緋弾のアリア 不屈の武偵   作:出川タケヲ

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今回は3人称視点です。


過去の柵

 

 

 

 白浪家の分家にあたる鷹見家の長女として生を受けた鷹見伊織は、俗に『天才』と呼ばれる類の人間だった。

 他人の動き、言動、癖――――それらを一度見ただけで完璧に模倣し、自分の物にできる才能があった。

 

 まるで乾いたスポンジのような吸収力に、周囲の大人は並々ならぬ期待を寄せた。その中には本家の当主である白浪紗綾の両親も含まれていた。

 

 

 対し、本家の跡取りである紗綾はそんな能力などあるはずもなく、ごく平均的な女の子でしかなかった。

 いくら努力しようと、どんな分野でもあっという間に吸収してしまう伊織には学業、スポーツ、そして剣術でさえも追い付かれ、そして追い抜かれていった。しかし、それでも2人はまるで姉妹のように仲が良かった。

 

 だが、そんな紗綾に彼女の父は一切の甘えを許さなかった。伊織を養子に迎えようという話も、もしかしたら常に危機感を与え続け、せめて剣術くらいは勝たせてやりたいという親心だったのかもしれない。

 

 

 ――だが、紗綾はそれを歪んだ風に受け止め、いつしか紗綾は伊織に凄まじい敵意を剥き出しにするようになってしまった。紗綾の自分への態度が急に冷たくなった伊織は幼いながらもそれを悟り、自分を抑えれば許してもらえると考え、本来の力を発揮することはなくなってしまった。無論、その考えはあまりにも浅はかだったのだが。

 

 

 

 しかし、紗綾も白浪家次期当主として、そして分家の人間よりも優秀だと証明するため、一日でも鍛錬を怠ることはなかった。若い女性ながら、その剣の腕は確かなものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願い朱葉くん、彼を止めて。紗綾姉さんはすごく強い……まともに闘えば、あの人が大怪我するかもしれない」

 隣に立ち戦況を見守る響哉に、伊織は救いを求めるように懇願する。その力のない声から、彼女にはもう戦意がないことは誰の目にも明らかである。

 

 

「無駄だ、鷹見。ああなった龍は、もう誰にも止められやしない」

 

 そうきっぱりと突っぱねる響哉の視線の先には、刃長80センチ程度の日本刀【武蔵】を正眼(中段)に構える榊原龍の姿があった。

 一方、相対する紗綾は白浪家の家宝とも言える刀、【虎金】を上段八相の構えで構える。

 

 これは上段の構えから派生した一種で、かつて上段に構え難かった武士などが上段に構えるときに使われた構えだ。さらに普通の上段構えに比べ後ろに引きやすく、横薙ぎにも移行しやすい構え方でもある。

 

 

(それより、俺が心配なのは……)

 

 響哉の視線が、今度は雅と青木の方に移る。

 

 

 青木は相当な長さを誇る長太刀を右手で持ち、刀身の中心から手前の部分に左手を添えている。これほどの長さになると持ち手に掛かる重量はかなりのものになるはずだが、しかし青木は涼しい顔をしてそれを片手で扱っていた。

 

 

(いざとなれば、後ろから撃つしかないな……)

 

 恐らく青木もそれは警戒しているだろうと解っていながら、響哉はいつでも雅を援護できるようにP2000を取り出し、スライドを引いて薬室に初弾を装填する。

 響哉が雅の実力を信用していないわけではない。ただ単に、青木が雅でも危うい相手だと彼が判断しただけのことだ。

 

 

「怪我しても知らないよ……――ッ!」

 

 丁度その時、紗綾が地を駆け龍へと肉薄する。

 

 紗綾は上段から勢いをつけて刀を振り下ろすが、龍はそれをゆっくりとすり足で後退しながら最小限の動きで受け流している。

 対し、紗綾は行き着く暇もなく連続で攻撃を浴びせ龍の防御を崩そうとする。

 

 斬り下げ、逆胴からの渾身の袈裟斬り。それを龍は冷静に刀で受け流し、袈裟斬りを受け止めて紗綾の猛攻を防ぎきる。

 

 

「チィッ!」

 紗綾は舌打ちし、攻撃の流れが途切れたため後ろに跳び退いて間合いを取る。

 

(何なんだこいつ……朱葉以外は大したことないと思っていたのに、想定外だ……)

 

