でも作者はゲーセンの脱衣麻雀をクリアする為にルールを覚えたので闘牌シーンはお察しです。
麻雀バトルではなく格闘バトルにしたい。
プロローグ「出会い」
「ロン! それだ京太郎、16000だじぇ!」
「ぐはぁ! またトんだ!」
九月中旬。
未だ茹だるような残暑の中、清澄高校麻雀部は平和な日常を展開している。
「……なんか全然アガれないんだが、お前らイカサマしてねえ?」
麻雀部の黒一点。
ここのところ毎日トばされまくっていた京太郎は、あまりにも勝てない状況に不満タラタラである。
「そんなわけありません」
「京ちゃんボロボロ危険牌出すんだもん。そりゃ勝てないよ」
「まったく。被害妄想にしても情けなさすぎだじょ、この犬は」
「へいへい。そりゃ全国優勝チームのメンバーだからな、俺が勝てないのも分かってますよ」
夏のインターハイ、清澄高校は団体戦優勝を果たした。
個人戦は白糸台の宮永照が頂点を制したが、清澄高校麻雀部もまた、まごうことなく頂点に輝いたのだ。
「今度は僻みか? いじける前に練習しろ、このアホ犬め」
そんなチームの先鋒、副将、大将三人と打って、初心者が勝てるわけもない。
「そうじゃねーよ。なんつーか、インハイ前も勝てなかったけどインハイ後はもっと勝てなくなったというか……」
「そりゃそうだ。全国前に特訓しまくったからな」
「それに激戦を潜り抜けた経験が、私達を一段上に引き上げたのかもしれません」
「うん、それはあるかも。確かにインターハイ前よりも牌がよく見えるし」
現在、部室にいるのは京太郎、咲、優希、和の一年生四人のみ。
部長であった竹井久は早々に引退し、インターハイ後の取材やら祝賀会やらの事後処理や、学生議会長の引き継ぎへと奔走している。
染谷まこもまた、家の手伝いや新部長としての業務引き継ぎで忙しかった。
「おいおい、ただでさえあった差がもっと開いたのかよ? そりゃ勝てんわ」
インターハイから二週間ほどが経ち、ようやく平和な日常が戻ってきたのだが、勝てない。
益々強くなってしまった同級生三人に、京太郎は今日もボコボコにされていた。
「そこで諦めてどうする! 大会も終わったし、今度はお前を鍛える番だじぇ!」
「そうですね。国麻を目指すのは無理でしょうが、秋の新人戦には間に合うようがんばりましょう」
「いっぱい練習して、来年は京ちゃんも自力で全国へいこうよ。私も一生懸命教えるから」
優希、和、咲達のその言葉に、京太郎はありがたいと思うよりも尻込みしてしまう。
「お、おう。け、けどお手柔らかにな。くれぐれも、くれぐれもお手柔らかに頼むぞ?」
毎日毎日トばされまくってんのはそのせいかと、三人の気遣いが痛い。
「まかせとけ、毎日死なない程度に加減してやるじょ!」
「インターハイで裏方に回ってくれた須賀君は、圧倒的に対局経験が足りませんからね」
「牌効率とか何切るとかの勉強は一人でもできるから、皆がいる時はとにかく打たないと」
「ア、アハ、アハハハハハ……。よ、よろしくお願いしマス……」
同じ部員仲間の為に皆で協力する。
『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE』を地で行く清澄麻雀部はとても仲良しだ。
「おー、みんなやっとるのう」
とそこで入り口から顔を出す女子生徒。
「あ、染谷先輩が来たじぇ」
「染谷部長でしょう、ゆーき?」
「ああ構わんよ、和。わしもまだ実感ないき、好きに呼べばええ」
新部長の染谷まこが入ってきたのだが、妙に疲れていた。
「なんかお疲れですね、染谷先輩?」
そんな咲の言葉に、空いていた椅子に腰かけながら答える。
「久はやり手じゃったからな、あれの仕事を引き継ぐっちゅうのは結構しんどい」
肩に手を置き首を回すしぐさが酷く年寄り臭かった。
「染谷せんぱ~い。なんか飲みますか~?」
