緋弾のアリア 不屈の武偵   作:出川タケヲ

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潜入調査 Ⅰ

 

 6月のある日のこと――――。

 

 アドシアードで多くの人が盛り上がっていた裏で、イ・ウーの河上によって肋骨にヒビを入れられていた俺は、暫くの間入院することとなっていた。

 ようやく今日、晴れて退院することになったのだが、しかし俺は昨日、小夜鳴先生から急に「明日すぐに教務科の私の所へ来て下さい」と呼び出されてしまったために、すぐに寮へと戻ることができなかった。

 

 また何か仕事の手伝いでも頼まれるのだろうか。まあ、俺も暫くは予定が入っていないので別に問題はないのだが。

 

 

「失礼しまーす」

「あ、来ましたね。朱葉くん」

 

 俺が教務科の引き戸を開けるとすぐ、小夜鳴先生が椅子に座ったまま体をこちらに向けてきた。

 

 

「どうしたんですか、小夜鳴先生。また仕事の手伝いですか?」

「いえ、今日はそうではなく……朱葉くんに依頼を斡旋するために来てもらったんです」

「斡旋……? またどうしてそんな事を?」

「まだ成績の公表には少し早いのですが……このままでは君の前期分の単位が大きく不足してしまう可能性があるんです」

「はい……?」

 

 思わずマヌケな声が漏れた。よく状況が飲み込めない俺に、小夜鳴先生は詳しい話を始める。

 

 

「実は君が入院していた間に、いくつかの教科で抜き打ちの小テストがあったんです。再試の方もついこの前に全教科終えてしまったらしく、朱葉くんはそのテストが0点だったことにされてしまったので、大きく単位を落としてしまう結果になってしまいました」

「…………」

 

 あまりのことに、言葉を失う。

 

 いや、そもそも、俺は誘拐された時任を助けるために負傷してその療養をしていた訳であって、断じて個人的な都合で学校を休んでいたわけではない。せめて再試を俺が退院した後にするか、俺だけ特別に日程を組んでくれてもいいだろうに……!

 

 

「ですが休んでいた理由も理由ですので、今回は依頼の斡旋を救済処置とすることにしました」

「はぁ……まあそれならいいですけど」

 

 救済策をくれるだけまだマシだ。地獄に仏の精神で、了承する他あるまい。

 

 

「いやー、そう言ってくれて助かります。では、これが依頼の詳細です。期日は3日後ですので、それまでに申請しておいて下さい」

「わかりました」

 

 俺は小夜鳴先生に「ありがとうございます」と言って一礼した後、教務科を出てまっすぐ寮に戻り、小夜鳴先生から受け取った依頼の詳細を確認する。

 

 

「げっ……」

 

 1枚目のプリントの一番上の行を目にした時、またも思わず声が漏れた。

 

 正直言って、小夜鳴先生の言動から嫌な予感はしていた。「そう言ってくれて助かります」とは、今までこの依頼を受けてくれる生徒がいなかったから、俺が承諾して助かったという意味だったのだ。

 

 

(潜入捜査(スリップ)なんて、誰も進んでやりたがらないしな)

 

 おまけにこの依頼の先入先は、日本随一のエリート学校、秀桜学園じゃないか。そりゃあバカばっかの武偵高の生徒が行きたがらなくて当然だ。

 

 

 秀桜学園高等学校。そこは日本でも限られた人間――つまり学力が高く金持ちの家に生まれた人間しか通うことのできない、国内でもかなりレベルの高い学校である。

 つまり、そこで学ぶ学問のレベルも高くなり、全国偏差値45程度しかない武偵高の生徒では到底理解できないような高度な勉強を強要されるわけで、わざわざそんな場所に自分から行くほど勉強熱心な生徒は武偵高にはいない。

 

 バックレてもいいのだが、せっかく小夜鳴先生から斡旋してもらった依頼だし、こういう学校にも興味がある。1年も同伴させることとなっているが、適当に理由づけてキンジ辺りを連れて行けば何の問題もありはしないだろう。

 

 

 人生何事も経験だ――――そうとでも思い込まない限り、本当にサボって単位を落としてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 小夜鳴先生から依頼を斡旋してもらった日から数日が経ち、土曜日となった。

 俺は今、依頼の詳しい話を聞きにキンジと2人で先方の元へ朝から伺っていた。

 

 忙しい人なのか、理事長室に案内されて10分以上経つが、一向に理事長が姿を見せる気配はない。

 流石に名門校の理事となると、仕事の量も俺達が計り知れないほど多いのだろうか。

 

 

 あまりにも退屈が過ぎて、俺はふらっとソファから立ち上がり、部屋の装飾品をまじまじと見て回ることにした。

 

 何かの部活の優勝カップや記念盾、表彰状などが所狭しと飾られた、高級感漂う棚。その隣には、何かの部活の優勝旗がいくつか掲げられている。

 他には、これだけで数百万くらいしそうな1メートルくらいの大きな壺。理事長個人で獲得したトロフィー。歴代理事長の写真。立派な理事長の机の上には、最新の高性能ノートパソコンと羽ペン。紛失したら大問題に発展しそうな書類ファイルの数々。ファイルの具合からしてどうやら最近のは電子化されているようだが、昔の書類はそのまま電子化されずそのまま保管されているのだと思われる。

