暗い空間。
床から放たれる青白い光源に照らされながら、空間投影された映像が輝く。
映像では、はやてとTの2人が共同生活を行っている様が見えた。
ロストロギア所持者達のストレス解消の為というお題目から一緒にされた2人である、故に日中は監視付きとはいえこうして室内では比較的自由に生活できている。
現に今も、2人は昼時とだけあって、カウンターキッチンへ入ってきていた。
「へぇ、今日はたっくんがお昼ご飯作ってくれるん?」
「あぁ。いつもお弁当は急いで作らないといけないから冷凍食品だったけれど、晩ご飯は自分で作っていたからね。そこそこの腕前だと思うよ」
「そうなんか。楽しみやな〜」
と、楽しげに会話しながらTは手際よく食事の支度を始める。
はやては自分が入ると邪魔になると分かっているのだろう、キッチンの入り口でにこやかにTを見守っていた。
そんなはやての視線を受けつつ、T。
「冷凍食品って、なんかゴムっぽいだろう? ぼくはそれが嫌で仕方ないんだけれども、ゴムって噛むと味がする気がしてくるじゃないか。だから仕方なく冷凍食品を食べていたんだ。なんで久しぶりに昼に自炊する事になるのかな」
「は? ……あぁうん、そ、そうかな?」
「やれやれ、コントラバスって地響きのように鳴るじゃあないか。あれを粘着質にすれば、似たような事になるだろうさ。分かるだろう?」
「……いやすまん、本当にわからんわ……」
いつものTの言動に、まだ慣れていないはやては困り顔であった。
しかしそれを気にするでもなくTはさっと乾パスタを取り出し、熱した油に放り込む。
珍しい調理の方法に、目を丸くするはやて。
体の事情でプロの料理を目にする機会の少ないはやては、インターネット上の料理サイトなどで調べられる料理しかした事がなく、また一人で食べきれない量を作らねばならない料理はヴォルケンリッターと出会うまで作った事が無い。
自らのレパートリーの偏りに思うところのあったはやては、関心した声をあげる。
「揚げパスタ? 初めて見るなぁ」
「ふふ、出来てのお楽しみさ」
「って、あれ? さっき油やなくて水に片栗粉溶いとらんかった? でもなんか音的に揚げ物やし……」
と、Tの料理の謎に疑問詞をあげるはやて。
それを無視してTはかけ餡を作り始め、はやてはTが手を伸ばす調味料の類に一つ一つ突っ込みを入れていく。
「って、なんで砂糖の次にスパイスに手を出すん!? いやいやラード!? なんで急にネギ刻み始めるん!? っていうかコンビーフ!?」
「ふふ、実を言えば、ぼくはコックになるのが将来の夢なのさ。なのちゃんには4月の授業で教えてあげたっけ」
「いや、私これ食うん? マジで?」
Tの不思議料理術に青ざめるはやて。
しかしそれでも料理を食べる気でいるのは、はやての方からもTの事を友人と思い始めているのだろう。
それ自体はいいことなのだけれども、と映像を眺めるリンディは内心で呟いた。
視線を、映像を映しているこの暗い部屋へ。
会議室として使われるアースラの一室には、リンディ、クロノ、エイミィにヴォルケンリッターの面々が集まっていた。
「Tさんとはやてさんは、どうやら上手くいっているようね」
「それが、必ずも望ましい事とは限らないが……、しかし主はやてはお優しい方だ、予想通りと言えよう」
「そうみたいね」
リンディは微笑みをシグナムに向けた。
一瞬視線が交錯する。
これが主人を殺した遠因。
そう思うとリンディの奥底に暗い感情が沸かないと言えば嘘になるが、しかしリンディの夫を殺したのは闇の書の暴走そのものである。
闇の書の主でも、ヴォルケンリッターでも無い。
ヴォルケンリッターは正直遠因過ぎて、リンディが憎むに足る相手ではなかった。
かつてのヴォルケンリッターの行いは悪鬼羅刹の類であったが、今回のヴォルケンリッターにはその影すら見られない。
管理局法に照らしても、以前の主に仕えていたヴォルケンリッターと今のヴォルケンリッターは別人として扱われる。
彼らを憎まずにいられた事に、リンディは内心小さな安堵を覚えていた。
ほかの犠牲者達の事を思えば、その安堵は罪深いものなのかもしれないが。
「では、あちらも一区切りついたみたいですし。話を始めましょうか」
