PM8:54。
銭形の運転するワゴンに乗って待ち合わせ場所の自由の女神像がある海浜公園に着いてすぐ、俺は雅を連れて自由の女神像のある展望デッキへと向かった。
そこでは既に俺を待っていた連二と小田切さんの姿があったので、俺はすぐ2人に駆け寄った。
「待たせたか?」
「いや、まだ約束の時間前だ。それよりジオ品川へ急ごう」
「わかった」
連二に急かされ、俺たちはその場から立ち去る。
ライトアップされた自由の女神像を見にわざわざ来ていると思われる人の姿も少ないながらあった。故に、俺たちが密会している光景を誰かに見られるのは避けたかったところなので、連二の気遣いは俺にとってはとても有り難かった。
駐車場で待たせていた銭形たちに合流すると、連二は助手席に、小田切さんは2列目の座席に俺と雅に挟まれる形で車に乗り込んだ。
暗くてよく顔が見えないのだろう。軽そうな印象だった昨夜に比べて、緊張しているのかそれとも背後からの尋常じゃない威圧感に気圧されているのか、小田切さんは車に乗ってから一切クチを開いていない。
「……あんたが響哉の仲間か」
「不本意だがそうだと言っておこう。それと、貴様は無駄口を叩かずただ道案内すればいい。妙な真似をすれば即この車から降ろされると思え」
「それは怖いな」
軽口を叩くように連二は運転席に座る銭形にそう言った。
だが、その声の裏では銭形に対し一抹の恐怖感に近い感情が確かに存在しているように感じた。銭形が冗談や誇張ではなく、停車すらせず走行中にドアごと自分を叩き出すつもりでいるのだと直感的に感じたんだろう。
しかし、連二はその恐怖をものともしていない。案内役としての立場から、自分が下手を打たなければ相手は何もしてこないという確証がある以上、恐怖するだけ無意味だと分かっているからだ。
「まあ、そう邪険になるなって……。それより、連二。任せたぞ」
俺が後ろからそう言うと連二は短く「ああ」と答え、その後銭形は車を発進させ首都高へと向かった。
◇◆◇
「……まさか、東京のど真ん中にこんな場所があるなんて…………」
「バブル時代に余ってた金をこれでもかってほど注ぎ込んで掘った巨大な穴に、少ない土地の有効利用を理由に無理やり作った街だからな。結果としてこうなっちまったが」
「ま、おかげでかなり好き勝手できる街になりましたけどね。ところで、後ろにいる3人は随分変な格好してますけど、なんかのコスプレっすか、それ」
もうかなり気が解れてきたのか、小田切さんが後ろに座っているBlitzの3人に話しかける。すると、制服をコスプレ呼ばわりされたことが気に入らなかったのか、若干苛つきを交えた声で不二が答えた。
「私らは名古屋武偵女子高の生徒で、これは制服だ。ウチじゃ露出が多いほど強さの証明になるんだよ」
「へ~、変わった風習があるんスね。そういや、名古屋の人って変わった方言してませんでしたっけ? みゃあとか。全然そんなことないですけど」
「ああ、名古屋弁か。武偵は任務や研修でいろんな場所行ったりするから、よく別の地域行ったりする武偵は方言とか直るんだよ。指示が伝わんないこともあるから意図的に直す連中も多いな」
「そりゃ随分大変っスね」
小田切さんと不二の話を聞いて、俺はふと大阪武偵高の一色さんたちのことを思い出した。玄田も含め、あの人たちは関西に住んでいるはずなのに少なくとも俺の前では関西弁で話していなかったのは、そういう事情があったからなのだろう。
「後どのくらいで着く?」
「もうすぐだ。この道を真っ直ぐ進んで、2つ目の信号を左に曲がってくれ。そしたら右手側に使われなくなって立入禁止になった倉庫がある。明はきっとその地下室にいるはずだ」
「倉庫の地下室? 何だってそんな場所に……」
「行けば分かる。――あの信号だ。左折して」
「分かっている」