「おう、すまんな京太郎。お茶をたのむ」
そんなお疲れの先輩を労わるべく、既に京太郎は給仕係へと変身している。
野球部の一年が玉拾いから始めるように、新入部員の在り方は前部長竹井久からきちんと叩きこまれていた。京太郎限定で。
「あー!? すみません染谷先輩!」
しかし、そんなポットで湯を沸かし始めていた京太郎はいきなり声を上げる。
「どした? なんぞあったか?」
「お茶っぱ切れてます!」
なんだそんな事か、と拍子抜けしたまこは手を振った。
「別に紅茶でもえ――」
「紅茶もさっき切れました! コーヒーは夏休み前に部長が持って帰ってから補充してません!」
「み、水でええから……」
そしてそのままガックリと肩を落とす。
なぜか疲労が倍加した。
「バカ犬は気が利かねえじぇ。お疲れの先輩を労わる事もできんのか?」
「俺のせいか!? お前もできてねえだろ、チビタコス!」
「なにおー!」
「ああもう、暑苦しいからケンカするな。明日までにわしが補充しとくけぇ」
うんざりしながら溜息を吐く姿に京太郎は、この半年で培われた雑用魂に火をつけた。
ここが歴史の分岐点。
「いやいや、染谷先輩にそんな事させられないっすよ! 俺が帰りに買ってきますから!」
お疲れの先輩を労わる何気ない一言。
「ほうか? なら頼んでもいいかの?」
これが京太郎の未来を激しく変える事となる。
「この須賀京太郎におまかせあれ!」
京太郎の旅は、まさにこの一言から始まった。
「第一、雀卓とデスクトップ担がされる事に比べれば手間でも何でもないんで……」
「久ェ……」
「部長……」
「前部長ですよ、ゆーき……」
「京ちゃんは力持ちさんだから……」
久は少し反省すべきだろう。
※
買いだしの為にみんなより早く部室を出た京太郎。
「日が落ちるの、だんだん早くなってきたなー」
バスで商店街へ向かい、買いだしを済ませると、買い物袋と学生鞄を手にそのまま家へと帰るつもりだった。
九月中旬の夕方6時前。
薄暗くなり始めてはいるが、まだ視界の利かぬ闇夜という時間帯ではない。
「一瞬で何もなくなる……。自然豊かと言えば聞こえはいいけど、ただ田舎なだけなんだよなぁ……」
バス停までしばらく歩いただけで文明の臭いが薄れた事に、地元が田舎である事を実感してしまう。
「中心部との落差が激しすぎるのはいかがなもんか……ん?」
長野の行政についてあれこれ考えていると、前方に人影が目に入った。
あちらも買い物袋を提げているので、京太郎と同じく商店街からの帰りなのだろう。
「……あっ、おい!?」
京太郎は声を上げた。
なぜなら、前方の人影がふらりとよろめいたと思ったら、そのまま蹲ってしまったからだ。
京太郎は慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
基本的にお人よしな京太郎は、鞄と買い物袋を放り出して件の人物の背をなぜる。
蹲ったというより、片膝をついて眉間を押さえる人物は、どうやらかなりご年配なようだ。
「一端横になりましょう! それとも救急車呼びましょうか!?」
「……いや、大丈夫だ」
バタバタと慌てる京太郎だったが、どうやらそこまで心配はいらないようである。
老人は軽く頭を振ると、意外としっかりした動作で立ち上がった。
「すまんな、坊主。一瞬立ちくらみがしただけだ」
「そ、そうっすか……。それならいいんすけど……」
京太郎の目の前に立つ老人。
さすがに182センチの京太郎よりは低いが、そこそこの長身であり、肉付きもいい。
真っ直ぐ背筋を伸ばすと、目算で175センチ程はありそうだった。
「家も近いから心配はいらん。そろそろ日が落ちる、坊主も早く帰りな」
そう言いつつ、老人は地面に落ちた自身の買い物袋へと手を伸ばす。
その瞬間。
「おっと……」
「!?」
体がふらつき、足がもつれた。
「とっとっと……」
