これからまた忙しくなるので次回もまた遅くなると思われますが、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
地下通路からさらに下水道へ降り、そこから少し歩くと、地上へと繋がる梯子が見えた。
比較的軽傷な鷹見が不二に、連二は明に肩を貸しているため、残った小田切が梯子を登りマンホールの蓋を開けようとする。
「んぎぎぎぎぎ……!」
しかし、マンホールの蓋は重く、また梯子の不安定な足場も相まって小田切の力では少し浮く程度で開けられるまでには至らなかった。
「はぁ……少し退け」
呆れた不二が前に出る。
彼女もまた酷い怪我をしているのだが、もしかしたら何か小道具のようなものを持っていて、それでこじ開けるのではと考え、連二も明も引き止めはしなかった。
「おっらああ……ッ!」
静かに唸り声を上げながら、不二はマンホールの蓋を押し上げ、音を立てないようそっと退かしてみせた。
「…………」
「…………」
「…………」
連二と明、そして小田切は絶句する。本来、特殊な器具なしでは大の大人が2人程度で漸く開けられるほどの重さをしているマンホールを、怪我をした状態で、且つあの細い足場で踏ん張って中から押し開けてしまうのだから。
「どうやら上に車が停車してるみたいだな」
外に声が漏れない程度の小さな声で、不二はそう呟く。
しかし、傷が痛むのかその声は若干震えていた。
「私が見てくるよ」
不二の状態を察した鷹見が手を挙げた。不二も「頼む」と言って梯子を降り、鷹見は音も立てずに地上へ出て車の下に張り付く。
すると、エンジン音に紛れて近くから男の話し声が聞こえてきた。
「――――頭が入ってからもう10分ですぜ。中で何かあったんじゃ……」
「バカ野郎、あの人達がやられるかよ。それにもし何かあったとして、俺らが行っても邪魔になるだけだろうが」
「それもそっすね」
周囲を見渡し、近くにはこの2人しかいないことを把握した鷹見は再度下水道に降り立った。
「……近くに2人いる。なんだか見張ってるみたい」
「まさか連中の仲間か?」
「ううん、きっと別の……ヤクザか何かだと思う」
「きっとそいつらは三郷会の手下だ。あいつらも明を狙ってる。クソッ、もう少しなのに……!」
連二が声を殺しながら悔しさを露わにする。
そんな彼の姿を見て、大きく一つ息を吐いて小田切が切り出した。
「俺が囮になりますから、皆さんはその隙に向かいにある立体駐車場の3階に停めてある車で逃げて下さい。白い軽自動車です」
そう言いながら、不二に車の鍵を押し付けて小田切は笑った。
「んなモン、カタギにやらせられるわけ……!」
「これが一番いい方法なんスよ。あの人たち、極道なんでしょ? あなた達なら奇襲してあの見張りを倒すこともできるでしょうけど、それじゃ極道の面子を傷つけることになる。そういうのは、避けた方がいい」
「だからって――――」
「心配しなくても、上手くやりますよ。こういうの得意なんで」
小田切は梯子に足をかけながら得意気に言う。見かねた不二が彼を引き下ろそうと手を伸ばした、その時だった。
「小田切」
「……止めてもムダっすよ」
「いや、あんまり無茶はするな。ヤバいと思ったらすぐ叫んで引き返すんだ」
フッと笑みを零しながら優しくそう言った連二を見て、小田切は一瞬唖然とした表情を浮かべた。
が、すぐ口元を吊り上げて返すと、彼は梯子を登って地上へと出て行った。
小田切は地上に出るとすぐ、車道側の方へ出て身を隠した。幸い交通量も少なく向かいに人もいないため、彼に気づく人物は周囲にはいない。
小田切はそっと車のドアを開け、音を立てずに車内に侵入すると、サイドブレーキを引きギアを
「ッ!? 車が!」
見張りが異常に気づき、慌てて車を追いかけた。そして何とか追いつき並走しながらドアの取手に手を伸ばしたその瞬間。
「オラァッ!」
運転席から車内に侵入し、身を隠していた小田切が助手席のドアを勢い良く蹴り開け、見張りの男をふっ飛ばした!