 

 

(にしても、内装綺麗だなぁ)

 

 うちの学校も校長室とかは随分と綺麗にされているが、それとは別格な印象を受けた。恐らく内装に使っている金の桁が1つくらい違うのだろう。

 

 

「響哉さん、そんなにウロウロしてないで、ちゃんと座って下さいよ……」

「そう固いこと言うなよ。こんな所来る機会なんてもうないだろうし」

 

 呆れたように言うキンジを、俺は適当にはぐらかした。

 せっかくなんだから、こういう芸術品なんかで目の保養をしても罰は当たらないだろうに。

 

 

 ――ソファでぼーっとしているキンジを他所に、俺が部活動の優勝旗やトロフィーを眺めていたら、理事長室の扉からノックの音が室内に響いた。そして間を置かず、金色の取っ手が付いた木製の扉が開かれる。

 

 

「待たせてしまって申し訳ない」

 

 そう言って入ってきたのは、俺達が待っていた理事長と思しき男だった。

 

 随分と若く見え、身長は180センチくらいと俺と同じか少し高いくらい。もうすぐ夏だというのに紺色のスーツを見事に着こなし、得も言えぬ風格を醸し出している。

 そういえば最近テレビで裾に鉛を仕込むことによって見栄えが良くなるという話を聞いたのだが(ちなみに武偵だったら鉛ではなく暗器の類のものが仕込まれている)、この理事長も同様に鉛を裾に入れているのだろうか。

 

 

「私がこの学園の理事を務めている(やなぎ)哲志(てつじ)です。この度は我が校の依頼を承諾していただき、誠に感謝致しております」

「武偵高2年の朱葉響哉と申します。こっちは後輩の遠山キンジです。こちらこそ、高名な秀桜学園高校に短い間ながら通わせていただくことを光栄に存じます」

 

 お互い歯に絹着せた会話を済ますと、キンジはソファから立ち上がって柳理事長に会釈をし、俺は柳理事長と軽い握手をした。

 

 間近で対面した時の印象は、『曲者』といったような、どこか裏のありそうな人間のように思えた。

 最近会った中では、この柳理事長の雰囲気はあの河上アヤメに近い。

 

 

 しかし、彼のは河上のそれとは全く異質で、それでいて数倍性質が悪い。「こいつは嘘を付いている」と必死になって思い込まない限り、慣れていない者ならばこの人のことを初対面だったとしても『誠実で正直な男だ』と信じきってしまうほど巧みだ。

 

 

(こういう相手は、精神的に堪えるな……)

 

 苦虫を噛みしめたような作り笑いをへばり付けながら、俺は柳理事長に促されてソファに腰を下ろした。

 

 

「あまり時間に余裕がない者でね。早速ですが、本題に入らせて頂きます。

 詳細欄に記載してあったと思いますが、あなた方には暫くの間、我が校の生徒として潜入してもらい生徒間のいざこざや問題がないかを調査して貰いたいのです」

 

 少々早口で、柳理事長は依頼の確認をしてきた。

 

 

「来週の月曜日……17日から夏休みが始まる7月24日まで、毎年同じ時期に来てもらっている他校からの交流生としてあなた方にはこの学園に通ってもらいます。制服と生徒手帳、テキスト、参考書はこちらから武偵高側に郵送させて頂きます。よろしいですか?」

「はい。それで構いません」

 

 俺は一度頷いてみせた後、「ですが」と言葉を続けた。

 

 

「なぜ俺達のような者を雇うんですか? 何か思い当たる節でも?」

 

 単純に、興味本位で俺は柳理事長に尋ねる。

 

 考えてみれば、この秀桜学園は金持ちの子息子女がこぞって通うエリート校なのだ。相対評価ではなく絶対評価が当たり前となった現代で、他人を虐げるような余裕はこの学校に通う生徒なら皆無のように思える。

 つまり、下手に問題を起こして騒ぎにするような人間はそもそもこの学園に入学すらできないはずなのだ。昔から『金持ち喧嘩せず』というが、それだけ彼らはいい暮らしをしているわけで心の余裕というのを余るほど持っている。喧嘩するくらいならお互いにあまり近寄らず喋ろうともせず、その場を不完全燃焼でも何でも構わずに沈黙によって乗り切ろうとする輩だ。問題が起きるはずもない。

 

 寧ろ、俺達みたいな偏差値低めの学校の生徒を招き入れるほうがリスキーとも言えるだろう。

 

 

 この理事長がそこまで頭が回らなかったはずがない。この依頼には、何かドス黒い裏があると俺は目星をつけた。

 

 

 

「君の言いたいことはわかります。ですが最近は保護者の持つ力が無作為に巨大化し過ぎてしまい、PTA側の意向が絶対視されるような風潮になっています。今回の依頼も、その影響です」

「モンスター・ペアレントですか……」

 

