9時30分、試合開始のホイッスルが鳴り響いた。それと同時に、相手選手がボールを隣の選手に小さくパスし、背後のMFへとボールを送る。
そしてそのボールを奪いに、俺たち武偵高の前衛も相手側の方へ攻め込んでいった。
相手は港南体育高校という、東京屈指の強豪校だ。昨年度は都大会で準優勝している、都内屈指の実力を持ったチームだと聞いている。
中には留学生と思しき人物もいて、GKのユンカースは身長2メートルにも及ぶ巨体と長い腕でこちらのストライカーを威圧してくるのだが、その手前にいるDF陣もかなりの威圧感を醸し出している。ガタイがサッカー選手じゃなくて、ラグビーでもやってるんじゃないかと疑うような連中だ。正面突破はまず不可能に近い。
この二重の壁をどう切り崩していくか、フィールドの情勢を隅から見届けながら俺は考えていた。
港南、そして武偵高のフォーメーションは細かい違いがあるが、互いに3-4-3である。港南のFWは、
フィールド左側の、前に切り込んでいくウイングと呼ばれるポジションには東京No.1のストライカーと呼び声高い10番キャプテン・碇。一方、武偵高のそのポジションは俺である。
MFも一癖も二癖もあるような連中ばかりで、チーム全体の練度もかなり高いように見える。
(中盤でボールをキープできれば、武偵高の少ないレギュラー組でなんとかゴリ押しで行けそうなんだが……)
問題は、それ以前のことだった。
前半開始5分が経った頃、様子見という感じではあるが港南が動き出した。要注意人物として2人がかりでマークしていた
彼の最も警戒すべき所はこの突破力。事前のミーティングでそれはみんな分かっていたが、いざ目の当たりにするとそのレベルの違いに驚愕を隠せない。
基本的なフェイントでも振れ幅が大きすぎて追いつけず、シザース(ドリブル中に左右の足でボールをまたぐテクニック)をされれば待ち構えていたDFは足が止まり、後ろや左右にも目が付いているかのように横からのスライディングやタックルを躱してくる。
そして何より、その全てに共通する、敵ですら美しいと思えるような無駄のないボール捌き。彼は本当に高校生なのだろうか。
俺はすぐに悟った。
――――それはつまり、絶妙なコースを突いたパスをも可能にする。
自軍深くまで単身で切り込んでいった
そして、そこへ長身の
「いよっしゃああっ!!」
ホイッスルが轟く中、三沢が雄叫びを上げ、試合が一時的に中断される。
武偵高の選手たちは元のポジションに戻りつつ、GKや
彼らは本当なら、ベンチで応援しているはずの1年だ。そんな彼らが、東京――いや、国内でもトップレベルのプレイヤーである碇と対決して、勝てるわけがない。そこまでは承知していたはずだ。
だが、全く足止めもできずに抜かれたことで、今の自分たちでは束になって飛びかかろうが何をしようが絶対に勝てないことを思い知らされた。
僅かばかりあった『もしかしたら自分のプレーが通用するんじゃないか』という希望が消え失せ、彼らは全力でプレーする意義を見失ってしまったのだ。
圧倒的実力差による戦意喪失。
それに気付いた港南の選手たちは執拗に武偵高の右サイドを攻め続け続け、武偵高は前半開始20分で3点という大量失点を許してしまったのだ。
数字だけ見ればもう勝負がついてしまったと言っても過言ではないこの点差に、いつの間にか応援の声もなくなっている。
ここまでブレていないのは、試合開始前からベンチでずっと最終兵器っぽい雰囲気を醸し出している山吹くらいか。
何とかしてこの悪い流れを断ち切ろうと、パスを受けたMFの戒が果敢に攻め込むが、審判の死角からユニフォームを捕まれスピードが落ちた所へ、港南の屈強なDF陣によるファウルスレスレの強い
ホイッスルはない。そのまま試合は続行され、点を取るチャンスだとDFがラインを上げていたために港南のカウンターを食らい、4点目が港南に入る。スタンドにいる港南の派手なチアを始め、応援席がワッと盛り上がった。
やはり、港南は強い。
選手の能力もさることながら、俺たちとは場数が違い過ぎる。DF陣が上手な反則でファウルを取られないようにしてボールを奪い、
だが俺たちには、経験も技術もない。そこをわずかでも埋めることができるとするならば、チームワークと気迫しかない。
幸い、温存のため
「龍、頼みがある」
ボールが武偵高ゴールからセンターサークルまで戻ってくるまでの間に、俺は港南の選手に聞こえないように龍に声をかけた。
「なんだ?」
「試合再開するとき、俺がボールを渡したら――――」
俺は龍に耳打ちして、盗み聞きされないよう小さな声で作戦を伝えた。
「……なんつーか、色々と滅茶苦茶だな」
「多少常識はずれなことでもやらねえと、この実力差は埋められねえさ。幸い、時間はたっぷりあるんだ。やれるだけやってみようぜ」
俺がそう言った直後、ボールが足元まで転がってくる。審判も早く始めるようこちらに視線を送ってきたので、俺と龍はそそくさとセンターマークにボールを置いた。
(この作戦ができるのは一度限りだ。頼むぞ!)
