆ど同時に発音する。
鏡写しみたいになった口元の動き方だったのだろうけれど、残念ながらぼくはぼく自身の口を鏡なしに見る事はできない。
よってぼくは折角言葉がシンクロしたのに、そんな口元を比べる事ができなかったのである。
あんまりな事実に数秒間ぼくは落ち込んでしまったけれども、彼女はぼくの事をにこにこと笑いながら待っていてくれた。
ぼくは眼球の海に向かってダイブし、眼球がプチプチとつぶれて中のガラス体が溢れる光景を想像して、どうにか落ち込みから回復。
口を開く。
「えっと、ぼくもTなんだけど、君もTという名前なのかい?」
「ううん。私は貴方。貴方は私。でもそれで分かりにくいと言うのならば、私の事はT・イドと呼んでくれるかな」
「うん、いいよ。T・イド」
にっこりと笑う彼女の微笑み方は、やっぱりなんだかフェイトちゃんと似ている部分があって、関係が無いようには思えない。
けれど彼女の名前はぼくと似ていて、どう考えてもよりぼくと近い場所に彼女が居るに違いないだろう。
と、そこでぼくは豆電球が頭上に輝くかのように、ピコーン! と閃いた。
「そうか、君はぼくとフェイトちゃんの子供なのかい!?」
「きみはフェイトちゃんと子作りどころかキスもしていないでしょう? そも、精通だってしているのかな?」
「まぁ、待ってくれよ。そこは説明するからさ。まず、子供は精子と卵子が出会って生まれる。精子と卵子は減数分裂をしたDNAを持つが故に、合体できる。そこで考えてもみなよ、ぼくらの髪の毛は死んだ細胞でできていて、ぼくらの体は生きた細胞で出来ている。つまり、髪の毛と肉体が一度合体した後に別れれば、DNAは半分になったのと同じ事になる」
「まぁ、そうなるかもね」
「うん、分かってくれて嬉しいよ。なら、髪の毛を飲めばどうなる? タンパク質分解されるんじゃあない、髪の毛はもう一度体と一体化するんだ。同じになった髪の毛は、体の中で生きた細胞と出会う。合体だ。結婚だ。つまり寿命が来ないかぎり、いずれは離婚する事になる。離婚は財産を半分にされるから、DNAだって半分にされなきゃあ、世の中の自分の物だと思っている財産を分割された男児たちが黙っていないだろう」
「思っているだけなんだね。つまり、現実は違うんだ」
「そうかもね。世の男性諸君に黙祷。…………。で、結局髪の毛には半分のDNAがある。でもこいつは排泄される宿命だ、水洗されちゃあちょっと他の髪の毛と出会えない。だからぼくらの細胞しか子供になる事はできない。何時出合ったのか。それは当然、フェイトちゃんと握手をした時だ」
「握手で人が妊娠するなら、地球はとっくに人間であふれ出しているだろうけれど」
「そうだね、そうなれば握手の時は必ず手袋をしていなければならなくなる。でもそれだと相手の手の感触が伝わらなくて、薄い手袋が必要の母から帝王切開で生まれなければならない。そのうち相手に与える感触がセックスアピールの一つになり、独特の感触を持つ手袋が流行する。デートではキスよりも手袋越しに手を繋ぐことが大事になるだろう」
「話がずれているよ」
「そうだね、ともかくぼくとフェイトちゃんが握手した時に君が生まれた可能性は否定できない。そうだろう?」
ぼくは渾身の自信に満ちた笑みを見せる。
するとT・イドは涼しい顔をしながら、空に視線をやった。
ぼくもつられて視線を空へ。
すると空模様が怪しくなってきており、薄暗い雲が空を覆い尽くしているのが見えた。
もうすぐ雨が降ってくるかもしれない。