 想像以上の実力を持っていた龍に驚く紗綾。だが、その表情にはまだ焦りの色は窺えない。それはポーカーフェイスというわけでもなさそうだ。

 

 

(本当は伊織に使うつもりだったけど……ここはあえて奥の手を見せておくか)

 

 見た技をコピーする伊織に対し、最も有効な攻撃は『一度も見せたことのない技』である。

 だが、それで勝っては味気ない。紗綾はそう考えた。

 

 『お前にこの技が真似できるか』。伊織の目の前で龍にその技を使うことは、そんな伊織への挑発を兼ねているのだ。

 そして同時に――――龍が、その技を使うに相応しい相手であるということを紗綾が認めた瞬間でもあった。

 

 

 構えを解き、刀を収める紗綾を見た時、龍は悟った。この一撃で勝負が決まる、と。

 

 納刀した状態で、左脚を後ろに引き、身体を横に向ける姿勢。左手は鞘を持ち、右手は柄を短くしっかりと持っている。

 この構えから、響哉、龍、伊織の3人は紗綾が抜刀術による斬撃を仕掛けてくることが予想できた。

 

 ――だが、武偵法によって不殺が義務付けられている武偵にとって、抜刀術というのは本来あってはならない攻撃の1つである。

 日本刀はより物を切れるように刀身が反り返っている。抜刀術はその刀の反りに鞘の内側を滑らせることによって『鞘から刀を抜く』動作と『斬り上げ』の動作を1つに纏めているため、峰打ちという選択肢を選ぶことができなくなってしまうからだ。

 

 それをしようとしている紗綾の狙いに、響哉、そして龍は逸早く気付くことができた。

 

 

(恐らく、白浪の狙いは龍の刀を弾き飛ばすこと……それなら刃を向けても相手を傷つけずに無力化できる。だが……)

 響哉は紗綾の眼を見て、彼女がそれとは別のことを狙っているような、そんな気がしてならなかった。そしてそれは、隣にいる伊織も同じ事を考えていた。

 

 龍と紗綾の間に割って入るつもりで駆け出そうとする伊織を、響哉が引き止める。

 

 

「何するつもりだ?」

「離して朱葉くん、全部私が悪いの。私のせいで彼が痛い目にあうことなんか……」

「武偵憲章4条」

 

 響哉がその単語を口に出した途端、伊織の身体が一瞬だけ硬直する。

 武偵憲章とは国際武偵連盟(IADO)が発足された時に作られた世界共通の『武偵の心得』であり、その4条とは『武偵は自立せよ。要請なき手出しは無用のこと』と書かれている。

 

 

「アイツだって白浪の狙いが別にあるって分かってる。それに――」

 

 響哉が言葉を続けようとしたその時、紗綾が地を蹴り凄まじい速さで龍に肉薄する。先ほどのそれよりも更に疾い彼女の姿は、さながら撃ち出された銃弾のようである。

 

 

 その速度から、さらに神速の居合い抜きが龍の持つ刀を捉える。龍は刀を打ち上げられ、獲物を失いはしなかったものの、僅かな間だけ無防備な状態にさせられてしまった。

 そんな龍に襲いかかってくるのは――――紗綾が左手に持っていた、『虎金』の鞘。抜刀した時の力を利用してそのまま身体を回転させ、逆手に持った左手の鞘で龍の頭部を打とうとする。

 

 息をつく暇のない、刀と鞘による怒涛の連続攻撃。それこそが紗綾の奥の手だった。

 

 

 

 

 

 ――が、それを体感して尚、龍の眼は諦めてはいなかった。

 

 

 

 打ち上げらた刀を持つ手に、力が篭る。痺れる手を力ずくで言うことを聞かせ、刀を振り下ろす。

 それは龍の顔面に向かっていた鞘を弾き飛ばし、回避不能と思われた第2撃目を防いだのだ。

 

 

 

「龍は強い。俺の知る中で、剣術でアイツの右に出るものはいない」

 

「…………っ!」

 

 

 絶対に避けられない。そう思っていた伊織にとって、これほど衝撃的な光景はなかった。

 

 

 

 しかし、これには偶然もあった。彼の身長は183センチ。体格ならSランクの銭形平士と大差ない巨体を誇っている。対する紗綾は161センチと、その差は20センチ以上もある。