「危ね!」
京太郎は素早く老人を支える。
どうやら急に動くのはNGらしい。
「ちょっ、まだ動いちゃ駄目っすよ!」
「大丈夫なつもりなんだが……どうやらつもりなだけらしい。歳は取りたくないな」
京太郎は老人を支えながらキョロキョロと辺りを見渡す。
そして50メートルほど先に小さな酒屋を見つけた。
ラッキーな事に、並んだ自販機の横にベンチが備えてあるではないか。
「よし。お爺さん、俺におぶさってください」
「あ?」
京太郎は足元の己の荷物を持つと、屈んで老人の前に背中を見せた。
「馬鹿を言うな。見ず知らずの坊主にそんな真似させられん」
老人は苦い顔で拒否。
「すぐそこっすよ。あそこのベンチまでですから」
それを京太郎はさらに拒否する。
「年寄り扱いはやめろ。てめえの事くらいてめえででき――おい何をする!」
「年寄りじゃなくて病人扱いなんで」
京太郎は強引に背負うと、そのまま歩き出した。
嫌がる老人に無理矢理強制するなど、一歩間違えれば老人虐待なのだが、15歳の京太郎もまたギリギリで少年法に守られているのだ。
「チッ……、随分とおせっかいな坊主だ」
「病人のお年寄り見捨てたなんて、逆に親に殴られますよ」
「年寄り扱いはやめろと言った筈だ」
「ういっす」
会話は少なかったが、目的地のベンチはすぐそこ。
あっという間に辿り着いた京太郎は老人をベンチへ降ろし、自身も隣に座る。
「この酒屋もう閉店してるよ……、水でももらおうと思ったのに……」
「ああ、ここは五時回ったら閉めやがる。営業努力という言葉を知らん店だ。だがまあ、酒の自販機があるから重宝はしているがな」
お爺さんに水を飲まそうと思っていた京太郎は当てが外れたのだが、自販機で買ったものを素直に受け取る爺様でもあるまい。
ベンチの背に大きくもたれ一息つくお爺さんを見て、この後どうするか悩んでいると、当の本人から帰宅を促された。
「礼は言っておく。手間をかけさせたな、坊主。だが、もういいから帰れ。子どもは夜に出歩くな」
と言われても、しばらく様子を見ないと心配だ。
このまますぐ帰って、万が一明日の新聞で死んだなんて事を知った日には後味が悪すぎるではないか。
「俺も疲れたんで、ここで2、30分休んでから帰りますよ」
「……………………」
とてもいい気遣いだった。
しかし、その気遣いは老人の溜息を呼んだ。
「坊主はお人よしだな。将来女に騙されて地獄行きせんよう気をつけろ」
「ひどい!?」
京太郎の強引さに観念したのか、お爺さんも会話を振る。
そして五分ほど会話すると、共通の話題が出てきた。
「いやーこれが前部長の人使いの荒い事荒い事。美人でスタイルもよくて話しやすくて、なんかエロく見える先輩なんですけどね?」
「既に騙されていたか」
「別に麻雀勝てなくても元は取ってるかなーと」
「麻雀?」
「ええ、俺麻雀部に入ってんすよ」
「それは奇遇だな」
「えええ!? お爺さんも麻雀部なんすか!?」
「馬鹿か坊主。俺は麻雀で飯を食ってる」
「ええええええ!?」
京太郎は驚いた。
心の底から驚いた。
「……だ、代打ちとかっすか? ヤクザの方だったんすか!?」
妙に雰囲気のある老人に、京太郎は腰が引けてしまった。
「正真正銘の馬鹿だな、坊主は。れっきとした表のプロだ、シニアリーグのな」
「マジで!? お爺さんプロ雀士なの!?」
「ああ。代打ち稼業は40年くらい前に足を洗った」
「やっぱやってたんじゃん!」
ククク、と口の端を歪めて笑う老人に、高校一年生の京太郎はビビリまくりである。
「……あれ? でもなんでこんな田舎にいるんすか? 確かもうプロリーグ始まってますよね?」
オフシーズンはインターハイ終了までの筈。
京太郎は疑問に思い、口にする。
「……ウチのフロントが故障登録しやがったっ」
「お、おおう……ッ」
が、出てきたのは老人の怒気である。