俺は左足でボールを小突いて、龍の前方の空間へと 転がした。
「おりゃああ!」
そこへ龍が一歩踏み込み、空に向かってにボールを思い切り蹴り上げた! それと同時に俺は港南の方に駆け出し、港南選手の遥か頭上を越えていったボールよりも速く、相手陣地へと切り込んでいく。
そしてペナルティエリアから10メートルほど離れた辺りで、俺は跳躍した。
港南選手の頭上を越えるほど高く跳んだ俺は、空中で体を捻り、落ちてきたボールをそのまま回し蹴りの容量で蹴り飛ばした!
斜めに蹴り出したボールは港南DFの頭上を越え、クロスバーの下半分に直撃しながらも港南ゴールのネットを揺らす。だが、俺がゴールを決めたというのに審判はすぐに笛を鳴らしてはくれなかった。
まあ、当然だろう。あんなシュートの打ち方は教本にはないし、俺も見たことはない。というか、やる必要が殆どない。多分、全盛期のロナウジーニョやロナウドならこれくらいできたと思う。会ったことないからわからないけれど。
数瞬してから、審判がホイッスルを吹きスコアボードの点数が4対1になる。それとほぼ同時に自軍エリアに戻ってきた俺に、俺の指示した地点にかなり正確にボールを蹴り出してくれた龍が飛び込んできた。
「やったな響哉、1点返したぞ! ってか何だよあのシュート!」
「体育の時とかお前もたまにオーバーヘッドでやってるじゃねえか。アレと比べれば全然簡単だった。まあ、もう通用しねえけど」
あの角度をつけたシュートは、ペナルティエリアの前にいるDF陣の、さらに手前から打ち込むものだ。よってシュート地点からゴールまでの距離は相当なものになる。
つまりDFが前に出れば出るほどその距離は長くなり、長身で腕も長いユンカースならさっきのようにギリギリのコースを突こうとも弾かれてしまう可能性が高くなる。
更にサッカーでは頭上を飛び越えるなどのプレーはファウルを取られるので、さっきはMFの間を通り抜けることでファウルを回避したが今度は下手をすればイエローカードを出される可能性もある。
俺へのマークも一段と厳しくなるだろう。
だが、奪われた4点のうち1点を返し、何より沈みきっていた武偵高チームに活気を呼び戻すことができた。この成果は非常に大きい。
――そして、前半残り20分。武偵高の反撃が始まった。
両校とも得点がなく、互いに攻めて行ってはボールを奪われるのを繰り返し、得点に動きが見られなくなってから10分が経とうという頃……不意に、審判の笛が鳴り響いた。
どうやら、
点が取れない焦りからかと思ったが、俺は後ろの武偵高DF陣……特に春樹が不敵に笑っているのを見て、さっきのが《オフサイドトラップ》という戦術なのだとすぐに勘付いた。
元々、中盤でのボールの取り合いが激化して春樹以外のDFも前に上がり気味だったというのもあり、一番後ろにいてオフサイドラインを作っていたのは春樹だった。
春樹はここへ来て相手の動きを捉え、上手く
試合が中断され、武偵高のフリーキック。
上手くボールを前まで運んでいき、右サイドの選手の活躍によりコーナーキックを獲得した武偵高は、戒の蹴ったボールに龍が
流れは完全に武偵高側にきていた。
オフサイドトラップにより苦しめられ、港南はどんどん守りを固めていくようになってきた。この2点差を残したまま前半を耐え、後半から
だが、守りに入った時点でもう勝負は見えている。
最低でもあと1点は返したい武偵高は、さらに厚くなった港南DFを攻略するために前に出る意識が強くなっていた。よって港南エリアの密集率が高くなり、前に出ている港南選手がいないせいで港南は防戦一方の展開に陥っていた。
そんな中、不意に審判のホイッスルが鳴り試合が中断される。どうやら港南のDFがペナルティエリアの手前でパスを受け取った戒を後ろから押し倒したらしい。
「戒、大丈夫か?」
「平気さ。それより、追加点のチャンスだ。カバー頼んだぞ」
「ああ、任せろ」
短いやりとりをして、戒はボールを審判に指定された位置に置いて距離をとった。
場所はペナルティエリアのすぐ近く。直接ゴールを狙うのも、十分考えられる距離だ。
残り時間を考えると、このプレーが最後のチャンスだ。これでもしシュートを外すか相手にボールを奪われクリアされてしまったら2点差のまま後半を迎えなければならなくなってしまう。何としてでも点を取らなければならない。
両チームのイレブンに緊張が走る中、戒は助走をつけて強烈なバックスピンをかけてボールを蹴った。