 その体格差があったからこそ、龍は打ち上げられた刀を振り下ろすことができる限界角度で留めさせることができたのだ。

 

 無論、それだけではない。あの一瞬の間に龍の技術と判断も存在した。彼は刀を打ち上げられる直前、予め刀の位置を下げておくことによって最も威力が上がる一瞬を外し、打ち上げられる高度を意図的に下げたのだ。

 常日頃から鍛えていた腕力も大きい。

 

 これらの内どれか1つでも怠っていれば、龍の反撃は有り得なかっただろう。

 

 

 

「…………ッ!」

 

 決定的な2撃目を防がれた紗綾は龍による連撃を恐れ、すかさず距離を取って八相の構えに移ろうとする。

 が、鞘を持っていた左手が痺れているのか、刀を上手く握れていない。

 

 

「ここまでだ、紗綾。一度引こう。今はあまりにも状況が悪い」

「くっ……!」

 

 先ほどと同じ構えのまま、迅は雅と向き合った状態で紗綾に撤退を勧める。

 それを聞き、紗綾は舌打ちをしながら刀を下ろし戦闘態勢を解いた。

 

 

「おい!」

 紗綾に向かって呼びかけた龍は、地面に落ちていた彼女の鞘を放り投げて返してやる。紗綾はそれを拾い、虎金を納めて腰に差した。

 

 

「……お前、名前は?」

「榊原龍だ」

「私は白浪紗綾だ。次こそ勝負をつけてやる。覚えていろ」

 

 そう言い残し、2人は響哉たちに背を向けてこの場から立ち去ろうとする。そんな彼女を、伊織は呼び止めた。

 

 

「紗綾姉さん。今度、私に剣術を教えてくれませんか?」

 

 過去の幼かった自分が良かれと思ってした行動の何がいけなかったのか、そして今何をするべきなのか……龍と闘った紗綾を目にし、彼女はようやく結論を見出したのだ。

 その誘いに、紗綾は少し考えたような素振りを見せつつ背中を向けながらこう返した。

 

 

「また、いつかな」

 

「…………ッ!」

 

 

 たったそれだけの言葉に、伊織は何かを見出し、その瞳が潤む。

 

 過去の柵はなかったことにはできないけれど、今すぐには仲直りはできないけれど、きっといつか、それも笑って話し合える時が来ることを紗綾は悟り、あの短い言葉だけで伊織もそれを理解した。

 

 

 誰の真似でもない、鷹見伊織という唯一の存在として敬愛する紗綾に認めてもらいたかった、その願いが今まさに叶ったのだ。

 

 

 紗綾も本心ではそれを望んでいたのだろう。別れ際の彼女の表情もまた、清々しいものだった。

 

 

 

「雅、助かった」

 迅と紗綾が立ち去った後、響哉は拳銃を仕舞いながらそう雅に言葉をかけた。すると、雅は響哉に向き直って首を横に振る。

 

 

「そんなことない。響哉が後ろから気を引いてくれていたから抑えられた」

 

 龍と紗綾が闘っている間、雅と迅はあれから互いに一歩も動かなかった。否、動けなかった。

 雅は迅の間合いに入った瞬間に斬られることを察知し、迅は雅の後ろでいつ銃を撃ってくるか解らない響哉を雅とともに警戒していた。

 

 

(青木迅……もしもアイツが本気だったら、俺が万全だったとしても無事じゃなかったかもしれないな……)

 

 響哉の背中に冷たい汗が流れる。それほどまでに、迅の実力が未知数だった。

 

 

 だが、響哉はそう思いながらも不思議とそれほどまでに力の差は感じ取れなかった。力量に違いはなく、だが闘いになれば確実に負ける。そんな奇妙な予感がしてならなかった。

 

 

 迅は今まで闘ってきた相手とは何かが違う。響哉はそれを直感で理解していた。

 

 

 

「それにしても、よくあのタイミングで来てくれたな」

「コンビニから帰る途中で、女の人の叫び声が聞こえた」

「ああ、なるほど」

 

 雅にそう言われ、響哉は納得して頷いた。

 

 

 

 

 

 ――そして、月日は流れ…………4月、武偵高に新しい生徒達がやってくる。

 

 

「キンちゃん、遂に私達も高校生だね!」

「ああ、そうだな」

「一緒のクラスだといいね!」

「ああ、そうだな」

 

 その中に一際癖の強い1年がいることを、響哉たちはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 


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