緋弾のアリア 不屈の武偵   作:出川タケヲ

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夏祭り

 

 

 6月が終わり、秀桜の期末試験も終わった翌日、7月7日。武偵高の生徒は今日から夏休みだというのに、潜入調査で秀桜に通っている俺には夏休みはまだしばらく先の話だ。羨ましいことこの上ない。

 

 

 以前にも増して茹だるような暑さが多くなり始めたこの頃、俺はある人と会うため私服姿で浅草を訪れていた。

 

 浅草駅から徒歩で10分弱、夕方になって涼やかな風が吹いてくれるようにならなければここまで来るのは随分辛かったことだろう。しかしながら、日中に溜め込んだ太陽の熱を未だに放ち続けているアスファルトのせいで、未だに残る昼間の暑さが俺の額に汗を浮かばせる。

 俺は手の甲で汗を拭いながら、目の前の家のインターホンを押した。少しして引き戸のガラスに人影が映り、扉を開けて俺を迎えてくれた。

 

 

「お久しぶりです、柊先輩」

「やあやあ久しぶり。こんな所までご苦労さま。ここじゃなんだから、上がってちょうだい。麦茶出すから」

「あ、すいません気を使わせてしまって」

 

 そう。ここは浅草にある柊先輩の実家で、俺は昨日先輩から「いい物あげるから家においで」と電話を受けたので出かけるついでにここまで来た次第なのだが、まさか麦茶がそうなわけがあるまい。

 

 柊先輩は俺を客間に案内してキンキンに冷えた麦茶を差し出すと、「ちょっと待ってて」とだけ言い残しどこかへ行ってしまった。

 仕方ないので、風鈴の音が涼やかに響き渡る客間で麦茶を飲みながら待っていると、銀色のジェラルミンケースを持ってきた柊先輩が俺の向かい側に座った。

 

 

「ごめんね、待たせちゃって」

「いえ。そんなことより、なんですか? それ」

「これは私立武偵やってた私の客が買った拳銃なんだけど、その人が先週の暮れに亡くなっちゃったのよ。私が持ってても意味ないから、誰か適当にあげちゃおうと思って」

「いいんですか、そんなことして……言っておきますけど、俺そんなの買う金なんか持ってないですよ」

「お金はいいよ。その武偵の人の親御さんに話したら、自分たちには必要がないものだから好きにしてくれって言ってたから」

 

 まあ好きにしてくれと言われても、確かに柊先輩も必要ないだろう。一応護身用程度には自分の武器はあるはずだし、その護身用の武器もあんまり使う機会はなさそうだし。

 

 

「それなら別に構いませんけど……どんな武器なんですか? 一応、見せてくれないと答えられませんし」

「まあそうだよね」

 

 そう言って、柊先輩はテーブルの上にジェラルミンケースを置き、留め具を外してケースを開いて俺に見せた。

 

 中に入っていたのはステンレス製の短銃身回転式弾倉(リボルバー)拳銃と、クイックリローダーが2つ、銃弾のケースが3箱と一式揃っていた。

 

 

「『S&W M686 Plus』。シリンダーに強化ステンレスを使うことで装弾数を7発に増やした、.357マグナム弾を使う強力な拳銃だよ」

「なんだってその客はこんな銃弾まで買ったんだか……」

 

 日本の武偵は武偵法によってその行動を大きく制限されているため、拳銃の使用は世界的に見ても少ないとされている。なので、私立武偵は整備が楽なリボルバー拳銃を選ぶ人が多いと聞くが、使う弾薬は同社の.38スペシャル弾が主流のはずだ。.357マグナム弾は反動が強く制御がしにくいので、精密射撃を求められる武偵には不向きな銃弾とされているというのに。

 

 

「それで、朱葉くんはこれもらってくれるかな? 今ならホルスター付きの多機能ベルトも付けちゃうよ?」

「何ですかその通販みたいなセット内容は……はぁ、わかりました。貰い受けます、その拳銃。あ、でも弾の方は俺の寮の方に送ってくださいね。これから用事があるんで」

「オッケー。送料は私が負担しておいてあげるね。ところで……この後朱葉くんはどこへ行くのかなぁー?」

 

 ニヤニヤしながら柊先輩は俺の顔を覗き込むようにしてテーブルに身を乗り出して迫ってくる。

 

 

「な、夏祭りですよ。友達と待ち合わせしてるんです」

「へー。ボーイフレンド? それともガールフレンド?」

「せ、先輩には関係ないでしょう……」

 

