「何を遊び呆けている、阿呆が! 貴様らはそのガキの相手でもしていろ!」
鋭い視線を河上に向けたまま、突如現れた銭形はいきなり俺達に檄を飛ばしてきた。
「この女は俺の獲物だ、手を出すな」
「相当しつこいなぁ君も」
何やら顔見知りのようなやり取りが窺えた銭形と河上だったが、この2人がやり合っている間に、俺はもう1人のイ・ウー構成員である櫻井に向き直る。
小柄な少女ながらその腕と脚は巨人のように厳つく、彼女の放つ威圧感が相まってか、小さな身体が数倍大きく見えた。
見ての通り、あの腕と脚は馬力も人間のそれを遥かに凌駕しているのだろう。下手をすると、日常生活に支障が出ていてもおかしくはない。
だが、俺は決して同情することはないだろう。櫻井は、そういう生き方を選んだのだ。俺がいくら可哀想だと嘆いても、それはただ櫻井を見下して勝手に感傷に浸っているだけだ。
それが如何に惨めなことか、俺は知っている。だからそんなことはしない。してはならないのだ。
「雅、お前は下がってろ」
「イヤ。怪我してるのに響哉を1人で闘わせるわけにはいかない」
即答してくる雅を横目に、俺はフッと微笑を浮かべながら小声で雅に囁きかけた。
「安心しろ、勝つ秘策はある。お前には危ないから離れていてほしいだけだ。俺を、信じろ」
「……わかった」
少し考えたような間を開けて、雅は渋々頷いて1歩下がった。それを見て、櫻井が不機嫌そうな視線を俺に送ってくる。
「随分と、私のことを舐めているようだな……」
「そうじゃねえ。今はまだ、お前を斃すにはこうするしか方法がないのさ」
そう言って、俺はP2000をホルスターに仕舞い腰に隠してあった小太刀、『雲雀』を抜刀し上段に構えた。
窓から入る陽の光を浴び、その刀身は銀色に煌めいている。
「そんな短い刀で何をする気だ?」
「答えが知りたいならかかって来い。まあ、知った時にはもう手遅れだがな」
「……自分と相手の戦力比較もまともにできないのか。万全ならまだしも、既に虫の息のお前が私の攻撃を捌けるとは到底思えない」
「試してみるか?」
「…………」
俺の随分と安い挑発に、しかし櫻井は思いの外簡単に乗ってきてくれた。
眉を顰め、忙しなく手を閉じたり開いたりしている。
「格の違いを思い知らせてやる……ッ」
カッと目を見開き、櫻井が俺に向かって肉薄してくる。
馬力が常軌を逸しているのか、コンクリートで固められた床がひび割れ凹んでしまっていた。
――確かに、俺と櫻井の力量差は無視できないほどだ。更に今の俺は万全とは言い難い状態で、無策で挑めば確実に敗けるだろう。
しかし、何か一点でも相手を上回ることが出来れば、その不利を覆すことができるかもしれない。
思い出せ。昔、たった1度だけ親父が俺に見せたあの技を――。
理解しろ。2ヶ月前に俺達の前に現れた、あの男がやっていたことのカラクリを――――。
「潰れろォッ!」
「うおおおおおおッ!」
空を切って振り抜かれた櫻井の豪拳を、俺は雑念を振り払うように叫びながら上段から小太刀を振り下ろし、更に刃を返し斬り上げることで櫻井の拳を防いだ。
V字を描くような軌跡で、櫻井の右腕は無防備に斬り上げられ、その表情が驚愕に染まる。
そして――上段に戻された小太刀の峰が、櫻井の肩に振り下ろされた。
幼い頃、親父が俺にたった1度だけ見せてくれたこの返し技……『朱雀紋』。相手の攻撃が自分に届く直前に、瞬間的に斬り下げと斬り上げの2連撃を加え、無防備になった所へ上段から攻撃する回避不能の必殺技。
相手の攻撃を読み、且つ相手よりも速い動作が要求されるこの技を、俺は土壇場で成功させてみせた。
ただ、相手の攻撃を見切ることだけに集中し、他の全てを排斥し一点を特化させたからこそ至れる境地……3月の末に俺が相対した、青木迅に覚えた『同格でありながら上回っている』あの奇妙な感覚の正体がコレだ。
前に踏み込み、渾身の力を込めた一撃。しかしそれは、身体の大部分を機械化させている櫻井には通用しなかった。
僅かにバランスを前に崩す程度で、櫻井は腕と同様にゴツい脚で踏ん張りを利かせ俺を睨み上げてきた。
小太刀の刀身が短い分、通常の刀と比べて勢いが乗り切らず威力が極端に下がったのだ。
(やべぇ……!)
第六感で櫻井の攻撃を読み身の危険を察知した俺は上体を後ろに反らす。そんな俺の顔の前を、櫻井の鋭い突きが通り過ぎた。
櫻井の指先は刃物のように鋭く尖っているため、まともに受けていれば突き刺さっていたかもしれない。その馬力と相まってまさに全身凶器と呼べるとんでもない
俺はそのままバックステップで櫻井から間合いを取り、体勢を立て直そうとする。すると、櫻井の指先から何か白い気体が放出されているのが俺の目に入ってきた。
(あれは、何だ…?)