銭形は短く言うと、車を減速させ左折し、非常灯を点灯させてから路肩に駐車した。こんな場所に停めておいて、車上荒らしに目をつけないハズがないのだが、そこは武偵高の特別仕様の車だ。生半可な車上荒らしにはロックを解除するどころかガラスすら割ることは不可能だろう。
「俺と小田切が先導する。中ではあまりキョロキョロしないでくれ」
「わかってるよ」
俺がそう返すと、連二は小田切さんと道路を渡って倉庫の前まで歩いて行った。それに続き、俺たちも早足で追いかけると、立入禁止になっているはずの倉庫の扉を開け中へと入ってしまった。見たところ、どうやら鍵は随分前に壊されて使い物にならなくなっているみたいだ。
俺たちは建物に入り、右奥にあったエレベーターに乗り込むと、連二が
「電気が通ってるのか」
「ああ。とは言っても、使ってるのは地下だけだ。それと、ここから先はくれぐれも騒ぎを起こさないでくれ。パニックになると厄介だ」
「状況による、としか言えないな」
俺が正直にそう答えると、エレベーターが止まり、分厚い鉄の扉がゆっくりと開き始めた。
その向こう側で俺たちを待っていたのは――――人の、壁。
こちらに背中を向けた若い男女が集まり、壁を作り出していたのだ。
彼らは皆絶叫し、何か紙切れのような物を手に握りしめ掲げている。そして、彼らの視線の先に見えるのは巨大な金網。金網の上には有刺鉄線が張り巡らされていて、それらがこの広い地下室の中心を四角く区切っている。
俺は、これに近い光景に見覚えがあった。
「お前たち、道を開けろ」
「き、菊池サン!」
連二が人集りの後ろにいた男に声をかけると、それが伝播し人集りが割れ、中央の金網までまるでモーゼのように道を作った。
「菊池サン、後ろの連中は……」
「お前たちには関係ない。――響哉、見ろ。これが明の始めた趣味の悪い遊びだ」
そう言って、連二が俺たちに見せた光景とは――――
「『決闘』なんて、武偵高でも稀に見るよ。教員が率先してやらせるくらいだ」
「おいおい、仮にも教育者がそんなことをさせるのか? 武偵高ってところはよ」
驚いたようにして連二はそう言った。まあ、その意見には概ね同意だ。そもそも本当に教員試験をパスしてるのか怪しい連中がうようよいるのが武偵高だから、実は教育者ですらないのかもしれないが。
――そう。地下で行われていたのは金網で区切られたリングの上で行われているデスマッチ。及び、それを利用した賭博。観戦者たちはどちらが勝つかを賭け、このリングの上で繰り広げられている闘いを愉しんでいるのだ。連二の言う通り悪趣味な遊びである。
「こんな喧嘩ごときでこんなに人が集まってんのか? 頭おかしいんじゃねーの」
「わりと有名なファイトクラブだからね。今じゃ全国から腕に自信のあるファイターが集まるようになった。それと一緒に観戦者も増えていって、今じゃこの有り様さ」
この広いフロアに埋まってしまうほどの人数だ。数百、いや千近い人数がこの場にいると考えていいだろう。
確かにこんな大勢の人がいる中で武偵だとでも叫べば、大パニックを引き起こし怪我人が出るかもしれない。連二はそれを気にしていたのだろう。
「……で、どこに明がいるんだよ。この人集りじゃ8人で捜してもきっと見つからないぞ」
「まあ待て」
口元を歪めながら、連二は短くそう答えた。
すると、リングの上ではどうやら決着が着いたようで、カンカンカンとゴングが鳴り響く。
『強い! 強すぎるぞ! ハリー・ドーラン、これで19戦全勝ッ! ブラジル生まれのこの男を止められる人間はいないのかぁっ!?』
湧き上がる歓声とともに、リングの上で立っている浅黒肌の男が両手を上げて勝利をアピールした。息は上がっているようだが、まだ戦えるほどの余裕はあるようで、シャドウを披露して観客を盛り上げる。サービス精神旺盛の男だ。