 絶対にからかわれると確信した俺は、視線を外へ向けて誤魔化そうとする。

 しかし、そんな態度から悟られてしまったのか、柊先輩は「そっかそっか」と1人でケラケラと笑いながら立ち上がり俺の隣まで来ると、

 

「頑張れ、青少年!」

 

 と言って俺の背中をバンっと叩いてきた。

 一体この人は何を俺に伝えたかったのだろうか。結局それは謎のまま、俺はこの後多機能ベルトとM686を受け取って麦茶を飲み干してから、柊先輩の家を後にした。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「遅いっ」

 

 上野駅のジャイアントパンダ前で、私服姿で俺を待っていた七海が文句を言う。

 

 

「悪い、ちょっと浅草に寄ってた」

「はぁ? 浅草? 何しに行ってたのよそんな所に」

「色々あるんだよ、こっちも」

「……まーいいけど。それより早く行こ?」

「そうだな」

 

 適当にはぐらかすと、七海は一瞬むっとした表情になるがすぐに気を取り直し、俺の隣に並んで国道沿いに歩き出す。そのまま少し歩いてから曲がると、屋台が連なる通りがありおおくの人で賑わっていた。

 

 

「どうする? 何か買いたいものとかあるか?」

「んー、とりあえず初めは短冊書こうぜ。買った物置引きされるの嫌だから」

「そうだな。じゃ、行くか」

 

 確か、短冊は奥の神社の前で無料で書かせてくれたはずだ。そこへ向かい、俺と七海は通りに並ぶ色んな屋台を横目に歩く。

 

 焼きそば、唐揚げ、クレープにわたあめ……祭りの代名詞とも呼べる食べ物の匂いが、優しい風に乗って辺りに漂っている。

 

 

「懐かしいなぁ……」

 

 思わず、そんな言葉が漏れ出る。

 昔は親父から貰った小遣いを握りしめて燐と2人で色々見たり買ったりして回ったものだ。

 

 

「なに寿命間近の年寄りみたいな顔してるのよ」

「俺そんな顔してたか?」

「縁側でお茶飲みながら孫の遊ぶ光景を眺めてる爺さんみたいな顔してたわよ。そんなに私といるのが退屈なのか。そーかそーか」

「いや、そうじゃなくてだな……少し昔を思い出してただけだ。こういうのに来たの、久しぶりだったからよ」

「ふーん。あっ、あそこじゃない? 短冊書くところ」

 

 七海が指さした先は、一際多くの人が集まっていて立派な笹も立てられていた。往来の邪魔になりにくい端の方には短冊を書くための台が置かれている。

 

 七海がそこへ駆け込んでいくのに続き、俺も後からその輪の中に入っていく。子供たちが好きな色を厳選して取ってくせいか、台の真ん中にある箱に積まれていた短冊は山のようになっていた。

 俺はその中から1枚を適当に選び、何を書こうかと考えながら台の上に無造作に転がっていた油性マジックペンに手を伸ばす。

 

 すると、たまたま同じペンを取ろうとしていた隣の人の指と触れ合ってしまった。

 

 

「あ、すみません」

 反射的に軽く頭を下げて謝ってしまう。こういう辺りがいかにも日本人だと我ながら思う。

 

「いや、こちらこそ……って、え?」

 相手方のどこか聞いたことのある間の抜けた様な声がして、俺ははたと顔を上げる。

 

 

「きょ、響哉……!?」

「時任じゃないか。つか、その格好どうしたんだよ」

 

 なんと、俺の隣にいたのはSSRの時任だった。おまけにその格好は、いつもの武偵高の制服ではなく薄い水色の浴衣だった。髪もそれに合わせて結い上げていたので、声を聞くまで誰だかわからなかった。

 

 

「せ、せっかくの夏祭りだからと、志波さんに勧められて借りてきたんだ……響哉こそ、任務に出てるんじゃなかったのか?」

「これもその一環っていうか、何て言うか……まぁ、詳しくは言えないんだよ」

「それなら仕方ないな。ところで、志波さんと久我さんも一緒に来ているんだが、響哉も来るか?」

「いや、俺は――――」

「響哉ー、短冊に何て書いたー?」

 

 俺と時任が話していると、もう短冊を笹に付け終えた七海が横から会話に入ってきた。

 そんな七海を見て、時任の表情が凍りつく。その瞬間、なぜだかわからないが『第六感』の警告として、俺の背筋をさながらシベリアにいるかのような寒気が襲った。

 

 

「響哉。この人は?」

 笑顔でそう訪ねてくる時任。しかし、笑っているのは口元だけで目は笑っていなかった。

 

