「おい、不二……」
銭形との決闘に敗れ、下を向いて落ち込んでいる不二に呼びかけた。
彼女の周囲には俺と雅、そして同じ研修生である鷹見と奈須川しか残っていない。不二が連れてきたヤツらは決闘が終わるとそそくさとその場から立ち去ってしまったからだ。
俺が『平気か?』と続けようとした時、不二は突然上を向いて空を見上げ、そのまま背中から地面に倒れて大の字になって寝転んだ。
「あー! 負けた負けた!」
「……!?」
急に叫び声を上げた不二に、俺は驚いて思わず顔を顰める。
笑っているのだ。これ以上ないくらい酷い負け方をしたはずの、不二が。
「何で負けたのに笑ってられるのか解らない、って顔してるね。朱葉くん」
不意に、鷹見が俺に声をかけてきた。
図星を指された俺は、特に何も言い返さずに鷹見に向き直る。
「別に、杏ちゃんは勝つ気なんて初めからなかったのよ。胸を借りるつもりで、自分の力がSランク武偵相手にどこまで通用するか試したかったの」
「なら、何であの結果で不二は笑ってられるんだ? それこそ落ち込みそうなもんだが」
「力量差があり過ぎたからこそ、って言うのかな。まだまだ努力がたりないって分かったから、それが嬉しいんだと思うよ」
「…………」
鷹見の言っていることは、決して分からなくはない。多分、俺も同じような考え方をする人種だからだ。
常に俺の先を行く銭形に追いつこうと、圧倒的な能力を見せつけてきた椎名に勝とうと、イ・ウーという謎の組織に行ってしまった燐を救い出そうと、俺は鍛錬を重ねてきた。
その度に感じてきた、痛烈な劣等感。今の俺は、そんな感情によって成り立っている存在なのだ。
そんな俺だからこそ、解らないことが1つだけあった。
「失敗や敗北に向き合うことが大切だろ。笑って誤魔化そうとするのは、ある種の逃避だ」
「常にそうあれればそれが最良なんだろうけれど、それはあくまで『理想』なんだよ。私たちは強くないから……気持ちが折れない様に、足が止まってしまわないように、曲がったり、誤魔化したりして前に進まなきゃならないの」
「それは――」
『それは甘えだろう』、と言おうとして、俺は口を噤んだ。
アドシアードで燐と会ってから、俺は確かに1ヶ月の間足を止めてしまっていた。それが如何に無為な時間であったかを、俺はよく理解している。
もしあのままだったら――――そう思うと、今でも背筋がゾッとする。
俺は前に踏み出すのに1ヶ月かかったが……不二は、一瞬で持ち直している。俺なんかより、よっぽど強い。
「でも、曲げちゃならないモノもあるわ。自分を支える強い信念が……プライドが曲がったら、もうそこでお終い。一番大事なそれを曲げないために、別のプライドを曲げるの。そうすることで、私たちは前に踏み出してる」
「ひょっとして、その制服も?」
「そう。私たちには『名古屋武偵女子校の生徒』だっていう誇りがある。傍から見れば安いものかもしれないけど、私たちにとってはとても大切なことなの。それが『繋がり』だったり、『信念』だったりするから」
そう言った鷹見の表情は、どこか誇らしげだったが……――
――その奥に、俺は何か別の存在が見えたような、そんな気がした。
ひょっとしたら、誰かの請負いなのかもしれない。例えば、戦姉などの先輩か、教師や両親などの大人が言っていたことの。
だが、それを尋ねるのはマナー違反だろう。
「朱葉くんにも、そういうのはあるかしら?」
「……ああ、あるぜ」
たった1つだけ譲れないモノが、貫き通さなければならない意地が、今の俺にはある。
「不二!」
叫びながら、俺は一歩前に出た。
「俺と1対1で勝負しろ」
「はぁ……?」
不二は顔を顰めながらゆっくりと立ち上がり、俺に向き直った。
「元々喧嘩をふっかけてきたのはお前の方だろ。折角だ、この場で俺との決着も着けようぜ」
「ちょ、ちょっと!」
俺の言葉を遮るように、奈須川が横槍を入れてくる。
奈須川は俺と不二の間に割って入ってこようとするが、その前に雅が立ちはだかりその行く手を阻む。
「……銭形にボロ負けした私となら勝てるってことか? 随分と舐めてくれるな」
「そうじゃないさ。俺はただ、自分の意地を貫きたいだけだ」
そう言って、俺は深く深呼吸をし――――その集中力を高めていく。
その僅かな変化を察したのだろう。不二は眉をピクッと動かし、口元をニヤけさせながらナックルダスターを指節にはめ直した。
「後悔すんなよ、朱葉ァ!」
不二はその場から駆け出して俺との距離を詰め、鈍色に輝くナックルダスターを振り翳す。
そして、全体重を乗せた強力な打撃を俺の胸部に放った!