そう思うと、ぼくはなんだか寂しくなってきてしまい、先ほどまで興奮して喋っていた内容がどうでもよくなってきてしまった。
ぼくはうるりと涙を浮かべる。
本気で悲しくなってきてしまっている自分に少しだけ驚き、ぼくは目を潤ませたままT・イドを見た。
T・イドの隣には、一台の担架がある。
キャスター付きのそれには、まるで人間を縛り付ける為のようなゴムベルトがいくつもついていた。
何かしらの道具が入った袋がぶら下がっているのが、何故か男性器を連想させて気味が悪い。
「乗るかな?」
「乗るさ」
返事を返して、ぼくは担架の上に横になった。
ぼくとT・イドはゆっくりと大木の元へと向かった。
まるで高級な料理を持ち運ぶ時のように、慎重な動かし方であった。
大樹はまるで茶色い太いワイヤーを幾重にもねじって巻き付けたみたいで、ぼくとT・イドが2人がかりで手を繋いでも、その幹を囲む事はできないだろうぐらいだ。
ぼんやりと大樹を見つめていると、かちゃかちゃと音がして、何だろうと見てみるといつの間にかT・イドが両手にナイフとフォークを持っていた。
T・イドの口が艶然と動く。
まるでてらてらとした蛇が上唇と下唇の2匹、蠢き回っているかのようだった。
「君は私の正体に気づいてはいけない。君は君の正体に気づいてはいけない。気づいた時には、気づいた意味が無くなってしまうから」
「ふぅん」
「気のない返事こそが最高の返事さ。覚えておくといい、私自身でさえも私の正体に気づいてはいけないと思っているという事実を。それが終わりの日を走馬燈の如く延ばす事に繋がるだろう」
「はぁ」
全くもって意味不明であった。
少しはぼくのような簡潔で分かりやすい男になってみればいいのに、と思ってから少しだけ違和感を感じたけれど、ぼくはなんだかそれが臭そうな気がしたので、それには蓋をする事にした。
それはそうとして、ぼくはなんだかT・イドの持つナイフとフォークが気になって仕方が無い。
思わず視線を集中させてしまうと、T・イドはにこりと笑う。
「私に可能な事かは分からないが、私は君を食べようと思う」
「そうなのかい。ならば少し注文をしてもいいかな」
「どうぞ」
あまりに素早い反応に、一瞬目をぱちくりとしてしまうが、都合の良い事なのですぐに口を開いた。
「まずぼくを食べる時は、お腹の皮膚を縦に切り、左右に引っ張って開いてくれ。内皮も同じ。ピン留めしたら、まずは肝臓から食べるんだ。きっとレバ刺しは濃厚な味で、先に舌を切り取って食べたいだろうけれど、ぼくだって喋って実況したいんだ、我慢してくれ。次は小腸。一口サイズにして煮て食べるといいよ。それから、一番大事なのは心臓。ここだけは循環系で一番最初に、そして生で食べてくれ。肺はどうやって食べるのか、自由でいいよ」
「注文の多い料理店を思い出すよ」
「そうだね。おっと、脳みそは頭蓋ごと煮てから食べるといいが、ぼくはぼくを食べる光景をできるだけ見ていたいんだ、最後にしてくれよ。それと、一個だけお願いがあるんだけれど」
「お願いはすでにいっぱい聞いているような気もするけど、まぁいいよ」
ぼくは、目を瞑った。
毎朝見る鏡の事を思い出す。
ガラスに蒸着された銀が反射する可視光が見せる、ぼくの顔。
ぼくがずっとずぅっと食べたかった人間の眼球。
少し血走った感じの多い、ぼくの瞳。
なのちゃんやフェイトちゃん、はやてちゃんの目に比べると落ちるものの、想像するだけで涎が口内に溢れそうになるそれ。
「ぼくに、ぼくの目を食べさせて下さい」
「……そうだね、いいよ」
にっこりとT・イドが笑った。
