謝罪ついでにもう一つ。今回はあまり気分がいい話ではありません。更にかなり久しぶりに文を書き起こしたのでもしかすると不自然な部分やよくわからない部分もあるかと思われます。おかしな点、不明な点があれば気軽にご指摘下さい。
人間、誰しも他者の強さというのは一見するだけで見破れるものであり、特に『そういう世界』に身を置いているものはより明確にその差を看破することができる。
先入観とか、思い違いとか、そういった要素で見誤る時はあるのだが、ヒトの持つ動物的な直感からか、まあある程度は見ただけで判るのだそうだ。
ハッキリ言おう。俺はこの中国人より弱い。奴が本気で俺を殺しに来れば恐らく俺は敗けるだろう。そしてそのことを、奴もまた知っている。
ならばなぜ仕掛けてこないのかというと、それはきっと奴が俺の反撃を警戒しているからだ。一矢報いるために放った俺の決死の一撃が、自分の将来に影響を及ぼすかもしれないという不安から、確実に、無傷で勝てるピースが揃うまでこうして時間を稼いでいるのだ。
そしてそのピースの1つ……いや、全てが、雅と闘っているあの女なのだろう。
見ただけで判った。動きを見て、それが確信に変わった。あの女も、目の前の男には及ばないもののかなりの手練だ。もしかすれば雅を凌駕するかもしれない程の。
初めは雅に加勢するべきかとも考えた。が、そうすれば男の方が自由に動けるようになる。こちらから攻めようにも奴の拳法は俺の格闘の上をいっているのは分かり切っているために、俺はこうして奴と睨み合いをしているのが精一杯だった。
だが……状況は、あまりにも予想外の展開を迎えようとしていた。
◇◆◇
欠損分隊構成員の女性、
「がああああああああっ!!!?」
蘇は絶叫し、片膝を床に付いて穴の空いた爪先に手を添えた。弾丸が貫いたのは左足親指の付け根、これでは踏ん張りもできず実質片足を失ったに近い。
そんな彼女に雅は一切の容赦なく顔面に膝蹴りを浴びせた。助走をつけ、勢いと体重を加えたその一撃は細めの女を吹っ飛ばすには充分な威力が生まれ、彼女は鼻頭を押さえながら悶絶する。
その手にはもう武器はない。蹴られた時に手を放してしまったのだ。無力化するなら今がチャンスではある。
雅が1歩、彼女との距離を詰める。そして、2歩目を踏み出したその時だった。
バッ、と蘇が振り返り、その腕を雅に突き出した。彼女は武器をわざと手放し、無防備になったと見せかけて本命の暗器を使って雅を仕留めようとしていたのだ。
――――だが、その策は本気になった雅を相手にするにはあまりにも浅はかだ。
彼女が腕をかざすとほぼ同時に、雅はその射程圏から外れていた。
動作、そして使い出した間合いからして、蘇は毒針や超小口径の弾丸を放つ小型ボウガンのような物を仕込んでいると考えられた。だとするならばその射出口は袖口にあるということまで予測できる。
ならばその死角、つまり懐に潜り込んでしまえばその射線は通らない。
刹那、雅は彼女を押し倒し眉間にコンバットナイフの切っ先を突き立てた。片膝を胸の上に置き、両腕を自由にさせないよう脚で抑えつけている。一見完璧な制圧に思われるが、この体勢には大きな隙が存在している。
蘇が口元を歪め、大きく右脚を振り上げた。すると爪先から黒いナイフが飛び出し、馬乗りになっている雅の背中に迫る。
が、雅はそれすらも予知していたように左手のクーガーFを背後に構え、その引き金を絞った。弾丸は蘇の太腿にほぼゼロ距離で命中し、服に風穴を通している。その風穴の周囲は発射炎で黒く焦げ、そこから覗き見える銃創は恐らく不燃焼火薬が血と混ざりグチャグチャになっていることだろう。
「ああっ、あああああ!! あああああああああああ!!!」
薬莢が床に転がる音を掻き消すように、蘇はその痛みに絶叫した。
その顔を雅は絶対零度の瞳で見下ろしながら、重く閉じていた口を開く。
「……なぜそんなに大声を上げるの。耳障りだし、目障りよ」
静かに言ったその言葉には、若干の怒気が含まれていた。