「開幕先鋒として先発が決まっていた。だが、開幕直前で肩に違和感を感じてな」
「そ、そうなんすか……」
「チームマネージャーが医師の検査結果と麻雀協会の規定を真に受けた」
「そ、それは残念というか、なんというか……」
「肩の筋を痛めた程度で三週間も欠場させやがって、馬鹿ヤロウが……ッ」
「ば、馬鹿っすよね、アハハ……」
選手の健康にとても敏感なシニアリーグならではの沙汰なのだが、それに相当不満があるらしい。
一流の勝負師から放たれる百戦錬磨の気が周囲を威圧。
京太郎は委縮しながら愛想笑いを浮かべる事しかできない。
「ホームで療養しようにも取材やら何やらが煩わしいんでな。知り合いのプロが遠征に行ってる間、そいつの家を間借りしてる」
という事らしい。
空気と水と酒がうまいから文句はないと、老人は徐々に怒気を収めた。
「それで? 坊主はどこの麻雀部だ? 俺はホームが九州なんでな、ここらの地理には疎い」
「あ、清澄っす」
この爺さん恐えー、と思いながらスルリと答える。
別に隠す様な事でもない。
「清澄? インターハイ優勝校のか?」
「はい、そこですよ」
目を瞬(またた)かせながら老人が京太郎へ顔を向ける。
そして、ほう、と面白そうに笑った。
「あの清澄の部員か。なら坊主もそこそこ打てるというわけか」
「いやいやいやいや。俺全然弱いっすから。というか高校入るまで麻雀知りませんでしたから」
多大な勘違いをされ、京太郎は手をブンブン振る。
「そうなのか?」
虚をつかれたかのような顔で眉をひそませてくるが、インターハイで一回戦すら突破できない実力なので見栄を張ってもしょうがない。
「ようやくルールと点数覚えた程度っす。インハイの個人戦でもすぐ負けたんで、ずっと女子の雑用してました」
「そうか。まだ初心者か」
「そうっす」
京太郎の答えに、老人はフムと顎に手をやり聞く。
「清澄のあの面子に初心者ではきついだろう、辛くはないのか?」
「別に辛くはないですよ? 俺入れて六人……いや今は五人ですけど、みんなよくしてくれますし」
「そうか。麻雀は打てるものと打てないものの差が如実にでる。正しく学ばんと初心者は辛いだけだからな」
杞憂だったかと、老人は内心安堵した。
「俺を強くするってんで、最近みんながよく打ってくれるんですよ」
「……なに?」
ただし、その安堵は早計だったが。
「いい奴らなんですけど、容赦なくトばしてくるんですよねー」
「……………………」
「インハイ後からあいつらさらに強くなったみたいで、ここんとこ南場へ入る前にトばされるんすよ? もっと手加減しろっつーの」
「……………………ハァ」
老人は大きく溜息を吐いた。
「ど、どうかしました?」
やれやれとでも言うように、顔に手のひらを当てる姿は、京太郎の疑問を呼んだ。
「坊主。今のお前がそいつらと打ったところで無駄だ」
「は?」
「全国を制覇したという事は、そいつらは全国トップクラスの打ち手達だ。それは分かるな?」
「も、もちろん。そりゃそうでしょうね」
「段階というものがある。今の坊主がその面子と打っても、1ミリたりとも強くはなれんぞ?」
「…………ぇ?」
疑問が解け始めると、今度は驚愕が広がっていく。
「酷な事だが、坊主には借りがあるからハッキリ言ってやろう」
「え? え? え?」
「まさしく、時間の無駄だったな」
「えええええええええええ!?」
京太郎は悲鳴を上げた。
「あ、あいつらと打つのって意味無いんですか!?」
「意味はある。百万回打っても強くはなれんという意味がな」
「それは無意味って事でしょおおお!」
「いや、叩きのめされすぎて、ある日突然坊主が悟りを開くという可能性もないわけではない」
「悟ってどうすんの!? 麻雀が強くなるだけでいいんですけど!?」
混乱の激しい京太郎はツッコむ事しかできない。