俺がその答えを探ると同時に、横から大きな声が水を差してきた。
「ユウ! ガスナイフを使うな!」
「くっ……!」
その声は河上のものだった。そう言われた櫻井は歯軋りをし、キッと俺を睨みつけてくる。
「撤退するぞ、時間をかけ過ぎた」
「この状況で逃げられると思っているのか!」
銭形がガバメントの銃口を河上に向けた。
さらに左手には、彼女の右手に掛けられている手錠に繋がったワイヤーを持っている。逃げようとするにはあのワイヤーを切るか、銭形の手からワイヤーを手放させなければならない。
「次に君たちと会う時が楽しみだ」
しかし、河上は余裕を持った表情で、足下に何かを転がした。
(
それが何なのかを咄嗟に理解した瞬間、発煙手榴弾から白い煙がもうもうと立ち上り河上の姿を隠してしまう。それに続き、櫻井も煙の中へと消えていってしまった。
それとほぼ同時に警報機が作動し、スプリンクラーから消火用の水が雨のように倉庫内に撒き散らされた。
「クソッ!」
銭形がワイヤーを引き寄せるが、煙の中から飛び出してきたのは開かれた手錠だけだった。どうやら河上はあの一瞬で手錠を外してこの場から逃走したらしい。
「またしても逃げられたか……ッ」
悔しさが交えた声を上げ、銭形は近くにあったトラックの扉を殴っていた。
今からあの2人を追えば、もしかしたらイ・ウーに繋がる何かの手掛かりを掴めるかもしれない。
だが、今の俺は手負いで、雅も銭形も消耗している。更に相手はまだ余力を残している可能性が高い。返り討ちに遭ったら助かる見込みはないだろう。
ここは、相手が逃げ出してくれたことを幸運に思うべきだろう。
「そうだ、時任……!」
俺はエレベーターに駆け寄り、カードキーで電子ロックを解除してエレベーターの扉を開けた。
中には薬で眠らされている時任が、ぐったりした様子で座り込んでいた。
「ん……」
どうやら意識はあるようで、脈拍も正常だ。それを確認して、俺はほっと胸を撫で下ろし、時任の身体を抱きかかえた。
「おい、時任。大丈夫か?」
「響、哉……? ――ッ!?」
ようやく意識を取り戻してきたのか、か弱い声で俺の名前を呼んだ時任は、自分がどうなっているのかをすぐ理解した様子で顔を耳まで赤くして俺の腕の中で蹲ってしまった。
「あ、ありがとう……助けに、来てくれて」
「当たり前だろうが。ってか、どこか身体が痛かったり、怪我してないか?」
「私は平気よ。あなたの方こそ、ボロボロじゃない」
「俺はいいんだよ」
「良くないわよ。私が心配するでしょう?」
「……悪かったよ」
小声で呟きながら、俺は時任を抱きかかえたまま外に出た。銭形がシャッターを開放してくれたおかげで倉庫内の煙はわりとすぐに霧散し、スプリンクラーもそれからすぐに止まった。
しかし、既に俺達の服はびしょ濡れで、まだ日差しの強くない5月末の太陽では乾くのにも暫く時間がかかりそうだった。
「おい、貴様ら」
スプリンクラーのせいで濡れてしまった上着を肩に掛けながら、銭形が俺達に呼びかけた。
「教務科には俺が事後報告をしておいてやる。貴様らは保健室にでも行って応急手当をしておけ」
「随分と優しいじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」
「いつぞやの借りを返しただけだ。いつまでも貴様などに借りを作っておくのは癪に障るのでな」
俺達に背を向けながら、つき放すように銭形は言う。相変わらず、口を開ければ嫌味しか飛んでこない奴だ。
しかし、実際俺はかなり酷い怪我をしている可能性があるため、早めに医者に診て貰いたいというのが本音である。ここは銭形の言う通り、保健室に行かせてもらおう。
「悪いな、銭形。今回は助かった」
「たまたま俺の標的が貴様の相手だっただけだ。そうでなければ、誰が貴様など助けるか」
「こっちこそ、お前なんかに助けられるなんてもう二度と御免だ」
俺がそう返すと、銭形はそれ以上何も言わず教務科の方へと歩き去って行った。
俺達も教務科とは反対方向にある保健室に行こうとした時、俺はふと思い出したように時任に話しかけた。
「そういや、時任。お前、犯人の顔を見たり、頭の中覗いたりしたか?」
「いいえ。学校に来る途中、後ろからいきなり襲われたから、何も分からないの。……ごめんなさい、力になれなくて」
「いや。寧ろ、そうで良かった」
下手にイ・ウーの核心に迫るような情報を手にしていたら、口封じのために命を狙われることも考えられた。恐らくあの2人は時任の超能力のことも承知で、情報の漏洩に気を使ったのだろう。
重大な情報は一部の限られた人間にしか出回らないようになっている。それは脅威から弱者を守るためであったり、不利益にならないためであったり、様々な思惑が交錯している。
しかし、俺はカナという超高スペックお助けキャラのような存在により、本来知り得るはずのなかった情報を持っていた。
『殺害された刑事3人の遺体の共通点は、全員胴体が無い……と言うより、飛び散っていたこと。それと、その飛び散った肉片が凍っていたことよ』
『凍っていた……ガスナイフ、ですか?』
『おそらく、その通りよ』
昨年4月に警視庁で起こった殺人事件。そして、その凶器が何なのかを、俺は知っている。
捜査の末、犯人はあまりにも危険な相手であると予想されたため、殺人のライセンスを保有している武装検事の管轄となった警視庁刑事殺人事件。その容疑者として、俺の中で櫻井ユウの名がたった今浮上した。
今まで何の手掛かりも掴めなかったが、一転、容疑者まで行き着くことができた。これを進歩と言わずに何と言うのだろうか。
これまでの実感のない闇雲な一歩とは違い、明確に、そして今後に繋がる躍進であったことは揺るぎようのない事実だった。
――――だが、それが誰も望まぬ苦痛な真実であったことを、俺はまだ知らないでいた。