「お、お前! 今まで一度も私に勝ったことなかったじゃないかっ! なのにっ、なんでっ! こんな平和ボケした国でぬくぬく生きてたお前に私が勝てないんだよぉっ!」
対し、蘇はまるで拗ねた子供のように声を荒らげた。自分の方が優れているという自尊心をこれ以上なく粉砕されたからか、沸き上がってくる感情を制御することができないのだ。
一方で、雅はそういった感情を完璧にコントロールしている。完璧すぎるほどに。そんな衝動の一切を切り離していると言っても過言ではない雅とは、蘇はまるで対照的な精神をしていると言えよう。
そんな蘇に、雅は尋ねた。
「あなたは今まで自分の実力で私に勝っていたつもりだったの?」
この言葉を掛けられた瞬間――――蘇の中で、何かが途切れた音がした。
その昔、雅は欠損分隊の序列では最下位に立っていた。他の構成員相手に、ほぼ為す術なくやられていたからだ。
しかし、それは彼女が本気ではなかったからだ。
彼女の理念は一貫して無益な殺戮を行わない……もとい、非生産的な行為を極度に嫌う省エネな思考が中核にある。ならば部隊内の序列など全く興味もないし、あからさまにではなく周囲に悟られないように上手く手を抜く必要があった。
故に、欠損分隊の全員は雅の真の実力を知らない。長年教導官を務めていた李はどこかしら力をセーブしていると気付いてはいたものの、その全容は彼の遥か上をいっていた。
多くの死線を共に潜り抜けてきた蘇ならば、という心理もあった。だが、それを抜いたとしてもまさかここまで雅が圧倒するなど考えてもいなかった。
そして、更に想定外な事実が李に襲いかかる。
「――どうやら俺の出る幕はなかったようだな」
リカルドとヴァイスの2人掛かりで仕留めにいった筈の銭形平士が、扉を蹴破って入ってきたのだ。李の思惑ならば、少なくともまだヴァイスが足止めをしているはずの時間だ。
何かしらの不運により想定外のことが重なったのか、李はそう思考を巡らせた。無論、そんなはずがない。時間が許す限り何度も調整した上での策だ、そう都合よく不運が重なるなどとは考えにくい。
だが現実に、作戦は狂いに狂っている。もしかしたら追撃に行ったナターリヤも失敗しているかもしれないという一抹の不安が彼の脳裏を過った。
なぜそうなった。その答えは考えるまでもない。
久我雅と銭形平士……初めから、この2人が狂いに狂っていただけなのだ。
(そして恐らく、その中心にいるあの少年もまた、2人と同類の存在……)
李は雅と、そして銭形を一瞥すると、響哉に向き直り太極拳の構えを取る。最早これまでと意を決し、その眼に響哉だけを見据えた。
「銭形、お前は手を出すな」
李の気迫を感じ取った響哉が、ガバメントを抜こうとしていた銭形を制止した。無論、銭形には響哉の指示を聞く道理はあまりないのだが、ここは大人しく引き下がる。
すると、一瞬だけフッと笑みを浮かべた李が口を開いた。
「私は欠損分隊分隊長、
「……東京武偵高2年、朱葉響哉だ」
「キョウヤ、か。覚えておくよ」
李はさらに表情を厳しくし、続けた。
「だが、私は何としても君を殺さなくてはならない。君は中華……いや、今の『時代』にとって、あまりにも危険過ぎる」
直後、李は飛び出し響哉に迫る。
彼には格闘戦に絶対の自信があった。相手の能力が完璧に把握できていない状況は過去に何度も経験済みだ。時には概要不明の超能力者を相手に肉弾戦を仕掛けたこともあった。
だが彼は、そういった絶望的状況をその身一つで打破してきた。それだけの実力があるからこそ、この一癖も二癖もある連中を纏め率いて生き残っていられるのだ。
ガードの上から衝撃を身体に通し体組織に深刻なダメージを与える彼の拳によって、対峙した者は1秒以内に戦闘不能に陥り、5秒で死に至る。その究極の殺人拳を放たんと、李は響哉に肉薄する。
――――が、その拳が響哉に届くよりも先に、乾いた音と眩い閃光がそれを阻むように巻き起こった。
そしてそれと同時に、李の脛に1センチ程度の孔が開いた。骨が砕け、支えを失った身体はバランスを崩し始める。
(撃たれた……ッ!?)