「ならしばらく対局するのはやめろ。ある程度地力をつけるまでは本でも読んでいた方がいい」
しかし、その言葉で混乱は収まった。
「あ、そうか。強くなってからなら一緒に打っていいんですね。どれくらいっすか?」
「坊主の実力が分からんからなんとも言えんが、死に物狂いで一年といったところか」
「一年!?」
「そいつらが何をやっているのか欠片も理解できんのだろう?」
もちろん収まったのは一瞬だけである。
「初心者と全国優勝者達では力の差が大きすぎる。それでも足らんくらいだ」
「い、一年……」
長すぎる期間に、京太郎の心は沈んでいった。
これが誰か他の人物から言われたのなら反抗もしたのだろうが、相手はプロ雀士だ。
しかも自分の何倍も生きてきた先達。
おそらくは正しい事を助言してくれているに違いない。
だが。
「……ありがとうございます。けど、さすがに一年間もあいつらと打たないってのは無理です」
ちょっと呑めない。
咲を麻雀部に誘ったのは自分だし、みんなが善意で対局を増やしてくれている。
それが間違った善意だとしても、一年も一緒に打たないのでは彼女達も悲しむだろう。
「プロの方にアドバイスしてもらって何なんですけど、俺はあいつらと打ちたいっす」
第一、麻雀は対局しなければ面白くない。
たとえ負けっぱなしだとしても、やっぱり対局するのは楽しいのだ。
「強くなって俺も全国行こうとかちょっと考えてましたけど、対局できないくらいなら全国行けなくてもいいです」
勉強だけしかできないのであれば、きっと麻雀を嫌いになってしまう。
「だから申し訳ないんすけど、俺これからもあいつらと打ちます」
「慌てるなよ、坊主。借りがあると言っただろう?」
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
「はい?」
京太郎が色々なものを諦めた時、老人が口を開いた。
「対局できないその一年、大幅に短縮する方法がある。それこそ十分の一以下にな」
「マジっすか!?」
詐欺師の上手い話に飛びつく愚か者の如く、京太郎は目をむいて食いついた。
「一年というのは独学での期間だ。ここに、あと十日ほど暇を持て余したプロがいるぞ?」
「おぉぉぉ……ッ!」
どんよりと分厚い雲の隙間から光が差していく。
「さて、初心者の小僧に教えるなんぞ手慰みにもならんうえ、面倒な事この上ないが、どうしたもんか……」
「師匠! 肩凝ってないっすか! 俺肩もみには自信あるんすよ!」
目を瞑り、顎に手をかけて悩む老人を逃がしてはならない。
まさしく光明なのだから。
「いらん。72年生きてきて肩なんざ凝った事がない。それに弟子もとったことはない。だから師匠と呼ぶな」
「人生で初めての事なんていくらでもありますって! ここに一人、将来有望な若者がおりますが!」
「有望か……」
揉み手をしながらニコニコと愛想笑いする京太郎を、老人はシゲシゲと眺めた。
そして自身が商店街で買ってきた買い物袋に目を落とす。
中身はスルメだ。
「坊主、曲がりなりにも俺はプロだ。分かっているか?」
「もちろんですよ! 師匠は麻雀のプロ!」
京太郎はこの人生の大チャンスを生かそうと必死である。
インターハイ前に、咲と和がプロと対局してケチョンケチョンにされたのは聞いた。
「麻雀がメチャクチャ強いプロ雀士って奴なんですよね!」
ならば、そんな人種に教わる事ができたのなら己も強くなれるに違いない。
もしかしたら咲や和をケチョンケチョンにできるくらいに。
『御無礼。12000。これで終了ですね』
『う~ん……やられたじぇ~……』
『京ちゃん強すぎるよぉ……』
『さすが京太郎。個人戦全国一位は伊達ではないのう』
『素敵! 抱いてください京太郎君!』
『素敵! 私も抱きなさい京太郎!』
だから、(心の中ではうへへと欲望塗れだったのはおいといて)京太郎は必死に拝み倒すのだ。