意表を突かれた見張りの男は塀に背中を強く打ち、顔面にドアをぶつけられたせいで鼻血も出している。
「あのガキっ!」
「ぶっ殺してやる!!」
怒りで我を忘れ、見張りの男たちはすぐ近くの交差点を右折していった車を追いかけて行く。その姿をマンホールから覗き見ていた鷹見が、すぐに地上へと出て仲間を引き上げた。
出た場所は地下闘技場のある建物の裏手の道路だった。人の通りもなく、また街灯も所々点かなくなっているせいで薄暗く、逃げるには絶好の条件が揃っている。
「まさかこんなに上手く行くとはな……」
「感心してる場合じゃねえ、すぐに逃げるぞ。あいつもいつ捕まるか分からねえ」
小田切は見張りの男たちを引きつけるために、わざと追いつかれるかもしれない速度で逃げている。故に、なにかしらのトラブルや少しのミスで捕まってしまう恐れがあった。
そして見張りの男たちが引き返してくる可能性も否定出来ない。よって、残された彼らは1秒でも早くこの場を立ち去らなければならなかった。
「確か、白い軽自動車だったよな。すぐに逃げ――――」
リカルドによって受けた傷が痛むのか、鬼気迫る表情で不二がそこまで言った、その時だった。
「あんまり大人を、ナメねえ方がいいぞ。餓鬼共」
低く、地鳴りのようにして彼らの耳に届いた男の声に、一同は一瞬、心臓が止まるかのような感覚に襲われる。
数瞬遅れ、その声がした方を振り向くと、グレーのスーツ姿の男が10数名の黒服を率い建物の裏口から出てきていた。その威圧感に気圧され、一同は咄嗟に走ることもできず硬直している。さながら蛇に睨まれた蛙のような状態だ。
その声を耳にするだけで、その姿を一見するだけで、格の違いを思い知らされる。万全の状態の武偵ならば腕っ節では互角に渡り合えるかもしれないが、それ以前の――――人間として眼前の男とは同じ土俵にすら立てないことを本能が理解してしまう。彼はまさしく、カリスマと呼べる天性の資質を備えているのだ。
黒服の1人がグレーのスーツ姿の男に耳打ちをすると、彼はゆっくりと不二たちに歩み寄り、口を開いた。
「お前が城戸明か?」
彼は立ちはだかる不二たちを無視し、連二に肩を貸してもらっている明を指さした。
すると、明は連二の腕を振り解き、壁になってくれていた不二たちを折れてない方の手で押し退けると、男の正面に立ち背筋を伸ばして答えた。
「だったらどうした」
「俺は三郷会4代目会長、烏騅だ。俺がここまで出向いてきた理由は、言わずともわかるな」
男が自らの正体を明かした瞬間、明を除いた全員が苦虫を噛み潰したような表情で絶句する。
しかし、ただ1人明だけは彼に呑まれてはいなかった。
「ハッ、天下の三郷会会長サマ自ら出向いてくれるとは光栄だ」
「こちらにも事情があってな。それと、短い間にこの広い街を支配した若造のツラを一度拝んでおきたかったのさ」
ニヤリ、と岩のような顔を歪ませ烏騅は、さらに続けた。
「俺に着いてこないか」
それは、まごうことなきヘッドハンティングの誘いであった。
側近らもこの発言は考えてもいなかったらしく、動揺を隠せないでいる。否、幹部クラスの大男は「会長らしい」と腹を抱えて笑っていた。
無論、それは連二たちも同じである。予想外の展開に、ほぼ限界状態である彼らの思考が追いつけていないのだ。
「勿論、下積みはしてもらうが……お前ならすぐにでも、幹部クラスとしてのし上がってこられるだろう。その才能を潰してしまうには惜しい。どうだ?」
「――悪ィが、そいつはできねえ。俺はバカどものやった責任を取らなきゃならねえんだ」
「明……」
連二はふと、明の名前を呟いた。
KAR’sの巨大化をここまで放置してきた自分にも責任はある。そう思っているからこそ、その罪を親友に押し付けているような罪悪感に駆られたのだ。
「ますます気に入った。まあ、ゆっくり考えてくれ。その時間はあるだろう」
「もし俺がNOと言ったら、アンタは待ちぼうけだぜ?」
「フッ、お前は来るさ。絶対にな」
「何を根拠に」
「勘だ」
堂々とそう言い切る烏騅に、明は一瞬、ポカンとした表情を浮かべると、そのすぐ後に笑い出した。
「こいつは敵わねえな……」
折れていない左腕を上げ、俯き気味に首を振るジェスチャーをすると――――明は烏騅に向き直り、言った。
