自分が変われば世界が変わる。そう思っていた時期が、俺にもあった。
しかしその世界とは自分の周囲、つまり極一部であり、またそれすらも変化しないものもあるのだと俺は知った。例えば人と人の繋がりなどである。
去年の今頃から6月頃にかけて、俺の意識は大きく変化した。
俺は強さを求め、身を削る思いで必死に足掻いた。今から3年前に親父に鍛えられ、去年は金一さんに鍛えられ、何度も自分の変化を体感した。強くなっているという実感があった。
だがそれは全て幻想だった。
『お前たち2人掛かりなら丁度いいかもなァ!』
『あのまま闘っていればお前たちは殺されていただろう』
あの日、岡田と東吾さんから言われた言葉を思い出す。悔しさが沸き上がり、俺はギリッと歯軋りした。
目の前が真っ暗になり、その真ん中に岡田の姿が浮かび上がる。俺は、その岡田の眼をキッと睨み上げた。
その岡田が、俺に向かって殴りかかろうとしてくる。
「うおおおおおおっ!」
叫びながら自分を鼓舞し、迫る岡田の腕を両手で掴んで捻りを加えながら後ろに回り込みつつ、背中に凭れ掛かるようにして押し倒しさらに関節を強く極めた。
「痛たたたたっ! ギブ、ギブです響哉さん……!」
技を掛けていた相手がタップしながらそう叫んでいるのを聞いて、俺ははっと我に返った。苦痛に顔を歪めているのは、なんと岡田ではなくキンジだった。
「す、すまんキンジ!」
俺は即座に技を解き、キンジから距離を取って嫌な汗が浮かぶ額を押えた。どんどん血の気が引いていくのが分かる。
(何やってんだ、俺は……)
頭を横に振りながら、俺は溜息を吐いてキンジの様子を窺った。キンジは肘関節の辺りを揉みながら、ゆっくりと立ち上がった。
――あの任務から2週間が経った。
一応、任務は成功という扱いとなり、俺とキンジとレキ、ついでに武藤の4人は多くの単位が与えられた。
あの一件の後も、俺は以前と変わらずキンジの訓練を見たり、指導したりしていた。今日は俺を相手にスパーリングをしていたのだが……――
「響哉さん、大丈夫ですか? 最近ちょっと疲れてそうですよ?」
「ああ……心配かけてすまない。俺のことはいいから、お前は自分のことだけ考えてればいい」
「は、はぁ……」
――蓋を開けてみればこのザマである。1年をきちんと指導してやらなければならないというのに、敵と後輩を重ね合わせ挙句にこっちが心配されるなど恥ずかしい話だ。
「今日はもう上がっていい。俺は強襲科の体育館で射撃訓練してるから、何かあったらそこに来い」
「はい。それじゃあ、失礼します」
キンジはそう言って俺に軽く頭を下げた。そんな彼を背に、俺は強襲科の射撃レーンへと歩を進める。
先ほどキンジは俺が疲れていそうと言ったが、その理由は解っている。単に俺が、自主トレの量を大幅に増やしたからである。
睡眠時間も減り、疲れも残るようになった。量だけならば1年の冬の時よりも更に多い。そんな状態だからか、あんな幻覚を見るようになってしまった。
だが、ここで妥協を許すわけにはいかない。俺はもっと、強くならなくてはならないのだ。こんな所で弱音を吐いている暇はない。
なのに、この心に穴が開いたような虚無感は何だ。
自分の行いが正しいか否か、迷っている。これまでは実直に、そして
本当に、自分が自分でないみたいな気分になる――――。
無言で射撃訓練をしていると、ついついそんなことを考えがちになる。そのせいか、今日の俺のスコアは最悪だった。
誰も俺のことなど見ていない。そのはずなのに、周囲が気になって仕方がない。
「……ッチ」
徐々に苛立ちが募り、俺はイヤーマフを置いてレーンから出た。きっと、今の俺の表情は酷いものなのだろう。そんな自分が嫌で嫌で、余計に腹が立ってくる。
それほどまでに、今の俺には余裕というものがなかった――――。
◇◆◇
――あれから、数日が経った。
夜遅くに寝て朝早くに起きる生活になっていた俺は、睡眠不足で午前の授業中に居眠りしてしまうことが多くなった。
もちろん、机に突っ伏して寝ているので背筋は曲がり、そのせいで身体が一層ダルくなる。なまじ寝ている分、夜寝難くなってしまうためそれらが負の連鎖を引き起こしていた。
それよりも、あの寝てる時に身体がビクってするやつ。机も一緒に揺れて「ガタッ」っとかなり大きな音を立てるので、クラスの皆が静かに授業受けてる時にやってしまった時はもの凄く恥ずかしかった。中学の時に全く同じ事をして先生に怒られつつ周囲から笑われている奴がいたが、まさか俺が笑われる側になるとは思っても見なかった。
そんな、俺にとって色々と衝撃的だった日の昼休み――。
「ちょっと、響哉」
4時限目の授業が終わってすぐ、俺の机の横にやってきて声をかけてくる女子がいた。時任ジュリアだ。
「最近またちょっと変よ。疲れてるみたいだし、今日はもう帰って身体を休めたら?」
「平気だよ、ちょっと無理したくらいで、死ぬわけじゃねえんだし」
「今にも死にそうな顔してよく言うわね」
呆れたように溜息を吐きながら時任はそう言った。
「だから、別に死にやしねえって」
寝起きだったせいで虫の居所が悪かったのか、俺は席から立ち上がりつつ、時任に対し言葉に少し怒気を含ませながらそう言ってしまった。
そんな俺の突き放したような一言が刺さったのか、困惑した表情でたじろぐ時任を見て、俺は罪悪感に駆られた。
すぐに視線を逸らし、そして鞄を取って後ろを向き、時任に背を向けたまま俺は掠れそうな声を振り絞った。
「……俺は強襲科に行く。じゃあな」
「ちょ、ちょっと! まだ昼休みが始まったばかりじゃない」
「別にいいだろ、真面目に訓練するのはさ」
「だからって――」
まだ何か言いたそうな時任の方を振り返らないように、俺はそそくさと早足で逃げるように教室を出て、扉を閉めた。
……その日から俺と時任は、まともに会話もしなくなってしまった。
今一顔も合わせ辛く、話したくなるような話題も用事も何もないせいで、暫くはこのまま少し距離を取っておいた方が互いのためだと考えていた。
だが、それは決して正しい選択でなかったのだと俺は気付かされる。
――あれからおよそ1週間後の5月末、アドシアードの開会式が終わった直後だった。
『時任ジュリアは預かった。返して欲しければ今から言う場所に1人で来い』