「その通りだ。俺は麻雀で金を稼いでいる。だからこそプロ」
「へ? ……そ、そうですね。プロなんだからそれが仕事っす……」
なにやら雲行きが怪しくなってきたが、それでも愛想笑いは崩さない。
「お前今いくら持ってる?」
「金取んのかよ!」
しかし現実は厳しい。
京太郎は嘆くしかなかった。
「プロがコネもなしに無償で教えるわけにもいかん。そんな真似をすれば他の人間にも迷惑がかかる」
「そ、そうなんすか?」
「ああ、世の中とはそういうものだ」
一人のプロが無償で教えだしたら、他のプロ達も無償にしろと騒ぐ馬鹿がでてくるだろう。
善意が悪意を呼ぶなど珍しい事ではないのだ。
これは祖父が孫を構う事とは次元が違う、世の中の仕組み。
「しかし坊主には借りがある。そこを見てみろ」
「?」
老人が指差したのは自販機だった。
田舎故に年齢確認の為のsake‐passカードを認識する機能などない、お酒の自動販売機。
「ワンカップを二本買え」
「は?」
「買い物帰りならそれくらいは持っているだろう?」
「あ、ありますけど……」
一本230円、合わせて460円。
「それで一日半荘一回分だけ手ほどきしてやる。明日以降も習いたいならその都度二本。それが坊主への指導料だ」
「い、一日460円っすか。十日で4600円、小遣い足りっかな……」
「これ以上はまからんぞ。普通のプロでもこの50倍はいく。トッププロなら100倍以上だ」
「100倍っすか!?」
どうやら京太郎は恐ろしく幸運な出合いを果たしたようだ。
「貸し借りなんぞできるだけ早く清算するに限るからな。で? どうする?」
このチャンスを逃す手はあるまい。
「もちろんお願いします!」
「そうか、ならとっとと買ってついてこい。家はもう少し先だ」
「はい師匠!」
完全に日の落ちた道で、酒を買った京太郎は急いで老人を追いかける。
そして、追いついた直後に尋ねた。
「そういえば、師匠の名前なんて言うんですか? 俺は須賀京太郎です」
「ああ、まだ名乗っていなかったな、大沼だ。大沼秋一郎」
かつて5年連続で守備率1位達成という経歴を持ち、現在は延岡スパングールズに所属する往年のスタープレイヤー。
「名前でも苗字でも好きに呼べ」
『The Gunpowder(火薬)』の異名を持つトッププロの一人と、京太郎は出会った。
この出会いが何を意味しているのか?
「えーと、大沼さん……秋一郎さん……いえ、やっぱ師匠で。なんか言い難いですし」
「……坊主。お前はいい奴かもしれんが、正直なら何を言っても許されるわけではない事を知れ」
「す、すんません。何かまずい言い方しちゃいましたかね? 幼馴染みにもデリカシーがないって言われるんすけど、よく分かんなくて」
「……まあいい」
「あ、そーだ。師匠ってプロの中じゃどれくらい強いんですか?」
「……………………」
「俺麻雀に興味持ったの半年前なんで、テレビで見るの女子プロばっかなんすよ。だから男子プロの試合とか見た事ないんです」
「……初心者である事と女子プロにどんな因果がある」
「瑞原プロとか戒能プロとかが好きなんすよ、おもち的に」
「餅だと……?」
「美人で大きなおもち持ちのお姉さま雀士。くぅ~、一回でいいから一緒に打ってもらいたいなあ」
「ああ、そういう意味か。若いな」
「師匠。もし師匠が対戦する時があったら教えてください。俺必ず応援に行きますから」
「どっちの応援をするつもりだ……」
「もちろん師匠っすよ! けど、おもちに目を奪われるのは許してください。これは俺が背負う業みたいなもんですから」
「坊主が馬鹿なのは分かった。だからもう妄想を垂れ流すのはやめろ。耳が腐る」
「……師匠、クールっすね」
「坊主に比べればな」
今のところ、この出会いはただの豚に真珠でしかない。
これが京太郎にとって珠玉の出会いへと変わるのは、五日後の土曜日の事である。