『おおっと、これはまだ闘い足りないというアピールなのか!? 飛び入りは大歓迎だ! 誰か挑戦者はいないのかぁっ!?』
「ここにいるぞ!」
連二がそう叫んだ瞬間、倉庫内が静まり返り千人近い観戦者の視線が一手に集中する。
咄嗟に不二たちが背中合わせになって周囲を警戒し始めるが、俺は黙って手を伸ばし『待て』と合図を送った。
『あ、あなたはKAR'sの菊池さん! まさか、遂にこの闘技場に参戦するつもりになったのかぁ!?』
「勘違いするな、闘うのは俺じゃない。隣にいるこの朱葉響哉だ」
連二が親指で隣にいた俺を指すと、スポットライトの強烈なまでの光が当てられ、咄嗟に目を庇う。一体どこからこんな物を持ち出してきたというのか。
「……なるほど。俺をこの闘技場で闘わせて、どっかで見てる明を誘き出すって算段か」
「そういうことだ。直接アジトに乗り込んでも良かったが、それじゃKAR'sは潰せない。完全に潰すには、大勢の前で明を敗けさせる必要がある」
「相変わらずえげつない事考えるな……」
周囲に聞き取られない程度の小声で俺と連二はやり取りする。
そうしている間に、黒いジャージを着た男が金網の扉を開けリング上で気を失っていたハリーの対戦相手を引きずって外に放り出した。だが、ハリーはリングに残り、扉も開いたままになっている。
『さあ挑戦者・響哉! この無敗の男、ハリー・ドーランに挑む勇気はあるか!?』
「勇気、ねぇ……」
フッと笑みを零しながら、俺はリングへの道に向かって歩き出した。
湧き上がる歓声、そして野次。武偵高の闘技場も似たような感じなので、特に新鮮な気分は感じない。
俺がリングに上がるとすぐ、さっきの黒ジャージの男が扉を閉め、鍵を掛けた。これでもう、俺とハリーは逃げられない。
「ヘイ、ボーイ。キクチのスイセンだかシらねェが、ココはボーイみてェなヤツのくるバショじゃないネ。イッパツでK.Oダ」
片言な日本語で、中指を立てながら挑発するハリーに、ますます観客が盛り上がる。その叫びが空気の鞭となって肌で感じられるほどだ。正直煩くなるのでやめてほしい。
ちらっと前にいる連二や雅たちの方へ目を向けてみると、不二と奈須川はわりと心配そうな視線で俺のことを見守ってくれていた。しかし、雅と鷹見はいつもとさして変わりない様子だ。銭形の姿は見えない。こういうのは嫌いそうだから、外へ出て行ってしまったのだろう。
一方で、小田切さんは何やら祈るように両手を組んで掲げていて、連二は何やらニヤけている。まさか、と思って2人の手元を注視してみると、何やら紙切れを握りしめていた。
(あの2人、賭けてやがるな……)
倍率はどのくらいなのだろうか気になるところだが、観客の様子を見るにかなり俺に賭けている奴はかなり少ないようだ。とりあえず、全部終わったら締め上げて連二からファイトマネーをせしめよう。
『さあ、準備はいいですか?』
「イツでもオーケー」
「ん? ああ、いいぜ」
パキポキと指や肩を鳴らしながら、俺は短く答えた。
『では……3、2、1――――ファイッ!!』
「でぇやあああああっ!」
開始早々、ゴングとともにハリーがリングを蹴って俺に肉薄する。
3歩踏み込んでからの鋭い前蹴り。ハリーの狙いはそれだ。だが、第六感で行動を予測できる俺には全く通用しない。
第六感の予測通り繰り出してきたハリーの前蹴りをすれ違うようにして躱しながら、極めて小さい動きでハリーの鳩尾にボディブローを食らわせる。筋肉の鎧に阻まれることなく、的確に急所に命中した俺の拳によってハリーの動きが一瞬硬直した。
空かさず、俺は反対の手で手刀を作り体の回転を上乗せして首に向かってそれを振るう。前蹴りのエネルギーと後ろから加えられた衝撃により、ハリーの身体は前のめりにマットに倒れようとした。