骨が砕けたことにより体が前に崩れながらも、一瞬で李はそのことに気付いた。
しかし、響哉の拳銃は彼の手から離れている。だが、弾丸の入射角からして彼以外はあり得ない。李にはどういうことか全く理解できなかった。
しかし……だからと言って、彼は諦めてはいなかった。動けないと瞬時に悟ると、すぐさま次の動作を始めていたのだ。
李は倒れながらも腰に手を伸ばし――――ベルトに下げていた破片手榴弾のピンを、抜いた。
「感謝する、キョウヤ。私はやっと、『完璧』になれた」
狂ったような笑みを浮かべながらそう言った李に、響哉は過去に体感したことのない恐怖を感じ、身を竦ませてしまう。
破片手榴弾は火薬量こそ控えめになっている物が多いが、その爆発によってボディアーマーすら貫通する鋭い金属の破片を広範囲に撒き散らす。李と1メートル足らずしかない響哉には、そもそももうどこにも逃げ場など存在しなかった。
「響哉!」
雅が、蘇を捨て響哉を庇いに飛んだ。
横から覆いかぶさるように、自らの身を盾にして響哉を守ろうとしたのだ。
だが――――
「云寰っ!」
雅が響哉を庇いに行き、自由になった蘇が……あろうことか、2人と李の間に割り込んでしまったのだ。
その直後、破片手榴弾が爆発し、室内に爆音が反響した。
◇◆◇
「…………」
何が起こったのか、最も近くにいたはずの俺にもわからなかった。
自らを李云寰と名乗った中国人の男の足を狙って、俺は
問題はその後だ。
手榴弾が爆発したのはその直後だ。現に、かなりの至近距離であったにも関わらず俺と雅はほぼ無傷なのに対し、あの2人は……――――。
『私はやっと、完璧になれた』
彼の最期の言葉がいつまで経っても耳からはなれない。
何をもってして彼は『完璧』となったと思い至ったのだろうか。自爆して仲間も巻き添えにして皆殺しするのが完璧だとでも言うのか。
少なくとも、彼は死の間際、自らの理想とする存在になれたと感じ取れたのだろう。だが、その完璧な存在になるのを妨害した人物がいた。
その人物が自分の仲間、それも恐らくかなりの信頼を置いていた者だったというのだから報われない。
――欠損分隊、彼は自分たちのことをそう称していた。
もし彼が自棄によって完璧となったと思ったのならば、彼の足りなかったモノはきっと、仲間を置き去りにして先立とうとする『非情さ』だったのかもしれない。
そしてあの女に足りなかったのは、もしかして『自立心』だったのではないだろうか。
彼女はあの男に心から依存していた。故に、彼が死を選ぶなら迷わず自分も死にに行く。そう考えると、あの行動にも何とか説明がつく。
なぜ、即座にそんな結論に至ったのだろうか。その答えは考えるまでもない。
俺はあの2人の姿に、少し前までの自分と、そして雅の姿を重ねてしまったのだ――――。