「響哉の知り合い? この人も武偵なの?」

「あ、あぁ……俺のクラスメイトの時任ジュリアだ。時任、こいつは俺の任務先の……協力者みたいな奴で、北原七海って言うんだ。むこうで随分世話になってるんだよ」

「ふーん。よろしくね、北原さん」

「あ、ああ。こっちこそよろしく」

 

 あの七海が気圧されてるよ。何で怒ってるかわかんないけど、やっぱ時任を怒らせると怖いな。もう目線だけで相手を殺しちまうような感じだし。

 そんなことを考えていると、七海が俺の脇腹を小突いてきて時任に聞こえないくらいの小さな声で話しかけてきた。

 

 

「あんた、あんな綺麗な人とどうやって仲良くなったの!?」

「色々あったんだよ、去年」

 そもそも俺自身、どうやって時任とここまで仲良くなったのかよく分からない。気づいたらよく一緒にいるようになってたし。雅が武偵高に来てからはもうその3人が固定メンバーだったしなぁ。

 

 

「色々って……はぁ。あんた、大物だわ」

「……?」

 

 なぜだか呆れたような表情で溜息をつく七海。一方で時任はまだ怒っているらしく、そっぽを向いて俺と視線を合わせないようにしている。

 

 

「あれ? なんで響哉くんがこんなとこにいるの?」

 

 そんな気まずい空気を打ち払ってくれたのは、時任が一緒に来ていると言っていた志波だった。隣にはわたあめを食べている雅もいる。察するに、どうやら雅の買い物に志波が付き合っていたようだ。

 

 

「この人たちもあんたの仲間?」

「ああ。こいつらも俺のクラスメイトで、こっちが志波ヰ子。わたあめ食ってるのが久我雅だ」

「……響哉。その人は?」

「俺の任務先で色々世話になってる北原七海だ。俺が武偵だってことも知ってる」

「ふーん」

 

 ジトーっと雅が俺と七海のことを交互に見る。こいつも何だか怒っているようだ。

 

 

「なあ志波。なんでこの2人はこんなに機嫌が悪いんだ?俺、時任と雅に何か悪い事したか?」

「自覚がないのが響哉くんらしいね……」

「……?」

 

 志波は困った顔で苦笑いしていた。俺らしい、というのはどういう意味なんだろうか。しばらく会ってなかったせいで置いて行かれたような気分だ。

 

 

「なあ2人とも、りんご飴奢ってやるから機嫌直してくれよ」

「ふーん。私たちをそんな物で釣ろうとするのね」

「釣るってお前……じゃあどうすればいいんだよ」

「そうねぇ、何をしてもらおうかしら?」

 

 茶化したような顔で、時任は俺を見ている。これは悪いことを考えている顔だ。一体どんな理不尽なお願いをされるのだろうか。

 

 

「私たちを楽しませてくれたら、それでいいわ」

「随分とアバウトな要求だな……」

 

 俺は嘆息を吐きながらそう言った。しかし、逆にこの程度のお願いで時任の機嫌が治るのだったら幸運だ。

 

 

「あんたってさぁ、結婚したら絶対に尻に敷かれるタイプだよね」

「なんだよやぶから棒に……」

 

 七海の質問に答えるとするならば、俺が女の尻に敷かれるタイプなのではなく、俺の周りの女子は皆、他よりもパワフル過ぎるんだ。だからそう見えるだけで、実際はそうでないのだと思う。

 

 

 結局、その後はりんご飴とチョコバナナを食べてみたいという雅に奢ってあげて、時任と志波と七海にも奢らされる羽目になり、財布から千円札が2枚ほど飛んでいってしまった。まあ、その程度で済んだだけマシと言えるだろう。

 

 育ちが外国だったためあまり日本文化に馴染みのない雅と時任には、祭りのこの独特の雰囲気が新鮮だったのか、神輿が目の前を通った時にはその迫力に思わずといった風に息を呑んでいた。

 七海と志波も楽しめていたようだし、スリなんかの事件もなく祭りは無事に終わりを迎えた。秀桜に行ってからも調査という名目のため気を抜けないでいたために、武偵という肩書きをなくして楽しめたような気がして随分気が楽になったように感じる。

 

 

 その帰り道、さっき聞きそびれていたことを七海が改めて聞き直してきた。

 

「そういやさ、響哉は短冊なに書いたの?」

「別に叶えてほしいことなんかないから、短冊は書かなかった」

「ふーん。変なの」

 

 特に気にするようでもなく、七海はそう返した。

 

 

 

 

 ――そう。叶えてほしい願いなど、ありはしない。あるのはただ、成し遂げたい望みだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 


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