俺たちがサッカーの練習をし始めて数週間かが経ち――――8月16日。 遂に、大会当日を迎えた。
会場である駒沢第2球技場には多くの高校生が集まり、改めて東京都の出場校の多さを思い知らされる。ちらほら大人の姿も見受けられるが、彼らはどこかの高校の監督やコーチか、それとも大学・プロのスカウトなんだろうか。
「これだけ人が多いと、気分が悪くなるわ……」
バスを降りてから不機嫌そうな時任が、溜息混じりにそう呟いた。
「だから無理して来なくてもいいって言っただろ」
「別に私が何をしようと勝手じゃない。それより、久我さんは大丈夫なの? 随分辛そうにしてるけれど」
そう心配そうにしている時任の視線の先には、ぐったりとした雅が俺に腕を担がれた状態で歩いていた。おかげで他のメンバーからはかなり遅れてしまい、先に行ったみんなの姿を見失ってしまっている。
「こいつは朝が弱いだけだから30分もすればいつも通りになる」
「つまりあと30分はその調子ということなのね……」
はぁ、と時任がまた溜息をつく。日本には『溜息をつくと幸せが逃げる』という諺があるが、それを言うと「そんな世迷い言、信じると思ってるの?」と呆れたように言ってきそうなので口にはしない。
「それにしても、たかだか2週間ちょっとの練習でどうにかなるの?」
「良くてサッカーと呼べる試合ができるようになる程度だろうな」
いくら武偵として活動しているため基礎体力が出来上がっていると言っても、スポーツは特殊な部位の筋肉を使うこともある。サッカーは基本的に走り回るためそう感じさせるシーンは少ないが、シュートやパスをする時に変な癖を持っていたりするため、身体はできていても肝心な所でミスをする可能性も考えられる。
さらに、サッカーは
俺たちはというと、11人中3人も
たった1人の独断行動で作戦が失敗、運が悪ければ小隊が壊滅するのと同じだ。
勿論、できる限りそうならないように、俺たちは訓練の合間にきちんとサッカーについて勉強した。だが、それを試合中に活かすことができるかどうかは本番にならないと分からないし、俺たちが予想もしなかった戦法を相手がしてくるかもしれない。
(まあ、例えそうだとしても俺たちのやることは変わらんが)
勝つために、悔いの残らないように、最善を尽くす。それは、任務もスポーツも同じだ。
俺が気を引き締めていた、ちょうどその時だった。
「――だから、私は行かないと言っているだろう!」
「ちょっとだけだからさぁ。あと、そんなに大声出すのはやめてくれるかなぁ……」
「試合始まるまで時間あるんだし、少しくらい……」
「何度言えばわかる! 私は行かない!」
何やら男女が騒いでいる声が聞こえてきた。
相変わらず動けない雅を担ぎながら騒ぎの中心へ向かうと、そこでは案の定、チャラい格好をした20代前後の男性2人が、長いポニーテールをした黒髪の女性と口論していた。
女性の格好はジャージや制服ではなくカジュアルな私服姿のため、どこかの学校のマネージャーというわけではないらしい。年も見たところ姉貴と同じくらいなので、弟辺りの試合を応援しに来た大学生だろう。
仲裁に行こうとして雅の腕を解こうとした、ちょうどその時だった。
「おいゆかり! こんな所で何騒いでるんだよ!」
なんと、我らが武偵高サッカー部主将代理の戒が声を荒らげて男性2人と女性の間に割って入ってきたのだ。
「げっ、彼氏いるのかよ」
「だったら言ってくれればいいのになぁ……ゴメンな兄ちゃん、彼女に手出して」
突然の彼氏登場に、女性をナンパした男性2人はげんなりと肩を落としさっさと立ち去っていった。ある意味で戒が来てくれて一番助かったのは彼らの方かもしれない。
「私のピンチに飛んできてくれるなんて、キミはまるで王子様みたいだな」
「全然そうは見えなかったぞ……」
「それはそうと、よくあんな都合よくここへ来てくれたな。本当に運命的なものを感じたよ」
「ああ、そりゃあたまたま遅れてきた友達を迎えに……って……」
「よう、王子サマ」
「て、てめぇ……!」
戒と目があったので茶化してやると、戒は真っ赤になって強襲科の悪い癖で懐の拳銃に手を伸ばそうとする。
が、隣にいた女性に押さえられ……もとい、抱きつかれて拳銃を抜くどころか身動きすら取れなくなってしまう。
「朝っぱらから随分と見せてくれるじゃん」
「お前にだけは言われたくないんだよッ!」
「何でだよ」
今の雅はほとんど荷物状態だ。こいつが背負ってる鞄の中の荷物も含めて、相当な重量が俺の肩にのしかかっているのだから、決して他人から羨ましがられるような状態ではないといえる。
「キミたちは戒の友達か?」
「はい、ルームメイトの朱葉響哉です。こっちが時任ジュリアで、この寝てるのは久我雅っていいます」
俺がそう答える一方、時任は軽くお辞儀してみせるだけで、雅はこの状態で完全に寝ているため返事がない。
「私は戒と付き合っている
そう名乗りながら、東谷さんは戒を放してはにかんだ。
東谷さんの身長は170前後なのだが、ハイヒールを履いているため俺と目線の高さはさほど変わりはないせいか、いい意味で女性らしくないというか、とても凛々しく見える。
正直、戒の彼女がこんな女性だったとは意外だった。町中で見かけるような髪を染めた軽そうな年下か同年代の女子と付き合っていると勝手に思い込んでいたため、今だに驚きを隠しきれない。
「いったい、こいつとはどこで知り合ったんですか?」
つい気になって、俺は東谷さんにそう尋ねる。
「あれは去年の秋頃だったな……私の不注意でチンピラに絡まれていたところを、戒に助けてもらったんだ。あの時の戒はとても格好良かったよ」
「一目惚れというものね」
「普段はちょっとアレだがな」
「そこがまた愛らしいじゃないか」
眩しいくらいの笑顔で東谷さんは戒に後ろから抱きついた。当の戒は恥ずかしそうだが、同時にまんざらでもなさそうにしているのが腹が立つ。
「ゆ、ゆかり。そろそろアップに行かなきゃならないんだ。だからもう放してくれ……」
「それならば仕方ないな。戒と離れるのは嫌だが、私はスタンドから応援しているぞ。朱葉くんも頑張ってくれ!」
「わかってますよ。それじゃあ、行くぞ。戒」
「ああ。……ゆかり、また後でな」
「負けたりしたら許さないからな!」
東谷さんに激励され、俺たちはみんなの待っている会場へむかって走りだし、東谷さんと別れた。その途中、俺は走りながら、また戒のやつをからかってやる。
「ちくしょう、我が物顔で見せつけてくれやがって。あんなに勝ちたそうにしてたのは東谷さんのためかよ。このたらしが」
「だから、おまえが言うなっつーの!」