そのボールはシュートコースを塞ぐ、壁と呼ばれる港南DF選手の顔面に当たり、バックスピンのかかったボールはそのまま彼らの足元から戒のいる方へと転がっていく。
そのボールを戒は再度蹴り、2回目のシュートは崩れた港南DFの壁の隙間を通りユンカースも反応できないようなゴール隅に決まった。
客席から歓声が沸き上がる。そして、前半終了のホイッスルが鳴った。
「やったなキャプテン代理!」「さっすがキャプテン代理!」「信じてたぜキャプテン代理!」「最高だぜ代理!」
ベンチへと戻る武偵高の面々が寄ってたかって『代理』を連呼しながら戒を叩きに集まっていく。
「だぁー! お前らいいかげんにしろよ!」
流石にやり過ぎたのか、腕を振り上げて怒ったような素振りを見せる。だが、シュートを決めたことは嬉しいようで、怒り半分、嬉しさ半分といった様子だった。
ベンチではマネージャー代理の時任と雅とついでに山吹がタオルとスポーツドリンクを用意してくれていた。そろそろ暑さが本格的になってくる時間なので、気を引き締めなければならない。
「な、なぁ。俺たち、勝てるんじゃないか?」
「ああ……流れは完全にこっちに傾いてるし、逆転もあり得るんじゃ――――」
「そりゃ、無理や」
ひどく落ち着いた声で、ようやく見えてきた希望を打ち砕くようにそう言ったのは、引率として来ていた蘭豹だった。
「ついさっきや、教務科から連絡がきよった。この近くの銀行で銀行強盗が発生、付近のBランク以上の武偵は現場に急行して事件を解決しろってお達しや」
「そんな……」
「ウソ、だろ……」
やっと見えてきた逆転への希望が、こんな形で消えてしまうとは思いもしていなかったために、武偵高ベンチに重い空気が蔓延する。
「自分ら、なにシケた
肩を落とす部員たちを見た蘭豹が、ドスの利いた声で言い放った。
「お前らは学生である以前に、武偵やろうが」
……悔しいが、これは蘭豹の言っていることが正しい。
俺たちは武偵だ。武偵ならば事件が起こったら現場へ行かなくてはならない。たとえそれがサッカーの試合中であろうとも、事件は武偵の到着を待ってはくれないのだから。
何よりも優先すべきは任務の遂行と事件の解決。金で雇われる便利屋でありながら、滅私奉公の精神を強いられる。それが武偵なのだ。
東京武偵高の1回戦途中棄権のアナウンスが告げられる中、俺たちは防弾制服に着替え、懐に武器を忍ばせながら駒沢第2球技場を立ち去ろうとしていた時だった。
戒の携帯に着信が入り、歩きながら戒は電話にでる。
「……ああ、そうだ。もう着替えて外にいる……しょうがねえさ……わかったよ。今度の週末は何とかして空けとく。じゃあな」
「電話の相手、東谷さんだろ。なんて言ってたんだ?」
戒が電話を切ったのを見てから、俺は戒にそう尋ねた。すると、戒はニヤついて携帯をポケットに仕舞いながら答える。
「『負けは負けだから、デート1回で許してやる』ってよ」
「このバカップルめ」
俺は戒の脇を肘で小突きながら、茶化すようにそう言った。
――俺たちは普通の高校生とは違う世界で生きている。だが、俺たちはそれを嘆いたりはしない。
俺たちは、それを誇りに思って武偵をやっているのだから――――。
今回でなんとこの「不屈の武偵」も第70回を迎え、次回・71回から新学期として4章開始となります。時期的には少し乗り遅れてしまいましたが…。
4章は修学旅行Ⅰとチーム編成から始まり、それ以降は戦闘が主になってくると思われます。正直、潜入調査編書き始めた頃から書きたかったんです。もう少しで悲願を達成できる……ッ!
ところで、もうすぐCODの新作であるGhostが発売されるそうなので、最近になって一度手放したCOD MW3を中古で買い直しました。気が向いたらフラっと野良でDOMをやってます。たまに気分転換にやる分にはすごくいいです。調子が良いと何回も空爆できるんですが、特定のマップ以外だとついつい走り回ってしまってまだキルレ1割る事のほうが多いです。チャマス使ってこれなので自分がBO2のエイムアシストにどれだけ依存していたかを思い知らされました。
そう言えば、MW3を買う時にBO2を売ったんですが、この前そのお店でBO2の中古の値段を見てみたら買い取りの値段よりも安かったんですよね。思わず笑ってしまいました。
それでは、3話にも渡る番外編にお付き合いいただきありがとうございました。次話はまた来週末に投稿する予定なので、その時はまたよろしくお願いいたします。