俺はそんなハリーの無防備な背中を蹴り飛ばし金網まで追い詰めると、勢いをつけた膝蹴りを顔面に炸裂させた。ハリーの顔は金網に跳ね返り、力なくリングの上に膝をつく。そして、止めの一撃として回し蹴りを側頭部に浴びせ、ハリーはリングに倒れるとそのまま起き上がることはなかった。
「イッパツでK.Oだっけか? 悪いな、一発も当てさせてやれなくて」
静まり返った空気の中、数瞬の沈黙の後に決着のゴングが鳴り響く。
『な、何ということだーッ! あのハリーが手も足も出ずに敗けてしまった! 圧倒的過ぎる! お前は一体何者なんだ、朱葉響哉ーッ!!』
司会の耳障りな口上の後、遅れて観戦者たちが沸騰した。安牌だと高をくくっていた勝負でどんでん返しがあったからか、それともその逆か……とにかく、一喜一憂する観客の姿を上から一瞥しながら、俺は連二へと視線を向けた。すると、連二は無言で頷いてみせる。それが何を意味するのか、理解するのに時間はかからなかった。
気絶したハリーを追い出すため、黒ジャージの男が再度リングの上に上がろうと鍵を開けた、その時だった。
「邪魔だ」
低く、威厳のある声色。その声の主はゆっくりとリングの上に上がると、ハリーの髪を掴み上げてそのまま外へと放り投げた。
体重80キロは下らないだろう大男を軽々と放る、その男の正体は――――KAR'sの現リーダー、城戸明だった。
「……明」
「久しぶりだな、響哉」
明は挑発的な笑みを浮かべ、咥えていた煙草を吐き捨てると、それを踏み躙り俺を直視する。その瞳は当時と同じように澄んでいるが、獰猛な獣のような荒々しさを兼ね備えていた。
「ここへ来たのは連二の差金か? まあ、そんなことはどうでもいい。俺はこの瞬間を心待ちにしていた。2年間、ずっとな」
「…………」
明の言葉に、俺は何も答えない。否、答えない事こそが俺の答えだった。
――明よ。お前は俺が去った後、それまでの事がただの遊びだと認めたくないが故に、KAR'sを巨大化しその勢力を拡大させていった。
その結果がこのザマだ。手の届かない、顔も合わせたこともないような末端の奴らの暴走で自分の身が危うくなっている。
お前がそれだけ形振り構わず力を欲していたという証拠なのだと理解はできる。だが、俺は立場上、いやたとえ武偵でなかったとしても、決して同情することは出来ない。自業自得だ。だが、俺は――――
「俺は……俺たちは、もっと早くお前の過ちを正してやるべきだった」
「何を言ってるんだ。俺は何も間違ってなんて……」
「いいや。お前は夢を見ているだけだよ。現実から目を逸らして、その気になって浸ってるだけだ」
無論、俺も明のことは強く言えない。現実を見ずに目を逸らし続けていたのは俺も同じなのだから。
だから――――俺にできる事は、1つしかない。
「こいよ。無理矢理でも力づくでも、俺はお前を斃しKAR'sの呪縛に終止符を打つ」
両手を胸の前で構え、俺は明に言い放つ。
すると、観戦者らが一斉にざわめき始めた。当然だ。いきなり現れた無名の挑戦者が自分たちのリーダーに宣戦布告をしたのだから。
「ナメたこと言ってんじゃねーぞルーキー!」
「明サン、さっさとそいつボコっちまって下さい!」
前列の男たちが野次を飛ばしてくる。しかし、明はそれに対し突如声を荒らげた。
「――煩えぞテメェらァッ!」
額に青筋を浮かべて怒鳴った明に、フロアにいた全ての人間が口を塞いだ。そのあまりの威圧感に前列でリングを見守っていた不二たちも驚いて硬直している。
「これでやっと静かになったな…………。ここなら誰にも邪魔されずに闘える。さぁ、思う存分殴り合おうぜ、響哉ァァァァッ!」
ゴングはいらない。それは互いに承知していることだ。
明はリングの床を蹴り、俺に肉薄し殴りかかってきた――――!