緋弾のアリア 不屈の武偵   作:出川タケヲ

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潜入調査 Ⅲ

 

 

 

 俺が秀桜に来てから数日が経った。

 今日の天気は朝から曇りで、夕方から強い雨が降るとのこと。今の俺の気分はこの窓の外に見える空と同じように、一面分厚い雲におおわれているようだった。

 

 

「あー……やっと終わった……」

 SHRの終わりを告げる予鈴がなった時、俺は机に突っ伏して大きく息を吐いた。まさか、自分が理解できない授業がここまで苦痛だとは思ってもみなかった……。

 

 そんな事を考え机に突っ伏している俺を見下しながら、前の席に座る七海は壁に背をつけ俺に話しかけてきた。

 

 

「随分疲れてるみたいじゃない」

「こちとらまだこの環境に慣れてないんだよ……」

「あんたさ、あの程度の授業に着いてこれなかったら今度の期末試験ヤバいよ?」

 

 七海に言われて、俺は思い出す。確か7月上旬に1学期の期末テストがあると予定表に書いてあったはずだ。

 

 俺は大きな溜息を吐きながら鞄を肩にかけ、七海と一緒に教室を後にした。

 

 

「今日までF組の様子を見た感じだと、真面目に授業聞いてる奴は一部だけだった気がするが……他のクラスもああなのか?」

「F組の他にはE組くらいだなー。まあそれでもF組の方が酷いかも」

 

 確か、秀桜はA、C、E組が理系。B、D、F組が文系のクラスだったか。つまり、E組とF組は理系文系それぞれの最下位クラスということになる。

 

 

「そういや、七海はわりと真面目に授業聞いてたよな。ちょっと意外だった」

「はぁ? ちょっとそれどーいう意味だよ!」

 

 七海は笑いながら俺の腋を肘でつついてきた。こういう所があるから七海といると気が楽でいい。

 

 

 1年のキンジは1限早く授業が終わっているため先に帰ったはずなので、俺と七海は廊下に出て階段を降り、生徒玄関まで歩きながら和気藹々と談笑していた。

 

 

「あら? そこにいるのは北原さんじゃありませんか」

 

 そんな時、おっとりしたような風体の女子3人が、媚びたような笑顔を貼り付けながら七海に声をかけてきた。

 

 

「……何か用?」

 

 苦虫を噛み潰したような曇った表情で、さっきまでとは一変して震えたような声で七海はそう返した。

 

 

「いえ。たまたま見かけたのでお呼びしただけですわ。そちらの男の方は?」

「まさか、彼氏さん?」

「そ、そんなんじゃねーよ! こいつは今年の交流生で、私が面倒見てるだけで――――」

「へー、そうなの」

 

 3人組の真ん中にいる女子生徒が、髪を弄りながら七海の言葉を遮って話し始めた。

 

 

「まあ何でもいいけれど、彼に変なことを吹き込まないようにね」

「例えばカンニングの仕方とか、得意なんでしょ? 北原さん」

「あぁん?」

 

 あまりにも失礼過ぎる言葉が耳に入り、俺は凄みをきかせた声を出して3人を睨みつけた。

 しかし、彼女らは臆することなくどこか嘲笑う様な顔で俺たちを見ながら話を続けてくる。

 

 

「……ああ。あなた、ご存知でないのね」

「去年の学年末試験の時、彼女には不正行為を行った疑いがかけられたのよ」

「成績はそれなりに良かった方だったのに、あんなことしなければF組に落ちることはなかったでしょうに」

「……今、その話はどうだっていいでしょ……っ!」

 

 掠れる声でそう訴える七海の姿は、俺の目にはとても小さく、弱く映って見えた。

 

 七海は今、挑発されたからといって安易に手を出すわけにもいかず、行き場のない怒りを心の中に押し留めようとして、守りに入ってやり過ごそうとしている。まるで不良に絡まれた気の弱い子が、背中を丸めて(うずくま)って、なされるがまま暴力を受けているかのように。

 何かの比喩などではなく、実際に、七海は彼女たちの前では本当に無力なのだ。

 