まるで天使のような笑みだ、と思ってから、この子はフェイトちゃんとうり二つな顔をしているので、ぼくはフェイトちゃんも天使のようだと思ったのだろうかとも思う。
まぁ、あの子も天使が舞い降りてきたのだ、と言われたら思わず信じてしまえそうなぐらいの美形なので、それぐらいは構わない。
大体容姿なんて何の役に立つんだ、と思ってから、自分がそれに魅力を感じて天使のようだと思った事を思い出し、ぼくはたいそう自分の事を恥じた。
そうこうしているうちに、T・イドはぼくの体にナイフとフォークを入れた。
ぼくの体はスパスパと切れて、すぐにぼくの中身は皮膚に覆われていないぼくを露わにする。
ぼくの中身は、夕日だった。
燃えるような夕日がぼくとT・イドの顔を照らし、ぼくらはもし赤面しても分からないだろうぐらいに顔が真っ赤になる。
「素晴らしいね」
「あぁ、今食べられて良かったよ」
ぼくらは似たような事を言いながら、しばらく夕日を眺めていた。
けれど夕日はいずれ落ちる物である。
T・イドはそれを待たずにナイフとフォークで夕日を切り分けた。
球形の夕日は輪切りにされ、一片がフォークに突き刺されてひょいと持ち上げられる。
夕日の切断面は、そこら中から赤いバラが顔を見せていた。
T・イドはにっこり微笑みながら口を小さく開き、一口ぼくの中の夕日をかじる。
もぐもぐもぐもぐ、ごくん。
嚥下すると、まるでグルメリポーターの義務のように感想を。
「素晴らしい……こんな食べ物がこの世にあるなんて」
T・イドは小さな口を仕草の上品さを損なわない限り早く動かし、ぱくぱくとぼくの中の夕日を食べていく。
ぼくはちょっと暇になったので辺りを見回すと、気づけば辺りでは雨が降っていた。
ぽつぽつざぁざぁと降り注ぐ雨は、もしかしたら夕日が今食べられてしまっているからやってきたのかもしれない。
けれどぼくはT・イドの邪魔をする気にはなれず、もしなったとしても、哀れぼくは眼球を食べるという行為を心待ちにしている所なのだ。
到底邪魔をする気にはなれない。
そうこうしているうちに、T・イドはぼくの中の夕日を食べ終えた。
それからナプキンで口元を拭い、生えている赤いバラを擦り取ってから、ぼくに視線を。
「次は、君に君の眼球を食べさせるんだったね」
言って、T・イドはスプーンを用意した。
すっとぼくの眼前にスプーンを動かすと、T・イドはまるでプリンでも掬うような気軽さで、ぼくの目をすっと取り上げる。
するとまるで片目のスイッチを切ったかのように、ぼくの片目は真っ暗になってしまった。
それにはがっかりしてしまわざるを得ないのだけれども、それ以上にぼくの目前に浮かぶ眼球は鏡越しに見るのと大違いで、激しくぼくの心を揺さぶるのであった。
眼球は完全な球形であった。
少しだけ充血気味だけど、よほど取り方が上手かったのだろう、眼球から神経の類がひょろひょろと出ているような事は無い。
何より、その瞳は印象的に過ぎた。
瞳は、まるで宵夜の濃紺のようであった。
夜の帳がゆらゆらと揺れながら、その奥にある億千万の何かの存在を示している。
ぼくが呆然とそれを眺めていると、T・イドはゆっくりとスプーンの先に乗せた目をぼくの口元へと運んだ。
ぼくはゆっくりと口を開けた。
スプーンは何の抵抗もなく、するりとまるで摩擦が無いみたいな動きでぼくの口の中にぼくの眼球を滑り込ませた。
ぼくは誠心誠意、全身全霊を込めて口内の眼球を歯と歯の間に挟み込む。
興奮と感動で、ぼくは既に両眼窩から涙をすら零していた。
震える筋肉をそのままに、ぼくはゆっくりと歯に力を込めて。
——ぶちゅり。