 思いの外あっさりと黒幕の正体が暴かれてしまったことと、その明らかになった正体で、俺の気分はたちまちブルーになっていく。

 もっとこう、法人団体なんかの怪しい集団が絡んできているのかと思ったのだが。

 

 

(まあ最近ではPTAも似たようなもの――というか余計に質の悪い集団になりつつあるが……)

 

 その点では、俺の勘は的中していたのかもしれない。

 

 

「もちろん、PTA側にあなた方が潜入したことは伝えておりません。調査が終了した後、頃合いを見計らって会議に提出させて頂きます」

「まあ、そうなりますよねぇ……」

 

 教員側が生徒への教育以外で神経をすり減らす必要はない。ある方が異常なのだ。それで授業を妨害する親までいるのだから、もうモンペは逮捕できるようにするべきだ。営業妨害とかで。

 

 ちなみにうちの学校はモンペに対してのマニュアルが定められており、以外にも温厚な話し合いを持ってしてお引取り願っている。美男美女をあてがって、上手く話をはぐらかして追い返すのだ。

 

 そもそも、武偵高にはイジメは存在しないためモンペが来ることはほぼ皆無だ。決して武偵高の教員が危ない連中だから保護者も躊躇うとかそんな理由ではない。

 教員からは愛(稀に殺意)のこもった(かなり理不尽で)厳しい(死にかけることもある)指導。生徒間では先輩や同級生からの(気分と財布の具合による)叱咤激励(暴力やカツアゲ)。一体どこに不満を抱く者がいるというのか。寧ろなぜいないのか……。というわけで、我が武偵高にイジメはありません。

 

 まあ武偵高の生徒でイジメられてるような奴がいたら、かなり早い段階で退学すると思うんだがな。

 

 武偵高の生徒は女子までまどろっこしいのが嫌いな性分の奴が多いのか、すぐに足がついてしまうからか、何にせよ結果的に陰湿な真似をする輩が少ない。

 よって、被害者側が加害者側に物理的な話し合いを成立させるケースも多く存在する。

 

 その話は生徒間で噂されるようになるのだが、中でも一部で伝説になるほど有名なのは、2年生5人にカツアゲされそうになっていた銭形がその10秒後に武偵病院に電話してベッドを5つ用意しておくようにと連絡していたことだろう。新入生の中にはあいつを神格化するほど尊敬している輩もいるという話だ。

 

 もう1つ有名な話しとして、俺のルームメイトの1人である御園春樹のエピソードがある。

 去年、あいつは銭形と同様に2年生数名からカツアゲに遭い、金を巻き上げられたことがあるのだが、その報復の凄まじさと普段の彼のギャップから一時騒然となったことがある。

 まずカツアゲをした2年生の昼食に強力な下剤を仕込む。もちろん武偵の端くれである彼らはそれがすぐに春樹の犯行であると見立て、報復を企てた。

 しかし、下剤を盛られて不調だった2年生に、春樹は何と拳銃だけでなくワイヤーやらスタンガンやら、果ては閃光手榴弾までを準備し、万全の状態で挑み上勝ちしてしまったのだ(なお、彼らからは財布ごと利子と一緒に金を奪い返した模様)。

 1年相手に2年が束になって掛かって返り討ちにあったために、彼らは暫く笑い者にされ、噂を聞きつけた蘭豹に再教育をされたとか何とか。ここまで見越していたかもしれないと思うと、俺の知る中で最も敵に回してはならないのは春樹なのだと思い知らされる。

 

 

 ……まあ、武偵高(ウチ)はそういう学校なのだ。だからこそ、我が校にいじめはありませんと胸を張って言える。どこの世界にいじめっこがいじめられっこにフルボッコにされる学校があるというのだ。だからアレはイジメじゃない。

 おまけにそのいじめっこ、有事の際は映画版ジャイアンよろしく急に温情に熱くなったりするんだから、当人からしてみればじゃれ合いや伝統行事みたいなノリなんだろう。被害者側はたまったものではないだろうが。

 

 

 理由は違えど、イジメのない学校というのは無い訳ではない。秀桜のような場合だと、生徒が皆イジメによって他者を排斥するよりも、気の合う連中とグループを作って、別のグループの連中とはあまり関わり合わずに過ごす方が省エネで損のない学園生活を送れると考えているため、摩擦が生じることがない、つまりいざこざが起こるはずもないというわけだ。

 

 まあそんな、他人に分け与えてもまだ余るほど心に余裕を持った連中が集まる学校だ。受ける授業のレベルとかを無視すれば、随分楽な依頼なのかもしれない。

 

 

「まあ他にも、最近この辺りで怪しい人間が中高生を唆しているという噂もありますし、その調査も兼ねてお呼びした次第なのですよ」

「はぁ……」

「それでは、頼みましたよ」

 ブルガリの腕時計に一瞬だけ視線を向けた後、柳理事長は笑顔でそう言ってみせた。

 

 人の笑顔を怖いと思ったのは河上以来だが、背筋が凍る様な不気味さではあの女に劣るものの、人の多面性という恐怖で言えばやはりこの男は河上や他の誰よりも恐ろしく感じた。

 

 

 

 


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