「俺の敗けだ。ジオ品川は三郷会に明け渡す。代わりにと言っちゃ何だが、ここにいる怪我人と、あと車を持って行った仲間のことは見逃してくれ」
「保証しよう。おい、今すぐあの連中を呼び戻してこい」
「ハッ!」
烏騅に命令された黒服2人が、小田切の後を追うために走っていった。それを見ると、明は「恩に着る」と呟き頭を下げ、連二らを引き連れ立体駐車場へと向かった。
「ちっ! あの野郎、これじゃ全員乗れねえじゃねえか!」
不二は舌打ち混じりに悪態をついた。小田切の用意した車は小さな軽自動車で、とてもではないが5人を乗せることはできなかった。
「俺はいい。それより、明を早く病院へ送ってやってくれ」
5人の中で最も軽傷な連二が席を譲った。本来は武偵の誰かが降りるべきなのだが、3人共負傷していて可能な限り速やかに治療を受けるべき状態だった。
捜査にも協力的で、且つ土地勘もある連二がこの場に残っても問題無いと判断した不二は、彼に響哉たちと合流して小田切と一緒に武偵病院に来ることを指示すると、助手席に乗ってドアを閉めた。
運転席には那須川が座り、連二と鷹見が明に後ろのシートへ座るよう急かす。明は素直にシートに腰を下ろしたが、すぐにドアは閉めず、連二に話しかける。
「連二。俺がいなくなったら、
「……いいのか? 俺なんかで」
「お前にしか頼めねえよ、こんなこと」
「――ああ、できる限りのことはやってやる。だからお前は心配せず行け」
「頼りにしてるぜ、親友」
互いに拳をぶつけ、別れの挨拶を済ませると同時にエンジンが掛かり、鷹見が明の隣に座ると、4人の乗った軽自動車は連二の元を去っていった。
「いや~、上手くいきましたね」
脳天気な声が、連二の背後から発せられた。
「小田切! 大丈夫だったか?」
「ええ、まあ何とか」
苦笑しながらそう答えた小田切に、連二はまずはホッと一息つく。
それとほぼ同時に、外で花火が打ち上げられ、大きな音と眩い光に薄暗い駐車場が照らされた。
「花火……? もうすぐ11月だぞ」
「夏に残っちまったのを湿気る前に使っちまいたかったんじゃないスかね。それより、朱葉さんたちはまだッスか?」
「ああ、きっとまだ地下にいるはずだ」
「――――そりゃ好都合だ――――」
いつもと全く違う、低く、そして冷たい小田切の声。
刹那、乾いた銃声が閑散とする駐車場に響き渡った。が、その銃声も発射炎も、全て花火の音と光に紛れてしまった。
「なっ……!?」
腹部から出血し、連二は膝を着いて四つん這いになる。ポタポタと地面に垂れる赤黒い血が、波紋とともにその円を広げていく。
「小田切……お前、何を……ッ!?」
「連二サン、あなたはとても不運な人だ……」
銃口から硝煙が上る『S&W M360J』、通称SAKURAと称される、日本警察指定のリボルバー式拳銃を右手に下げながら、小田切は連二に語りだした。
「あなたには『人を率いる』才能があります。でも悲しい事に、あなたの近くには『人を従える』才能の持ち主と――――そして恐らく、『人を導く』才能の持ち主がいた」
「何を、言って……」
多量の出血とこれまでの疲労から思考能力が低下している連二には、小田切が何を言っているのか殆ど理解できなかった。
だが、小田切はそんな連二のことに構いもせず、淡々と語りを続ける。
「ホントは、非凡な才能のはずなのに、あなたたちのそれは埋没して、気づくことができなかった。だから無自覚にその才能を振り撒いてる。これほど恐ろしいことはないですよ。だから俺が……あなたの才能を、利用させてもらいます」
まだ銃身の熱いM360Jの銃口を、小田切は連二の額に押し付け……その引き金を、引いた――――。
◇◆◇
「――あっ、朱葉さん! 良かった、皆さん無事だったんスね!」
欠損分隊の2人を看取り、地上に出てきた俺たちを真っ先に出迎えてくれたのは小田切さんだった。どうやら、倉庫の入り口で俺たちをずっと待っていてくれたらしい。
「連二たちは?」
「俺が用意しといた車で先に病院へ行ってもらいました」
「そうか。なら安心だ」
俺たちが用意した車は車種やナンバーが連中に把握されているかもしれない。だが、小田切さんの用意してくれた車ならそれを知られる由はない。不二たちも一緒のことだし、尾行もされずに逃げ切ることができるだろう。
「小田切さんは大丈夫ですか?」