 

「まぁ、恐い」

「そんなに感情をむき出しにして……」

「まるでお猿さんですわね」

「……お前ら、その辺にしておけよ……!」

 

 まるで檻の中の動物でも見ているようにして嘲笑う彼女たちに苛つき、俺が詰め寄ろうとした時だった。

 

 

「――貴様ら、そこで何をしているッ!!」

 

 不意に背後から男の大きな声がして、俺と七海は声のした方を振り返る。

 

 そこには、3人の男女の姿があった。横に並んだ3人の、真ん中にいる男子生徒は秀桜の夏服に『生徒会長』と書かれた腕章をつけているため、秀桜の生徒会長なのだとすぐ理解できた。

 だが、問題はその傍らにいる日本刀を持った男女の方だった。

 

 

(何でこいつらが秀桜に通ってるんだ……!)

 

 引きつった顔で、俺はその2人――――3月末に会った時、茨城武偵高に在籍していると言っていた、青木迅と白波紗綾を見据えた。

 

 見た所、あの生徒会長の護衛のような立ち振舞をしているようだが、俺はそんな話を一切聞いた覚えはない。これは依頼の遂行の妨げになる可能性が非常に高いとして学園側に抗議する必要がある。

 

 いやそもそも、なぜこの学園にはすでに青木達がいるのにキンジはともかく俺が駆り出される必要があったのだろうか。帯刀していることから学園には話を通してあるのは明確だし、わざわざ外部から別の武偵を招き入れてもコストがかさ張るだけのような気もするが……。

 

 

「そこにいるのは2年F組の北原七海だったな……また何か問題を起こしたのか?」

「おい、何勝手に決めつけてるんだよ。これはそこの3人が――――」

「ありがとうございました霧生(きりゅう)会長!」

「私たち、この2人に絡まれて迷惑してたんです!」

「本当に助かりました!」

 

 3人は俺の話を遮り、猫なで声を作って生徒会長に擦り寄って頭を下げた後、そそくさと外靴に履き替えその場を立ち去ろうとしていた。

 が、彼は早足で去ろうとする彼女らの背中に向かって鋭い声で「待て」と呼び止め、足を止められた3人に向かって冷たく言い放った。

 

 

「今日のところはそういうこと(・・・・・・)にしておいてやる。だが、次はないぞ」

「は、はい……」

 

 恐怖に怯えたような青ざめた表情で、3人は逃げるようにして帰っていった。

 

 それにしても、霧生という名前の方がひっかかる。どこかで聞いたような苗字なのだが、どこで聞いたのか思い出せない。

 

 

「おい七海……誰だよあの会長とか呼ばれてた奴」

 七海にしか聞こえないように彼女の耳の近くで小さな声で尋ねると、七海はちょっとびっくりしたようにビクッと体を退かせ、恥ずかしそうにして俺に耳打ちしてきた。

 

「あ、あいつは秀桜の生徒会長の霧生(きりゅう)創真(そうま)だ。父親は警視庁公安部の管理官で、全国模試1位の天才だよ。格闘技も段保有者らしい。噂によりゃ、帝王学を学んでるって話だ」

「マジか。帝王学なんて現実で初めて聞いたぞ」

 

 そういう奴らは本当に『高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)』とか言って、進んで面倒くさい役職に就くんだろうか。現に目の前の霧生は生徒会長になっているようだが。

 

 

 霧生は帰っていくさっきの女子3人の背中を一瞥すると、今度は鋭い目付きで俺たちを見据え、こう言った。

 

 

「北原七海。今後、これ以上問題を引き起こすようならば、何らかのペナルティが課せられると思え」

「なっ……悪いのは七海じゃねえだろ! あいつらが騒ぎを大きくしてるだけじゃねえか!」

「誰だ貴様は? ……まあいい。問題なのは騒ぎを煽る人間ではなく、その中心にいる、原因となる方だ。一概に彼女らに非がないとも言い切れんが、北原七海の素行が改善されぬ以上、この問題は解決しない」