「っ……!」
まるでマグナム弾や大口径の銃弾を受けたような強い衝撃が、俺の身体に伝わってくる。
骨が、身体が、まるで悲鳴を上げるているように軋む。
ナックルダスターを付けているとは言っても、女性の打撃でここまでの重さを引き出すには相当な鍛錬が必要だっただろう。
しかし、俺は――――
(絶対に、退くわけにはいかねぇ……ッ!)
後退りしようとする足を必死に止め、俺は歯を食いしばって吹き出しそうになる息を堪える。
そして、殴ってきた不二の拳を掴みゆっくりとそれを頭の辺りにまで上げた。
「お前、私を使って銭形と張り合おうとしやがったな?」
「っはは、バレちまったか……」
「馬鹿にするなよ、この野郎!」
俺に掴まれた手を強引に振り解き、、不二は左脚を軸に右膝蹴りを俺の腹部に繰り出そうとする!
が、第六感で予見していた俺はそれを左手で受け止め、その衝撃を使って後ろに飛び退く。銭形との張り合いはもう済んだ。ここからは、正真正銘の不二との勝負だ。
「ここからは、俺も本気だぜ」
「ぬかせよヘタレ!」
不二はすぐさま距離を詰めて俺に迫る。
俺は不二の放った顔面へのフックをスウェーで躱し、続くボディブローを体捌きで避けつつ彼女の背後にすれ違うようにして回り込んだ。
「しまっ……!」
目を見開き、不二は焦った。だが、もう遅い。このタイミングでは身体が追いつかない。
「オラァッ!」
俺は不二の制服の襟を掴んで、思い切り地面に投げるようにして叩きつけた!
不二は背中から倒され仰向けになったが、恐らく受け身は取っているはず。大したダメージにはなってないだろうが、しかし立ち上がるまでには僅かに時間が掛かるだろう。
その間に、俺は懐のホルスターからP2000を抜き、その銃口を起き上がろうと膝をついている不二の額に向けた。
「俺の勝ちだ、不二」
「……の、ようだな」
不二の敗北宣言を聞き、俺はP2000をホルスターに入れ大きく息を吐いた。
拳銃を抜くタイミングは正直言ってギリギリだった。あと一瞬遅ければ銃身を横に弾かれ、もう1発重いのを食らうかもしれなかった。
「響哉、平気?」
俺と不二の勝負を見守っていた雅が、俺に駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫だ」
ちょっと骨に響いてるかもしれないが、雅にあまり変な心配をさせないようにやせ我慢して平静を装う。
「ホント?」
トンッと雅が俺の胸を手の甲で叩く。すると、そこにかなり強い痛みが走ったのを俺は感じた。
「あだだだだ!」
「あーそこ、多分痣になってるだろうから触らない方がいいぞ」
不二に忠告されて上着とシャツを上げて見てみると、胸の真ん中辺りに大きな楕円型の青痣ができていた。見ているだけで痛くなってきそうだ。
「響哉、嘘ついた」
そう言って、雅はまた俺の胸の痣を軽く押してくる。
「痛い痛い! 雅やめろ! 嘘ついた俺が悪かったから!」
俺が叫びながら懇願すると、漸く雅は痣から手を離してくれた。
痣の痛みは我慢し辛い痛みなので、繰り返して強くされるのはかなり堪える。そのため雅が手を離してくれた時、俺はある種の開放感のようなものを体感した。
「ってか、何で負けた方が軽傷で勝った俺がコレなんだよ」
「細かいことは気にすんな。じゃ、私ら帰るから」
「また明日ね、朱葉くん」
「おう。じゃあな」
こうして鷹見達3人の研修生と別れた俺と雅は、この後で寮とは反対の方向にある保健室に行って湿布を貰いに救護科棟の方へ向かうのだった。