「あ~。恥ずかしながら、俺あの騒動のとき人混みに押されて外出ちゃってて、全部終わった後で合流したんで全く怪我してないんスよ」
「そうだったんですか。でも事情聴取があるので、今日はもう遅いからいいですが、明日の午前中に武偵高の教務課まで来て下さい」
「うおっ! それってあの刑事ドラマとかでよくあるあれッスよね! うわ~今から緊張してきた」
「忘れたり、寝坊したりしないで下さいよ。あ、念の為連絡先もお願いします」
「あ、ハイ。えーと――――」
小田切さんはポケットからメモ用紙を取り出し、それに付いていたボールペンでさらさらと電話番号を書いて俺に渡してきた。赤外線通信でも構わなかったんだが、もしかしたら今回の件であまり武偵と深く繋がり合うのは敬遠したかったのかもしれない。
俺たちは小田切さんと別れた後、ここへ来るときに使った車に乗って一旦武偵高へ戻ることにした。無論、爆弾等が付いていないかどうかは乗車前に隅々まで調べたが、幸いそれらしいものは一切なかった。
「にしても、やけに黒い車が多いな」
「大方KAR’sの頭目が逮捕されたのを知って、ヤクザ連中が押しかけてきたんだろう」
「それにしては動きが早すぎないか?」
「さっきの欠損分隊とかいう連中もそうだったが……俺たちの動きが読まれているように思えるな」
「まさか、東京にも裏切り者が……?」
脳裏を過ったのは、大阪武偵高でチームC3を陥れたスパイ、日暮だ。奴のように武偵高の内部などに紛れ込まれていたら、俺たちの行動が筒抜けだった理由にも説明がつく。
「可能性は大いにある。それを証明したのは朱葉、他でもないお前だろう」
糾弾するように、ハンドルを握る銭形が助手席に座る俺に言う。だが、俺は何も言い返すことができなかった。
武偵の誇りを護るために、武偵の信頼を地に落としたのは紛うことなき事実だ。だからこそ、言い返すことはできないし、言い返してはならない。真摯にその言葉を受け止める義務がある。
しばらく一切会話のないドライブが続いた。人の最期を目の当たりにし、あまり喋りたくなかったことにあるが、乗り合わせているのが口数の少ない雅と銭形だというのが一番の理由だろう。
そんな静寂を切り裂くように、俺の携帯のバイブレーションが鳴った。
時間は日付を跨いでから数時間が経過している。一体こんな時間に誰からだと思いつつ画面を見ると、番号は非通知に設定されていた。
普段の俺ならイタズラ電話と無視するところだ。だが、なぜだかこの電話だけは、絶対に出なければいけないような気がして、俺は通話ボタンを押し電話に出た。
『――こんばんは、響哉』
通話口から聞こえてきた、その声の主は――――
「……燐――――ッ!?」
思わず、背筋がざわついた。今まで殆どしっぽを見せなかった燐が、なぜ今になって俺に電話をかけてきたのかは全く分からないが、そんなことはどうだってよかった。今、彼女がどこにいるのかを聞き出すことの方が重要だったからだ。
「久しぶりじゃねえか……今、どこにいる?」
『ちょっと用事があって、横浜にいるわ。フフ、随分たくましい声になったじゃない。今から会えるかしら』
「ああ、今すぐにでも会いたいね。そこで、お前を連れ戻す」
『だったら、赤レンガ倉庫にいらっしゃい。早くしないと私たち、用事を済ませて帰っちゃうかも』
「安心しろ、今度は仲間を連れてすぐに出向いてやる。首を洗って待ってな」
『楽しみにしてるわ』
どこか喜んでいるような声音でそう言うと、燐はすぐに電話を切ってしまった。
まさか、このタイミングで彼女から招待が来るとは思っても見なかった。思わず、口元が緩んでしまう。
「何だったんだ、今の電話は」
「銭形、横浜だ。今すぐ横浜の赤レンガ倉庫に行くぞ。イ・ウーからの招待状だ」
「なに!?」
イ・ウーという単語に、銭形が目の色を変えた。
こいつも俺と同じく、イ・ウーの構成員を追っている。それも並々ならぬ意気込みを持って。
連戦で疲れが溜まっているだとかそんなことは一切関係なく、イ・ウーの手がかりになるような事件ならば喜んで噛み付きに行くだろう。当人が来るのだとすれば尚更だ。
更にこっちには夜間戦闘能力に秀でた雅もいる。俺も含め万全とは言いがたい状態だが、弱音を吐いてはいられない。
あの時の因縁に決着を着けるこのチャンス――――絶対に掴んでみせる!