「ふざけたこと言ってんじゃ――――!」

 

 俺が霧生の言い分に食い下がろうと一歩前に出た時、彼の傍らで沈黙を貫いていた青木が飛び出し、鞘に収まったままの長刀の先を俺の額に向けてきた。

 俺は足を止め、目の前の青木を睨みつける。

 

 

「……何のつもりだ」

「それはこっちの台詞だ。君の方こそ何をするつもりだった?」

「やめなって迅。これ以上騒ぎを起こすのは避けた方がいい」

 

 白浪が青木の肩を掴んでそう促すと、青木は渋々といったように刀を下ろした。

 すると、後ろから霧生が青木に命令する。

 

 

「迅、そんな奴に構っている時間はない。行くぞ」

「…………」

 

 青木は無言で頷き、霧生の方を振り返った。

 

 

「君がなぜここにいるのかはある程度想像がつく。だから言わせてもらうが、彼女にはあまり深く関わることのないようにするべきだ」

 

 去り際に俺だけが聞こえるほどの声量でそれだけを言い残し、青木は霧生と白浪の後について立ち去っていった。

 

 

 ――武偵は、仕事先の一般市民と深い関係になることを禁忌とされている。情に流され、いざという時に判断を誤る可能性を排除するためだ。

 だから、青木が言っていることを俺はきちんと受け止めているし、それが基本中の基本ということも重々承知している。恐らく、元武偵の七海も。

 

 仲良しごっこは別に構わない。だが、それは『ごっこ』で留めておくというのが理想だ。

 

 『情に流されるな』。青木が言いたかったことはそれだ。奴には俺が、七海の肩を持ち過ぎて自分の立場をわきまえない行動に出るとでも思ったのだろうか。

 

 

 まがいなりにも七海は武偵だったんだ。そんなこと、お互いがよく知っている。

 

 

 

「俺達も帰ろうぜ」

「あ、ああ……」

 

 俺が外靴に履き替えようとするのに続くようにして、遅れて七海も外靴を下駄箱から取り出す。なんだかさっきから七海の様子がぎこちなく感じるが、さっきの騒動で気疲れでもしたのだろうか。

 

 

「あっ」

 俺が気にかけて声をかけようとした時、七海がはっとしたように声を上げた。喉まで出かかっていた俺の声は、そのまま放出されることなく巻い戻っていく。

 

 その独特なもやっとした感じに苛まれ始めた時、玄関の外から大きな雨音が校舎内まで響いてきた。

 

 

「あちゃー、降ってきたか」

 

 ビシビシとまるで小石でも投げつけられてるんじゃないかと疑うような雨粒が窓を打つ大きな音に紛れて、校舎の間を吹き抜ける強い風の音も聞こえる。どうやら外は嵐のようなことになっているようだ。

 

 

「すごい天気だな」

「あんた、そんな傘で大丈夫なの?」

 

 そう心配そうに言う七海の視線の先には、俺の安物の折り畳み傘がある。

 

 

「まあ大丈夫だろ」

 

 玄関先で適当にはぐらかしながら傘を開くと、突風に煽られてバキバキと悲痛な音を立てながら一瞬で骨組みが見るも無残に折れてしまった。これではまるで衛星アンテナである。

 

 

「ほら、言った通り」

「ぐっ……」

「そういやあんたさ、勉強わかんないって言ってたじゃん? 私の家ここから近いからさ、雨宿りついでに教えてあげよっか?」

「いいのか?」

「私もテスト範囲の復習になるし、1人暮らしだから親もいないしさ。悪い話じゃないと思うけど」

「うーん……まあこの天気じゃしょうがないか。特に断る理由もないし」

「決まりだな。じゃ、私の傘に入れてやるからコレ持ちな」

 

 そう言って、七海は俺に傘を無理やり持たせてきた。これじゃあどっちが入れてあげてるのかわかんないな……。

 

 

 なんてことを考えながら、俺は七海の傘に入れてもらい、台風みたいに荒れた天気の中を2人で歩いていった。

 

 

 

 

 


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