言って、リンディは情報共有を始める。
事件はなのはをヴィータが襲撃した日に始まった。
辛うじてヴィータに食い下がるなのはの元に、偶々近くに居たアースラに居た、裁判を終えて嘱託魔道師となったフェイトが助けに。
アルフとユーノを加えた4人で、ヴィータの救援に来たシグナムとザフィーラを相手に奮闘するも、シャマルの手でなのはが蒐集を受け、しかしそのままスターライトブレイカーで結界を破壊し戦闘は終了。
アースラが闇の書事件を担当する事になり、フェイトが聖小に入学しアリサやすずかと知己に。
なのはが復活、フェイトと共に新デバイスを持って再びヴォルケンリッターと戦うも、その間にグレアムが闇の書の主八神はやてを発見保護する。
「……こう言ってはなんですが、妙なタイミングですね」
「闇の書事件をアースラが担当すると決まってから最初の、ヴォルケンリッターが全員離れた時間に八神はやてが発見された」
「私たちとしては、タイミングを見計らっていた、と邪推してしまうがな」
鋭利なシグナムの声。
信頼できる上司を疑う声に、しかしリンディは反論できず、続きをただただ口にする。
グレアムは今までにした事のない、権力を振りかざすような、なりふり構わない手口ではやての保護を強行した。
そしてそのままTとの共同管理を提案し、主の協力があれば闇の書の封印手段はあると言う。
なんでも10年前の事件を悔いて時折無限書庫で探していたらしく、はやてにその魔法をかければ暴走開始前の僅かな間、はやては闇の書へのアクセス権を維持できるらしい。
それを利用すれば闇の書は暴走部分を切り離す事ができ、その暴走部分をアルカンシェルで破壊すれば闇の書の悲劇は終わる。
闇の書を完成させる魔力は指定された害魔法獣から蒐集し、最後の暴走は無人世界で行えばいい。
それだけ聞けば、完璧な計画ではある。
「……その特殊な魔法が、我らどころかハラオウン提督にさえ非公開で無ければな」
「…………」
言い返せず、リンディは口を紡ぐ。
そう、グレアムの言う特殊な魔法は上層部のみに限定公開される、隠匿性の高い物であった。
リンディ達には概要だけで、術式はおろか実践記録やその保証さえも伝えられていない。
当然幾ばくかの反発はあったが、同時にそれが管理局の最高評議会からの勅令に依る物だと聞くと、それも僅かな物に収まった。
管理局最高評議会。
殆ど名誉職と言われる管理局の最上部組織であり、3名の偉大な魔道師によって構成されていると言う。
その3名ともが管理局の創設メンバーであり、かつ元SSSランクの魔道師であり、かつ全員がそれぞれ次元断層の危機を回避する程の偉業をあげているという偉大な人間達である。
上から介入してくるにしても愚かな介入はしないだろうが、それでもその介入によってグレアムの計画の信憑性が更に下がっているという事実は拭いきれない。
「ゲートボールしてる爺ちゃん達ならいい人ばっかだったけど……。でも、だからって爺ちゃん全部を信じられる訳じゃねーし」
「私たちは闇の書の転生時に記憶を殆ど持って行かれるから、はっきりとした事は言えませんが……。噂に聞いた管理局創設の頃の彼らは、決して清廉潔白な人ばかりでは無かったわ」
ヴィータとシャマルの声に、クロノが思わずと言った様相で声を上げようとする。
しかし、その気持ちもすぐに萎んでいってしまったのだろう、開きかけた口はすぐに閉じられる事となった。
クロノの反発は、法と正義を信じるが為に起きた物だろう。
若い者には顕著な反応であるが、クロノは特に、Tを相手にし精神の均衡を崩しかけてからは、法による正義を信じる事によってその精神を持ち直してきた子だ。
その法を定めた最高評議会を疑いきる事は、まだ難しいのだろう。
ならばその分を引き受けるのがリンディの役目である。
そう意気込み、リンディは視線をシグナムへ、凜とした佇まいで口を開いた。
「確かにこの事件において、管理局は清廉潔白とは言いがたいでしょう。グレアム提督の動き、最高評議会からの勅令。どちらも首をかしげざるを得ない物ですし、そこに貴方達が疑問を抱くのも当然でしょう」
「…………」
「ですが、残る案ははやてさんの殺害による闇の書の強制転生や、凍結封印によってはやてさんごと闇の書を封印する案ぐらい。事実上、対案は無いと言っていいでしょう」
無論、どちらもヴォルケンリッターには呑めない提案である。
俯くヴォルケンリッターは、当然すでに闇の書の完成が破滅を招くと言う動かぬ証拠をいくつも見せられている。
暴走時の映像に微かに残る転生前の記憶が重なったのだろう、彼らは最早闇の書が完成後に暴走する事を認めていた。
ならば採れる案は、結局一つしか無い。
「グレアム提督の案を採るしか、無いか……」
「貴方たちには到底納得のいく方法では無いと思うけれども……」
「いえ、ハラオウン提督が我らの為に尽力して下さっている事は事実です。我らはともかく、主はやてにまで憎しみを向ける人々から守って下さっているのは貴方たちです」
真っ直ぐな視線と共にシグナム。
ヴィータは顔を横にそらしつつも視線だけリンディに向け、シャマルはぺこりと柔らかな動作で頭を下げ、ザフィーラは堅い仕草で頭を下げる。
事実であった。
闇の書の被害者達による報復行為ははやてにまで矛先を向けられた物があり、恨み言を書いた手紙から爆発物の郵送、局員による襲撃計画などまであったのである。
当然闇の書についてはセキュリティ制限の高い情報で、誰もが知る情報では無い筈なのだが、それでも沸いてくる復讐者は後を絶えない。
リンディは人脈を駆使し、それらの報復行為への対応に尽力していた。
闇の書の被害者達の会などに参加していた事もあり、復讐者になりかねない人間の多くが知り合いだった事も有利に働いている。
それでも、夫を殺した遠因に感謝の言葉をもらうのは、奇妙な感覚であった。
リンディは曖昧な笑顔でそれを隠す。
「何これ、めっちゃ美味しいやん!?」
と、オンにしたままになっていたはやてとTの映像から、はやての大声があがった。
シャマルも真っ青のポイズンクッキングと思われたTの料理は、何故か見栄えはよく、そしてはやてによると味も良いらしい。
ふふん、と得意そうな顔をするTに、項垂れるはやて。
「う、嘘や、あんな適当な料理で、私とおんなじぐらい美味しいんやけど……。めっちゃ凹むわ……」
敗北感に溢れた台詞を言うはやてと、それをニコニコと見つめるTが、リンディの視界に入る。
リンディは、あの健気な少女はやてを救う事に異論は無い。
だがしかし、ふと思ってしまうのだ。
T、あの奇妙な少年はどうだろうか。
クロノが唾棄すべき邪悪と判断し、殺さねばならぬと直感した少年。
無邪気で変な言い回しばかりするだけの子かと思えば、プレシア相手に腕を物理的に伸ばすという発狂した光景を見せた狂気の子。
何より、リンディの直感もまた同じ事を言っているのだ。
Tは世界の為にもリンディの為にも、殺さねばならぬ邪悪なのだと。
グレアムの計画を穿った目で見れば、はやてをわざわざTと同居させる事にしたのが目についてしまう。
グレアムもまたクロノやリンディと同じく、Tに邪悪の気配を感じたのではあるまいか。
いや、冷静にここまでの行動を起こしているのである、恐らくは2人以上に。
それならばリンディは果たして、グレアムを止めるべきなのだろうか。
歴戦の勇士としての感覚を持つグレアムは、それ故にTの邪悪さをより強く感じ取ったのではあるまいか。
とすれば、はやてはTを殺す為の戦力強化として助けるだけであり——。
——いや、と。
リンディは思わず頭を振った。
グレアムは偉大な人間である、精神的に未熟なクロノやリンディとは違う。
Tが例え邪悪な存在であろうと、法を犯していない以上殺そうとするなどありえない。
そも、Tはちょっと変な言動をするだけの少年である、邪悪な存在などであるものか。
大体、はやてとTを同じ施設に保護しているのには実利がきちんとある、なのに無理矢理結びつけるのは妄想もいい所だろう。
そう思い直し、リンディは映像に視線をやる。
Tのにこやかな笑みを見て、それにおでこをテーブルにぶつけたまま会話するはやてを見て、その安らかな空気にリンディは覚悟を新たにした。
この暖かい子達を犠牲になどしてはならない。
必ず、守り切ってみせる。
僅かな瞑目と共にそう誓い、リンディは目を開けた。
偶然か何かか。
映像の中のTと、目が合う。
まるでリンディが見えているかのように、Tはぺこりと小さな会釈をしてみせた。